はてなキーワード: デザイナーとは
今回のように、偉いデザイナーがデザインして選ばれれば良いと思っているよ。
佐野のパクリが明るみに出たように、 「偉いデザイナー」の過去の仕事が精査されることは良いことだと思っている。
これで、デザイナー連中もパクリその他やましいことがかなりしにくくなったに違いない。
新しく決まる東京五輪のエンブレムも、自分の過去の仕事に一片の曇りもないと確信しているデザイナーがたくさん応募してくれれば良いなと。
今回の騒動って全ての原因は日本人の過剰な権威主義に端を発してると思うんだよね。
偉いデザイナーの人が、凄いデザインをしてくれたら、安心だよね。
日本人の多くがこう思ってるから身内贔屓の連中に漬け込まれたんじゃないかな?
「主」「従」の問題だろ
仮にジョジョの作中でトレースされた部分が(どの程度のものかは知らないが)白紙になったり全く別の絵に差し替えられてもジョジョはジョジョで話の内容にはほとんど影響ないだろ。
じゃあ、たとえば「佐野研二郎はデザインに使う素材の収集は部下に任せていたが
その中にネットから適当にパクってくるだけの奴がいてこんなことになった」という
有り得そうな状況が原因だった場合(というかトートバッグの件で佐野はそう説明している)、
もちろん佐野の管理責任は問われるけど倫理観は問われないよね?
おまえは「佐野個人の倫理観の問題」と決めつけているけど確証はあるの?
「写真の盗用をした自覚がありながらパクリ疑惑を晴らすためにそれをドヤ顔で公開した馬鹿なデザイナー」が佐野だと思ってるの?
もし前述のような事情だった場合、おまえは「根拠もなく他人の倫理観を疑って義憤ごっこをしていたクズ」ということになるけど、
「知らないが」じゃないでしょ。
大事なのは佐野研二郎という人間が、デザイナーとして信用に足る仕事をしているかどうか、でしょ。
何言ってんの?
http://anond.hatelabo.jp/20150901130201
デザイナーとか全く信用してないし、PCソフトでペタペタやって
ドヤ顔されるのも気分悪いな。
氏と同業、同種の仕事(といっても、箸にも棒にもかからない業界底辺の腐れディレクター)の
なので自分は、同業の人間から見た、意識的な所と言うか、そういう所でちょっと意見を書きたいと。
まず最初に言っておくと、
→2−1)意図的に盗用
→2−2)認識を持たずに盗用
という感じで、問題になってる事を分類出来るのかと思うんだけど。。。オリンピックのロゴは、1)かなって思っています。
もっとも、最近になって出て来た初期デザインがあまりにもアレで、ちょっとゆらいできましたが(笑)
で最近出て来た、ロゴの使用イメージに描かれていた街の様子の画像のパクリ。あれは3)かな・・・
あれは、この業界、あの手の提案する際にイメージを作る為に企画書内では日常茶飯事的にやっている。
正直世に出るものではなくクローズドなダミーイメージとしてつくったのだからあれは見逃してやって欲しい(汗
で、氏の場合は過去にデザインしたものを見ると、2−2の意識の無い盗用、というのがちょっと多い気がする。
あまりにも安易に、モチーフとなったデザインを流用し過ぎてるかなと。
もちろんデザインする時にはゼロベースのものっていうのは存在しないと思う。
多かれ少なかれベースとなるものや体験があってのデザインなので。
「ああ、格好いいデザインだ、自分もこんなテイストのもの作りたいな!」
ってのは自分も日常茶飯事的に持ってる訳で。問題はそのやり方と言うか程度と言うか。
氏について言えば、(氏なのか氏のスタッフなのか)
「おまえそれでクリエイティブ名のって恥ずかしくないの?」みたいな。
実はこの手の問題は、業界最大手あたりでは10年ぐらい前から深刻な問題になっていて
社内的に勉強会や、外注先のデザイン事務所を呼んでの勉強会とか、
コンプライアンスに関わる所なのでかなりナーバスになってます。
氏の場合、業界自体が好き勝手にやってた最も意識が低かった時にバリバリやって、
問題視される頃に会社を辞めて「花形クリエーター」として独立してるもんだから、余計にその意識が低いんでしょうか。
そんな人の下に、ネットで検索して出てくるものはタダ、みたな考えが蔓延してる
今時の若手の「デザイナー」(あえてかぎかっこしてますよ)が付いてれば、そりゃ安易にみんな流用するよねって。
