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はてなキーワード: 全身麻酔とは

2016-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20160207162812

眠るように、くーっと死ねたら最高ですよね。

全身麻酔を受けたことがあるんですが、気がつくと寝てた(死んでた 

みたいなのが理想です。

2015-12-21

これから胃カメラを飲みにいかなければならない

恐怖感で手足が冷たいよー

全身麻酔かけてくれたらいいのに

2015-06-15

不妊治療したのでおぼえがき

アラサーです。不妊治療しました。

自分達でタイミングとってみる半年タイミング指導2ヶ月→人工授精1回→男性不妊の通院1ヶ月→人工授精2回挑戦失敗→顕微受精1回で妊娠し、現在妊娠4ヶ月です。

治療期間はトータルで1年ほど、かかった費用は70万円です。

したこと、かかった費用、思ったこと、気付きなんかを書きました。

だらだら長いです。


したこと

タイミング指導
  • 半年自然妊娠を目指して頑張っていたけど授からなかったので病院に通いだす
  • 2ヶ月(2周期)通う
  • 排卵日をさぐるために1周期に2~3回かよう
  • タイミング取ってから様子見るためもう一度行く
  • 費用:1回の診察2500円×3~4回とかでだいたい1周期1万円程度。2ヶ月合計2万円
  • 感想排卵日近くほぼ2日おきに病院行かないといけなかったのが面倒だった+毎回2500円も高いなって思ってた
    • 男性医師に検診されることに関しては初めの数回を乗り越えると後は何も感じなくなりました

人工授精排卵日に精子をぴゅっと子宮に入れるだけのほぼ自然妊娠に近い方法

泌尿器科

その間も自然妊娠めざして排卵日にがんばってみたけど半年妊娠しなかったため、体外受精の功績がある病院へ転院!


不妊治療で有名な病院へ転院
検査
  • 卵管造影や血液検査などしなおした
  • 費用:2~3万円
  • 感想:正直、検査するたび出費増える(一回5000円~1万円)のは痛かった。
    • 検査って「必要です」ではなく、「確認しておきましょうか」という感覚だったりするのかなーと感じた。(今まで病院に通ったことがなかったため検査をいくつもすることってこういう感じなのか、と思った)

人工授精

体外受精 準備
  • やります!と言ったらすぐに卵とるのかなーと思ってたけど、準備期間が必要肩透かしだった。
  • 採卵のために採卵日に向けて10日間毎日ホルモン注射打ちまくった
  • 通常1個か2個しか排卵されない卵が、誘発によって30個できた…
  • 費用:4万程度
  • 感想ホルモン剤で取れる卵子の数を増やすということをしらなかったので、途中で「なんてケミカルなことをしているんだろう…」とへこむ。また、本当かどうかは知らないけれど「人生で作られる卵の数は限られてるので、大量にとれると後でつくられなくなる」という話を聞いてなんとなく怖くなる

採卵
  • 麻酔しながら採卵したのでその時は痛みはわからなかったけれど、次の日、よくわからない痛みがあった。生理痛でもない、腹痛でもない。でも、歩く振動下半身に響く痛み。
    • 「これはなんの痛みですか」と聞いたら「卵巣に針をさした痛みですよー」と言われた。そう言われてもよくわからない。卵巣に針をさした痛み…
  • さすがに仕事休みました。次の日立ち上がって動けなかった。
  • 費用:30万円ほど
  • 感想全身麻酔は怖いし、採卵痛みもあるし、気持ち的にもなんだかきつい。しばらく採卵したくないな、という気持ちになる

培養
  • 卵に精子を注入して育てる
  • とれた30個の卵、結局胚盤胞まで成長できたのはほんの数個だった
  • グレードが良かったのがひとつあったので、それを戻すことにする
  • 費用:この費用は上の30万の中に入ってます
  • 感想ネット書き込みなど見てると誘発剤で大量にできても卵の質が下がるという説もあるらしい。確かに8割以上お別れになりました。育たなかった卵の写真も見せてもらったけれど、形がくずれたものが大量に並んでいて悲しい気持ちになった

移植

結果



治療してみて、気付き

  • 男性が原因だったとしても、体に色々されて痛い想いをするのは女性なんだなぁと…
  • 自然妊娠子供できない…っておもっている時よりも、治療初めてからのほうが気持ち的には楽になれた。やるだけのことはやっている!という気持ちになった
  • 体外受精したいです!」と言ってもすぐに卵取って戻して完了!ではなかった。準備、様子見で2~3ヶ月かかる。
  • 私が説明会に行ってなかったこともあるけれど、簡単でもいいのでどういう治療手順を踏むのか知りたかった(誘発剤で卵を増やしていく等全く知らなかった)。
    • 検査もなんでするかよくわからないまま受けて、結果をさらっと聞かされてた。毎回帰ってから検索して、ジネコなどでその検査が「どういう目的で、その結果なにがわかるか」を知るという感じ
    • それぞれの病院でどのようなやり方・金額でしているのかもちゃんと比較できるようにしてほしい。それをみて病院を選びたかった。調べてみたら誘発剤で卵を増やすようなやり方でない病院もあるようだったし…。通っていた病院もちゃんと伝えたらそのようにもしてくれたのかもしれない。
    • 毎日10日とか週に2、3回通うのも大変だったのでなるべく近所の病院の方が楽そう。注射そんなに必要なんてしらなかったので、気にせずちょっと遠い病院に通いだしてしまった
  • 筋肉注射っていたい。でもうまい・慣れてる看護婦さんだと一瞬で終わるし痛くない
  • 体外受精、乗り越えないといけないハードルが多すぎて、ひとつクリアしたとしてもまだまだハードルが見えているので不安が続く
  • 膣剤は毎日あそこに指を入れないといけないの、気持ちがめげた
    • 今まで指をあそこに入れたことがほぼなかったこともあるからだろうけど…
  • 不妊治療で通院投薬すると、医療保険には入れなくなってた。入れても子宮関連の適応数年外されるみたい。
    • 不妊治療しようかなと思ってる人は保険先に入ったほうがいいです!
  • 自治体によっては不妊治療の補助が出ると思うのですが、保険適用内の部分だけなので、ホルモン剤検査に関しては自己負担
  • 実は10年前に今の旦那子供できたことがありました。その時は出産までいかなかったけれど、それがあるからここ数年で子作り始めた時も「私達は大丈夫だろー」って思ってた。なのにできなかった。加齢や生活リズムのせいかもしれない
    • なので、「できるかも」っておもっていても加齢でできなくなることもあるだろうから、いずれ欲しいと思うならとにかく早めに動いたほうがいいのだろうなと思った。なんならまだまだ働きたい人・相手が見つかっていない人なんかは話題になってた「卵子凍結」だけ先にするのもよいのではと思っていたりする
  • 不妊治療の痛みも、つわり気持ち悪さも、SNSにも書けなくて友人にも話せなくて結構つらかった。
    • 逆に一人でも聞いてくれる人がいたらとても楽になれた。感謝しています
  • 本当に、妊娠希望している人みんながさっと妊娠できたらいいのにな、と思ってます



以上です。

長々とわかりにくい説明ですみません

私もちゃんとわかっていなくて語句が間違っている点もありそう。

費用もざっくりです。

とにかく個人的目線メモなので、気に障るようなことを書いていたらごめんなさい。

私は不妊治療をはじめた時、周りにしている人はいなかったし、何も知らないままスタートしました。

もしここに書いて、「不妊治療ってこんなことなんだな」って思ってもらえたらと思い書きました。

少しでも参考になったら嬉しいです。

2015-05-08

数年間悩まされてきた顎関節症がどっかいった

虫歯と無縁だった関係歯医者に通う習慣が全然なかったのだけれど、

ガムの噛みすぎか、仕事中にストレスを感じると奥歯を噛みしめるクセのせいか、

気づかないうちに頬杖をついている時間が多かったのか、

原因はいまだ不明だが、4年ほど前のある日「なんか顎が痛いなー」と思ったら顎関節症になっていた。

生活に支障がない程度に口は開くんだけど、ハンバーガー食べる時とかに大きく開けるとバキって鳴るアレだ。

元々拳が口に入るタイプ人間だったので、それが指四本分になっても正直あまり困らなかった。

「なんかバキって言うようになった!」と調子に乗って踊りながら積極的に鳴らしてリズムをとったりして遊んでいたら、

2ヵ月ぐらい経過したある日突然、口を開けると痛くて半開きにするのもやっとという状況に急速に悪化した。

その段階でようやく調べて、自分顎関節症になっていることを把握、半泣きで最寄の口腔外科に駆け込んだ。

ところが、マウスピースを作ってもらって、翌日受け取りに行く頃には、

医者に「あれ?全然開くじゃないですか」とか言われる程度まで症状が軽くなって、

また「大口を開けたときだけバキって鳴る」状態に戻っていた。

自分より小さい医者の手だと、貫手を親指まで丸呑みにできる程度には開く感じ。

医者が作ってくれた硬質プラスチックの上の歯にはめるタイプの薄いマウスピースは、

つけて寝るように努力したものの、どうしても異物感が強くてつけている間になかなか寝つけないし、

ようやく口に入れたまま眠れてもすぐに外れるので朝になったら行方不明……ということを繰り返しているうちに、

寝ている間にどこかで挟まったのか、バキっと割れしまった。

実家母親地元で評判の歯医者に作ってもらって歯ぎしり対策に使っていたソフトタイプマウスピース存在を知っていたので、

なんとなくマウスピースが薄いのが良くなかったような気がして別の口腔外科受診することにした。

顎関節症用にマウスピースを作ってもらったけど薄くてすぐ外れて割れちゃったし付けづらいから、ぶ厚くて外れにくいのを頼む」

と伝えたところ、どう見ても前と同じ素材だけど上の歯の前面にもやや回り込む形状でちょっと外れにくい構造進化した硬質マウスピースを作られた。

コレジャナイ感を感じて、ソフトな素材はないのか?と聞くと、「顎関節症用はコレだ」というので、専門家がいうならそういうものなのかと思って引き下がった。

さらに、マウスピースを作る前に撮ったレントゲンを見せられて、

親知らずが真横に向いて4本とも生えてるから、これを何とかした方がいい。」と言われる。

確かに口の奥の方に生えかけのツノみたいなのが何本かある気がしてたけど、これ親知らずだったのか!

