はてなキーワード: 家事労働とは
①と③て同じじゃね?
という重箱の隅は置いといて、結論には納得できる。都会には娯楽が溢れていて孤独がしのぎやすい、家事労働も食事も性サービスも個別パッケージで対応したほうがコスパがよくメリットが多い、てことだね。いつか小田島隆が同じようなことを言ってたけど。
30年生きてて感じたのは、単純に顔だけじゃないってことかな。身長や立ち振る舞い、態度も含めて、もっといろいろ総合したオーラみたいなもので判断されてる気がする。それが持って生まれた才能なのか経験で蓄積された技術なのかわからないけど、勝負に必要な"何か"を持ってなくいから勝負から降りるって結論には何の関係もないからどうでもいいよね。たとえそれが技術だとしても、20代後半くらいから経験がないことがハンデになって経験を得るチャンスから遠ざかっちゃうから、まあ無理ゲーでしょ。
あと勘違いしてる人がいるけど、確かに仕事で責任あるポジションを任されたくらいからアラサーの女性はたくさん寄ってくるよ。でも彼女たちは、僕が仕事を通して得てる金を目当てにしてるって点でprostitutionと大差ないじゃん。求めてるものはそれじゃないというか、お金で解決するんだったらタイにでも行ったほうが楽しいよ。恋愛ていう不利な勝負を続けるより、がんばってお金を稼いで有休をたっぷりとってフィリピンで豪遊することを目指したほうが効率いいよ。
事実として。
横だけども、別増田が言ってるように主夫は出産が出来ないと言うのが大きな理由の一つ。
まともな主夫希望の男性が殆どいないから最初から諦めてると言うのがもう一つ、だろうね。
「主夫になりたい」と言う男性で、まともに「ケア役割を担いたい」と言う意味で言っている人なんて見た事がないもの。
そもそも「主婦/夫」に対する認識が男性と女性とで食い違っているしね。
男性は主婦/夫を「働きもせず毎日遊んでいる存在」と思っている。
女性は主婦/夫を「毎日無賃で家事労働(育児・介護なども含む)を行っている存在」と思っている。
(主語でかめ論であり、全ての男性/女性がそうではない、と言うのは承知)
だから「専業主夫志望の男性」と「専業主婦志望の女性」では本人の認識も食い違う。
後者は家事労働をする気があるのに対し、前者は働きもせず毎日遊びたいだけ。
だから女ですら主夫ではなく主婦が欲しい、と言うわけだ。家事労働をする存在は欲しくても、働きもせず毎日遊ぶ存在は要らないから。
何故男性の多くが家事労働を労働として認めないのか、その認知の歪みが謎。
家事労働は明らかに労働だし、それを他人にやらせれば賃金を払う必要が生じるのに、妻なり母なり姉妹なり身内の女がやっていれば「労働ではない」「遊んでいる」扱い。
「専業主婦として家事をやっても『働いていない』と言われるのに、他人の家に行って同じ事をすると『働いている』事になって賃金を貰えるのは矛盾してないか?」
ってのは、女性の多くが一度は考えた事がある事ではないかと。
「夫の親の介護の為に退職して専業主婦やってたら『働きもしないで食えているのは誰のお陰だと思ってるんだ』と夫が言うので
介護施設に就職して離婚届置いて家出してそこの寮に入った。同じ事をやっても給料も休日も貰えて以前と比べたら天国過ぎる。
夫は要介護の親抱えて出勤出来ず仕事首になりそうらしい。ザマァwwww」
と言う2ch創作を以前読んだけども、実際に介護離婚としていくらでもありそうな話だ。
多くの夫は、妻が望むよりも頻繁なセックスを求めていらだっている。多くの妻は、女性が日常生活のあれこれ(仕事、家事、子育て)に追われてセクシーな気分になれないのに、夫がそれをわかってくれないと不満を抱いている。(中略)もし夫がもっと子育てを手伝い、家事を分担し、その気になるような愛情表現を心がけてくれたら、もっとその気になれるのにと、妻は思っている。それに対して夫のほうは、頻繁にセックスをしないせいでストレスがたまったり短気になったりするのだから、もっと回数が増えれば、今以上に愛情深くなれるし、手助けする気にもなるだうと主張する。(中略)
子供ができれば当然ながら仕事が増えるが、研究によれば、結果として家事の負担は極端に母親の肩にのしかかり、それが夫婦関係にあらたなストレスをもたらす。メリーランド大学の人口・ジェンダー・社会的平等センターでの研究によると、子供の誕生後、妻の家事負担は三倍に増える。
