はてなキーワード: 物言いとは
普通にフェミは不細工おばさんって要約するもなくハッキリ言ってる人ネットにわんさかいるよね?
おっしゃる通り、元増田はフェミニストの話はしているがフェミニズムの話をしているとは限らない。
典型的なフェミニストの有り様を揶揄しているが、フェミニズムに理解のないのは彼女たちの方かもしれない。しかし、そんな彼女たちを典型的なフェミニストとみなしている——少なくともそう受け取ってもらえるのを期待している——のは元増田だ。タイトルはミサンドリストでもよかったのに、あの表現とキャラクター設定を選択した。中学生レベルなのは元増田か・多くの読者か・自称フェミニストか。どれもありうるけど元増田がそうではない、という証拠はどこにも書かれていない。必ずしも読解力に問題がある理由はないのに、そうでない可能性を考慮しないのはあなたの想像力が… 高くはないことを示している。
未知のものにたいして言及するとき、「もし~なら」は、~でない可能性を排除してはいない。
「もしゴロリの中身が男性なら…」というときはゴロリの中身は女性であるかもしれない。
これに対して、あなたはトンデモ、発狂などと罵っている。ここまでは言及した内容を取り上げて批判に反論しているので、その論理に向き合いたいと思えたが、最後のコレにはガッカリです。
増田の言いたいことが、ようやく分かった気がする。正直、例も含めてちょっと分かりづらかったな……。ただ、確かに今回の件全体について、マスクの問題を完全に無視していいわけじゃないよね。
……………
この件がここまで話題になった理由の一つに、最終的に該当の方が飛行機を降ろされてしまったということがある。その直接の原因は、多くの方が指摘しているように、マスクの問題ではなく、該当の方が乗務員の指示に従わず、安全運航上の問題があると判断されたから。
……………
この点は、マスクの問題は生じたものの、その後、なんとか解決して離陸しているので間違い無い。該当の方が、離陸後に乗務員の指示に従っていれば(声を上げなければ)、降ろされることはなかっただろうし。その意味で、該当の方が最終的に飛行機を降ろされたのは、マスクの問題ではないと言える。
……………
蛇足:どんなやり取りがあったのかは分からないけど、もしも納得のいかないことがあったのであれば、やはり該当の方は機上ではなく、到着してから問題にするべきだっただろうな。
結果として多くの方の貴重な時間を奪ってしまい、当事者たちは本当にイラ立っただろうし、このニュースを耳にした多くの方も(自分も含めて)決して自分の身には起きてほしくないと思ったはず。そのため「該当の方の行動を認めてはいけない」という考えが強く生じている面もあるんじゃないかな。
……………
増田の例にならえば、この点については、仮に該当の方が黒人で、乗務員の指示に従わない理由が人種差別であったとしても、理論上は同じ処置がされるべきだよね。該当の方が乗務員の指示に従わず、安全運航上の問題があるのであれば、降りてもらうしかないのは変わらないから。
……………
蛇足:もちろん、特に今のご時世、黒人の方に対して増田が書いているような差別的な扱いをピーチ社がすることは到底考えられないので、一読して違和感や拒否反応が凄かった。こういう無理矢理な例が、増田の文章の理解を困難にしている印象。
……………
その上で、じゃあマスクの問題については完全に無視していいかと言えば、そうではないよね。降ろされた直接の原因については上記の通りたとしても、きっかけとなったマスクの問題も、それとは別に確かに存在してる。
……………
そもそも「該当の方はマスクをしないことで周囲から責められるべきだったのか」という点については、「(降ろされた理由とは別で)ちゃんと考えなければいけないのでは」ということを、増田は言いたいのではないかな。
……………
そして確かに、今回の件全体について、「マスクの問題は関係無い」という結論だけで片付けてしまうのは乱暴で、降ろされた理由以外の部分については、別の意見や議論が必要になるんじゃないかな。
……………
増田の例のように、機内で人種差別があり、差別をされた側が周囲から責められ、謝罪もされず、ピーチ社もそれを容認や助長したとしたら、大問題になっているだろう。それが、今回はマスクの非着用だったわけだけど、果たしてマスクの非着用の場合は、該当の方が周囲から責められ、謝罪をされなくても、問題にはならないんだろうか。該当の方は本当に責められるべきなんだろうか、という点については、マスクの問題として向き合って、ちゃんと考えた方がいいんじゃないかな。
