はてなキーワード: ハラスメントとは
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
追記(意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)
私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能な属性による区別の話は憲法上規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。
日本国憲法14条
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。
そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由を説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為の禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能な属性に基づく差別は第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれてから少しでも選択の余地のある問題に関しては差別を禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。
加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間はバイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性は客観的なようでその人の価値判断や目的などに左右されるきわめて主観的なものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的なものなのである。ただ、社会的な意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサスの形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。
追記ここまで
中学受験に関しての増田を端に発した議論がはてな界隈で盛んになっている。
大方ブクマカのダブルスタンダードを批判したものであるが、そもそも差別がはてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在の社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態の区別を明示し、その日本の社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別を肯定するものではない。差別とは何かを考える指標としていただきたい。
これははてなーはもちろん、現在の社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例も存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法の私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例も存在する。ここでは憲法の議論を意図したものではないのでこれ以上は触れない。
これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由に解雇した事件についてはその解雇が無効であるとした判例も存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。
このあたりから判断が難しい。現在、社会的に定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉が社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学が女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制は公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。
これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルターは存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しかも厚生労働省のガイドライン(https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。
いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在の社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロな視点に立つならそもそも区別が存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人のミクロな視点にたつならそういった嗜好を理由にハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメントが問題とされるのではなく、そのハラスメント自体が問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的な問題視はあまりないであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性をもつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論の俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。
と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別の定義は「絶対に選択不可能な属性・事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別的表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択は自由意志に基づくものである(経済的な事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別の問題として扱うのではなく、公的な機関からの財政的支援などによる学習の機会均等や学習環境の改善の問題に還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善の議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷は理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。
また、学歴の問題は、生来変更不可能なものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。
ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別の問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である。公立中学の問題に関してもそれを差別であるからと議論の提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来の理想の状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないからである。偏見や差別は現在の不完全から生まれる。差別の問題はセンセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別の概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたことである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別の概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正のきっかけとなればうれしく思う。
ツイフェミが嫌いだ anond:20201207231556
のブコメを眺めていたら良いことを言ってる人がいた
izure 増田はツイフェミが嫌い。なぜならツイフェミとは増田の嫌いなタイプの意見を言う人の集合だから。虚しい。ちゃんと個々の意見を相手にしようよ。レッテル貼りみたいな横着してないでさ。
2020/12/08
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201207231556
しかし、、、
↓ ↓ ↓
izure ネトウヨなんてなにやってもおかしいだろ。まともな感性を期待できる存在じゃない。
2020/02/11
izure ネトウヨがミリオタにすり寄って動員力を簒奪してるだけだよな。オタクパーソナリティを演じようとするとハッピーセットみたいに「ご一緒にネトウヨもいかがですか?」って来るんだけど、別にネトウヨはいらない。
2020/05/17
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mahirokisaragi/status/1261263228580978694
izure ネトウヨ志向の人ら、振る舞いの醜悪さで人気出ちゃうから、ファンの期待に応えることと良識を取り戻すのことが両立できないままドツボに嵌ってくんだよな。心底軽蔑してるけど、同情もしてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hasumi29430098/status/1208357216387887106
izure 自身の威光の確認作業としてのハラスメントと、ネトウヨっぽい振る舞いの親和性が高いんだよな。わざと差別的だったり無礼な態度をとって「王様は裸だ」って指摘できない周囲を見るのが癖になってるタイプ。
2019/11/06
https://b.hatena.ne.jp/entry/okinawansea.hatenablog.com/entry/2019/11/05/202932
izure フェミとかアンチフェミとかネトウヨとか、ノウハウまで流通してる誰かの思想に乗っかるの、楽だし仲間も増えて寂しさも紛れるんだろーけど、意志や動機までアウトソースし始めるとただの道具に成り下がる。祝離脱。
2019/11/04
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kakuyomu.jp/works/1177354054888099671/episodes/1177354054888111312
かなり気持ち悪い。
芸術作品を評するのでもなく、人間に向かって「気持ち悪い」などと言ってのける。
自分の気持ちをただそのままの形で赤の他人にぶつけるのは、暴言だ。
信頼関係のない人へのアドバイスは、丁寧にやらなくちゃ効果を発揮しない。
50代のおっさんです。
この時期ラジオを聴いていると、必ずと行っていいほど山下達郎の例の曲が掛かる。
大学生だった頃からずっと聴かされ続けれるから、1000回以上は聴かされたと思う。
あと竹内まりやの曲もセットのように聞かされる。
うちの職場に本当にどうしようもない無能がいる。みんな無能だってことを薄々気づいているので誰も仕事を振らないでいたらスタンドプレーをはじめる。
本人いわく、「ちゃんと給料をもらっている立場なんだから言われたことだけやっていたらダメだ。自分から忖度していろいろやらなきゃ一人前とは言えない」らしい。
確かにそれはそうなのかもしれないが、こいつは余計なことしかしない。この無能が勝手にいろいろ手を出すせいで、同僚の仕事が増えるばかり。
しかもたちが悪いことにPCスキルは皆無。ワードを左から右に打ち込むしかできない。エクセルもパワポも使えない。というわけで職場にいても邪魔だからリモートワークに切り替えてもらうこともできない。PCスキルがないのでZoomも使えない。対面かメールか電話でしか連絡ができない。Zoomで会議をしようといえばキレる。
さらにたちが悪いのが、ハラスメント常習者だということだ。自分と同じようにスタンドプレーをしない同僚を罵倒するわ、自分より年下の職員には威圧的な態度をとるわで人望もない。
以前にどこかで見たんだが、こういうのを「無能な働き者」というらしい。無能な働き者は余計なことしかしないので即刻排除しなければならないという。
でも、上司にかけあってもこの無能をクビにはしてくれないらしい。冒頭にも書いたけど、現状ではもう誰も仕事を振っていない。どうすればいいの?どうやったらやめてくれる?
