はてなキーワード: 有用とは
自分がいつも物のあふれる中にいて、なかなか荷物を整理できないため、シンプルな暮らしには憧れる一方、持ってるものの1つ1つに自分の精神性が担保されているような気分があって、一度引越しの際に大々的に荷物を整理した時は失ったものを後から後から思い出し、そのたびに落ち込んで数年立ち直れなかった。
最近目に付く(やってる人は最近からではないと思うけど)ミニマリストという人々は、もののない生活の中でどうやって自分を保っているんだろうか。そのうち合理性を突き詰めて、自己嫌悪になり、消費カロリーが無駄なので各種臓器や四肢に手をつけたりすることを考え始めてしまうんだろうか。バカボンのネットで有名な話にそういうのあった(そういう情報を見てしまうと、元を見たくて本を買い、また物が増えてしまう)。でもミニマリストの根底には大体のものは代用が聞くから自分で常備しなくてもいいっていう考えがあるっぽいので、代用が聞かないものはコストを支払ってでも持ち続けるんだろうなあ。
有用不要の管理が上手だよなあ。そして精神も強いからたまったもんじゃない。長い目で見れば持ってるだけで二度と触らないもの、そのためにどう考えても無駄なコストを払ってるものとかいっぱいあるけど、別に困ってないからいいか。でもうらやましいよなあ。
ブコメ欄でこの人よく見るな―、で、なんかいつも怒ってんな―、という人がいて。
なんとなく、その人のマイページを見てみると
「これはひどい」「あとで読まない」「ゴミ記事」「またお前か」「ニセ科学」…etc
そんなタグがほとんどで、コメントしてる内容もほぼ全部批判(というか怒り)。
そんな人を何人も知ってる。
ブックマークって、本来は有用なページをログに残して一覧する機能だったはず。
あえて無用なページ・間違ったページばかりを記録し、記憶する意味が自分にはよくわからない。
「ゴミ記事」ってはてブつけたら、そのぶんその記事はホッテントリに近づくわけだしね。
人のブクマの使い方にとやかく言うつもりはないんだけど、自分の感覚からするとそれは不思議だ。
「うるっせ、ストレス解消じゃい!!」と答えてくれるならまあ納得するんだけど、たぶんそうは言ってくれないじゃないですか。
「有害な記事に有害だと言ってやらなければ悪がのさばるじゃん」みたいな、そんな感じの返答が来るんじゃないかなと予想する。
でも本当にそうなのかなと思うし、本当だとしたら尚更どうなのかなと思う。ブコメをチャチャッと書いてその問題はオシマイじゃ、問題解決の手段としてあまりにも効率悪くないか?ストレス解消って言い切ってくれるほうがまだ健全だよね。
精神的負荷に反発する一連の快感がモチベの根本にあると思うんだけど、実際どうなんだろう。もしそうだったとしても、それが特に悪いことだとは言い切れないとも感じる。
まとめブログは2chに書き込まれた情報をコピペし転載しているだけのサイトなのだが近年その実態は変化してきている(もう大分前からだが)
一昔前まではまとめブログといえばこれといった代表的なまとめサイトが2chからのコピペ、転載を禁止されたからだ
そこで困り果てたブログの管理人たちは頼る相手を2chからtwitterに変えた
twitterを利用する人たちをアホッターだのバカッターだの馬鹿にしてた奴らが今度はその情報を用いて収益を得るようになったのだ 滑稽でしかない
しかもtwitterを馬鹿にしてる現状は今も変わらない だれかのtwitterの書き込みが炎上すればそれを美味しいネタだと許可なく勝手に転載する
タイトルには必ずバカッター、アホッター コメント欄も同じような言葉で溢れている
だがそんなまとめブログも最近になって使い方によっては有用であることに気づいた
それはどうでもいいこと、中身のないエッセイ的な日常を漫画という媒体にしてネットに上げれば勝手に拡散してくれるのだ
まとめブログを見てる奴らの習性というのは面白いもので漫画にするだけでそれが全体の総意と勘違いし書いた奴が思ってもないことまで勝手に想像して場外乱闘を始めてくれるのだ
自分は絵心なんてまるでなかったが実際に試してみようと思い自分の日常や不満に思っていることを漫画にしてtwitterやブログにあげてみたりした
すると一週間も経たない内に様々なまとめブログに取り上げられtwitterのフォロワー数やブログのカウント数は桁違いに伸びた
それだけでなくweb漫画を運営しているサイトから自分の日常を題材にした漫画を連載してみないかと声をかけられた(まだ返答はしていないが)
これを読んでいて絵を描くのが好きな方、売れなくて困っている漫画家の方がいればぜひ試してほしい
まとめブログの管理人、それを利用している人々はそこら辺のハーレムアニメのヒロインとは比べ物にならないくらいちょろい存在であることに気がつくはずだ
デモを行なう中で動員数を誇示したり、街中で大声で怒鳴り散らかしたり、大通りを塞いだりすることは、多数者でなければできないことのまさにそれであり、社会に生きる人々の自由闊達な生活を妨害しようとする行為であり、およそ投票に並立する民主主義の権利の行使であるとは思えない。
デモとはこのような、議論を否定しようとするものとは正反対のものであり、数がものを言う投票では示すことのできない、多数派とは異なる有用な意見を持った少数の人々が自分の考えを発信する場であり、そういった有用な意見を政治に取り入れて民主主義を豊かにするための仕組みではないのか?