……………
蛇足:ちなみに自分個人としては、感染症対策という性質上、ピーチ社の対応に問題は無かったと思う。マスクの着用をお願いし、それができないのであれば席の移動をお願いしていて、自分がどの立場でも納得できる対応だと思う。
該当の方は、どちらかの提案を受け入れるべきだったと思うし、「強制ではないから」という理由で、この状況で多くの方が守っていること、気にしていることに対して頑なに譲らないという姿勢は、人として許容しがたい。増田が例に挙げている人種差別の件とは、根本的に違う話だと思う。
また、該当の方の物言いは周囲の方の感情を逆撫でするようなものが多い印象で、周囲から責められたのも、この方に原因の一端があると感じている。
仮に裁判になった場合にどのような結果になるかは分からないけど、ピーチ社が間違った対応をしたとは思えないので、不利益を被ることが無ければいいと思う。
そんな物言いでは甘えられるものも甘えられなくなると思うんだが。
「誰でもある程度は甘えられるような世の中にしようね」っていう割には「甘えることまかりならん」的なトゲを感じる。
あくまで話を商業ベースでかくあるべしという話にするのであれば変える変えないはまさしく作者側の自由に帰する問題であって「改変せざるを得ない」という物言いが見当違いじゃないかな
そして第三者に作者に表現を変えて欲しいという希望を主張をする権利を認めるなら同様に変えて欲しくない側も意見を主張する権利があるんじゃないかな
批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。
批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。
だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。
レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか、とにかくそういうおおもとの土台となる文化とかジャンルとかを揺るがすものではないからだ。むしろその内部で行われるものだ。
社会運動は物事に変革を、場合によっては廃絶を要求する。社会運動は外部から内部を揺るがそうとする。社会運動は美しさよりも正しさを重視する。そして社会運動のジャッジには権力が伴う。評論やレビューによるジャッジと違って。
昨今の表現規制をめぐる問題で、表現に口を出す側が「自分もオタクである」「オタクだって嫌いなアニメをdisったりしてるのに、なんで私のdisが認められないんだ」と主張することがある。本人はおそらく大真面目にそう考えているんだろう。でも答えは自明だ。
そりゃ、あんたの主張が「社会運動」の文法やコードに則って発せられているからだ。
評論やレビューのコードなら、どれだけ作品をdisろうがよほどトンチンカンなdisでない限り別に文句は言われない。その作品を好きなやつとバトったりする羽目にはなるかもしれないが、それもしょせんはオタクコミュニティの内輪もめにしかならない。なぜなら評論やレビューは、ジャンルや文化の内部で、その存在を所与のものとして行われるものだからだ。
でも、社会運動のコードで作品をdisったら、それはその作品だけじゃなくジャンル全体への攻撃にもなりうる。社会運動は文化やジャンルの存続に関心がない。なんなら滅びても構わないとさえ思っているだろう。社会運動は正しさを最優先する。これ自体は別に悪いことじゃない。でも「正しくない」という理由で切り捨てられそうな側に身を置いてみれば、不倶戴天の敵としか思えない。
本当に社会運動をやっているという意識の人は、別にあんたらから不倶戴天の敵と思われても気にしませんと堂々としているだろう。宇崎ちゃんバッシングに火をつけた某弁護士なんかはそのへん潔いというか、自分がオタクコミュニティから敵視されてもいっこうに構わん、あいつらは私の敵だ、とでもいうような態度で、敵ながら天晴だった(いや、最終的には打倒すべき敵なんだけど)。
でも、社会運動のコードに則って物申しておきながら、ジャンル愛好者に敵視されると「自分もオタクですよ」と言い訳をしようとする人がいて、それは申し訳ないけど見苦しい敵にしか見えない。キズナアイバッシングの先頭に立った某社会学者なんかはその類だろう。お前さっきまで運動家の顔してたやんけ!
