はてなキーワード: つのとは
(原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)
思ったより長くなったので簡単なまとめ
・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた
ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。
ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。
原作既読のファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく。
ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、
自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無しにしまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較的共感出来そうな層の感想を摂取したかったからという経緯から。
自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品のファンになったはずだし、
自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、
そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版はホントにがっかりしたのよね・・・。
まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。
それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。
特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミングを関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。
原作だと、タイミングはラストの関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画で改悪されたこのシーン見たときは呆然とした。
そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。
他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、
●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしまう根拠に
●集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに
●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す
・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。
そんなこんなで2年編で一気に原作とアニメの評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。
一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。
原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話にギュッと圧縮した改変は比較的好評で、
後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、
それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。
特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写。
一番多かった批判としては、アニメの麗奈が原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。
確かに原作の麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作の麗奈は真由とも仲良くしていたりする)
他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。
・原作であった「部活・コンクール・音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう
特に、アニメは原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、
直近ではプラスして、麗奈のキャラ自体が原作より変わっちゃった感があったのも相まって、10話11話辺りの久美子×麗奈の描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。
ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、
なにせ根っからの判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。
例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミングが原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分はアニメの方が良いなと思った。
原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメだからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメの演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしまう
一番批判されていた麗奈の描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈のスパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。
そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。
確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、
どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。
その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。
原作を読んでいる人からしたら、最後のオーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。
そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。
11話までの描写でアニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。
後からリアルタイムのツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。
「まーた麗奈が『最後は絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、
「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。
久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。
「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」
みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。
そして放送終了直後には、
「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田を見直した。すいませんでした」
みたいな手のひらクルクル感想が投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。
単に1期のオーディションや大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語に説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。
象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。
これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写も理解出来る・・・と見直されたわけだ。
「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」
「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」
みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。
(まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)
原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程で違和感が生じることにもなるよねと。
アニメのユーフォは最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、
麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。
これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作とアニメの久美子・麗奈のパーソナリティは分かれてきているのではないかと。
アニメスタッフは別に原作を理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。
アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、
「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。
だからこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、
最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、
「アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、
これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメの解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。
あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、
しかもアニメのユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、
最後の最後で、「久美子と麗奈が全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。
原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観も否定されるべきでは無いと思う。
ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃんと意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、
原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。
個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。
ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。
あーほんと、2年生編だけもう1回アニメシリーズで作り直してくれ無いかなー。
一からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし川視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。
私たちのチームは、約1か月前にKADOKAWAのネットワークにアクセスできるようになりました。KADOKAWA子会社のネットワークが相互に接続されており、KADOKAWAのIT部門が引き起こした混乱を解消するのに、言語の壁もあって時間がかかりました。調査の結果、KADOKAWAのネットワークアーキテクチャが適切に構築されていないことが判明しました。それは、eSXIやV-sphereなどのグローバルコントロールポイントを通じて制御される一つの大きなインフラストラクチャに接続された異なるネットワークでした。コントロールセンターへのアクセス権を取得した後、私たちはネットワーク全体(ドワンゴ、ニコニコ、KADOKAWA、その他の子会社)を暗号化しました。
私たちのチームのもう一つの任務として、ネットワークから約1.5TBのデータをダウンロードしました。ダウンロードしたデータの概要は以下の通りです:
契約書
各種法的書類
プラットフォームユーザー関連データ(メール、データ使用量、開いたリンクなど)
ネットワークが暗号化された後、私たちはKADOKAWAグループの経営陣に連絡を取り、データ保護とネットワーク復号化に関する交渉を行いました。現在、KADOKAWAとその子会社のサービスは停止しており、復旧予定は7月末となっています。
KADOKAWAグループの経営陣が状況について公式発表を毎日更新していることは良いことです。しかし、一部の詳細を隠そうとする試みは良くありません。おそらく、IT部門が経営陣に真実を全て伝えていないのでしょう。
まず、KADOKAWAのIT部門は、私たちがネットワークを暗号化する3日前に私たちの存在を検知しました。管理者は私たちを追い出そうとし、サーバーのIPアドレスの一つをブロックし、認証情報を変更しようとしましたが、私たちは検知されないようにアクセスを設定することに成功しました。その後もダウンロードを続け、サーバーのIPアドレスがブロックされた後も、ダウンロードスクリプトは動作し続けました。
必要であれば、さらに詳しい情報を公開することも可能ですが、全てを公開することは避けたいと考えています。私たちはビジネスマンであり、お金にしか興味がありません。KADOKAWAは和解を試みていますが、提示された金額は非常に低いものです。この事件により、ネットワークアーキテクチャの全面的な見直しが必要となり、KADOKAWAの顧客はIT部門がネットワーク全体を再構成するまで待たなければなりませんでした。
KADOKAWAの情報システム部門はハクティビズムに精通しておらず、ネットワークの脆弱性を把握していないため、将来的にサイバー攻撃を受ける可能性があります。データが流出した場合、KADOKAWAはネットワークインフラだけでなく、ビジネスモデルそのものを変更しなければならないでしょう。
私たちはネットワークの復号化と漏洩データの削除に加え、KADOKAWAグループのネットワーク改善のお手伝いもしています。要するに、私たちは非常に個人的な情報にアクセスできています。日本国民は、プライベートな生活に関するデータを秘密にしておきたいと考えているはずです。
KADOKAWAの経営陣は、今週中に合意に達しなければ、あらゆる情報が公開されることを理解すべきです。現在、多くの日本国民のプライベートな生活の詳細が、KADOKAWAグループの経営陣の判断にかかっています。KADOKAWAの上層部が言い訳に明け暮れることを望んでいません。そのような行為は彼らには全く似合いません。KADOKAWAのような会社にとって、支払いを済ませて前へ進む方がはるかに簡単です。
Vって配信のサムネにXで書かれたファンアート使うことあると思うんだけど、あれって、ちゃんとイラストレーターに金払って描いてもらわないのってなんで?
