はてなキーワード: 資本家とは
(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633
↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います。
まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います。
理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価で提供されるようになりますし、やがて生産技術が陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さらに価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争に世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。
マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。
先生は、普通の労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場に提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、
「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」
と考えれば理解しやすいでしょう。
で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者の賃金や労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。
さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。
人間が人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になります。しかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力の再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命の危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。
まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています。秋葉原の加藤さんとか電車の人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。
ではどうするか?ですが、有効な方策は、ある程度はっきりしています。
一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れが必要になります。しかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しかも高齢化が進みますから、将来的には医療・介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。
もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手があります。OECDなんかからも、しきりに焚きつけられています。しかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中に朝鮮・中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります。
他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフトな社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金もガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しかし北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います。
但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党がドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。
(※)なお、ここまでで説明した「商品価格・労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格・賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。
率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったか今ひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクターの確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります。
(以下、12/19追記)
ちなみに「ハードな社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦の場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者は存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所かラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。
労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量が平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWord・Excelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術が陳腐化したからです。
当然ながら、移民の導入etc.で労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります。
id:humidさん
過分なお褒めを頂き光栄ですっ!
実は仕事で小説を書いてたんですけど編集者とケンカして切られちゃいまして(・ω<)
いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー
いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?
だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、「原始共産制に基づいた太陽光・無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考致しますが。
いくら初めての増田だからって、「命がけの跳躍」とか大事なキーワードを省いちゃったのはダメダメですね……
やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だから、センパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ
id:raituさん
さはさりながら、生産管理技術そのものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。
21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……
それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。
また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効な方策は描かれていないように思われます。
リンク先のPDFをよく見ろ
グラフ付きでこう書いてあるぞ
まずは資産富裕層にはどのような特徴がみられるのか確認してみる。「家計調査」では金融資産残高の階
級別の最高階級は4,000 万以上であるため、以下ではこの層を資産富裕層とみなすことにする。同世帯層の
数は全体の約1割を占めるが、資産金額でみると全体の約4 割を保有していることになる。資産富裕層の世
帯比率はここ10 年程特に変化はみられない。これに対し、下位層と見做せる300 万未満の世帯比率は増加
傾向にある一方、富裕層と下位層の中間にある層は低下する方向にある
富裕層世帯は全世帯の1 割を占めており、消費支出に占める割合も1 割程度となっている。日本の全貯蓄
額の4 割を富裕層世帯が保有していることを考えると、これら世帯層が消費に十分貢献しているとは言い難
い。上記のように、現状はむしろ同世帯層の1 世帯当り消費支出は低下傾向にある。こうした「資産はあっ
ても消費をしない」という現象は、人口減少の我が国経済にとって深刻な事態と言わざるを得ない。
「資産はあっても消費をしない富裕層」について考えられるのは、①資産取崩し型消費への抵抗感、②市
況悪化による金融資産評価額の目減り、③「子孫に美田を残す」的な価値観の強さ、といった要因が関係し
ているように思われる。①は消費支出の源泉が所得から資産に変化する中で生じる現象である。リタイヤ後
の富裕層の場合、給与所得というフロー収入が殆どなくなり、代わりに保有資産というストックを取り崩し
て消費に充てるというスタイルに抵抗を感じる人も多いと思われる。実際、団塊世代のリタイヤによって期
待されたシニア市場の盛り上がりは殆ど起こらなかった。②の金融資産の目減りは、長期化する株安や円高
による外貨建資産の評価損、金利低下による分配金の低下など、富裕層のみならず消費を減退させる要因と
なっている。③は日本人の民族性も関係しているかもしれないが、シニア世代には自分の資産を子孫に残す
べきという価値観が強いとみられ、自分の消費よりも資産保全を優先するため、多くは預貯金として眠る結
果になっている。
富裕層が保有資産に見合った消費をせず、さらに中流層から下流層への転落が進行するとなると、現在欧
米諸国を中心に懸念が広まっている資産・所得格差の拡大による消費の長期低迷という現象が起きる可能性
は十分考えられる。
それに図表23を見ればわかるが、消費の8割近くは年収2000万以下が占めていて、2500万円以下は2割程度しか占めていない
うん、その話は左翼の人と対話するとよく出てくる。
「富裕層は消費していない」
つまり、BNFみたいに数百億円貯金がありながらカップ麺生活してたり、
孫正義みたいに24時間働きづめで余暇の時間がない人たちだという主張。
でも考えてみて。カップ麺生活してたり、過労死寸前まで働いている人たちって豊かなのか?