特にフェミニズム関係が燃えやすい理由もそこにあると思っていて、あのへん、評論と運動の境界があんまりないというかシームレスな界隈だという印象を受ける。つまりフェミニストと名乗る人たちには評論家として文学作品をジェンダー的視点から解釈しますという人から戦闘的にデモやら抗議行動やらを繰り広げて社会を変えていこうとする人まで幅広い人がいて、その人たちがフェミニズムという同じ旗の下に集っており同じ理念を奉じていて相互に行き来しているので、境目が曖昧になりやすい。
なので、評論のつもりで社会運動的な物言いをしちゃう人が出たり、評論を発しただけのつもりが社会運動に発展しちゃったりする。本人からすれば、自分は評論をしただけのつもりなのにどうして? と思っていることだろう。いや、だから、あなたやあなたの周囲が社会運動の人ばっかりだったら、あなたの評論も社会運動の一環にしか見えないんだよ!
オタク同士で「宇崎ちゃんの巨乳描写は好きじゃないんだよな」「銀英伝もっと女の提督がいてもよくない?」と語らうことと、社会運動として献血ルームに抗議のお電話したり「描写を改変すべきだ」と主張することは社会的には別の意味を持つのであり、そこの社会的な場のコードみたいなやつを読み解き理解することが必要だよなと思うのです。
「東大生は仕事ができないwww」「一生懸命お勉強してきた高学歴がNNTワロタwww」と言った、自分より高学歴である人間をなんとしても見下さないと気が済まない人が一定数いる。確かにある一面の能力ではあなたに劣っていることは大いに有り得る。人間だれしも得手不得手はあって当然であろう。何故こんなことを垂れ流すか。僕は地方都市(都市と言っても程度は知れている)に生まれ、「勉強ばかりしててもー」だの「いくら勉強ができるからー」などと言った言葉を山ほど浴びせられながら育ってきた。「いくらサッカーができてもー」などと言った文言は聞かないのに、殊勉強だけはやたらと矢面に立たされる。幼いころから今日の今日まで、ずっと不思議で仕方がなかった。「みんなちがってみんないい」を一周回って逆行しちまっているぞ。
このことに対して一つの仮説として最近思ったのが、「この社会ではもしかすると頭を使わないでいられる機会は思った以上に少ないのではないのか」ということである。極端な話だろうが、飲食のアルバイトですら効率的な仕事をしようと思ったら頭がいい方が様々な状況判断を素早くできるはずだ。どころか、スポーツですら昨今は頭を使って考えろと言われる世界である。これまた極端な物言いだが「バカにスポーツはできない」とさえ聞いたことがある。このような頭の良い悪いの指標が、かなり一面的とはいえ、出てしまうのがお勉強なわけだ。ところで、この頭の良い悪いを超越☆人力できてしまうカードが経験なのだ。「知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね」なんてフレーズが昔のCMにあったがまさにその通り。知らないことは知らない、できないのが一般的だろう(ごく稀にいる、経験を頭の良さで超越してしまうジョーカーを除いて)。なんて思っていたらちょうど言いたいことを言ってくれたツイートを発見した(https://twitter.com/kasuga391/status/1302555478543663104)。
すなわち、最初に述べた高学歴を叩かないといけない人は自分が苦労してきた分、経験値やその他の面で揚げ足を引っ張らないと気が済まない人だと言えるかもしれない。安易に彼ら彼女らにかわいそうという言葉は投げかけないでおこう。唯々、彼ら彼女ら自身が仕事のことなどで勉強せねばならなくなった際に勉強している自分に嫌悪感を抱いて消滅しないように願うばかりである。
ある種の衝動的な思考であり書き留めないと経験として正しく蓄積できなさそうなのと、人の目に触れさせることで将来子供の役に立つかもしれないのとで、ここに記す。
先に断っておくが、誰が悪いという話ではなく、自己分析のようなものである。
直接のきっかけはパートナーがこちらの譲歩を引き出す交渉条件として「離婚する?」「そんなこと言ったら離婚するしか無いじゃない」といった物言いを2-3ヶ月に1度するようになったこと。2度までは「離婚の前に取れる段階はないのか」「離婚したらどういった生活が待っているのか」「子供や親はどうなるのか」など真摯に話していたが、何度も終わった話を蒸し返すので「そんなに言うなら離婚しよう」ということになった。相手の本気度はまだ読めない、まだ交渉材料として出しているだけかもしれない。
