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はてなキーワード: デザイナーとは

2015-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20150902104348

デザイン似るのは当たり前だろ。

おまえの漫画キャラデザだって別の漫画キャラに似てるに決まってんだよ。

それを「ありえない」と断言するほうが怖いわ。

あと「素材を勝手拝借も当たり前」とはどのデザイナーも言ってないだろ。

内々で見せるだけなら仮素材としてネット画像を使うことも多いと言っているだけで、

しかもそれに対して別のデザイナーから反論も出ている。

つくづく都合の良い情報しか摂取してないんだな。

そもそも二次創作で成り立ってる漫画業界はどうこう言える立場にないだろうが。

佐野氏と刀剣乱舞

佐野氏の事

http://anond.hatelabo.jp/20150901191914

を読んで、刀剣乱舞パクリ事件の事を思い出した

素人の人の写真をそのまま使ったり、プロの方の作品勝手に使ったり

あれも結局デザイナーネットから画像勝手に使用してましたって事だったけど

デザイナーってそういうものなのか…

一応漫画家してるんだけど、著作権とかすごい神経質になってるんで

どんな物を描く時でも資料にはしつつも目トレはもちろん絶対トレースやましてそのまま使うなんてありえないし

過去にそれで有名な漫画家さんが裁判になったケースも複数あったし、

ちょっと違うけど無断で話に使って裁判になったハイスコアガールの件もあるし)

もうすっごい気を使って描いてるので

今回のデザイナーさんのデザイン似るのは当たり前、素材を勝手拝借も当たり前とか、

その感覚自体がもうおかしいというか時代遅れかと

何十年前の感覚かと

ネットが普及してない時代はそれでも大してバレなくてすんだんだろうけど

やすぐバレて大事になるのに

これがきっかけになって、デザイナーさん達の意識が変わるといいなぁと思った

佐野エンブレム擁護している商業デザインプロらしい連中へ

お前ら、最終的なお前らの客がだれか分かってないだろ。プロ目線ならすばらしいとか、パクるわけないとか、どうでもいいんだよ。お前ら誰から仕事もらうのか考えろよ。仕事くれるやつが何のために、それを依頼してんのか考えろよ。依頼主は、俺ら一般的人(商業デザイナーより非商業デザイナーのほうが多いだろ)に対して、自社イメージアップとか、自社製品の購買意欲向上とか、自社サービスの周知を狙ってんだろ。五輪で言えば、五輪を応援したくなる気持ち飛行機に乗って見に行きたくなる気持ち、なんか記念品を買いたくなる気持ちを上げて行きたいんだろ。そんなのに、見る人が見れば分かるとかパクリじゃないとか馬鹿じゃないのか。お前らは見る目の無い人にわかものを作らなくちゃいけないし、パクリ疑惑なんて糞ミソの付かないきれいなものを作んなくちゃいけないんだよ。ぱくるんでも、ハローキティ(なんかウサギ絵本に造形が似てる)とかほっぺちゃんドラクエスライムにそっくり)とかみたいに、愛されるものもってこいよ。

ほんと、あほかお前ら

佐野氏を擁護した三流デザイナー

http://anond.hatelabo.jp/20150901191914

からおまんは三流デザイナーなんや

はじめの怪しさ満点の記者会見で騙された奴は、自分デザイナーに向いてるのかを見つめ直すべきやろ。

二流以上のデザイナーなら、シンプルな図形のデザインは何度も何度も微妙色違いや位置違いを作るからな。

少なくとも100回は調整するんじゃないかな。そして後で見直すためバージョン違いはある程度保存しておく。

だので仕事ができるデザイナーは会見時にバージョン違いを見せない事で、多少は疑っていたと思うよ。

コンセプトなんていくらでも後付けできちゃうんだもの

あと会見で突如出した全アルファベットフォント。「フォントなんてすぐにできひん」とか擁護する奴もいたが、

あんフォントなら1日で出来るわ!