まあ、ファンもサムネに使ってくれたら嬉しいだろうし、Vも無料でサムネ手に入るしwinwinなんだけど、生成AIが問題視されてる今、気をつけるべきだよな。
イラストレーターは気を付けてても、企業側っていうか使う側(クリエイター?)がこの程度の意識なのは、今の人類の生成AIに対する危機感のなさ、興味のなさが表れてると思うわ。
自分は無関係〜って思ってるわけではないんだろうけど、嫌でも関わっていかないと、取り返しがつかなくなってから騒いでも知らんぞ。いつの時代も無関係を決め込んだやつが2番目に悪いからな。
Q.
1つのCPUコアでの逐次処理を高速化することには限界があるため、コア数を増やし並列化させることで性能を向上させる必要がある、という考え方について、市販のサーバコンピュータとスーパーコンピュータで違いはありますか?
A.
この考え方に関して、市販のサーバコンピュータとスーパーコンピュータの間には基本的な違いはありません。両者とも、シングルコアの性能向上に限界がある中で、並列化によって全体的な処理能力を高めるという方向性を共有しています。しかし、その実現方法や規模には大きな違いがあります。 サーバコンピュータとスーパーコンピュータの並列化アプローチの比較 1. 並列化の規模 サーバコンピュータ: 数個から数百個のコアを使用 スーパーコンピュータ: 数万から数百万個のコアを使用 2. 並列化の方法 サーバコンピュータ: 主にSMP(対称型マルチプロセッシング)やNUMA(非一様メモリアクセス)アーキテクチャを採用 比較的少数のプロセッサを密結合 スーパーコンピュータ: 大規模な分散メモリシステムを採用 多数のノードを高速ネットワークで接続 3. 相互接続技術 サーバコンピュータ: 一般的なネットワーク技術(イーサネットなど)を使用 スーパーコンピュータ: 専用の高速相互接続技術(InfiniBand、Tofu Interconnectなど)を使用 4. ソフトウェアとプログラミングモデル サーバコンピュータ: OpenMPやpthreadsなど、比較的シンプルな並列プログラミングモデルを使用 スーパーコンピュータ: MPIなどの複雑な分散メモリプログラミングモデルを使用 ハイブリッド並列化(MPI+OpenMP)などの高度な技術も適用 5. スケーラビリティ サーバコンピュータ: 中規模までの並列化に適しているが、大規模になるとスケーラビリティに課題 スーパーコンピュータ: 極めて大規模な並列化に対応できるよう設計されている 6. 用途 サーバコンピュータ: ウェブサービス、データベース、ビジネスアプリケーションなど、比較的汎用的な用途 スーパーコンピュータ: 気象予報、宇宙物理学シミュレーション、分子動力学計算など、極めて計算負荷の高い科学技術計算
私の紅衛兵時代: ある映画監督の青春 (講談社現代新書 1008)
目次
●群仏──街に繰りだす紅衛兵
●狂灰──いくつもの死と生
概要
一九六○年代後半,中国の若者を熱狂させた紅衛兵運動は,いまや全面否定されるに至っている.しかし,そもそも彼らは何に反発し,いかなる理想を抱いていたのか.「紅衛兵」という名称の生みの親であり,運動初期のリーダーでもあった著者の体験と思索の遍歴から,文化大革命に激しく揺れ動いた時代の中国の姿が鮮やかに浮び上がる.
