はてなキーワード: ウーマンとは
考えるために女性の働き方について世代別、環境別で区分してみた。
若い世代で主に仕事の楽しさから子供を持つことに躊躇しているセグメントについて
女性がしっかり成果を出して働きつつ、子供を含めた家庭を充実させることのできる環境づくりが重要。
つまり、性別や立場の区分無く労働を効率化させ、一人あたりの仕事に使う時間を短くするとよい。
一方で育休や時短など仕事の負荷を最小化することで、子育てを支援しようという案は対象者が限られる。
そもそもそういう制度のあり、長期的に休む人を抱えられる会社に入ることができる女性が対象になるから。
保育園とかベビーシッターの類を入園者数だけでなく質も含めて向上したほうが良いと思う。
まあ数年中になんとかなると思えないので、自ら仕事をガンガンやって早く帰る。ハウスキーパーを高いお金で雇えるよう稼ぐ。
という対応策を取るべきかと思う。
なお、第一世代として働き続けている女性の内訳は 既婚子持ち26%、既婚子無し24%、独身子無し42%、その他8%
結婚出産しないでバリバリ働いて、部長とか課長とかになって日経にもてはやされる。
一方で周りの考え方が古いので男並みに働いても陰口叩かれる人たち。後輩にああはなりたくないって思われがち。
就職氷河期を経験したおかげで、滅私奉公働きます!というタイプで生き残ってきている人たち。
働き方は普通の男性のコピー版。これを指摘されるとロールモデルがない!って騒ぎ出す
結婚出産して産休育休取って、仕事は楽勝なのをあてがわれて、女性比率を上げるためにいる存在。
ヒラに毛が生えたようなのか、逆差別的に昇進してたりする。男性なら異動になってそう。
男女問わず、就職氷河期で大変でした。という人たち。正社員になれなかったけれど、様々な仕事を経験している。
2006年~2009年まで一瞬景気が上向くも、リーマンショックにやられる。 およそ 22歳~34歳
上の世代の頑張りのお陰で結婚または妊娠するまでは同期男性とほぼ同じ扱いを受けることができる。
ただし、将来的なキャリア継続性から、重要な仕事が任されなかったりする。オジサンに贔屓されたりもする。同年代の女性のワリをくったりする。
キャリアと子供を天秤にかけている。両立するハードルが高いことを心配して踏み出せない傾向。でも数年中に踏ん切り。
仕事も家庭も力ずくで両立させる僅かな例を日経で見る一方で身近にそんなことができるスーパーウーマンがいないことに気づく。
近年、独立や起業で時間の融通をきかせる手法が目立ってくるが、そういうことができるわけでもない。
そういった類は100%しょーもない事だ。
「お前それオレの目を汚してまで広めたいことか?」と思わずにはいられないことしかない。
断言できる。100%だ。
クッソどうでも良いね。
大体誰だよあのおっさんどもは。
いや興味もねぇから言わなくていいよ。
まだオレのアナルのシワの本数数えたら24本だったことの方が興味深いよ。
そしてその数え方の是非について議論をした方がはるかに世のため人のためってもんだよ。
でも今回オレが打ち明ける事はそんな生っちょろいものじゃない。
正直君がこの場に立ち会えた事はとんでもない幸運だ。
そう、まさに君はラッキーマンだ。
(女の子はアナルの話になった時にパソコンをシャットダウンしたに違いないから君が男だということは間違いないからね。)
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「えっ」って思ったかい?