そして例のトートバッグ問題

版権フリー素材を使ってれば問題ナシ」とかいうアホな三流クリエイターが湧いていたが、

法律上はともかく仕事人としてダメだろ。「雑な仕事」ってレベルじゃなく、「デザイナー廃業しろ」ってレヴェル。

今回は本当に三流デザイナーがうるさかった。

(やつら、最期は結局「マナーのないネット民が悪い」で正当化だもんな)

佐野氏の取り巻きでもないのに擁護してた人は、自分能力の低さとともに、人生と今後の進路を見つめ直すべきやで。ガチに。

知の欺瞞

今回の佐野氏を含むデザイナー村に関しては、かの「知の欺瞞」を思い出す。

デザイナー側がロジックを全く説明できていないところが非常によく似ている。

http://anond.hatelabo.jp/20150901082556

(4) 何人かのデザイナーが、単なる感情論佐野氏を擁護したり、素人を見下したような発言をする

これって、「佐野氏を盾にして人びとを攻撃する」という形になるんだよね。

私の経験では、これが起きるとそれまで黙っていた人びとが押入れから竹槍を取り出して通りへ飛び出し、パクリ攻撃者の数が100倍に膨れ上がります

こないだからずっとおかしいと思ってること

増田デザイナーなんて職業の人いるの?

どうもうさんくさいデザイナー自称して色々書き込んでる奴何者なんだ?ある時は学生だったり自営業者だったり。

お前怪しいんだよ!

万引きをつかまえた

コンビニ店員のわし。

高校生と思ったら中学生だった。

見つかるとは思ってなかったとのこと。

5,6回それっぽい様子を見かけたことがあったけど初めてだったとのこと。

警察にもきてもらったけど親にきてもらって弁償してもらい終了。

将来ある子どもなのでこっちもそのほうがよかった。

親もちゃんと謝ってくれた。

その娘も泣きながら謝ってくれたのでほっとした。

これを機会にいい人間に育って欲しいと思ったとともに、かのデザイナーさんには謝罪会見をしてもらいたいと思った。

家族を思うならね。

http://anond.hatelabo.jp/20150901191914

フォトグラファーです。

「程度の差はあれネットから無断で画像拝借して勝手に使っちゃうって経験ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。」

これは、内々で確認するためのカンプレベルと信じたい。

が、デザイナーって同じビジュアルアート系の作業である写真全然勉強していないし、重視していないという問題根底にあるんじゃないでしょうか?

いい写真とは何かを、あんまり気にしていないから気軽に盗作できてしまうというか。

あなたには好きな写真がありますか?

また、好きな写真家はいますか?

もしいたとしたら、心が痛む事件だったでしょう。佐野事件は。

写真を撮る立場から佐野氏を擁護することはとうていできません。

http://anond.hatelabo.jp/20150902064623

作成者思想

恐らくデザインをする際のポリシーというお話かと思われるので、そのお話を。デザインはいくつかの流派のようなものがあります。当該作品は「ミニマルデザイン」と呼ばれるものです。乱暴に言うと丸や四角や三角だけで様々なモチーフ抽象表現をするものをこう言います佐野氏も恐らくこういうポリシーをもってデザインを進めたものと推察できます

ただ、ミニマルデザインけがデザインではありませんので、様々なデザイン手法があり得ますラノベ装丁とかは大抵とてもポップですよね。あれはあれなりのデザインポリシーがあるわけです。ですから「ほぼ全てのデザイナー」が「ミニマルデザイン」を推奨するわけでも、推し進めているわけでもありません。

デザインの選定基準オリジナル性というものは入っていないのでしょうか?

これも本文に記載がある通り、「自己同一性」を求められる以上、オリジナル性は当然選考基準となります

どのデザイナーが見ても「類似酷似やすい」と思うデザインでもOKということでしょうか?

この質問意図が計りかねますが、似たデザインというのは、全ての制作物において発生する可能性を持っています。逆にもっと極端に単純な図案であったとしても、この世界に類似物が一切なければ、そこにオリジナリティはありますしかし、ただの正方形正三角形著作物として認められません。そういうものパブリックドメインというやつですね。ですから単純な図形はさらにそこに色彩やレイアウトという要素を盛り込んで著作物として成立させます。件の作品も、基本的には三角と四角と丸のレイアウトと色彩の展開ですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20150902062848

丁寧な回答ありがとうございます


ただ数点ほど新たな疑問も。

選考委員の人たちは、並べられた百数個のデザインを選ぶときに、類似性議論したとは思えません。議論対象となるのはそのデザインが選定基準合致しているかどうか、そして十分なパフォーマンスを発揮するかどうかという点において評価が下されていると思います


これに関してですが、私は、作成者思想に関して質問しました。ほぼ全てのデザイナーの方が「類似酷似やすい」と考えるデザイン作成者が選択する理由は何でしょうか?


さらに読んでいて思ったのですが、デザインの選定基準オリジナル性というものは入っていないのでしょうか?

私は当然入っていると思っていたのですが、どのデザイナーが見ても「類似酷似やすい」と思うデザインでもOKということでしょうか?

http://anond.hatelabo.jp/20150902061103

デザインが万が一他のデザインと類似することはあるとしても、原案修正と2度連続して「偶然」類似することはあるのでしょうか?

