はてなキーワード: 自分本位とは
結構長いこと友達をしてたんだけど、自分本位なところがあって自分が精神を病んだ時に話をしててすごい辛かったので3年くらい距離を置いてる友達がいる。
だいぶ自分の気持ちは持ち直したけど、その子の話題がでると脂汗がでてくるのでもうちょっと会えないなって思ってしまう(辛いことをフラッシュバックがする)
友達は合理的な思考をしてて本人は工夫してショートカットをしてるつもりなんだろうし、たぶんそれで友達を減らしているようなところがあると思ってる。
そういうところ本人もわかってて治したいと思ってるぽいんだけど出来ないらしい。
プレゼント入れてた袋はともかく包装紙、ビニールのパッキング、プレゼントが入ってた箱とかできる限り捨てていく。
(カフェとかで渡したら)お店に迷惑じゃない?ってやんわり言っても治らなかった。
確かに受け取った時点で本人のものだけど、ハンドメイド品とかをもう利用しないから捨てたって挙げた人の見える所でツイートする。
結構重い本を持っていき、ファミレス等で見たいページを読んだらもう必要ないし家に持って帰るの重いからと言われたけど、その重たいものを持ってきたのは私なんだが。
・物の受け取りをお互いの帰り道の中間でしようと提案するが、私の会社まで取りにくる(同僚のうろうろしている道で物々交換はしたくなかったという意見は却下)
・一日一緒に行動する際に体調不良や機嫌が悪いことを言わないが表に出す。(態度に反映されるので実害があるので、正直に言ってほしい。)
基本的に友達に不利な提案であっても、彼女の意見以外は聞いてもらえない。
自分を優先してないのでいいだろうと思っているっぽいのだが、自分本位な意見を最初から言われたほうがうまくいく場合が多い。
・体調不良っぽい→痛止、胃薬、風邪薬(即効性のと、漢方)と水を持ち歩いてた
・借りたいって言われそうな本の興味ありそうなページ→好きだったよね?っていって写メで送る。
・プレゼント→過剰包装じゃなくて、すぐに身に着けられるものや消耗品
・機嫌悪そう→飴、ガム、チョコを持ち歩き(だいたい食べてなくて低血糖が原因)
そういうことをするのは好きだったし、負担でもなかったんだけど精神を病んだ時に全く出来なくなった。当たり前だよね、着替えるのでさえ気合をいれないと出来ない状態でそういう気遣いできなかったんだよね。
そういう時に、「増田って気遣い出来ないよね、自分本位だし」って言われて、なんか上手く呼吸が出来なくなったんだよね。そこから距離を置いてる。
嫌いになったわけじゃないし、元気かな?とは思う。
楽しいこともいっぱいあったからまた遊べたらいいなあって思うよ。
友達のことを書いたけど私にももちろん悪いところもあってお互いに助け合うってことがある前提での話です。
あと、ここで例にあげたのは私とのやりとりが中心なんだけど、同じことを他の友達にもしてて、そのたびに怒られてた。
物事が終わってから、ここが悪かったって言われると理解するし指摘しなくても気づきがあるみたいなんだけど、
始める前にそうならないように指摘しても理解できないみたい。
友達自身『自分は凄く気遣いをしているつもりなのに結果的に自分勝手になる』って状況に疲弊してるんだと思う。
何回も何十回も私も周りの友達も彼女に対して「したいことをはっきり言ってその上でできるかどうか話し合おう」って
言ってるんだけど必ず遠慮をするんだよね。
例えば上で出した「家まで送迎するといえば、車を止めにくい場所を指定される。」を例にだすと、
そういう障害なのではということも含めてこの辺は私も他の友人たちも理解しているところだよ。
全く気付かないとか、私を利用してやろうとかの悪意があるとかならもっと早くに友達を辞めたりできたんだろうけど、
友達自身には気づきがあって苦しんでるみたいだからそれなりに上手く付き合える距離を図ってる。
なんで友達にこうまでするのか?というと私自身にも友達と似たよう思考することがあって、
気遣いしてるつもりで気遣いできてなかったこととか周りに対して言い過ぎたって思うこととかあるし
周りの影響でそういうところを直したり、マシになるようにしてきたところがあるので
【長文・重い話題注意!】
夕方に誤って途中で送信してしまいました。書きあがったのですが修正の仕方がわからないため再度投稿します。
夫と喧嘩した。
お前の価値観はそんなにも重要なものなのか?考えをまとめて来いと言われた。
夫側は職場で聞いてもらい、友人にも話した結果、自分は悪くない!(゜∀゜)という顔をしていた。
ただ私には夫のように気軽に連絡をとり、重い内容を聞いてもらうような友人はいない。
職場の人?職場結婚したこともあって、プライベートなことは話さないようにしている。
それに、考えをまとめながら話すのが苦手だ。
だからここで吐き出させてほしい。
彼女はハーフかクオーターらしく、苗字とカタカナの名前だった。池田エライザ(仮)みたいな。
社内報に顔と名前が出ていたらしく、私は知らなかったが有名人らしい。
「エライザちゃんと今度のイベント一緒なんだよ。社内報見た!?
うわぁ、気持ち悪いおっさんだな。が私の初めに出た感想だった。
ちょうど数日前にtogetter で気持ち悪いおっさんのまとめを読んだばかりだ。
夫は過去の職場でも男性でも女性でも新人にあだ名をつけて呼んでいたらしい。
池田くんなら池ちゃん、秀樹ならヒデちゃん、本名を知らないがモエちゃんもいたな。
職場である程度人間関係ができた上でつけるあだ名なら、本人たちの関係性もあるからまぁ許す。
夫は職場で苗字被りがあった時に、苗字さんは先住さんで、僕は下の名前で呼ばれていると言ってたし、
まあ職場内でのことだから、最悪上司が注意するだろと思っていた。
つまり夫は初対面の女性をいきなり名前で呼ぶう上に、エラちゃんと呼ぶつもりだったらしい。
さすがにそれは無い。セクハラだと言うと、
「でも僕、名前覚えられないからあだ名じゃないとー」とか言い出すので、
「初対面の女性をいきなり名前呼びしてさらに、名前にあだ名呼びするつもりか、
向こうの身にもなってみろ、
君は会社では先輩だろう?
