はてなキーワード: デザイナーとは
デザイン似るのは当たり前だろ。
おまえの漫画のキャラデザだって別の漫画のキャラに似てるに決まってんだよ。
それを「ありえない」と断言するほうが怖いわ。
あと「素材を勝手に拝借も当たり前」とはどのデザイナーも言ってないだろ。
佐野氏の事
http://anond.hatelabo.jp/20150901191914
素人の人の写真をそのまま使ったり、プロの方の作品を勝手に使ったり
あれも結局デザイナーがネットから画像を勝手に使用してましたって事だったけど
一応漫画家してるんだけど、著作権とかすごい神経質になってるんで
どんな物を描く時でも資料にはしつつも目トレはもちろん絶対にトレースやましてそのまま使うなんてありえないし
(過去にそれで有名な漫画家さんが裁判になったケースも複数あったし、
ちょっと違うけど無断で話に使って裁判になったハイスコアガールの件もあるし)
もうすっごい気を使って描いてるので
今回のデザイナーさんのデザイン似るのは当たり前、素材を勝手に拝借も当たり前とか、
何十年前の感覚かと
お前ら、最終的なお前らの客がだれか分かってないだろ。プロ目線ならすばらしいとか、パクるわけないとか、どうでもいいんだよ。お前ら誰から仕事もらうのか考えろよ。仕事くれるやつが何のために、それを依頼してんのか考えろよ。依頼主は、俺ら一般的人(商業デザイナーより非商業デザイナーのほうが多いだろ)に対して、自社イメージアップとか、自社製品の購買意欲向上とか、自社サービスの周知を狙ってんだろ。五輪で言えば、五輪を応援したくなる気持ち、飛行機に乗って見に行きたくなる気持ち、なんか記念品を買いたくなる気持ちを上げて行きたいんだろ。そんなのに、見る人が見れば分かるとかパクリじゃないとか馬鹿じゃないのか。お前らは見る目の無い人にわかるものを作らなくちゃいけないし、パクリ疑惑なんて糞ミソの付かないきれいなものを作んなくちゃいけないんだよ。ぱくるんでも、ハローキティ(なんかウサギの絵本に造形が似てる)とかほっぺちゃん(ドラクエのスライムにそっくり)とかみたいに、愛されるものもってこいよ。
ほんと、あほかお前ら
http://anond.hatelabo.jp/20150901191914
はじめの怪しさ満点の記者会見で騙された奴は、自分がデザイナーに向いてるのかを見つめ直すべきやろ。
二流以上のデザイナーなら、シンプルな図形のデザインは何度も何度も微妙な色違いや位置違いを作るからな。
少なくとも100回は調整するんじゃないかな。そして後で見直すためバージョン違いはある程度保存しておく。
だので仕事ができるデザイナーは会見時にバージョン違いを見せない事で、多少は疑っていたと思うよ。
あと会見で突如出した全アルファベットのフォント。「フォントなんてすぐにできひん」とか擁護する奴もいたが、
「版権フリー素材を使ってれば問題ナシ」とかいうアホな三流クリエイターが湧いていたが、
法律上はともかく仕事人としてダメだろ。「雑な仕事」ってレベルじゃなく、「デザイナー廃業しろ」ってレヴェル。
今回は本当に三流デザイナーがうるさかった。
これって、「佐野氏を盾にして人びとを攻撃する」という形になるんだよね。
私の経験では、これが起きるとそれまで黙っていた人びとが押入れから竹槍を取り出して通りへ飛び出し、パクリ攻撃者の数が100倍に膨れ上がります。
見つかるとは思ってなかったとのこと。
5,6回それっぽい様子を見かけたことがあったけど初めてだったとのこと。
警察にもきてもらったけど親にきてもらって弁償してもらい終了。
将来ある子どもなのでこっちもそのほうがよかった。
親もちゃんと謝ってくれた。
その娘も泣きながら謝ってくれたのでほっとした。
これを機会にいい人間に育って欲しいと思ったとともに、かのデザイナーさんには謝罪会見をしてもらいたいと思った。
家族を思うならね。
フォトグラファーです。
「程度の差はあれネットから無断で画像を拝借して勝手に使っちゃうって経験、ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。」
が、デザイナーって同じビジュアルアート系の作業である写真を全然勉強していないし、重視していないという問題が根底にあるんじゃないでしょうか?
