はてなキーワード: 年金問題とは
これ悪くないと思うんだよね。
日銀が大量に緩和してるけど金融緩和って国民に恩恵ないじゃない。
だから日銀が大量に買って買って買いまくってる日本の上場会社のETFとかREITのETFを丸っとまとめて投信?ETF?にして配ればいい。
国が証券会社に口座作るときの共通申込用紙を作って、宛先だけ別の封筒を日本の証券会社の数だけ同封して発送すれば、それで口座開設OKとかにしてさ。
反社とか口座作れない人とかどーすんの?って問題はあるけどさ。マイナンバーで管理して開設ダメな人は別案内で他の給付案件ってことで。
この案の良いところは3つ。
まず、国民の老後2000万必要問題に対して「貯蓄から投資へ」をダイレクトに導入できる。老後の年金問題にプラスでしょ。
次に、日銀の出口が出来る。債権と違っていつかは売らないといけない、どうする問題はこれで解決。
進行形でETFなど買ってるから、その都度、毎月積み立てのように分配して国民全員に新型コロナが終息するまで長期にわたって経済支援ができる。
特別国債を発行して日銀の持ち分を毎月現値で買取、それを基準に国民に分配すればいい。日銀は利益でたら国に納めるはずだし財政負担少なくね?
最後、国民は分配してもらったら、すぐに売って現金化することもできる。十分に利益が出てから売ることも出来るから、利益でたら納税することにもなる、財政負担少なくね?
日銀の残高が30兆とかいうし、規模的にも十分。30兆を国民みんなで分けるといくらだ?
悪い点は、いますぐお金が入るわけじゃない。株の売り圧力になる、そんな感じ。あと、国の借金が30兆ほど増えるか。でも、もう誤差でしょ。
かつて、ロスジェネ論者のA氏が「戦争は、希望」と語ったが、ロスジェネ世代ど真ん中の自分にとっては、この新型コロナウイルスこそ「希望」かもしれないと、不謹慎ながら思ってしまった。
聞くところによると、このウイルスは高齢者ほど重症化率・致死率が高いという。
我々世代は、上のボリュームの大きな世代に長らく押さえつけられてきた。しかし、逃げ切りを決め込んでいた老害世代がこのウイルスによって間引きされるのであれば、高齢化による異常な人口分布が補正され年金問題も改善。定年延長で居座る老害が一掃され、労働市場から排除されていたロスジェネ世代にも、活躍できるチャンスが巡ってくるかもしれない。
「風邪を引いたら休む」というのは、労働者にとって当然の権利行使であるはずだ。しかし、老害世代の精神論によって当然の権利行使すら許されず、長らく日本の労働環境はブラックなまま放置され、労働者は奴隷となっていた。本来であれば労働環境の改善を訴えるべき労働組合もその役目を果たすことを忘れており、「働き方改革」も掛け声ばかりでなかなか進まない。ところが、新型コロナウイルスが目に見える形でリスクを突きつけたことにより、テレワークやら時差出勤やらと、矢継ぎ早に「働き方改革」が現実化しようとしている。
いけなくはないんじゃね?
いけない≒悪 だと仮定して話をするなら、悪とは何かって話だろ?
マゴキブリやドブネズミだって殺すのが"いい事"じゃねーだろ。
それともナニか?
チベットやウイグルで何人の感染死者が出るかとか、ウィルスは出ていけってスプレーされたフランスの日本料理店の話だとか、国内でやけにしおらしい感じになっちゃってる在日訪日中国人だとか、
カゼに弱いお年寄りと年金問題や相模原殺傷事件の話でもすればいいのか?
それはどこの国でも同じだし人間ってのはそういう生き物だ。殺したきゃ勝手に殺せよ。
マジなんだとしたら、俺はいい加減にこの手の話は飽きた。
※飽きたけど追記だけしに来たぜ?
保健所ってのはそんなにいけないところなのかねぇw
過疎化→だめなら安楽死するから、いっそそれまで開き直って田舎に住むか!パターンすらある
良いことしかないじゃん?