https://x.com/himasoraakane/status/1806139424671150100
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それはそうなんだろうなあ。
一つ一つの要素は(数学的には)別に難しくない基本的なもので解説も簡単なんだけど、それらが総体としてどうなっているのかの感覚は言語化困難で教えることができない。
文章が読み手にとって理解しやすくなるように、以下の点を改善してみてください。
- 誰が何をしているのかを明確にするために、文の主語をはっきりさせましょう。例えば、「IT屋に分類される人々は...」や「オフィスワーカーは...」といった具合です。
- 冗長な表現を避け、簡潔で明確な文章を心がけましょう。長い文は分割し、短く要点を伝えるようにしましょう。
- 文章の構成を整理し、各段落が一つのテーマに集中するようにしましょう。たとえば、「会社組織の認識不足」や「プロジェクトの役割分担」といった具合に分けると読みやすくなります。
- 読み手がイメージしやすいように、具体例や具体的な状況を挙げると効果的です。たとえば、「Azureを使っているかどうかの話をするときは...」などです。
- 文章の対象者が誰なのかを明確にしましょう。例えば、「オフィスワーカー」や「IT屋」といった具体的な対象者を示すことで、読み手が内容を理解しやすくなります。
- 論理的な流れを持たせ、読者が自然に文章を追っていけるようにしましょう。冒頭で主題を明確にし、段階的に説明を加えていくと良いでしょう。
何回も同じ事実を指摘し、完全無欠なものを出しているが、こいつは、昭和64年に大学を上がり、平成元年に英語教員に就職し、平成19年に教員を止めたクズである。
平成24年6月に宮崎北で復しているのは、開成東大卒のクズの安野たかひろの開発した行政の人工知能で勝てる算段がついたからでそれ以前は何をしているのか分からない状態だった。
それはともかく
たまにはやっぱり寝た!って思いっ切りお休みじゃないときもそう言うのが必要だわねって思うわ。
もうさ、
意識してそうでもして早く寝ないと
いつまでも寝ないじゃん。
そんで意気込んで21時!って思っても22時になっちゃうじゃん結果的に。
いやこのぐらいでいいんだけど、
それじゃ22時になる!ってなると23時になるじゃん。
そんなものよ。
繰り返してしまう枕元にタブレットを置いてタブレットを枕にしてしまうやつの悪しき習慣!
えらい薄っぺらい枕だなぁーって
じゃあそれ枕と違うかーって。
タブレットを枕にするんじゃなくて
違う違うそうじゃないの。
枕元に置いておいてなんかいつでもタブレットを見られるようにしている生活の未来を私たちは夢見ていたはずなのに夢も見る時間も無いぐらい睡眠時間がないの!
今凄いいいことを言ったような気がするわ!
そのぐらい
枕元で猫のショート動画を見まくってしまうあの悪しき習慣を断ち切るべく、
昨日はちゃんと真面目に寝たわよ!
目標として掲げていた21時をやっぱりねってところの22時就寝だったけれど。
お陰ですっきりできて
おかげさまで
日頃の日中のなんか眠気は無いような気がしてるわ。
ほらでた!5時間以下のショートスリーパー特集もあわせて書いてあって、
結局朝ご飯は食べた方がいいの?食べない方がいいの?
それの論争になるわ。
それならそれとして睡眠獲りましょうって言っておいてショートスリープのことを書いちゃうと
雑誌として中身ぶれない?って思うの。
まあ結局私はそれを朝ご飯を食べながら読んでいるという
私はそんな枕元に置いておいたら悪しき習慣となる初代iPadをいやもうむしろ古すぎて逆に使い道のないそう言ったタブレットは窓から投げ捨てても良いとは思うけれど、
なんか画面がつくからまだ捨てるのには勿体ないような気もしないでも無くない?
あの絶妙に使えないタブレットより絶対もう使えないタブレットってどうしたら良いのかしら?
それこそ枕にでもしようかしらね?って
薄すぎるわーってなると思うのよね。
あとそもそもとして固いし。
逆に良いこと考えた!思い付いたわ。
古くなって使えないタブレットを置けば良いってことに!
でもなんか古くなってウエブとかアクセスできないけれど動画とかも見れないけれど
これ一体本当にどうしたら良いのかしら?
睡眠特集問題を取り上げる雑誌には枕元にタブレット置かない対策特集をやって欲しいものよ。
うふふ。
美味しくいただきました、
今日も元気いっぱい頑張って早く寝るのよ!
炭酸水冷蔵庫ストック入れ忘れ問題特集して欲しい巻頭カラー6ページでよろしく!