初対面の先輩にいきなり名前で呼ばれてさらにあだ名をつけられ、呼ばれて嫌ですって言えるか?
セクハラだ、この間togetterで見た、気持ち悪いおっさんと同じだ。
ただでさえ名前で人よりも注目を集めて好奇の目に晒されているだろうに」
そう言うと
ふてくされて「わかった…」
絶対やるなよと念押しすると「わかったから!どっか行って!僕は繊細だから、君に言われると特に傷つくんだ、考えた方がいいよ!」と言って別室に閉じこもって、プラモデルの雑誌を読んでいた。
正直、コイツ口だけだなと思った。
過去の職場でのあだ名の件もあるし、私は夫のセクハラ関連観念は全く信用していない。
数年前のデート中の映画館の待合でいきなり「ブラジャーって意外と固いんだね」と通常の声で言い出したぐらいだ。その時は頭の中が真っ白にになってチケット買ってくれていたけど、
映画を見る気は失せたし、この場からすぐにでも立ち去りたいと思ったが体が動かなかった。
実際、その発言を聞いた人ギョッとした顔や好奇の目は未だ覚えている。
そして今でもそのことをこちらから言うと、「女性経験の少ない男の素直な驚きがそんなに悪いのか」と言って怒り出し、家を出ていくぐらいだ。
発言内容もだけど、映画館の待合という人の多いところで他人にも聞こえるような声でそんな発言をされたこと、そして好奇の目に晒されたことが、そしてそれが信用していた人の発言だから余計にショックだったのは理解していないらしい。
それ以外にも、私は生理痛が重くて生理になると吐いて寝込んで動けなくなってしまう位には重いのだけれども、夫はどうしていいかわからないから、おかんに相談したーとあっけらかんと言われた時は生理痛以上に気が重かった。
どうやら夫は私が生理痛が重くてひどいのを相談と言う名のスピーカーしていたようだ。
私は身内だからまだ良いが、人様に迷惑をかけ、嫌な思いをさせることはできない。
そんなわけで私は夫のセクハラ関連は全く信用していない。
それに夫は何をもって「気持ち悪いおっさん」なのかを理解していない。
夫はおしゃべりなので、1聞きたいことを5ぐらいで喋る。
20年前にできた新館を最近できたと言ったり、
その知識は違っていることが少なくない。
エラちゃんとしゃべりだして夫は意気揚々と間違った知識を披露するんだろうな、
エラちゃんは、先輩だからと拒否も逃げられもせずと思うと頭が痛い。
なにせ自分自身も昔同じようなことがあったのだ。
togetterの該当ページを読ませて、夫に釘を刺した。
夫は「あーハイハイ」と言った後、ふて寝をした。
途中うなされているようで呻き声がしたので見に行き声もかけたが、
僕がうなされてた?何も言ってないよと言ってまた寝た。
私もその日はもう疲れてたしそのまま寝た。
翌朝起きて朝食を摂っていると、NHKで痴漢撃退に安全ピンの是非とシャチハタの商品開発のニュースが出た。
痴漢対策に「安全ピンで刺す」→シャチハタで痴漢と押すのがいいのでは→シャチハタが本気で商品開発にという流れのニュースだった。
この件でシャチハタは何も悪くない。むしろ開発頑張って欲しい。
夫がこのニュースを見て、「蛍光塗料で作ったらいいよ!」と意気揚々と喋りだした。
痴漢をさせないため、これ以上被害に遭わないためのの安全ピン策なのに、シャチハタで蛍光塗料、しかも痴漢を逃さず捕まえて警察に引き渡すことが前提。
「痴漢を捕まえて逃さないで手の証拠を見せる」のは言うほど簡単なことじゃない。そこまでの労力は?私は実際に痴漢にあったことも、痴漢を捕まえたこともあるからその苦労の一部はわかっているつもりだ。
つまりシャチハタで蛍光塗料がナイスアイデア!と思うこと自体論点がずれている。
夫の発言を聞いて私は怒りと悲しみと入り混じった複雑な感情になった。
「手についてたら決定的な証拠になるよ!」
ああ分かっていないなと思った。目の前が真っ暗になった。
「そうじゃない、そうじゃない、論点がずれてる」としか言えなかった。
泣きそうになって、声を荒げてしまった。
これを私が激昂したと夫はとったらしい。
機嫌悪く「先に行く」と言って出勤して行った。
私は気持ち悪いなと思った。
昨日の夜はセクハラする側の発言をしていたのに、すぐに同じ口で痴漢の被害者側の発言をする。
私自身、痴漢にあったこともあるし、逆に他の人に痴漢しているのを捕まえたこともある。
セクハラにあったこともあるし、ストーカーにあったこともある。
夫がセクハラする側の発言をしたのもショックで気持ち悪いと思ったし、何よりも自分は全く何も悪くないと思っているのがこたえた。
夫側の主張は
①シャチハタのニュースで蛍光インクの発想、何が悪いのかわからない。
僕は痴漢をしないし僕の周りにもそう言う人間はいないから、職場で聞いたが蛍光塗料がいいのではの発言は何が悪いのか、なぜ激昂したのかまわりの人も理解できない。
②初対面で名前呼びしてあだ名よびする件は、職場でも話題にしたが、まだしていないのだし夫さんがしなければいいだけのことと言われた。クールダウン(別室でプラモデル雑誌読んでたこと?)してるところにわざわざ来てわかったと言っているのにtogetterを読ませるのはしつこい、引くと職場の若い子(男性)にも言われた。
その際の「私だって気持ち悪いおっさんの奥さんとは思われたくない」が、