自殺がOKなら安楽死はもっとOKってことにならないとどう考えてもおかしいわ
労働環境が悪い仕事をする人がいないと、社会が回らなくて困るぅ!が根底にあるとしか思えない
死ぬまで追い詰められるだろ!って言うけどさ、
今でも追い詰められてるんだよその人たちは
切るぞ!っていう脅しだ!と感じるのはイジメっ子の側だからではないでしょうか笑
お前らゴミを利用だけはしつくしたいんだ!って本音をぶちまけられましても笑
もちろん安楽死
死ぬ日時がわかってるから遺産の事なんかも心置きなく前もって話し合いできる
認知症の介護なんかも終わりがちゃんと設定されてるので親族の色んな負担も軽減された
あとは、そうだな、
もちろん年金問題も軽減
高級旅館風の所もある
大抵の企業が慶弔休暇として1〜7日程度で設定してる
食事もおいしい
この施設は宿泊ができて一応有料なんだけど一親等は格安で二親等もかなり割安で利用できる
知人も宿泊はできないけど入場はできる
大きなスクリーンのある映画館みたいな所で思い出の映像を流したり(本格的な映画みたいにするのが流行ってる)
写真と映像は本当鉄板で映像の後には大抵主役への手紙とかを読む
結婚式みたいだよね
逆に主役のじーちゃんばーちゃんが何か特技を披露したりってのもある
有名なアーティストとかだとライヴをしたりその様子をテレビで放送したりもしてる
そんな感じ
この制度ができた当初はやっぱり賛否両論あったけど、もう浸透してここに来るのを楽しみにしてる老人も多い
初めは親族が主役をもてなす感じが主流だったけど、最近は主役のじーちゃんばーちゃんが
こういうの好きな人は会社定年になった頃からコツコツアイデアを温めたりしてるんだって
そんで手短に形だけ葬式しておわり
親族はもちろん最後いるけど、知人とかは大抵お別れ映画みて主役と挨拶したら帰る感じ
悲しいってより今までありがとうって感じかな
結論を言うと、現代の若者は世界に愛想をつかしており、救う価値が無いと思っている、ということである。
一方、資本階級である老人は、この世界は皆にとって素晴らしく、救う価値があると思い続けている。
映画、創作で人気が出るものは、その時代の二次創作である。ターミネーター・北斗の拳は冷戦時代の「いつか核が落ちて世界が荒廃してしまうかも」
という恐怖の二次創作として、読者は共感し、物語に入り込んだ。
どちらも来るべき運命を、救世主が救うというストーリー。当時の皆はこの世界は救う価値があるし、自分が上に立って救いたい、という救世主に憧れる思想があった。
当時は若者がそれなりに多かったし、世間の目も若者に向いていた。
しかしそういった作品も、冷戦が終わり、反戦的雰囲気が醸成されていくにつれ、
そこから最終兵器彼女やエヴァンゲリオン、スターウォーズwp1も、ある意味セカイ系に近い。のような、「大人の事情」によって子供が世界を救わされるという作品が幅を利かせてくる。いわばセカイ系と呼ばれる作品だ。
ここまでは、まだ現代が舞台で、この世界は救う価値があるかはわからないが、自分は英雄になって世界を救ってみたい、といわば中途半端な思想だった。しかし、スターウォーズやジュラシックパークが幅を利かせてきたように
「ここでないどこか」への幻想というものが生まれてきたのもこの時代なのではないかと思う。
そこから、異世界系の物語、ゼロ魔だとかが人気になる。千と千尋の神隠しもそうだ。「大人の事情」によって子供が「異世界を」救わされるという作品が表立ってくる。
しかしここまでは、この世界は救う価値があるかもわからないけど、戻る価値はあった。自分は英雄になって世界を救いたい、という思想は残っていた。
そしてそこから不良マンガが流行った。一種のパラダイムシフトなんかではないかと思う。
この世界は救う価値は無いが、少なくとも自分の周りの地域は救う価値はあるんじゃないか。地域の中の英雄くらいには慣れるんじゃないか、という思想。
しかしそれもすぐ終わる。不良が色々やらかしたのを見た人々は、反骨精神も、世界の価値も、英雄譚的物語も、現実だとしょうもなくくだらないものに見えてしまった。
全てが虚無でダサいものになってしまった。というより、不良は伝統と化した。
特攻服を買うのは一部の金持ちのボンボンの子だけで、不良的ツッパリも逆に今の教師世代からは推奨される始末。twitterで決闘の話が、守るべき貴重な青春物語として保護されるようになった。
