はてなキーワード: デザイナーとは
そういう意味では自称デザイナーのゴミみたいなやつもいる。もしかしたらそっちの方が多いかもしれない。だから騙されんな!
大型コンペに食い込もうと思ってるやつはやっぱ全員1mm以下の単位で洗練させてるよ。
どうでもいいけどいちいち言葉の端から選民意識が垣間見えるんだよ。僕達デザイナーは難しいお仕事をしてるんだよーと。
図形を並べるお仕事が本当にそれほど大変なのか?
> 片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。
挙句、こらまたとんだ無い物強請りと独りよがりだな。そんなもんデザイナと関係ない人様がいちいち面倒みて考えてくれるわきゃないだろうよ。アホか。
あと、ネットで騒いでいる奴はおいとくとして、世の中まともな大方は、さのけんがエンブレムをぱくったわけではないと考えている。あまりに浮世離れしてるから当初何これって思った奴は多いだろうけど。
デザイナーはパソコンがない時代から存在してた。パソコンが使えるかどうかがデザイナーの力じゃない。ただパソコン使ってAB判定で物が作れるならもはやAIでいい。
例えば、コカコーラのロゴのカーブが1mmでもずれてたらこれほどまでに長続きするロゴにはならなかったかもしれない。それを見極められる目を持つのがデザイナーだ。
ネットの(2chの)執拗な掘り下げが五輪のエンブレムを変更させるというところまで発展したことは驚異だと思う。
2chのスレは痛いニュースや保守速報、Netgeekにまとめられ、はてブでHotentry入りし、マスメディアの目に止まり、テレビ、ヤフトピという、コアなネットユーザーじゃない人にも届き、世論になった。はてなの人間なら2chまとめの記事を見てたと思うけど、「そこまでする必要あるか?」というくらいひたすらに佐野氏のアラが晒され続けた。中にはこれはこじつけだろうというものもあった。
ブコメでは、まとめを見て「それは違うのでは?」と客観的なコメントをしている人が少なからずいたが、テレビでは、そういう放送の仕方はしていなかったと思う。「疑惑の人」と言われ続け、エンブレムも、佐野氏もどんどんイメージダウンしていった。ソースをよく報じないただの「疑惑」であるだけなのに。
2chで佐野氏を叩いてた人たちっていったいどんな人なのだろうか。彼らは自分が逆の立場になるかもしれないということを想像できないのだろうか。デザイナーというチャラそうな職業に対する僻みだろうか。
自分は佐野氏が死ぬほど努力して力のあるデザイナーになったことを知っているので擁護せざるを得ないが、今回の件がまかり通るのなら、誰でも人生を台無しにされる可能性があると思う。どれだけ自分の身の潔白を証明しようが、叩けば埃は出る。「ソースはネット」の「疑惑」でマスメディアに報道されてしまうなんてたまったもんじゃない。
問題は、メディアに倫理観がないことじゃないかと思う。ネット社会になって、人々の行動が強く数値化された。ニュースサイトはとにかくPVが稼げる記事を書きまくる。事実確認よりも人に喜ばれるような記事を書く。テレビ局はそれを見てニュースを作る。テレビも人々が喜びそうなゴシップに仕立て上げて放送する。誰かを悪者にして人々は安心する。
そうして炎上した人の人生は崩壊する。電気柵然り、たまに自殺まで追い込まれる。
最後に、自分もデザイナーなので言っておきたいが、デザインは難しい。全員が納得するデザインなんてほぼ不可能だと思う。それでも簡単そうに見えるのか人は簡単に文句を言う。ではあなたに全員を納得させられる解決案が出せますか?