また結婚してしばらくは必要だと思って相手に限りなく譲歩していたのだが、このとき理不尽な要求だと私に見えるものを無理して飲んだことで、結局私の中に「この人は私のあり方を見ていない」「空想のパートナー像を押し付けている」「都合が悪くなれば私をいじめる」という理解が醸成されてしまい、私が離婚に逃げる口実を増やす結果になった。譲歩の期間そのものは相手が友人と相談した結果、私に過度な期待しなくなったことで終わったのだが、私の中にはこうしたしこりが長く残ることになった。数年後にもグチグチ言うほどとは、自分でも驚いている。譲歩自体はふたつの家・価値観がひとつになる過程でどうしても必要なのだが、譲歩しすぎたのが良くなかった。
家をひとつにするというのは非常に難しいことで、私と相手の親、相手と私の親は結局険悪なままだった。文化や常識を共有しないので、あちらも私に共感できないし、こちらも子供を見る上での労働力としてしか勘定しなくなった。互いに自らの親を担当することで表面上は事なきを得ていたが、より高齢になり介護をする日が来たら致命的になっていた可能性は高い。
最後に相手の無防備な姿を見すぎて性的魅力を感じなくなったこと、相手の魅力的に感じていた性格が失われたことが大きい。魅力があれば自分の非を認めて、あるいは傾聴を通じて相手を深く理解しようという思いも出るが、結婚した相手であるという義務感だけでは関係を維持するのは難しかった。お互いに歳を重ねたことも無関係ではないだろう。
核家族で子供を育てることはとても難しい。体の悪い親に頼るのは限界がある。親や家政婦、ベビーシッターは保護者ではないので、真の代わりにはなれない。例えば最近雇っていた家政婦は、不要だと言っても必ず子供が夕食を食べるのを手伝ってしまう。自分で食べさせろと何度言っても、手伝ったほうが仕事が楽なので、そちらを選ぶ。おもちゃの片付けもそう。家庭での教育は、親にしかできない。
そして親であることは24時間営業なので、休めない。パートナーが出張だったり休日出勤だったりすると自分の休める時間が無くなって詰む。つらい。自分の親が普通にやっていたこと、周りの家庭で当たり前のように行われていることが、ここまで辛いものだとは想像していなかった。片親の家庭はいったいどうしているんだ。
私もパートナーも子供が嫌いなのではなく、むしろ好きなのだが、言葉が通じる年になり力が付きワガママを暴力で通そうとする歳になると一気にストレスになる。1日中張り付いて自分の時間がなくなる。教育上重要な期間であるという知識がより重荷になる。ドラえもんのようにスイッチを切ることができたら良いのに、子供も他人なのだから自分の人生こそを大切にするべきなのではと、毎週のように思っている。
私が「自分の時間」の枯渇を強烈に忌避する存在だとは思っていなかった。
私が親の義務・責任に耐えられないほど我儘な存在だとは思っていなかった。
私が子供の戯言を笑って流すことのできない狭量な大人だとは思っていなかった。
私が家族がいることでキャリアの幅が狭まることを嘆くような頓珍漢だとは思っていなかった。
教育や家族との交流を、家族サービスを飛び越えて自己犠牲だと受け止めてしまう。優しい家庭で育った自分がこうした発想に至るとは、思っていなかった。
相手が離婚というワードを使うようになったきっかけはわかっていない。不倫ドラマの見すぎではないかという気はしているが、知性的な相手なのでそれだけではないだろう。
想像ではあるが、相手の親が離婚経験者なので、離婚が選択肢として常に無意識の中にあるのだと思う。私は離婚というものは選択肢どころか存在として頭にないので、こういうワードを出してくる相手に驚き、憤り、呆れてしまう。結婚式での誓いは何だったのかと。この相手の「親が離婚した」という経験を、もっと紐解いて解消することができるならば、それが一番だったかもしれない。
今でも、結婚した判断は誤っていなかったと思う。年齢的にもキャリア形成上でも、あれがベストのタイミングだったし相手だった。魅力も自分との相性も十二分な相手に巡り会えた。子供を授かったことも嬉しかったし、今でも誇りに思っている。ではどうすれば良かったのか。