しかし、硬質でぶ厚いマウスピースは相変わらずつけたまま寝ろと言われても異物感ばかりで、

数週間経てば慣れると言われたのに全然つけたまま眠れるようにならないし、

たまに眠れても相変わらず起きたときにはどこかに飛んでいっているし、

なんとか眠ろうとして何度か徹夜になったり、あきらめて外してから寝たもの寝坊して仕事遅刻したりするので使用を中止してしまった。

顎関節症の症状自体カラオケで全力で歌うことができなくて消化不良になるのと、

サブウェイサンドイッチ丸かぶりで食べきる頃には顎がバキバキ鳴りすぎて痛むのと、

アクビや笑ったときにたまにバキっと鳴って不快なこと以外は大して困らないし、

なんとなく望んだ治療と違う気がして、二件目の口腔外科自分の中で信頼度が低くなってしまったので、

同僚から評判のいい歯医者情報を集めて、割とよさそうな医者を教えてもらって行ってみた。

ここまでで発症から1年半ぐらい経過。


三件目の医者は街中で、施設も新しくて綺麗だし、医者の説明も今までの医者よりダントツに丁寧だった。

歯石取りというのもやってもらって、歯科衛生士だか歯科助手だかのおねーさんおっぱいが云々という都市伝説現実だったのだと知って同僚に感謝を捧げた。

それどころかおっぱいが頭にあんまり当たるというか、いっそ頭に乗る勢いなのでさすがに申し訳なくてモゾモゾ逃げようとすると、

そのことに気付いたおねーさんちょっと照れながら「ごめんなさい、でも動かないでくださいねー///」とか言われてギュッと押さえつけられる始末。

おっぱいカバーの下側に入ってるワイヤーらしき硬質な感触と、それでは隠しきれない柔らかさと確かな重みを額に感じる。

なんだこれは、保健の効く範囲内でおっぱいを押しつけられた上にそのことを謝罪される空間なんて現実存在していいのか!?

っていうか虫歯のある奴らは今まで「歯医者めんどくせー」とか言いながらこんなメにあっていたのか!?チクショウなんて奴らだ!

問診で経緯は伝えたものの、相変わらず「全然開きますね……」と医者に苦笑されるくらいには口が開くし、

正式に転院しているわけではないので再度レントゲンを撮ったところ、

顎関節症親知らずが原因かもしれないからマウスピースは一旦置いておいて親知らずを何とかした方がいい。」と言われた。

「じゃあそれで」と返事をして治療プランを具体的に作ろうとしていたら奥から院長が出てきて、

親知らずが真横すぎてウチの設備では対処できないので、大きな病院を紹介します。」と言われて紹介状を書かれてしまった。

結局この病院には定期的に歯石取りにだけ通うことになったのだけれど、

歯磨きを頑張っていると、おっぱいが的確に褒めてくれるという一点に絞ってもとてもいい病院だったと思う。

その後引っ越して通えなくなってしまったけれど、その間に俺の歯茎は劇的に健康になった。

俺は今もおっぱいの教えを守って歯磨きをしている。

予約を取って大病院に行ってみたところ、

相変わらず顎関節症については「開いてるじゃないですか……」と言われ、親知らずは「見事に真横ですね……」と言われる。

親知らずは、4回通って1本ずつ抜くプラン、2回通って上下または左右で2本ずつ抜くプラン

1日入院して全身麻酔で一気に4本抜くプラン提示されたが、若干家から遠くて面倒だったので1日入院して一気に抜くことにした。

入院して、手術室に入り、看護師さんにきれいな手ですねー、爪がきれいでうらやましい、とか言われてる間に意識を失って、起きたら親知らずは無事全滅していた。

医者からは「一気に抜くともっと腫れる人が多いのに全然腫れてない、本当にあなたは運がいい。」と心底残念そうに言われ、大病院を後にした。

その後しばらくは抜糸や経過観察のために通ったもの特に問題はなく、

顎関節症についても「ウチで作っても同じタイプマウスピースになる」

「十分開いてるし、親知らずを抜いたことでバランスが整って治る場合もあるから様子見」と言われてしまい、

一応硬質マウスピースを再度作り直してもらったけれどやっぱりイマイチなじまず、

顎の筋肉をほぐす体操を教えられてその大病院とは縁が切れてしまった。

その後、まあ実際そこまで困っていなかったので顎関節症放置し、

前述の通り引っ越したりしたのもあって、また歯医者のものと縁がない暮らしに戻ってしまった。

ところが、最近になって何度か開閉していると顎がすぐ痛くなるようになったり、

平常時でも顎のあたりに感じる違和感が強くなり始めて、やっぱり顎関節症をなんとかしたいと思うようになった。

しかし口腔外科は大病院でも硬質プラスチックマウスピースだったし、

硬いマウスピースはどーも合わないし……と思うと病院探しも億劫になる。

というかもう「治したい」というより、「ソフトタイプマウスピースが欲しい!」という気持ちになっていた。

売ってた。ドラッグストアで。

お湯につけて柔らかくなったマウスピースを噛んでから冷やせば形状記憶するというもの

歯ぎしり対策用としては割と一般的に売られていたらしい。

医者はどうも作ってくれないし、千円ちょっとだし、もうこれでいいや、と思って買うことにした。

説明書通りにして使ってみる。寝床に入って装着。やっぱり異物感があって眠れない。

グギギ。グギギ。マウスピースを噛みしめながら深夜3時まで粘ったものの眠れないので外して寝た。

なんか軟質なのでつい必要以上に噛みしめてしまう気がする。

ミントの味とか染みだしたらいいのになー、などとしょうもないことを考えた。

若干オーバーサイズマウスピースの端が擦れるダメージにも、おっぱいの教えを守って鍛え抜いた歯茎出血することなく耐えてくれた。

翌日も、翌々日も、同じことを続けた。

三日目の朝。異変に気付く。

あくびをしても顎が鳴らない。

わず顎を外す勢いで口を開く。鳴らない。

拳を咥えてみる。鳴らない。

それどころか顎にずっとあった痛みも違和感もない。

数年ぶりに顎関節症から解き放たれた俺の顎がそこにあった。

ハンバーガーをチマチマかじらずに蛇のごとく縦にかじってみた。痛くない!

ヴァーティカルバーガースタイルを選べる自由を得た喜びに震えた。

足が遠のいていたカラオケに行って思いっき歌ってみた。痛くない!

久しぶりに新しい歌を覚えたくなった。

結局のところ、どういう理屈顎関節症が消え去ったのかは自分でもよくわかっていないものの、それ以後も俺の顎は好調のものだ。

俺のように、治らないものだと半分諦めている顎関節症患者も多いと聞いたので、

こんな感じで治ることもあるんだということを知って欲しかったので書いてみた。

自由を取り戻した顎は大変心地が良いものだ。

最後まで読んでくれてありがとう

京都市在住の人は、是非おっぱい歯科を探してみることをおススメする。

2015-01-14

28歳、自然妊娠できないと知らされてから出産までの約1年間

記録しておく。

25の時に結婚。いつ妊娠してもいいので結婚式から避妊はせず。

しかし2年たっても妊娠しない。

体調は夫婦ともに悪くなかった。

私は生理もきちんときていた、たまに生理痛が辛い時もあったが、病院にかかるほどではなかった。

まる2年妊娠しなかったので、不妊治療系の婦人科に行った。

初診で問題はなかった。旦那精子を追って提出した。

2回目の診察の時に、旦那の結果を知らされた。薄いと告げられた。

それが問題でしょう、とのことだったので、人工授精になると思った。

その後で、私の卵管のチェックをした。両卵管閉塞だった。自覚0だった。痛みも不調も何もなかったから。

人生で一番凹んだ。”自然妊娠できない体”というのがショックで、悲しくて泣いた。鏡で自分の姿を見るのが辛かった。

凹みながらも、もう体外受精しか道はない(手術で卵管を通すこともできるが、それはオススメしないとのことだった)ので、翌週から仕事休職し、治療に専念することにした。

勢いだった。もちろん仕事をしながら治療する人も多いと思うが、リーダーという立場上、自分の心がもたなさそうだったので思い切って休職した。

体外受精は、卵子ホルモン注射などで増やし、それを手術で取り、精子とくっつける。

2〜3日に一度病院に通い、痛い注射を打った。打った後は体はぐったりした。

約1ヶ月調整し、手術をして卵子をとった。全身麻酔で、午前中手術をしたら午後に帰れた。

できた受精卵は3つだった。もっとできると思っていたので少しがっかりした。

その月に受精卵は戻さず、すべて凍結して翌月以降から戻していった。

1回目、ダメだった。ショックだった。

2回目、妊娠反応が少しだけでたが、ダメだった。妊娠反応が出たことで、1回目よりはショックではなかった。

3回目、妊娠した!しかし、初期は流産も多いと知っていたので、あまり喜べなかった。5ヶ月ぐらいになった時、やっと少し喜んだ。

体外受精をする!」と決めてから妊娠反応がでるまで半年

その半年はすごく辛かったが、半年で済んでよかったと思っている。

私は「卵管閉塞」という体外受精直行不妊原因だったので短くて済んだのだと思う。

原因不明や、女性ホルモン系の不妊になると、タイミング療法→人工授精体外受精、とステップを踏まないといけないので時間がかかるからだ。

そこから約9ヶ月、無事出産できました。

育児はそれなりに辛いけれど。

現代じゃなかったら、私は子供産めてないのかなぁと思うと、現代医学感謝してもしきれない。


妊娠しないなぁと思っている人には早く病院に行って欲しいです。

私ももう1年早く行けばよかったなと思ったりします。


忘れないうちに、記録でした。

2015-01-10

交通事故特殊

長いけど勘弁な。

なぜか生き残らされてしまった話。

始発前の超早朝が出勤時間帯、なおかけで通勤バイクだった。

当然、そんな時間帯だし走るのは二車線の直線。

見晴らしのいい街道から制限速度ちょい超えるくらいのスピードで走ってたんだ。

まあみんなやってる程度の速度超過。

仕事終わりは当然車の量も増えてるからフツーに走って帰宅

レンタルショップスーパーで買い物等々、寄り道なんかしてね。

そんな日常を繰り返してた。

で、ある日疲れがたまってたのか寝坊した。

もちろんソッコー着替えていつもより飛ばしたよ。ただ気が急いてたから正確なスピード分からん。後々ブレーキ痕で判明するんだけど。

信号スムーズに行けよ。とか思いつつ出発。

しばらくして大きめの交差点横断歩道シマシマ模様が見えてくる。

視界を少し上に向けて信号は青。少し左に振って歩行者信号の点滅もなし。アクセルは緩めない。

と、なぜか右から左おっさんぽい人影が動いてくる。対向車線のど真ん中。赤信号のはずなのに。

え?信号無視

直進の信号が変わった?