恐らくデザインをする際のポリシーというお話かと思われるので、そのお話を。デザインにはいくつかの流派のようなものがあります。当該作品は「ミニマル・デザイン」と呼ばれるものです。乱暴に言うと丸や四角や三角だけで様々なモチーフや抽象表現をするものをこう言います。佐野氏も恐らくこういうポリシーをもってデザインを進めたものと推察できます。
ただ、ミニマル・デザインだけがデザインではありませんので、様々なデザイン手法があり得ます。ラノベの装丁とかは大抵とてもポップですよね。あれはあれなりのデザインポリシーがあるわけです。ですから「ほぼ全てのデザイナー」が「ミニマル・デザイン」を推奨するわけでも、推し進めているわけでもありません。
これも本文に記載がある通り、「自己同一性」を求められる以上、オリジナル性は当然選考の基準となります。
この質問の意図が計りかねますが、似たデザインというのは、全ての制作物において発生する可能性を持っています。逆にもっと極端に単純な図案であったとしても、この世界に類似物が一切なければ、そこにオリジナリティはあります。しかし、ただの正方形や正三角形は著作物として認められません。そういうものはパブリックドメインというやつですね。ですから単純な図形はさらにそこに色彩やレイアウトという要素を盛り込んで著作物として成立させます。件の作品も、基本的には三角と四角と丸のレイアウトと色彩の展開ですよね。
丁寧な回答ありがとうございます。
ただ数点ほど新たな疑問も。
選考委員の人たちは、並べられた百数個のデザインを選ぶときに、類似性を議論したとは思えません。議論の対象となるのはそのデザインが選定基準に合致しているかどうか、そして十分なパフォーマンスを発揮するかどうかという点において評価が下されていると思います。
これに関してですが、私は、作成者の思想に関して質問しました。ほぼ全てのデザイナーの方が「類似酷似しやすい」と考えるデザインを作成者が選択する理由は何でしょうか?
さらに読んでいて思ったのですが、デザインの選定基準にオリジナル性というものは入っていないのでしょうか?
私は当然入っていると思っていたのですが、どのデザイナーが見ても「類似酷似しやすい」と思うデザインでもOKということでしょうか?
デザインが万が一他のデザインと類似することはあるとしても、原案・修正と2度連続して「偶然」類似することはあるのでしょうか?
可能性は否定できない以上、あり得るとしか言えません。可能性の度合いについては判定はできませんが、言うほど高いものではないと思います。
単純なデザインは似やすいというモノがありますが、佐野氏のデザイン以外に白井氏のデザインに酷似したものドビ氏のデザインに酷似したものは見つかっていない
見つかっていないというだけですので、他にも類似例が無いとは言えないでしょう。ネット上で検索できるものが全てではありませんから。上記と同様、類似する可能性が否定できない以上、複数事例についても類似例がある可能性も否定できません。
また万が一偶然だとすれば、擁護する方が口をそろえて言うように、「酷似類似しやすいデザイン」であるにもかかわらず、このデザインを選択するというのはデザイナーとしておかしいのではないでしょうか?
選考委員の人たちは、並べられた百数個のデザインを選ぶときに、類似性を議論したとは思えません。議論の対象となるのはそのデザインが選定基準に合致しているかどうか、そして十分なパフォーマンスを発揮するかどうかという点において評価が下されていると思います。選考委員の人たちは類似性を担保する役割を担っていませんから。その点については提出された作品全ての法務的チェックをするのは組織委員会の法務関連担当者(おそらく広告代理店関係者)だと思います。
ただ、個人的な意見としては、本文で記述した通り文脈が浅過ぎるという点から、選考基準が甘いと感じています。もしくは他の応募作品があまりにしょぼかったのか。でも後者は考えにくいですよね。
有識者の方にお尋ねしたいのですが、
デザインが万が一他のデザインと類似することはあるとしても、原案・修正と2度連続して「偶然」類似することはあるのでしょうか?
しばしばこれに対する言い訳として、単純なデザインは似やすいというモノがありますが、佐野氏のデザイン以外に白井氏のデザインに酷似したものドビ氏のデザインに酷似したものは見つかっていないと思うのですが、これに関してはどうお考えでしょうか?
また万が一偶然だとすれば、擁護する方が口をそろえて言うように、「酷似類似しやすいデザイン」であるにもかかわらず、このデザインを選択するというのはデザイナーとしておかしいのではないでしょうか?
"分かっているデザイナー"もしくは、その思考様式の分かる人に聞きたいのだが、逆にどういう状況ならデザイン上のパクリといえるのだろう?