恋愛経験を積む。それにより事前に知ることができたであろう自分の癖や交渉術は、ある程度存在する。可能かどうかは別として、もっと人との関わりを学ぶことに時間を投資すべきだった。
子育てを感じる。比較的晩婚だったので、同年代からも子育てのリアルを聞くことは十分可能だっただろう。他にも託児所や学童でバイトするとか、年下の兄弟の言動を見ておくとか、やりようはいくらでもあったと思う。子供の可愛さばかり見ていて、その裏の複雑さを見ていなかった。
適度に自分の都合を通す。今回は最初に相手を優先して、堪忍袋の緒が切れてから我を貫くようになったので、落差が大きすぎ最適な譲る量を見極められなかった。相手からしたら、普段は静かだが急に怒り出し我儘になる人間に見える。「それはちょっと嫌だな」「こういう風にはできない?」といった軽い表明を小出しにしていくべきだったのだろう。
ワンルームに住むのをやめる。ワンルームは相手の無防備な姿を見るきっかけを増やす。相手に性的魅力を感じなくなっていく。セックスレスになる、そのことを当然だと思うようになる。自分の時間を増やすために交流を減らすことを厭わなくなる。自分の部屋を持つこと、相手の部屋を作ること、共有エリアでは家族相手といえど節度ある服装でいることを家族内でルールとする方が良い。自分の魅力を保つために、食事や運動や学習に継続的に投資することも必要だ。
魅力魅力とバカのひとつ覚えのように書いたが、これが一番重要だと真面目に思っている。互いに魅力を感じる仲を保ちさえすれば、困難を乗り越える家庭になったのではないか。魅力がなくなり義務感だけでつながるようになると、思い出も色褪せるもので、自分に不利な契約をしてしまったビジネスパートナーとやりとりしているような気分にさせられる。自分の時間がなくなることと合わさって、自分は一体何をしているのだという虚無感に苛まれる。つらい。
読みやすいのは評価点だし本当に酷いのがかなり混ざってるのは事実だけど、同時に一定以上の文字書きにとっては最低ラインでしかないから「読みやすい」しか感想がないのは徒競走の評価で「ルールを破っていなくて偉い」と言われたようなものではあると思う。
自分の場合だと自分よりも明らかにうまい人に「読みやすかった」と言われたらすごく嬉しいけど中学出てるのかみたいな文章能力しかない奴に「読みやすかった」と言われても当たり前だしなんの参考にもならないなという感想が出る。
というかうまい人の言う「読みやすかった」は必ず理由が存在するしその人にはその理由を文字化する力もあって聞けば教えてくれる、
けれど下手な人の場合はそれを表現する力は当然ひょっとすると認識する力すらも無いので書いている側からすると「何の役にも立たない」。
(これは私特有の視点だし非常に傲慢な物言いだけど)こっちは自分の文章がある程度読みやすい事はわかっているのでその要素に関して教えてもらえない感想なんてなんの意味もない。知っている事でしかないから。
death6coin ブコメ男女で乱闘始めるの本当に辞めて・・・この事件の被害者、気の毒だ
hellshake 痴漢の話とかでもそうだが、性犯罪の話題になるとどうしても男VS女とかフェミニストVSオタクとか、なんでそこが争うんだという形になりがちなのが哀しいよな。意図的にそのへんの争い煽る奴らもいるし。
sanam こういう余罪数がはっきりしてるのって動画とか残してるケースが多いのよね。/はてフェミは十何年も前から度々男性被害についても訴えてきてるのに、それをさも逆のように言うブコメは何なのか。
uk_usa_tv 男性も女性も同じように性被害に遭う可能性があるとわかれば「ネットで知り合った人の家にホイホイいくから被害に遭うんだ」みたいな物言いも減っていくかも。あと男性でも性被害について考えるきっかけになるかも。
amunku 男性もネットで知り合った人とホイホイ会わない、もらったものを口にしない、人目のあるところで会う、夜に会わない、を徹底しよう。この程度を要求しただけで疑うのかと機嫌を損ねる「普通の男性」も多い。反省を
kukky 女性被害者だと油断したから、抵抗してないから同意だろって言われる案件。男性でも被害に遭ったから待遇変わるんじゃない?