ミネソタの研究者たちは二百六十一人の父親と母親に対して、妊娠期間中と赤ん坊が生後六ヶ月の時点で、家庭内の雑用についての聞き取り調査をした。父親たちは、赤ん坊がうまれてから、家事の負担が三十七パーセント増加したと答えた。かなり大きな数字だが、母親たちの負担増はそんなものではなかった。母親たちは、六ヶ月間子育てをしてみて、家事労働が六十四パーセント増加したと答えた。子供の世話に男性が費やす時間は二十六時間なのに対し、女性では四十九時間だった。(中略)
この家事負担の差は、しばしば夫婦の衝突の原因になり、子供が生まれると結婚生活の幸福感が急激に減少する理由のひとつだろう。夫婦がこれを解決する方法は、家事についてもっと平等な目で見ることだ。だが、男女を問わず誰でも知っているように、それを実行するのは、口で言うほど簡単ではない。
(中略)
チェシックはアメリカの既婚男性三百人を調査して、家事とセックスには一貫した関連性があることを発見した。双方が家事の分担に満足している夫婦は、どちらかが不満を抱いている夫婦よりも、一ヶ月に一日多くセックスをしていた。また、妻が家事労働の分担に不満を持っていると、夫が真剣に離婚を考える傾向が強く、妻に裏切られているという訴えが二倍以上あった。
(中略)
妻が家事労働の分担に満足しているほど、夫は性生活に満足していると、チェシックは論じた。家事労働の分担は、かならずしも半分ずつでなくてもかまわない。重要なのは、妻がその分担を公平だと感じることだそうだ。
「夫婦ゲンカで男はなぜ黙るのか」タラ・パーカー=ポープ著より抜粋
きちんとした研究とデータを元にした夫婦間の問題と解決法のヒントが書いてある本。
家事分担の問題点でありそうな部分を一部あげてみた。読めばもっといろいろ書いてる。
もちろん妻側の問題もきちんと書かれているので興味あればどうぞ。
「俺がお前を食わせてやってるんだ有難く思えこの寄生虫が」と言う夫ばかりだったからこそ
専業主婦側が「家事労働の対価としてお前の給料使ってるだけだ、いやむしろ労働に対して金足りてねーよこの安月給が」と理論武装したんだろ。
その理論武装が無ければ、夫側は専業主婦の家事労働なんて永遠に評価しないままだっただろうさ。
共働きだって「働いているのに家事も一方的にやらされるなんておかしいだろ男も家事やれよ!」と恨み言喚いている女で溢れてるだろうが。
「愛と尊重によりお互いを評価している家庭」なんて現実には殆どないんだよ。
それどころか「愛」は「家事をしない女は夫を愛していないクソ女」と言う女叩きに使われる事の方が遥かに多いだろうが。
(逆に「女に家事をさせて苦労させる夫は妻を愛していないクソ男」とは言われない、ってのも「愛」が男にだけ都合よく使われてる証だわな)
育児だってそうだろ。「子供を愛していれば喜んで育児して当たり前、嫌がるのは子供を愛していないクソ母」と言われる材料でしかない(これも「父」に対しては言われない)
子育て終了後~介護開始までの短い期間、少しインターバルを置くことすら許せないのかねえ。
ただでさえ休日や定年がある男と違って家事労働は一生休みなく続くのに。
そもそも子育て終わっても専業主婦でいる人なんて殆どいないのに(むしろ子育て中だろうと仕事している人の方が多いだろうに)、なぜそれを前提に語るのか謎。
一生専業主婦でも優雅に暮らせて介護なんて当然外注と言うような上流階級を前提とするなら、
その階級は男だろうと怒鳴られるような仕事なんてしてないしなあ。
「女」を語る時は上流階級を前提として、「男」を語る時は下層階級を前提としてたらそりゃかみ合わんわ。
だって個人主義なんだからさ「お前あたしに貢げよ、早く金もってこい」って言われた男性は「個人個人で別財布でやりましょう」って答えるでしょ。
そもそも専業主婦と言うのは家事を行うもので、その対価として夫から生活費を貰っているだけなのに
それが何故「あたしに貢げよ」と言っているという解釈になるのか謎。
そこで言うなら「家事労働代寄越せよ」だろうし、それは正当な要求だろう。他人を働かせるのにタダっつー方がおかしい。
それに対して「別財布で」と言うのなら「ならお前の分の家事なんてやんねーよ」となるのも当たり前の話。
何故か「家事は無償で行うべき女の義務」だと思ってる男って多いよね。