社会の富を食いつぶしているのか?
底辺の人たちを奴隷のように働かせて自分は左うちわで悠々自適なのか?
どうも、19世紀のイギリスの資本家のような都合のいい富裕層イメージを勝手に当てはめているように思えるのね。
富裕層が消費をしていないのならば、その貯金を社会のために使うとなれば今より働かなきゃいけない人が増える。
どのような仕事が増えるか?ずばり言うと介護職。福祉の増進を図るのだから当然だ。
私企業がどの国に工場を建てるか、どの国から商品を輸入するかは自由だし、
個人がどの国に財産を置くか、どの国に移住するかも自由であるべきだ。
人件費で工場を建てる国を選んでもいいし、税率で住む国を選んでもいい。
最低賃金をどの水準にするか、税率をどれくらいにするかは内政問題であって、
自国の最低賃金・税率ならともかく、外国の最低賃金・税率に口出しすれば内政干渉になる。
移民が安い給料で働くのも、ビザ取って最低賃金以上の給料貰ってれば批判されるべきじゃない。
グローバリズムで所得再分配がうまく行かなくなるのは、大企業・資本家は国境を超えられるのに、
アメリカみたいにミューチュアル・ファンドで個人的に積み立ててるのも資本家=パンピーという点では同じ。ドイツやその他の先進国も、多少の違いはあるが似たようなもの。
「奴隷制が廃止された理由です。奴隷制は奴隷の面倒を見なければならない。 強制的に働かすには暴力で脅す必要があるので、軍隊のコストがバカにならない。 それに無理やり働かせてるのではモチベーションがあがらないから生産性が悪い。 それより解放して、一生懸命働けば豊かになれると思わせた方が、 進んで働くから生産性が高いわけです。でも、実際は賃金を管理されているから、 いくら一生懸命働いても豊かになれないのですが・・(植民地が独立できたのも 同じ理由による)」金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った
「「消費者」は、産業革命とともに生まれた。産業革命によって、工業製品の生産量が 飛躍的に増え、多くの人々が工業製品を買えるだけの経済的、時間的な余裕を 持つことが必要になった。生産効率が上がって増え続ける商品を、売れ残りのないよう 人々に消費をさせるには、人々の所得を賃上げで増やさねばならないし、 金を使う余暇を適当に与えねばならない。酷使される貧しい工場労働者を、 消費する中産階級に変えていくことが、実は資本家の好むところでもある。大量生産がなかった産業革命前には、資本家の事業が一般の人々を巻き込む必要はなかったが、 産業革命後、資本家は一般の人々を、労働者と消費者の両面で巻き込まねばならなくなった。」田中宇の国際ニュース解説
完全雇用になり予備労働力としての失業者がいなくなれば、皆が敬遠するしごとの給料が上がってやってもいいかなと思う人が出てくる。それできれいに世の中が回る。そんな仕事に高い金がかけられないとするなら、そんな仕事はもともと世の中にとって必要でなかったのだ。(ごみ収集のように外部性の大きな仕事は国の関与が必要となるけれど、基本的な話は変わらない。)
利潤の源が資本家による労働者からの搾取であるという発想の、マルクス脳には理解できないだろうけど。雇用を含めて自由意志による取引は(貧困に追い詰められてやむなく、という場合も含め)、売り手買い手のお互いにメリットがないと発生しないという普通の発想を持っている人には簡単なことであるのに。
横だけど
こういう「ほんとにみんながそうしたら直ちに社会が破綻する」みたいな案を平気で書くのは卑怯だと思うよ。
