はてなキーワード: 木造とは
地方で年収600万とか、完全在宅で日本の限界集落でも海外にいても600万稼げるとか、
公務員or準ずる立場で600万とかなら、評価としては悪くないけど、
東京のリーマンで600万とか競争力皆無やぞ。身のほどを知った方がいい
「普通の生活」東京の子育て世帯でいくら?⇒30代で月54万の収入が必要(年収650万円)
▼ 夫(正社員)と妻(非正規社員、夫の扶養内)、公立小学校と私立幼稚園に通う子供2人がいる4人家族
- 練馬区にある43平米 前後の賃貸マンションまたはアパートに住み、家賃は95,000円
- 1か月の食費は約11万円(1人1食300円と想定、飲み会費用は3500円で月1回のみ)
- 家族みんなで行楽地に出かけるのは月に1回(1回の費用は8,000円)
- 教育費は1か月あたり約28,000円
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fdabc66c5b6f24ae35d46d1
上記に対して『貴族か?』とか米つけているヤツいて地獄みがあるなぁと思いました
ワイさんが1人で暮らしてた1Rは10マンやが?かつ別に高級じゃないが?
練馬区, 40平米以上, 賃貸マンションまたはアパート, 家賃の上限は 95,000円
上記の条件だと、駅まで徒歩20分は掛かる自転車必須(悪天候時タクシーは期待できない)
2LDKくらいならマンションもあるが3DK以上欲しいなら木造だろうね
1人ひと部屋ないのもうーんだがそれは目を瞑ってもファミリーが暮らす家が木造アパートってあのさぁ(防音)
【ホームズ】練馬区の賃貸[賃貸マンション・アパート]物件一覧|住宅・お部屋探し情報
https://www.homes.co.jp/chintai/tokyo/nerima-city/list/
なによりスゲーなって思うのが食費1人300円ってとこ
仕事と満員電車に疲れながら速やかに帰宅しても自宅近くの駅に着くのは19時
こっから、えっちらおっちら自転車で自宅に帰って、外食・中食に頼ることなく毎日自炊ですぜ?
このタフさ&手際の良さ、節約系・時短系・自己マネージメント系の YOUTUBER やインスタグラマー&ブロガーでも目指した方がいいのでは???
もし上記が余裕過ぎるって人がいたらもっとドヤっていいですよ。間違いなくそれは技術です
多くの人にはマネ出来ないよ
(健康や好みが考えられてない食事はダメよ。もちろん上記はそれがクリア出来ている前提)
もうひとつ地獄だなぁって思ったのが全部足しても54マンにならないよって米
いや、年収650万円(いずれも税・社会保険料込み)って書いてますやん、額面この額が必要ってことじゃよ
まぁ東京生まれ東京育ちとして4人家族の最低ラインは世帯年収650万円は違和感はない
ただフツーではなく最低ラインな?
マンションなら2LDKで3DK以上求むなら木造って地獄じゃん。しかも駅まで自転車🚲
団地のがええわ、所得マジック(https://anond.hatelabo.jp/20200713070937#)で団地に入居出来ませんけど
何十分もその前に車を止めて(入庫はしてないので住人かは不明)でかい声で立ち話してる集団がいて。
一度思いっきり窓を閉めて威嚇してみたけどもちろん効果はなく(下の階の人ごめん)、
さすがに23時も過ぎてて就寝したかったので、人の姿に気づいたら気まずくなって立ち去るかなと思って窓開けて睨みつけた。
(睨みつけたとはいえ、外は真っ暗だしこちらの姿は逆光で表情までは見えてないと思う)
そしたら、こっちに向かって大声で『こんばんはー!どうかしましたかー?』って話しかけてくるの。勘弁してくれよ!