つまり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本の東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点でロゴ失格だと言いたいんだよ。
MR_DESIGN HP
エンブレムにつきまして
私は、東京オリンピック・パラリンピックの大会の成功を願う純粋な思いから
エンブレムのコンペティションに参加致しました。エンブレムがフラッグに掲げられ、
世界中の人に仰ぎ見られている光景や、金メダルに刻まれたエンブレムを
強くイメージしながら伝統的かつ新しい日本、東京を表現すべく大胆に、
このような国をあげての大切なイベントのシンボルとなるエンブレムの
デザイン選考への参加は、デザイナーにとっては大舞台で会って、
疑いをかけられているような模倣や盗作は、原案に関しても、最終案に関しても、
あってはならないし、絶対に許されないことと今でも思っております。
しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、
謝罪致しました。この件については、一切の責任は自分にあります。
改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫び致します。
その後は、残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、
私の他の作品についても、あたかもすべてが何かの模倣だと報じられ、
話題となりさらには作ったこともないデザインにまで、佐野研二郎の盗作作品となって
自宅や実家、事務所にメディアの取材が昼夜、休日問わず来ています。
事実関係の確認がなされないまま断片的に、報道されることもしばしばありました。
様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、
記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。
自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどの
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かって
しまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
組織委員会の皆様、審査委員会、制作者の私自身とで協議をする中、
オリンピック・パラリンピックを成功させたいとひとえに祈念する気持ちに
変わりがない旨を再度皆様にお伝え致しました。
また、このような騒動や私自身や作品の疑義に対して繰り返される
批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為にも、もうこれ以上今の状況を
続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。
図らずも御迷惑をおかけしてしまった多くの人々、そして組織委員会の皆様、
審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。
上記事情のゆえ今回の判断に関しましてはどうか御理解くださいますよう
お願い申し上げます。
>>他の五輪では?って返されたら
おれは、文字だけにクレームをつけているわけではない、よく俺の主張は2行だけど自分の頭で考えるんだ↓
>一体誰が、あのロゴから"近未来2020"の"日本・東京"の"オリンピック"を想起できるのか?
>2年前の昔のタイポグラフィと類似で、素材も"ローマ"字。"2013 fashion Show in Tokyo"のロゴでも作りたかったのかな?
つまり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本の東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点で
ロゴ失格だと言いたいんだよ。
"a small design that is the official sign of a company or organization"
そして、signは禁煙マークとか駐車禁止とかの標識という意味があるんだよ。
"標識"なんだから、そのロゴを見たら、その意味するところが大多数の人々に理解できる
http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
27個中少なくとも21個は、オリンピックやその競技、ご当地の観光名所、季節の象徴(雪)などを素材にしてる
のであって、まさにsignの役目を果たす図案が採用されているんだ。
しかし、一方で、アルファベットたった1文字を素材にした何を象徴してるのかわからない、説明出来ない
1個もないだろう。(かろうじて国のスペル自体をロゴにしたメキシコの例が1例有るだけ)
以上から、今までののオリンピックロゴデザインの素材選びは、やっぱり
多数の人が理解できるというロゴの理屈に基いて行われてたんだよ。
それが、今回はどうだい、日本のオリンピックなのに、使用した素材がラテン文字の"T"だよ。
いったい、日本の東京の文化・歴史どこに、ラテン要素があるのか逆に説明して欲しいぐらいだよ。
それともTsukubaとかTottoriの"T"なのか?
