はてなキーワード: 貧困家庭とは
https://anond.hatelabo.jp/20210731183707
「データがない」というコメントが多いので、横からだが俺が2014年10月に投稿した増田を再利用させてもらう。
当時は「ケーキの切れない非行少年たち」も出版されておらず、ブコメ等でも全く反応がなかった。
今でも「知的障害者 犯罪率」で検索すると上位に表示されてしまう。間違い等があれば訂正したいので、指摘してほしい。
以下本文。
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反応あれば適宜追記。
療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。
・にも関わらず、新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合は22.8%
・新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合を22.8%とした場合、11.5倍受刑者になりやすい
・30%として16.7倍
・その大半が療育手帳を持たない、軽度・中度の知的障害者である
→療育手帳を持たない知的障害者の犯罪率は、健常者よりもかなり高いのではないか??
→ 情状酌量を得られない
ことが原因
知的障害者は「健常者が執行猶予を得られるような微罪での実刑が多い」ならば、
「健常者でも執行猶予の付かないような殺人等の重犯罪の割合」は、「健常者よりも低くなる」はずである。
・しかし、知的障害者の犯したその内訳をみると重犯罪の占める割合は健常者よりも高い。
・強制わいせつ・強姦(含む致死傷)の割合は、健常者の1.8倍。
仮に
と考えたとしても、
・依然、新規受刑者の19.5%をIQ70未満の知的障害者が占める
・知的障害者は再犯率が高く、資料によっては、前受刑者の5割近くが知的障害という記述も有り
・男性でいうと、小・中卒の入所率(219.0)は,大卒(6.9)の31.8倍
療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。
・大半が療育手帳を所有しておらず、本来受けるべき福祉の支援の手からこぼれ落ちている
・療育手帳を所有しており、福祉に捕捉されている知的障害者の犯罪率は低い
平成24年の刑法犯の検挙件数は、約28万人(除く、自動車過失運転致死等)
平成24年の推定「知的障害者」数は、約320万人(1億2751万*2.5)
新受刑者に占める「知的障害者」の割合と、検挙者に占める知的障害者の割合が同一水準と考えるならば、
毎年約50人に1人程度の割合で、「知的障害者」が刑法犯として検挙されていることになる。(28*0.228/320)
・療育手帳を所有し、福祉の庇護下にある知的障害者の犯罪率は、健常者と比べて高いわけではない
→刑務所内において、受刑者の療育手帳の取得と施設への入居や、支援者との接続を後押しすべきではないか
・支援者の手が足りない、予算が足りない、周辺住民の無理解等が今後の課題
・累犯障害者が必ずしも従順ではなく、むしろ「可愛げがなく、面倒くさく、社会的な能力に欠け、反社会的」であることがままあるため、継続的な支援を行うことが難しい
・毎月数千円程度、自動引き落とし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85
法務省:研究部報告52「知的障害を有する犯罪者の実態と処遇」
http://www.moj.go.jp/content/000121755.pdf
障害福祉情報システム「 平成20年度厚生労働科学研究 障害保健福祉総合研究成果発表会報告書」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/kousei/crime/index.html
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/mokuji.html
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_kousei.html
http://tmaita77.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html
自分は今フリーターをしているが、色々あってあと数年は親の扶養から出られない。将来就職をするとしたらギリギリの年齢になってる。
とはいえ周りの友人のようなプレッシャーもないし衣食住にも困ってないのでウィンウィンだと思ってる。そこそこ貧困家庭なので、こういう経済的依存はしょうがないのかなと思う。
でも、自分が近い将来就職なりなんなりして家を出ていきたい、という話をしたら母親は不機嫌になりそんなことさせないぞという態度を取ってきた。そうなったら私はどうやって生きていけばいいのか?みたいなことも言われた。
そりゃ確かに、親と一緒に住んでいれば家賃も水道光熱費もタダだ。自分は家に金を入れる気が一切ないので貯金も出来るだろう(以前うちの親に社会人になったら家に金を入れるべきかと聞いたら「その金を全部使う」と言われたので死んでも入れない)。だが実際そうなったとしても、それを決めるのは自分の権利であると思ってるし、親の勝手な言い分で自分の生活を決定されたくない。親に寄生してる癖に何言ってるんだと思うかもしれないが、そもそも親のせいで扶養から出られないんだからな。
子供が出ていけば費用も浮くし、家事とかの量も減るんだぞ。それは母親にとってもいい事じゃないのか。
子供は親の介護要因なんだろうか。親の孤独を解消するために生きているのだろうか。違うだろ。
現在両親はあんまり関係がよくなく、単身赴任している父親が帰ってきたら恐らく母親は気が狂ってしまう。それもあって自分ら子供を引き止めておきたいのだろうが、なぜ親の仲介人にならねばならんのだという疑問がわいてくる。
一方でそんな母親を放っておく自分は非情な人間なのかもしれないとも思う気持ちも少しはある。
妹は「親の介護は絶対しない」と言っておりはなから頼りにならない。もうすぐ結婚して出ていくだろうし。
毒親とまではいかないけど、子供に心理的に依存してくるのはよろしくないと思う。
閉鎖的な家庭で育ってきたせいか、最近まで親が間違ってるのかもしれないと気づけなかった自分も悪い。だから自立を引き止める親を置いていくことに罪悪感を感じてるんだろう。
親と一緒にいてはまずいと最近感じはじめて、家の中では距離を置くようにしている。20歳を越えてようやく反抗期が来たのかなとびっくりしている。
自分が幼稚で他力本願なことは承知している。だからこそ、そこから抜け出したいと思ってるんじゃないか。うちの親は子供に一生子供でいてほしいようだ。
貧困問題のライターさんが、とある編集者さんと連絡が取れなくなったとTwitter上でSOSを出していた。
この方、勉強はできるのだろうけれど賢くないなって思っていたのだけど。その編集者さんにマイナンバーを教えてしまったらしい。
Twitterに流れてきたのだけれど、二度見した。マイナンバーって会社に出すときか、確定申告以外では使わないよ。貧困だからとか弱者だからって話じゃない。
内閣府のページを確認もしないの? いくら仕事上の相手でも即答せずに自宅に持ち帰って確認しない?