君は間違ってない。
君だけでなく誰もがそうなる事は火を見るより明らかだったからね。
しかし数日の反芻を経て、真実とはかくも美しいものだったのかと君は思い知ることになるだろう。
これを打ち明ける方法については長く、そして深く悩んだ。
拡散はして欲しい、しかし生半可な言い方では第三次大戦が起きることは火を見るより明らか…。
そう思った私はこの、「もったいぶってからサラッと言う」MSIメソッドを選んだわけだ。
進撃の巨人というマンガを知っている者なら丁度あのシーンを彷彿とするだろう。
(とは言えあまりのスケール差で言われるまで気づかなかったとしても無理は無いけどね。)
実際のところ、これを世に広めるかは君の自由だ。
しかし私がこれ以上何か言わなくても、君は君が知っている限りのツテ全てにこれを拡散し、後に世界最大最高の至宝と謳われるこの真実が未来永劫子々孫々に至るまで語り継がれる事は火を見るより明らかだがね。
そんな場に立ち会えた君はやはりラッキーマン or ラッキーウーマンだ。
(アナルに怒ったけどギリギリのところで踏み留まりせめて結論だけ見るために一気にここまでスクロールする女の子がいる可能性も無きにしも非ずだからね。(おやおや、ラッキーマンくんはもう広めるために部屋を飛び出してしまっていたようだね、たはは。ラッキーガールちゃんも早くスクロールバーを上に進めて真実の証人となってくれたまえ。))
とにかく、賽は投げられた。私は天命を待つとしよう。
これは現代病理と言うべきであろう。あろうことか、この私に向かってどういう了見か?
カノッサの屈辱はれっきとした平成の番組だし、ドーハの悲劇とて同じことだ。
ttp://www.sankei.com/sports/news/141026/spo1410260003-n1.html
ttp://ranking.goo.ne.jp/ranking/category/999/CRKldMsCuiHQ/
菱川師宣は江戸時代だけど、その見返り美人は今なお健在。シャフト角度も平成だ。
お疲れ産婆も今なお健在。日帰りビーチでプチリゾート気分。USJの10周年記念ソングを聞く。
ブレイブリーデフォルトとかいう神ゲーwイデア・リーの元ネタはリー台数。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BB%A3%E6%95%B0
アベルリングもAbel環だぞ!いい加減にしやがれマイナビウーマン! ttp://news.nicovideo.jp/watch/nw1293802
せやな。つらいよな。
でも、俺は東大卒ニートやったで。「高学歴ニートになりたい」って、君もなれるんやで。
で、2年くらいやって悟ったから就活やってみて、その現実にぶちのめされたおかげで目が覚めたわ。
東大卒ドロップアウトのきついところは、上流でも下流においても異質な存在ってところなんやな。
上流では落ちこぼれとしてはねられ、下流では「東大卒?なぜ、こんなとこにいるんですか」ってなるやろ。一見、人生クソゲーに見えるわな。
下流サラリーマン社会で「てへっ」と笑ってダラダラやる方法もあるなぁと思ったが、結局俺は資格取ったわ。
「東大出」じゃなくて、その資格持ちとして扱われるしな。何かに時間を注ぎ込んで技能を獲得することやろね。
「私の学歴も何も知らない人達の中で働きたい」とかいう悩みもなくなるし。というかアイデンティティが学歴じゃなくて資格や仕事の方に移行するやろ。
まぁ、君は、自分が何が欲しいか分かってるから大丈夫だと思うで。俺はまずそれを取り戻すのに2、3年かかったからな。
「ダラダラ貧乏旅行がしたいことと、自分の金で2000円くらいの海鮮丼を時々食べられる生活」でええやん。
貧乏旅行うんぬん言ってしまう君とか俺みたいなのは、エリートの奴らとはモチベーションの形が明らかにちゃうからな。真似したら怪我する。違う欲望の形を持たなあかん。
「でも世間は東大出てるのに年収400万!?クソワロタwwwていってくるよね」とかいう悩みが出てくるとかにそれが現れとるように見える。太宰メソッドそのものやで。
東大出のクズですといいながら、まだ、東大卒のプライドというか、東大卒だからこうでなければならない、人にこう思われなければならない、みたいな概念を引きずってるんちゃうか。ファックオフやでそんなもの。