僕がセクハラオヤジになって人に迷惑をかけるのが嫌なんじゃなくて、自分のプライドのために言った言葉で自分本位。
→僕は気持ち悪いおっさんじゃないし悪くない。どうして激昂するのか不明。
君の価値観はそんなに大事にされなきゃいけないのか、友達か職場の人にでも話して女性の意見を聞いてこい。
私側の主張は
①シャチハタの件はそもそも痴漢をさせないため、これ以上被害に遭わないためのの安全ピン策なのに、あなたのシャチハタで蛍光塗料、しかも痴漢を逃さず捕まえて警察に引き渡すことが前提。
「痴漢を捕まえて逃さないで手の証拠を見せる」のは言うほど簡単なことじゃない。
シャチハタで商品開発する側からすれば、特殊インクでというのは落とし所だというのは私も納得できるし、それそのものは否定しない。商品化がんばってほしい。
それよりも昨夜はセクハラする側の発言をして指摘されてキレていたのに、すぐに同じ口で痴漢の被害者側の発言をした方がショック
セクハラは加害者よりの発言をしたすぐ後に痴漢は被害者よりの発言をする。
私自身が性的な嫌がらせの被害で嫌な目にあったこともあるのを知っていても理解していないのが残念。
②あだ名の件は、過去の職場のあだ名呼びの件もあるし夫のセクハラ関係観念は信用できない。
わかったといいつつふてくされるところ、一度注意してもでもでもと言ってあだ名呼びしようとするところ。
呼ばれる側は「名前が覚えられないからあだ名をつけてエラちゃん」のあなたの理屈は一切関係ない。
初対面で違う部署の仕事の先輩、断れない相手から突然あだ名をつけられてエラちゃんと呼ばれる。その事実があるのみ。
駄目押ししたのはしつこかったかもしれないが、そのまえのやりとりとふてくされた「わかった」は理解しているとは到底思えない。
→初対面の女性をあだ名で呼ぶこと自体、指摘されるまでやってはいけないと思っていない。
結局しなかったんだからいいじゃんではない。私にあだ名はエラちゃんかなーと言った時点で私には表現している。
しないのならそもそもそれすら言わない。
駄目押しはしつこかったかもしれないが、夫のセクハラ観念は信用できない。
セクハラダメ!痴漢ダメ!と口では言うが、痴漢つかまってよかったね、セクハラなくなってよかったね終わり!みたいな。
いや、捕まえたり告発するまでめっちゃ大変だし、それまでにした嫌な思いや怖い思いは無くならない。
それ以降もついてまわる。
被害にあった側の恐怖心や捕まえるための苦労なんかの周辺で起こることを認識していない。
わたしはそちらに重きを置いているのだけれども。
少なくともエラちゃんに嫌な思いをさせたくない。
お前の価値観はそんなにも重要なものなのか?考えをまとめて来いと言われた。
前述した通り、私には気軽に重い話をする人間関係がないので、ここで書かせてもらった。
できれば男女その他どの立場からなのかも添えていただけるととてもありがたいです。
夫との相互理解は得られない落とし所のない話になるのではないかと思っています。
この意見に反対派の人に勘違いしてほしくない大前提として、「死にたいなら一人で死ぬべき」という気持ち自体は正しい。
無関係な人を巻き込んで自分も死ぬ、という行動自体は正しいわけがない。
死ぬ人は少ないほうが良いに決まっている。
それ自体は藤田さんも否定していないし、分かっているのではないだろうか。(勝手に言って違ってたら申し訳ないが)
じゃあ何が問題か、というと被害者を責めるだけの話でこの事件が終わってしまい、「死にたいなら一人で勝手に死ね」という風潮が日本社会全体に蔓延してしまうことである。
少し話が大きくなるが、「他人に迷惑をかけるな」という考えが、世界全体としてどうかは知らないが、少なくとも日本には強く根ざしていると思う。
(実際のところは「自分や自分の親しい人に迷惑をかけ得る行動はするな」かもしれないが)
でも、この考えって息苦しくない?と、とても思う。
人間も生き物である以上は自分本位だし、自分本位である以上他人と関わる際には迷惑をかける。
本当にダメな迷惑は法で制限されるのだから、多少の迷惑であれば見過ごすべきだし気にしないべきである。
しかし、私自身この「他人に迷惑をかけるな」という考えに強く縛られており、他人と関わる際に過度に他人に迷惑をかけないよう気にしてしまう。
その結果、「他人に頼らず一人でやった方が他人に迷惑をかけなくて済むな」という結論に落ち着いてしまう。
そういう人はとても多いと思う。
多くの人がそう思ってるはず(データは持ってないが)なのに、心理的にそうなれないのは、「他人に迷惑をかけるな」という考えが日本人に強く根ざしているからだと思う。
個人的には少しずつで良いので「かけすぎなければ迷惑かけてもいいよ」「失敗してもいいよ」という風潮になれば良いなと思う。
宗教っぽい見出しになってしまったが、話は大きく変わり、私は大学で統計学やプログラミングを学んだ。
どちらも「どのような状況でどのような結果になるか」を考えることが多いと思う。
プログラミングでは常にそのようなことを考えることになるだろうし、統計学では回帰分析などで特にそういった考えが強くなると思う。
ということをする。
ある人の行動を100%予測するのに必要なこの世の全てのものを把握できるわけではないので、予測はあくまで予測であり、100%完璧な分析は現在のところはできない。
でも、この世の全てのものを把握できるとしたら?