ワープアな人でも「自活したい」「社会にもたれず自助したい」って頑張ってる人がたくさん居るから今まだなんとかってるんで。
これは道義的な話。
次に論理的な話として、
彼我の立場は基本的に関係ないよね。
俺が月20日働いて30万君からもらってるとしよう。
俺が「もっとよこせ」って言うとする。
君が「いやいや、賃金相場から言ってもわが社の財務から言っても君の給与は適切なはずだ」って抗弁する。
それこそ賃金相場とか資格は何持ってるかとか昨年の実績はどうだとか
そういうことと照らして論ずるべきだよね。
一方、君の「羨ましいんか」論法で俺が賃上げ請求するならこうだよ。
俺「社長、あんたは俺より高収入で資産もいっぱいあるじゃないか、だから給料もっと上げろ!」
君「え?いやそれは君の給料の妥当性と関係なくないかね?てか君の給料は結構高くないかね?」
俺「俺が羨ましいなら資産捨てて社員になれよ!!!wwwwはい論破ーwww給料ア・ゲ・ロ!!!」
って感じだぜ。
もう話が噛み合ってないし、
橋下はこの一回の議論で負けたらお金も地位も名声も失うというスタンスで臨んでいる。
相手の勉強をし、データを整理し、バックアップ体制を固め、どうやったら強みを全面に出せるか、弱みを隠せるかの作戦を立て、闘いに出ている。
弁護士スゲーと思わせるところがある。
他方、相手のやる気のなさ。
まず第一に、相手を甘く見てる。
というような序列が頭の中にあって、橋下は政治家ではなく民間人にカテゴライズされてる。
という意識がある。
それに、議論に負けてもまったく痛くない。
反橋下派は、反橋下派のグループ内で生きているので、仲間内での評判さえ落とさなければ痛くないのだ。
たとえば君が代日の丸反対派の中での序列は、どれだけ君が代日の丸を激しく叩くかで序列が決まっているので、いかに日の丸が、君が代が悪かを説くかに固執する。
悪という前提から始まるので議論にならないし、聴衆のジャッジでは負けるのだが、本人達はそれで満足してる。
二番目に、学者はとにかく保留しておくことが好きだ。
現時点で正しいとされていることを覆すことで真理に近づけると思ってるので、たとえ今は正しくても、といって実行に移したがらない。
そもそも、学問を世に還元するより、学問を追求したいから学者などをやっているわけで。
これは自分の個人的が想像だけど、学者の10人に1人くらいは嫌儲思想だ。
50代、60代の古株のなかには、民間就職するなんて資本家の手先になることだ!という理由で学者になった人間もいる。
文系だととくに顕著だったはずだ。
もちろん、学生運動で逮捕までされちゃったような過激な連中は途中で退学しちゃったわけだが、口先は一流、実行力はない、という人間が学者になってる(場合もある)。
あんまり過激だと出世の道もなかったんだけど、社会党が強かった北海道なんかは、思いっきり左派思想でも出世できたし。
科学は科学の発展のためだけに存在するべき、という消極的嫌儲主義。
反原水爆と相性がいい。
共産主義が勢いがなくなり、平和主義と看板を変えはじめたころから歩を同調させている。
まあとにかく、グダグダが好き。
俺が思うに橋下の
「そうはいっても予算と人を引っ張るのは金も労力もかかるし、その原資は税金だし、グダグダ言ってても前に進まないから」
という主張はもっともだ。
それに対して
という反論もありだとはおもう。
ただ、正しいことだから堂々と主張する!悪いのは橋下!
という態度は、橋下に言われた通り、税金で食わされてるのにその態度はなに?
