はてなキーワード: ガーゼとは
まーたセックスの話かよと思われるかもしれないがまあ聞いてくれ。
俺は今年40になったおっさんだが、もう八年妻とセックスをしていない。というか妻とは片手で数えるくらいしかしたことが無い。
一人娘が妊娠する前に数回、妊娠が分かってから以来いままでゼロだ。
俺は二十四まで童貞だったんだが、オナニーを覚えたのは十歳だった。どこをどうすれば、どんなモノを使えば快感を味わえるのかを追求し続け自慰道を極めた俺は、オナニーであれば1〜2分もあれば射精に至れる。逆に一時間以上保たせることもできる。自由自在だ。
そんな俺にとって、ようやく訪れた初めての性交だが、生身の女性器はツルツルした筒袋でしかなかった。期待と理想を重ねた本物の女性器の肩透かし具合といったらなかった。どれだけ動いても一向に射精できそうになく、最終的に手淫をして射精に至る前に挿入するしかなかった。
それから交際したり、ソープに行ってみたりと八人?ほどと性交の機会があったが、もはや義務感からなんとか射精に至らせる苦痛の時間でしかなかった。
妻と結婚したのは彼女が処女だったことも正直言ってある。彼女は初めてことに及ぶ際とにかく痛がった。二回目、三回目も快感を覚えるには至っていないと思う。だが彼女の方が子どもを欲しがったので、これも夫の務めかと俺は頑張った。めでたく懐妊に至って以来はお互い求め合うことなくゼロセックスというわけだ。
ひとつだけ懸念点があるとしたら、たくさんセックスをすることで産道?が柔らかくなって胎児が出てきやすくなる、みたいなことはあるのだろうか。だとしたらその点は申し訳なかった。
セックスでの「精神的な充足感」みたいのは全く感じたことが無い。正直意味が分からん。
妻との関係は冷え切っている・・・わけではなく、仲良くやっていると思う。毎朝ぎゅっと抱き合ったり、手を繋いで寝たりはする。そうしているとほっこりとした気持ちになり、これが愛情かと柄にも無いことを思ったりもする。
俺の一方的な拒否だったら申し訳ないとは思い、何度か妻に尋ねたことはあるが、妻のほうも痛みのトラウマから正直しなくていいならしないほうがいいと言っていた。
俺たちの場合はレアケースかもしれない。だがはてなーはセックスレスと聞けばすーぐ離婚しろというが、セックスにとらわれない夫婦関係もあるということだ。こう言うのもあるんだと知ってほしい。
追記:
いまみたらいっぱい見てもらえてて嬉しい。ありがとう。
膣内射精障害は知っとるよ。子作りのときに病院行ってシアリスもらったわ。
姿勢は仰向け
やや高めの枕を首の下に
左手は逆手でローションガーゼ。こいつでイチモツを包んで亀頭中心にシコる
そして尻の下に電マを敷き、玉袋と尻穴の間あたりに弱で当てる
吸引式のは全然良くない。
当方男性、独り身のため生理用ナプキンの構造を全く知らないので教えて欲しいことがある。先日、近くの店に行ったら女性のスカートの真ん中部分から1センチ幅くらいの紙テープらしきものが10センチ弱ほど露出していた。そして、見えるか見えないかの辺りにガーゼっぽいものも見えた。特に意識をしていなくてもテープらしきものがプラプラしているので自然と目に付き、ギョッとした。私だけでなく、女性含め何人かがそれを見て一瞬挙動不審になっていたので、かなり目立っていたのだと思う。
そんな股の間からプラプラするようなものは生理用ナプキンしか思いつかないが、そこで女性の方や生理用ナプキンに詳しい人に聞きたいのだが、生理用ナプキンってこういうことが起きるような構造になっているのだろうか。何かの漫画で、股に直接ではなくパンツに貼り付けるものだと見たことがあるが、それだと仮に剥がれてもパンツに受け止められて落ちはしないだろうし、テープらしきものが10センチ弱もプラプラしないと思う。そして、仮に落ちるものだとして、女性は気付かない可能性があるものなのか。