多分今まで俺が日本で言う「デモ」に違和感を感じてきたのは潜在的にこういうふうな考えをしていたからだろう
どうにか、ああいう風な「デモ」が続けられることも、デモの存在が否定されることもなくなって、デモが投票に並ぶ民主主義の柱として根付くようになってくれればいいんだけどな
http://anond.hatelabo.jp/20170318040833
の最終行ね。
http://anond.hatelabo.jp/20170318034938にある
『お願い。ADHDの人と残業原則反対派は一呼吸置こう』からの続き。
ここに出ている疑問および答えの一部は、残業問題に関する一連のエントリの内容・コメントから私が拾い上げたものです。
しかしながらこれは私個人の見解として記載するものであり、残業に反対する皆さんの総意を示すものではありません。それぞれの質問も別個で繋がりはなく(一つの質問から連想して私が作っています)一律規制反対派の総意ではありません。
A1. はい、そうです。
ただ、多種多様な環境で実際に全員が残業なく帰宅するなんてことは当然不可能です。何を言いたいのかというと「赤信号は視覚障碍者であれ例外なく止まる必要がある」の例で出たように、「原理原則として残業は一律禁止と考える。原則を守らない会社には罰を与える。例外は「原則」ではなく「補足」で個別に検討する」という"認識"を皆に共有してもらいたいんです。
「原則が禁止」であれば、補足を使って大幅に改悪を行うと「さすがにそれは原則に反するからダメです」とストップをかけることができます。逆に「原則に抜け道を作る」とその抜け道を縛る根拠を持ちませんので反論しにくくなります。ですので「原則禁止」にしておくべきなのです。
A2.「一律禁止」をしない場合、例えばADHDの人は除くなど。ここで危惧するのはその例外を正しくない方法で使われることです。
「おまえ全然仕事できねーな。障碍者かよ。そうだお前みたいなやつは障碍者だ。だから長時間仕事をさせられても仕方ないのだ」
こういう論法を使ってくる会社が必ず出ます。役所が調査に来たら本人に障碍者手帳を無理やり取らせるくらいのことはするでしょう。だから「原則として、(ADHDの人も含めて)一律禁止」にしておく方が安全なんです。
A3. そうですね。今でも基本は「1日について8時間を超えて、労働させてはならない」です。しかし今の原則には抜け道があります。なので現実的には「今ある抜け道を塞いでいく」という進み方になると思います。
例えば労働基準法32条で1日8時間、週40時間という上限を設けていますが、同時に36条が抜け道となっています(36協定。特別条項を付けることで一月に120時間残業することも可能)。ですので「もう少し厳しく、せめて月100時間にしましょう」という話が進んでいます。
また38条・41条を使い、裁量労働者・管理者等の規制を緩めることができます。裁量労働制・コアタイムはうまく使えば多様な働き方を提供でき有用ですが「名ばかり管理職」として悪用もされていますので、対応を考える必要があります。
抜け道を完全には塞げないかもしれませんが、小さくしていく努力が必要です。労基法より厳しい国際基準であるILO条項が一つの目安になると思います。
繰り返しますが「一律でどーん」となんて非現実的な気はします……。それでも「やっぱり抜け道はダメ」「原則禁止」という”考え方” ”認識”をなるべく多くの人が共有してくれることが大事なんです。今はまだ「一律禁止という考え方そのものが正しくない」との認識も少なくありませんので、「やっぱり一律禁止がいい、なぜなら」と理屈をつけていってる段階です。
「残業禁止」という原則を全員が意識し直せば「別に仕事はないけど周りがまだやってるから帰りにくい」という人たちを帰宅させやすくなります。日本人には「建前」「お膳立て」が結構有効です。帰るに帰れない人たちは決して少なくありませんので、それだけでも随分違うはずです。
A4. どうしよう…。破ったら罰則を与える基準が厳しくなることは、意味があると思います(弱気)。訴えやすくなりますし。(回答不足です。引き続き考えていきたいです。ボソッ)誰か助けて
個人の意識、社会の意識含めて、あらゆる手段でそれに対抗する必要があります。今回の残業規制もその一つです。法律をギリギリでかいくぐるブラック会社に社員が集まらなくなるなど綻びが出始めている現在、法をかいくぐる、法を守らない会社をフルボッコにする気概を持ちましょう。(我ながら曖昧すぎる。回答不足)