zyzy 被害者が女だと「えんざいがぁぁぁ、うそつきがぁぁぁぁ、ゆだんしていたんだぁぁぁぁ、あとだしはひきょうぅぅぅぅかがいしゃへのせいぎのぼうそうがこわいぃぃぃぃ」言われる案件ではある。 考え方
Cunliffe ひどい事件だ。で、こと被害者が自分と同じ(ここは推測)男性だと、トラウマとかセカンドレイプの被害を気にし始める連中笑えるな。
zenkamono こんな悲惨な性犯罪なのに、「男性被害者のときには油断したほうが悪い理論が出てこないンダー!」と男女対立をあおるブコメにスター集まって上位になるの、ほんと地獄だな
hedgehogx 男性被害者の暗数の多さと、男性被害者のときには油断したほうが悪い理論が出てこないこと、これですらフェミを引き合いに出す馬鹿と、なんかもう各方面に闇深い
h1roto もっとこういうニュース報道しよう。男性の一部は性犯罪を深刻に考えないけど、これ見たら少しは意識が変わるでしょ。男女関係ない卑劣な行為だよ。
Tai-cHi こういう深刻な被害の事件に真っ先に飛んでくるのがフェミニスト()を揶揄するブコメ(↓のバカね)で、そういうとこやぞ、男のためにすらなってないのは。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/00b3ac2c411f74165660a5f76d3500d821d9b565
ショタコンの人が男児ラブドールを買ったレポ漫画で炎上した件、
5年とか10年とか前だったらもっと反射的に叩いてた人が多かったんじゃないかなって思う。
もっとも背景がいろいろ違うので単純な話ではないのだが(レポ漫画というスタイルが今ほど著名じゃない・10年前だとTwitterは画像添付できない・ツイフェミの隆盛など)。
ネラー・オタクだけではない人が増えたから、昔の方が面白がられてたんじゃないかっていう意見もあるだろう。
今回の男児ラブドール問題で痛感しているのは「問題を切り離して考えられる人が増えた」ということだ。
もちろんそうじゃなくて感情の反射反応で叩いてる人もいた。でも冷静な人がかなり割合として増えた印象だ。
・「現実の男児に手を出す前に」という言い方が良くなかったと思う。差別を助長したり、誤解を招いたりする言い方だ。(言い方の問題)
・やはり、ロリコン・ショタコンはその嗜好故にあまり堂々とするべきではない。ラブドールとはいえ性行為に及んだ事をあまり言うべきではない。(隠れろ問題)
・Twitterで公開したのが良くなかったのではないか。R-18指定できるサイトなどで公開すればよかったのではないか。(公開場所の問題)
など、やり方やアプローチを違えているという指摘はあるものの、
「ショタコンとかもれなく全員殺せ」という物言いをしている人は随分減ったり、そういう人を「それは違うんじゃないのか」と諫める人も増えたように思う。
(※申し訳ないがツイフェミは多様性に反する存在という認識なのでここでは包含しない。)
一昔前だったら普通じゃないものは即排斥みたいな感じだったが、LGBT議論の活発化などからか、いったん頭で考えて発信しようとする人が増えたと思う。
それはとてもいいことだ。
一緒にゲームしてて、嫌だなと思う時がある。
自分の世界に入ってしまったりすると、自分も自虐的な物言いをしてしまうことが全然あるので、ってかこの日記でよくやってきたことなので、そこは反省したい。
8月最後の土曜日は、自室の改造を進めたり韓ドラを見たり友達とゲームしてりしていた。
モニターアームを買ったが、机が広く使えて良い。同時にサウンドバーを買った(ディスプレイ付属のスピーカーは音質が良くないらしい)ら、思いの外デカくて、机をはみ出した。
どうせ一人暮らしするしと、これまで現在住んでいる実家の自室環境に投資することは避けてきたが、やはり買い物して環境が良くなると気分が良い。
おやすみなさい。
あなたの言い方に合わせるなら、「馬鹿に見つかった」というより「既存の利用者が馬鹿になっている」
「はてブ」は各プラットフォーム上の話題を集約するサービスで、その利用者も話題のアンテナを広く持つ人が多い。
Twitterはやっていなくてもホッテントリに入ったツィートやTogetterを見てる人は多いだろう。
5chのアングラ部分(というか極端なバカが居る場所)に触れていなくても、ホッテントリに入った痛いニュースは目に入るだろう。
割れ窓理論というものがあるが、それと同様で一度コミュニティが汚れてしまうと精神的ハードルが下がって「汚してもいい場所」になってしまう。
みたいなNote記事を書きたいが、仕事の原稿に追われがちでそっちのけだ。
なんなら今も他に締切があるからちゃちゃっとまとめる。気が向いたらあれこれ詰める。
撮り鉄歴15年だが、ここ5年の人口増加とトラブル具合はなかなか酷いと思う。
そりゃ昔っから変なことはごまんとあったけど、特に若年層が起こすSNS炎上と中高年がやりがちな非常停止騒ぎが目立つ印象。
若い子の口だけが達者でトラブル起こす現象は結構興味深い。彼らって結局数で勝負してるから面倒なんだけど、基本弱そうだから体育館裏とかに呼び出したらデコピン一発で卒倒しそう。
ただ、中高生…百歩譲って大学サークルで現役の三回生くらいまでは痛いことしてもいいのかなとも思っている。SNSの世界では総スカンだけど、リアルの撮影地なら良識ある大人が救ってくれる可能性も僅かにある。
