はてなキーワード: 違和感とは
こんな感じだったっけ?いつもの絵柄となんか違和感。https://irasutoya.jp/
「自分は君に地元で飲める友達のような関係を求めていることに気付いた。遠出は別の人と行って欲しい」
と付き合って7年目の恋人からこのようなメッセージがきた。いや、恋人と表現するのが正しいのかどうかはわからない。
前提として、私たちはそれぞれ隣駅に住んでいる。自転車で5分くらいの距離。そして、「遠出」というのは5駅くらい離れた場所にある映画館やレストランを指す。
新幹線や飛行機に乗って遠くへ旅行へ行こうというわけではない。都内から都内へのわずかな移動である。
だからそれはつまり、私とは自分の生活圏内を出てまで一緒にどこかへ行きたいわけではない、ということである。
お互いに好き、というだけで恋人になる?手を繋いで、キスをして、セックスをしても好き同士でなければ恋人ではない?セフレ?
セックスもするし、食事だけして帰る時もあるし、デートもするし、旅行も行く。お互いの友達に会ったりもする。
好きではあるけれど、大好き!というわけではない。ましてや、愛してなどいない。
物理的にも精神的にも程よい距離感を保っている。これは何ていう?
正直にいうと、男女の関係性に名前なんていらないと思っている。
理解されやすいから友達には「恋人」として紹介しているけれど、「好きです」という告白から始まった関係でもないし、なんなら普段からお互いに「好き」と言うことはほとんどない。
もともと知り合いで、なんとなく始まった関係。
誕生日やクリスマスなどのイベントは必要ないのでしない。相手が他の異性と遊んでいても気にしない。もちろん結婚したいわけでもない。
だから自分たちの関係を「恋人」と言い切るのには違和感がある。
でも、この名前のない関係の居心地がよく、わりと長く関係性が続いてきたし、これからもこのまま続くって思ってた。
その矢先に冒頭のメッセージである。地元以外では会わない?ずいぶんと行動範囲を制限されたもんだ。
なお、このメッセージに対して私はまだ明確な反応を示していない。自分の中でさまざまな感情が湧いては消えてを繰り返している。
それらの感情をこの場を借りて整理していきたい。
相手にとって自分は、家が近いことしか価値がないんだと感じた。
他の人とは遠くへでも遊びに行くのに、自分とは地元でしか会いたくないんだと。
少し離れた場所に美味しそうなお店を見つけても、一緒には行ってくれない。
どこかへ遊びに行きたいと思っても、付き合ってはくれない。
今までの行動はなんだったのか?7年間、遠くへもいろいろ遊びに行ったり楽しく笑いあったりしてたけど?
近くでしか会いたくない、というのならそれでもいい。
さみしい気持ちもある一方で、遠出をしたいというのは自分にとってもそれほど重要なことではない。
は?自分勝手なことばっか言ってんじゃねーよ!キモヲタのくせに!
すごい好きというわけでもないし、もちろん依存しているわけでもない。
そばにいてもいいし、いなくてもいい。来るなら拒まないし、去るなら追わない。
存在してくれるだけでありがたい。
書き出してみると、割とたくさんあるな。
ちなみにこれらの順番には特に意味はなく、それぞれの感情の割合も常に変化している。
「悲しみ」を一番最初に書いたからといって、一番強い気持ちというわけではない。涙も出てない。
さて、相手にはどんなふうに返事をしようか?