もう一回視線を上に青信号確認

正面に視界を戻した時には

あいつまだ歩いてる!」

「え?小走りになってね?」

「ホーン!!ブレーキ!!」

おっさん気付けよ!!!!!」

ってのが0.5秒ぐらいの間に一気に頭を駆けまわり必死操作する。

ブレーキにギャッ!ってバイクがきしむ。

けどもう間に合わない。

ホーンにも気づかず正面きちゃったようわぶつかるまじかよ全然気付かねーよどーなんだよドン!!

ここから数秒ぐらい記憶が飛ぶ。

全身を強く床に打ち付けられるとしばらく動けなくなる経験ってないか?

ガキの頃少し高めの場所から飛び降りようとして失敗したとかさ。

エビ反ってウンウンしちゃうの。あるだろ?

アレの強烈版だった。

呼吸が出来ず、うー。うー。って唸りながら身動きがとれない。

けど何とか、ゆっくりだけど腕は動く。

真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなってきて真っ黒な血だまりが目に飛び込んできた。

おまけにどうやら俺の顔のどこかからまだポタポタと血がたれ落ちてる。

そーゆー時って不思議なもんでまず口元に手を当てるのな。

ドラマで何かに気付いて「ハッ!!」ってやるみたく。

俺はジェットヘルを被ってた。

で、どうやら下顎から思い切りアスファルトダイブをしたっぽい。

そっから出血してるのか?コレまた不思議なもんで無造作に口元に指先を当てた。

手触りでいつもの形と違うのが分かる。

もう滅茶苦茶な造作になってて血でヌルヌルして唇が避けてるな。

前歯もぜんぶねーっぽいぞ?それにしても出血ひどくね?

上顎が痛い。

変な感じがする。

手を突っ込んでみると折れた下の前歯が上顎に突き刺さってるのがわかった。つまみ出す。

なにこれ?俺ヤバイじゃん。とかぼんやり考えてた。

でも身体は動かず、唸りながらも「おっさんどーなった?」と身体を何とかよじらせて見回したけど視界に入らない。

そーこーしてる間に「おい!ひでーぞこれ!大丈夫!?」なんて声が聞こえてくる。

どうやら通りがかったドライバーが駆け寄ってきてくれたらしい。

なにか話しかけてくれてたけどその時俺は顔、滅茶苦茶になっちゃったのか?ってのと、人身かよまじかよつー二種類の恐怖を味わってた。

折口の中に手を突っ込んで様子を探ったりしながら「ダメっぽい。そーれより相手の人はどーなってますか?」って話してるつもりなんだけど唇がめちゃくちゃになってるから上手く話せない。

このとき記憶はおぼろにあるけど後はとぎれとぎれ。

気付けば救急隊員が目の前にいて質問してるけどうまく答えられない。

そのまま意識飛んだのか今度は病院ストレッチャーに載せられてる。

看護士医者の「よいしょ!」って掛け声とともに処置用のベッドに移し替えられ、速攻で唇を縫われてる感覚はあるんだけど、だんだん周りの声が聞こえなくなってくる。

視界が狭まってやがて真っ暗になる。漆黒の闇ってやつだ。

感覚だんだん鈍くなる。全身麻酔なんてしてないのに。

あれ?死ぬか?

臨死体験ってのはこういったものなのかもしれない。

よく耳にするけどホントあの時は「恐怖感」ってのが全然なかった。

あー、このまんま消えるのか俺。ぐらいの軽い感じ。

過去を振り返るとかそんな余裕もなく意識、つーか思考が徐々に小さくなっていく。

気が戻ると入院棟の、あのフカフカベッドに横たわってた。点滴つけられて。

あ、まだ生きてんだ俺って思ったな。

後になってケータイ見て驚いたけど、その時自画撮りしてんだよね。

せっかくだからとか生還記念に、とかバカなこと無意識ながら思い付いてやってたのかもね。

パンッパンに顔を晴らした朝青龍みたいな俺が写ってた。

ここから少し端折る。あと自分に起こってることとはい記憶とんでるのと医者からの後聞きなので「らしい」とか「っぽい」みたいなボンヤリした書き方になるけどスマン。

聞いた話だと病院に運び込まれた時、本当に俺は死にかけだったらしく、くも膜下出血顔面多発骨折の状態で、頭部(脳?)にあまり刺激を与えたくないから唇は最小限の処置だけされてた。

当然即入院

でもって外科の前にまず生き死にだろってことで脳外科の病棟へ。

運良く運び込まれたのが某大学病院だったから各科との横断的な治療を受けることができた。

そんで顔面からダイブだったってことで不幸中の幸い、頭部以外は外傷ほぼなし。

気になる顔面の壊れ具合はつーと下顎と鼻の下の骨がパックリ縦に割れてた。

下唇は顎の途中までバックリ断裂。

事故後、初めて鏡見た瞬間「ああ、もう前の顔には絶対戻らないんだな」ってガックリきたよ。

イケメンでもなんでもないけどコレまで付き合ってきた自分の顔は一生見れないんだから

毎晩寝るとき「このまま二度と目を覚まさないんじゃないか?」って死の恐怖に襲われてた。

1週間ほどで脳内の影も消え、異常なしって診断貰って今度は顔面の修理。

ハリガネみたいので歯を縛り固められ、ユルユルだった骨折部分が多少落ち着いたら今度は手術。

臨死体験をした身としては、またあーなんのかな?とか思う間もなく深呼吸数回でサクッと落ちた。

手術は無事終了。

チンコ差しまれたションベン管も「あ、あああ、あああああ~~~~……」ってな感じで引き抜いてもらった。

術後しばらくしてからレントゲン見せてもらったけど顔のあちこち、少なくとも10所以上はボルトが埋め込まれててサイボーグになった気分。

入院してから一ヶ月近くが経ってた。

手術までの間、何度も事故ったおっさんの事が頭をかすめた。

見舞いに来てる家族にもどうなったのか尋ねたけど「全身打撲で入院してるみたい。まずはアンタの代わりに謝罪してきた」てな返事。

助かったと聞いて胸をなで下ろす。

とにかく当事者の俺が謝罪しなくちゃなんない。けど手術もある。

向こうも落ち着くまでしばらくかかるかもしれないし、間を置いて謝罪した方がいいのかも。

あーそうか人身だよな免許取り消しだろうなー。とか思ってたな。

そーこーしてる間に移動はまだ車椅子だったけどだいぶ落ち着いてきた。

退院の日もほぼ確定。まずは第一段階終了かー。

みたいに一息ついて母と話してる時「相手の方、実は即死だったの」と言われた。

そう。俺は殺人者になってた。

でっかい溜息が何度も出てくる。わけがからない。

母が言うには「手術前に精神的ショックを与えないように警察からアドバイスされてた」とのこと。

けど俺が生き残っておっさん死ぬってどーゆーことだよ天秤が吊り合わない。

落ち込みまくること数日。交通刑務所行こう。償おう。そう考えるに至った。

口の周りは神経が切れてるから動くけど痺れは10単位回復していくと言われ、無くなった前歯はブリッジ入れ歯がはめられた。

そんなこんなで事故から二ヶ月にようやく退院

ホッとする間もなく警察から連絡があり取り調べたいという。実況見分も。

日程が決まり取調室でここに書いたような話をし、事故現場に足を運んだ。

ブレーキ痕から事故当時の速度は65キロだという。

それ以前に正面衝突の衝撃で血がこびりついたスピードメーターは65キロをさしたまま潰れてた。

おっさんも俺も40メートル近く吹っ飛んだそうだ。ホットロードどころの話じゃない。

フレームがひん曲がったバイクはもちろん廃車にした。

事故現場に立てられた目撃者求む、の立て看板からは数件の目撃情報があったという。

街道交差点だっつーことで設置されてた監視カメラにも事故映像が残っていたらしい。

事故担当してくれてた交通課の担当者検察局の検事は同じことを言った。

「目撃情報カメラ映像も、どう見ても飛び込みなんだよねー。そしてあなたはホーンも鳴らしてるしブレーキもかけている。避けられない事故ってのがあるんだよ。どうしても」

真相はわからない。

相手の方が亡くなっている以上、警察にも、もちろん俺にも飛び込んだ理由を問うても答えは出てこない。

運転ミスじゃなかったのか?

飛ばし過ぎじゃなかったのか?

もっとからブレーキかけられなかったのか?