そして現代に至る。景気は良くなってると言うけれど、肥えるのは中年の資本家だけ。若者は職にはありつけるが賃金は低い。年金問題がよく語られるが、それを見て解るのは
貧しい若者の金が、さらに肥えてる中年に吸われていく絶望的な営み。消費税が上がって、年金問題が解決すると喜ぶ老人たち。世の中にあふれる物語も、左翼全盛期の中年の為に用意されたポリコレばかり。
洋画もシリーズ物で興行収入を稼ぐものばかり。結果、なろう小説が流行る。
なろう小説は「行きて帰らない物語」だ。英雄になりたいとは思っても、ニヒリズムに溢れた主人公で、人の上に立ちたいという欲望は薄い。
この世界は救う価値が無くなり、英雄にはなりたいけれども、人の上には立ちたくない。自分の周りの大切なヒロインを守ってればそれでいい。
という価値観である。一億総るろ剣時代だ。皆を助ける事は出来ないが、自分の周りくらいなら助けられるだろうと言う世界観。
現代を救う話は、共感できなくなってしまった。むしろ現代を壊す側の方に感情移入してしまう。
天気の子が売れたのも、そういう世相を反映してるのではないかと思う。君の名はまでは小さな地域を救う話だったが、天気の子はセカイを壊す話だ。
ゼロ年代あたりで生まれたセカイ系の物語に対する回答、「一人の子供ですら潰して利用する世界に価値はない」という回答。
「何も知らないままで、知らないふりをしてる」豊かな人たちに「何も足さず、何も引かないでください」と訴えかける作品。
ジョーカーが人気が出たのも、そういう世相を反映しているからではないか。
現代を描くには否定的になり過ぎ、異世界を描くには肯定的になり過ぎる世界。この先はどうなるのだろうか。
異世界にすら絶望して、人一人、自分すら救えない話になるのだろうか。
ひょっとすると、ジョーカーは一種の異世界モノなのではないかと思う。兎に角世界を壊して、勝手に皆が英雄として崇め、ニヒルな笑顔でそれを見つめる。
年金問題で今後は年金受給額が減って65歳や70歳になっても仕事を続けるしかない!自民党責任とれ!!っていっている人をよく見るけどさ、年金制度の是非は置いといて、俺の半径10メートルの話だから科学的な統計とか皆無だけど、仕事やめて家でテレビとか見てるだけの高齢者がどんどん認知症になってるから、認知症予防のためにも可能な限り働いてたほうがいいよ。
特に男性は職場を離れると一気に家族以外の他人とコミュニケーションをとる機会がなくなるケースが多い。「他人との会話のキャッチボール」は脳を使い続けて認知症予防に最適なので、逆にこれを突然やめると脳の劣化が一気に始まる。日頃からコミュ力もあって職場以外でも地域コミュニティで友人付き合いとかボランティア活動できる人だったらそんな心配少ないだろうけど、俺含めてたいていの男性ってそういうの苦手じゃない?仕事という強制力がないと話したくもない人と話そうなんて機会滅多にないよ。俺みたいに「早く仕事辞めてため込んだ本とかゲームを一人でずっとやってたい」なんて人間は仕事リタイアしたら一気にボケると思う。
俺の周りでは、60歳過ぎて貯金蓄えも十分で悠々自適で引退した人たちが70歳超えたあたりで次々と認知症発症して介護で家族が四苦八苦してるケースよく見るし、逆に娘親子が離婚して実家戻ってまだ孫を養わないとならんので70歳超えても働いてる一見悲惨な老人男性も知ってるけど、その方は仕事もいまだに現役だから頭もさえてて活力がみなぎってる。人間としてどっちがマシかと考えると後者じゃないか?ま、金に余裕があるなら引退してから大学に再度通い始めて学びの余生を送るってのも悪くないけど、たぶんそんな余裕がある上級高齢者は一握りだろ。
肉体的健康をどれだけ維持できるかってのもキーになるけど、悲しいけど認知症発症予防で一番有効なのは「社会活動の継続」で、人付き合いやボランティア活動に疎い連中には「仕事を続ける」のが一番の対策だよ。絶望させるようで悪いけど、お前らもこまめにウォーキングして健康できるだけ維持して可能な限り働き続けたほうが、しんどいけど人間としての尊厳は維持した人生を送れると思うぞ。お互い頑張ろうな。
https://togetter.com/li/1282854
中小配送業者の実態が経験談として語られたツイートをまとめた記事。