と聴衆に判断されてしまう。
それから、君が代日の丸の強制は教員だけということなので、子供の教育に~という話にできないのも大きい。
嫌なら違う高校に行けばいいって話で、小学校中学校は私立は無料じゃないけどさ。
橋下にだって、突かれると痛い部分はあると思う。
俺は大筋で賛成だけど、大阪の抱える諸問題がクリアされるとは思えない。
大阪都構想で経済の地盤沈下をどうにかできるというわけでもない。
ただ、そこんところは代案がないのなら、聞かせて欲しい、という態度で聞くべきじゃん。
いや何一つOKじゃないって。お前そもそも話が逆だろ。
資本家が儲ける為に日本医療という非市場原理圏を市場化したいんです付き合ってくれないと超最終手段としては銃とかぶっ放しちゃうかもよ、ってのがアメリカでしょ。
OKもへったくれも、理屈がもう全然ダメ。キングオブ詭弁。日本人得しないし正当性とか無い。アメリカに銃ぶっ放させないために屈しようとしてるだけ。
実際問題として今アメリカはいろんな意味で銃ぶっ放したりできる状態じゃないから、そこを突いていっぺんくらいジャ○アンに逆らえよのび犬。
他会社の株式を保有することによりその会社を独占的に支配する会社を持株会社と呼ぶ。支配するほうを親会社,されるほうを子会社という。自ら事業を行う方を事業持ち株会社、自ら事業を行わず,他社を支配することを目的とする会社を純粋持株会社という。資本主義の発展に伴って登場する独占体の一種で,証券代位とピラミッド型支配によって支配資本の節約が可能である。戦前の三井,三菱等の財閥本社はその典型。戦後は財閥解体、独占禁止法によってその設立は禁止され,これに反する純粋持ち株会社の設立は無効とされた。
しかし、戦後50年を経た1997年、独占禁止法改正により条件付きながら解禁。他会社の株を買占めることで他会社の支配を主たる事業とするこの純粋持ち株会社を活用することで、欧米では事業の組み替え、大型合併・吸収を企業集団という枠組みで積極的に推進してきた。これに対して日本では、純粋持ち株会社という司令塔を持たない企業集団であったため、戦略的な単位として行動することはできず、日本の企業集団の戦略性の欠如、国際競争力の衰退は明らかであった。こうしたことを背景に、純粋持ち株会社の解禁が図られた。しかし金融ビッグバンの影響もあり、日本では、銀行や証券会社によって再編のために設立された金融持ち株会社が先行している。
現在懲役刑執行中の堀江氏がテレビ局の株を買占め支配を試みた事件は、戦後50年ではありえなかったわけです。以前の反省から純粋持株会社の設立を廃止していたからですね。それが1997年に解禁されてしまい、丁度よくITバブルで現れた成金達が喜びの声を上げました。それ以後、なりふり構わず世界中でカネカネ大戦争を繰り広げているのが21世紀というわけです。簡単にまとめればこのようになります。20世紀は比較的そうでもなかったが、21世紀になってからどうも「カネカネ」五月蠅いなあと感じる人が多いようなので、その種明かしをしてみました。あなたの会社は「純粋持株会社」ですか?そうでない場合はこれから恐ろしい事に出くわすかもしれませんよ。一般に言われる「子会社に入ると苦労する」という話はこういう内事情があるわけです。あの人が何であんなことを言ったのか、じわじわ分かってきますね。
★財閥
本社を中核に,持株,融資,重役派遣などによって多数の子会社群を支配する独占企業集団で,コンツェルンの一形態。世界的には米国のモルガン財閥,中国の四大家族,インドのターター財閥その他多くの財閥がある。日本の戦前の財閥は同族支配,番頭経営,政府との密接な関係を著しい特徴とした。明治以降,産業の発達とともに,三井,三菱,住友,安田の四大財閥,古河,浅野,川崎などの財閥が形成され,昭和になると日産,日窒,日曹などの新興コンツェルンが登場した。第2次大戦までの日本経済は,財閥によって動かされていたといえる。戦後,財閥解体が行われたが,1950年代から旧財閥系企業の再結集が進められ新たな企業集団が形成されている。しかし,戦前の財閥とは性格を異にし,同族支配がなく,持株支配が弱く,金融機関の融資を中心とした金融コンツェルンの性格が強い。
★政商
明治前半期に政府の手厚い保護・育成を受け,政府との相互依存関係の中で伸張した特権的商人。三井・岩崎・住友・安田・大倉・浅野・渋沢等がそれで,政府事業を独占的に受注し,特に官業払下げを受けて産業資本家に転じ,同系列資本を集中し,その多くが財閥に発展した。
★金権政治
富者がその財力を駆使して権力をほしいままにする政治。日本では明治以降,政商の活動が時の政府に大きく影響したことがあり,多くの疑獄事件を生んだ。現代的には,第2次大戦後,一党による長期政権のもとで〈政界・官僚・財界〉の権力と利権の癒着構造が形成されて,構造的汚職を生みだす金権腐敗政治を指すことが多い。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11718430 ゴミムシ
ニート対策?
