http://anond.hatelabo.jp/20121205232647
「わらわら」みたいな、大手チェーンのわいわい店もあれば、個室中心の落ち着いた店もあるし。それは、客層がいろいろあるからでしょ。
カウンターがある店なら、テーブル席って言っても、奥に4人掛けの席が3つ4つある程度でしょ。
問題はさ。奥さんがご近所で飲んで欲しくない理由が「あなたのことが噂になるから」ってところが、私は解せないわけ。逆はあるよ。飲み屋の常連さんたちが、ご近所さんで旦那さんが飲んでると「あんたの奥さんは、昼間、これこれこんなことをしている」ってご注進してくれる奴は。旦那の耳に入れるのは、同じ場所で飲んでる「仲間」として当然の行為だとでも思ってるんだろ。
でもね。幼稚園で「あなたの旦那さん、夕べ、どこそこで泥酔して大変だったのよー」なんて言ってくる幼稚園ママがいる? そういう目撃は、その場にいる人じゃないと出来ないわけでしょ。旦那と同じ時間帯に飲んでて、かつ、他人のことをとやかく言える状態なんてあり?
奥さんが掲げている理由、変でしょ? 成り立たないじゃない。嘘だよ。と私は言ってるんだよ。
だから「居酒屋って場所がうんぬん」なんて言ってないで「これこれ、こういうシチュエーションなら成り立つ」ってのを例を出してみなよ。「無い」ことを証明するのは難しいけど「有る」ことは実例一つ出せばいいんだから簡単でしょ。
はい、みっともないですし、これからも表には出さないまま少しずつ処理していきます。
心の整頓をするのにとても助けていただきました。
この前潰れたソニーの工場は、時給1000円超だったが、ブラジル人労働者が多かったそうな。
高い時給つけても、外国籍の労働者を招くだけなら、国益としては直接的には意味が無いというのと
外国籍の労働者を招く余裕があるのに、自国民が仕事にあぶれるってどういう事?という話と・・・
【村上春樹】英文和訳のような人工的な文体だが、きれいで読みやすく、作文の参考になる。
【志賀直哉】簡単な言葉と短い文で、事実をそっけなく並べていく。無駄が無い文章。
私はこの二人を文章の参考にしている。他にも漱石や三島を、比喩や婉曲表現の参考にしているが、
堅苦しい文体のほうは真似しないように気を付けている。
http://anond.hatelabo.jp/20121207190354
やりたいことなんてないんだ。と気づいちゃった。
組織の中でやりたいことなんてないんだ、と気づいちゃった。
自分がやりたいことは、「絵を描く」とか、「知識を得る」とか、「ものを作る」とか。
でもそれは、他人を意識したものではなくて、他人の役に立ちたいからではなくて、
ただ、そうしたいからそうするんだ。理由なんてないんだ。
単なる一人遊びで、単なるマスターべションなんだ。
だから、組織の中でやっちゃいけないんだ。他人を巻き込んだらいけないんだ。
そりゃ、見向きもされないより、見てもらった方が嬉しいけど、
だから「やるべきこと」はやる。「できること」もやる。義務と義理は果たしたい。
でもそれだと、いつか行き詰りそうな気がする。
どうしよう。
文章力を身につけたい。
練習のためにブログを作って一ヶ月間毎日更新するようにしたら、文章を書く能力自体は上がったような気がする。
ただ、書いている内容が自分でも駄文だとわかってしまっている。
他人が読んで面白く感じる文章を書けるようになりたい。
どうすればいいんだろうか?
正確には
他人の為に自分が無理をすればいい
頑張るのは災害時みたいに命が掛かってる時だけで十分です。
ハッキリ言って無責任です。
自分が抜けなきゃいけなくなったらどうするんですか?