可能性は否定できない以上、あり得るとしか言えません。可能性の度合いについては判定はできませんが、言うほど高いものではないと思います

単純なデザインは似やすいというモノがありますが、佐野氏のデザイン以外に白井氏のデザイン酷似したものドビ氏のデザイン酷似したものは見つかっていない

見つかっていないというだけですので、他にも類似例が無いとは言えないでしょう。ネット上で検索できるものが全てではありませんから。上記と同様、類似する可能性が否定できない以上、複数事例についても類似例がある可能性も否定できません。

また万が一偶然だとすれば、擁護する方が口をそろえて言うように、「酷似類似しやすデザインであるにもかかわらず、このデザインを選択するというのはデザイナーとしておかしいのではないでしょうか?

選考委員の人たちは、並べられた百数個のデザインを選ぶときに、類似性議論したとは思えません。議論対象となるのはそのデザインが選定基準合致しているかどうか、そして十分なパフォーマンスを発揮するかどうかという点において評価が下されていると思います選考委員の人たちは類似性担保する役割を担っていませんから。その点については提出された作品全ての法務的チェックをするのは組織委員会法務関連担当者(おそらく広告代理店関係者)だと思います

ただ、個人的意見としては、本文で記述した通り文脈が浅過ぎるという点から選考基準が甘いと感じています。もしくは他の応募作品があまりにしょぼかったのか。でも後者は考えにくいですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20150902054229

有識者の方にお尋ねしたいのですが、


デザインが万が一他のデザインと類似することはあるとしても、原案修正と2度連続して「偶然」類似することはあるのでしょうか?


しばしばこれに対する言い訳として、単純なデザインは似やすいというモノがありますが、佐野氏のデザイン以外に白井氏のデザイン酷似したものドビ氏のデザイン酷似したものは見つかっていないと思うのですが、これに関してはどうお考えでしょうか?


また万が一偶然だとすれば、擁護する方が口をそろえて言うように、「酷似類似しやすデザインであるにもかかわらず、このデザインを選択するというのはデザイナーとしておかしいのではないでしょうか?

デザイン上のパクリに関して

"分かっているデザイナー"もしくは、その思考様式の分かる人に聞きたいのだが、逆にどういう状況ならデザイン上のパクリといえるのだろう?


今までに、言われていることから判断するに、少なくとも少しでも見た目が変わっていればパクリではないらしい。

ピクセルでも違えばよいみたいだ。

コンセプトが違えばなおOKらしい。

コンセプトが違えば見た目がまったく同じでも良いのかも?


実際、どうであればパクリ認定できるのか知りたい。

2020東京五輪クリエイティブに思う事

まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブ問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます

エンブレム盗作疑惑

この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見文句罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます

デザインダメだったのか?

まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます

JOC組織委員会要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状であるから人間認知作用的に受け入れやすい要素を持っていますキャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。

次にマイナス評価として上げられるのが、過去文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ長野シドニー北京バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈オリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティ担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。

上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。

パクリなのか?

正直、分かりません。情報錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件デザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから

何が問題なのか?

これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品過去作品に類似していた場合過去作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています日本批准しています

次に、デザイン機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品制作指針をまとめますが、これを「ビジュアルアイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。

件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場ロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真印刷された情報が、リエージュ劇場情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります

実は妥当デザインだったのではないか

まり一般には知られていないと思いますが、デザイン価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています

内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。

「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。

東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京千代田区http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124

これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます

この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルデザイン制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。

オリンピックという世界規模のイベントロゴですから世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。

以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当デザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。

