2020-09-06

離婚しようと話しているときに考えていたこ

ある種の衝動的な思考であり書き留めないと経験として正しく蓄積できなさそうなのと、人の目に触れさせることで将来子供の役に立つかもしれないのとで、ここに記す。

先に断っておくが、誰が悪いという話ではなく、自己分析のようなものである

きっか

直接のきっかけはパートナーこちらの譲歩を引き出す交渉条件として「離婚する?」「そんなこと言ったら離婚するしか無いじゃない」といった物言いを2-3ヶ月に1度するようになったこと。2度までは「離婚の前に取れる段階はないのか」「離婚したらどういった生活が待っているのか」「子供や親はどうなるのか」など真摯に話していたが、何度も終わった話を蒸し返すので「そんなに言うなら離婚しよう」ということになった。相手の本気度はまだ読めない、まだ交渉材料として出しているだけかもしれない。

また結婚してしばらくは必要だと思って相手に限りなく譲歩していたのだが、このとき理不尽要求だと私に見えるものを無理して飲んだことで、結局私の中に「この人は私のあり方を見ていない」「空想パートナー像を押し付けている」「都合が悪くなれば私をいじめる」という理解が醸成されてしまい、私が離婚に逃げる口実を増やす結果になった。譲歩の期間そのもの相手が友人と相談した結果、私に過度な期待しなくなったことで終わったのだが、私の中にはこうしたしこりが長く残ることになった。数年後にもグチグチ言うほどとは、自分でも驚いている。譲歩自体はふたつの家・価値観ひとつになる過程でどうしても必要なのだが、譲歩しすぎたのが良くなかった。

家をひとつにするというのは非常に難しいことで、私と相手の親、相手と私の親は結局険悪なままだった。文化常識を共有しないので、あちらも私に共感できないし、こちらも子供を見る上での労働力としてしか勘定しなくなった。互いに自らの親を担当することで表面上は事なきを得ていたが、より高齢になり介護をする日が来たら致命的になっていた可能性は高い。

最後相手無防備な姿を見すぎて性的魅力を感じなくなったこと、相手の魅力的に感じていた性格が失われたことが大きい。魅力があれば自分の非を認めて、あるいは傾聴を通じて相手を深く理解しようという思いも出るが、結婚した相手であるという義務感だけでは関係を維持するのは難しかった。お互いに歳を重ねたことも無関係ではないだろう。

子育てストレス

核家族子供を育てることはとても難しい。体の悪い親に頼るのは限界がある。親や家政婦、ベビーシッター保護者ではないので、真の代わりにはなれない。例えば最近雇っていた家政婦は、不要だと言っても必ず子供が夕食を食べるのを手伝ってしまう。自分で食べさせろと何度言っても、手伝ったほうが仕事が楽なので、そちらを選ぶ。おもちゃの片付けもそう。家庭での教育は、親にしかできない。

そして親であることは24時間営業なので、休めない。パートナー出張だったり休日出勤だったりすると自分の休める時間が無くなって詰む。つらい。自分の親が普通にやっていたこと、周りの家庭で当たり前のように行われていることが、ここまで辛いものだとは想像していなかった。片親の家庭はいったいどうしているんだ。

私もパートナー子供が嫌いなのではなく、むしろ好きなのだが、言葉が通じる年になり力が付きワガママ暴力で通そうとする歳になると一気にストレスになる。1日中張り付いて自分時間がなくなる。教育重要な期間であるという知識がより重荷になる。ドラえもんのようにスイッチを切ることができたら良いのに、子供他人なのだから自分人生こそを大切にするべきなのではと、毎週のように思っている。

私の知らない私

私が「自分時間」の枯渇を強烈に忌避する存在だとは思っていなかった。

私が親の義務責任に耐えられないほど我儘な存在だとは思っていなかった。

私が子供戯言を笑って流すことのできない狭量な大人だとは思っていなかった。

私が家族がいることでキャリアの幅が狭まることを嘆くような頓珍漢だとは思っていなかった。

教育家族との交流を、家族サービスを飛び越えて自己犠牲だと受け止めてしまう。優しい家庭で育った自分がこうした発想に至るとは、思っていなかった。

私の知らない相手

相手離婚というワードを使うようになったきっかけはわかっていない。不倫ドラマの見すぎではないかという気はしているが、知性的相手なのでそれだけではないだろう。

想像ではあるが、相手の親が離婚経験者なので、離婚選択肢として常に無意識の中にあるのだと思う。私は離婚というもの選択肢どころか存在として頭にないので、こういうワードを出してくる相手に驚き、憤り、呆れてしまう。結婚式での誓いは何だったのかと。この相手の「親が離婚した」という経験を、もっと紐解いて解消することができるならば、それが一番だったかもしれない。

過去に帰れたら何をするか

今でも、結婚した判断は誤っていなかったと思う。年齢的にもキャリア形成上でも、あれがベストタイミングだったし相手だった。魅力も自分との相性も十二分な相手に巡り会えた。子供を授かったことも嬉しかったし、今でも誇りに思っている。ではどうすれば良かったのか。

恋愛経験を積む。それにより事前に知ることができたであろう自分の癖や交渉術は、ある程度存在する。可能かどうかは別として、もっと人との関わりを学ぶことに時間投資すべきだった。

子育てを感じる。比較的晩婚だったので、同年代から子育てリアルを聞くことは十分可能だっただろう。他にも託児所学童バイトするとか、年下の兄弟言動を見ておくとか、やりようはいくらでもあったと思う。子供の可愛さばかり見ていて、その裏の複雑さを見ていなかった。

適度に自分の都合を通す。今回は最初相手を優先して、堪忍袋の緒が切れてから我を貫くようになったので、落差が大きすぎ最適な譲る量を見極められなかった。相手からしたら、普段は静かだが急に怒り出し我儘になる人間に見える。「それはちょっと嫌だな」「こういう風にはできない?」といった軽い表明を小出しにしていくべきだったのだろう。

ワンルームに住むのをやめる。ワンルーム相手無防備な姿を見るきっかけを増やす相手性的魅力を感じなくなっていく。セックスレスになる、そのことを当然だと思うようになる。自分時間を増やすために交流を減らすことを厭わなくなる。自分の部屋を持つこと、相手の部屋を作ること、共有エリアでは家族相手といえど節度ある服装でいることを家族内でルールとする方が良い。自分の魅力を保つために、食事運動学習継続的投資することも必要だ。

魅力魅力とバカひとつ覚えのように書いたが、これが一番重要だと真面目に思っている。互いに魅力を感じる仲を保ちさえすれば、困難を乗り越える家庭になったのではないか。魅力がなくなり義務感だけでつながるようになると、思い出も色褪せるもので、自分に不利な契約をしてしまったビジネスパートナーとやりとりしているような気分にさせられる。自分時間がなくなることと合わさって、自分は一体何をしているのだという虚無感に苛まれる。つらい。

  • 脳みそが足りない人は子作りしないでくださいまでは読んだ   まぁ離婚はちゃんとしたようで何より

  • ワンルームじゃなくてもセックスレスはセックスレスだし こういう奴は管に巻くだけで自分磨きしてなさそう。

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