実際コレ「あり」なんじゃね?
大人から「スポーツの上手さより大事なことをあのメーカーは大切にしてる」ってイメージが付くなら売上伸びると思うわ。
スポーツするのって何も子供だけじゃないし、子供がスポーツ用品買うのも結局は親の金による場合が多いじゃん。
つうか大人になってから運動に目覚める人って「学生時代はスポーツが得意な同級生・先輩・体育教師にハラスメントを受けてスポーツが嫌いだった。ソイツらがいない空間でスポーツやったら楽しかった」って人が結構いると思うんだよね。
逆に子供時代にヒエラルキー目当てにスポーツやってた連中は大人になると金儲けやキャバクラに熱心になってスポーツから離れがちなイメージもある。
彼氏作らんの?とか聞かれるけど人類みなヘテロだと思うなよ。せめて恋人いないの?くらいの聞き方あるやろ。
そもそも私は心が狭いので現実世界でいちゃついてるカップルとか見ると気持ち悪いと感じる。微笑ましいとか思える人間じゃなくてごめんな。見ず知らずの人間に抱く感情じゃないのはわかってるけどゴメンなってかんじ。
友達の彼氏彼女の話を聞くのが難しい。どうリアクションすればいいのかわからないから早くこの話題終わってくれと祈るしかない。
「あんたは最近どうなん?」ってニヤニヤしながら聞かれるのも苦痛だから、仲の良い友達には正直に「今の私は彼氏欲しいとか思ったことないし、必要とも感じてないからどうもないよ」と言っても「またまた〜(笑)」と揶揄される。ドン引きされるパターンもある。
たぶん負け惜しみか何かだと思われているに違いない。
それか厨二病と思われるか。
みなさんもご存知の通り、最近「夢ハラ」の被害が多く出ています。
「夢ハラ」をご存知ない方もわずかにいらっしゃると思いますので
『夢を語っている人に、本当に夢を実現させる環境を与えるハラスメント』のことです。
というやつに、じゃあ最高のコーチと、最高の年棒、最高の試合、そしてプロ野球球団に入団させるから
という人に、じゃあ最高のプロデューサー、最高のアーティスト、超大手レコード会社からのメジャーリリース曲のA面の枠を用意するから
最高の曲を書いてみてよ!というやつも「夢ハラ」です。
自分はめっちゃ才能あるし、めっちゃ努力した。しかし他のもの(運がない、誰かが悪い、環境のせい)で夢叶わなかった。。。
と自分に言い聞かせてギリギリ精神を保っていたのに、それがぶっ壊されます。
この「夢ハラ」をされると、努力不足か才能(適性)がないかのどちらかを眼前に突きつけられる。。。
これが死ぬほど辛いわけです。
このまま行くと自分の努力不足と才能のなさを認めざるを得ない状況になってしまうでしょう。
それは耐えられません。。。もう死ぬか逃げるかの2択しかないです。
次の例えで言えば、結局締め切りまでに作曲せず音信不通になる作曲家のように、
私は、私は、逃げることにします。
本当に相手のことを考えるなら、しっかり考えてください。
https://twitter.com/gaochan712/status/1333309508462862336
選択肢増やすだけといってるのは知ってるけど、腸に病気があると卵とやわらかめの白いご飯(玄米・麦飯・五穀米などアウト)と
スジや油の少ないお肉、白身魚程度しか食べられなくなることがある
自分は腸に病気が2つあってそっちは小麦粉も甘味料も全般的にアウト
もう長いことプリンしかスイーツをたべられないでいる 当然ながらビタミン剤も飲んでる
ヴィーガンのありがたがってる食事って私達にとっては野菜ハラスメントなんですよ
さすがに白いコメだけ食べて生きていけないので卵は週に30個くらい消費する
鶏肉もささみとか胸肉とかたっぷりたべないと脂肪だけついてどんどん筋肉が痩せていく
物価の優等生じゃなかったら自分で野生の鶏つかまえて飼うしかないんですけどね
一度開腹手術したことがある人ならいつでも掛かる可能性のある病気なのね
自分は自分でいいけど炊事担当者は家族だの将来の自分にハラスメントすんなよ
家族にも卵たべてほしくないとかへんな倫理観に踊らされてるだけだよそれ
結局、人は石油になった過去の死体なしでは生きられないんだからさ
若い男が「老女病」だとは医者が判断つけられなくてそのまま死んでしまった人もいて
1回だけでなく医療訴訟になってる(自分で見ててみつかったのは小学生男子と30代男性だったかな)
結局医療に負担かけて死人増やすくらいなら健康食として残酷食だろうがなんだろうが食え
人生から残酷さを完全に追い出すことなんてキリストでもブッダでもできねえよ
牛も豚もメスのほうが肉はうめえよ オスは子牛のうちにお肉か去勢するんだっけ
(私は牛豚はメスでも去勢でも食べたくても食べられない部位が多く、高くて油が多いやつは一食につき一切れくらいしかダメ。
おごってもらうことが多いのに申し訳ないやら腹が立つやら)
どうせ有精卵を遺伝子検査してオスメス見分けられるようになってオス卵冷蔵出荷食用してても
低血圧もあって塩分断ちもハラスメントですけどそれはまあ外食で醤油が卓上にあれば許す
結局踊らされてるものって青汁のごとき宗教的健康食品としてしか生き残らない
そういう「マズいもういっぱい(念仏)」以外の普通においしいたべものでも
アホじゃんwっておもっちゃう
好きなもんくえよ食えるうちにな、つか選べるうちにな