結果俺は人を轢き殺したにも関わらず無罪になってしまった。

一方、免許証人身事故の最悪のやつだから当然取り消し。

1年間免許取得出来ません。つー欠格期間が付けられた。

そして保険

個人情報関係で詳細は知らされちゃないけど、相手の方は生活保護受給している65歳の男性だった。

役所その男性の担当をしている職員と警察の間で情報の交換をしたけど、どうも故郷家族とは30年近く連絡をとっていないっつー状態。

なんとか調べて見つけた家族事故で亡くなったことを伝えても「家を捨てた人の死には関わりたくない」てなスタンスだとか。

なんでそーなるんだよ。

もちろん前述のように個人情報の都合で俺から先方のご遺族へ謝罪する、どころか訪ねていくことさえ一切できない。

どうやってこの罪の意識を背負い込み続けていけばいいんだっつって軽く絶望した。

事故の夢を時々見てはうなされる。いっそのこと交通刑務所にぶち込んで欲しかった。

事故現場に献花して冥福を祈るくらいじゃ全然気持ちが収まらない。

ひどい話かもしれないけど、罪を償って少しでも気持ちを楽にしたかったってのが正直なところ。

半年ほど合間を見ては警察に連絡したり足を運んだり。ご遺族の状況を尋ね続けた。

保険金を受け取ってくれないかと、何とか伝えることはできないものか。

最終的には保険会社が間に入ってご遺族を説得したのか、ご遺族内でなんらかの気持ちの変化があったのか、保険会社と何度か書類のやりとりを済ませ、無事ご遺族に保険金が支払われた。

で、保険金が支払われたからといって俺の精神状態は全然落ち着かなかった。

顔面に埋め込まれボルトを抜き取る再手術入院とき主治医相談してメンタルヘルスを紹介してもらうことになった。

結果、鬱傾向にあると診断された。

正直落ち込みは激しい。っつか波がかなりある

事故から2年ほど経つけど免許証はまだ取得する気にはなれない。

メンタルヘルスにゃいまも通院してる。

事故のことを知らない久しぶりに会う知人に「おや?」って感じで顔を凝視されるのはつらい。

ビートたけしはどうやって気持ちを持ち直したんだろうか。なんて考える。

もし仮に、あのおっさんが世をはかなんで飛び込み自殺したんだとしたら。

自殺は増え続けてるってゆーよな。

けど死にたい奴はひとりで富士樹海にでも行ってひっそり死んでくれ。

誰に何が起こるかなんて誰にもわかりゃしないけど、死の方向に他人を引っ張り込むような真似だけはやめてくれ。

単車載ってる奴はフルフェイス被れよ。まじで。

エラソーかもしんないが、この話が教訓になればいいけど。

おっさん冥福を祈る。

2014-10-14

犬が死んだ

ただただやりきれない。

電車に置き去りにされていた子だった。痩せ細ったパピヨン

駅に届け出て警察相談して飼い主さんの登場を待った。1ヶ月経ち2ヶ月経ち3ヶ月経ち、でも駅にも警察にも保健所動物愛護センターにも

どこにも問い合わせはなかった。

保護している間に健康診断を受けた。膀胱結石があった。

石の育ち方から少なくとも1年以上は放置されていたものだろうとの事だった。

これ以上石が育って尿道を塞いでしまったら腎不全になる恐れがある。

血液検査の結果、体の炎症を示す値も高かった。

ただ獣医師によると推定年齢が8~10であるし、やせ細ってしまっているので今すぐ全身麻酔を行う手術を行うのは躊躇われるとの事だった。

あと10日間で所有権が私にうつる事もあって、手術の日にちは11日後とし、それまで体重増加と体力作り(といっても朝晩散歩に行くぐらいだけど…

に努めることになった。

手術の日が来た。朝ごはんは抜き。

病院までちょっと遠回りして行った。散歩が好きな子だった。短い脚をちょこちょこ一生懸命動かして歩く子だった。

術後、5日間は入院になると事前に説明されていた。しばらくお散歩に行けないからね、と、でも体に負担をかけないように抱っこをして公園を一周した。

手術は3時間に及んだそうだ。子宮の酷い腫れも発見され、予定していなかったが急きょ子宮を取る手術も行ったとのこと。

手術が終わり、麻酔からも覚めることが出来た。夜、面会に行った。元気だった。

入院1日目。面会に行くと尻尾ブンブン振って出迎えてくれた。元気だった。

入院2日目。面会に行くと後ろ足で立ち上がって出迎えてくれた。抱っこをせがみ、点滴の管が外れるほど動き回っていた。

エリザベスカラーをしていた。獣医師に訊いたら、くるくる回ってカテーテルを体に巻きつけてしまうので防止にエリザベスカラーを付けたとのこと。

入院3日目。少し元気がなかった。抱っこをするとずっしりと重く感じ、お腹パンパンに腫れていた。

入院4日目。元気がなかった。あんなにフッサフッサと揺れていた尻尾がたらん、と垂れ下がっている。

それでも名前を呼んでアイコンタクトを取ると少しだけ尻尾を持ち上げてくれた。お腹パンパンだった。

明日夕方、予定通り退院出来そうです、と獣医師に言われた。

元気のなさが気になったが、翌日退院できるということもあって10分ほどの面会の後帰宅をした。

彼女が生きているのを見たのはそれが最後

その日の夜、病院から電話があった。突然悲鳴をあげて倒れ呼吸が止まっている、蘇生処置をしているからすぐに来てほしいとのこと。

傘も忘れて病院に走った。あんなに走ったのは小学生以来。

病院について診察室に駆け込んだ。そこには四肢を投げ出して横たわり、心臓マッサージを受ける姿があった。

名前を呼んだ。とにかく呼んだ。本当の名前はなんだろう、この子は置き去りにされるまで何と呼ばれていたんだろう。

本当の名前で呼びかけていたらひょっとしたら戻って来たのかもしれない。わかんないけど。そんなことを1夜明けた今思っている。

先生心臓マッサージの手を少し止めるととたんに心電図の数値が乱れる

心臓を動かす薬は全て入れたそうだ。

お尻に手を当ててみた。少しずつ体が冷たくなっていくのがわかった。

これはもうダメなんだなと思った。

先生は「これ以上はもう…」と口にした。20分間の蘇生処置。戻ってこれなかった。死んでしまった。

死因は心臓発作だった。心因性の可能性が高いらしい。

元気になったら家でお迎えをするか里親さんを探すかは決めかねていた。

から私は彼女ママにはならなかった。だけどママになってあげればよかった。

亡骸に「ママだよ、私がママだよ」と声をかけてあげても、もう遅い。

一緒に暮らした間、自分の犬同然にケアをし可愛がったけれど、もっと早くに自分里親になるという決断をしていればよかった。

そうしたらちょっとは頼もしかったのかもしれない。医学的には根拠のない発想なのかもしれないけれど。

前の飼い主がもっと早くに結石に気づいていれば、服薬で治療出来ただろう。

前の飼い主が避妊手術をしていれば、子宮病気にならなかっただろう。

そうすれば今回の手術は必要なかった。身体に負担をかけることもなかった。

歯もボロボロだった。涙やけもよだれやけも酷かった。日常的にケアをされていなかったのは一目瞭然だった。

台風一過今日は晴れ。本当なら今日夕方退院だったんだ。

帰ってくるはずの日に旅立ってしまった。

どうしてこんな小さな体の、ただひたすらに一生懸命に生きている子がこんな運命を辿らないといけないのか。

手術を決断しなければよかったのか?もうちょっと経ってからの方がよかったのか?でも膀胱の中にあんな大きな石を抱えたまま

過ごさせるのか?

どうすればよかったのか、わからない。ただ、もう何もしてあげられなかった後悔だけがつきまとう。

全てはこれからだった。退院したら。元気になったら。そしたら。

虹の橋を渡った先で、どうか幸せになりますように。

痛い思いも怖い思いもせずに、おいしいものをたらふく食べて遊び回れますように。

切に願う。

全国にこんな思いをしている子は何百匹いるんだろう。

もう犬の飼育免許制にすりゃいいのに。

2014-10-04

ゆううつのゆくえ

訳もなく悲しい。テレビで笑っている人が浅はかに感じる。仕事で”何でこうしたか経緯だけ聞かせて?”と聞かれるだけで涙ぐんでしまう。目の奥がジンと痛いような頭痛が続き、鉛を背負っているように体はだるい。大好きな曲も色あせて聞こえる。食欲だけは旺盛で、鬱屈した気持ちをどうにかしようと食べる、食べる、食べる。

深夜残業をして家に帰れど1人。部屋は散らかっている。美しくも、可愛げもない、貧弱な体をした二十代半ばの女。恋人もいない。出来合いのお惣菜を食べながら、わたしはこのまま生きている意味があるかと考える。かといって死ぬ勇気もない。昔全身麻酔をかけたことがあるのだけど、あの時のような眠るように意識が飛んで、起きたら不安要素の一つもない素晴らしい世界ワープしていないかと考える。誰も直に私を傷つけているわけではないのに、只々つらい。消えてなくなりたくなる。ベットに入るが寝つきは悪く、新聞配達バイクの音が遠くに聞こえ、焦りが余計眠気を飛ばししまう。寝不足のまま体にムチをうち、仕事に出かける。

そうこうして暮らしているうちに、下腹部の痛みが続き、もしかして…と思うと生理がやってくる。これがわたしのPMSである。毎月ある期間になると、この世の終わりぐらい落ち込むことがあって、生理が始まるといつもの能天気なわたしに戻る。使うかどうか未定の子宮のサイクルに、否応なしに巻き込まれるのは余りに理不尽である

また生理が始まれば、いつもの私に戻れるのか。毎月”今回こそこの鬱を乗り越えられないかもしれない…”と絶望的になりながらも、生理になるとケロっと忘れてしまうんだけど、(生理が始まらない)今とてもそうは思えない。

かといって、男性は楽だとも思えない。何十年も定年まで働かなければならないプレッシャーや、実力社会生理がない分強い性欲のコントロール根性なしの私では太刀打ちできなさそう。

女性もつらい。男性もつらい。生きるのはつらい。本能コントロールできないのがつらい。

2014-06-01

妻が中絶するまで

まさか自分がこんなことをさせる側になるとは思わなかった。

・経緯

結婚から結婚後数年はセックスの頻度も多いほうだったと思う。最近は回数は減ったものの、週に1回以上はしていた。コンドーム射精の時に使うだけで、挿入は生でするのが基本だった。(自分勃起時間が短いので、コンドーム装着中に萎えしまうことが多く、ついついそのまま挿入してしまっていた)

それでも妊娠することはなく、お互いに「不妊なのではないか?」と思うほどであり、ここに油断があった。あるとき我慢出来ず、中で出してしまった。

妊娠発覚から中絶決断まで

から生理が遅れていて、検査薬を使ったところ反応が出たことを聞く。驚いたが、父親になることを覚悟した。しかし妻は中絶希望した。理由は二つ。現状では仕事との両立が難しく、退職も簡単にはできない状況だということ。また準備した上ではない妊娠では、精神的及び肉体的な負担考慮しておらず、子供健康状態にも不安があり、母体ベストな状態で産みたいということ。