だいたい東大卒ドロップアウト系なんて目につかないだけで全然珍しくないで。インドやラオスで2人会ったわ。京大はそこにプライド持ってるから目立つだけで。
というか、ニートのこと、やっぱどっかで馬鹿にしてるんちゃうか。レール外れて、あそこまで落ちたくないとか思ってるんちゃうか。
そもそも大企業で育児しながら働くスーパーウーマンなんかに本当は憧れてなんかいないやろ。向いてないやろ。断念しようや。
落ちるんなら、振り切れようや。堕落論やで。レール外れてしまったら、自分で気ままに泳ぐ力を身につけるしか無い。
そこに覚悟が生まれたら勝ちやね。自由とは決断に宿ってることを知るんやね。
豪華客船は遠くで眺めようや。落ちこぼれであることを認めようや。遠目から見てると安全で豪華で楽しそうでええけど、客船内もハイスペック同士の争いで大変なんやで。
微妙に地頭がよくて進学校→東大というよくあるルートをたどってしまったが日に日に現実が苦しい。
真面目ゆえ勉強だけでなく各種方面でみなさま頭角をおあらわしになる
真面目に授業受けるし試験前は図書館で勉強するし就活は真面目にしてなんだかんだ大企業に行って。
なんかかんだ結婚して仕事と家事育児両立させるスーパーウーマンばかりですわ。死にてえ
学歴社会を恨む低学歴の人多いけど、私も学歴社会本当になくなってほしい。
東大なだけでああいったハイスペックな人々と一緒にされたくない。
東大であることは私の本質を何一つあらわしていない。私はただの屑です。
インターハイとかに行った人は過去を何もなかったかのように生活できるのに、なんで勉強だけはそうならないんだろう。
「えぇ~東大!?」がきつい。東大なんですかぁってききたいのはこっちだよ。
中学生とか高校生とか自分の進路を決めるときになにも迷うことはなかった。
そんな感じの考え方だった。
でも他のものと違って勉強だけは敷かれているレールがすごく強固だと思う。そして外れると一気に大事故になる。
よく考えたら私は年収1000万が欲しいわけじゃないし、キャリアと家事と育児をこなす超人になりたいわけじゃない。
自分が将来何をしたいか考えたときに、ダラダラ貧乏旅行がしたいことと、自分の金で2000円くらいの海鮮丼を時々食べられる生活がしたいだけだった。
あとは餓死しないことはぜひ掲げたい。
でも世間は東大出てるのに年収400万!?クソワロタwwwていってくるよね。
高学歴ニートになりたい。ニートでも高学歴だったら心に闇が…とかで断罪していただけないでしょうか。
「セフレ」「ヤリ捨て」って言葉に憧れがあってチャレンジしているんだが、そんな関係になれる女性がぜんぜんいない。
ネットを見ていたら、ヤりたいときに呼び出して終わったらさっさと帰すみたいなエピソードいっぱいあるんだけどな〜。女友達とサシ飲みでヤっちゃうとかさ。合コンでお持ち帰りして一発ヤったら捨てるみたいな。
でも、そういうのって望んでいてもまったくないんだよね〜。いや、受け身でそういうシチュエーションを待っているわけじゃないよ? むしろ、アグレッシブな方だと思うんだ。
会社の学生バイトに手を出したときは、屋上に呼び出して身体触っていたんだけど、その子が他のバイトに「告白されてないのにハグしたりする」とか、そういうことで相談してたみたいで、バイトの間で広まって、告白しないとそれ以上は手は出せない感じになった。
ネットで知り合った子が、「前の彼氏は待ち合わせ場所でフェラさせて、終わったら帰すような男だった」って言うから、「じゃあ、俺にもやってくれるのかな」って思ってオフ会したら、拒否された。
あと、いわゆるキャリア・ウーマンの30代後半の女性を口説いたんだけど、この人は一番そういう関係になれそうな空気が出ていたのに(年齢的に考えて)、キスとパイ揉みまでしか許してくれない。それ以上しようとすると「浮気になっちゃうから」と頑なに断る。でも、一番の成果なので、月に一回は個室居酒屋に呼んでキスさせてもらってる。それともう一人30代前半の人と遊んでいるけど、その人もボディタッチと手繋ぎはOKでも、セックスはさせてくれない。
人より努力しているはずなのに、ぜんぜん出会えないので、腑に落ちないな〜って感じている。でも、これ以上「攻めの姿勢」に出ると犯罪になると思うんだよね。バイトの子も上司に言っていたらヤバかっただろうし。『だめんずうぉーかー』を読んでいると、たくさんいそうに思えるんだけどな〜。欲望を叶えるのは難しい。