妥当な家賃をぴったり当てることができるし、ある人の次の瞬間の行動を100%的中させることができる。
ということは、それを逆に考えると、「ある人の行動はその一瞬前の世界の状態で既に決まっている」ということになる。
ここで、その一瞬前の行動は何で決まっているかというと、さらにその一瞬前の世界の状態である。
では、そのさらにその一瞬前の行動は...?とずーーーっと遡っていくと、「世界が生まれた瞬間に全ての物事は決まってね?」という結論に達する。
世界が生まれた瞬間ってなんだ?などと思うが一旦考えないことにする。
仮に犯罪を犯した人の育った環境、特に父母が悪いとする。ではその父母はどうしてそのような教育をした?というと祖父母まで遡ることになるし、その祖父母はどうして...?と遡っていくと、人類が生まれたときには既にその人が犯罪を犯すことは決まってた、ということになる。
全て、この世界が生まれた瞬間に決まっていた現象であるということになる。
運命はあるのかどうかと言えば、むしろ運命しか存在しないし、自由意志があるのかどうかと言えば、自由意志のように見えるものは存在するが実際には全て決定付けられたものでしかないし、それは自由意志ではないのではないか、ということになる。
「努力してこんなに凄くなりました!」
という成功談も、結局はそういう運命の元に生まれただけで、運が良かっただけだし、
「家庭内暴力を受け続け、学校にも行かせてもらえず仕事も見つからず、50になり親もいない今、死ぬしかないと思った」
という悲惨な話も運が悪かっただけということになる。
運命という言葉が運と命という文字で出来ているのも妙に納得できる。
自由意志に見えるものはあるのだから、それに従って決断し行動しなければいけない。
罪を犯してしまう人が生まれてしまった以上捕まえなければいけないし罰を与えなければいけない。
結局することは変わらない。
この考えは、
「下にいる人を蔑んではいけない」
といったような戒めのようなものにしかならないが、そういう考えが今の日本には必要なのではないかと感じる。
昔からの言葉で言えば、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉にはこのような考えがあるのだと思うし、情状酌量なんかがあるのだろう。
最近話題になったもので言えば、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞が似たものかなあと思う。
話を戻すが、1人の精神的にやられている人がいるとしよう。
そんな人がネットを見て、「死にたいなら一人で勝手に死ね」という言葉が並んでいるのを見たらどう思うだろうか。
なんとも思わない可能性もあるが、少なくとも気分が晴れることはないと思う。
「冷たい社会だなあ」と思ったり、人によっては更に落ち込んで「じゃあ死ぬか...」となるかもしれない。
もしかしたら、そこでまともな思考ができなくなり社会を恨み始めて通り魔になる可能性だってあるのだ。
ごくわずかな可能性かもしれないが、そのごくわずかな可能性で今回の事件が起きてしまった可能性も否定はできない。
今日ある1人が無差別殺人を犯す確率は低くても、今日ではなく例えばこれから5年間、ある1人ではなく日本人全体のうち誰かが、となると無差別殺人が起こる可能性は100%に近づいてしまう。
殺人はいつか起きてしまうかもしれないけど、せめてこの5年という数字を10年、20年にするために、社会をよりよく、暖かくしていこうよ、というのが今回の藤田さんの発言の意図ではないかと私は思う。
何か悪いことが起こったとき、その起こったこと自体や起こした人を責めるだけではなくて(もちろんそういう意見もあってしかるべきだとは思うが)、その根本的な原因を考えて改善していく社会になれば良いなと強く思う。
匿名投稿サービス、特にTwitterでは多いが、ある一般人の失言を何十人、何百人もの人がバッシングしているのをよく見る。
「死ね」とまで言う人もいる。
5chで死ね死ね言うのなら確実ではないが本人に届かないのだからまだマシだが、リプライで直接言うのである。
特に、オタクは学校でいじめられやすいが、そのオタクがTwitterでいじめてるのを見ると虚無になる。(もちろん必ずしも、Twitterいじめている人=学校でいじめられた人 ではないはずだが)
そろそろ誰かしら捕まってほしい。
ぶっちゃけるが、よく見る「被害者(遺族)の前でも同じこと言えるのか」っていう発言はいかがなものかと思う。
遺族に「これこれこう思ってるんですか?」って聞かれれば正直に「はい」と答えるかもしれないが、何も聞かれてないのに遺族の前で同じこと言うわけがないし、遺族以外に言えと言われて言うわけがない。
男友達の間で「おっぱいもみたい!」って言ってたとしても、取引先の目上の女性の前でも「おっぱいもみたい!」って言うか?言わないだろ。頭おかしいのか。
最初に言っておくと、映画版は滅茶苦茶面白かった。第2期(途中脱落)のグダグダさは何だったのかと思うレベルなので、1期が好きだったなら絶対に見に行った方が良い。ギャグ・愚直な面白さをメインに追求した作品は実は希少なので、ちゃんと売れて欲しいと思う。
で、本題なのだが、映画オリジナルのヒロインが非常に引っかかる造型なのである。作品が面白いし上手く脱臭しているので観ている間は全然気にならないのだが、「これさすがにどうよ?」と言う造型である。(ちなみに「どうよ?」と言うのは別に消せとか変えろとか居ない方が良いとかでは断じてない。気になったことを書いてるだけである)
あ、一応ネタバレなので、観てない奴はとっとと映画館行ってから読んでくれ。
・六つ子が集団でワチャワチャしているのを見るのが好き
と言う造型である。
まあ、見ての通りこれはメインの客層(と、制作者は判断しているらしい。基本的にはノイジーなだけで、1期のヒットはもっと広い層だったと思うのだが……)である腐女子を擬人化?した存在である。で、物語上六つ子はこの子を追いかけ追い求め、結局何も受け取らずにスゴスゴ家に帰るいつものオチを迎えることになる。
未来(現在)の自分を規定した円環構造だろうとか、そう言うどうとでも取れる話は置いておいて、基本はこう。
で、あのヒロインは、ビックリするほど利己的で自分本位で、ゲロ吐きそうなくらい嫌な奴である。
何故か?