残業規制がADHD排除の論理なわけないじゃん - bottomzlife’s diary http://bottomzlife.hatenablog.jp/entry/2017/02/27/031107
で産業革命後の労働者改革について触れてくれています。子供が働かなければいけなかった時代から、そうでない時代への移行がありました。日本でも昔は12時間労働が当たり前にありました。そこから多くの社会運動により徐々に改善していったんです。
交通規則でも「信号を守らない人はいるけど、その人に合わせてルールを破るよりはルールを守っていた方が結局自分の利益になる」という認識ができています。やりようはあるはずです。
現実に即した法と、皆が考える理想はズレが出ます。それは別に悪いことではありません。身近で実現可能な目標を立てるというのも大切ですが、同時に、理想・目指す方向というのは分かりやすい方がいいんです。「残業禁止だけど、こういう会社とかこういう人とかあれとかこれとかはセーフ、を目指す」と言われても腰が上がらないでしょう。
A5. 中小企業を10年ほど経営したことがあります(現在はバトンタッチして転職)。一概には言えませんが、そもそも一人分、家族分の食い扶持を稼ぐだけならなんとかなることが多いんです。小さな会社で代表の私だけ夜遅くまで残業しまくっていても労基署にバレるわけがありません。自由に残業できます。
しかし、ここで欲が出ます。「あー、1人で(または夫婦で)残業残業はさすがにしんどいわ」。もうすこし大きな規模なら「二店舗目、三店舗目を出せば、自分はオーナーとしてゆっくりできるかも」ITベンチャーなら「スケールアップして上場したい」等々。
人を雇おう。これは良いことです。そして雇った人に8時間働いてもらって給与を出す。すばらしい。しかし、そこから「社長の俺が働きまくってるんだからお前も働け」となるのは社長のわがままです。(やはり回答不足です)
A6. 違う。社員に沢山働いてもらわないと自分がしんどいからそうしたんだ。社員に沢山給与を払うと自分の会社がつらいから時給900円にしたんだ。その責を社員に負わせるな。
このように管理者としての責任を果たさず、会社としての責任を果たさず、その責を巧妙に働く側に擦り付けてくる輩がいるからこそ規制が必要になる。(回答不足)
A7. これには役員・社員だけでなく、関係会社もろもろみんなの意識を変える必要があります。「やらなくていいことはやらない」「80%の完成度を目指す」などです。(ズレた回答だな…)
「私のところは100%のクオリティーだからこそ競合他者と渡り合っていけるんだ、手なんか抜けるか」等が問題になるか…。Q13でも追記します。
A8. 少子化にストップをかけるには出生率2.1は必要だと言われており、それは残業規制だけでは成しえないでしょう。ただ、次の例を考えてください。
「ウフフ、今日も二人でイチャイチャ// のつもりだったけど疲れた…。今日は寝る」そうでなくとも「お気に入りの動画でウフフ」なんて考えるどころじゃないくらい働いた日があなたにもあると思います。
「終電が満員になる社会で子は増えない」https://togetter.com/li/997974 にも多くの同意が寄せられているように「疲れ」は性生活に大きく負の影響を及ぼしています。
A9. 会社員を辞めて独立する自由もあるし、空いた時間で副業をする自由もある。残業規制には個人の自由時間を縛る力はないんです。自分を高める時間を8時間以上取りたいのであれば、溢れた部分は家でやりましょう。仕事の話ではありませんよ。自分をさらに高めたい人についてです。
A10. 家でやりましょう。趣味で四畳半をシスコのルーターとラックマウントサーバーだけに使ってる人も沢山いるんです。
冗談です。会社が「在宅ワーク」を指示したのであれば、それに必要な機材は会社にそろえてもらいましょう。またはリモート接続を許可してもらいましょう。
会社の指示ではなく「自分のために会社の機材を使いたい」のであれば「会社のルール」に従う必要があります。会社のルールは「社会のルール」に沿って作られます。よって会社の資産を使いたいが社会のルールには従いたくないというのは通りません。