「アナと雪の女王」のテーマソング『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go)』、テレビや街でめちゃくちゃ流れていますよね。かっこいい。
まだ映画は見てないのですが、とにかく曲がかっこいい。映画みてないのに、きっと主人公のアナが背負った生い立ちを受け止めて、最後は自分らしく生きていく決心をする映画なんだろうな、と涙しています。
https://www.youtube.com/watch?v=cvj3-MZO9Tw&list=FLF_clbmzwu_aTTbnVmXSsPg&index=2
早速、iTunesで松たか子さんの歌う日本語バージョン買いました。
https://itunes.apple.com/jp/album/anato-xueno-nu-wang-orijinaru/id834877950
色々バージョンがあるのですが、今回は日本語バージョンをとりあげます。やっぱりミュージカル映画ですから、ダイレクトにメッセージが伝わってくる日本語がいいですね。
それにしてもディズニーの曲って全部かっこいいですよね。私はアラジンのテーマソング「ホール・ニュー・ワールド」が好きでした。男性の方はピーボ・ブライソンという人なんですが、けっこういい曲をたくさん出していて、よくDJでかけてます。
このアルバムが最高です。スプレッドウィングが最高!4時半くらい、もうだんだん人がかえるかなあってくらいの最後の盛り上げにベスト。切ない。
https://itunes.apple.com/jp/album/crosswinds/id715936499
ということで本題に入っていきましょう。
最初にはったYOUTUBEで時間を指定していきますので参照ください。
再生もできるので便利です。
http://www.noteflight.com/scores/view/99eca90e7551876a3ec94a53a0ad00e5639fa1eb
例のごとくキーをCになおしてあります。原曲は、Abですので、原曲と一緒にプレイしたい人はM3下げて演奏して下さい。
日本語入力ができないようだったので歌詞はローマ字で。やり方分かる人はおしえてください。
で、楽譜の部分は大サビ、動画でいうと2:00からの場所ですね。一番盛り上がるところ。CMなんかで放送されているのはおそらくこれだと思います。
とても素晴らしい曲なんですが、それゆえ説明すべき場所がほとんどありません!笑
小手先の技でできている曲ではない。ただただシンプルにいい曲。
野球でいったらただのストレートなんだけど、速すぎて誰も打てない笑、みたいな。
コツとかない。ひたすら練習して投げれるようになった速い球、みたいな感じです。
https://www.youtube.com/watch?v=SV2hshsChlk
ということでボブ・マーリーの名曲『ノー・ウーマン・ノー・クライ』を引っ張り出してきました。最初のオルガンのリフ、鍵盤やってる人なら絶対練習したことがあります。かっこよすぎ。
で、なんでこれを出したかというと、レット・イット・ゴーのサビと、1:16ぐらいからの平歌部分、いんざがばめんとやーどいんとれんちたうんー、というところのコード、一緒なんですね。キーはもちろん違いますが。
ノー・ウーマン・ノー・クライではキーがDbなので、Db Ab Bbm Gbと演奏してます。
このコード進行と、レット・イット・ゴーのサビは全く同じ進行です。
好きな曲が同じコード進行ってやっぱり嬉しいじゃないですか。
コードが同じだとパクリだとか定番だとか、良くないことのようにいう人がいますが、そんなことはない。コード同じなのに全然違う良さがある。逆に音楽ってすごいなって思いませんか?同じ構造なのに感動が違うんですよ。すごいですよね。
C G Am F の繰り返しですね。
ここすごい好きです。個人的には切ない感じがする。ぐっとくる。
このブログでも何回も書いているんですが、FからCに戻る進行は、ソウルっぽいというか、ゴスペルっぽいんですよね。
書いてて思い出したんですが、絢香さんの i believe も多分同じコード進行ですね。サビ。レット・イット・ゴーと同じように、女の子が自分自身を受け止める歌ですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=sJItuaykRRk