自分はすべてを万全な状態で産むことなど出来るはずはないわけで、中絶による母体への影響も考慮して、産むという選択肢はないかと提示したが、妻の意思は固く、自分が産むわけではない以上無理やり産ませることは無駄だと思い、最終的には中絶に賛成し、産婦人科受診した。

中絶決断の時に感じたこと

中絶させた際に思ったことは「次の妊娠ができなくなり、あのとき子供をもてばよかったと後悔するかもしれない」「母体ダメージがあるかもしれない」「子供をもったとき、生まれなかった子供比較してしまうかもしれない」「出産前とはいえこれも一種の殺人なのでは」ということだった。

インターネットで調べた限りでは、中絶による次回妊娠への影響ははっきりせず、母体への影響もほとんどないとのことだった。

将来の子供のことや殺人への恐れは自分が受け入れれば済むことであり、これも愚かな自分への罰であると考えることで受け入れた。

産婦人科

妊娠検査薬の反応が出たすぐに産婦人科受診し、中絶希望を伝えたが、エコー撮影したところまだ早すぎてはっきりわからないということで、次週の受診を指示された。保険が効かないため、受診料金は約一万円だった。

翌週の診察で、妊娠が確認された。できるだけ早い中絶手術を希望し、翌週の手術が決定した。手術の代金は約二十万円、これは最低額で妊娠の週数によりさらに高額となるようだった。(どうも前日準備が必要ななく、麻酔医が常駐しているとかで相場より高額らしい)

双子場合も高額となり、ある週数をこえると手術は不可となるということだった。

受診した病院男性入場不可であり、男性の役目は妊娠承諾書サインをするのみだった。

・手術当日

時間程度で終わった。時間全身麻酔のため、その準備と回復ほとんどで、実際の手術はかなり短時間だと思われた。母体は無事だった。麻酔のため手術直後は顔面蒼白だったが、歩いて帰宅でき、数時間後には食事できるまでに回復した。

・妻の状態

手術後二週間後経過したが、まだ出血継続している。取り残しで再手術の可能性も低くはないとのことで、診察は手術後一週間後に一回目行ったがその際は問題なしだった。

次回の診察は手術後三週間後に行うらしい。

妻の様子は手術前も手術後も変わらずあっけらかんとしている。しかしこれが内心の想いを押し殺したものなのかはよくわからない。支えねばと思っている。

中絶させる側に自分がなるなど、想像もしなかった。すべては自分の愚かさのためであり、人生の都度思い出し後悔することになるだろう。

しかし同時に、すぐに忘れてしまう可能性もあると思っている。それにこんなことを匿名ダイアリーに書いてしま自分自身はやはり異常なのではないかとも感じ、不安になる。

殺人ではないかなんて考えていたくせに、少し時間がたてば立ち直る、それが人間の強さであり愚かさだと思わなくもない。クズだと思われるだろうが。

あと、水子供養なんかは今のところなにも考えていない。供養することで救われたように思うくらいなら呪われるなり、一生悔やみ続けるべきだと思うからだ。ただこれも数年、数十年後には変わるのかもしれないと思う。

自分自身を棚に上げて恐縮だが、こんな行為をさせる人が少しでも減ればと思う。

ちゃんと避妊していれば防げたかもしれず、無駄母体危険晒し自分は責められてしかるべきだ。ただ、コンドームを常につけるのは当然だがそれでも妊娠確率ゼロではないセックスする以上妊娠中絶の可能性があるわけで、そのことを念頭に置いてほしいと思う。

自分自身の愚かさのためだが、同じことを繰り返さないために、そしてこんな行為をさせる人が少しでも減るように、反省と共有の意味も含め匿名ダイアリー投稿しておきたい。

※ちなみに病院によると「実は中絶が多い年代40代以上、妊娠しないだろうと思った中年夫婦というパターンが多い」とのことだった。

2014-03-12

http://news4wide.livedoor.biz/archives/1979034.html

おれは偏頭痛持ちでロキソニンを飲んでる

彼女生理痛ロキソニンを飲んでる

生理痛ロキソニンはわかるけど、なんで偏頭痛ロキソニン飲むんだよ・・・

ロキソニン偏頭痛に効かない理由と3つの対応

http://igot-it.com/henzutu-rokisonin-1349.html

ロキソニンは「鎮痛剤であり、脳内の血管を収縮させる効果はない」ため、偏頭痛改善することは難しいと考えられています

確かにロキソニンは鎮痛剤だから偏頭痛も抑えてくれるけど効率が悪いだろ。

痛み止めは何でもかんでも同じじゃないんだから偏頭痛ロキソニンみたいな強い薬飲むなよ。バファリン飲めよ。

偏頭痛には鎮痛効果だけでなく、血管に左右する効果のある薬飲めよ。

 

究極的には頭痛がするから全身麻酔しますみたいな効率の悪さだぞ。

腹痛がしますで、胃薬飲まずに、ロキソニン飲むのか?おかしいだろ。慢性化しちゃうだろ。

 

というか、偏頭痛ロキソニン売った薬局はどこだよ。厚生労働省指導が足りてないんじゃね?

何のために薬剤師が立ち会ってるんだ?

2014-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20140101105912

そういうことだったのか。

だいぶ前全身麻酔で手術したことあるけど、麻酔から覚める時痛いよーっていう声が聞こえて誰が言ってるんだと思ったら自分が言ってたってことがあるからきっと記憶はないけど痛かったんだろうなと思ってた。

全身麻酔って痛み止めてないの?

さらっと恐ろしいこと書かれてるんだが、医療関係者にとっては常識だったりするんだろうな

脳死後も痛みを感じるという話もあったし、世の中には知らんほうが幸せな知識は多いな

http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131231#1388443185

これは(数十年前の状況として)「全身麻酔は,痛みを止めるほど深くかけるより,痛みの記憶をなくす程度にした方が安全であり,実務的にもそう運用されている」という事実を公表するかどうか(公表すると患者不安に感じより麻酔がかかりにくくなる)という問題に似ているともコメントしている.