素材の選び方がそもそも間違ってるから、今回のデザインはロゴですら無い
まぁ、自業自得的な側面も無きにしも非ずだけど、
今何してるんだろうねえ。
デザイン業界ではないけど、上っ面だけで仕事してる連中にムカついてるから今回の件は溜飲下がったわ。
でも、佐野氏を擁護してるデザイナーが何人もいるから、たぶん適当に素材をパクって適当にアレンジしてって仕事ぶりがデザイン業界では普通のことで、世間ではすぐ忘れられて業界内ではだれも悪いと思ってなくて、そんなにダメージなくて復活しちゃんだろうなって思ってる。
Tehu君が中学の頃から積み重ねてきたセルフブランディング()が崩壊しつつあるんで、まとめておこうと思う。
彼が『天才』『秀才』『次代のリーダー』から『意識高い系(笑)』へ落ちていく様を振り返りながら、一体どこで間違ってしまったのか検証していくことにする。
彼はここでMacと運命的な出会いをする。当時はまだ、iPhoneが発売されたばかりで、彼は好奇心からXcodeを使い健康計算機というBMI値
を測定するアプリを開発する。機能的にはかなりシンプルでプログラム的にも初心者レベルのものではあるが、中学生がObjective-Cで開発を行い、
英語でアプリの登録申請を行いAppStoreに自分で作ったアプリを載せて、一時的にではあるが、日本語のアプリランキングで3位になったのだ。
これは本当にがんばったと思う。これから彼のセルフブランディングがスタートしていく。
周囲の大人達が彼を天才扱いし、いろんな大人達が彼に接触し始める。
TV、雑誌、新聞はもちろん インターネット系のメディアなどに顔を出してはメディアへの露出を高めていき、
彼はどんどん階段を駆け上がっていく。
そうしてセルフブランディングに成功した彼は周りの同級生が必死に受験勉強をするのとは反対に、AO入試というとても楽な方法で
大学の進路を決定してしまう。AO入試と言っても慶応義塾大学。
世間的には高学歴な部類に入るわけだから、これでセルフブランディング大成功!という考え方もできなくはない。
しかし、ここに至る過程の中で色々とやらかしてしまい、その隠していた傷が現在2chを中心としたネット民によって抉られることになる。
彼は様々な媒体でマルチなクリエーターとして自分自身を演出してきた。しかし、その実態はさほど言うほどの物ではない。
彼の主だった実績は以下のような具合である。
唯一の実績ともいえる健康計算機は日本語のアプリが少ない時に、中学生がアプリを作って申請したという点はまぁまぁ評価できるが、高校生・大学生となった今では黒歴史にしてもいいようなレベルの代物。現在、アプリは未公開。その後、プログラミングに関しては猛勉強することなくアプリ開発からも手を引いてしまう。
なし。
強いてあげるとすれば、問題になった小4なりすましサイト。彼がデザイン、コーディング、デプロイまで全て行ったかどうかは不明。
Tehu君自身がプロデューサーとしての実績として誇っているものに「なだいろクローバーZ」というものがある。
これは簡単に言えば、ももクロの衣装を着て、ももクロの曲を流して踊るだけのもの。
もちろん、Tehu君が女装をしたり踊ったりしたわけではなく、舞台に上がる主役は別の5人。
ネットではその5人の中のピンク担当の男子生徒のクオリティが高かったため、少し話題になった。
しかし、各所で指摘されているがこれはただの文化祭の出し物であり、灘高の女装企画はTehu君よりも前の時代からあった。
それに、なだクロの発案者はTehu君ではなく、彼はその企画に乗っかっただけ。文化祭なのでみんなで考えて、みんなでふざけただけの取るに足らない物なのだ。
にも関わらず、どういう訳か彼はそんな『なだクロ』を大きな成功体験として位置付けている。アイドル好きだった事もありアイドルのプロデューサー路線に道を見出し、華やかそうなイベントに顔を出し、演出家、クリエイティブディレクター、裏方などの肩書を名乗っては何かをやっているようだ。しかし、具体的に、彼が何をやっているのかは一切不明。
もはやTehu君の代名詞と言える人脈自慢。政治家、官僚、有名企業社長、経営者、外資系企業の役員、社員、女子アナ、アイドル、読者モデル、女子大生、女子高生、テレビ関係者、マスコミ関係者など幅広いジャンルの方々と知り合いだとTwitterで吹聴してきたTehu君。
知り合いの知り合いすなわち他人まで自慢していくTehu君のスタイルは人脈温泉と揶揄されるようになり、最近では「テフレ」「テフレ認定」なる言葉まで誕生してしまった。
語:テフレ 意味:Tehu君に知り合いまたは友達として認定されてた人。またはTehu君からなんらかの高い評価をもらった人。
しかし、人脈自慢もネット上などでバカにされているという事に気付いたようで、最近ではかなり控えめになり、温泉は一時期よりは冷たくなってしまった。
- 数年会わないうちに知り合いが某省の事務次官になってたことが判明、、、これで事務次官は3人目か、、、。偉いさん経験者の知り合いが増えることはいいことだ。
- 知人の知人が水樹奈々であると最近知ったので、ちょっと水樹奈々について調べてみる。CD聞いてみようかな。
- ミスiDのセミファイナリストに知り合い4人も居て笑うことしかできない
- 帰宅った!某有名企業からメールきてる。「この件については、内密に」だって
- 昨日慶應女子高で僕が身長150cm台の女子学生に袖を引っ張られながら連行される姿を複数のフォロワーが目撃していたようですが、我ながら恥ずかしい姿だったと自覚してます
- ※ただし、目撃ツイートなし
- 僕のこれまでのクラスメートに自分の基準を満たす美人はいらっしゃいませんでした。大人の知り合いになら基準を満たしてる人いらっしゃいますが。
- クールジャパン推進会議で必死にがんばってる方々には申し訳ない(知り合いもいる)けど、もはや国主導ではどうしようもないって。
彼は大物である。
- 大学生大学生しててチャラい感じの男大っ嫌いだわもう。話しかけんなクソが。
- 同世代の男たちの精神年齢の低さに辟易としています。
- ファッション感覚で起業しているのが丸見えな人たちが、慶応受かった直後からアプローチの嵐だぜ。結局先輩後輩関係で俺の人脈と経験使いたいだけだろ。。。
- 言い方悪いけど、やる気のない人とわざわざ話したり付き合ったりしていられるほど人生時間残ってないからなぁ。よろしくねとか今度遊ぼうとか言われてもな?