彼女は、六つ子の事が好きだと言いながら、仲違いした六つ子の話を聞くでもなく、話をするでもなく、キモイ手紙を書くだけで何一つ力になろうとしない。
散々六つ子を鑑賞して楽しませてもらっておきながら、恋人は愚か六つ子にとって喉から手が出るほど欲しいであろう「普通に話をしてくれる女友達」にすらなろうとはしない。まあ、それを正当化するための病気設定なのだろうが、高校3年間+卒後数年間しっかり生き延びてるので(OP/EDの解釈は幅があるだろうが)何をかいわんやである。
フェミニスト様なら女子の接触には性的リスクガーとか言うのかもしれないが、そしてあの六つ子がリスクの固まりだというのはその通りだが、友達にもなれないほどリスキーな相手にあんな手紙を送るのも相当なタマである。
「あなた(達)は見ていて楽しいので、そのままでいて下さい。人生悲惨だろうけれど。あと、私はあなたと恋人にも友達にもなる気はないけれど、そんな私からも遠慮されるようなあなた(達)でいて下さい」と言ってるわけである。クソ過ぎる。
六つ子を終始利用してやろうとしつつもちゃんとリスクを取っているトト子の方が、余程首尾一貫していて好感が持てる。
むしろ、「馬鹿でクズな六つ子の無様を楽しむ」作品を観ている我々視聴者への皮肉と見るべきなのかもしれないが、そう言う意図で出したのだとしたら、あのヒロインこそ笑いものにしてケチョンケチョンに貶さなければ意味が無い(馬鹿にされないギャグマンガのキャラは、役割を与えられないに等しい)。
繰り返すが、「えいがのおそ松さん」は傑作だ。もう一回くらいは劇場に行くだろうし、Blu-rayが欲しくなるかもしれない。でも、あのキャラは折角視聴者の願望コピーという属性を与えながら綺麗なままギャグマンガから退場してしまったあのキャラは、余りに異質だし片手落ちだと思う。
六つ子に感情移入していれば多分もっと怒り狂えるはずなのだが、勿論ギャグマンガはそう言う作品ではないので、文字通りの「引っかかり」だけが残ることになった。想定メイン視聴者層は、あのキャラに感情移入して泣けたりするのだろうか?だとしたら、非常に良くできた造型と言うべきなのだろうが。
増田に書くことによって渋谷ハジメというしょうもない男を周知できる気がする。
でも書くとなったら渋谷ハジメについて詳しく書かなきゃならなくなる。
でもすごく単純に言えば、配信もつまらない上に配信に協力してくれた他の配信者に対して蔑ろにしたり、更には配信で知り合いが演奏してくれたという体で勝手に他の動画サイトから引っ張った音源を使って歌い出したり。
やることがしょうもなさ過ぎて嫌いです。
。
企業所属を振りかざす癖にやることが個人配信者以下なのもそうです。
困ったらイケボ出せばいいと思ってるところとか嫌いです。
散々世話になった人に対して世話になったと思っていないと透けて見える部分が嫌いです。
ファンのことを大切に思ってる風に見せてやることなすこと自分本位なのが嫌いです。
そして、その自分本位な行動がファンの為にならない事も嫌いです。
YouTubeというプラットフォームで勝負しなきゃいけないからか、数字で一喜一憂してる様子が見えるのも嫌いです。
気にしてる癖にファンサービスを理解出来てないのが致命的で嫌いです。
ましてや、著作権違反を指摘されて活動自粛したにも関わらず、著作者の返答も待たずに復活したところとかクソです。
熟成されたクソです。
そんなに相手のことが好きなのに、相手の意見を尊重できないって、どういうこと?
性格が良いから好きとか言ってるけど、要は外見が好みってだけでしょ。
それ自分に帰ってくるん分かってるか?他人の表現を「俺は見たくない」が「自分勝手」「自分本位」以外の何だってんだ
ふーん、 まあどちらも自分勝手、自分本位の批判からはまぬがれないんでクローンみたいなもんですわな
https://anond.hatelabo.jp/20180625174620 表現の自由戦士は何故批判の自由は認めないんだろうか。好き勝手に何を表現してもいいが批判の自由がない、なんて国の方が恐ろしいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20180620184929
ロリコン漫画だと勘違いして必死に擁護してた表現の自由戦士たちが、実はこの漫画はロリコンにとってなんの価値もないどころかクッセェ女の願望垂れ流しイケメン崇拝漫画だったと知っても尚必死にトラバ粘着で擁護を続ける気があるのか?