なんというかこう、自分と向かい合う、内向的な、しかし力強くまえに向かう。そんなテーマにあってるんでしょうか。このコード進行は。
ボブ・マーリーの歌も日常にある悲しさと、それでもやっていくしかない、っていう前を向くところがテーマとして似ています。
ここでいいたいのは、このコードを使えばいい曲が書けるとか、切ない雰囲気がだせる、といった小賢しいことじゃあないんです。
自分がいいなあと思う楽曲にたいして向き合い、なるべく多くのことを引き出そうとする営みなんです。より音楽を深く味わうための。
美味しい料理を食べたら、どうやって作るのかな、材料は?香辛料は?焼いているのかな?そういうことが気になるでしょう。
それで、例えばタイ料理好きだったら、そうか!!!私が好きなこの味は、パクチーだったのか!!って発見があったら嬉しい。スーパーに行って大量にパクチーを買ってなんにでもかけちゃう。みたいな。
好きなものがあれば調べて、どうなってるのかたくさん知りたいでしょう。音楽理論も同じです。対象を深く知るための行為だといえると思います。
なのに最近は、「タイ料理はパクチーがかかっているから美味しいんだ!」みたいな雑な人が多くて残念です…それは嘘ですよね。
今食べているこの味はパクチーだということはできても、パクチーを入れれば美味しくなる、ということはできない。
我々ができるのは、何が起きているのか、ということに向かい合うことだけだと思います。
話が長くなってしまいました。戻りましょう。
次はメロディを見て行きましょう。
やはり特徴的なのは、ありのーままでー、という部分ですよね。二回繰り返されています。
ラシドーという部分ですが、これ非常にマイナーキーっぽいサウンドですよね。
コードはFからCに帰る部分ですから、どちらもコードだけ見ると明るいサウンドだといえますが、メロディーはマイナーっぽい。いいですね。
ありのーのあと、Amを弾いてしまいそうになるくらい暗いメロディですが、実際のコードはCなので、この対比が面白いです。
ままでー、はG G D、完全にコードに含まれる音を使うことで力強い印象になっています。またGとDの完全五度の跳躍も力強い。ありのー、の繊細な雰囲気と、ままでー、の力強い雰囲気がうまく対比されています。
二回目の、ままでーは、G 「E」 D とほぼ繰り返しなのですが、「E」でグッとテンションを上げてきています。ここまでは「D」が一番高い音でしたので、さらに高い音「E」が初めて使われたことで、聞いているひとは注目します。
そしてそこから、飛び出してみるのさー、から一気に音高もテンションもあがります。「F」というこの曲中、二番目に高い音が出てきますし、メロディーのラインもぐねぐねと動くテンションの高いラインになっています。
そして最後の、二度と〜、部分です。
高々と「G」を唄い上げます。
「二度と涙は流さないわ。」
彼女の決意が曲中の最高音「G」と共に表明されるわけですね。
僕はいつもあまり歌詞については言及しないのですが、この曲は歌詞と曲の構造が完全に一致し、聞く人を引き込んでいきます。パーフェクト。
このシーンでこのうたを歌う必然性がしっかりとあり、メッセージの高まりと音高の高まりがリンクして、目の前でアナが地面を蹴りつけて氷面ができる。
すごい!
あと動画をみていて思ったのですが、アナは片方しか手袋してませんね。
全く映画をみていないので詳細はわからないのですが、くらい水色の手袋は、アナの心理的なガードの象徴なんでしょう。序盤は全く生身の手を見せずに、手袋しかみえません。
しかし、0:52ごろから、悩んでいたけれどそれももうやめよう、というあたりから左右の手をみせます。つまり生身の手袋をしていない自分自身を、しっかりと見せるのです。
すごいリンク具合。
あの…映画みてないので、もしからしたとんでもない誤解をしているかもしれませんが、許してください。そもそもこの人アナじゃない可能性もありますね笑
ではお疲れ様でした。
ゲームをすれば馬鹿になると言われることがあるが、その実例があった。
実際の現実は、筋力と体力に男女差がある。ゲームのステータスなどでは、その男女差を一切なくしている。これが、現実的にあり得ないことは分かるよね?