劇団一人がテレビで、ニートが騒がれるようになったのは、第一次就職氷河期と言われたあたりかららしいと言ってた。
不景気で増税した政策の失敗で、更に景気が悪化して、橋竜は支持率激低でやめて、小ネズミになったわけだけど・・・
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14398629 バカムスコ
紳助がやめたニュースで紳助関係の動画を見てたら、上地のぱくりと言われた曲があって、それの替え歌が上の動画の。
youtubeでも見られる。私の書き込みはないけど。
ゴミムシ
http://www.youtube.com/watch?v=dwjXa80KFKc
http://www.youtube.com/watch?v=TjTroDJaOJU バカムスコ(にこ動のと違うバージョン)
働かざる者食うべからずは、労働者階級が資本家に言った言葉らしいけど・・・
ニコ動に、親の虐待から避難して行政の助けも全くない状態の人もいるとか書いた者です。
親神話迷惑
.
ニートじゃないと書いてあった
↓
http://www13.atwiki.jp/chine_miku/pages/17.html
ひどいな。自虐ならともかく
親にお金をたかるとか書いてるけど、何かでつまづいたり、精神的な問題を抱えたりして、生活力、経済力がない場合でも、生活するのにお金は必要なんだから、身内の世話にならなければいけないのは当たり前なのに。
それについて、必要、というのとたかるというのではだいぶニュアンスが違う
無職というのを、社会のお荷物と文字で動画に出してたけど、無職というだけでは、社会に関係ないのに
親可哀想とか親の気持ちとか、本人の気持ちは?本人はクズだから可哀想じゃなくて、気持ちも顧みられず、ムシにしていいの?
こういうのって、叩いてよいくらい酷い人格というのを考えて、叩いたり馬鹿にしたりしてるのかな?
だからせめて働かずにうまい飯をちょうだい なんて歌詞、すごく残酷
ご飯は食べなきゃ人間生きていけないもので、誰でも食べるけど、その食べ方について他人がこんなふうに言うなんて
ダ・パンプの替え歌見て変だと思った。「実は普通に充実した生活の人がネタで作ってたりして」って書き込みした。そのとおりだった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13557118
http://www13.atwiki.jp/chine_miku/pages/17.html
>前にも言いましたが、俺 ニートではありません。
>実をいうとその状態がもう4月あたりからずっと続いています。
年間自殺者3万人(統計の取り方が72時間以内だから、統計の取り方変えたらもっと増えるだろう)の社会に問題がないわけがない。
ニートというのも社会のあり方を批判する存在になり得るから(そういう人がいるという事が社会の問題点や矛盾を表してしまうから)
その責任や批判の矛先をかわすために、ニートの人格を貶めるような事を広めようとしてる人たちもいるのだろうか・・・などと想像してしまった。
自分の事じゃないみたいだけど、自分の事であっても、人間の事をムシにしてしまってはいけない。
追記
「働かざる者食うべからず」は親の言葉ではない。「早く出て行きなさい」というのも。
親という子供の事を思っている人から発せられた言葉がこれだとすると、得する人もいるんだろうな。為政者とか。
奴隷かよwww
.
.
本当にニートの家庭でこのような会話があったとして、それは、そんな事を言うから子供が社会や人の中に元気に出て行くことができなくなったのではないか?
普通に社会で活躍している人に対して恐怖心を抱いたりしない人を育てた親は、子供の気持ちより自分の気持ちを主体にして接したり、批判を許さなかったりしないだろう。
ニコ動に本人が自分を歌っているんじゃないと知る前にも、これは自分をクズと言うんじゃなく親を批判できたら(親に暴力をふるうとか、何でも親のせいにするのではなく)、自立できるのではないか?とか普通に暮らしている人はこんなに親が可哀想とか親の気持ちを考えようとか考えないだろう、他人の気持ちは誰もわからない、洞察する事はできるが。と書いていた。そんなわからないものを、自分の行動の主体的な理由にするのは異常だと思う。そんな人は普通いない。
正確にはこうだった。この歌はクズじゃなく馬鹿と書いてあった。
>親が主体っておかしくない?親の気持ちが主体? なぜそこで親の気持ちが出る? 本人の気持ちは?