またやってしまったわ。
冷やし忘れには十分注意よ。
出掛けたあと思い出して冷蔵庫に入れ忘れてたわ!ってヒヤッとするもの、
とかは言わないけど
入れ忘れよう注意だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
競プロと機械学習系のクソコード・クソジャークっぷりが取り立たされてるけど、クソコード・クソジャークっぷりは何も競プロerと機械学習erの専売特許ではない。
小3の娘のスマホ(親の管理の元家で夜9時までしか使えない設定)にChatGPTのアプリを入れてたらいつの間にか消されてた。
妻曰く「宿題とかズルするかもしれないから良くないと思う」とのことだが、
自分は「これからの時代、読み書きそろばんが常識→パソコンスキル・検索スキルが常識→AIを使えるのが常識になっていくから、今のうちからやらせておくべき」的な事を言ったらめっちゃ喧嘩になった。
我那覇真子さんは本当に素晴らしい女性だ。 ワクチン薬害について国に対して追及していく姿勢には共感している。 しかし共感出来ないこともある。 昨日、横浜スタジアムでワクチン接種会が行われていて、 そこで我那覇さんのグループは反ワク運動をしていたのだが、 なぜこんなことをするのかがよくわからない。
だって、打ちたいやつは勝手に打てばいいだろう。 なぜ、打つのを止めようとするのだろうか。 今になっても毒チンを見抜けないような白痴は死んだ方が国のためだ。 だから、国のためを思って活動しているのであれば、むしろ打たせる方が筋が通っている。
同じく昨日、これは別の話題になるが、 木原功仁哉という弁護士が国賠訴訟を起こすことを発表した。 原告は、高知大の佐野教授の論文に出てくる、 接種から2年経ったのに皮膚からスパタンが発見された人だ。
2年も経ったのにスパタンが発見されたということは 接種者の中でスパタンが無限に産生されていることを示しており、 これが最近になってワクチン薬害がハネてきている理由であることはほぼ確からしいわけであるから、 これはワクチン薬害において非常に重要な鍵となる事実ということになる。 だから、このタイミングでこの裁判を仕掛けに行ったのはさすがと言わざるをえない。 国を転覆させることの出来るほど重要な裁判になるだろう。注目している。
ところで調べてみるとこの木原という弁護士、 もとは京大物理工学科の出身だ。 しかも84年生まれということだから、おれやルシファーと同世代ということになる。 この世代はタレントが揃いすぎている。伝説の世代だ。 木原さんはその後、法科大学院を経て弁護士になった。
思えば、日本のワクチン薬害においては京大理系出身者の活躍が目立つ。 荒川央さんは京大理学部の出身だし、 藤川賢治さんも京大情報工学科の出身だ。 本庶佑さんも京大医学部出身で、こちらは立場上目立った活動は出来ていないが、 ところどころヒントをくれている。 そしておれも、京大電気電子工学科出身だ。 実のところ、これ以外にも京大理系の人間はワクチンを打ってない人が多い。 例えば、京大生ユーチューバーのこばちゃんねるは、ワクチンを打ってないことを表明している。 彼らは、こばが地球工、サイコが物工だ。
なぜこんなにも京大理系出身者は真実に対して簡単に近づけるのかというと、 真実にしか興味がないからだろうと考えている。 だから、真実を知りたいと考えるし、 真実以外のことは雑音でしかないから、他人に何と言われようと興味がないのだ。 おれの場合、他人に対する興味もないし、社会に対する興味もない。
おれが増田でワクチン薬害について批判し続けているのも、 他人にワクチン接種を思いとどまってほしいからではなく、 ワクチンに反対していたという事実を残しておきたいからだ。 だから、ワクチンが間違っていたことが事実であれば、 それ以上のことはどうでもいいということになる。 打ちたいやつは勝手に打って死ねばいい。 知的障害者民草のことなんか、知ったことではない。
グレゴリー・ペレルマンも、自身の証明が正しいのであれば 名誉や賞金は必要ないとしてフィールズ賞の受賞を辞退したりもしたそうだから、 彼もきっと、真実以外には興味ない族の一人なのだろう。 そしてきっと、京大理系の祖である湯川秀樹や朝永振一郎や 岡潔なども全員、真実以外には興味ない協会の会員だったのだろう。 超理系人材にはこの傾向がある。
そして我々京大理系人材はこれら祖先たちの意志を受け継いでいるため、 ワクチンが間違ってると思うならそれに対してまっすぐに行動出来るのだ。 もちろん自分も打たないし、他人に何と言われようとどうでもいい。 反ワク弁護士と呼ばれようが、陰謀論者と呼ばれようが、気にすることはない。 我々に構ってほしいなら、京大を卒業してほしい。学歴穢多野郎は近寄るな。
京大というのはそういう特殊な大学であり、 理系は京大 or dieと言われるのはそのためである。 しかし、このように京大ナイズされるためには、学部教育から京大で学ぶことが何としても必要だ。 京大関係者ではあるがとんちんかんな人を見ると、 大学院から京大だったり、あるいは研究者として京大で働いているというだけに過ぎないことが多い。 それでは全くお話になっていない。 宮沢孝幸が最終講演において京大という大学の担う役割的なものについて語っていたらしいが、 全く持って穢らわしいので撤回していただきたい。 あなたは京大グループではない。