なんとなく流しちゃう様なところが社内的に出来ちゃうんでしょうね。
なんというか、一時期の広告代理店の有名クリエーターの皆さん。
個人的には佐藤雅彦さんや大貫卓也さんとか、ああいう人達が輝いてた頃と違って
今時の代理店出身のクリエイティブの皆さん、自身のセルフブランディングばかりに長けていて、
名前でデザンしてるという感じが結構ありますよね。本当にそれクリエイティブなの?って思う人が多いですよね。
本来はもっと職人の世界であるべきものなのに、そのプロセス含めてセルフブランディングの材料にして。
某コンビニのコーヒーメーカーとか。何の為のデザインかっていう本文を忘れたいい見本でしょう。
失礼ながら最近はその「胡散臭さ」を感じてる人がやはり多くいて、それが今回の一件で一気に批判や叩きに
加速をかけてるのかなぁと、そう思うところも少しあります。
私的には、作品的や実績的には比べるべくもない「クソ」な底辺クリエイティブですが、残念なのは、氏と氏のスタッフの
ちょっと見え隠れする意識の低さと言うか、そういうとろが非常に気になったりもする訳です。
ただ、氏の作品や、出来上がったもの、それに対する批判は色々あるでしょうし、それは個人の感じ方ではありますが。
ちょっと全否定な所まで加速してるのがちょっと怖いなぁと言う気がします。
一つだけちょっと擁護しますと、あの事務所。私ら世代の人間にとっては、原稿用紙やヤレ紙が
俺、本職デザイナーじゃなくて「社内に人材がいないのでやむを得ずプログラミングの他にデザインも担当してる」人だから、いつも苦労するわりに大したもの作れないんだけど
フラットデザインが流行ってからというもの、これまでの1/3の時間で作った「なんかフラットっぽいもの」を提案すると一発で通ることが多くなったので助かってるわ
佐藤可士和のGUロゴなんかはデザイナーからも批判されてたけど、そういうトレンド自体は別にいいんじゃないの。
正当な実績のある人や機関による捏造なら擁護されることがあるけど、実績そのものが全て捏造だったら擁護の余地がない、ということじゃないか。
連日のパクリ騒動について静観決め込んでたけど、デザイナー連中が一向に本音を吐こうとしないからそろそろ苛ついてきた。
デザイナー連中はいつまでオリジナルが大事だとかすました顔で言っているつもりなのか。
それならば聞くが、君たちはいつピカソやダリや北斎を超えたのか?
自分たちが過去の作品に習って学校で体系的に学んできたことが自分たちのデザインがそもそもパクリの上に成り立っていることを示す確固たる証拠ではないか。
それが何か。
「一部のパクリデザイナーを見て全員をそう思わないでほしい。」「一生懸命に素材を撮影したり手で書いたりしている人がかわいそう。」
笑止千万。ヘソで茶を沸かしてやるからまずはこれ飲んで落ち着け。
それなら手書きしたり自分で素材撮影したりすればそれはオリジナルだと言えるの?
その構図にモチーフやインスパイアがあってもそれはパクリとは言わないってわけ?
それなら聞くが、既存の素材を取り込んでフォトショで加工することと何が違うの?
だからもうみんなではっきり認めなさい。そんなことは全て綺麗事だということを。
一度でもデザインに携わったことのある人間に聞くが、自分が創りだしたそれが全く何の影響も受けてない完全無欠のオリジナル作品だと言い切ることができますか?
だったらなんでライターが持ってきたどっかで見たような写真と文章を、デザイナーはどっかでみたようなレイアウトで配置しつづけるの?
まともにデザインなんてしたことがないような連中がいうならまだしも、プロ連中がそれをいってちゃダメだろ。
だったらインスパイアされた相手にいつも許可とってライセンス料払ってるの???
パクった佐野研二郎が悪いんじゃなくて、デザインはパクリなんてない崇高で潔白なものじゃないとダメって思っている世の中にあるわけ。
パクリ問題の本質は、パクることの是非ではなく、ライセンスの支払いやら法的効力に全て帰結することにあります。
だって違法じゃなければデザインなんてみんなパクりなんだから問題にしようがないんだもの。
それを世の中がパクリそのものが悪なんて顔してるから、世の中のデザインは窮屈でしょうがないんだよ。
例えばスペインの片隅にある劇場にどうやってアポとってライセンス料契約とかを結べばいいわけ?