150ml増量みたいな謳い文句がずっと書いてあったやつ。いつまで言ってんだよと思っていたけど、最近デザイン変更とともにとうとうその文言は消え失せた。
最初にペプシ飲みながら映画でも観て夜更かした時は特別な時間だったけれど、それもすっかりただの不健康な日常になってしまった。
静かな夜道に自分一人の足音を響かせながらコンビニへお菓子買いに行って、帰りに自販機でしか売ってないペプシを買う時間は嫌いじゃない。
それも深い夜にやれたら良いんだけど。ジョギングのジジイや早朝出勤の会社員が現れ始める頃合いだと漠然とした焦りがある。こんな事してて良いんだろうかって気持ちの方がデカい。
空き缶は占領面積に我慢ならなくなるまで増え続ける。限度を迎えると、近くに転がってるレジ袋に詰め込んで足元に置いておく。
こんな光景も酒の空き缶だったりすれば、退廃的な悲哀の雰囲気も少しは出たかな。
おれは人生を常にシラフで生きているけれど、酒に逃げられたら多少は楽だったんだろうか。人並みに他人との交流を持って、一杯目の生をそれとなく強要されたりして、付き合い程度にでも飲めるようになってたらどうだろう。まあいいや。
ペプシの缶が増え続け、二週に一度の回収日にはなくなる。おれの生活ってこの繰り返し。
ある朝目覚めたらタイムリープしていたとしても、おれは時間が巻き戻った事にすら気が付かないかもしれない。
昨日と同じように過ごす中で、しかしたった一つ僅かな違和感を覚える。
机に並んでいたはずの缶が無い。
冷静に事態を分析する中で、妥当に思える可能性がどんどん潰れていく。最後に残された、最も信じがたい状況を認めざるを得ない。
自分の意識だけを除いて、世界の時間が一週間ほど巻き戻されている。
金だ。
BTTF2よろしく、この珍妙な状況の利用法が真っ先に思い浮かぶ。
金さえあればこの浮かばれない気鬱な日々も少しはマシになるだろう。
株価にどんな動向があった?
どの馬が勝った?
必死に頭を捻る。何も思い浮かばない。この一週間自分は何をしていた?
何も変わらない。缶の数が減っただけ。
不意に訪れた絶好の機会を失い、先週の過ごし方への後悔は人生そのものへの後悔へと変わる。
心の奥底から湧き出る欲望を叶えるための努力を嫌い、恐れた。手軽に買える欲望で気を紛らわす。
逃げん込んだ先の非日常すらもことごとく日常になってしまう。そうして怠惰にかまける生き方にどこか酔う事でやり過ごしていたんだろ。そう自分を責め立てる。
この奇妙な出来事が過ぎ去って、しばらくは新聞に目を光らせるかもしれない。ニュースに真剣に耳を傾けるかもしれない。
でも時間が巻き戻る事は二度と無かった。
タイムリープがもたらした生活習慣は次第にフェードアウトしていく。
続けていれば超自然的な奇跡を待たずとも、大逆転ではなくとも、少しは人生が変わっていたかもしれない。
何も変えられなかったけれど、それでも得られた唯一の気付きは泥のような怠惰の中で崩れ去る。
それは結局生き方への真摯な反省ではなく、奇跡の再来への浅はかな期待でしかなかったんだろう。
多分そういう奴だねおれは。
ペプシ買いに行くか。
一般的に「個性」と聞いて、多くの人が能力やスキルに注目しがちですが、あなたはそこに疑問を投げかけ、価値観という新たな側面に焦点を当てました。
あなたが「能力には興味がない」とおっしゃるように、能力はあくまで手段です。しかし、手段を選択するのは価値観です。つまり、能力は価値観によってどのように使われるかによって、その人の個性に繋がっていくと言えるでしょう。
価値観が個性であると理解した上で、どのように行動していくべきか、あなたは3つの提案をしています。
1. 相対主義を避け、善悪を見極める: これは非常に重要な点です。相対主義に陥ると、全ての価値観が相対化され、何が正しいのかが分からなくなってしまいます。
2. 趣味では自分の好き嫌いに素直になる: 趣味は、自分の価値観を表現できる良い機会です。
3. 金と時間の使い方: これは、日常における価値観の実践です。善悪の問題にならない範囲で、自分にとって大切なものに時間と金を使うことは、自己実現につながります。
個性を形作るのは、能力だけでなく、その人が持つ価値観です。自分の価値観を理解し、それに基づいた行動をすることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
あなたの考えは、非常に深く、そして現代社会において重要なテーマを提起しています。ぜひ、この考えを深めていき、自分だけの個性を開花させてください。
もし、このテーマについてさらに議論したいことがあれば、お気軽にご質問ください。例えば、以下の点について考えてみるのも面白いでしょう。
一緒に考えていきましょう。
例えば、計算は得意じゃっどん記憶は苦手、プログラミングは得意じゃっどん文学は苦手、ちゅう具合じゃ。
じゃどん、おいは能力にゃ興味なか。
能力は「生きるための資源」で、おいはもう満足しちょっけん、能力を伸ばす必要は感じんとよ。
それは「価値観」じゃっど。
ネットで多か人が賛同しちょる意見に対して「なんか違う」と感じたことはなかかい。
例えば、おじいさんが1万円を落としたときに拾うか盗むかは価値観に依存しちょっと。
出版社が主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。
まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。
なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。
しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。
個人でも電子書籍で漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。
それなのに、私はどうしても作家や作品を軽んじるような、漫画業界の価値観のアップデートできてなさを感じてしまうのです。
漫画賞のポータルサイト・マンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります。
試しにこのサイトで適当な漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社の高慢な態度を感じませんか?
豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/
応募者を「キミ」と呼んでいます。年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。
冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います。
繰り返しになりますが、出版社はビジネスとして自社商品の作り手を募集しています。
たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実のビジネスの場です。
協業相手の候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。
連載を目指し、担当編集者がマンツーマンで指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/
もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。
ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者と新人作家であっても立場は対等であるべきです。
2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社の社員でもなければ、先生と生徒でもありません。
その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地を公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています。
それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/business/35222768.html
なんで糞高い弁護士雇ってるディズニーが「ディズニー+入ってただろ。仲裁合意あるよね?」なんて苦しい主張するのか不思議に思わないか?
高卒底辺でも10分調べたらだいたい事情が分かったんだけど、ブコメしてる人は一読して「?」ってならんもんなの?
死亡した人が会食してたのは Disney Spring (https://www.disneysprings.com/)って呼ばれる、パーク外でディズニー以外の事業者にディズニーの皮かぶせてやってるお店がある場所。
そこのレストランで飲食してアレルギー食品食って死んだっぽいんだけど、そうなると書いた通りパーク外なんでチケットは買わずに利用してる(パークのチケット自体は買っているが、パーク外での飲食だとチケット利用してないので微妙)。おそらくレストランの予約サイトとかも使ってない。となると、被害者はディズニーのサービスを利用するときは必ず同意させられるディズニー利用規約には同意してなくて、正攻法では仲裁合意を使えない状況だったのだろう。
そんな中とりあえず訴訟を回避したいディズニー側の弁護士が無理筋でも主張したのが「以前ディズニー+契約してましたよね?あ、パークのチケットも買ってますね?そのときにディズニー利用規約にも同意しましたよね?」だったんだと思うよ。
すでにDisney側は訴訟回避をあきらめてるので、これから普通に訴訟になると思う。
こんな無理筋な主張すぎてイメージダウンまあまああったと思うし、弁護士のチョンボだろうなとは思うし、Disney下手すぎだなとは思うけど、それはそうとして偉そうにブコメするなら10分でも調べてから書けよって思うわ。
「ディズニープラス契約してると危ない!」みたいな極端な話ではなく「弁護士が無理筋に出してきた戦術なんでどうせ訴訟になる」なんて緩いこと書くと、耳目が集められずはてなスター()が集まらないからですかね。
金髪碧眼の白人主人公が有色人種の仲間を踏み台にして、違法行為に手を染めてでも勝利を勝ち取ってハッピーエンドという流れに違和感持つ人がもっと多かったも思うんだよな
二作目の何が良くないって、一作目は引っ越しや転校による環境の変化が原因だったから
それが二作目ではテーマを思春期というその年齢層ならば誰もが陥る問題にしてしまったものだから
他の女の子達には思春期はないの?中学生は勿論、高校生だってまだ全然思春期じゃないの?