それは確かに興味深いな
このあいだいろいろあって数年間憧れてた人に認識されてるって知ったんですよ。
ネット上でしか知らなくて、繋がってもいないんですけど、なんだか知られていたわけです。ここ詳しく書く気ないので好きに想像して。
そこからは嬉しさと恐怖がもうないまぜ。
多分わかる人にはわかるだろうけど、わからない人にはまっっっっっっっったくわからない感覚だと思うんですが、憧れてる人、好きになった人にはなるべく自分の存在を知らずに一生を終えてほしいなって思うわけなんですね。
なんで?そこから交流持てるようすればいいのでは?って思う人もいるとおもう。それに関してはすごく健全で健康的な思考だなって思う!ある程度の自己肯定感を持っているひとなんじゃないかな。
でもさぁ、自分っていう存在を、知られれば知られるほど嫌われるものだと思ってるんですよ。何をやってもダメで、人をイラつかせるんだと思ってるんですよ。
こんな一ミリも価値のない人物なんて、憧れの人の世界に存在してほしくないんですよ。
なんかもう人生やり直したほうが早い気がしてきた。
例:子供が泥だらけで遊んでいると、楽しそうでいいと思うよりも誰がそれを洗うんだとガチ切れる。
・怒るのが下手。やって欲しくないことを伝える時になぜなにクイズを始めてしまう。
例:子供に汚れる遊びをして欲しくないことを伝える時に、「なんで汚れる遊びしてんの?」などと遠回しかつ嫌味に言ってしまう。
・脅しを多用する。意味がないのに。
例:子供に言うことを聞かせる時に早くしないと置いていくよ、などと言うが本当に置いて行けるわけがないことは自分でもわかっているので余計にイライラするだけの発言になる。
・子供を下げるのが得意。
例:「良い子ですね」と子供が褒められても「いえ、この間もコップをひっくり返したんですよ」などと素直に受け止めないどころか自分が子供のダメなところと思っていることを口にする。謙遜とは自分にだけするものだと分かっていない。
子供がすぐに自分の思い通りになるものだと思い込んでいるから、そうならない時に安易に腹を立ててしまう。それは、子供を何よりも甘く見ているし、子供がまだ弱い存在であることに甘えているし、漬け込んでいる。
子供に腹をたてるのは人間だから誰しもあることだろう。けれども、子供相手にそれを飲み込むことができないのは人間だからではなく子供だからだ。
最寄りが新宿あたりのIT系の数十人規模の会社にいた。大きな公園の近く。役員的なことをやってた。会社立ち上げから参画しててお給料もたくさんもらってた。業績もまぁまぁで行く末は自分が代表になって皆を引っ張っていくんだと思ってた。辞める数年前に結婚して子供ができた。
結婚してすぐに代表の社内不倫が発覚した。発覚したというか、もう見るからに社内不倫してた。自分が部下を引き連れバーとかに飲みに行くといちゃいちゃしてる現場に遭遇した。
自分が結婚するまでは自分本位で動いていたものの、結婚してからは家族のため、子供のために金をしこたま稼いでいた。
社内不倫している代表の会社にいるのはなんなんだ?自分が頑張った分代表の奥さんが不幸せになるのか?と思うと精神が崩壊した。近くの大きな公園に行って一人で彷徨いながら泣いた。俺の幸せは他人の不幸なんだと。
やってられなくなり、ナンバー2に告発した。彼も同じ時期に結婚・子供が出来ていたので分かり会えるだろうと。分かり会えなかった。許容範囲だとのこと。他の役員も許しているらしい。要は金を稼げば何をしてもいいらしい。本当かどうかは分からないが。代表は相当優秀&実績を残しているためそう言うのも分からなくもない。
転職した。10年以上連れ添った会社&育てた会社を辞めた。転職先はすぐに見つかったけれど100万位年収が下がった。社員数は15倍位に増えた。社食があったり福利厚生が充実していて年収が減ってもなんとかやっていけた。あらゆるストレスがなくなってのびのび仕事に打ち込めるようになった。
なにこれ。
ハッピーじゃん。
代表の奥さん見てるー?旦那さん不倫しまくりだよー!職場ではセクハラしまくりだよー!
死んでしまえ
当方、地味な人間で人間関係もあまり良くなく楽しい学校生活は送れなかった。
T先生という人がいた。
数学を受け持つ先生だけど、数学の授業は、できる生徒、まあまあできる生徒、数学が苦手な生徒の3クラスで分けられていて自分はまあまあできるクラスで数学の授業を受けていたが、T先生は数学が苦手な生徒の授業を受け持っていて、自分とT先生は中学校の3年間で一切の関わりがなかった。
中学校の卒業式の日、卒業証書授与とかの一連のプログラムが終わって、自分も含めた卒業生たちが出席番号順に体育館から外へ出ていく。玄関に在校生と先生たちが出迎えてくれている。
みんなそこで仲が良かった人同士で記念写真をとったり思い出話をしている。
自分は他の学年の人とは関わることがなかったし、そこにいても特にやることもなかったので、そのまますぐ帰ろうと思って、ただ歩いて在校生の間を抜けていく。
突然後ろから誰かが僕の肩に手を添えて来た。振り向いたらT先生だった。「頑張れよ」と言っていた。
自分はT先生と関わりがなかったからなぜ嫌われていたのか本当の理由かはわからないが、おそらく嫌われていた原因はT先生の外見ではないかと思う。
太っていて、脂ぎってるくせ毛で、なんとなく中学生ぐらいの年齢だとそういう人を集団で嫌う現象があることに心当たりのある人も多いと思う。
自分は一切面識のなかったT先生に卒業式で話しかけれて、驚きもあり、そのまま何も言わずにT先生から離れた。
離れてT先生の様子を見てみたが、特に他の生徒に話しかける様子もなかった。T先生はなぜか僕にだけ親密だった風な言い方で話しかけて来たようだった。
「一切関わりがなかったのに、なぜ僕にだけ話しかけて来たんだろう」
ちなみにこの時思った↑の疑問の答えはその時も、今現在もわからないし、もう一生謎が解けることはなさそう。
↓