言い返すのもこわいし、でもここで引き下がって居座られても困るしと、無言で睨み続けるも、向こうも何度も大声で呼びかけてきて。近所迷惑とか考えろよ…。
さすがに埒があかないのであきらめて窓閉めて部屋に戻って、間もなくして向こうも去ってはくれたんだけど、わざとらしく思いっきりエンジン吹かして爆音で去っていった。
前々から真夜中のドアバンの騒音が気になってて、おそらくこいつらで間違いないとは思うんだけど、そもそも住人かもわからないので管理会社に相談していいのかもわからない。
でも今日のやりとりで通報したのが自分ってバレバレなので報復や嫌がらせがこわい。
最底辺は、機能的文盲・知的困難・精神疾患で生保手続きを行う能力がない人、そもそも住む家がない人な
どこの国でも知能や精神に問題がある人が必要な手続きが取れず福祉から漏れてる
冗談でもそういうのやめような、生活保護が受けられる人は能力的に恵まれている
とは言うものの、運良く団地とかRC・SRCの物件に入れればいいけど、生活保護で借りれる家は木造アパートとか防音性に問題があるものばかりだし、
住む場所以外についても、もっと自由にお金を使えるなら使えるに越したことはない
そのために、生活保護を受けている間に、放送大学 や University of the People (完全にオンラインのみ。学費無料/試験代のみ) の授業でも受けて勉強しとけばいいですやん
それだと家からあまり出ないので変わり映えしない・息が詰まるって言うなら別の増田にも書いた通り、就労支援かハロトレでもやっとけ
ぶっちゃけ55歳くらいまでは何しても食える(格安のデスクワークやってもフィジカルワークしてもいい)けど
55歳以降は、学校卒業後は休むことなく黙々と働き続けてきた人でも、まぁまぁ厳しい
別増田でも何度も書いてるけど AI な、あと地理的な距離の問題を無くしたリモートワーク
それなりの社会人経験がある人がそこそこの大学でリカレント()とかやっても殆どの人はFIREなんて無理な給与じゃないかな
生活保護受けながらひと山当てる狙いした方がコスパは良いんじゃねぇかなってなる。アプリとかマンガとか小説とか食い物とかなんでも良いけどね
司法試験みたいな難関資格を受けてもいいじゃん。大学中退とか学士課程とかではなく純粋な高卒(工業高校卒)の弁護士とかもいるで
減価償却ってなに?調べてみました。
減価償却費= 建物購入価額 × 0.9 × 償却率(0.031) × 経過年数
例えば土地3000万円+建物2000万円=5000万円の木造住宅について考えます。
減価償却は
20,000,000*0.9*0.031*1 = 558,000円
固定資産税を誰が払うか、ですが不動産を持っているだけで消えるお金なので住んでいる間分担すべきものと考えます。
558000+142000 = 700000円 を分担 = 350,000円
建物に関しては350,000円が各自で負担すべき額と考えます。
ただこの場合、土地は無料でいいのか?と言う問題はあると思います。
地代相場は年間2~3%ということなので、30,000,000*0.02 = 600,000
つまり年間 350,000円 + 300,000円 = 750,000円 を各自で負担するべきでしょう。
住宅ローンは年率0.4、35年フルローンとして計算してみます。
ローン返済の計算式は複雑なので高度計算サイトで5000万円、0.4、35年を入力すると127,595円でした。
127,600*12 = 1,531,200円 を分担 = 765,600円
2010年4月27日にトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近(標高およそ4000メートル地点)で、方舟の木片を発見。炭素年代測定を行ったところ、ノアの方舟がさまよったとされる今から4800年前と同時期のものであることが確認される。発見された構造物はいくつかの部屋らしきものに分かれていたことから、普通の住居の残がいなどではあり得ないと結論した(標高3500メートル以上で人の住まいが発見されたことは過去にない事由による)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