- まあわかっていたことではあるが、僕がもともと行くつもりだった東大に比べれば平均レベルは圧倒的に低い。それでも僕があえて慶応を選んだ理由は、 数%のぶっとんだ人間が、東大とは比べ物にならないからだ。だから俺は、その「数%の人間」としかちゃんとお付き合いはしませんので。
- 友達がFacebookにチャラそうな集団写真を上げてるのを見るだけで嫌悪感で画面閉じる程度にはそういうの嫌い。
こんなの嫌われます。好きになれっていう方が無理です。しかし、これらのツイートは自身や周りの大人達が「天才」とラベルを貼ってしまい、実像の彼をより大きな存在にしてしまった結果なのかもしれない。
そして、自分自身を「羨望の眼差しで見られる有名人」という設定にしてしまった彼は自分より下だと判断した人間をとことん見下すようなツイートをしてしまう。
おまけに、東大にはあえて行かなかったという書き方をしていますが、Tehu君は東大受験すらしていないという現実を無視しています。
それでも、ビッグマウスである事を貫いた彼は堀江貴文、茂木健一郎、乙武洋匡などの名のある人と接触、対談できるまでに彼のブランディングは成功していく。
しかし、最近は流石に本人もマズイと思ったのか一部問題のツイートを消すなどするが、2chやツイッターなどを中心としたネット民に魚拓やスクリーンショットを撮られるなどして葬りたい黒歴史がガッツリ残ってしまう形となる。
また自身のWikipediaの記事が特筆性の観点から削除が検討され始めたとき、Tehu君並に詳しい別人になりすまして削除申請を食い止めるというタブーを犯してしまう。
彼にとっても、Wikipediaもセルフブランディングの大事なツールなのだ。
しかし、そうした自演行為もすぐにバレてしまい、膨れ上がったWikipediaのページは今ではスリム化され、小4なりすまし事件の主犯という項目が目立つような人物になってしまった。
ネット民やSFC生などから嫌われ始めてしまったTehu君は、Tehu君関連スレッドにて、本人が否定したいような恥ずかしい噂が投稿される。
その噂に関しては、まとめサイトなどに掲載されているので、気になる人は確認すればいい。
しかし、その噂の真偽が大切なのではなく、なぜここまでネット民やSFC生から酷い仕打ちを受けるのか?