ねえ、高卒の私でもそれぐらいするよ。
被害者を叩くって大げさに言っていたけれど、貴女だって他人のこと叩きまくっていたじゃん。正義の名の下に。正論で相手を殴ってたよね?
こんなんじゃ大手企業に就職不可能だよ。地雷案件だよ。編集者の方助けてくださいって言ってたけど、無理だよ。怖すぎて仕事でも関わりたくない。一般常識がなさ過ぎるし貧困家庭出身だからっていう理由でもない。
今は若いからで何とかなるだろうけれど、本当に賢くなった方がいい。自分の個人情報は最小限にしか開示しない。プロバイダーアドレスや私用の携帯Noやアドレスは身内にしか明かさないぐらいの用心はした方がいい。
日本のリベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸のリベラリズム。
これが一体どういうものか?と日本のリベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。
ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
だから恥ずべきことは何もないのだ。
しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身の政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸の一般人が理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。
米国西海岸のリベラリストは総じて3つの決まりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。
日本のリベラリストにも理解しやすいお題目だ。
読んで字のごとく個人個人の選択を尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの。
米国西海岸のリベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸のフェミニズムへも強く影響しており、日本のフェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要なものだ。
最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽の奨励という文化だ。
自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽の奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽の文化」なのである。
この「自己研鑽の奨励」という文化を理解しなければ米国発の文化的思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。
最近の日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力を社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。
しかし、米国は自己研鑽の努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ。
つまり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力をしろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。
例えば日本の労働者の一部には「KPI」という言葉へアレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽、努力教の臭いを感じないだろうか?
ステレオタイプな米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽の奨励という米国文化が元になっているのだ。
つまり米国には右派のマッチョイズムや左派のマッチョイズム、共産主義者のマッチョイズム、カルト宗教信者のマッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。
もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。
日本国内で恥を捨てた者が問答無用に迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在と問答無用に評価される。
様々な方面から米国西海岸のホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。
これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレスを無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。
ホームレスが自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスにだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!
こういう指摘へ対し米国西海岸のリベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為が不可能な者には自己研鑽可能な環境を用意する」という方法を解決手段として選択している。
例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人を優遇して白人黒人を合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸のリベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ。
私自身も少々理解に窮するが白人黒人はアジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人の自己研鑽の評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。
ホームレスの子供へも同様に米国西海岸のリベラリズムは自己研鑽するための環境、例えば学費の無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活に自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。
ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸のリベラリズムには用意されていない。
個人の選択の尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人の選択として自己研鑽しないような者に与えられるものは米国西海岸のリベラリズムには何もない。
米国西海岸の社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。
例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策と解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米のリスペクトでベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベートの時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。
これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策のチキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか。
などと書くのは大袈裟なつまんない話なんだけど、
かつてこの国ではね、一億総中流とか言われてた時代があったのよ。
一部少数の上流家庭はいるだろうけれど、下流の貧困家庭というものは払拭されてみんな中流なんだ。
という感覚な。
これが特に批判もされることなくテレビなんかで公言されてたの。
なんで批判されなかったのかと言えばみんなその通りだ、わたしもあの人も皆んな中流だと思ってたから。
これを書いてるわたしも子供ながらにうちは中流だな、と思ってた。
そんなわけねえよな。
少なくともウチはどちらかと言えば貧乏だった。
冷静に考えれば中流ではなかった。
でもさ、時代の空気なんだよ。
とにかく景気が良くて湧き上がるような時代の空気。
母子家庭でも普通に暮らせる社会を作るのは政府の責任、ってのはよくわかった。それには大いに賛成する。
政府の立場として納税者を増やしたいのは当然で、それをある程度はやりきった上でじゃないと貧困家庭を作らない政策が実現できるとは思えない。だからまず保護を受けない人生設計をしてほしい、は正論なんじゃないの?
例えば、10代でシングルマザーになって良い仕事が見つからないのは政府の責任なの?職業訓練なんかもあるだろうけど、10代でシングルマザーになる人が職業訓練を受けてる姿を想像できない。子育てしながら職業訓練?本当にできるの?だったらまず、10代の出産はちょっと考え直さない?という話だと思う。
貧困の連鎖が家庭の教育や周囲の環境によって引き起こされてるって聞いたことがあるような気がするけど、まず10代の出産を思いとどまらせるのはその人生設計が破綻しないための最初の提言なんじゃないのかな?無理のない範囲でやってもらうことだと思えるけど。どうしても10代で出産しなきゃいけないの?シングルマザーって本当にキツいから、そこからの復活は本当に難しいんだよね。