社会のルールはフェイルセーフ、安全側に寄って作られる必要があります。つまり「能力のある人にはもっと会社で働く自由を」ではなく「働きたくないのに働かされてる人を守る」方が選ばれます。
A11. 無茶な要求は聴かないようにしましょう。これには顧客側の意識改革も必要です。でも大丈夫です。残業が減って、皆がいつよりゲームをする時間が増えれば、必然今よりも多くのゲームをプレイし、一つのゲームに集中する必要もなくなるからです。待ってくれるようになりますよ。
A12. それはもう「働く側を守るルール」ではなく「会社を守るルール」です。
そうはいっても色々あるでしょう。ですので「原則」ではなくて「補足」で、そのような人たちについて考えましょう。繰り返しますが、この場合の補足は主に「原則に例外を設けていく作業」となります。これは容易に「抜け道」とされますので十分に注意が必要です。
Q13. 前回最後の一文『「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ』は正しいか?
A13. 次のような経験を例に出します。同僚「〇〇さん、ここが分からないんですけど、教えてくれませんか?」と聞かれた。しかし私はそのとき他の案件で手が離せず(うー…とりあえず…)「こうこうこうすれば動きます。」と回答をした。確かにその場はしのげたが、これでは同僚はなぜそのようにしたら動いたのか理解はできていないだろう。後でフォローする時間がないなら尚更である。みんなにも似たような経験があると思います。
ADHDで職場で苦労している借金玉氏のブログでも「部下がミスをした」「私が怒られた」「上司の指示が足りなかったせいなのに…」とはいったものの「そもそもそんな時間も心の余裕もない」からであり仕方がない。と、似たような事例が発生しています。http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170218/1487428178
時間の無さは、誰かを助ける余裕を即座に奪っていきます。夜22時まで自分も働いているのに、その中に仕事が遅い人がいて後2時間くらいかかりそうだとなったら助けに回れるでしょうか。逆に17時定時がいつものルーチンと分かっていれば、助けようと思う人がきっと出るでしょう。そもそもなぜ仕事ができない人が皆が仕事を終えてもさらに2時間も仕事をする羽目になるのかというと、終わりが決まっていないからです。好きなだけ残業をできるから、会社も好きなだけ残業をさせる気だから、帰れないんです。残業禁止であれば、わざわざ残って助けるまでもありません。次の日に回すんです。(「締め切りがあるんだよ!!!」に反論できないのですが……)
そして、この時間の余裕は上司のパフォーマンスにも影響を与えます。上司が個々の能力に合わせてうまく仕事を振れないのも、上司自身に全体を見渡す余裕がないからです。中小企業であれば、人を雇うのにまず「時間的余裕」が必要になります。社長のワンマンで採用をこなす場合も多いので、社長が「人は欲しいけど、今自分のことでいっぱいいっぱい。もう少し時間が取れたら考える」となると、雇われる人が仕事ができるできない以前の問題で止まるんです。採用の第一歩に入りすらしない。
現在かなりの人手不足です。大抵の会社は首を切ってる場合じゃないんです。「忙しい」→「人員逃げる」→「さらに忙しくなる」の負のスパイラルを逆回転させるなら今がチャンスです。(それでもやはり中小企業にしわ寄せがくる→日本企業のほとんどは中小企業である→不況に逆戻り。等、不安は尽きませんが)
以前、「テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったのか?」http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20141114/p1 というエントリが話題に上がりました。
誰がこんな社会をつくったのか?もちろん、こんな社会をつくったのは「私達」だ。システムと「私達」の二人三脚が、現在をつくりあげた。
テキパキしてない店員は御免蒙りたい・愛想の悪い窓口対応にはクレームをつけよう・融通の利かない同僚とは働きたくない--そういった私達の欲望が寄り集まり、競争社会と個人主義の流儀に基づいて具現化したことによって、社会全体を覆う淘汰圧となって私達自身に跳ね返ってきたのだろう