T先生はみんなから嫌われていたから、「自分のことを嫌わなさそうな大人しそうで地味な生徒に「頑張れよ」と言っておけばきっといい先生としてポイントアップする」と思っていたのではないか。
↓
僕のことを地味なやつと思って接してくるなんて、ショックだ、なんてひどい先生だ
↓
それだけでは飽き足らず人をいい先生の押し売りの道具として扱うなんて、最低だ。
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それもそんな最低なことを卒業式という最終日にやってくるなんて。そもそも面識にないのになぜか話しかけれて怖い。自分はT先生に対して殺意まで湧いていた。
今の年齢になって思うのは、あの時に思った↑のような考えは、全く自分本位な勘違いだとわかる。
地味でつまらない学校生活を送ってしまった自分。それを受け入れられない、見合わない高いプライドを持ってしまっていた学生時代の自分。
そんな中、嫌われ物の先生が僕を利用して、他のイケてる生徒から好かれようとしてくる。そんな勘違い。
だがもう、自分も卒業してT先生と会うこともなく、考えても仕方がないのでT先生のことは忘れていた。
T先生は僕が殺意を持っていることも知らないし、僕が辛い思いだけすれば、それはそれで良かったのだが僕が高校生になった時にT先生を傷つけてしまう。
僕は3年間バイトしていたが、2回ほどコンビニにT先生が買い物に来ているのを見かけた。
向こうは僕に気づいていたようだった、距離は5メートルほど離れていた、僕はT先生を見た瞬間に、卒業式の日の殺意がよみがえる。
顔に出てしまった、ものすごい形相でキレた顔をしてしまった。そんな僕の顔を見てT先生の顔が曇る。ショックだったろう、ごめんなさい先生。
そんな僕の様子を察してか、T先生は僕に話しかけるようなことはせず帰っていった。
1回目の遭遇から1,2習慣後、T先生がコンビニに来ているのを見かけた。僕がレジにいるのに気づいたT先生からは、ショック、または怖がっているような雰囲気がした。
T先生からしたらなぜ僕が嫌っているのか全く意味不明だろうから、そうなるのも無理はないと思う。
これは僕の予想だけど、なぜ僕が嫌いなのかの理由が知りたくて、2回目来たのではないかと、ちょっと思ったりしている。
2回目も僕はT先生に対して思いっきり嫌悪感を持った態度を出してしまった。それは別にT先生にやり返そうとかいう感情ではなく、ただ単に心の底からT先生を嫌っていて自然と態度にも出てしまったものだった。
先生を傷つけてしまったことを、今の年齢になって後悔しています。
ここまで読んでくれた方なら、なんとなくわかると思うが、僕は頭のおかしな人間だ。だからT先生、僕に嫌われても何も気にするようなことじゃないんですよ、僕が人間として至らないだけなんですよ、先生は何も悪いことをしていないんですよ。
もう何年も昔のことでT先生がどこで何してるかもわからないし、そのことを伝えることはできないわけだけど。
そして自分のこの性格で他にもたくさんの人を傷つけて来てしまった。
後悔の念ばかり、もし人生がやり直せるなら、誰も傷つけずに生きて行きたい。
もし、同じ時代に自分とは別の人間として生まれ変われるなら、僕が誰かを傷つける前に殺しに行きたい。
どうしていいかわからないので、とりあえずユニセフに毎月募金を始めた。
この世には募金ビジネス超儲かるウハウハなんて人もいるだろうけど、そんな人も含めて、僕の金で誰かが喜んでくれるなら本望な気がする。
僕が中学生の頃から、自分の驕りたかぶる性格と向き合って、後悔する努力すれば何か変わっただろうか。
この世に無数にいる人間の中で、自我を感じられるのはたった一人、自分だけ → 自分は特別という勘違い。
全ての人に主観があることに気づけない想像力のなさ、頭の悪さ、出来損ないの自分が恥ずかしい。
自分で考えても間違いだらけだった、今の僕に何ができるか、誰か頼む教えてくれ。
自分が働きたくないから、金持ちを敵視して弱者の味方の振りしてるだけだよね
そんなメンタリティの奴、自分が金持ちになったら今の金持ちと同じように弱者搾取するに決まってんじゃん
『作者の姿勢とコミュニティによるツールの神格化が不便さに追い討ちを掛けている』
神格化ではなく、「諦め」。
自分以外の他人に対する尊厳を傷つけないように考えあぐねいた結果が、自分勝手に不便さの文句を言いたい本能を飲み込んで諦めたという、成れの果てだと思う。
作成者にしても、誰しも必ず大なり小なり知名度を広めたり、それで金銭が稼げることを夢見ると思うが、それ以上に利権問題が面倒なので、夢を見る事を諦めてる人が作成側の陣営に揃って居るか。
または自分の能力で作れる物が限られて当たり前なのだから、そこの所の問題を放置したままでも、文句を言わなかったり、それなりに使ってくれる人が多い界隈に投げ込むのは、当然の流れだと思う。
MMDは「自分にとって使いにくいものでも、他人とっては使いやすいもの」の考え。
それを作成者側も使い手側も同様に保ってきたから、精神的苦痛を作成者が受けない分だけ、金銭を求めない配布が可能だった。
二次創作関係はモデルで商売が出来ない場合が多い。もし金銭を取らなければならない程の負担が発生するのなら、最初からモデルすら作らない。
そしてMMDは「自分はこの分野は得意だが、あの分野は苦手」という部分を、Blender周りの環境よりも、さらに細分化して分担しているようなもの。
一貫して満遍なく操作する能力が有る、又はそういったマルチ的な思考が得意な人はBlender。
得意不得意にバラつきがある人は、作業ごとに自分の得意な分野だけ参加、または点的な長所を発揮しやすいMMDを選ぶ。
という様に、自分の特性とツールの特性が合致する使い分けをしているだけに過ぎないと思う。
Blenderで出来る事の方が人として凄いのだから、そこまでBlenderを愛するが故にMMDに正面切って苦言を言う位なら、周りの評価などに構わず、Blender布教の為の人柱として献身的に活動するべき。