簡単に考えても、オリンピックで筋力と体力に差が歴然とあるから、男女別競技がある。50m走を男女別をなくして同じにしたらどうなるんだろうか?女子レスリングの伊調馨は、言っていた。男子レスリングの合宿に参加して分かったと。男のレスリングと比べたら、女のレスリングは子供だと言っていた。女子レスリングの頂点まで行った伊調馨が、男子と女子では、大人と子供の差があると言っていた。これが頂点を極めた女性が言ったこと。素人がグタグタ言うのではなく。
ゲームの話に戻そう。
3DSでも出ているメタルギアソリッド3がある。ここに出てくるザ・ボスは、コブラ隊の世界中の屈強で優秀な兵士の中でも一番という伝説の英雄という設定の女性だ。メタルギアソリッド3を例に出すのは、これが他の本当の仮想ゲームとは違う設定だから。冷戦下のアメリカやソ連の対立とキューバ危機などの大枠は、現実世界と同じだ。他のゲームなら「それはファンタジーの幻想だから」と言うが、メタルギアソリッド3のストーリー展開は、実際の現実とリンクしている。
ザ・ボスはスネークと戦うことになるわけだが、その動きといい強さといい、女性の筋力と体力ではない。
こういう現実的には絶対にあり得ないことは「ゲームだから」こんないい加減な設定をしているわけだが、実際にそれをプレーした者たちが大いに勘違いしている書き込みが散見している。これは、メタルギアソリッドが他のゲームよりも、実際の世界とリンクしたストーリーで他のゲームの仮想性とは違って、リアル性があるからだろうか?
曰く、「男でも弱いものもいるし、女でも強いものもいる」などや、女性兵士は優秀だとか、女のほうが強いとか。ゲーム脳に浸れば、ここまで馬鹿になるのだろうか?「ゲームの世界だから現実離れしてもいいのでは?」でなく、男でも弱いのもいるから別にいいだろとか言っているわけだ。
もう一度、女子レスリングの頂点を極めた伊調馨の言うことを、よく聞かないといけない。頂点を極めた男女であれば、筋力と体力では「大人と子供くらいの差」になるということ。これが、頂点を極めた女性が身を持って実体験をしたこと。
ゲーム脳の恐ろしさを見れば、ゲームでも性差がはっきりとあるところは、性差を付けた設定にしたほうがいいのでは?これに、女性差別とか言う意味不明なことを言っている人は、馬鹿ですか?こんなことだから、ゲームをすれば馬鹿になるとか言われるのか?
馬鹿がよく言うのは、「女子プロレスラーには、一般の男は筋力で勝てないだろ」という低次元の話だ。メタルギアソリッド3の場合には、世界中から優秀な男の兵士を集めても、筋力と体力で女性のザ・ボスが上回っているわけだ。比較しているのは、頂点を極めた男女同士のこと。頂点でも男のほうが筋力も体力も劣るのなら、じゃあ、オリンピックでも50m走なども男女同じにしても何ら問題がないわけだ、ゲーム脳のお馬鹿さんの言うことに合わせれば。
レスリングも男女別をなくしてもいいわけだ。そんなことをしたら、伊調馨は試合に出られないな。だから、男女別で分けているわけだが。結局、ゲーム脳のように、筋力も体力でも男女の個人差であって、優秀な女性もいるからトップに女性がいてもいいと言っているお馬鹿さんに合わせれば、伊調馨みたいな選手が一切活躍できなくなる。
思ったんだが、女性の中でスーパーウルトラウーマンとやらしか活躍できない世界に追いやるのは、こういうゲーム脳のお馬鹿さんの低能がいるからだろうか?