テキパキしていない人、愛想も要領も悪い人が働く場が排除されることで成立するような社会は、たとえ便利で快適でも、理想の社会と呼んではいけないように私は思う。どこかで、新しいかたちで、揺り戻しがあって欲しい。
こんな社会をつくったのは「私達」だ。だからこそ、私たちの意識が変われば、社会の意識が変われば、もう少し誰にとっても生きやすい社会を作ることも可能だと思う。(回答不足)
米国では「完ぺきではない配送方法を受け入れる」という転換がありました。「日本もそうしろというわけではない」と書かれていますが、とても参考になります。http://news.mynavi.jp/column/svalley/697/
世界中から秀才が集まるわけでないし人口も減っている環境下において「有能が揃わないと勝負できない」では話にならないわけで、多様性を受け入れパフォーマンスアップを模索する議論が高まるのは「希望」だと思う。
なるべくならルールや規制なんて少ない方がいいんだよ。子供じゃないんだから自由にさせてくれってのも分かる。だけど、もうずいぶん長いこと自由にやらせてもらって来たんだよ。ここからは http://anond.hatelabo.jp/20170225005434 からの引用なんだけどさ、
なにより、皆「自分で好きに決めたい」と言うくせに「自分では決められない」のだ。
社員は「今日は早く終わった…でも周りが残ってるから…」と流される。
管理者は、部署には能力のある人・ない人どちらもいる。それを管理し全体としてうまく回すという役割を放棄し「できない奴が悪い」と社員に責任を転嫁する。または権限があるのに「でも社員が頑張りたそうだから…強く言って嫌われるの嫌だし」と流される。
会社役員は「社員を過労死なんてさせず、文化的な生活が可能な給与を与える」という基本的なことができない。「社員のことを考えたいが、ある程度もうけを出さないと株主に面子が立たない」と株主のせいにする。
これは仕方のない面もある。人は「社会」というものが存在する世に生まれたがゆえに、乳飲み子のころからあらゆるルールに縛られて成長してきた。あれやっちゃダメ。これやっちゃダメ。だからいざ「自由にしていいですよ」と言われても困ってしまうのだ。日本人は特に。
だから「ルールで決めてしまう」のが多数の幸福に繋がると思う。そして「効率だけを考えるとひずみが~」というが、何も一日3時間で帰れるように効率化しろなんて言っちゃいないんだよ。毎日12時間13時間じゃなく、せめて8時間で帰れるようにしようぜって言ってるだけじゃない。
個人事業主として、または中小企業の社長として、自分のところは現状「残業ダメは厳しいなー」と思うのは仕方がないけど、だから国全体も一緒に不幸なままでいてよってのはないでしょ。
確かに、一律で決めるのは難しいのは分かるんだよ。でもそうせざるをえないくらい現状がダメダメなんだよ。「優良企業」「大企業」が本当に優良で社員のことを考える社会だったらここまで仕事時間に批判は出ていなかっただろう。
でもそうじゃなかったんだよ。結局規制をしない限り会社は社員が過労死しようが意に介さず、日本のそうそうたる企業が「できる社員」を次々潰していく。
中小企業は社員の命を奪っても「会社が潰れたら社員も困るだろ?職がなくて自殺するよりいいだろ?」が通る。社員自身も自分の意志より周りの空気、自身の健康より会社の健康を優先する。怒られたって仕方ないでしょ。
もう20年以上「がんばれば日本はなんとかなります」って、聞き飽きたんだよ。それよりも「数千万人の余暇時間を毎日1時間増やしますのでがんばってください」の方がよほどやる気になるよ。
http://izumojiro.hatenablog.com/entry/2017/02/27/194152
なるほど。たしかに今の時代、テレビから取得する情報よりもインターネットで得る情報のほうが価値があるかもしれない。
インターネットは情報の選択可能性を有している。インターネットにおいて、関心のない情報は見なくて済むし、気分を害するような記事やコンテンツも意図的に取り除くことができる。
Twitterを始めとしたSNSも、その強みの本質は情報の効率化だ。
気が合わない人のアカウントはブロックすればいい。馬が合う人とだけ相互フォローの関係を結んだ上で情報を共有する。無駄のない社会、素晴らしい。
では、ここでひとつ。知的好奇心を満たすという前提で、テレビは本当に必要ないのだろうか?