>人間は自分の気持ちしかわからない、他人の気持ちは洞察するだけ。考えたところでそれを主体に動くのはおかしい
>馬鹿息子じゃない子供を育てた親は、息子の気持ち主体に動く人だったのかもな。
>親が悪い親が悪いと暴れるよりは良いかもしれないけど、よくわからないところもある
>これって、馬鹿息子じゃなくて、馬鹿親ってちゃんと批判できてたら自立できるんじゃね?
>馬鹿息子とへり下るのは親がお金をくれるせい?実るほど頭をたれる稲穂かなみたいな? まだ続いてるが略
.
その前の部分
>親かわいそうか?本人はどうするの?なんで親をかばうの?
>親かわいそうか?なんで親を庇う?
>親神話止めて
>親神話迷惑
彼らの独占の仕方の前では、ウォルマートさえ街角の個人商店にすぎず、
そのような候補者は限りなくあるだろうが、
科学や最先端研究を理解することが望ましいということには、誰もが賛意を惜しまない。
最新の知識を欠いては安定した民主的決定は不可能だ。
タイムズ紙やサンデー・タイムズ紙をアクセスするのに24時間あたり1ドルという、
マードック流の購読システムには飽き飽きしている人も多いだろう。
しかし、少なくともその期間内はいくつでも記事を読めるし、ダウンロードしておくこともできる。
エルゼビアの出版する学術雑誌では、1つの論文を読むのに31.50ドルかかる(原注1)。
シュプリンガーは34.95ユーロ(原注2)。ワイリー・ブラックウェルは42ドルだ(原注3)。
1981年に出版されたレターを読みたければ、やはり31.50ドルだ(原注4)。
もちろん、(まだそれがあるとして)図書館で読むという選択肢もあるが、
図書館も多額の購読料に苦しめられている。
化学分野の学術雑誌の場合、年間購読料は平均して3792ドルだ(原注5)。
私が見た範囲ではエルゼビアの Biochimica et Biophysica Acta の2万930ドル(原注6)が最高額だ。
大学図書館は購読を打ちきることで帳尻を合わせようとしているが、雑誌購読費は予算の65%を占めている(原注7)。
そのつけは学生に跳ね返ってくる。
一方、学術出版社は論文と論文の査読と編集作業の大半とをタダで手に入れている。
コンテンツの製作に当たって支払いをするのは出版社自身ではなく、
そしてそれを読むために、私たちはもう一度支払うのである。
上がりは天文学的だ。
前会計年度のエルゼビアの経常利益率営業利益率は 36% (20億ポンドの収入中7億2400万ポンド)(原注
8)。
エルゼビア、シュプリンガー、ワイリーはそれぞれ競合企業を買収した結果、
研究者は最新の情報に追いつくためそれを読まなければならない。
多くの場合、出版者はたくさんの学術雑誌をパッケージとしてまとめて購読するよう、図書館に強制している。
この国の人々を食い物にした極悪人の一人、
ロバート・マクスウェルが学術出版でその財の大半をなしたことは驚くに当たらない。
製作と配布の費用をまかなうためにこれらの購読料を課さざるをえない、と出版社は主張する。
また(シュプリンガーの言葉では)「雑誌のブランドを築き、学術情報流通を電子的基盤で支援する」という付加価値を提供もしているという(原注10)。
「出版社が出版プロセスに与える付加価値は相対的にはほとんどないと考えられる。
もし出版社の反論するように出版プロセスがそれほど複雑で高コストだとすれば、40%の利益率は不可能だ」(原注11)。
大出版社は、投稿から出版までに1年以上の長いプロセスをかけることによって、
研究を伝播させるどころか研究を隠してしまっている(原注12)。
ここに見られるのは、公共の資源を独占し不当な価格を課す、純粋なレンティエ資本主義である。
その製作に当たって自分たちがすでに支払っている知識を得たければ、
これが学術界に対して害をなすのはもちろんだが、
世俗に対してはさらにひどいことになっている。
私は主張をするときは根拠となる原典をたどれるようにしておくべき、