仕事となれば、極力工数を減らした環境で一括して行うスキルが否応なく求められるが、趣味だけでやってる人間は工数の指定などないのだから、自由にやっていい。
それを自分がこうしたいから、そのソフトはダメだという事を言う、自分本位の人間の主張は本当の「大衆」の利益でなく、自分以外の財産を楽して得たい人間の、単なる身勝手な我儘しか考えられてないのが主体だと自覚を持った方が良い。
自分以外の誰かが望むことは、人それぞれだと言うこと。
人の財産を楽して得たい人が居れば、楽はしたいけれど他人の財産を奪う様な形では活動したくない人も居る。
その場合、人を傷つけない事を優先している人の主張に軍配が上がる。
意図的に他人を蔑ろにして誰かを傷つけに走れば、必ずそれは自分にも帰ってくる。筆者が言う人も、それで自分に返って来ただけの事。
そうならない人は、他人にちょっかいかける不名誉な行動で、自分にも傷が返って来るなんて馬鹿な茶番をする時間よりも、自分がやりたいことだけに注視したいから、そっちに手間を割かないだけ。
神格化とは全くの別物。
仕事では決められた枠で納品しなければ社会的に認められないが、趣味は社会的な土俵に無く許されることだから、操作規格が不揃いだろうとも、使い手側が文句を言えることだろうか。
本来なら文句を言われる必要の無い人間が、他人から「自分の為に、又は自分と同じ考えの集団にとって利益にならない物だから、自分達の利益になる様にしろ」という謂れの無い身勝手なケンカを吹っかけられては、嫌悪感を露にすることが当然の事ではないだろうか。
自分以外の世界の人間や生き物は自分を楽させる為に、生を受けて生きてる訳ではない。
不便は他人に補わせるという考えの人から「物だせやオラァ、アァン?」と来られれば「ふざけんなオラァ!」と返り討ちに遭うのは当然。
迫られた側が言葉で拒絶するだけで、画面向こうから手が飛んでこないだけ有難いと思う。
ましてMMDは趣味から発生して、現在進行形で仕事に疲れ果て、趣味オンリーという憩いを求める人の受け皿として支持されているのだから、商用の概念を持ち込もうとして弾かれたなら、それだけ仕事に疲れている人が多かっただけ。
ブラックな世の中に疲れて来る人達の憩いの場に、ブラックよろしく使い手側の利益優先の考えを持ち込めば、人が血走った目で睨んでくるのは、想像に容易い事だと思う。
という様に、拙宅は筆者とは異なる方向でMMD側が反発する理由の想像が付く。
もし仕事以外の趣味100%でやってる人間の主張なら、それは身勝手100%の不満でしか無い。
仕事もコミでやりたい人はアレコレと不満を言う事になる前に「仕事も込みで出来る環境を求める自分にとっての最適環境はMMDじゃ無いな」と。諦めの心を持てば良かったと思う。
すれば不満に思う気持ちも、わざわざ抱かなくて済んだろうに。
諦める他に道が無いなんて暴論だ、と思うなら「望めばなんだって叶う」という思い込みがあるから。
望めば何でも叶うのは正論。ただし、それを成す為に時間を掛けるのは自身であって、他人じゃない。
言いたいこと終わりです。存分に殴って下さい。
否定する前に見なければと円盤で何作品か見たし、観劇にも行った。決して悪くなかった。でも私が舞台で良いと感じるポイントは、その場面で焦点が当たっていなかったキャラクターの感情を、仕草や表情で表現してくれるところ。
そこ以外、本当は苦手なんだ。
舞台を好きな人がいるのは分かる。作品のことを考えて、キャラクターを理解しようとしてくれる。それをきっかけにキャストが作品を好きになってくれたらこちらも嬉しい。実際に見に行って、その部分でそういう表現をしてくれてありがとうとも思った。
でも、そこまで絶賛されるほど良いとは思わない。
あくまで私にとってはと前置きするが、キャラクター構成要素としての声の役割は大きい。声優は声優であり同一視はしていないものの、しかしやはり声は確かにキャラクターに違いがなく、その人以外にそのキャラクターを名乗られても否定的になってしまう。
顔は良い。分かる。でも、どう足掻いてもそのキャラクターの顔でもない。言葉の通り根本的に次元が違うのだから。
見た目も声もどちらも違うままで演じている人のことを、私はそのキャラクターとはどうしても思えない。
あくまで配役された人であって、何もかもが私にとっては違う。
演じてくれるだけでもちろんありがたい。でも、声も見た目も違うなら、それ以外のものでキャラクターらしさを演じてもらわなければならない。
それでは、そのキャラクターであるという贔屓目を無しに考えた演技力はどうなのか。キャラクターが好き、キャラクターを考えたコメント、キャストの仲の良さ。そんなもの関係無い。演者としてのスキルの話だ。彼らはファンではなく、公式に選ばれた舞台役者なのだ。
叫んだら裏返って、動きで表現したら代わりに台詞が煩雑で、抑揚を付けようと小声で喋ったら何を言っているのか分からなくて、アドリブかと思えば事故すれすれなんてことは無いか。
声も見た目も時には脚本も違う、設定と大筋だけを借りて、顔が良い人がファンサするものになってしまってるのではないか。
そもそも声が違うことを受け入れられない人間が、舞台を楽しめるわけがなかったのかもしれない。楽しめる人が楽しんだら良いし、私が苦手だろうが何の問題も無い。私が公式にとってのターゲット層から外れただけの話。そう思ってるから舞台化で盛り上がるタイムラインを努めてスルーしてきた。
それでも申し訳ないながらも言わせてもらいたいのは、顔が良ければみんなが好きなわけじゃないし、その作品が好きなら舞台も行くだろうという認識はしないでほしいということだ。
私にとってはあの声であの見た目なのがキャラクターで、声優だけでも、見た目を似せただけでも、演じても、どれもキャラクターと同一視なんてできない。
何でもかんでも実写化するこの風潮が早く終わればいいのに。