さすがに嘘でしょと思ってる人もいるかもしれないが、私は経験上これが真実であることをよく知っている。
彼らが受け持っている配送エリアにおける集配時間はおおむね9時~18時である。休み期間など、ごくまれに荷物が少なかったり、配達・集荷先がないため多少早めに終わることができる場合もあるが、そんなに早くは終われない。そして昼休みを1時間取ると仮定するとこれだけで8時間労働となる。これは夜間配達がないものとしての計算だ。
しかし彼らは配送業者である。集配エリアに直行すればそこに配達するべき荷物の入った車が置いてあるわけではない。集積所に出向き、荷物を積み込み、集積所から配送エリアまで移動する必要がある。そして終業時には逆に集積所に戻り、集荷した荷物を降ろし、配達伝票を片付けるなどの雑多な事務作業があり、車を片付けなければならない。これらの作業と移動時間を合わせれば、ゆうに3時間はかかる。つまり、ほとんど何事もなく終わったとしてもデフォルトで3時間の残業がある。しかもこれは「1時間の昼休みをとっている」こととして計算している。実際のところ中小では昼食をとるにも運転しながら、などはザラである。そこに夜間配達が発生すれば残業時間は爆発的に増えていく。
彼らは低賃金、あるいは日当で、今もなお残業代などという概念がないと思われる。理由は最大手のヤマト運輸の惨状を見ればわかる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47309620S9A710C1MM8000/
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190809-00010001-wordleaf-bus_all
直接的には表現していないが、要するに「法に従い、労働時間を守るために人を増やし、残業代をきっちり支払ったら大赤字になった」ということである。これまでどれだけ従業員を無給で働かせ搾取していたかは想像に難くない。
これまで残業代を払っていなかった中小運送業者が労働時間を守ろうと考えたとする。
すると、3時間のサービス残業+実態のない昼休み1時間=4時間分人手が必要ということになる。つまり単純計算で1.5倍の労働者が必要で、そうなれば今の人件費の1.5倍必要だ。これは夜間配達を計算していない。この時点ですらペイできる能力のある運送業者など皆無だろう。ヤマト運輸が値上げしてすら賄い切れていないのだから。
いわゆる下請け企業は、ほとんどの場合同様の働き方をしている。
どういうことかというと、自社事務所に出勤し→準備をし→車を走らせ→元請けの事務所、あるいは現場に到着し→元請けの基準に従い8時間の労働をし→自社事務所に戻り→多少の事務作業や片付けを行う。
元請けも自分たちから見えていない、下請け業者の事務所での出来事には目をつむっている。直行直帰しているものとして扱っているのだ。中にはデフォルトで残業があるものとして考えて支払っている元請け業者もあるだろうが、それを下請け業者が労働者にきちんと支払っているかどうかはわからない。
私はこれまで(本人はそのつもりがなく)悪行を重ねてきた経営者たちを擁護するつもりはない。むしろ糾弾したい。
法に則った健全な経営をするためにはあまりにも問題が山積している。
残業規制が効果を発揮してくれば、生活費に困る人も数多いはずだ。そうなると基本給を見直す必要がでてくる場合もあるだろう。労働時間を減らし、支払われるべき賃金をきっちりと支払うという当然のことをこなしながら基本給も見直すとなると、おそらく首が回らない企業がほとんどだろう。
高齢者問題、年金問題をはじめ、いくら働き方改革を声高に叫んだところで、過去数十年間のツケを支払い、正常化する能力がいまの日本にあるのだろうか。
NHKと契約してないのでよくわかりませんが、ふと受信料が気になったのでググってみるとたったの1310円でした。
払えない人がいるそうだ。
食費は削れないなんていう人もいますが、食費なんてはっきりいって一万円以下でも暮らしていけます。
業務スーパーの豆腐なんて20円もあれば買える。うどんも同じ金額。お米もパックなら200円で三つ入り買えます。冷凍だって1キロのならいくらでも買える。
ちょっと贅沢してやろうって考えてるからNHKの料金を払えないだけだろう。