今までに、言われていることから判断するに、少なくとも少しでも見た目が変わっていればパクリではないらしい。
1ピクセルでも違えばよいみたいだ。
コンセプトが違えばなおOKらしい。
コンセプトが違えば見た目がまったく同じでも良いのかも?
まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブの問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます。
この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から、有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見・文句・罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者」視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます。
まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます。
JOCや組織委員会の要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状である事から、人間の認知作用的に受け入れやすい要素を持っています。キャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。
次にマイナス評価として上げられるのが、過去の文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ・長野・シドニー・北京・バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈はオリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティを担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈が必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。
上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。
正直、分かりません。情報も錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報か判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体や動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件もデザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから。
これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品は商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品が過去の作品に類似していた場合、過去の作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています。日本も批准しています。
次に、デザインの機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品の制作指針をまとめますが、これを「ビジュアル・アイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。
件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます。言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真で撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場のロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真が印刷された情報が、リエージュ劇場の情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります。
あまり一般には知られていないと思いますが、デザインの価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています。
内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。
「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。
東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京・千代田区) http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124
これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業、チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます。
この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルのデザインを制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会が提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。
オリンピックという世界規模のイベントのロゴですから、世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分の作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。
以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当なデザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。
全然違うよ。
ただ僕たちは暇つぶしの道具を探しているだけ。
これからはお前らデザイナーの意味不明な見積もりに容赦なく突っ込むから。
覚悟しとけ。
周囲の人がビビりまくっているので、実際の制作に従事している人に向けて、私の考えを述べたい。
様々な情報や意見が飛び交っているが、現場の制作において今回の件に学ぶべきことは、以下の1点だけだと私は思う。
少なくとも「絶対にバレない」という状態まで加工しろ。「もはやオリジナル」と言えるまでに。
実際のところ、今回の敗因(?)となったのは、佐野氏がネットの画像を無許可で使用していたことがバレたことに尽きる。ほんとにこれだけ。
「⚪︎⚪︎に似てる」とか、そんなことは個人の意見の範疇なんだから、問題の根本ではない。
(事実、佐野氏は画像の無断使用にしか謝罪はしていないし、それ以上の謝罪は必要なかったように思う)
昨日(8/1)の会見で、組織委員会はエンブレム取り下げの理由を「ひとえに一般国民の理解を得られなかったから」と言っていた。
まあ、それはそうなんだろう。だって、ほかに決定打となる明確な理由などない。
しかしより根本的には、その明確な理由があったとすれば、エンブレム自体ではなく、佐野氏自身のデザイナーとしての信用の問題だろう。
「パクり」と「画像の無断使用」に関して(ネットで両者が混同されていることに驚く)、前者に関しては真偽はわからないものの、後者は明らかにおこなっていたのだ。
著作権を犯した作品を現在進行形で商業の場で発表していた人(それが部下の仕事とかはマジでどうでもいい)を、国際的な祭典の壇上に立たせることは、問題視されてもしかたがない。
前科が見つかって立場を降ろされるのは、個人的には納得ができる。
ネットの勝利だとか、インターネット時代のクリエイティブの危機とか言っている人がいるが、さすがにネットの意見に押されただけで、組織委員会は決定を覆したりはせんでしょう。いや、絶対ない。
今回の騒動は、「エンブレムが気に入らない」に端を発し、「明確な著作権侵害」という、攻撃されるスキを見せてしまったことでここまでの騒動に至った。
しかし逆に言えば、ただそれだけの話だし、ただそれだけの結果をもってして、何か危機的な状況だと感じている人は、「ネットの画像をつかえなくなるのが危機的な状況なんですか?」と問いたい。
今回の件は、ただただ佐野氏が悪い。「ネットの画像を無断で使用して国民からの信用を失った佐野氏」が悪いのだ。
さて、筆がノったついでに、以下、もっと大きな問題についての私感を少し。
現場への影響に関しては上記くらいの認識で良いと思っているが、そのほか、業界的に問題だと思っていることを2点。
・(コンペの審査員とかの)村社会的な体制は、村社会が通じるところでやろう。
・業界のエラい人は、文句があるならどうして猛抗議しなかった。
そのままなんだけれど、一応ひとことずつ。
前者に関しては、本来ならべつに問題ないというか、どの業界でもだいたいそういうものだと思っている。
が、「ここを攻められたら反論しにくいよね」というポイントのひとつだと思うし、オリンピックは相手が悪かった。
実際、「デザイン」っていう分野がここまで脚光を浴びたことなんて、私が生きてきたなかでは初めてのことだと思う(同時に、東京で生きてきたなかで最大のイベントだと思う)。
オリンピックSUGEEってことね。
後者に関しては、素直にかっこ悪いなあという印象。
こういう態度を取られると、「ビビって逃げてる」か、「ネットのバカには意見するだけ無駄だと考えている」と捉えられても仕方がないように思う。
いずれにせよ、「一般国民」から距離を取って、「あたし佐野さんと友達だから」とか、「この良さがわからないとは」みたいなJKの女子会レベルの論拠を持ち出すのは、マジでダサいからやめてほしい。
1位に抜ければあとはほぼ独走でき、
1位であっても足を取られれば下位勢からのデスコンボで最下位は当たり前。
かといって逆転劇はそうそうあるわけでもなく上位と下位は格差固定状態。
上位にのし上がろうものならアカこうらで足の引っ張り合い。かくて1位は独走しやすい。
これは本当にそう思う。
実際会社だと「あのロゴどうなるんだろうね」位の会話しかしてなくて「あの佐野とかいうデザイナー詐欺師だよな。死ねよ。」みたいな会話をしてる人は一人もいなかった。
根っからのデザイナーの仕事や可能性を信用してないのはあなたの方ではないでしょうか?