日本総国民がサザエさんを見ていると思うが、中でも息の長いファンだと言いたい。
俺としては、四六時中「サザエさん」を録り込んだテープを回してるわけで
いつが月曜だか日曜だか、週感覚がなくなってきている。
「サザエさん」が消えたことはない。
1話ごと、この2人のどちらが担当する回かを把握しておくことで
より楽しむことができる。
意識して見ているとだ、よりぬきサザエさんから引っ張ったようなエピソードでも
明らかに傾向が見えてくる。
雪室俊一。68歳の大ベテランで、時折あれ?と思うような昭和の古臭さを醸し出す。
このセンセの回はとりわけ子どもをネタ振りに使うことが特徴的だ。
タラちゃんが、妙にませた物言いでとんちんかんな事を言い始めたら
大抵、雪室作品だ。(2択なんだが)
よくあるパターンは、大人の会話を盗み聞きして、
「おじいちゃん、○○は△△なんですぅ」とか自信たっぷりに言うと、
こういった回が俺は大好きなんだが、その楽しみ方はちょっとヒネている。
雪室先生の豪腕は、大抵が超強引なオチ(もしくはオチなし)で締めくくられるからだ。
ドリフだと、セットがどがちゃかに壊れてそのまま次セットと入れ替わるような感じ。
始まったらまずタイトルを確認。
(実際は前の週の予告の時点で、「タラちゃん 小説家になりたい」とか
怪しげなタイトルを見た時点で一週間胸がワクワクしっ放しなんだが)
で、子どもが絡みそうなタイトル且つ、次に脚本家に雪室俊一の名前を見たら
その回は“当たり”だ。超強引なラストが待ちうけていることが確定。
後は、誰が、どう強引にオトスのかを予想しつつ、そのオチのパターンを脳内で
1話10分の間に『よりぬきサザエさん』の膨大なエピソードの中から探していく。
その回の流れに かするくらいのエピローグエピソードが入っている。
これ、必ず長谷川町子の4コマ漫画のオチから引っ張っているんだが、
どれが使われるかなかなか当たらない。
うちにある68巻ぶんの『よりぬきサザエさん』と、
こいつが相当に難しい。過去問だけじゃ試験は突破できないということか。
10年、20年前にはなかった、この少年少女が二人きりで行動するような回が
ここ数年の間、頻出している。
昔、花沢さんがイイ女だ、という話をここで書いた記憶があるが、
要所要所でカツオをサポートし 磯野家にも頻繁にあがりこむようになってきた。
花沢不動産にて、親のいない間に二人で密談する回なんてざらだ。
もしクラスメートに見られたら噂になっても仕方ない状況だし、
このカップル誕生のお陰で中島やカオリちゃんの登場回数が激減している。
こいつは、雪室の陰謀だ。雪室俊一はカツオと花沢さんをくっつけたがっている。
そういった目線で見ていると、実に花沢さんのアプローチが的確で、
カツオもまんざらではないという形が出来上がっているか分かってくる。
そんな、脚本家に ひいきにしているキャラクターがいると“思い込んで”見るのも
楽しみ方の一つだ。
そして、ひいきキャラにもブームがあることも覚えておくといい。
実際、今はタラオ>イクラ、だし
(昔昔はイクラが最強だった時代が確かにあった。政権交代したようだ)、
ここ最近、ノリスケがぎゃふんと言わされる回にはまず出会った事がないし、
フネは波平を手の平の上で転がし、波平のちょこざいな隠し事なんぞ
フネは全て把握している。
そう“思い込んで”見ると、フネの言動の端々に
ギラッと光るものが隠されているのが見えてくる。おーこわ。
予想ゲーム、推理ゲームの感覚で割り切って見た方が、断然面白い。
子ども中心に見るのと、大人中心に見るのとで、
全く捉え方が変わってくる。
カツオと花沢さんの密会にドキドキする。
そして次週予告でじゃんけんの前に
それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。
日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級の美少女に。
僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界でプロダクトされた理想の美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。
好きだ、大好きだ。愛してる。
まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。
現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。
彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。
しかし、彼女らのファンは残酷な真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。
いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会で自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。
もっと、自然に、もっと、普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。
でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。
だから僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。
【秋元康の罪】
今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ。
古くはおニャン子クラブの時代から、アイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。
そして、罪もある。
AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。
この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。
その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。
軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPVの物語性にはダークなものが感じられるだろう。
AKB48を卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友。
「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」
次々に倒れていくメンバー。
そんなダークな情景を見せたあとに、PVは青空の下で彼女らが踊るものになる。
真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。
これほどまでに綺麗な未来が、つまり、新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。
それはPVの終盤、渡辺が前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。
生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。
渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。
前田もAKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。
つまり、秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。
アイドルグループは予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。
しかし、よく考えて欲しい。
私にはそうは思えない。
彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。