ある程度ぼかして書いたつもりだが、宗派を当ててるコメがいくつかあって驚いた。怖くなってきた。
改めて調べると、大学が出してる注意喚起を見るに、自分の経験とその手口が当てはまってるというか、いわゆる「ダミーサークル」「偽装勧誘」と呼ばれるヤツだと知った。
思い返せば、こういう偽装勧誘って普通は違和感を抱くもんなのに教えられる「真理」ってやつの中に「そもそもこういう真理は一般的に理解されにくいものだ。だから多少偽って誘っても、最終的に救われるのだから許されるものだ」って入ってるんだ。全肯定してくれるんだな。
自分はこれも受け入れられなかったな。なんだか姑息な手段だな・・・いつだって正々堂々とすべきだ!と思ってたから、小さい違和感の積み重ねで腰が引けて、なんだかんだで、まともに参加しなかったと思う。でもやっぱり学生たちのコミュニティが居心地良くて、そこを享受しようとしてたね。
大学に入りたての頃は、何事も食わず嫌いせずに挑戦してみようと思ってたんだ。今よりもっと世間知らずだったし、その素直さによって足元を掬われた。まあ変な正義感があって、愚直すぎてハマらなかったけど。こう言うのをマッチポンプって言うんだろうな。笑っちゃうよ。
親にはあんま言わなかったな。やっぱり心のどこかで後ろめたい気持ちがあったと思う。
回避するには、敵を知るってことでも大学が出してる事例とかちゃんと見とくべきだった。あとはいくつかバイトもやってたから、コミュニティに属するリスク分散の観点からも助かってたと思う。
最初から最後までシリアスに書くと読んでくれないかなって思って、茶化して書いたせいか勧誘してる節があるって思われてやや反省。反面教師だと思ってくれ。
その炎上は起こらないと思う。
なんでかは説明できないけど、そうはならんやろ感がある。
多分女性が火をつけないし(なぜ?)異性への名誉毀損とも言われない(なぜ?)気がする。
万一フェミの攻撃が成立したとして、男性は反論しないんじゃないかな。
炎上として成立しないような。
前提として評価がそこそこ高いので、商業的に成功しているのは素晴らしい。
ただ、36にもなったからか、
一点、主人公がチー牛すぎる。
しかし、負けヒロインとか上から目線のレッテル貼られているけど、明らかに魅力的な女性達。
※完全に個人の主観や経験則で書いていますので、こういう考え方もあるかくらいの感覚で読んでください
真面目に勉強したり仕事をしているのになかなか身につかないタイプの人っていますよね。
よく「知識の定着にはアウトプットが重要だ」といった話を聞きます。
それでもなかなか身につかないタイプの人は
一つの要因としてそもそもインプットの質(精度)が悪いのではないかと思います。
書いてある事や聞いた事を正しく解釈できずに、かなり薄まった・濁った状態でインプットしているではないでしょうか。
なので国語力を鍛えろと言いたいところですが、すぐに身に付く力でもないと思います。
ではどうするか?
情報を見聞きした時に
を意識する
というのはどうでしょうか。
現代文の問題を解くかのように細心の注意を払って情報を理解しようと努めることです。
例えば
・主語は何?
・助詞はどことどこにかかっている?
といった点を意識してみることです。
内容の理解はその次です。
国語が得意な人は意識せずとも正しく理解できていると思います。
国語が苦手な人はどうですか?
日常生活であれば問題にならないかもしれませんが、知識の習得においては大きな差となって表れるのではないでしょうか。
いちいちそんな注意を払っていられないという人は、
自分の違和感(引っかかり)を大事にしてみるのがいいと思います。
少しでも違和感を覚えたらそのまま流さないようにしてください。
(ラーメンショップは別として)家系の元祖である吉村家から喧嘩を売るかのように独立して生まれたのが六角家だ
家系の元祖は確かに吉村家だが、昭和63年に生まれた六角家が家系のベンチマーク的存在だと私は考えている
その理由は、現在家系を自称するお店は吉村家よりは六角家の味に近いからだ
吉村家は醤油ダレをガツンと効かせるのに対して、六角家はスープ(出汁)を重視して家系ラーメンに変化をもたらした
その変化は、吉村家と比べると六角家の方が食べやすく、多少は万人受けするラーメンになった
万人受けといっても吉村家よりはマシと言う程度で、昔は獣汁と呼ばれるくらい臭いしクセがあった