2012-10-30

流産の手術をした

アクシデントは、誰の身にも一定割合で起こる。

それが今回わたしの場合は、流産だった。

繫留流産といって、成長が止まったまま妊娠組織が体内に留まっている状態。

いま、待合室で手術を待っている。全身麻酔だってちょっとこわい。

なんだろう、もちろん望んで妊娠したし、どういう気持ちかと言われればもちろん悲しい。

とても悲しい。

けどなんか、わあっと泣き出す感じでもない。経験したことのないできごとで、気持ちの収まりがつかない。

初診から約1カ月、ずっと心拍が確認できなくて、断続的な出血があり切迫流産との診断。

先々週くらいからおそらく無理だろうと思ってたし先生にもそう言われていた。

初診後に出血があったとき、すぐに病院に来なかった。そんなものなのかなと思って。

でももしかしたらその段階から投薬治療を受けていれば違ったのかも。

もう、それ以降にどれだけ安静にしてても、意味なかったのかも。

でも、初期流産は15%くらいの可能性で起こり、

特に30代も半ばを過ぎるとその確率も高くなってくる。

手術してその原因を突き止めようとすると数十万かかるというので

結局は分からないのだが、6-7割は”本体”、つまり胎児側の問題らしい。

今回は胎児ともいえない段階、と、女医先生は言ってくれた。

10代の頃、家でごたごたあって、精神的に危機的な状況に陥った。

まさしくどん底。毎日泣いて、毎日死にたいと思ってた。

いまは家族とも和解したけど、あの暗い冷たい孤独な状態よりもしんどいのは

もう近しい人が亡くなることくらいだろうと思ってた。

今回のできごとが、あの頃よりもつらい、とは思わない。

でも軽いわけじゃない。

あ、いってくる。


手術終わった。いま、全然なんともない。なんともなくてマックで続き書いてる。

アイスコーヒーうまい椎名林檎がかかってる。

麻酔がかかっている間、幻覚を見ていてこわかった。そうなる人が多い種類の麻酔らしい。

なんかね、自分の体が足先からほどけて、すごい数の白色のLEDパネルみたいな切片になって

それが一方向にウロコができるみたいに光速でどんどん重なって進む。ジェットコースターみたいに。

つのまにか切片のひとつひとつ自分意識になっていて、

自分という存在ってなんだっけ、いまこの瞬間はどれが自分なんだっけ、

ますごい速さでうねって進んでる意識の集合体が自分なのかな、とか思ってた。

これは覚醒する直前だったのかな、こわい、とか、せんせい、とか、うわごとを言っていた気もする。

たぶん最後麻酔を打たれたのが14:30ごろ、

酩酊状態で四角い白いのと丸い月みたいのを裸眼で認めたのが15:15。

ぐわんぐわんとなりながら、処置室に入ってきた看護師さんに時間を訊ねたので。

そのあと、さっきのは幻覚だったんだ、と思った。自分はちりぢりになってもう元には戻らないと思ってた。

いちばんに現在時刻を知りたかったので、自分現実につなぎとめられていると知りたいのだと感じた。

四角い白いのは明かり取りの天窓で、曇ってた。月は室内灯だった、消えてたけど。


”本体”はエコーで分かっていたとおり、推定7週くらいの大きさで成長を止めていて

母体は3週間ほどの投薬治療効用で準備しつつはあったけれど

このまま待っても仕方がなかった、ということだった。

この1カ月間って、いったいなんだったんだろう。

初診から今日の処置まで全部で10万円弱を費やして、三度のメシより好きなお酒をやめて、

仕事をなんとか調整して安静にし、遊びの予定もキャンセルした。

投じたもの勘定したいんじゃなくて、

快楽主義自分がそうやって、生存がわからない血のかたまりを抱えて、じーっとしていた期間が

なんだったのかなって、かきわけて、なにか手応えをつかみたい。ような気持ちがする。

にちゃんやベネッセ掲示板なんかを見ていると、

流産したらそれは「お空忘れ物をしちゃっただけ」「またすぐ戻ってくる」などと言われている。

妊娠できるよ」と教えにきてくれたんだ、とか。

最初に読んだとき、そういう考え方もあるんだと、少し救われた気にもなった。

でも自分がそれで腑に落ちたかというと、そうじゃない。

次に妊娠しても、あのときの子が・・とはむしろ思いたくない。

子、でもない。先生が言っていたように。そう強く感じるのは、自分が臆病だからなのか。

そらく、心拍が確認できてから流産のほうがつらいだろう。

比較していけば、それよりも妊娠後期で残念な結果に終わるほうがつらいだろうし、

出産前後事故だったらもっとつらい。

そのあとは、つまり子どもを亡くすことで、わたしの想像にとても及ばない。

それから不妊治療の末にというわけでもないので、その結果の流産ともまた違うだろう。

書いていけば延長線上になってしまうけど、これらのケースと今回は比較にならない。

からといって、まだまし、と思いたいわけじゃない。

発生学上、初期のfatal errorはどうしようもない。

自分のせいである可能性は拭えないけど、擬人化してごめんねと思うことにもあまり意味がない気がする。

冷たいのかな。


結婚しておよそ半年。年齢も若くないし、互いの両親も孫を待っている。

自分自身の仕事も、ぎりぎり、こうした状況でも対応できる体制を整えられるようになった。

高齢出産は当たり前になってるけど、30代の妊婦はやっぱり警戒するよ、と

初診時に先生に言われて自分の来た道を振り返ったりもしたけれども

過去を変えられるわけじゃないし、やり直したって20代仕事に費やすのだろう。

親を待たせていることについて、しかし夫は

子どもをもつのは『誰のために』っていうわけじゃないでしょ」と言った。

ほんと、そう。

強いて言えば、夫に父親の顔をもってみてほしいという気持ちはあるけれど

親はもとより自分たちのために子どもをもうけたいわけでもない。

主に仕事との両立について大きな不安はあるけど、それはおいといて

やっぱり、夫とわたしの子どもに会ってみたい。

ああ、会ってみたかった。ということなのかな。

希望をいうならば、会って一緒に生きてみたかった。

今回はただ、実現しなかった。いつの時点で実現可能性が消えたのかわからないけど

じーっと抱えていたものを排出していま「実現しなかった」という結果がある。

なんにでも結果はやってくる。

さっき、手応えをつかみたいと書いたけど

希望が叶わなかった、という結果を手にした以上でも以下でもない、たぶん。

ひとことで言えばやっぱり悲しいわけで、これから家に帰ったらわあっと泣くのかもしれない。

今日、今月、いっとき保有していたものをなくした。

この先も、そんなことあったっけ?と忘れることはないだろう。

それはそれで、それとして、

繰り返すのはこわいけど、次は会って一緒に生きられるといい。な。

2012-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20120928171227

どうにも嘘くさいな。

人工妊娠中絶で点滴静注するのは全身麻酔薬。

点滴後数分で落ちて即手術。

写真撮ってtweetしてる暇なんてないぞ。

2012-09-25

稽留流産の手術してきた

妊娠7週目→8週目で胎嚢のサイズ変わらず&胎芽見えずで稽留流産と診断。母体のためには早く出してしまった方がいいのかな?理由はまぁなんでもいいんだけど、3日後に“そうは”の手術を受けた。

自分はありがたいことに超健康優良児だったので点滴すら初めてというありさま。

で、全身麻酔だと思って受けていたのは正確には「鎮静を目的とする静脈麻酔」だったんだねー。ひとつりこうになった。

その前にお尻に打った注射が本来の「麻酔」なんだね。

点滴の管に注射器で薬を入れられるのを見てたら、次の瞬間に「手術終わりましたよー」。えっ?!

なので執刀医がどんな人だったのかとか全くわからずに終了(笑)

この時点で音とかはわかるんだけど目を開ける気には全くなれず。ただ、「終わりましたよー」以降の呼び掛けには「はい」だけだけど返事できてたので、本当に「寝てる人」と同じだったのかなー。

その麻酔から目が覚める時がかなり具合が悪かった。お酒で悪酔いしてダウンするときと全く同じ感じ。吐き気がして、暑いのか冷や汗かわからないんだけど汗だくになって。そしておまけに子宮が痛い!

15分ぐらい呻きながら耐えたら治まって、ちょっと寝て、手術の2時間後ぐらいには帰れたけど。

外来担当のお医者さんがかーなーりー態度が悪いというか、こちらを気遣った優しい言葉をかけてくれるタイプじゃなかったから、流産と診断されたとき結構精神的にアレだったんだけど、同じ調子で「まぁ、これにめげずに、また作って!」と言ってくれたので、仕事とかのタイミングがとれたらまた子作りしようっと。

2012-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20120413210228

君はさ、中絶って簡単に楽々できるものだと思ってるんだろ。

とんでもない、日本では中絶手術は堕胎する女への罰と見なされていて、わざわざWHOが推奨していない安全度の低い術式が選択されているんだよ。

それはもう全身麻酔を受けないととても耐えられないほどの痛みがあり、麻酔が切れてもしばらくの間は七転八倒するぐらいの痛みが続き、場合によっては組織癒着が起こって不妊体質になってしまうような野蛮なものだ。

まり中絶手術を受ける時点で女は既に罰を受けている。

罰を受けていないのは女に中絶させている男のみなんだ。

中絶手術する場合胎児DNA判定をして相手の男を特定し、中絶させた男には1回につき1つ睾丸を取ってしまったらいいかもしれないね

1アウトまではセーフで、2回以上中絶させている男から妊娠させる権利を剥奪する。

もしくは2つとる場合精子冷凍保存すればいいだろう。

1つ睾丸がなくなってる男だったら女の方も「こいつはやばい物件だ」と警戒心を持って性行為を拒絶することができるだろうからね。

中絶が気軽に行われてるように見えるなら、それは男にとって所詮他人事からだ。

そうやって他人事じゃなくしたら男の方も必死になって避妊にこだわるようになるだろうよ。

2011-03-05

骨髄の正式なドナーに決定しました

コーディネーターさんから電話が来て、そう聞かされた。
正直「やっぱりね」という感じ。自分に決まる予感がしてたから。

父が悪性リンパ腫に罹患している事がわかったのも、ちょうど去年の今頃だった。
癌が国民病と云われるようになって久しかったけど、まさか自分家族が患うことになるとはと、母と2人最悪の事態ばかりを考えていた。
主治医の説明を受け、余命宣告されなかった事に安堵はすれども、治療の過程におけるリスクがある…即ち、何らかの原因で死んでしまうという可能性が1%でも存在しているという事が怖くて、怖くて、毎日夜になると自室に引きこもって泣いていた。

そして、今。
父は奇跡的にも腫瘍が全て消え、普段と何ら変わらぬ生活を送っている。
去年、あれほどやつれ、禄に歩くことも出来ず、ドデカい輸液パックに24時間繋がれていたのがウソたいだ。
さぁー、私も早く仕事を見つけなk(略

と、安堵していた所に届いたのが、例のあのオレンジ色の封筒だった。
バンク自体には、父の病気が発覚するよりかなり前に登録していたのだが、まさかよりによってこのタイミングで来るとは。
しかも、骨髄採取する病院は、父が入院していたのと同じところ。
普段はこんな事軽々に考えはしないんだけど…この時ばかりは「まさに運命だ」と思ってしまった。
(人の命がかかっていることだからあんまこういう事は思っちゃいけないとはわかってるんだけども…ね。)

まぁー、正直全身麻酔で? 腸骨に針ぶっ刺しまくるとか? 説明聞いただけでも結構怖かった。
一緒に説明についてきてくれた親友もめちゃくちゃビビってた。
正直今も怖いし、この一件を知った親戚からマゾだとかアホだとかとも云われてる。
(流石に腹がたったけど、まぁそう思われてもある意味仕方が無いことだから…。)

でも…それでも、私はドナーになる。
あの頃のことはあんま思い出したくなかったから今まで考えないようにしてきたけど、こうして文章にしてみたおかげで改めて決心できた。

取り敢えず、頑張ってみる(`・ω・´)

2010-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20101105193224

白血球を通常の10倍の量にするってのは、

風邪をこじらせてんのと大差ないレベルなんじゃないかと思う

おそらく全身麻酔リスクに比べたらすんごく低い。100倍以上

守るべきもの、という言い訳について

パソコンをしながら

妻が見ている月9ドラマを横目に見て、

馬鹿にしていた。

 

腎臓移植」を断る主人公の親戚達。

そして、ついには婚約者にも断られる。

 

自分が同じ立場だったら…?

「死ぬわけじゃないって言ってるんだし、協力するだろ、普通。」

ご都合主義、くだらない。」

そう思っていた。

 

先日、伯父が白血病にかかった。

 

割腹がよく、明るい性格の伯父だったので、

突然の知らせに驚いた。

 

すぐに「骨髄移植」という言葉が頭をよぎったが、

薬で治療をする、という事らしく、

本格的治療に入る前に見舞いに行ったりした。

 

その後、忙しくなり、なかなか顔を出せなかったが、

どうやら退院をしても良い期間と、

入院をする期間とを交互するような生活に入り、

安定してきたという話を聞いていた。

 

ところが急に耐えられないほどの痛みを訴え、検査をしたら、

骨髄移植による治療が必要な段階に入ったらしい。

 

唯一の兄弟である母が提供者となるべく、検査をすることになった。

そこで、医師より以下のような説明があったらしい。

 

骨髄移植には以下の2通りの方法がある。

全身麻酔を行い、骨髄より骨髄液を抽出する方法

・薬により血中の白血球数を通常の10倍ほどに増やした状態で採血(?)を行う方法

 

前者は全身麻酔リスク(マヒなど)があり、

後者は薬の影響で数年後、自身が白血病にかかるケースがある、という事らしい。

 

そして、近年では後者が主流になってきているそうだ。

白血病リスクがある後者が主流という事に耳を疑ったが、

医師の話を母から又聞きしているので、情報が欠けているのかもしれない。)

 

テレビタレントドナー登録をカジュアルに訴えているような世の中なので、

恐らく医師の言ったようなリスクは非常に低い確率で発生するようなことなのだと思う。

 

しかしそれを聞いた時、

検査の結果、適合して伯父を救って欲しいという気持ちと同時に、

適合せずに母が安全でいて欲しいという気持ちが生まれてしまった。

 

仮に、母に代わって自分が行けるか、と考えると、

妊娠中の妻と、生まれてくる子供の事が浮かび、確実に躊躇している自分がいた。

 

まさに、鼻で笑っていたドラマの薄情な親戚そのものだった。

直接医師に確認をしていないので、情報が足りていない状況だが、

自分がそう考え事がひどくショックだった。

 

そして今日検査の結果、

残念ながら母の血液では伯父に適合しなかったという連絡があった。

 

まずはリスクについて、直接医師から説明を受けに行こうと思う。

2010-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20100922183732

[A.自分の側の条件]

 ・自分は何をしている時がいちばん幸せか、どんな事をしている時に熱中できたか?