自らの対応次第で解消できるはずです。
ズバリいいましょう。
ID:lkhjkljkljdkljlさんの事です。
やせないとしぬ
http://d.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/
を見てみればわかるように無理をしすぎです。
昼夜逆転、起きすぎ、働きすぎです。
午後10時から午前2時のうち、最低二時間は寝るとよく分泌されると言われています。
なぜ早く寝たほうがいいのか?--知らないと損かも・・ - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133707238577790501
時間を作るべきです。
普通はそれだけ起きて活動してれば否応なしに
普通なら40代になって基礎代謝が減ったとはいえ太るはずがないのに、
ストレス発散のためにやってる日記をIDごと消しちゃたりするほど
私はストレスによる鬱気味で二十代を鬱々と生きていました。
逃げれるなら逃げ切って、
逃げ切れなければ切り捨ててでも
割り切らないと心は守れない。
そう最近は感じるのです。
自分が我慢すれば済むというのも
思考停止にすることで自分の心を守る為の自己防衛反応だと思うのです。
私の父は
私が10歳の時に、
52歳で亡くなりました。
奇しくも父も自営業で無理して働いていました。
最後には加藤茶さんが患って知名度の上がった心臓の病気で早死しました。
儲かる仕事でもない事を無理してやって命を縮めて、
実はさっき嘘をいいました。
大好きです。
LikeではなくLOVEです。
人類愛的にですが。
てんちょーさんが42歳で父がそのぐらいの歳の頃に自分は生まれたんだろうな。
と思ったら無理をしているてんちょーさんを見てたら書かざるを得ない
そんな気持ちになってしまいました。
だからこそ
無理をして命を縮めるような状況に
てんちょーさんになってほしくないのです。
亡くなった後は金銭的にも辛かったですが
やっぱり残された者は寂しいもんですよ。
自分だけではなく、
父を亡くした後の母も数年は気持ちが抜け殻のようでしたし、
その後も寂しそうにしてたのを見てましたから。
追記)
そういや、父はヘビースモーカーで
マイルドセブンやホープを日に60本は吸ってましたね。
つまり現在は金余りではなく金足らずの時代であり、それが続くと予想されるからこそ企業や家計は必死に現金や換金性の高い預金・国債などの資産を溜め込もうとしている。
なるほど、この言葉が元増田との会話の中で出てきたものということを認識しないで現在=たった今この時(少なくとも今年)と字面通りに解釈したのですね。
元増田の言うところの内部留保をどう投資に回すかが問題という時代、あるいは無借金でお金を溜め込んでいる企業が増えた状況になっている「今」のことを現在と呼んでいます。つまり、ここ数年くらいという幅のある概念です。
この期間で、何度か(あるいは均衡実質金利の概念からして累積でみて)実質金利が均衡実質金利を上回るような状態が引き起こされているということを高どまりと呼んでいます。
「適正な金利水準」は「均衡実質金利(自然利子率)」ではないというあなたのレスを前提に議論してきましたが、上記引用を読むと「適正な金利水準」を緩和の目安(「実質金利が高どまり」「本来するべき緩和には足りておらず金利が高どまり」)にしています。それは「適正な金利水準」を「均衡実質金利(自然利子率)」扱いしているようにしか見えないのですが。
「適正な金利水準」は「均衡実質金利(自然利子率)」ではない、その通りです。
「適正な金利水準」を(十分な)緩和の目安にしています、その通りです。
ここからなぜ「適正な金利水準」を「均衡実質金利(自然利子率)」扱いしているように見えるのかが分かりません。
実質金利を「均衡実質金利(自然利子率)」より小さくすることは必要条件ですが、それで「適正な金利水準」となることの十分条件を満たすとは限りません。
言い換えれば、「我々がみな死んでしまう」長期に適切なインフレ率・経済環境を達成すれば良いのであれば、実質金利を「均衡実質金利(自然利子率)」より小さくすれば十分ですが、
現実的な期間で適切なインフレ率・経済環境を達成するには、それだけでは不十分であり「適正な金利水準」は別に存在するということです。
混乱を招いたとすれば、ここ数年に(そしておそらく今後数年に)均衡実質金利と比較して実質金利が上回っている(上回るだろう)時期・期間があることも、
「適正な金利水準」よりもたった今この時現在の実質金利が上回っていることも、両方を実質金利の高どまりと呼んだことにあるのかもしれません。
どちらも期待インフレ率が低いことによって、ゼロ金利にしてさえ実質金利を十分に下げられないことに起因する事態であるので、どちらも実質金利の高どまりと呼んでいます。
インフレ率が高いほどバブルを抑制するというのは渡辺氏の文章には出て来ません。当然サマーズ効果とは異なります。
渡辺氏の文章は経済危機発生時の緩和余地・糊代を大きくするためにはインフレ率を高めにしておくべきという文脈で引用していたのですが、
高いインフレ率がバブル抑制的であるというのもそこに説明されていると誤読されたのでしたら、どこか書き方が悪かったのかもしれません。
高いインフレ率が資産価格高騰を抑制するという話はVuolteenahoらの研究に示されています。
簡単に要約すれば、人々はインフレ率が高い時には実質金利がたとえ低くても調達コスト・リスクフリーレートを高く見積り、株式投資からの純収益が小さくなると見なすため投資をひかえがちになって価格が抑えられるというものです。
より詳しく知りたいならばCampbell and Vuolteenaho(2004)やCohen, Polk, and Vuolteenaho(2005)などを読んでみて下さい。
現在の日本のインフレ水準と比較して、あるいは現在の目標である1%と比較して高めということなので、(何度も述べていますが)2~3%の目標が望ましいということです。
この程度のインフレ率が望ましいというのは一般的な考え方だと思います。このあたりの水準を目標にしている中央銀行は多いです。
より高い目標をおいておくべきという方向の議論はブランシャールのような高名な方などによってなされています。議論としては一般的になってきたという段階で、まだ結論の大勢は決まってません。
だから、「金利ギャップが負(推定)なのに、金利が高止まりと強弁し続けるのは一般的ではないと思いますが続けますか?」と前エントリで確認したのです。
なぜ「だから」でつながるのか意味がよくわかりません。金利ギャップが負なのに金利が高止まりしていることがあるのは強弁でもなければ、よくあることです。