六角家をもってしても、その頃の家系はまだまだ人を選ぶラーメンだった
壱六家はげんこつを使わずに豚頭を使うことでクリーミーな家系を発明した
壱六家以後、スープの獣臭さは年々弱くなり、ラーメン本から獣汁という言葉が消えていったのではないかと私は考えている
(横浜の都市化が進み、店で獣臭いスープを炊けなくなったこともあるだろうけど)
壱六家は吉村家や、そこから独立したお店で修行したわけでもない非直系
この壱六家を元祖とし、壱系と呼ばれるくらいに広がり、現在展開されている資本系とか呼ばれるのをたどると壱六家に行き着く店も多い
https://hamarepo.com/story.php?page_no=2&story_id=2328
本当に壱六家発祥なのか怪しいと思っているけれど、昔は今ほど家系でライスを食べる文化は定着していなくて、直系でもライスを食べる人が増えてきた頃は違和感があった
直系以外は認めないという方も、壱六家発祥とされるライスの美味しい食べ方を実践しているのではないかと思う
なので、スープに浸した海苔でライスを巻いているラオタがいたら「それって壱六家発祥だから直系の食べ方じゃないよね」といじめてあげよう
ライスの食べ方だけじゃなく、直系ですら壱六家の影響を受けた食べやすい臭くない家系になっていて、現在直系にこだわるほどかなと私は考えている
ただ、資本系と呼ばれるお店には家系とは呼び難いものも多いから、資本系を家系と一緒にしたくないという気持ちも理解できる
二郎系はインスパイアと呼んでも、資本系の家系をインスパイアと呼びたくないラオタの微妙な感情があるのです
直系とか資本系とか知らねーよって方も直系と資本系をそれぞれ食べたら違いがわかると思うので、直系を探して食べてみて欲しい
食について一切語るなよな
増田のダメなところを教えてやる。まず、文章が全体的に曖昧で読者に状況を明確に伝えられていない。具体的にいくつか指摘する。
1. **設定の不明確さ**: 「深夜のバー」とあるが、そのバーの雰囲気や装飾、さらにミネラルウォーターを飲む場所として適切かどうかが曖昧だ。読者に場所や時間の感じを伝える描写が不足している。
2. **登場人物の描写が足りない**: 「一人の増田」となるが、どのような特徴を持った人物か全く分からない。読む側は増田という人物がどんな人か知ることができない。
3. **会話の不自然さ**: 友達が「騙されたな。今週、地震が来るって言ってたろ?」と言うが、これは非常に違和感がある。普通の会話ではあまりこのような言い方はしない。もっと自然な言い回しにするべきだ。
4. **感情表現が浅い**: 増田が「大地震は、来ないんだ」と微笑む場面での感情が伝わらない。増田が本当に安心しているのか、ただ無感動なのかがわからない。もう少し感情の描写を具体的にすべきだ。
5. **不必要な挿入音**: 最後の「チリーン(グラスを合わせる音)」が唐突で、本筋と関係がないように感じられる。具体的にはどのような状況でその音が鳴ったのかを説明する必要がある。
選定基準
・ハーレムなし
・強敵だらけ
https://ncode.syosetu.com/n9407fu/
連載中
編集者の口出しとイラスト化による読者のイメージ固定を避ける為、ある程度ストーリーが進むまで書籍化・コミカライズを断り続けた作品。
特に「魔術祭編」はこれまでに読んだなろう作品の中ではトップクラス。
半年間も更新がないのは残念だが、アルマークとウエンディの過酷な運命の旅に同行してほしい。
https://ncode.syosetu.com/n3930eh/
完結済
「辺境の老騎士 バルド・ローエン」でおなじみの作者による作品。
骨太の世界観、武器や魔法、アイテムや薬の細かい設定が楽しい。
ヒロインの成長が楽しみ。
https://kakuyomu.jp/works/16817330651238395614
連載中
なぜ異世界で呼吸できるのか、なぜ異世界の温度が適温なのか。なぜ異世界の魔法名や人名が地球っぽいのか、そもそもなぜ転移するのか。
登場人物が非常に多く、しかも名字、下の名前、あだ名で呼んだりするので最初は苦労するが、ハマれば間違いなくおすすめ。
作者は元小学校教諭なので学校に関する専門用語に詳しくて面白い。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888930318
連載中