どんなに似てようが、国も違ければ法律も違う上で、違法になり得ないなら別にかまわないのよ。
だって、デザイナーはそれよりも重要な使命を負っているのだから。
彼らがやっていることはもっと崇高なの。
世界中から集めた数多あるデザインを適切な場所に適切なデザインで再構築と再配置するという大きな使命を担っているんだ。
世論に押されてだんまり決め込んでないで、デザインなんてパクリだ何が悪いってさっさと開き直ることだね。
どうせ事なかれ主義の法律が追いついていないだけな瑣末な問題だ。
現に中国で生まれたラーメンが日本で姿を変えアメリカに持ち込まれたことで多くの人が喜んでいるではないか。
自分たちの行いが正しいと信じているなら、変えるべきものは法だ。それこそ一国の首相が認めていることではないか。
問題提起してさっさと法改正させないと、それこそデザインの死が訪れてしまう。
パクリ問題でもとのデザインがあればだれでもデザイナーになれるって言ってる奴いたな。
だったらお前はなんで世界的デザイナーになれてないだ?デザイナーにかぎらず、少なくとも実業家くらいにはなっているはずだろ?
くだらないこと言ってる暇があったら自分の足元よく見ろよ。
世界をめぐる情報は、早さ、量、質ともに人類がかつて経験したことのない水準に到達しているのだ。
その世の中で自分以前にオリジナルが存在しないことを証明するのは、いわゆる悪魔の証明というやつで、証明する労力と見返りが釣り合うことのない問題だ。
結局はそれが違法であるか否かという点でしか問題として取り上げることは困難なのだ。
そんなことにリソースを割き続けることは人類にとって単なる損失だ。
今の世の中で高く評価されるべき能力は、世界中に点在する様々な要素を、今、それを求めている場所に求めている形で再構築する能力だ。
そういう意味ではいつまでもデザイナーなんて呼び方に酔いしれてないで、さっさとコーディネーターとでも名乗り直すことだな。
いずれにしても君たちの行いは求めてられていることなのだ。
なんてことを書いてるトラバがあったけど、これって当たり前田のクラッカーだよね。
そこにリスペクトがあるかないかが大きな問題となるわけで、研究者なら注釈つけて論文に載せるし、
デザイナーなら許諾を取ったり、もっと言えばその画像なりデザインを持ってるところに金を払う
わけだ。
今話題のパクリ騒動で厄介なのは、色々な争点がごっちゃになっていることだと思う。佐野氏を擁護する意見に対して、擁護の主旨から外れた批判を浴びせるという状況もしばしば目にする。祭りに乗じて誰かを叩きたいだけの人からすれば、これぐらい混乱していたほうが楽しいのだろう。
折角なので、この騒動における争点を簡単にまとめておきたい。
(1) オリンピックのエンブレムが (個人の好みとして) ダサいから嫌だ
(2) オリンピックのエンブレムが、(素人目には) パクリであるように見える
(3) (2) の騒動を受けて、佐野氏や大会組織委員会が行なった弁明が迷走中
(4) 何人かのデザイナーが、単なる感情論で佐野氏を擁護したり、素人を見下したような発言をする
(5) 佐野氏の名義で世に出されたデザインに、他人の著作物が無断利用されている
_________________
佐野騒動は、少なくとも上記の5つが絡み合いながら拡大を続けている。
(2) は、相当厄介な問題。シンプルな幾何学模様のデザインだから、似通ったものが偶然見つかったというのは、それほど不思議なことではない。デザイン業界の人たちが言うには、ぱっと見で似ているかどうかではなく、デザインの背後にある考え方やメッセージというのが本質的に重要らしい。
(3) では、なぜか、佐野氏の立場が悪くなるような燃料が、本人側から次々と投下されている。すでに、主張に整合性を持たせるのが苦しくなってきているし、コンペティションの公平性も疑問視される事態を引き起こしている。これは明らかに不自然な状況なので、何か、単純かつ重大な事実を隠しているのではないかと勘ぐってしまう。
(4) は、擁護する側の気持ちになってみれば、自然な反応だと思える。佐野氏の個人的な知り合いや、彼を尊敬するデザイナーからすれば、この騒動に関して感情的になるのが当たり前だ。また、(2) のような状況でエンブレムが取り下げになると、デザイン業界に悪しき前例ができてしまう。だから、佐野氏個人に全く興味が無いとしても、(2) に関しては擁護しておきたいデザイナーが多いはず。ところが、デザイナーとしての理屈を、慎重な言葉遣いで、素人の神経を逆撫でせずに語ることのできる人は少ないようだ。世の中には、自分が見下されたと感じると物凄い勢いで怒るひとが結構いるので、迂闊なことを言うと、むしろ火に油を注ぐことになってしまう。
