はてなキーワード: 伊調馨とは
良かったもの
ブルーインパルス(自宅から見えて左翼だけど歓声を上げたクチ)
ロゴを動かす子どもたちのパフォーマンス(たくさん練習したんだね。。)
長嶋茂雄(感無量)
大阪なおみ(NYTは伊調馨と予想していた。安直な多様性アピールという批判があるが、そもそも大阪なおみより有名な日本人アスリートはいない。)
ピクトグラム(ブルーインパルスなど歴史的遺産をなぞってばかりはよくないが、これは新しい表現のアートとすべきなのか)
バッハのスピーチ(毎回IOC会長のスピーチはつまらないが仕方がない)
日本選手団ユニフォーム(動いているところはいいが記者会見など静止画では今ひとつ)
職人パフォーマンス(木の五輪はよかったですよ。だけど、手仕事へのリスペクトなんてオリンピック企画にあたって本当に持ってるわけじゃないでしょ?)
ゲーム音楽の入場行進(ゲームしないので。これが刺さった人は国内では2割、海外で5%くらいじゃないの?)
悪かったもの
聖火台(動いたところはよかったが、静止画になると安っぽい。無印的。)
森山未來・医療従事者・東日本大震災へのトリビュート等(散発的でとりあえず入れました感あり。そもそもオリンピックしてる場合かという声を無視しているわけだから。)
冒頭のソーシャルディスタンスするアスリートたち(画面映えせず)
だいたい上から下に良かったものから悪かったものに並べたのだが、
自分が中年男性だから、中年男性が企画したイベントがあっていただけかもしれないけれども。
ヤフコメやブコメを見ると、世間では聖火台あげ、海老蔵と大阪なおみ下げ、という印象だが
匿名なので率直にいえば、
海老蔵がいいと思わないのは、歌舞伎を見たことがなく文化資本がないから、
私はショックだったよ。この世の中で、完全ではないにせよ、真理とか社会的正しさみたいなものを追い求めているのが「大学」って存在なわけじゃん。学者が集い、学生が集い、エビデンスとか信頼性とかナントカカントカ言いながらそういうものを社会に発信する存在なわけじゃん。それが志学館はどうよ。あの伊調馨に対するパワハラ反論会見。てっきり雇われて暴走してる弁護士なのかと思ったら学長。学長だってあの人。大学の学長。ショックだった。あんな大学があるのか。パワハラという人権侵害を引き起こす構造を研究し批判するのが大学だ。志学館というのは大学の形をした、最も大学の姿から遠い場所なんだろう。
ゲーム脳概念を信じる馬鹿が存在すると言われることがあるが、その実例があった。
「ゲームをする人の中にはある数の馬鹿がいる。その馬鹿のうち一部は(あくまでも)ゲームをしたことで馬鹿になったのだ」
元増田は、これをなんら示せていない。
元増田がいうように「ザ・ボスという特異な女性キャラを女性全体の傾向と思い込む」ことは明らかに間違いである。
男女に身体能力の差があることは数々の研究から明らかにされている。
しかし、「ゲームをすれば馬鹿になると言われる」こと証明することはこれとは別である。
それを証明するためには、
「ゲームをする以前はある特異な固有性を全体の傾向と思い込むようなことは無かった。にも関わらず、ゲームをすることでそう思い込むようになった」
ことを説明しなくてはいけない。
つまり、「最初から馬鹿だったやつがゲームをやって、馬鹿にありがちな勘違いをしたわけじゃない」ことを説明しなくちゃいけない。
が、元エントリではそれができていない。にも関わらず、自分の説がまっとうであるかのように振る舞う元増田は馬鹿である。
それどころか、元増田は自分が軽蔑する(元増田が)ゲーム脳患者認定した人間と全く同じ勘違いをしている。
女子レスリングの伊調馨は、言っていた。男子レスリングの合宿に参加して分かったと。男のレスリングと比べたら、女のレスリングは子供だと言っていた。女子レスリングの頂点まで行った伊調馨が、男子と女子では、大人と子供の差があると言っていた。これが頂点を極めた女性が言ったこと。素人がグタグタ言うのではなく。
女性と男性に見られる肉体の傾向があるかどうかを決めるのは再現可能な筋力テスト(統計的に有為なサンプル数をもつ)である。
あるゲーマー個人が「感じた」ことが全体の傾向として当てはめられるわけが無いのと同様に、
ある特定の女性個人が「感じた」ことが全体の傾向として当てはめられるわけがない。
まずは身体能力を能力毎に個別化して定義し、大人の平均と子供の平均の差を出し、それが男女の差と同一であることを示す必要がある。
ゲーム脳患者の愚かな点を指摘するなかで、自分も同様の過ちを侵す元増田はつまり馬鹿である。
「男でも弱いものもいるし、女でも強いものもいる」ことを元増田は馬鹿にしているが、これは元増田が馬鹿であることを証明するのに非常に重要である。
これを元増田は「ありえない」としているが、普通にありえることだ。
つまり「身体能力において男の方が女の方よりも圧倒的に勝っているという傾向が存在する世界」であっても、
どのような傾向があるにせよ、確率が非常に低いというだけで、「圧倒的な外れ値」というのはどこにでも存在する。
たまたま、その時代、その地域、兵士という職業の集合において、「最強の身体能力保持者が女性である」ことは当然ありうる。
世界はそのようにできている。
メタルギア3のように「本当は無いんだけど、ありそうなSF世界」においてそのように「輝ける外れ値」をボスにするのは、
ゲームの設計、ストーリー構成の視点からみても妥当な線であるといえる。
繰り返すが、
「身体能力において男の方が女の方よりも圧倒的に勝っているという傾向が存在する世界であっても、最強の身体能力保持者が女性である」確率はゼロではない。
ゲームをすれば馬鹿になると言われることがあるが、その実例があった。
実際の現実は、筋力と体力に男女差がある。ゲームのステータスなどでは、その男女差を一切なくしている。これが、現実的にあり得ないことは分かるよね?