昨日今日燃えてるのはオッサンだけど…就活控えるようになった頃からは仕事と直結するわけだから危ないことは普通出来ないはずなんだけどね。カタギの仕事をしてない、って認識されてもおかしくはないわな。でも大手私鉄の内定者の撮り鉄がJRの駅員にキレているシーンを見たときはドン引きを通り越した。
良識ある大人って出したけど、おそらく20代後半から40代までの、節度を持ちながら丁寧な写真を撮れる人たちって生活もまたきちんとしているから、そうしょっちゅうは撮影に出てこなかったりするんだよね。現に結婚した友人は最近は子育てでご無沙汰だし、仕事が忙しくて撮影行けてない人もざら。
現代的な物言いじゃないのは承知だけど、鉄道と心中してもいいくらいの狂った熱意を持っている人は、人生でやるべきことをおなざりにしているよね。
私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴な物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。
またどうしてメッセージ、という曖昧な表現なのかはおいおいわかってくると思う。
まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンルの同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったからである。
なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分の作品と人格は第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。
私は自分の作品がかなり人を選ぶものであると自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもがアングラな趣味である二次創作だからであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。
とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixivに投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。
もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。
私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。
ありがたいことにいいねやブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。
もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルやcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。
それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。
特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間に自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳な表現をキャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。
何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所を限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的な意見が出るのは仕方ない。表現の自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体を排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから、原作を第一に考える人が不快な思いをしたのであるなら自分は平身低頭せねばならぬ立場だろう。
私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名でセンシティブな言葉を投げつけてきたその根性である。
あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。
開いた口が塞がらなかった。
なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身の創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。
これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。
だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。
そもそも『そっ閉じ』もできないような人間がpixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮と自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろ。Twitterの愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方の世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。