(5) は、擁護のしようがない。佐野氏の普段の仕事における雑さや倫理観の欠如が、絶妙なタイミングで表に出た形だ。もちろん、理屈の上では、これはオリンピックのエンブレムの正当性とは全く関係がない。だが、大抵の人は理屈よりも感情を優先する傾向にあるので、信用出来ない人が作ったエンブレムは、やはりいかがわしく思えるだろう。
以上の騒動は、佐野氏のデザイナー生命にとって致命傷になりかねないし、ひいてはデザイン業界に大きな打撃を与える可能性がある。
小保方氏の論文不正が発覚した後、早稲田大学で受理された過去の博士学位論文をはじめ、他研究者の論文不正が数々掘り出された。デザイン業界でも、今後同様の現象が起こると予想するのは、ごく自然なことだろう。
「ゼロ」を何を持って言ってるか知らないけど、逆に「ゼロ」から生成してる職業って何?何も無いってこと?
小保方の方は結果自体が偽造。論外。
佐野の場合は物自体、デザイン自体はそこにある。そしてそれに対する「評価」は全く別の話。それの新規性とか優れてるかどうかは今回問題視されてるもとは一切関係ない。
問題はそれがパクリだとか実はコンペで勝ち取った物は全然別のものだった、ということ。
ん?これってそもそもベルギーのデザイナーが、「これ、似てるやん?」って言い出したんじゃなかったでしたっけ?
何か時系列違う?
もし、この「似てるやん」が無かったら別に、ああ、こんなのがエンブレムね、程度で終わってたと思うけど?
誰かが血なまこになって偽造を探したりはしなかったと思うけど?
それを小保方の件で言うなら、他の研究者が行ってた事を密かにパクって結果を出して、その先行研究者の引用も一切せずに
paperにすることと同じだ。
勿論、この場合はすぐにその研究者からケチが付くし、普通は査読の段階で調べが付くだろうが。
大衆が気に入る、気に入らない、ではなくて、単純にこれだけ情報が多く出回っている時代、
何か大きな事を成した時、そこにわずかでもほころびがあったらそこから何か他に出てくるものがないか?と探しているのは常に有ること。
小保方、佐野に関してはここまで大きくなったが、他にも全ての有名人達に対して同じ事が行われてる。
芸能人や政治家に対して過去にまで遡って色々詮索されてるなんて日常茶飯事だろ?
もし仮に、このまま裁判とかまでやって勝ったとしても納得行かない雰囲気は続くし、
海外からもケチが付くし誰も得をしない。(佐野やその周りの利権者以外。)
「デザイン業界がパクリの巣だ」という断罪をする人もいるだろうが、そのパクリの一番の被害者はパクられたデザイナーなのだから、その決着は業界内でどうにかするしかない。いずれにせよ、デザイナーは当分、戦々恐々として怯えながら仕事するしかないのだろう。
ちげーよちげーよアホ
「佐野デザインだ!」って言って買ったのが、そもそもただの監修だったり、それを「業界の常識」とかドヤ顔で言ったり、
まあ、金出してるのもクズみたいな会社側だったりするからホントの被害者はその場合その会社の物を買ってる消費者なんだけどな。
は?なんでだよ?正しい仕事してるなら何も怯える必要ないだろ。
科学者とかは実績がものとして出来上がるからわかりやすじゃん。
デザイナーとか言い方次第みたいなところがある気がする。
そういうのは違うところは違うかもって思う。
小保方さんとこは実績が物を言うのに加えて期待されてたから期待の分だけ持ち上げと落差が激しかったみたいだし。
なにかの菌でガンが治るとかだれも期待してないし科学的根拠を示せとか面倒だから放置してる。
芸術系は似てるとかパクリとかいうのは感性だからイメージが実績になるものかなって。
東京タワーはエッフェル塔のとかキャラクタ名がバンド名の漫画やストーリーそのまま自分の絵にした作品は著作権侵害してるのかとか。
オマージュとかいう類のものとか経緯が説明不要で理解される率が高い物とかデザインが似ている場合でも受け入れられてるものはいろいろあるとおもう。
状況の説明方法や収益の回収方法もデザインに含まれているような気がする。
どうしたら引っ込まずに済んだかを考えると小保方さんは実績が物を言う世界なので実績として方法はすべて無視してもSTAP細胞さえあれば生き残ったかもしれない。
言い換えるとSTAP細胞に賭けていたんだから共に滅したと言えるかもしれない。
佐野氏のデザインは形はどうあれ支持される状況をデザインできていれば擁護されたかもしれない。
オマージュのつもりがパクリといわれたりパクってみたのを黙っていたらリスペクトしてるといわれたりすることはあるんじゃない?