例えば男の友人知人に「お前俺の分まで家事やれ、でも対価は一切渡さないから自分の生活費は自力で稼げよ」と言われたらバカかこいつで終了だろうに
かれしんち(としうえ)に住み込む事になった。
家賃は割り勘というところは、まぁおいといて、
「”家事労働”における心理負担の見える化」をどうやったらよいか悩み中。
生活費まできっちり割り勘分担してしまうと、相手が家事をまったくしなくなってしまうパターンの時
「場合によってはお金までくれる家政婦」状態になってしまう。それは避けたい。
(そして、現在の部屋の状態をみれば、ゆくゆくはどうなるかはなんとなく想像がつく)
だので現段階では「出資比率による作業分担」を試してみる事にした。
(例:食費を全額払ってもらえるなら、食事に関する事は私がやりましょう。)
問題があるとすれば、家事労働は作業を細分化すればするほどほかの作業との境界が曖昧になっていくため、
この作業はどれに含める、と、明文化する必要があるかもしれないという事だ。
(例:食費を全額払ってもらえるなら、私が全部やりましょう。買出し・料理・皿洗いまで。ゴミ出しを含めるかという所をどうするか?)
相手が定年になったり時間に余裕が出てくる時には、私が食費を出し相手に全てお任せしたりなどの運用が可能。
ただ、この「出資比率による作業分担」も、「綿密な家計簿つけ」が可能である前提の上成り立っているのが最大のデメリットか。
結婚というシステムのすぐれている所は、専門性をもった役割分担が可能だという所だろう。
しかしわたしらみたいな、双方仕事を持つじじばばカップルには、入籍するメリットは薄い。
共同生活によってできる節約で、相手に孫ができた時、小額でももたせる事ができるお金になればよいかな、とは思っているけれど。
というか、それが唯一と言って良い問題じゃね?(金がある前提で)
・食器洗い乾燥機は買え。物理的に設置不可能でない限り買え。金と場所が許す限りデカイのを買え。もう食洗なしの生活には戻りたくない。
・ルンバとルンバッタものはどれくらい満足度が違うのか知りたいが人柱にはなりたくない。掃除機をかけるの面倒くさいからルンバ様を買った方がいいのかなぁ。
・共働きで2人とも家にいないとかなら乾燥機付き洗濯機は必須なのかな?
・手作り信仰は基本的には有害無益だと思う。(自分の道楽と割り切ってれば別だが)
・苦労することに意義があるという苦労信仰もまた有害無益。(これについては断言しておく)
・元増田の言う通り、雑音は手作り信仰以上に有害だから、全力で右から左に受け流すべき。いちいちマトモにやり合う必要はない。
・最後にして最大の問題は「家事労働の時間を金で買う」ことに配偶者がどれだけ同意するか、だ。手作り信仰や苦労信仰の持ち主だと目も当てられない。
家事労働の外部化が進めば、シンガポールのフィリピン人家政婦みたいな生活を余儀なくされる日本人が増えるだけだと思うが。ちなみに、シンガポールの自殺率は低いが、フィリピン人だけに限定すれば、世界トップクラスのリトアニアに匹敵する自殺率になるという。
この記事に限らないが本件に関する言説のほとんどが「本を読む」というわかりやすく重要なモチーフを見落としている時点で、
作品の意味を曲解した単なる表現弾圧でしかなくなっている。この点についてまともな反論がない。
こういう反知性主義に加担する奴が、学説史の反芻のような生産性ゼロの営為に耽るのはある意味仕方ないか。
はてな匿名ダイアリーで強引な我田引水で「掃除の合間にしか読書できないから奴隷」なんて
変な反論も見かけたが、介護や家事のようなオートメーション化が困難な労働こそ、遠い将来
人間に残される人間的労働だという説(ノーベル経済学賞のクルーグマンなんかが言ってる)もあるわけで、
その匿名がSF的想像力を欠き表現弾圧に加担しているのは明白だけれど、現実に進行中の
経済的・技術的変革にも目を閉ざしている時点で、そもそも社会について語る資格を持たない低能だということになる。
ちなみに女性の多い介護労働の賃金が低いのは、女性が差別されているからではなく、
市場機構に任せれば価格高騰で介護労働を安価に供給できず、多くの家庭が介護労働に
忙殺されることになる恐れがある為、政府が政策的に介護報酬を低く据え置いていることと、
それとは完全に別次元の問題として、サービスの受け手(なかでも女性)が「女性に介護されたい」と