私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。
なんだかもはや同人は関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。
あーむかついた。
おわり。
信姫かどうかは個人的にどうでもいいんだけど
前歴の価値観で、お披露目からの振り返り配信で早速ほかの5期生みんなに向かって「discordとか裏の話をお客さんにしちゃだめ」みたいの言い始めると
どこの価値観ですかそれ。みたいな所はある。
自分のこれまでの価値観で新人を染めるみたいなムーブはちょっと。みたいな。
桃鈴とかワタワタふわふわしつつ自力で段々と調子掴んで、のびのび好きに配信していくのを期待してるから
5期き限らずああいう感じで変にプロとは、みたいな物言いで矯正されていきそうな先行き不安。
はー。頭空っぽでころさんの配信見て笑ってるだけで良かったのに
https://twitter.com/CqaNaRn0ipKsKHS/status/1294222634368946176
女性の方々には、「もしあなたの身体がある日突然男性の身体に変えられてしまったら、あなたが男湯に入らされることに納得できますか」ということを考えてほしいです。
なぜ当事者である女性たちより、男性である自分の方が思慮深いとでも考えてるような物言いなのか。
「僕のこの問いかけで女性たちが何かハッと気づいてくれるに違いない」みたいな空気感を出してるけど、どこまで浅はかなのだろう。
当然男湯に行くでしょ。他に選択肢はない。
というか私、ある日突然男の身体になってたら、その状況を面白がって「おっさんである自分」を楽しんでしまうんじゃないかという気がするんだよね。それくらいいい加減な人間だから性自認なんて本当にあるのどうか疑わしいと思っている。
はっきり言うけど、非トランス・トランスを問わず、男性身体者の女性専用スペースに対する執着って相当に異常だと思う。たぶんドラえもんの風呂覗きとか少年ジャンプのラッキースケベとかも全部同じ文脈に乗ってるんだろうね。
逆に、身体女性だけど男湯に入りたいという声がほとんど聞かれないのはなぜなのか考えてみた方がいい。女性専用スペースって特権的な場所でも何でもなくて安全を確保するためのシェルターみたいなものなんだよね。
そんなもの。男湯にゆくに決まってるだろう。女として生まれ育ったなら、男の体で女湯に入ることの恐ろしい暴力性は骨の髄から理解している。
そんな許しがたい犯罪を犯すくらいなら入浴自体諦めるか男湯にゆく。男の体で女湯に入ろうとするのはあらゆる意味で女ではない。
間違ってor親に連れられて男湯に入った時の恐ろしさ(や他の性犯罪の理不尽さ)を知る女性にこんな質問する?
突然男の体になれば男湯に行く。
突然なったわけではないなら変換した側の気持ちがわかるでしょ。
分からないなら心は前の性のまま。
等々、他にも女性からも男性からも「普通に男湯に入る、もしくは銭湯に行かないのが当たり前だろう」という意見が多数寄せられていた
多くの意見に共通したのは「女性しか居ない空間に男の体をした人間が入ってくる事自体が恐怖であり女性を傷付ける」という物だった
女性にとってトランス女性は「自分の性自認は女性である」と主張する男性であり、いつ自分に加害してくるか分からない恐ろしい存在なのだ
女性はこれまで長い間が男性から虐げられてきた被害者としての歴史があり、男性は過去と現在の加害者であり未来においても潜在的加害者なのだ
性自認が女性である自称「トランス女性」も女性からすれば、男性の中で育ち男性の価値観に染まった男性の体を持つ存在でありそれはもう「男性」以外の何者でもない
彼女らにとって「トランス女性」とは自分を女性であると偽り女性専用のスペースに押し入り女性の権利を侵害しようとする悪質な加害者男性でしかなく、
トランスジェンダーの社会運動は女性から自衛の権利すら奪う差別に他ならず、自称心が女性の男性のために心身ともに女性である存在の権利が害される事があってはならないのだろう…
「子供には興味のあることをとことんやらせてあげましょう」みたいな物言いを最近よく見かけるようになったが、正直甘いなーとか無責任だなーとか思ってしまう
年頃のガキにそんなこと言ったら一日中スマホゲーで遊ぶだけだろ
しかも俺なんかガキの頃からゲームやってても、それがどのように動いているのかとかプログラミングとか、別に興味湧かなかったからな
ゲームはゲームだし動きゃいいんだよとしか思えなかったし、高難易度をクリアしたりやり込みに走ったりする根性もなかった
後にプログラミングがすげーできる人と知り合ったこともあり、「もうこういうのは数学とか向いてて頭いい人に任せよう」というしょうもない結論にしかならなかった
確かに何か凄いことをやっているのはわかるが、自分で手を出す気にはなかなかなれない
今で言うところのRTA動画なんかを見ている感覚に近いものがあった
要するに自分にはゲームに限らず、何かを極める才能も意欲も向上心もなかったのである
それらがある奴にはそういう育て方がいいんだろうし、実際そういう奴は適切な環境を与えられればどんどん知識や技術を身につけていくのだろう
というかそもそもそういう一握りの奴以外には言ってないんだろうというのももちろんわかる
だいたい親というのはどいつもこいつもうちの子だけは特別と思っている生き物なのである