リンク先の記事の担い手は、テレビ無しで生活をした上で実感を語っているだけである。記事の書き手に罪はないので、それを言及するつもりはない。
ただ、教養や知識を蓄えようとするならテレビは必要不可欠なアイテムだと私は思う。
理由としては、テレビの情報にも価値はあるからである。むしろ、近頃はインターネットに掲載された中身の浅い記事やwikiよりも、NHKのドキュメンタリーや放送大学の講義のほうが体系化された智慧として有用性が高いように感じられる。
なぜなら、傾向としてインターネットの知識は皆一様に同じものを選択することになり、情報が共有できてしまう以上、その情報に価値がないからだ。
知人に大学講師が数人いるが、試しに話を聞いてみると、インターネットのニュース記事も読んでいれば、テレビ番組もしきりにチェックしている。もちろん熱心に本も読む。
あくまで私の周りの傾向なので、いやいやそれは違うだろと云う人もいるとは思う。
何はともあれ、私はテレビ不要論にはわりと辟易としている。これは個人の意見なので、どっちが正しいか悪いかという線引をすることがこの記事の目的ではない。
それでも、インターネットのほうが便利だという意見はげんなりするほど耳にする。一昔前よりもテレビの優先度が減ったことだけは確かだが、そこまで必要のないものだとも思えない。
・全世帯の可処分所得の中央値の半分以下である世帯を貧困と定義。この定義だと6分の1の子供は貧困になる。
・貧困の調査において「剥奪指標」を用い、物的資源の欠如、つながりの欠如、教育・経験の欠如の3点で調査した。
・この子供の貧困を放置した場合、低収入などで42.9兆円の社会的損失が予想される。
・貧困の子供は、苦労している親を助けられないジレンマや、自分の将来に楽観が持てないことで自己肯定感が低くなる。
番組ではその現状を伝えることが目的だったので具体的な解決策まではありませんでした。
剥奪指標である、物的資源の欠如については、「ジモティー」みたいな需要と供給のマッチングのサービスが有効かと思いました。
こういうのを国主導でやれないのでしょうか?
開発費、運営費が具体的にどのくらいになるかはわかりませんが、生活保護に比べて、費用対効果は大きいんじゃないかと思いました。(効果とは国民の生活水準向上、幸福感です)
ジモティーでもいいんですが、国がやって、すべての国民が知って使うようになると、ますます有用性が高くなると思うのです。
あと、つながりの欠如については、
デンマークのコウハウジングコミュニティーみたいな、大きなスペースの中に各家族がプライベートな空間を持って住み、家族間を超えてつながりを持ちやすくするような住形態があったらいいなと思いました。
今後は過疎化していく地域などでも、こういった助け合える、つながりを持てるような場が必要だと思います。
結局は必要になってくるものなら、これも国がインフラとして作ってもいいと思います。
コミュニティーができれば、レクリエーションなどで、遠くへ旅行できずとも色んな思い出が作れると思うけど、塾レベルの教育は難しいと思います。
今回の番組を見て、国がもっとお金出したら良いのにと思ったのは、42.9兆円という社会的損失です。
それは結局は生活保護などで補填しなければならない損失になると思います。
損失がそこまで大きくなる前に対策できるのであれば、それにはある程度のコストはかけていいと思うんです。
国視点だけではありません。
貧困の子供は自己肯定感が低くなるということで、自立して生きる力が育たず、幸福感を得れない人が増えると思うのです。
最近の就職の安定志向や、専業主婦願望といったものは、自分で生きていく自信のなさの表れだと感じます。
安定はすぐに飽きます。自分の力で生きていくことの幸せを知らずには、不満が増えるだけでしょう。
不幸な人が増える事自体、憂慮すべきですが、それによる社会の問題も増えます。人間が荒めば社会も荒むでしょう。
上に挙げたインフラをただ整えるだけではうまくいかないと思います。
日本の貧困は「相対的貧困」というもので、紹介された子供たちは生きていけないレベルの貧困というわけではなく、