通常、なろうカクヨムで評価ポイントを狙うには少ない文章量で更新頻度を増やすのが基本。
それを無視した多い文章量で更新頻度も安定しないがカクヨムで10,000点突破した作品。
チートも無いし、強敵だらけだし、普通に敗走するけど、ダークファンタジーの中では超おすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n6680gq/
連載中
モブは死ぬが主要人物は間一髪助かる、なんてことはない。いっぱい死ぬ。
ラノベの表紙は可愛い女の子(ヒロイン)が必須だが、あまりにも死にすぎるのでモブ女子が表紙に大抜擢。
もちろんすぐ死ぬ。(いっぱい死ぬのでネタバレになってないので安心してください)
戦場で少しづつ強くなる(でもいっぱい死ぬ)作品が読みたいならおすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n7246cy/
完結済
作者は「自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う」「村づくりゲームのNPCが生身の人間としか思えない」で絶好調の昼熊氏。
氏はシリアスとコメディの差が激しいが、これはもっともシリアス寄り。
会社員がたった一人で何回も死に戻りしながら試行錯誤する作品、そりゃあコミカライズも打ち切りになりますわ……。
https://kakuyomu.jp/works/16816700427057496202
完結済
作者のこたろう文庫氏はこれに限らずプロットを良く練った上で書いているので、序盤の展開に違和感を持ったまま脱落する読者が多いのが残念。
(感想欄に「この主人公にはついていけない。もう読むのやめます」とか書かれる)
その分、後半のカタルシスが気持ちいいのだけど、web小説では難しいのだろうか。
よく元不良が更生して社会貢献する姿を見て
陰キャが「元不良のくせに偉そうにするな!コイツに苦しまされた被害者のこと考えたことあるのか!」なんて言って、得意げにこち亀の両津が元不良に対しての説教する画像貼ったりするけど、
それよか叩いてる陰キャはこの元不良より世の中に役立っているのか?想像だけど何もやっていないと思う。
だから誰からも評価されず悶々とした日々を過ごしている時に元不良が評価されているのを見て
「俺は真面目に生きてるのに誰からも評価されず、何で不真面目だったコイツが評価されてるんだ!」と不満を持つのかと。
陰キャでも現状評価されてる立場にいればいちいちこんな事で目くじら立てないだろう。
何が言いたいかと言うと、
「世の中に役立つ元不良」VS「世の中に役に立ってない真面目な陰キャ」
そういうゲームデザインが良いか悪いかは別として、その手のはJRPGだとドラクエもFFもずっとそうじゃん。
厳密に言えば、ドラクエは2からだけど、ゲームデザインとして「パーティー」の概念があるターン性RPGは基本的にそうでしょ。
HPと攻撃力が厳密に比例するようなゲームデザインは悪いのでは?という問いの立て方が限定的過ぎて変なんだよ。
HP60%で攻撃力60%だと困るだろ、みたいな。なんでそんな変な前提を置くねん。
閾値があるようなゲームデザインであってもアリやナシや、みたいな検討にしないと。
(ゼルダの体力マックス時のビームみたいなのに触れている点からも、本来そっちに気が付くべき)
で、そう考えれば、パーティーを組むターン性JRPGは、基本的にパーティー全体の体力(全滅までの余力)とパーティー全体の攻撃力(ダメージソース)は、関係するでしょ。
アタッカーのHPが0になる(という閾値を超える)と、パーティー全体の攻撃力がガクッと下がる。おなじみの構図でしょ。
HPが減れば(ひとりかければ)攻撃力が下がる(ダメージソースが減る)という基本があるから、回復役を入れようとかそういう話になるわけで。
感覚的にも、パーティーのメンバーが一人また一人と倒れていくのにパーティーでの攻撃力が下がらないって違和感しかないでしょ。
アタッカーが戦闘不能になる、それを回復させる、またアタッカーとして活躍する。
ユーザー体験として、ジリ貧だなあ、みたいな戦闘って絶対経験あるでしょ。
アレでしょ。
(逆説的に、全員バーサーカーの脳筋パーティーみたいなのがロマンとして語られるのは、その前提があるから、ともいえる)
だから、このゲームデザインがアリやナシや?って考え方になる方が自然なのでは?