今回は、オリンピックの"ロゴ"で"公"募をかけた以上、公の"ロゴ"の定義に従って、図案を作成するのがデザイナーの仕事でしょう。
そこで、今回は、外来語のロゴの定義を、皆が納得できうる英英辞典から引用して順に説明しました。そして、
「ロゴの本質は"標識"なんだから、そのロゴを見たら、その意味するところが大多数の人々に理解できるのが大事」
に至る理路を示し。この点はあなたも異存はないという点で一致は見ていますね。
そうすると、今回私の発言
つまり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本の東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点でロゴ失格だと言いたいんだよ。
その固定観念の枠組では、どんなデザイナーでも、「当たりさわりの無い無難なデザインになってしまう」とでも言いたいのでしょうか?
あの佐野さんも亀倉雄策さんのわかりやすいロゴは評価をされていたようですがね。
それとも、「当たり障りのある、無難ではない"ロゴ"デザイン」という公募条件で公募をかけたいのでしょうか?
そういう言葉遊びは、「当たり障りのある"ロゴ"」の定義と「無難ではない"ロゴ"」の定義をはっきりと"ロゴ"の定義を逸脱しない範囲において
そうしないと、「個人的なの好き嫌い」という主観に基づく誹謗中傷の犠牲になるデザイナーがまたひとり増えるだけだと考えます。、
揚げ足取りではなく、きちんとした根拠もって説得していただける反論をお待ちしております。
社会では、そっちが楽に見えても折れたら二度と取り返しのつかない選択肢が転がっているね。
真実がどうあれ身の潔白をうたいつづけるべきだ。
今の段階なら、盗用疑惑が付きまとうデザイナーで済むけど、折れて認めてしまえば盗用したデザイナーになってしまう。
永遠に付きまとう程にフックはないだろうから、飽きて忘れられた頃、変な言いがかりを付けられて災難だったとか言いながら、次の仕事にかかれるだろう。
だから、まあ、盗用を認めたらびっくりだよね。
でもフランスパンをコラージュしたトートバッグのデザインとか、たぶんちょっとした絵心とパソコンの操作ができるレベルの技術でできるだろうし、あれをやってたアシスタントも将来は佐野氏のスタジオで働いてたってことで泊をつけて、一流デザイナーの仲間入りなんでしょ?
なんで過去必死に努力をして(伝聞)高学歴の家庭に育った佐野氏が末端デザイナーですらタブー視してる人のアイディアを安易にパクる方法で仕事をしてきたか考えてみた。
もしかしたら氏は過去に自分で考えて必死にアイディアひねり出したデザインをしていたのかもしれない。
だけどもわがままで自分勝手でセンスのないクライアントに何度も何度ももまれてけちょんけちょんにけなされて
それで繊細な心を持つ氏は自分のアイディアを表に出すことを怖がるようになったではないだろうか。
そこで人のアイディアの流用なら自分のセンスを批判されたわけではないから傷つかないということに気が付き、
以来ガラスのハートを守るために他の人のアイディアを自分でひねり出したかのように表現することを商売にしはじめた。
と、いうのを考えたけどさっきどっかで見たもともとウチワを「涼」の字にあてたデザインを無理やり扇子にして作ったパクリデザインは本気でひどかったので