それを彼自身見つめなおすべきだろう。
日本テレビで放送されたバラエティ番組「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」という番組でTehu君が特集される。
今まで「天才」「秀才」として扱われた彼だがこの番組ではとことんバカにされる事になる。
おそらく、密着取材中もそんな節はあったと推測できるが、空気が読めない彼はそういったサインに気づく事ができなかった。
まさか、自分がテレビでバカにされるなんて夢にも思わなかった彼は、番組放送前のTwitterで以下のように宣伝しまう。
ラテ欄では"セレブ大学生"という謎なカテゴライズをされていますが、僕の生活に少しだけ密着してくれました。暇だったら見てください。
要はテレビ屋達に騙されたのだ。
そして、いざ放送が始まると酷い扱いでTehu君の言葉や行動をとことん弄りまくってバカにした。
放送終了後の彼は相当傷ついたらしく、
とかなり落ち込んでいる様子でプライドの高い彼のダメージは甚大。
数年前までは神童扱いだったが、とうとう一般的にも、イロモノ扱いになってしまった。
「灘=Tehu」と見られてしまう事を嫌った灘高生の複数のTwitterアカウントが彼へのヘイトを口にし始める。
Tehu君的に後輩から尊敬されていると思っていたが、在校生にはなんとなく見抜かれていたようだ。
しかし、これもスルーしておけばいいのにも関わらず、その事についてもTwitterで呟いてしまい、それもネットユーザーに拾われバカにされる。
自ら泥沼に足を突っ込んでいくスタイルだ。
単純な話、Twitterを控えればいいのでは?と思うだろうが、セルフブランディングでは必須のツールであるTwitterを彼が手放すなんて事は不可能なのだ。
こうして彼が中学、高校、大学とコツコツと積み上げてきたセルフブランディングは完全な崩壊へと傾いてく。
彼がやってしまった様々な過剰なセルフブランディングの結果、ネット上で彼に関することを検索するとネガティブな情報ばかり出てきてしまい、
彼が理想として思い描いていたような「カッコイイ自分」とは程遠いイロモノ意識高い系芸人として落ちていく事になってしまった。
彼は自身を必要以上に大きく見せ、時には他を貶めることで、ネット以外にも作る必要のない敵を自ら作りすぎてしまった。
そうして作り出してしまった敵が2chやTwitterなどのネットに流れ様々な情報を流し攻撃し、結果、大怪我をするハメになったのだ。
もし、今、有名になることに憧れてSNSなどで必死でセルフブランディングに励んでいる人はTehu君のような場当たり的でギャンブル的な言動は真似するべきではない。きっと大怪我する。
最悪の場合、家族や周りの友人たちにも迷惑がかかる。残念ながらインターネットとはそういうものなのだ。
「コンセプトの違いを理解できない奴が批判してる」みたいな言われ方をされてるけど、形状からコンセプトを読み取れないから批判されてるんじゃないのか?
デザインについての教養がある奴しか読み取れないようなデザインを採用する側にも問題があるんじゃないか?
つーか、海外のデザイナーは形状の類似で訴訟起こしてるけど、「コンセプトが違えばOK」って本当に世界的に認められた考えなのか?
まず言いたいのは、今必要なのはデザイン業界と一般の人々との対立などではないということ。
狭い私見ではあるかもしれないが、
デザイナーやそれに近い人々は「一般の人はわかっていない」とか「エンブレムと他の転用の問題をごっちゃにするな」といった意見をよく発信している印象がある。
またネット掲示板などでは「デザイン業界の闇」みたいなニュアンスのものを度々目にして、どうしても自分の中で「デザイン業界VS一般の人々(特にネット民)」という構図が生まれてしまう。
私もデザインに近い環境にいる人間の一人であり、エンブレムに関しては模倣ではないと思っているし、エンブレムの問題と転用の問題を一括りにして考えるのはよくないと考えている。
しかし、今回のエンブレムは「オリンピック」のものだということを忘れてはならない。オリンピックとは開催国を世界にアピールし、更なる発展を後押しするようなイベントである。エンブレムは世界に向けたものであると同時に「日本のエンブレム」でなくてはならない。国民(その多くは先述したところの「一般の人」)に受け入れられて然るべきものだ。
今考えるべきなのは、デザイナーという職業の威厳を守ることだとか、デザイナーの失態を見つけ出して公にすることだとかではなく、オリンピック成功に向けて最善策を捻り出すことではないだろうか。
様々言われているが、デザイナーというのは基本的に多くの時間をデザインに費やし能力を磨いてきたプロフェッショナルだ。デザインのことに関しては経験も知見も一般の人々よりも深いということは言えるだろう。非デザイナーが作ったデザインがプロのデザイナーが作ったものよりも優れているということはかなり少ないはずだ。
しかしながら、そのデザインを享受し利用していくのは一般の人々である。デザイナーでない大勢の人々がいるからこそデザイナーという職業は成り立っている。そのことを忘れてはならない。
保身的あるいは攻撃的な関係は何も生産的なものを産まないだろう。
新国立競技場の問題に続き、東京オリンピックのデザイン周りはとかく後ろ向きだ。他人への糾弾や責任逃れも多々見られる。世界の中の日本という単位で開催されるイベントなのに日本国内でいざこざが耐えない。
もっと国全体で一つの方向に向かう大きく前向きなエネルギーがほしい。
その為にはもっと具体的な方針が必要ではないか。各々が同一でないゴールを見て進めていっても全体としての成功は難しいだろう。
運営する側としても、国全体としても矢印を同じ向きに向けなくてはならない。
今回の件も、似ているデザインが世にあったのが問題なのではなく、そもそもは運営もデザイン発信側も受信側も視野が狭くその上向いている方向がバラバラだったのが問題だったのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150831231737
ネット上では「デザイナーは佐野を擁護してる」というような図式が出来上がっており、
デザイナーが「一般人」を見下してるみたいな見方がよくありましたが、実際はそうじゃないです。
ただデザイナーとしての自分の仕事を理解してもらいたかっただけです。佐野氏や佐野氏のしたことを擁護したかったわけでは決してありません。