 ・人は好きか、嫌いか →他人とネゴシエーションする仕事に向いているかどうか

 ・これに関しては世界一になれそう、というものがあるか。

 ・世界はどのようであってほしいか、それに対して自分の関われる方法はあるか。

 

[B.社会の側の条件]

 ・現在社会はどのようなしくみになっているか。特に、「価値(≒お金)」の流れと、それをもたらす人の心理(desire・・・欲望・欲求・願望・念願・要望・希望・要求・希求・ねがい)

を、なるべくサンプルを多く、具体的に、また統計的にも見ていきたい。

 ・自分が生きている間、社会はどのようになっていくか。少なくともここ数十年でどのような変化が起きると予想されるか。

 

AとBを止揚し、仕事ないし職業人生というものを考えていく事になるのかな。

とはいっても、Aはともかく、Bはなかなか難しい。

どんな人もネットに書いている訳でもないし、未来予想もなかなか当たらないものだ。

他人の人生というサンプルを増やしつつ、未来についてはだいたいの方向で進み、その先で情報をまた得て、

未来予測の精度を高めていくしかないかなあ。

もっとも、アラン・ケイは「未来予測する最善の方法は、それを発明することだ」とも言ったけどね。(笑

  

一度死にかけた人が、肝が据わってるというのはその通り。

たぶんだけど、それは一種の覚悟というか、自己暗示のようなもので迷いを吹っ切った状態なんじゃないかな。

正しくても正しくなくても、残された時間はないんだから、迷っている暇がない、だから自分の決めた道を迷わない、という決意というか。

 

ちなみに全身麻酔をかけると仮死状態になります。

全身麻酔が必要な鼻の粘膜下下甲介骨切除術を受けると、

酸素供給の増大で脳が活性化し、IQが10程度上がります。

退院まで2週間かかりますが、お金もかからず(高額医療費控除で10万円を切る)

2ヶ月もあれば遅れを十分取り戻せますのでお勧めします。

うちの塾生にすすめている受験裏技です。

最近では日帰り手術でもできるみたい。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&rlz=1T4GGIH_jaJP282JP282&q=%E4%B8%8B%E7%94%B2%E4%BB%8B%E9%AA%A8%E5%88%87%E9%99%A4+%E6%97%A5%E5%B8%B0%E3%82%8A&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

ただし、手術料が倍になっても、必ず片鼻ずつ手術すること。

両鼻を一度に手術すると、4日間も口呼吸しかできずに、口が渇いて、何も食べられない、死ぬより苦しい地獄を味わう。

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917010900

別の生き物って言うぐらいで、寝てても刺激すれば普通に立つよ。

全身麻酔かけたりしたら無理だろうけど。

2010-07-14

ヘルニア入院日記

2006年の夏、建設現場日雇いバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。

新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。

僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。

その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。

部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。

ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。

ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。

それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。

なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。

近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。

技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。

技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。

レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、

「なんでこんなになるまで放っておいたの?」

といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、

「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」

と、慰めてくれました。

診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。

仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。

入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。

ヘルニアってそんなに重い病気なのかと。

しかもTシャツパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。

ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生男の子と70くらいのおじいさん2人でした。

 

8月2日 入院初日

ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。

小林さんというそ看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。

とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。

説明が終わり、最後に

「オシッコとか大丈夫?」

と聞かれました。

大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。

「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」

「ちょっと待っててね。」

小林さんはすぐ戻ってきました。手には尿瓶を持っています。

何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。

僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。

自分でやります。」

僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。

無理でした。

「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」

小林さんはそういうなりペニスを持って尿瓶をあてがいました。

ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。

長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。

小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。

今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」

そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。

 

尿瓶を片付けに行った小林さんはまたすぐ戻ってきて、

「痛み止めの座薬いれるね。」

さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。

「すぐ済むから我慢して!」

座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。

「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」

小林さんは戻っていきました。

 

それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。

ダメでした。

ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。

ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。

 

昼ごはんおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。

「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」

そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。

 

この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。

おしっこがしたくなりナースコールを押しました。

やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。

今井さん、どうしましたか?」

ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。

「すいません。オシッコしたいんですが。」

その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。

昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。

それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。

ようやく小便が出始め、ほっとしました。

「よかったね。」

そういって戻っていきました。

 

8月3日 入院2日目 

朝食の後、清拭がありました。

近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。

「オシモのほうは洗いますね。」

そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。

包皮もむいて亀頭部分もゆっくりと洗ってくれました。

勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。

 

8月4日 入院3日目

依然として起き上がれず、つらいです。

入院してから一度も大便をしていません。

 

8月5日 入院4日目

まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。

 

8月6日 入院5日目

今日こそベッド上で排便しようと試みました。

でもだめです。いくらきばってもでません。

浣腸しよう。もう限界よ。恥ずかしがってちゃだめよ。」  

小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。

「5分我慢してね。」

とのことだったので必死で我慢しました。

小林さんは僕のお腹をさすりながら

「まだよ。まだよ。」

と囁いています。

5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。

小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。

「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」

小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女笑顔に救われたように思います。

「お尻洗うね。」

なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。

小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。

今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」

小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。

おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。

 

8月7日 入院6日目

腰にブロック注射を打つことになりました。

ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。

それで全身麻酔を打ってからということになりました。

 

麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。

 

目が覚めたのはそれから3時間後の夜7時頃です。

なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。

勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマー川上さんです。

「目が覚めたんだね。どんな具合?」

「まだ、身体に力が入らないです。」

ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」

川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。

「ちょっと確認するね。」

ふとんをはがしT字帯をとりました。

ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。

今井クン、おちんちん痛くない?」

「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。

 

「抜いちゃうね。」

そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。

痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。

なんというか、射精寸前のような感じです。

「あっ・・・・」思わず声が漏れました。

「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。

「あ、いや、そうじゃなくて・・・」

「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。

しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。

「洗うね。」

「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」

必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。

ダメだよ。カテーテル取ったらちゃんと洗わないと。」

そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。

「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」

僕は観念して彼女に身を任せました。

 

川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。

僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。

そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。

(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)

そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。

(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)

ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。

「あ・・・、くっ・・・。」

言葉にならない声をあげてしまいました。

「熱かった?大丈夫?」

「はい、大丈夫です・・・。」

川上さんはガーゼ石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。

ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。

彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分オナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。

「あっ・・・。」

「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」

彼女左手の中指がアナルをほじるような動きをしました。

 

「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。

「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」

新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下ゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。

「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。

左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。

「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。

「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」

言いながら、川上さんの右手亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。

総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。

「ここは念入りにしないとぉ・・・」

過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。

もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。

「あーっ・・・・!!」

信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。

身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。

今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」

そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。

「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」 

ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。

今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」

川上さんはさらに手の力を弱めて、まるで羽毛で撫でられているかのような加減で亀頭や陰茎を撫で回しています。

2009-09-09

良い機会なんで尿道下裂について書いておこう。

http://anond.hatelabo.jp/20090907225448

まさか増田尿道下裂のエントリを拝見するとは思わなかった。

今まで他で聞いたことがないので、300人に1人もなるものなのか?と思ってググってみたら、たしかにそうらしい。

軽重はあるようだが、300人に1人なら、増田の中にも当然いるはずだ。

ペニスが小さいだとか包茎だとかなら、まだ(ネット上であれば)ネタにしやすいかもしれないが、

未だかつて尿道下裂の人の話を小耳に挟んだことはない(積極的に探したこともないが)。

尿道下裂で悩んでいる人のために、そして尿道下裂を知らない人(当然女性もだ)のために、

あくまで俺個人の例ではあるが、書き連ねてみよう。下世話な話もあるが、よかったら読んで欲しい。

酔っている(自分にではない、ビールにだ。夜中に飲んだのがまだ残っている)ので、多少読みづらい点があるかも知れないが、ご容赦を。

最初に付き合った彼女にでさえ、一部しか話していないことだ。


「おい、ちんちんみせろ」

物心つくまえから、オヤジ風呂に入るとそう言われてきた。

そのたびに俺は亀頭の出たペニスオヤジに診てもらっていた。

当たり前のように言われ、当たり前のように見せていたので、特にこれと言った感情はない。

オヤジ尿道のあたりやら、むき出しの亀頭を見ては、納得したようなしてないような雰囲気だった。

今思えば、オヤジとしては自分子どもが「尿道下裂」という得体の知れない病気であることは、

もしかしたら「こんな風に生んでしまって申し訳ない」という罪悪感と、

しかし「なんでこうなってしまったんだ」と認めたくない拒絶感を覚えていたのかもしれない。

ネットのない時代、情報もろくに集められずに不安で、不安で、不安でしかたがなかっただろう。

こう書くとすぐ差別だ云々いう奴が出てくるだろうが、俺と両親と、将来生まれるである俺の息子の問題である。

そこに差別はないと断言する。

同じく尿道下裂で悩む人をどうこう言うつもりはないし、その親を否定するつもりも皆無だ。

差別は他者を不当に貶め、権利を奪い迫害するものだ。

俺は両親を否定するつもりもない。ただ、自分の息子が尿道下裂であったら、それは申し訳ないと思う。

今は彼女がいないが、将来的に結婚する前に、ちゃんと彼女にも尿道下裂のことを説明し、息子に遺伝するかもしれないリスクを説明するつもりだ。

そして万一息子が尿道下裂だった場合は、オヤジがしてくれたように、息子に手術を受けさせようと思う。

話が横道にそれたが、尿道下裂のせいか、俺は子どものころから通常時でも亀頭が出ていた。

そのため、「むけた・むけない」の話が理解できなかった。

また、勃起したときには、下向き、横から見るとへの字型に勃起した。

だからマンガ勃起のシーンがあっても、「何故上部に盛り上がるのだろう?」と、いまいちピンとこなかった。

いくつかの性器への疑問と、風呂場でのオヤジとの「儀式」、そして夏休み検査のために病院へ行く。

診察してもらったのは泌尿器科だった。

糖尿病の老人が多かったので、待合室にいるのはひどく恥ずかしかった。

一度だけ患者に「糖尿病?お若いのに大変ね」と言われたことがあり、違う、と思ってもうまく説明できないもどかしさがあった。

今ググって確認してみたら俺の症状は、尿道尿道で存在し、その上でペニスの中ほどに尿道がもうひとつある「亀頭部下裂」だったようだ。

たしかに入院前くらいには、小便をする際に、勢いが強いときだと少し真ん中から洩れていた。

(「ニョウドウカレツ」という病名を受け入れるのに精一杯で、難しい用語は覚えていない。

 漢字でさえ、ネットを始めてから改めてこれだったと思い出したくらいだ。)