27歳、男性。愛情というものが、どんな感情なのか未だに掴めない。女の子とは普通に仲良くなれるし、彼女の一人暮らしの家に泊まることが多い。安心感を抱き、一時的には何か満たされたような気分になる。それでも、心の奥底で本当に好きな人を探してしまう。そして、いつもその欲望が仇となる。結局、誰も手に入れられず、自分を失っていく。昔からずっとそうだ。
家族の愛を知らぬまま、いつの間にか高校生になった。そして、初めての彼女ができた。彼女の家族は、家庭環境の悪さを知ってか知らずか、自分を暖かく迎え入れてくれた。彼女は一人娘だったから、最初は家に入れてもらえるはずもないと思っていた。それでも、週に1日、2日と通い詰めるうちに、数年後にはほぼ毎日、彼女の家で寝泊まりするようになっていた。
彼女のために、できる限りのことをしてあげた。彼女が欲しいものはすべて買ってあげたし、美容代も全て自分が出した。それが恩返しだと思っていた。だけど、本当にそれで良かったのか、今となってはわからない。あの家族の中で、自分は初めて家族というものを知った。高校生の頃、家族愛をテーマにしたアニメを見て号泣したのを覚えている。彼女の家族は、自分にとって今も、そしてこれからも、本当の家族だと思えるほどだった。
でも、結局自分からその関係を断ってしまった。なぜだろう。きっと自分の中では、恋愛感情と愛情、そして性欲が同じ重さで混在していたのだろう。どこかで、それらが捻じ曲がってしまったに違いない。母の愛情を知らない子供は、女性に対する恋愛感情が歪む性質があるのかもしれない。自分もその例に漏れなかったのだろう。
今も変わらない。会社で出会う女性と、時には彼氏がいる相手とも関係を持ち、拗らせた関係を紡いでいる。自分を好きになってくれる相手よりも、自分が追いかけたい本当に好きだと思える相手を追い続けては、失敗を繰り返している。自分を好きでいてくれる相手のことも、側にいる期間が長いほど大切に思えるのだろう。しかし、自分から愛情を求めてしまうがゆえに、仮に大切な相手が生まれたとしても、その関係を自ら断ち切ってしまうのかもしれない。そうなることが恐ろしくて、二度と適切な恋愛などできないのではないかと、考えてしまう。
どこかのアンケートで、50代までの不倫経験は全体の1/2との結果を見た。心の底では馬鹿にしているくせに、結局自分もまた、純粋な恋愛などできないのかもしれない。それが怖い。そして、そんな自分がどこかで壊れてしまうのではないかと恐れている。
家族関係は、端的に言って、悪かった。三人兄弟の真ん中に生まれたが、家族の結びつきを感じることはほとんどなかった。父は宗教二世で頭が固く、母は捨て子で、彼女自身も愛情を知らずに育った。弟は長い間うつ病を抱えていて、社会経験とは無縁のまま。姉は社会に適応できない。母は、厳しい環境の中でも頭が良く、逆境を乗り越えてきたが、父と出会い、彼の計画によって妊娠してしまった。結婚のために無理やり母を孕ませたと、父は酔った勢いで語った。お酒を飲める年になった自分たちに、それを笑い話のように伝えた。最低だと思った。
そんな自分もまた、父と同じ虚言癖を持っている。家族の愛情なんて何も知らない。父は家族の前で、これが自分の愛の形だと語り、それを言い訳にして暴力を振るった。ほぼ裸の状態で外に追い出されたこともある。
父の家系ではアトピーやアレルギーが多く、体の不調がつきまとった。母は医療に詳しく、彼女のおかげでなんとか子供時代を乗り越えた。姉や弟の方が症状はひどかったが、自分もまた、アトピーがひどく、水泳で肌を傷つけ、ガーゼで抑えるほどに悪化したことを覚えている。
この家族の中で、自分は何を求めているのか、何を感じるべきなのか、何一つ答えが見つからない。ただ、愛情が欲しいと願いながらも、心のどこかでそれが叶わないと知っている。その拗らせた感情が、歪みがこれから合う人間全てに向けてしまい、適切な関係を結ぶことができない。ある意味振り切ってしまっているのかもしれない。
精神病質者かつ音に対し極端に過敏だった男
1. 苦情は言っていた:
1974年4月ごろには一度妻とともに「自分が在宅しているときはピアノを弾かないで欲しい」と申し出たこともあったが、その後も被害者宅ではピアノを弾くのをやめなかったため、Oは次第に「ピアノを弾くのは自分への嫌がらせのためだ」とも思い込むようになった[4]。
2. 妻との離婚が決まっていた
事件1週間前には「親のしつけが悪いからまず親を殺そう」と犯行機会を窺いつつ[33]、凶器の刺身包丁・ペンチ・背広・ガーゼなどを購入していた一方[36]、このころには妻が離婚話の相談のため八王子市内の実家へ帰っていた[32]
1974年8月28日7時15分ごろ、加害者O(事件当時46歳)は階下の被害者方で響いていたピアノの音で目が覚め起床したが、それまでの経緯などからピアノの音を非常に気にしていたことに加え、それまでは9時過ぎにならなければ鳴らなかったピアノの音が朝早くからなり出したことに憤慨した[37]。また前日に挨拶に来た女性に対し自分がBの悪口を話したことを思い出し「Bが自分への嫌がらせ目的で子供にピアノを弾かせている」と邪推したため、Bへの憤りを抑えることができなくなったOは女性B(事件当時33歳)・長女C(同8歳)[注 19]・次女D(同4歳)をこの際一気に殺害しようと決意
井本は4月13日に東京拘置所で被告人Oと面会して特別抗告するか否かの意思確認を行ったところ「抗告しないでほしい。もうこれ以上(裁判で)争わず死なせてほしい」と回答されたため特別抗告を断念し、抗告期限が切れる1977年4月16日をもって正式に死刑が確定した[71]。
その後、同会は200人の会員を集めた会合で被告人Oの刑事裁判を支援することを決め[27]、計100通近くの嘆願書を集めて提出したが、これは被告人O自身が証拠採用を拒否した[57]。
望んだ死刑は行われず今や最高齢(2024年96歳)死刑受刑者である。
しかし、死刑囚O(現在96歳)は自身の希望に反して未だ死刑を執行されておらず、死刑確定から43年が経過した2020年(令和2年)9月27日時点でも[72]、死刑確定者として東京拘置所に収監されている[9]。また、2012年(平成24年)4月時点までに再審請求を起こした事実も確認されていない[73]。
X(Twitter)で、こういう内容のポストが流れてきた。(要約)
朝起きたら夫は出社していて、無くなりそうなミルク缶の横に開封済みの新しいミルク缶が準備されていた。
お昼ご飯の作り置きをしてくれていた。
それに対して「お前はなにしてるの?」「有能な旦那と無能な嫁」のコメントが付いているのを見た。
多分、この人は寝かしつけで一緒に寝てしまった(という言い方も嫌いだけど。別に寝てもええやんけ)のだろうな。
哺乳瓶やガーゼやおくるみは、寝かしつけ直線に発生した、もしくは夜間授乳で発生し、とりあえず後で片づけようとしていたのだろうな。
夫は奥さんとお子さんが寝た後に帰宅して、気付いた部分で自分が対応できること(ミルク缶が無くなりそうなので次を準備、オムツの補充、洗い物対応や出っ放しの物の片付け)を処理してくれたのだろうな。
明日も朝から一人で子供の面倒を見る(=とても自分一人のためにきちんとした食事を用意する暇等ない)奥さんのために、栄養のあるものをしっかり食べて欲しいと食事を用意したのだろうな。
わざわざポスト主の他のツイートを追ったりしてないから、本当の所なんて知らんけどさ。
少なくとも、きちんと育児に関わったことがあれば、夫がしてることが「育児のすべて(=「お前はなにしてるの?」「有能無能云々」発言)」なんて認識には、絶対にならんのだよなあ。
昼間(どころか夜もじゃないのかこれ)ワンオペで頑張っている奥さんと、それを理解していてサポートできる部分はサポートしている夫。
お互いにお互いをよく見ている(気遣いができ、気遣いに感謝できる)良いご夫婦だなあ、という印象にしかならんのだけれども。
ていうか、夫の気付き能力高いなあ。ちゃんと「それやっといてくれると助かる…!」って部分押さえてるもんなあ。