(そもそもトートやポスターのパクリを擁護するデザイナーはいないでしょう。そんなことすれば自分の信用に関わる)
佐野氏の行ったデザインについて、トートバッグや他のポスターなどでは明確なパクリが見つかっていますが、五輪ロゴで言えば、実際にパクったという決定的な証拠はなく「デザインが似ている」という疑惑の話です。(実際のところどうなのかは別として)
いくつかの解説でもあった通り、五輪ロゴのように、自分が作ったデザインが過去のものと似ていることはあります。
そしてデザイナーの仕事とは成果物を仕上げることももちろんですが、むしろその制作意図、どういう理由や目的でデザインしていくかがメインなのです。「なんとなくかっこいいもの」を作るのではなく、明確な意図があって形は選択されるのです。
そして、もし似ているデザインが見つかった場合、制作意図や過程の違いがあれば、デザイナーはやはり絶対に説明するはずです。(たとえ成果物だけ見たらパクリにしか見えないものだとしても)
これは潔白を証明するとともに、新たな代案を受け入れることにもつながります。
今回は佐野氏の代わりに、他のデザイナーがその説明を行ったということです。
同職の立場からグレーゾーンのものを安易に批判するのは避けるのが普通ですし、また同職としては意図がわかってもそれが一般の人には理解されにくい箇所なためです。(あと佐野氏の説明が足りなかったからです)
そういうわけで、ロゴの制作意図を説明し、また自身のデザイナーとしての経験からこれはパクリではないのではと意見を言っていたのだと思います。
しかしこれらがうまく伝わらず、デザイナー自身の説明のまずさ、また世間の佐野氏への不信感が合わさって理解に齟齬をきたし、一般人を見下すように取られたことは大変不幸だと思います。
世の中にある人工物は全てデザインされています。デザインとは一般人の生活と乖離したものでは全然ありません。
そして多くのデザイナーは、真面目に見る人使う人、つまり「一般人」のことを考えてデザインしています。
もはやクロと言い切れる佐野氏のデザイン・その行為を批判するのは当然ですが、今回の件でデザイン界隈をひとくくりにして批判するのは、非常に残念なことだと思います。
都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレムの騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます。
まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表でスタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。
で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分や自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。
今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的な感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由は幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディングを視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。
とはいえですよねぇ。今回のオリンピック、ボランティアのユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとさかのぼるとAKBを開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとさかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団のユニフォームがダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民の感情がちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。
そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。
でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。
ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。
そこにきてあのベルギーの劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的な見解としてはパクりじゃないですねアレは。
ただ、あのときの記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインのプロセスを素人にもわかるように説明しなかったからですね。
例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化と文脈とプロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)
ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護の立場でした。
そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像を拝借して勝手に使っちゃうって経験、ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。
だからトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナーが勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。
でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算無いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネットの画像、適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。