女性の社会進出が進む北欧でも、こうした介護や保育のような政策的介入で低賃金に
据え置かれた産業が、女性の雇用の多くをまかなっている。まあこの辺は常識かな。
日本の男女の賃金格差が酷い一因は、家事労働の外部化が進まずM字型就労を余儀なくされるからだが、
しかし家事労働の外部化が進んだところで、女性の家事労働への従事という現状はさして変わらない。
誰かが家事労働を担わなければならないし、そして家事労働のサービスの受け手には
こういう現実を知った上で、「家事労働は奴隷のやることでその解放がフェミニストの仕事」だという
スタンスを維持するのは、逆にスティグマで苦しむ人間をただ増やすだけだという気がするんだがねえ・・・
まあその辺の繊細さの欠如が度重なる炎上事案の根本的要因なんだろうけど。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1387978659/n941-101
http://anond.hatelabo.jp/20131228190610
フェミは普段から男性社会のアラを探して、糾弾して、共感した女性を取り込む感じで組織を維持してるので
彼女らはネタがあると止められないんじゃねーかな。やめらんない。BBA乙。
ネットでは批判がうまいやつがヒエラルキーの上の方になりがちに見える。これは実社会でも同様かもしれないが。
その方が同情を誘いやすいからさ、自然と過激な物言いが増えてしまう。
技術の発展自体は女性の地位向上に寄与してると思うんだけどねぇ。
洗濯機にせよ、炊飯器、冷蔵庫、どれも女性の家事労働からの開放を促してきた、それがあるから今の社会進出があると言ってもいい。
人口知能学会誌の表紙が女性差別的であるとして炎上した件について考えた。
結論1.学会誌の表紙が差別的印象を与えかねないという指摘は妥当だが、批判者たちのことばは過激にすぎる。
結論2.その結果、こうした性差別的問題に関わること自体が非常に厄介なものになっている。
俺自身は、当該学会誌の表紙を見ても女性差別的だとは感じなかった。例えば表紙の女性が露出度の高い服を着ていたり、首輪をつけていたりといった明確な性的/奴隷的モチーフがあれば別だが、表紙の女性が虐待されたり奴隷的待遇を受けていると感じさせる描写は特になかったように思う。
そもそも掃除ロボットが人にそっくりな姿形をしている必要があるのか、という疑問はないではないが、人工知能というイメージをわかりやすく表現するためにあのような形になったのだろう。
いずれにしても、俺は、ことさらあの表紙がひどいとは思わなかった。
他方、あの表紙を非難している人の意見には、頷けるところもある。
例えば、女性が奴隷的に家事労働を担わされてきた/担わされているという事実があり、家事労働は女性がするものである、という性別と役割を結びつけるような差別的意識が多かれ少なかれあるという現状を踏まえたときに、ことさらそうした差別的意識を助長するような表紙を掲載することは倫理的に妥当ではない、という主張は、一定の妥当性を持つ。学会側にそうした意図がなかったにせよ、差別的メッセージを読み取って傷つく人がいるかも知れず、そうした人に配慮すべき、という主張は、おそらく"倫理的に"正しい。
とはいえ、そうした倫理的な配慮の欠如は、果たしてそこまで非難されるべきものなのか。特に、学会やイラストレーターに対して「差別主義者」だの「性奴隷を作りたがってる」だのと言うのは言いすぎだ。せいぜい、「配慮が欠けている」くらいではないだろうか。これは炎上案件の多くに言えることだが、犯した失敗に対して制裁が強すぎやしないか。
また、学会誌の表紙に女性のイラストを載せること自体が男性的な欲望の発露で気持ち悪いという意見も聞くが、これについては、今回の表紙で言えば、女性の服装も容姿も姿態も特に萌えや性的イメージを押し出したものではないので、的外れな意見だ。初音ミクが表紙になった学会誌は比較的好意的に話題になったことを踏まえても、今回の表紙がことさら逸脱したということはないだろう。
今回の騒動を見て感じたのは、性差別に関する感覚の絶望的な断絶だった。