簡単に考えても、オリンピックで筋力と体力に差が歴然とあるから、男女別競技がある。50m走を男女別をなくして同じにしたらどうなるんだろうか?女子レスリングの伊調馨は、言っていた。男子レスリングの合宿に参加して分かったと。男のレスリングと比べたら、女のレスリングは子供だと言っていた。女子レスリングの頂点まで行った伊調馨が、男子と女子では、大人と子供の差があると言っていた。これが頂点を極めた女性が言ったこと。素人がグタグタ言うのではなく。
ゲームの話に戻そう。
3DSでも出ているメタルギアソリッド3がある。ここに出てくるザ・ボスは、コブラ隊の世界中の屈強で優秀な兵士の中でも一番という伝説の英雄という設定の女性だ。メタルギアソリッド3を例に出すのは、これが他の本当の仮想ゲームとは違う設定だから。冷戦下のアメリカやソ連の対立とキューバ危機などの大枠は、現実世界と同じだ。他のゲームなら「それはファンタジーの幻想だから」と言うが、メタルギアソリッド3のストーリー展開は、実際の現実とリンクしている。
ザ・ボスはスネークと戦うことになるわけだが、その動きといい強さといい、女性の筋力と体力ではない。
こういう現実的には絶対にあり得ないことは「ゲームだから」こんないい加減な設定をしているわけだが、実際にそれをプレーした者たちが大いに勘違いしている書き込みが散見している。これは、メタルギアソリッドが他のゲームよりも、実際の世界とリンクしたストーリーで他のゲームの仮想性とは違って、リアル性があるからだろうか?
曰く、「男でも弱いものもいるし、女でも強いものもいる」などや、女性兵士は優秀だとか、女のほうが強いとか。ゲーム脳に浸れば、ここまで馬鹿になるのだろうか?「ゲームの世界だから現実離れしてもいいのでは?」でなく、男でも弱いのもいるから別にいいだろとか言っているわけだ。
もう一度、女子レスリングの頂点を極めた伊調馨の言うことを、よく聞かないといけない。頂点を極めた男女であれば、筋力と体力では「大人と子供くらいの差」になるということ。これが、頂点を極めた女性が身を持って実体験をしたこと。
ゲーム脳の恐ろしさを見れば、ゲームでも性差がはっきりとあるところは、性差を付けた設定にしたほうがいいのでは?これに、女性差別とか言う意味不明なことを言っている人は、馬鹿ですか?こんなことだから、ゲームをすれば馬鹿になるとか言われるのか?
馬鹿がよく言うのは、「女子プロレスラーには、一般の男は筋力で勝てないだろ」という低次元の話だ。メタルギアソリッド3の場合には、世界中から優秀な男の兵士を集めても、筋力と体力で女性のザ・ボスが上回っているわけだ。比較しているのは、頂点を極めた男女同士のこと。頂点でも男のほうが筋力も体力も劣るのなら、じゃあ、オリンピックでも50m走なども男女同じにしても何ら問題がないわけだ、ゲーム脳のお馬鹿さんの言うことに合わせれば。
レスリングも男女別をなくしてもいいわけだ。そんなことをしたら、伊調馨は試合に出られないな。だから、男女別で分けているわけだが。結局、ゲーム脳のように、筋力も体力でも男女の個人差であって、優秀な女性もいるからトップに女性がいてもいいと言っているお馬鹿さんに合わせれば、伊調馨みたいな選手が一切活躍できなくなる。
思ったんだが、女性の中でスーパーウルトラウーマンとやらしか活躍できない世界に追いやるのは、こういうゲーム脳のお馬鹿さんの低能がいるからだろうか?