で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。
だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。
まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港の画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。
話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウトに幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃんと計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)
最後に「デザインのわからん素人は黙ってろ」というこっち側の人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。
僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーやアートディレクターの仕事だと思うんです。
だから出産直前で佐野氏擁護の発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。
普段あまり文章を書く習慣の無い人間にありがちな、非常にまとまりのない文章ですみませんでした。
でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないかと勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます。
さきほど東京オリンピック組織委員会の会見生中継を見たのだけど、
それぞれの立場の発言概要、スタンスなどを無難にまとめて詳細に状況報告を行った。
「組織委員会はデザイナーの専門家ではない。デザイナーの専門家である永井さんが『これはパクリではない。でも一般国民には理解されないかもしれない』と判断したので取り下げた」
今後の流れについても誠意が感じられるような説明を行った。
もう少し無能な方を用意できなかったのか。本当に残念でならない。
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
になったね。佐野さんの件でそう思った。
気に入らない相手がいれば、そいつの過去の実績を調べ上げればほこりを見つけることが出来るもんね。
はてなに多いエンジニアなんかはアウトプットしたものが表にはでてこないから有利だよね。
なにか一つバレても過去のものを調べることは一般人には無理だからね。
逆に言うと、嫌われてはいるけれど
問題として挙げられてるもんの中に普通依頼側が用意するもんが混ざっとるわぼけぇ!!!
って暴れてる。
最近はそんなことすらやってくれないところがあるのはわかってるけど、実際に使用されるものでもないもの、内部で流通させるための叩き案のオリジナリティが重視される。
そもそも単にその場で流れて使われない可能性がある内輪向けのものまで毎回デザイン本体と同じような扱いで全部描けと?! て言ってる。
私には業界の異常な慣習には見えないんだけど、違う人もたくさんいるんだね。
エンブレムが国民に受け入れられないのにはちゃんと大きな理由がある。
(A)オリンピックのエンブレムが決定されるまでその良し悪しを国民が評価する機会が与えられてない
(B)エンブレムの決定・審査がコネで繋がった関係者によるものである
この2つの問題が絡み合った結果「選ばれたエンブレムが良し悪しの評価ではなく利権の都合によって選ばれたようにしか思えない」という非常に厄介な状態が生まれてしまったんだ。
この条件を突破することが出来ていればたとえ身内の投票でエンブレムが選ばれようが、それが決定まで国民の目に一切触れなかろうが許されていた。
たった1つの大きな大きな条件だよ。
これが佐野は出来なかった。
一般公募のアイディアの方がよっぽど素晴らしい物に見えてしまう。
もしもこれが選考の段階で国民の投票や、外部のそれはもう多種多様な分野のデザイナー達が絡んでいれば「皆で選んだはずなのにおかしいね」で国民たちは諦めることができていた。
でもそうじゃない。
身内で選んでるんだ。
その上で「ダサい」んだ。
これは本当に大きな問題だよ。
佐野:
「デザイナー」という大きな立場から見れば、やはりご指摘を真摯に受け止めて、
どこかで折り合いをつけなければ、デザイナーじゃないと思うんですよ!
ですから、私はそのデザイナーという、本当にもう……このロゴが大好きで、
本当にロゴが大好きなんで、ですから、もうロゴに申し訳なくて……。
こんなデザイナーで、国民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。
一生懸命、ロゴ制作を重ねて、やっとコンペで認められて採用されたからこそ、
こうやって国民の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、
デザイナーという大きな、ク、カテゴリーに比べたらベ、ベルギーの、ベェェッルッギーの、劇場ロゴトノォォー、
ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、
トートバッグ、プレゼン資料ェェエエッハアアアァアーー!! 無断転用問題はー!
我が社のみウワッハッハーーン!! 我が社のッハアーーーー! 我が社ノミナラズ!
そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイガダメニ! 俺ハネェ!
ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰がデザインしデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!
ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっとデザインしてきたんですわ!
せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! デザイナーになって!