また前述の通り、下向きに勃起し、

尿道口から包皮小体にかけて陰茎索といわれる結合組織束を伴うため、陰茎は腹側に弯曲するそうだ)、またペニスが短いという点がある。通常時で7センチ程度、勃起時で11センチ程度だ。

日本人男性ペニスの大きさは~などというが、そのサイズが通常時なのか勃起時なのかで非常に困る。

勃起時だと信じたい(笑)

後これは病気のせいかわからないが、すぐに勃起する。

エロ本買う時は、完全に勃起している。短いから血が巡りやすいだけかもしれないが(笑)

なお、元増田は胸が膨らむなど女性ホルモンの影響があったようだが、俺にはなかった。

元増田より軽度なのかもしれない。

亀頭は幼いころからむけていたので、「皮がむけたのがいつ」というのはないが、

陰毛が生えたのは遅く、中三~高一の頃だったと思う。

背は小さい方で、いじめられっ子だったので、そう言った点で多少「女々しい」のはあったかもしれないが、環境性格的な部分に起因すると思う。


経緯は覚えていない。

小学五年の時に、都内の病院入院し、手術することになった。

手術の経過が分かるのも怖いので、全身麻酔をしてもらったが、手術後、もの凄い痛みで目が覚めたのを未だに覚えている。

それまでの入院生活がなんだったのかと思えるほどの、地獄のような痛み。

「明日になれば楽になる、楽になる」とひたすら念じていた。

手術前後に言われたのは、今後成長にともないペニスが大きくなるにつれ、下向きに勃起するためセックスがしづらい可能性があるということ、

手術後もペニスの真ん中から尿が激しく漏れるようだったら、再度手術する必要があるということだった。

一番気になったのが、「遺伝するか」。

当時は「遺伝はしない」と言われたが、ネットで見る限り、しないと断言できるわけではなさそうだ。

将来もし俺の息子が手術するようだったら、オヤジに相談しようと思う。

そして何十年越しになってしまうが、「手術を受けさせてくれてありがとう」と御礼を言いたい。

もうひとつの尿道からの、洩れは、まだ少しある。尿の排泄時に、雫が垂れる程度に。

いいのかどうかわからないが、あまり気にしないようにしている。

ただ、セックスは問題ない。

幸運な事に大学時代には彼女もでき、普通にセックスができた。

彼女には「子どもの頃ペニス病気で手術した、下向きに勃起するが気にしないでくれ」と言ってから、セックスをした。

下向きに勃起するわ短小だわで、コンプレックスは強かったが、挿入はもちろんできたし、彼女もちゃんと感じてくれた。

その後の付き合いでも、つまらないケンカはしたが、セックスで問題になるようなことはなかった。

汚い話もすれば、風俗で遊んだこともあるが、特に何か言われたこともない。

相手もプロだから、わざわざ傷つくようなことを言わないのは当然だ(まれにそうでもないらしいが)。

だから、もしペニスが小さかったり、下向きに勃起したりする増田がいても、気にせず遊べばいい。

また女性増田で、もし彼氏が下向きに勃起していたとしても、驚かないであげて欲しい。

下向きに勃起している=尿道下裂とは限らないと思う。そういう人もいると、受け止めてあげて欲しい。

難点としては、尿道を手術しているので、性感帯としては弱いし、痛くなりやすい程度だろうか。

風俗に行くときはアルコールが入ってからのことが多いせいもあるかもしれないが、勃起はするが射精しづらい。

そのため素股やフェラではいきづらいので、仕方なしに慣れた自分の手で処理することが多々ある

(ローションをつけていても、すぐ手コキも痛くなってしまう)。

もちろん風俗嬢には謝るが、大変失礼な客だ(笑)


思ったより長くなってしまったのでまとめよう。

鬱がわかりづらいように、病気や障害というと、どうしても目に見える範囲のものを思い浮かべてしまう。

だが目に見えない部分で、人には言えない部分で悩みを抱えている人もいる。

性器のことであれば、なおさら人には相談できない。

でもそういった人たちにも、極力コンプレックスなく、セックスを楽しんで欲しい。

それが(女性は嫌がるだろうが)風俗だろうと、彼女とのセックスだろうと。

言うまでもないが性欲は人間の三大本能と言われるくらいで、それを抑え付けたままにしようというのは、大変なストレスだ。

彼女がいないとき、俺は二、三ヶ月に一度は風俗へ行った。

ペニスへのコンプレックスよりも、性欲の解消の方が重要で、とにかく人肌が恋しくて仕方がなかった。

女を抱かないと気が狂いそうだった。

風俗がなかったら、電車痴漢程度はしていただろう。

そう言った意味で、風俗嬢には非常に感謝しているし、彼女らを侮蔑する言動は好まない。

敢えて人目にさらすことで、自信をつけたかったのもあるかもしれない。

いじめられっ子下半身丸裸にされた経験もあり、余計下半身にはコンプレックスを持っていたが、おかげでだいぶ和らいだ。

露悪的すぎるくらいにあれこれ赤裸々に書いてしまったかもしれないが、こういったことは病院サイトでは説明されていない。

重度の尿道下裂だとまた問題が違うかも知れないが、

俺の例を通して、尿道下裂の人やその他性器にコンプレックスを持ってる人が、少しでも楽になってもらえればと願っている。

なおWikipediaによると、

男性仮性半陰陽では、尿道下裂や停留睾丸を併せ持った状態のこともある。

とのことである。

2000人に1人いるという半陰陽インターセックスについては、六花 チヨのマンガ『IS~男でも女でもない性~』が素晴らしい。

丁寧な取材と温かい目で描かれた、笑って泣ける傑作だ。是非手にとって欲しい。


あ、まったくコンプレックスが解消されたわけではないので、短小乙とか言わないでくれよな!

2009-08-18

彼はパイプカットしてますが、わたしは子供ほしいです

好きな彼は、前の結婚で奥さんにパイプカットしてくれ、といわれしたそうです。

わたしは子供一人いますが、できたら兄弟をつくってあげたい、という気持ちと

彼とも家族になりたい、という野望もあって、子供を望んでいます。

そして、彼も、子供をのぞんでいます(彼は元奥さんとの間に1子おり、奥さんがひきとっています)。

が、パイプカットして数年たつと、再結合の手術をしたとしてもそもそも精子がつくられなくなってしまっていたり、

よくて人工授精体外受精になるそうです。

で、体外受精だと妊娠するのに1割くらいの確率で、しかも、毎回全身麻酔をしたり、副作用のある

卵子誘発剤とか使って、母体への心理的&肉体的負担が大きい、と最近

本を読んで知ってびびってしまっています・・・。

不妊治療している世のおかーさんたちは、むっちゃ苦労しているんだなぁ、と実感しました。

わたしは、子供ほしーし、子供産むならぜひ彼と再婚したい、と思っているけど、

子供をつくらないなら、再婚する必要はない気もします。(二人共稼ぎ事実婚でやっていけばいいし)

もう、36歳なので、ハイリスク出産で、ダウン症子供が生まれる確率も年々高くなってくるので

産むなら早い方がいい、とわかっていますが、不妊治療の件でびびっていて、

正直、彼の元妻が「パイプカットしろ」といわなかったら、と愚痴も言いたくなってしまいますが、

彼と家族をやっていきたい、と思っているので、ミニマム3人でやって、経済的にも余裕がでてきたら

養子をもらうなりすればいいんですかね。

2009-05-15

自分の意思で死ねるという幸せ

最近全身麻酔を行ったとき思った感想

とある事故全身麻酔を受ける機会が丁度ありました。

点滴から冷たい感じがする溶液が流れ込み、強烈な酒を飲んだような

ズシンとくる脳内体感2~3秒で意思が飛びました。

この数秒の意識の中でも

『あぁこれで目が覚めないなら死ぬんだ…』

『これで一生目が覚めなくて死ねるなら結構悪くないなぁ』

『このまま死んでもちょっと糞が出るだけで綺麗な死体なんだろうな』

自分の意思で死ねる時期が選べればそれは幸せだろうなぁ…』

まぁ今回の全身麻酔は外傷だし、死ぬ気全く無しなのでご心配及びません。

まだやりたい事は沢山ございますw

ただ、看護師がいっぱいいて設備もある程度揃ってて、眠るように意識の外に

逝けるこって結構贅沢な死に方なんじゃね?と思ったわけです。

今のご時勢、やれ長生きしろ、死なせたくないと自分以外の人間に無理矢理

延命されチンチューブされ半ば朦朧や痛みの中で何年と生かされるより

さっさと寝むるように死ねるという選択肢が無いというのが個人的に痛いなぁと

思っています。

自分脳味噌腐って寝たきり、家族関係者に一生迷惑が出るくらいなら

自分の意思で死にたいと思っています。ただ日本では自ら死ぬ『自殺』という

禁忌な事なのでなんとも言えないですが…。

今日自分から死を選ぶという行為はいけないことないのでしょうか?

未だ解決できない悩みです。

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