そこまで貧乏人がいるのなら働けばいいだけ。
まあ役所も屑しかいないので生活保護ビジネスをしているババアとかを役所に連れていく必要があるのだろうけど。
ともあれNHKがどうこうこんなクソみたいな金額で日々政治カテゴリのブログやら動画やらコメント欄で全力で活動している一般人を見ていると
ほんとレベルが低いなと思います。年金問題を考える方が合理的でしょう。
年金はググってみると毎月毎月1万6340円を支払うようですね。
はっきりいってこれこそいまの老害を支えると言って払うことに問題がありますし、いったい何十年先の投資をしているのでしょうか。
60歳でもらえると思ってた連中だって65になっているしその程度なんですよ。今の約束なんて。その時に決めたものでも社会情勢に勝てるわけがありません。
寿命も延びますが、ぼーっとしてる老害を見てると何してんの?ってなりますよね。
なんのために働くのか、普通に業務スーパーレベルで買い物をして、年金に頼らず貯蓄してりゃいいわけですよ。
80歳90歳になった人なんてあとは死ぬだけってしか考えてないんだから払った年金を小出しに返してもらうより自分で貯蓄したやつを好きなように切り崩してりゃいいんですよ。
優秀な子供がいれば仕送りくらいしてくれるだろう。金がない?そりゃ無能から生まれてくる子供は無能です。
いいかえればDVだとかやってるような親は老後子供からも孫からも慕われることなく虐待でも受けたり放置されるだけ。
やったことが返ってくるだけなんですよね。
たかが1300円程度で目くじら立てる暇があるのなら毎月あほみたいに支払ってる年金についてかみついたほうがいいでしょう。
まあいずれにしても、政治だとか社会のニュースなんて自分とほとんど関係がないことですし
完全に流行りに乗った。
けど、マイノリティだと思うので。
自分について
富裕層ではないので、個人としては自民の政策の恩恵は受けない。
1.理由
その上で、でもやっぱり日本の少子高齢化や年金問題、介護問題の解決策の一つだと思う。
死にたいほど重病を抱えた人も選択肢があるだけで楽になるかもしれない
今は死ぬつもり全くないけどね。
2.自民
文書を平気で破棄する、データ改竄。これだけで投票しない理由には十分すぎる。間違った情報をもとに、どうやって判断するんだ。これで投票しないことを誓ったといっても過言ではない。絶対に許せない。
他の政党になったからと言って改善される保証はないけど、長期政権が理由の一端ではあるはずなので。
3.民主
政権取った時のひどさを思い出すと、入れる気にならない。万が一にも大きな政党になってほしくない。まー、あの時は時代も悪かったと思うけどね。
4.その他
知らね。安楽会がなかったられいわか維新に入れてたかもね。いくつか見た演説とか納得できる部分が多かったから。
まー、安楽会がなかったらもう少し調べて、自民、民主以外に入れてたと思う。
N国が議席を取ったのは、すごく勇気づけられた。たった一つの政策を掲げて、議席を勝ち取ったのだから。(まー、安楽死よりはるかにキャッチーではあるけどね。)
遠くない将来、日本でも安楽死について議論されると思う。その針を早めることが、自分の1票を投じることなのだと信じている。
たった1議席で何も変わらないかもしれないけど、国会で議論をされる(され続ける)ことには絶対に価値がある。
個人的には日本に良くなって欲しいと願い、そうすると維新しか選択肢がないのに、同じ思いを持つ人は少数派なようで残念・・・。
維新を選ぶべき理由をまとめるので、そうでない意見の人は理由を教えて欲しい。
年金問題は積み立て方式に変更しないのであれば、増え続ける高齢者と生産労働人口の減少、つまり少子高齢化が問題。
経済にしたって、AI活用等による短期的な施策はあるかもしれないが、究極は人口減少社会で経済が成長する気がしない。
ところが、各政党は子育て支援や幼児教育無償化などの少子化対策への姿勢は見せるが、「少子高齢化こそが圧倒的に最大の課題である」という姿勢が見えない。
少子化対策は各政党共通の方針だとして、問題なのはその費用負担をどこに求めるかについて、もっと真剣に議論すべきだ。
現在の税収は、所得税・消費税・法人税が中心であり、消費税以外は生産労働人口、つまり子供を産ませたい若者に負担させている。