だがその主張を私が公正に要約しているかどうか、読者が検証しようと思っても、
その費用を支払えるとは限らない。
数千ポンドを支払わなければならない(原注12)。
「全ての人は自由に……科学の進展とその恩恵を享受する権利を有する」とする世界人権宣言に抵触する恐れすらある(原注13)。
Public Library of Science (PLoS) や物理の arxiv.org などの優れた事例もあるとはいえ、
オープンアクセス出版は独占資本家を駆逐するには至らなかった。
「利益率40%の時代はまもなくロバート・マクスウェルと同様に終わりを迎えるかもしれない」と予言した(原注14)。
しかし2010年のエルゼビアの利益率は1998年と変わらず36%のままだった(原注15)。
その理由は、大出版社がインパクトファクター上位に来る学術雑誌を手中にしているからだ。
こうした雑誌で出版することは、研究者にとって、研究費を獲得しキャリアを積むためにかかせない(原注16)。
とっかかりとしてオープンアクセスジャーナルを読むことはできるが、
クローズドな方もけっきょくは読まなければならない。
少数の例外を除いて、各国政府は彼らと対決することができていない。
米国 National Institutes of Health は、自らの研究費を獲得した研究者がオープンアクセスのアーカイブに論文を置くように求めている(原注17)が、
英国の Research Council の公共アクセスについての宣言は無意味の極致である。
それは「出版社が現在のポリシーの精神を維持しつづけるという仮定」に基づいている(原注18)。
政府の研究費に基づいて製作される論文がすべて無料の公共データベースにおかれるよう強制すべきだ(原注19)。
また長期的には、政府は研究者と協調して中間搾取者を追い出し、
ビョルン・ブレンブスの提案に沿い、学術論文とデータの世界単一アーカイブを作る取り組みを進めるべきだ(原注20)。
いまは略奪を受けている図書館の支出でそれを運営することもできるだろう。
George Monbiot
http://www.monbiot.com/2011/08/29/the-lairds-of-learning/
フランス革命の勉強がしたくて、図書館でタイトルが目に付いた『フランス革命の思想と行動』(河野健二)という本を借りてきました。
京大の教授だったそうだから、まっとうなことが書いてあるんだろうと思ってかりたんですが
書き出しが
資本家的生産様式が成立する歴史的過程は、封建的生産関係およびそれに本質的に依存する特権的商業・高利貸資本の拘束のもとから、生産者(農民・手工業者)が解放され、上昇することを主要内容としている。このことは現代の歴史学が確認しているところである。ところで、生産者はの解放および上昇は、若干の経済史家が説くような漸次的な行こうとして、あるいは、直線的な発達として現れるものでは決してなく、権力闘争をも無い方する高度の政治闘争を通じて、その所産ととしてはじめて現れる。この点も科学的な歴史認識が達成した「成果」として、われわれの前にある。
なんてはじまるので、なんだか驚きました。
「現代の歴史学」とか「科学的な歴史認識」とかいう言葉がナンダコリャな感じ。
1.これが書かれたのは1956年らしい(1995年出版、を見て借りたけど、再収録だった…)のだけど、この文章ってやっぱり55年分古いかんじしますか?
2.この人ってマルクス主義者? ここでいう「現代の歴史学」だとか「科学的な歴史認識」とかいってるのも、マルクス主義と関係ある?
医学部に限らず、国立大学全般に言えるんじゃないのかなって思う。
私立大学だって私学助成金を貰ってるから程度の差はあれってことだけど。
奨学金みたいに回収を前提とした資金投入じゃないとダメなんじゃね?
欧州みたいに大学の学費をもっと安くしろっていう人たちはどう考えてるんだろう?