管理会社のオーナーも兼ねており、物件の入居者との連絡も自分で取っている。
管理している木造アパートの室内にシロアリが発生してしまったようで、入居者から退去すると通告を受けた。(以下、その入居者をAとする)
Aはシロアリのせいで退去することになったのを相当根に持っているらしく、アパートの他の住人全員にシロアリのことを知らせるとメールを送ってきた。なんとかして辞めてほしいのだが、本人は善意でやってあげていると言っている。
先日自分は寝起きでそのメールを見て、これでは他の入居者も次々と退去して困ったことになると思い、反射的にAに電話をかけ、自分でも反省しているのだが、Aに向かって怒りのあまり、暴言を5分ほど吐いてしまった。
Aはその電話を全て録音していたらしく、自分がAに向かって吐いた暴言がネットに載せられ、一時管理会社の電話やメールアドレスに連絡が殺到し、いわゆる炎上状態に追い込まれた。
Aに転居先の初期費用と引っ越し費用を慌てて振り込み、ネットに載せられた暴言の録音はなんとか消してもらったのだが、メールフォームは未だにネット民に荒らされ続けている。
さらに、恐らくAの仕業だと思うのだが、自分の管理している物件を仲介して貰っている仲介の不動産会社や紹介サイトにも暴言の録音が次々と送られているらしく、自分のところに確認の連絡がひっきりなしに入ってくる。
築古木造住宅がゴミと言われる理由がこれ。外回りいろいろ弄ったら1000万オーバー。
なら少し足して建て直したら方が良いよねってのが木造
マンションの場合、管理組合が生きている以上維持管理は義務なのでここはクリア
一定の票数が無いと議決出来なくなるが、票が集まらなくなる。入れ替わりが無く高齢化一方のマンションは危険
金が無いからどんどんサービスを削っていく。金のかかる大規模修繕は先遅れで外観が幽霊みたいに
多くのマンションでは楽観的な積立計画を建てているので、築古はしんどいのは確か
俺は中古マンション悪くないと思うよ。ただし、金が回っているマンションに限る。
答え:冷水を浴びましょう
こんばんは。今日も今日とて社会の歯車、己を信じて北の大地を開拓している24歳悲しき労働者です。
開拓民なので、給湯器が壊れると電話一本ですっ飛んで来てくれたガス屋さんに「あーこれもうメーカーさんが部品作ってないやつなんで修理できないっすね」と無情にも言い渡されます。
開拓民なので、物価高にも上がらぬ給料にも長すぎる残業にも過剰すぎる労働にも深すぎる孤独にも耐えて耐えて耐え忍び家賃も水光熱費もきちんと納めていたというのに、ある日突然以後4日間の冷水生活を強制されたりします。
あのね、寒いのよ。
そしてね、ここ北の大地なのよ。
今月になってからの最高気温だいたい20℃の天然クーラー北の大地よ。クーラーの設定温度より低いから、まじで。
クーラーでキンキンに冷えた部屋で水、浴びたいか?浴びたくないよな?わたしはもう二度と浴びたくないですが、今夜も冷水シャワーです……。そしてなんと、明日もです……。
全然払うよ。お金なら。働いてっから。あるから、お金。頼むから、いやまじで頼みます本当に。
最高気温40℃の文字通り殺人的な暑さの中帰宅してエアコンなんて高価な白物家電家にないから水張ったタライに足突っ込んでスイカ齧って涼んでる昭和の苦学生とかじゃないのよ。社会人なのよこっちは、それなりに、とりあえず、ちゃんと。
それともアレかなー、なんか、お湯使うたびに水になったりいきなし高温になったりしてたけどまあ気のせいかなオンオフのボタン押したり消したりすれば直るしなー、そういえば液晶パネルに四桁の数字が表示されて光ってたけど時間を知らせてるんだと思って放置してたのがいけなかったのかなー、それにしても毎回同じ時間表示するなあとは思ってたけど築約20年の木造アパート建設当時から設置されてるやつだしまあ内部の時計が狂ってんだろうなーくらいにしか考えてなかったのがいけなかったのかなー。
ガス屋さん「それです」
ガス屋さん「近場の銭湯教えましょうか?」
ガス屋さん、優しい!