そうした状況の中、自民・公明は消費税を上げようとしており、少なくとも所得税・法人税と比べると高齢者も負担するため若者の負担割合としてはマシだ。
ただし、少子高齢化が止まらないのは、全体として若者よりも高齢者にお金をかけすぎだから。
本来、もっと労働生産人口にお金が残るようにしなくてはいけないが選挙が怖くて高齢者への給付を減らすことができない。
野党4党(立憲民主、国民民主、共産、社民)は、自民・公明よりもさらに金を稼いでいる企業や人、つまりは労働生産人口の負担を増やすべきだというスタンス。
少子高齢化に対してポーズは取っているものの、労働生産人口の負担を増やそうとしている時点で、基本的な構造が理解できていないのだろう。
そうした中、維新は、歳入庁創設や公務員削減など、無駄を削ることでねん出しようとしている。
特に歳入庁を進めない合理的な理由などないのに、他の政党は省庁の利権に切り込む勇気がないようだ。
公務員人件費は中央・地方の合計で40兆円と言われており、これらを維新が言うように2割カットできれば、消費税増税効果の5.6兆円を余裕でしのぐ。
無駄の削減で十分かどうかは不明だが、他の政党と比べると、若者に負担を求めるよりも、無駄をカットしようという姿勢は理にかなっている。
少子高齢化の根本的な原因は高齢者を優遇して、子供を埋める若者に対する分配が少ないことだ。
もっとダイレクトに言うと、高齢者への社会保障を削り、子供を産ませることにもっともっとお金をかける必要がある。
維新の言う、「教育予算の対GDP比を他の先進国並みに引き上げ」は大きな方針としてすごく重要。
違うという理由があれば教えて欲しい。
いつも思うのだが、投票にも行かずに消費増税等の自民の政策に文句を言う人はなんなのだろうね?
今回の参院選で増税で生活が圧迫される等からの理由からきちんと反対の意思をもって、選挙に参加して投票した人間が文句を言うならばまだ判る。
彼等は最低限、その数少ない国民が直接意思を表示できる投票と言う権利を行使した上で、増税されたら生活が困る等と言う理由で、限られた選択肢から自らの意思を表示しているからだ。
その様なプロセスを経て、最低限投票と言う行動を経て、自らの意思を表示した上でこの様な結果が出て、尚も困るから反対していたりするのだ。
それに比べて投票に行かなかった人はその国民の権利である投票と言う最低限の行動すら実行していない。
投票に行かなかった時点で自らの意思を放棄して、結果が出た政党や候補に今後の政策を全てお任せしますと言うのとほぼ同義である。
選挙に行っても無駄だとか政治に絶望しているとかどう考えているかは知らないが、投票に行かないと言う事は今後の政策は全てを成り行きに任せると言う意味である。
その様な投票と言う最低限の行動すら行っていないにも関わらず、政策に文句を言うのはただの我儘でしかない。
この様な言わば有権者であるのにも関わらず、投票に行っていない人は投票に行っていない時点で政治的には最低限のスタートラインにすら立っていないのだから、その人間は政治的には存在していない人間であるのとほぼ同義なんだけどね。
言い換えれば、幽霊みたいな存在であり、政治的には鳴き喚き散らすだけの存在しないただのものでしかない。
今回投票に来た人は会社員や主婦、または今選挙から投票する権利を得た若者や介護や年金問題で困っている高齢者かもしれないし、或いはそれこそ普段いじめられているオタクやゴミクズニート、またどこかの施設から連れてこられたガイジ等かもしれない。
だけど、どの様な立場や経緯であれ、投票に来た時点で政治的には最低限の意志を示し、選挙で投票した時点で政治的には存在する人間様なのである。
良く言われる公明党等に投票する学会員であっても投票と言う行為をしている時点で政治的に存在している人達であり、少なくとも投票と言う行為すらしていない人間から見れば、彼等は遥かに上位の存在である。
彼等はどの様な経緯であるにしても政党や候補者に投票と言う最低限の意思表示を行っているからだ。
彼等に文句を言えるのは最低限投票と言う権利を行使した人間だけである。
またネトウヨやブサヨ等の政治厨と世間的に馬鹿にされている人々はきちんと投票と言う最低限のスタートラインに立った上で政治の話をしているのだから、今回、投票すらしていない人間は彼等を馬鹿にする事は決してできないだろうよ。