彼に単なる根性論など通用しない。
努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。
だから、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。
それは、彼の信念に反するから。
そう、彼の思想はこの世界を精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。
だが、この思想が彼の罪を生んだ。
つまり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。
僕らは、アイドルに夢を見ている。
小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。
社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。
しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。
なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。
別の例では、秋元氏は純真な、つまり、彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。
それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。
選抜総選挙で高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。
彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。
だから、彼女らSKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳は秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。
秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。
『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞は秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。
僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか。
そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか。
だからこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギーを彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである。
さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子の卒業に関して、彼はこのように述べている。
「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。
彼女につまり、この世界で美少女と認められたアイドルにバイアスをかけることなく、アイドルというひとつのステージを卒業させる。
そのことには頭が下がる思いだ。
さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列のアイドル、モーニング娘。やスマイレージといったアイドル勢がいる。
一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギー性から解放されたアイドルといえる。
彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲名からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ』(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカな空気さえ感じられる。
純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。
まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい。
【つんくの罪】
そんなつんくにも罪はある。
それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。
彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループの秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。
よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。
そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。
つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。
それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか。
ピュアな彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。
ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。
資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然な美少女見たくないよ!
そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。
例えば、SUPERGiRLS
例えば、YGA
天下のavex、そして吉本興業のプロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。
吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。
学校の授業から漫画やアニメ等におけるジェンダーバイアスに興味を持ったんだけど
本を見てもネットを検索しても女性にとってのバイアスしか解説されてないので、
男としては以下みたいな事も気になったりするんだけど、これらもジェンダーバイアスと言っていいんでしょうか
・男女で行う勝負事は大抵女性側が勝つ。
・男性の活躍は女性のサポートあってこそ。最近の特撮物とか見ても味方に強力な女性キャラが多い。
・しかし女性は男性のサポート無しでも十分活躍できる。男が空気なプリキュアとか象徴的。
・男性ヒーローの作品には、主人公を喰うレベルの「男顔負けのスーパーウーマン」が頻繁に出てくる。
・一方、女性ヒーローの作品には漏れなくヘタレ男が登場して主人公のかっこ良さを存分に引き立てる。
・女性=善、男性=悪。ファンタジー世界が舞台のRPGなどでも女神(女王)は正義、男神(男の王)は悪という配役が極めて多い。
・女性=優秀、男性=愚劣。既に書いたが優秀でカッコイイ女性を描く場合、高い確率で対比させるためのダメ男が登場する。
・女性は悪役として描かれる場合でも、実は同情すべき可哀想な事情があるという設定になることが多い。特に推理モノ。
・性別を逆にした場合は言うまでもなし。
・女性は成功のイメージ、男性は失敗のイメージ。ビジネスを題材にした漫画等の解説シーンに多し
・男性は加害者、女性は被害者。自動車教習所の教本とか笑えるくらい事故を起こすのは男、事故に巻き込まれるのは女だったりする
・そのわりに安全運転で感謝されるドライバーは女性で描かれる。
『紅一点論』とかも面白く読んだんですけど、取り上げてる作品が自分の世代と合わないせいもあってかピンと来ない部分も多々。