高学歴でニートだって本人はいいかもしれんけどさ、投資する側としちゃ、投資効果がないと判断せざるをえないでしょ。
まあ本人がそれでいいならいいと今書いたばかりだけど、好きで選んだ道なのに、もっと(博士の)仕事が溢れてるべきだとか、もっと高い報酬が得られるべきだとか、そういう文句まで社会に垂れ流してるわけでしょ。
そりゃ科学技術立国には高等教育は重要だと思うけどさ、なんとなく予算を垂れ流すだけじゃ還元されていかんわ。
教育現場は思想の中立って建前で、社会のために生きるとかはタブーだもん。
中立どころか寧ろ左寄り
駐車場の整理係を日本人がやっている素晴らしさがわかりますか? 「120万人の移民」に脅えるドイツの実情
| 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4642
これについて
ちょっと突っ込みたい。
移民が駐車場の整理係をしていて悪いことはない、ダメなのは単純労働者を食えなくすることだ。
2011/05/13
人気1位のコメント。
実に良識的で、一見正しい。
パーツごとに読めば正しい。
それは当然だ。
この良識性、「外国人差別しません」「職業選択の自由尊重」のタダシサは揺るがしがたいものがある。
が。
「移民ならば労働力の買い叩きに応えられるから」に他ならない。
生活保護受給者以下の生活に耐えても、
移民を増やし、
単純労働者は全体に確実に今よりずっと「食えなく」なっている。
この自明の繋がりを無視して
「移民がどんな職についても悪くない」「差別反対」なんて断片的レベルに落とし込んで話を誤魔化す。
これは欺瞞としか言いようが無い。
aozora21さんも、この人に星をつけてる人も、欺瞞に気づかないような知性の人ではないと思うので、
これは意図的な不誠実だ。
単純労働者を保護したいなら、飽和している労働力をさらに輸入するような無計画なことを控えるのが一番良い。
hobbling
低機能とか移民を差別する国に優秀な移民は絶対来ません。移民を奴隷ではなく共に生きる同朋として日本人と同じ権利を与えるのなら移民賛成。
2011/05/13
☆はひとつだが、
”一見いいこと言ってるけど意味不明”コメントの良い例なので挙げる。
「高機能」な移民にとっては良い職場で、むしろ能力を精査してくれないほうが困る筈だ。
つまり、この人の指摘は本件からずれている上に間違っている。
(ずれていようが間違っていようが「差別反対」調であれば星を受けるのははてなの悪い点)
日本人と同じ扱い・同じ給与を与えるなら大量移民は日本に必要ない。
charliecgo 差別
この名前からしてドイツへの移民らしき筆者がトルコ系移民を差別する構図がたまらんですな。名誉白人?
2011/05/13
相手の名前に目をつけながら「差別」しか言わずに言い分を封殺しようとする。
複雑さに欠け、論ずるに及ばない。
私に言わせればこの人の物言いからも濃厚な差別の匂いがするが。
(「この苗字は在日だろw」で済ませて言い分に取り合わないようなやり口と同一なのは誰の目にも明らかだ。)
hatoken
2011/05/13
こういう同類も多数。
ほかにもゴロゴロいる、職業や経歴や年齢や女性であることに汚い侮蔑を剥き出しにしながら彼女の「差別」を非難する人達は全員脳の病院にいけ。
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1と2は「話をそらして反撃したい」という、所作の共通点がある。
さらに言えば、そういう所作を選んだ動機も共通しているように見える。
つまりこの人達は
社会で影響力のある悪辣な移民推進論者とは別の、もう一方の移民推進論者なのだ。
後者の彼等は、前者のように「移民を奴隷扱いしたい」という邪悪な考えは持たない。
儲けの代わりの動機はイデオロギーであり、
「差別反対」
という概念が彼らを突き動かしている。
イデオロギーは自由だが、
彼等がその実現のために大量移民推進を選ぶのは非常に無責任で短絡的と言わざるを得ない。
「移民の奴隷労働、労働力の買い叩き、先住単純労働者の搾取激化、社会保障払底、
という必ず起こる弱者直撃の悲惨に、気付いていながら知らん振りしているからだ。
そのあなた達が、自分の頭の中のイデオロギー(というより趣味だなこんなの)のために
移民や社会的に弱い労働者を奴隷労働地獄に叩き落す、社会を混乱させて市民に苦しみを味合わせる、一部の資本家だけ栄える、
なんて現実を招来してよいのか。