なぜなら彼等は選挙において投票と言う国民の権利をきちんと行使した人間様であるのだから。
投票に来なかった人間はその様な人間様ですらなく、ただただ政治的には存在しないものでしかない。
その様な政治的には存在しない人間が何を言おうが、与党はおろか野党すらまともに取り合わなくなるのは当たり前だよ。
だって投票をしていないから、その人間は存在していないのも同義だからね。
よく政治は数であると言われるものだし、そもそも投票に行っていない人間はその数にすら数えられない程度の存在でしかない。
これを判っていない人間が世の中案外多いのかもしれない。
1票の重みとやらが未だに分からない。
学校で選挙関係の教育を受けてないという話を聞いたが、私は中学高校とイヤというほど選挙に触れてきた。もちろん今の政治ではなく、生徒会選挙や選挙デモンストレーションでだけど。
その6年間で学んだことは「公約には期待をしない 選挙は人気投票 一票はとてつもなく軽い 選挙は面倒臭い」
中学と高校で生徒会選挙が何回もあった。選挙の日は昼休みを潰されて演説を延々と聞かされる。候補者6人の時はもはや何かの試練か?という感じだった。ちなみに投票率は欠席と候補者以外100%。強制参加だからね。そうなるね。
私が生徒会長になったらこうするみたいな公約があったが、どうでもいいものや自分にとって手間が増える迷惑なものばかりだった。まあ仕方ない。宿題の裁量権を生徒が持つわけないし。特にそれ以外不満なかったし。気に入った公約を見つけて投票してみたら、違う人が当選したり、なんやかんやで公約が無かったことにされたり。
同じくらいの知名度二人の一騎討ちの時はどうなるのか気になったが、結局演説が面白かった方が勝った。
数票差というのを見たことがない。だいたい圧勝。立候補者が1人の時は信任か不信任かを問う選挙があった。ひねくれものだったので不信任に投票。結果は案の定信任多数で当選。そりゃそうか。どうでもいいし。あほくさ。
少し話はずれるが、都会の選挙が楽しそうに感じる。当選枠も候補者も多めであるから、誰が当たるか予想しづらそう。票数も僅差とかよく見る。今回はN党とかれいわ新撰組の候補者とか独特なのが出て都会では盛り上がってたように見える。
こちらクソ田舎地方、今回の地方選は自民代表vsNot自民代表の一騎討ち。あまり◯◯党に入れた!とか公言するといろいろ抵触しそうなのでぼかすが、「増税反対、年金問題なんとかして、憲法改正どーでもいい」の考えの元でそういう所に入れたが結果は2倍以上の差を着けて予想通り。一票の重み?なにそれ美味しいの?
比例代表は…まあ、うん。地方議会選挙も4月頃にあった気がするが、誰を蹴落とすか選挙だった。公約?どうでもいいことしか書いてなかったよ。
ツイートで見たが、若者の投票率が100%になっても結局壮年世代以上の票数には勝てないらしい。結局壮年世代以上の人気投票か。
なあ、若者の投票率を嘆いているそこの人、世間知らずな若者の僕に教えておくれ、壮年世代以上人気投票戦、若者の票に意味はあるの?
幸いにも当日投票所は徒歩圏にあったから投票したものの、期日前投票会場は結構遠い、不在者投票は有料、とても投票を面倒臭く感じてしまうなあ。
政治の討論らしいことをしようと、知人に今の政治について思うこと話してみたら「じゃあお前が政治家になれば?」で片付けられてしまった。確かにそうだけども…どうやらこの世は政治家になろうとしない人間に政治の事を話す権利はないらしい。
投票デモンストレーションで「投票用紙は人力で破けない」ということを知って、それだけは面白いと思った。それだけ。
与党は自尊心を維持できるギリギリの水準だった、というのが正直なところでは。
『自らの総裁任期である2021年9月までに憲法改正の国会発議と国民投票を目指すと表明した。総裁任期中に国会発議と国民投票を実施したいかを問われ「期限ありきではないが私の任期中に何とか実現したい」と述べた。』という報道もある通り、悲願の改憲準備に、ギリギリ手が届くか・・・というところで、勝ちとは言いにくい。
増税反対の主張にもリアリティは感じられなかった、とも思うし。
これは本当にそうですね。
枝野さんも、もう少し、答弁の質を上げるように運営して欲しい。
長妻さんあたりは、多少はまともなんだが。。