日本の生活水準における相対的貧困、他の一般的な子供たち、友達と同じように物を買ったり旅行ができなかったりすることが問題でした。
つまり、他人と比較することで貧困を感じ、不幸な気持ちになるということです。
コウハウジングを作っても、他人を信頼できない人は快適な生活はできないし、そこに住むという劣等感が拭えなければ幸福になることはないでしょう。
これは、意識次第と言うこともできます。ですがその意識を変えることは容易ではありません。
生きていく上で本質的で重要な、自己肯定感を高めることや、他者と比較・競争しなくてもいいということなど教えたり、
勝ち組になりたいと思わざるをえない環境をなくして、強くて幸福な子供が増えると、いじめをする動機すら薄まると思うのです。
これも国主導で、社会学者や心理学者を集めて、国民の意識を良いものにしていくための教育作りはできないんでしょうか?
国がどこまでやっているか、何を試したのかを全く知りません。
http://anond.hatelabo.jp/20170202144732
http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000
作品の最後に描かれるんだけど、読者を喜ばせることよりも、クライアントに評価されることの方が価値ある報酬として機能してるのね。シナリオへの対価がアップすることがわかりやすい目的になっちゃってる。いいよね数値化される評価って。彼らたぶん、ユーザーにどのようなゲーム体験でシナリオが届くかとかにはあまり興味なくて、重要なのはソシャゲ製作ってルールの中でどれだけ有用な駒になるかってことで、それ以外の価値観は重視されてなくて、作品単体の面白さとか基本問題にならないの。びっくりするくらいどうでもいいの。
本来は、クライアントに評価されることと、作品単体の面白さ、ユーザーにどのようなゲーム体験でシナリオが届くかは全て大切であって、どれかを取るようなものではないと思う。良いシナリオを書いて、ユーザーが喜び、ユーザーが喜ぶようなシナリオをクライアントが評価するというのが、理想的な流れだろう。
ただ、ゲームをプレイもせず、クライアントの評価だけに喜ぶのは、プロとしてもダメな姿勢だ。
例えば、主人公がヒロインに啖呵を切って「自分一人でシナリオを完成させる!」って誓った最後の山場で、でも結局締切に間に合いそうにないときに、ヒロインに頼っちゃうのね。アレだけ必死に願掛けしたのに、あっさりそれを翻しちゃう。それがなんでかというと、この作品の世界では「締切を守ること」が絶対条件なの。曲がんないの。「クライアントに泣きついて、締切を延ばしてもらって、それでも作品のクオリティを上げる」とかは想像力の範疇を超えるの。そこまでして良い作品を追求することはありえないの。時間を戻すなんて超常現象を持ち込んでも、守らなければならないの。不可侵なの、締切。
良い作品を作るために、自分だけで何とかするのではなく、他人に頼ること、〆切を守ろうとすること自体は、お仕事ものとして正しいと思う。
それはそれとして、超能力で時間遡るのは「プロとして〆切を守る覚悟」とは致命的に相性が悪いのは確かである。
これは心から賛成する。ヒロインは、金の大切さというものを全く理解していない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N334XBG/
ソシャゲライターのクオリアちゃんを、お仕事ものとして見た場合、先輩であるヒロインが、主人公に業界のことを教えていくという形をとっている。
一方で、このヒロイン、お仕事ものとして、主人公を導くには、あまりにも問題がありすぎる。具体的に言うと、お金の大切さがわかってない。
ソシャゲライターとして主人公を導く立場にあるヒロインの月収は、五万円である。ソシャゲ専業なので、他に収入はなく「全部で五万円」。いつ来るかわからないソシャゲの発注に対応するために、他の仕事を全く入れてないのだ。当然、生活は成り立っておらず実家に寄生している。