まあ、この手の話にケチ付けたいだけの人なんて山ほどいるんだろうからね。
とりあえず女性を叩きたいだけの脊髄反射な悪口(のつもり)なんだろう、と思う。
が、悪口どころか、自分がどれだけ育児(もしくは結婚生活)に理解が無い(もしくは縁が無い)かを露呈してるだけになっていて、見てて可哀そうになってしまった。
別に自分の顔を100%気に入って生きていたわけではないが、顔の一部にメスを入れてまで改変しようと思ったことはない。
しかし唯一、自分の身体の中で、リスクを取ってでも変えられるなら変えたいと思う部分があった。もちろん普段人に見せたり比べたりする部分ではないので四六時中気になっていたわけではないが、ネットで検索してみたところ、その箇所は血流が良いので傷も比較的治りやすく、日帰り局所麻酔で抜糸不要のやり方もあり、翌日から日常生活も可能ととてもハードルが低く感じた。
と、ここまで読んでどの部分かわかった人もいたと思う。そう、女性器である。
詳しく言うと小陰唇及び副皮という箇所なのだが、ピンと来ない方はググっていただくとありがたい。
男女ともに性器の形状や大きさなんていうものは個人差があってどれが正常とは言えないし、逆にどんな状態でも正常といえるらしく、こすれや黒ずみ、匂いの原因になる場合はあれど基本的には手術は美容目的であり、決して必要性があるものではない。
しかし自分の小陰唇は大きかったのだ。ものすごく。しかも左右差もあった。
だいたい1.7mmくらいまでは標準です と書いてあるのを見たのだが、おそらく自分のは4~5cmあった。(根本から先?までの長さの話)
ということで以前脱毛で利用していた美容形成外科にカウンセリングの予約をして出かけていった。
クリニックでは当然のように女性医師が担当してくれ、細かい説明等をしてくれた。正直ネットで見ていた金額の倍ほどになり(小陰唇だけでなく副皮の除去も必要・抜糸なしの手術法を選択などオプションが理由)わりと簡単に考えていたけれどやっぱり手術であるという事実に多少ビビってしまったのだが、ここでやめてしまったら何も変わらない!!と謎におのれを奮い立たせ、手付金の¥25,000を支払って、予約をして帰った。
そして手術当日。Iラインの毛を処理し、ヒールのない靴を履き、交通機関を使ってクリニックに向かった。
手術室は白くものすごく明るく、TVで見るような丸くて電気がたくさんついた照明器具があり、婦人科のように足をのせる器具があって、ここに寝るのか....と心臓がバクバクしたのだが(実は自分は手術というものをしたことがない健康体なのである)とても親しみやすいかわいい看護師さんが色々説明しながら消毒などの準備をすすめてくれて、なんとか平常心を保ちつつ手術開始の段まできた。
医師がきてからは点滴からの静脈麻酔で一気に気を失い、1時間程度の手術の半分ほど?は記憶にない。VRゲームの中に入ったみたいな幻を見ていて、しばらく自分がどこで何をしてるのか一切意識が飛ぶ経験を初めてした。クスリやってトリップするのってああいう感じなんだろうか。
夢から覚める時みたいになんとなく、あ、今手術中だったわ...と気がついたかどうかで名前を呼ばれ、今縫ってますよ!と言われた。
その後は縫われている不快感と緊張に耐えつつただただ身を任せていたが、おそらくいちばん恐怖感があったであろう部分を麻酔で意識を飛ばしてもらったことでだいぶ精神的にらくだった。
終わったあと、2,3日は出血があるので生理用ナプキンを使うのと、3日間は患部を圧迫する必要があるということで、俵型になったガーゼのかたまりを陰部に当てて、用意することになっていたガードルを履く。
着替えたあと別室に移動し、さらに丸めた毛布を股に当てて15分止血をして、ある程度出血がおさまったらもう帰って良いよと言われた。
もし何も問題がなければその後来院もなし。身体の一部を切り取ったにしては簡単なものである。