次のロゴを狙ってるデザイナーの条件

ピンタレストには登録していない

SNSはやっていない

過去作品については一点の曇りもないほど潔白である

・顔が韓国系ではない

韓国擁護する発言を一度たりともしたことがない

不倫浮気などの汚らわしい行為をしたことがない

電通博報堂関係していない

デザイン事務所で部下を雇っていない

・部下の仕事を全て管理・把握している

森本千絵らとの交友関係がない

他に付け加えることある

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150902010755

全然違うよ。

何が不正で何が正しいなんて全く関係ないよ。

ただ僕たちは暇つぶしの道具を探しているだけ。

真実なんてどうでもいい。デザインなんて糞食らえ。

これからはお前らデザイナー意味不明見積もりに容赦なく突っ込むから

覚悟しとけ。

佐野氏の件でガクブルしている制作関係者

周囲の人がビビりまくっているので、実際の制作従事している人に向けて、私の考えを述べたい。

まず最初に言いたい。落ち着け問題は意外にシンプルだ。

様々な情報意見が飛び交っているが、現場制作において今回の件に学ぶべきことは、以下の1点だけだと私は思う。

ネット画像無許可で使うな。

少なくとも「絶対にバレない」という状態まで加工しろ。「もはやオリジナル」と言えるまでに。

実際のところ、今回の敗因(?)となったのは、佐野氏がネット画像無許可で使用していたことがバレたことに尽きる。ほんとにこれだけ。

「⚪︎⚪︎に似てる」とか、そんなことは個人の意見範疇なんだから問題根本ではない。

事実佐野氏は画像無断使用しか謝罪はしていないし、それ以上の謝罪必要なかったように思う)

昨日(8/1)の会見で、組織委員会エンブレム取り下げの理由を「ひとえに一般国民理解を得られなかったから」と言っていた。

まあ、それはそうなんだろう。だって、ほかに決定打となる明確な理由などない。

しかしより根本的には、その明確な理由があったとすれば、エンブレム自体ではなく、佐野自身デザイナーとしての信用の問題だろう。

「パクり」と「画像無断使用」に関して(ネットで両者が混同されていることに驚く)、前者に関しては真偽はわからないものの、後者は明らかにおこなっていたのだ。

著作権を犯した作品現在進行形商業の場で発表していた人(それが部下の仕事とかはマジでどうでもいい)を、国際的な祭典の壇上に立たせることは、問題視されてもしかたがない。

前科が見つかって立場を降ろされるのは、個人的には納得ができる。

しかし、繰り返しになるが、実際、問題はそれだけじゃね?

ネットの勝利だとか、インターネット時代クリエイティブ危機とか言っている人がいるが、さすがにネット意見に押されただけで、組織委員会は決定を覆したりはせんでしょう。いや、絶対ない。

今回の騒動は、「エンブレムが気に入らない」に端を発し、「明確な著作権侵害」という、攻撃されるスキを見せてしまったことでここまでの騒動に至った。

しかし逆に言えば、ただそれだけの話だし、ただそれだけの結果をもってして、何か危機的な状況だと感じている人は、「ネット画像をつかえなくなるのが危機的な状況なんですか?」と問いたい。

今回の件は、ただただ佐野氏が悪い。「ネット画像を無断で使用して国民からの信用を失った佐野氏」が悪いのだ。


さて、筆がノったついでに、以下、もっと大きな問題についての私感を少し。

現場への影響に関しては上記くらいの認識で良いと思っているが、そのほか、業界的に問題だと思っていることを2点。

・(コンペの審査員とかの)村社会的な体制は、村社会が通じるところでやろう。

業界エラい人は、文句があるならどうして猛抗議しなかった。

そのままなんだけれど、一応ひとことずつ。

前者に関しては、本来ならべつに問題ないというか、どの業界でもだいたいそういうものだと思っている。

が、「ここを攻められたら反論しにくいよね」というポイントひとつだと思うし、オリンピックは相手が悪かった。

実際、「デザイン」っていう分野がここまで脚光を浴びたことなんて、私が生きてきたなかでは初めてのことだと思う(同時に、東京で生きてきたなかで最大のイベントだと思う)。

オリンピックSUGEEってことね。

後者に関しては、素直にかっこ悪いなあという印象。

こういう態度を取られると、「ビビって逃げてる」か、「ネットバカには意見するだけ無駄だと考えている」と捉えられても仕方がないように思う。

いずれにせよ、「一般国民から距離を取って、「あたし佐野さんと友達から」とか、「この良さがわからないとは」みたいなJK女子会レベルの論拠を持ち出すのは、マジでダサいからやめてほしい。

言論の場で、痛烈にネットの人たちを批判する論客デザイナーがいたらなあ、と思う。

はい、かく言う私も増田でね。

とにかく、みんな、そこまでビビる必要なくないか?

エンブレム騒動というか、人生マリオカート8だと思えばイイ。

1位に抜ければあとはほぼ独走でき、

1位であっても足を取られれば下位勢からのデスコンボ最下位は当たり前。

かといって逆転劇はそうそうあるわけでもなく上位と下位は格差固定状態。

上位にのし上がろうものならアカこうらで足の引っ張り合い。かくて1位は独走しやすい。

どっかのデザイナー地力があるならまた1位になれるさ。

ただのパクリのし上がったなら、ビリがお似合いってこったね。

擁護する奴と一緒に底辺走ってろよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150902004755

これは本当にそう思う。

実際会社だと「あのロゴどうなるんだろうね」位の会話しかしてなくて「あの佐野かいデザイナー詐欺師だよな。死ねよ。」みたいな会話をしてる人は一人もいなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20150901232303

根っからデザイナー仕事や可能性を信用してないのはあなたの方ではないでしょうか?