よくある話だが「お金のために仕事をしてない」という人は、お金を儲けることを罪悪視するようになる。このヒロインも「書き手としては、売り上げや継続率について考えるのは心苦しいとこもあるが」と言い、「あまりお金に余裕がない生活をしている為「プレイヤーにお金を使わせること」に繋がる考えは受け入れがたいところがあるのだろう」と言われている。
だが客がお金を払って初めて利益が発生し、そこからギャラが出るのだ。そうなるように良いシナリオを書くのが仕事であって、そこに心苦しさを感じるのは、プロとして間違っている。
そもそもヒロインは、専業にこだわった結果、スマホも買えず、自分がシナリオを書いているゲームすらプレイできない。誠実な仕事の態度とは言えない。
金にならなくても、好きなことに、犠牲を払って打ち込むというのは、美談ではあるが、逆に見れば、やりがい搾取の精神である。
主人公は、ヒロインに正面から告白するが、ゲームのセリフと勘違いされて、シナリオ書きの手伝いにスカウトされる。そして、ヒロインの窮乏を知って、手伝おうとする。彼自身はスマホは買える立場であり、安すぎるギャラのためでなく、ヒロインの収入を少しでも増やすために、手伝うわけである。
好意からヒロインを手伝う一方で、ヒロインは、天然であるという理由で、彼の正面からの告白を、何度もスルーし続ける。これはこれで恋愛搾取である。
ヒロインがポンコツなのは、無駄に多い異能力者と同じく、よくあるラノベのテンプレを意識したのだろう。「助けたくなるポンコツヒロイン」というのは定番だが、お仕事ものにするなら、「ポンコツだが仕事には真摯」とすべきで、嫌儲ヒロインは、どうかと。
あるいは作者としては、ヒロイン達の態度には良いところも悪いところもある、という意図なのかもしれないが、「ヒロインラブ」な主人公目線で物語は進むので、作品の印象としては「やりがい搾取万歳」になっている。
その上で、ラストにちらりと出てくるライバル系キャラを見る限り、お金の問題は二巻以降に扱うのかもしれない。そのへんは期待したいところである。
ヒロインが、そうまでしてソシャゲ専業にこだわる理由は、実績を作って、よりよいソシャゲ仕事を手に入れるためだが、そうした実績は専業でなくても積める。むしろクソ安い、クレジットにも出ないシナリオ仕事を幾つかやっても、あまり実績にならないことも多い。色々なライター仕事を受けて、見聞を広げ、信用を積み上げていったほうが、ソシャゲ仕事も良いものが回ってきやすくなる、とアドバイスしたい。
あとヒロイン、時間の使い方が下手過ぎ。〆切ギリギリまで悩んだ挙げ句に、無許可の新設定を送りつける前に、「こういう理由で悩んでるんですが、ここはどうしましょうか?」と早めに先方に相談しよう。
ラノベである以上、100%現実に即する必要は無い。だが本作の場合、ただのお話しではなく、「現役ソシャゲライターが業界のリアルを伝える」系の実践的な参考書として売られている。作者のあとがきや、著名ライターの応援文からはそう取れる。
その内容が「月収五万の嫌儲ヒロイン」なのは、どうかと思うのだ。
しかし下村氏も、下村氏の部下も、まさか月収五万なわけではないだろう。どちらかというと、彼らは、下請けライターであるヒロインに仕事を発注する立場だ。
そう考えると、かなりつらい話である。
偏差値なんて正規分布かどうかだとか母集団が十分に多いかどうかだとか
色んな要素で信用ならん事になりかねないようなものを必要以上に重要視するのがそもそも間違いなのでは
あくまで受験においては有用、ってだけでしょ。人間の質を云々するに使う時点でズレが生じてる。
そもそも偏差値って別に勉強ができるかどうかだけに使われるわけでもないはずで
例えば身長の偏差値(http://anond.hatelabo.jp/20170130194321)とかも出せるし、勉強ができるかという指標に使うにしても別に全国との比較だけしかできんわけでもなく
校内偏差値とかも存在するんだけど、無視されがちなのは納得がいかない。
だいたいその全国とくらべての勉強の偏差値とやらも、2.5だ5だの差異ぐらい全体から見たら大したことない(http://anond.hatelabo.jp/20161227230331)でしょ