でも開拓民は悲しき労働者なので、銭湯の営業時間内に帰宅することなどハナから許されておらず、というか日付を跨いで仕事をせねばならなかったので、あの、これから水を浴びてきます…………。
まずこれを書き込んでいるネット、遅い。格安SIMをスマートフォンに挿して、テザリングでPCからネットを見る。昼時など混雑時間帯はほとんどネットに繋がらないこともある。
食事、煮込みうどんが多い。特に冬。暖かくて野菜が摂れて、簡単なものといえばこれぐらいしか思いつかない。スーパーで3玉88円のうどんを買えば3日もつ。あと、うどんは煮込むと量が増えるので、乏しい食材の量を誤魔化せる。
朝食は袋の菓子パン。チョコチップスナック6本入りの袋を買ってきて1日2本づつ食べる。これだけだと昼前には空腹で頭がぼんやりしてくるが、量を増やすこともできないので我慢している。
交際、できない。もともと誰も頼れる人がいない。深夜など、高校の同級生は今頃どうしているだろうか、立派な仕事を持ち、家庭を築いているだろうかと考えることがある。そして自分自身の状態を考えると、連絡などできない。人付き合いが一切できなければ、もちろん結婚もできない。
移動、徒歩か電車。以前自転車を中古で買ってアパートの下に停めておいたら盗まれた。それ以来徒歩に切り替えている。職場との往復のために買った定期(もちろんテレワークなどできない)と自宅との間、途中下車できる区間であらゆる生活の用事を済ませるようにしている。
部屋、ゴキブリがすごい。建物が古いと、いくら部屋を掃除しても無駄。どこからか染み出してくるように、ゴキブリがいつも部屋の中にいるのでもう見慣れた。
トイレは昔のポットン便所を無理やり様式に改修したタイプで、臭い。貧困の屈辱を感じることがあるとしたら、このトイレの臭さを嗅いだ瞬間だと思う。トイレの床は古いタイルがそのまま。
木造アパートなので、下の階に住む人間の声が聞こえる。なんの病気なのか知らないが、下に住んでいる男性は真夜中に突然吠える。吠えるというしかない鋭い声を突然発する。
娯楽、ネットの動画か図書館の本。これにはとりたてて不満はない。これしか知らないので、他のことをやってみたいとも思わない。
もともとはもっと収入がある生活をしていた。大学を出てから食品関連の商社みたいなところに勤めていた。
重要な商談でフランスパンのことをバケットといったら、バゲットですと直されて終わった。会社が大口の顧客を失った後、自分は逃げるように退職した。それ以来、非正規の仕事を転々としている。今でもあの商談の夢を見て、目が覚めることがある。この先どうなるのかわからないが、今と同じような生活が続いていくのかもしれないとは思っている。
かつての日本家屋は猛暑を気持ちよく乗り切れるように下記の特徴があった。
「軒が深い」
「壁が少なく開放部が大きい」
「畳、土壁、板の間などの湿気を吸収する素材」
現在の日本家屋は同じ木造であっても暑さへの対応の思想が伝統的な日本家屋とぜんぜんちがう。昭和56年の新耐震基準法を境に日本の住宅はそれまでのものとは全く違う。猛暑への対応についてのみ着目した場合、連続性がない。特徴は下記の通り
「建ぺい率の影響で軒が短い」
「石膏ボードなどの断熱壁」(断熱性にすぐれているが熱がこもりやすい)
「壁を多く確保することが義務付けられ開放部が旧来の半分以下である」
「風の通り道などの考慮がない。空調をエアコンや換気扇に頼っている」
とにかく、夜間に涼しい空気を取り込んでおくことが快適にすごせるポイントになる。どんな暑い日でも夜間は25℃ぐらいまでは下がるのでこれで室温を下げる。そして壁を冷やす。石膏ボード製の壁は冷気を溜め込んでくれる。壁が冷えていると同じ室温でも人間から体温を奪ってくれるので快適にすごせる。