 

固定観念しか思えない。

「他の国と同じような当たり障りのない無難デザインにしておけよ」と言いたいんでしょ。

 

今回は、オリンピックの"ロゴ"で"公"募をかけた以上、公の"ロゴ"の定義に従って、図案を作成するのがデザイナー仕事でしょう。

よって、まず"ロゴ"の誰もが納得できる定義は最重要です。

そこで、今回は、外来語ロゴ定義を、皆が納得できうる英英辞典から引用して順に説明しました。そして、

ロゴ本質は"標識"なんだから、そのロゴを見たら、その意味するところが大多数の人々に理解できるのが大事

に至る理路を示し。この点はあなたも異存はないという点で一致は見ていますね。

そうすると、今回私の発言

まり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点でロゴ失格だと言いたいんだよ。

を、固定観念とラベル付したけれども、

 

その固定観念の枠組では、どんなデザイナーでも、「当たりさわりの無い無難デザインになってしまう」とでも言いたいのでしょうか?

あの佐野さんも亀倉雄策さんのわかりやすロゴ評価をされていたようですがね。

 

それとも、「当たり障りのある、無難ではない"ロゴ"デザイン」という公募条件で公募をかけたいのでしょうか?

 

そういう言葉遊びは、「当たり障りのある"ロゴ"」の定義と「無難ではない"ロゴ"」の定義をはっきりと"ロゴ"の定義を逸脱しない範囲において

矛盾なく示していただきたい。

そうしないと、「個人的なの好き嫌い」という主観に基づく誹謗中傷犠牲になるデザイナーがまたひとり増えるだけだと考えます。、

 

揚げ足取りではなく、きちんとした根拠もって説得していただける反論をお待ちしております

 

最後に、これは付録ですが、

論理理屈の通らないデザイン作業は、子供の絵の自由課題と何ら変わりないと考えています

それは、デザインでなくてただのお絵かきです。

http://anond.hatelabo.jp/20150902002702

社会では、そっちが楽に見えても折れたら二度と取り返しのつかない選択肢が転がっているね。

今回、むしろ佐野氏は絶対に折れるべきではない。

真実がどうあれ身の潔白をうたいつづけるべきだ。

今の段階なら、盗用疑惑が付きまとうデザイナーで済むけど、折れて認めてしまえば盗用したデザイナーになってしまう。

永遠に付きまとう程にフックはないだろうから、飽きて忘れられた頃、変な言いがかりを付けられて災難だったとか言いながら、次の仕事にかかれるだろう。

から、まあ、盗用を認めたらびっくりだよね。

デザイナーはすごいって擁護があるけど

ミリ単位デザインを仕上げてるとか。

でもフランスパンコラージュしたトートバッグデザインとか、たぶんちょっとした絵心パソコン操作ができるレベル技術でできるだろうし、あれをやってたアシスタントも将来は佐野氏のスタジオで働いてたってことで泊をつけて、一流デザイナーの仲間入りなんでしょ?

深読みしてみる

全然擁護とかするつもりないけど。

なんで過去必死努力をして(伝聞)高学歴の家庭に育った佐野氏が末端デザイナーですらタブー視してる人のアイディア安易パクる方法仕事をしてきたか考えてみた。

しかしたら氏は過去自分で考えて必死アイディアひねり出したデザインをしていたのかもしれない。

だけどもわがまま自分勝手センスのないクライアントに何度も何度ももまれてけちょんけちょんにけなされて

それで繊細な心を持つ氏は自分アイディアを表に出すことを怖がるようになったではないだろうか。

そこで人のアイディアの流用なら自分センス批判されたわけではないから傷つかないということに気が付き、

以来ガラスハートを守るために他の人のアイディア自分でひねり出したかのように表現することを商売にしはじめた。

と、いうのを考えたけどさっきどっかで見たもともとウチワを「涼」の字にあてたデザインを無理やり扇子にして作ったパクリデザインは本気でひどかったので

やっぱりデザイナーとして生活するにはあまりにも決定的なセンスが欠けていたんじゃないかというふうに思わざるをえない。

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