何を差別的だと感じるか、どこまで差別的だと感じるかというのは、明確に線引するのが難しく、曖昧な部分というのは多くある。例えば、今回の表紙だって、コミックスや小説の表紙であればここまでの反発を受けることはなかっただろう。そこには、「学会誌の表紙」はコミックスや小説の表紙に比べてより公的であり、それゆえより繊細な倫理的配慮が求められる、という前提がある。少なくとも、批判者はそういう前提があると考えている。
しかし、実際にはあの学会誌はかなり限られた人向けに向けて作られている(人工知能学会誌を購読するためには、人工知能学会に入会する必要がある)。そのため、あの表紙案にそれほど公的な配慮が求められるとは考えていなかったのだろう。表紙を描いたのは女性らしいが、役員構成は22名中21名が男性で、性差別に対する配慮という点では、内部のチェック機能が働きにくかった可能性もある。
つまり、学会側にしてみれば「不用意に歩いていたら地雷を踏み抜いた」といったところで、このような炎上はおそらく青天の霹靂だったろう。性差別に比較的敏感な人達にとってあれだけ問題となった表紙であっても、性差別に鈍感/寛容な人達にとってはその何が問題なのかよくわからない、という状況なのではないだろうか。
ヘイトスピーチや直接的暴力があったならともかく、今回の炎上はむしろ差別意識に対する認識の違いに起因しているように思う。例えば、今回の炎上を受けて、人工知能学会は以下のようにコメントしている。
「ネット上で広く議論をしていただくのは有り難いと思っています。学会としては、女性を差別したり蔑視する意図はありません。ただ、そういう意見もあるときちんと受け止めて、今後の表紙デザインを考える上で参考にしていきたいと思っています」
このコメントは、「私たちに女性差別の意図はないが、差別であるという意見は受け止める」という趣旨であり、やはり認識のズレの問題だとされている。であれば、そのギャップを埋めるための理性的な話し合いの余地はあるし、そうしたコミュニケーションこそが重要だと思う。
トゥギャッターまとめなんかを見ていると、互いの主張が噛み合わないまま、悪罵と中傷を投げ合っているような印象を受けた。それでは、まとまる話もまとまらないと思う。悪罵や中傷や揶揄をしても説得可能性は著しく低いわけで、むしろそうした振る舞いはコミュニケーションのチャンネルを狭める結果にならないだろうか。
差別の問題というのは、なにが差別でなにがそうでないのかという線引きが難しい部分がある。
具体的なヘイトスピーチや暴力であればわかりやすいが、例えばセクハラであれば、肩をたたいたり、容姿や服装についてコメントしたりするとセクハラになる場合がある。黒人の唇を厚く描いたら抗議を受けた漫画もあった。
そういう、「差別」の境界線が見えにくい部分は数多くあるが、特に言及に注意が必要なのはマイノリティについてだ。マジョリティにとって、マイノリティに対する配慮を感覚的に行うことは難しい。例えばセクシャルマイノリティのの中には、履歴書などの性別欄に男と女という選択肢しかないことに悩む人がいる。あるいは、性別欄がある事自体に悩む人がいる。そうした悩みは、マジョリティにはなかなか共感しにくい。
多くの人は、差別などしたくない。したがって、自分の言動が誰かを傷つけないように配慮している。しかし、繰り返すが、どういう振る舞いが差別になるのか、ということがわかりにくいことが多々ある。差別的な意図など全くないのに、それが差別だと受け取られることは起こりうる。
そうして、うっかり誰かの地雷を踏んだときに一瞬で炎上する可能性があるというのは相当にリスキーだ。不用意なひとことによって差別主義者のレッテルを貼られたり、職場などで不利な立場に追い込まれるとしたら、それは地雷原を歩くようなものだ。差別的意図がなくても、一定の確率で地雷を踏む。
それゆえ、比較的賢い連中は、マイノリティに言及すること自体を避ける。言及すれば、一定の確率で誰かの地雷を踏み炎上するおそれがあるから、一切言及しないという対策を取るわけだ。こうして、マジョリティとマイノリティの断絶が拡大する。 マジョリティ側の人間にしてみれば、おそらく断絶は合理的だ。マイノリティに関わる必然性は基本的にないし、必然性があった時だけ、最小限の関わりを持てば良い。しかし、現に何らかの差別に苦しんでいるマイノリティがいるとしたら、こうした対応をされることはおそらく不利だ。マジョリティと断絶すれば、差別をなくすための運動は社会的な賛同を得られず、力を持たない。差別が現にあるならば、その差別はあり続ける。