若干ふらふらしながら電車にのって帰るうち、術後1時間弱くらいだろうか 麻酔が切れてきてじわじわと、ものすごい痛みが上がってきた。性器の周りを無数の針で刺されているような、ライターでじりじりと焼かれているような激しい痛みだった。圧迫のせいで座っているのがつらく、痛みをこらえながら席が空いているのに立っていた。処方されたロキソニンを飲みたかったが水もないし、手術のため朝から10時間ほど何も食べておらず、なにか食べてから飲んだほうが良いのでは...とりあえず家に帰ってから...とひたすらに耐えた。
帰ってから食事をし、ロキソニンと抗生物質を飲んだが痛みは収まらず、4時間あけろと言われていたのを2時間後に追加で飲んで、倒れるように眠った。股間がどっくんどっくんしている状態だった。
しかし翌朝目覚めるとあの激しい痛みはある程度引いていた。4時間経ったら痛みで起きるんじゃないかと思っていたが朝までぐっすりだった。
患部の場所のせいもあるし圧迫しているせいもあるのでとりあえず座っている時がいちばんきつい。あとかがむ時などに、ナプキンと性器がこすれる時に痛い。とにかく腫れてる感じがひどいので、翌日の夜にシャワーを浴びるまで性器がどうなっているのが恐ろしくて見れないという状態だった。
圧迫を取って風呂場に入り、恐る恐る股間を覗いてみると、な、ない....いままであったものがない....
今はまだダウンタイム中で、二重整形であれば腫れ上がってまぶたがパンパンになっている状況と同じと言ってよく、これから腫れがひいて良い感じになるのだが、なんだか私の新しい性器はとても美人になった気がする。
こんなに不要なものをぶらさげて(?)生きてきて、それを取るだけなのにこんなに大変な手順を経て専門家のちからを借り、苦痛を乗り越えないといけないとは、という気持ちになった。手を加えたというよりも本来の状態にしましたというような。
顔に手を加える人に対して不自然になっているとかする必要がないだろうと思う方だったのだが、本人としてはこれが自分の本来の姿だと思うものなのかもしれないと思った。
せっかくなので誰かに見せたいのだが、見せる人がいないところが残念だった。
(追記)
読み返してみたらまだ痛みが残る時期だったこともあって術後の痛みのところだけが異常に克明に書き記されていてちょっと反省した。
その後2,3日でほぼ痛みもなくなり、痛かったときのことをすっかり忘れている。確かに組織ごと切ったにしては治りがとても早いと思う。
そしてぴったりしたボトムを履いた時の余分なものがない収まり具合がとても良く、手術の仕上がりには満足している。
あと書こうと思っていて忘れていた部分をひとつ。
静脈麻酔が切れて意識が戻ってからの手術後半、助手としてついていた看護師さんがずっと自分の左足(開いて固定されている膝の部分あたり)に手をのせていて、お腹の部分にも器具などを置いてアシストしていたのでただ触れていただけなのかもしれないのだが、その手の温かさに励まされて落ち着けたし安心できた。看護師さんありがとう。
安倍さんのお陰で誰でも自由にマスクがつけられるようになったのに不当に低く評価されてるよね
・1枚100万円以上に暴騰したマスク転売状態緩和のための施策
・不良朝鮮人によるマスク狩りを防止して日本の治安維持にも貢献
・不織布マスクの製造元の殆どが中国にあったあの時期、代替手段は多くはなかった
・布マスクも、「まったくマスクをしない」より高い効能を示した(富岳などでの実験でも、ウレタンマスクよりずっとマシ、と出てた。同時期に絹、コットン、デニム、レイヨンなど様々な素材をマスクにした場合の比較テストが行われてたけど、所謂布マスク(ガーゼマスク)は、実はそれらと比較してもそこまで低性能ではなかったことが判明している)
・布マスクの調達(製造工場の確保など)に奔走したのは「現場の人間」
・使い捨て可能の不織布マスク(洗浄できない)を何日も使い回さざるを得なかった時期にあって、洗浄して再利用可能な布マスクという選択肢は言うほど悪手ではなかった
慣れてたらガーゼ使うけどね