それはある意味ナシじゃね?ってのが、「サガ エメラルド ビヨンド」で、河津秋敏さんの「自分としては、回復はバトルを引き延ばしてプレイヤーの時間を奪っている要素だと思っているんです」に繋がるわけじゃん。
この、ある閾値を超えてある箇所にダメージを受けると、攻撃力が下がるというのは、RPGではあまりにも基本的過ぎて顧みられることすら無かった部分じゃん。
いくらなんでもコレを前提に置かないJRPGの話はダメでしょ。
「HPが減ると攻撃力が下がるゲームデザインがなぜないのか?」という問いなんじゃなくて、
「キャラクター単位でHPが減るとそれに比例して攻撃力が下がるゲームデザインはどうか?」という問いなんじゃないの?
それなら答えは「そんな面倒くさいことを一人のキャラクターに設定しなくても、すでにパーティーと言う単位で行われているから」になるじゃん。
(逆説的に、パーティー単位でないゲーム、例えばシミュレーションゲームのユニットみたいなのは、ユニットの所属人数と攻撃力とが比例するゲームデザインになってるものが結構あるでしょ)
(そういや、レベルを吸われるのでパラメーターが下がるという珍しい体験悪化が行われる戦闘もまれにだけどあるよね)
こんなん議論するまでも無いと思うけど。
ゲームデザインとして、「ユーザー体験を悪化させるようなことはどこまでなら許容されるのか」みたいなのは面白そうだけど。
いくつか思いつくけど、結構あるでしょ。ポケモンがあるレベルを超えると言うこと聞かなくなるとか。雨降ると崖を登れなくなるとか。
意味の無いゲームデザインがなぜ意味が無いのか考えるのは、意味が無いからという答え以外無くない?
百歩譲っても、「こういう意味があるので体力に比例する攻撃力を設定したいんだけど」という前提を置いてくんないと議論にならんでしょ。
コミケのヴィーガンの話、効果が薄い方からやめた方がいいとか、本出した方が賛同されるぞとかそういうのはわかるし自分もそう思うんだけど
ヴィーガン主張を路上でやることそのものを「やっては行けないこと」に入れるのはなんか違和感がある
もちろん然るべき許可や申請の上でというのはわかるし、今回だとコミケの誘導に支障しないかとか色々あるのかもしれんが主張行為そのものを否定するのはなんか違うと思うんよ
ビッグサイトの周囲でなんか主張してる人という括りではコミケ街宣だって同じようなものだろうし
ただあのヴィーガンの主張内容だとあの集まりには効果的ではなく、コミケ街宣の人たちは効果的というのにすぎないのではないかと
もっと効果的なアピールの仕方をしろ的な願望を語ってるだけの人に混じって、アピールそのものを良くないものにしようとする人が見かけられるのは表現の自由的にどうなんだろうかと思う
https://x.com/fanqishi/status/1823189075781980349
ほら、これだもん。ヘイトの自由を基本的人権と位置付ける主張のような「猛獣」まで準備した「言論のアリーナ」に他人を蹴り入れて見世物にはするくせに、自分に石が飛んできたら単なる個人攻撃の悪態で反発する。これが両論併記、「アリーナ」の本質ですよ。
おいおい、『くたばれGID』で堂々とイベントやってたトランス界隈こそヘイトの自由の元祖だろ
https://note.com/maikokarino/n/n5ab159bc27a7
さかのぼるとそれは”くたばれGID”です。女装者は性器に違和感のある性同一性障害者の存在を否定するために、”くたばれGID”といい始めました。2018年ころだったでしょうか? 当時私は、女装者がジョークでやっているものとばかり思っていました。
しかし、”くたばれ”というのは本当の脅しだったのです。
仲良くなったというかぐいぐい来られて拒みきれない状態
自分はSNSで積極的に自己開示をする方で、相手はSNSを通して知った自分の人物像にかなり親しみや愛情を感じてくれているらしい
でもこっちはその人のことを何も知らない
何も知らないので向こうに対する親しみや愛情も感じようがない
その状態で友達同士がするようなことをしていることにすごく違和感がある
プレゼント(返却不可能なもの)をもらってしまったのだけど、その状態で「あなたとはお付き合いしたくありません」なんて言えないし、本当に困ってしまった
家族に相談したら「これから相手のことを知っていけばいいじゃん」と言われて衝撃を受けた
そうなんだろうか…? そういう問題なんだろうか?