したがって、マイノリティがマジョリティ側の不用意な発言に悪罵や嘲笑を向けるのは自滅的行動だ。そうして発言者を炎上させれば、マイノリティは怖い存在になり、いわば「弱者という強者」だと誤解される。そうなれば先に論じた断絶は進むし、あるいは在特会のような気持ち悪い連中がでてくるかもしれない。いずれにせよ、マイノリティの地位は決して向上しない。
これは、マジョリティの不用意な発言を批判するなと言っているのではない。批判の方法を考えるべきだと言っている。少なくとも、SNSで悪罵とともに晒しあげるのは妥当な批判方法ではないだろう。
以上の話は、主にセクシャルマイノリティを念頭に置いて書いた。しかし、これは他のマイノリティや左翼一般にも当てはまる。特定秘密保護法にせよ都条例にせよ反原発にせよ、人権を振りかざした絶叫デモを行ったところで、それは彼らの孤立を深める結果にしかならない。
それで、「自由意志」の定義はどこ行ったんですか。その名に恥じずどっかへ逃げ去ったわけですか。
自分が言いたいのは、「あのイラストはPCじゃない(差別的な表象としての解釈もありうる)けど、イラストに書かれた人工知能が自由意志を持って行動していると理解すれば、差別的な表現ではないという解釈もきちんとできる」ということで、そこに対してどう反論したいのかがハッキリとは見えてこなかった。「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」「人工の女」っていうのがどういうレトリックなのかもよくわからなかったし。
「差別的な表現ではないという解釈」は全然「きちんとできて」ないと思いますが。あなたが個人的に「自分はあのイラストを差別的表現としては解釈しない」と表明しているだけに留まっているので、説得力はないです。「イラストに描かれた人工知能が自由意志を持って行動している」という「理解」自体が曖昧かつ無理矢理で根拠を欠いているから。反論するだけの内容が伴っていません。
あと「人工の女」というレトリックがわからないということがわからない。
「血と肉と骨でできているのではない女」「デザインされ設計された女」「人間の女ではないにも関わらず人間の女性性が少なからず仮託された女」、思いつくだけの「人工」と「女」を単純に接続したものと思ってもらって大丈夫だと思いますけど。
「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」がわからないというのは一層わからない。「この絵に描かれているのは生身の女じゃないですロボットです」という言い訳のためにケーブルがつけられている女という意味です。「これはロボです」というアピールのための記号的なケーブルだとはあなた自身書いてたじゃないですか。
こんな仮定はしてないね。ちゃんと「このイラストからはこの人工知能が自由意志を持っていると読み取れる」って書いてるんだから、もうちょっとよく読んで欲しかった。
ああそうでしたね。すみませんでした。
するってえと三段論法ですらなく二段論法、悪くすればトートロジーということでよろしかったんでしょうかね。
「イラストの女性は人工知能搭載型のロボットで自由意志がある、従ってイラストの女性は自由意志に基づいて行動しており、使役されているように見えても実際は自由な行動であり、差別ではない」。
自分は「Aだとは決定できない」と言っているのに、あなたはどうやらそれを「Aではない」と解釈しているのかな。まぁレトリックが悪いといえばそれまでか。
「人工の女」っていうレトリックがねー、とにかくわかりにくいので、そこだけ直してください!お願い!
「A(家事労働者)だとは決定できない」に対して、「Aでないとは決定できない」という反論はお気に召しませんか。つまり「Aだとは決定できないとは決定できない」的な泥沼な反論をお望みだったんですかね。
「人工の女」に関しては変えるつもりはありません。ごく簡素な日本語ですし直しようがない。意味内容も必要十分を満たしていると思います。
いやいや、どこからそんなの読み取ったの……。ホウキを「与える」っていうのがそもそも一方的な仮定だし、「読書に耽る自由を取り上げること」に反対したかな? よくわからない。
本当によくわかってないんですね。「全く反対していない」と書いているのに何で「反対したかな?」という聞き返しになるのか。