現在の住宅に「軒がない」というのがかなり致命的。これに対処するためには、日中は雨戸を締めるしかない。雨戸、または、シャッター、断熱性カーテンを閉じて直射日光を遮る。窓は熱風が吹き込んでくるだけなので締めておく。とにかく夜間にためた冷気をキープするようにつとめる。
上記の方法を方法を取り入れた結果。日中の気温を34℃以下にたもつことができた。エコに貢献できてうれしい。そして。原発を停止させた民主党は滅んでほしい。
いいところ
・超駅チカ。駅徒歩2分
・なのに線路から一本入っているからすごく静か。閑静な住宅街。腕時計の秒針の音が聞こえるほど。
・ウォークインクローゼットつきなので収納がそこそこある(床に散らかってて生かせていないけど)
・IH楽。危なくない。
・家賃が安い。4万円台。駅チカだから近隣相場より高めだけれど、そもそもこの辺りは都心から遠いので安い。
・実家までドアtoドアで2~2.5時間、1300円で帰れる。
よくないところ
・木造アパートなので壁が薄い。隣の人の生活音が聞こえる。テレビがなっていることとか(さすがに何言っているかまでは分からない)、掃除機の音とか、引き戸を引く音とか、静かだといびきも聞こえる。特に上の人がうるさい。どったんばったんといった物音がする。なんだ、プロレスでもやってんのか。あと何か球のような物を落として転がしているような音がする。なんだ、パターゴルフでもやっているのか。
・風呂のお湯が不機嫌。一度45度くらいまで熱くなって30秒程度して適温に戻る。熱くてやになる。
・プロパンガスなので料金が高い。
・ごみ捨てが面倒くさい。毎朝決まった曜日に捨てなければいけない生活に慣れない。いつでも捨てられるところがいいけど近隣になさそうだなぁ。あと分別も結構細かい。
・スーパーが9時半に閉まる。欲を言えば12時まで開けてくれればいいのにと思うが贅沢は言わない。
実家の分譲アパートってファミリー向けだけあって騒音対策ちゃんとしていたんだな。
次選べるなら鉄骨マンションがいいな。でもこの辺りには鉄骨は1件もないからもしそうするなら電車で20分は都会に出ないと・・・。そしたら家賃が上がっちゃう・・・。やっぱ今の家が住めば都だな。
久しぶりに行ったんですけど予約制じゃなくなってたんですのね。けどチケット売り場がいっつも混んでるからオンライン購入した方がいいのですわ。
琉球が万国の架け橋となる様々な文化が集まる地であることが分かるとっても面白い展覧会でしたわ!
ローマやオスマンの硬貨が日本で出土してたなんて初めて知ったのですわ。錆び錆びでしたけど単眼鏡で見たら横顔っぽいものが見えたのですわ。
印象的だったのは螺鈿の使い方ですわ! ちょっと紫が入ったようなとってもきれいな色で、豪華絢爛ですわ。贅沢を慎む旨の訓戒が書かれた扁額の文字まで螺鈿で輝いてたのはちょっと笑ってしまいましたわ。
日本の螺鈿とはずいぶん違った印象でしたけど、やっぱり使ってる貝から差があるのかしら?
あと日本では螺鈿と一緒に使われることが多い蒔絵がなかったですわね。文化の差ですわ!
けど戦災によって壊れた美術品が多かったのが悲しかったのですわ。
言うまでもなく沖縄は凄惨な地上戦が行われた地であり、市街に大量の砲弾が降り注いだのですわ。いわゆる鉄の暴風ですわ。
そこで多くのものが失われ、それでもそこに住んでいた人たちは破片でも集めようとしたのですわ。今我々が見ている無事な美術品も、多くの人々の守り伝える意志がなければ見ることが出来なかった、ということを改めて考えさせられたのですわ。