それがどうしてそういう結果になるのか素人にはわからないけど心理的にとか状況的にとか研究して学習してきた人がすることにはそれなりに意味があると思う。
出来ていなかったら結果はそれなりに出てくる物ではないかなと。出てきた結果がこれではないかと。
すでにそれぞれの分野で失敗している今でも、指にSTAP細胞ついてましたすみませんといえば復帰も支持もされるのではないかと思う。
パクリデザインも今だからぶっちゃけるけどベルギーのデザイナーとも旧知の仲だしタイポグラフィーは先生に師事してたんすよ、っていえばそうでしたかごめんなさいって言われると思う。
その短文だけで形勢逆転の「パクリはオマージュでした」って認識に変わるんじゃないかな。
そう考えると細胞が出てこない限り小保方さんは出てこれないと思うしデザインの説明を自分たちの説明抜きに理解しろ受け入れろの繰り返しでは出てきようがないんじゃない?
狂ってるとか一度ついた「穢れ」とかそういう曖昧なものではなく、はっきりした戦略ミスじゃないかな。
巨大チェーンが不正を行っていたとして文句を言われるのは真面目に働いている店員だったりするみたいな所について、業界全体がと言ってあげるのはちょっとかわいそうとは思う。
悪があるとするならそれらの当人に「やれ」と言った人GOを出した人、または勝手にGOする管理不足だった人かもしれないね。
そういう意味では「才能の芽を摘むな」と批判に対して噛みつきたく気持ちもあるだろうなってことは理解できる。
彼や彼女がどういう状況にあったか、状況そのものに生産の価値があるという聖域があるというのは一理有ると思う。
聖域を一般開放するとか人々に歩み寄り理解を求めるというギャップの埋め方という解決方法もあるかもしれない。
他に権威を守りつつ、聖域として残して置きつつ、切り捨てず生かす方法もあるかもしれない。
経歴や背景の捏造といった酷い物になる可能性もあるけど成果を守るのか人を守るのか組織を守るのかで方法は変わるんじゃないかな。
やれることはAとBという複数の概念を組み合わせてCという新しい概念を作り出すこと。
小保方氏の場合は、その作り出したはずの新しい概念自体が偽り(詐欺)なのが明白だった。
仮に詐欺でなかったのなら有用であることは確かだったから、あれほどの大騒ぎになった。
一方、佐野氏は作り出した概念が偽りであるかどうかは見る人によって判断が異なる。
色を変えたり位置を変えたりしただけでも新しい要素を加えたという見方もできるし、そうでない見方もできる。
シンプルな構造である場合は特に、真似るつもりがなくても何らかの先行事例に似てしまう可能性が否定できない。
仮に詐欺的な行為がされていたとしても、それが明白とまではいえないということだ。
しかし、元々の発端を思い出してみれば分かることだが、佐野氏のオリンピックロゴのデザインは誰もが満足して受け入れるものではなかった。
つまり、佐野氏の生み出したデザインのについては元々、新規性が問題でなのではなく、それが優れていてるかどうかが疑われていたのだ。
ただ、優れているか否かの評価よりも新規性があるかないかという判断のほうが簡単にできる。で、あら探しが加速した結果が現在の状況なのだろう。
ベルギーの美術館の件から蟻の一穴のように噴き出したというのも否定できないが、あれを探し出したきっかけは「オリンピックロゴが気に入らなかった」からであって、逆ではない。
ただ、事がここまで暴露されてしまうと、どういう形で落ち着くのか想像できない。
少なくてもオリンピックロゴは撤回されるまで騒動は続くだろうし、佐野氏は…下手な事にならなければいいけど。
「デザイン業界がパクリの巣だ」という断罪をする人もいるだろうが、そのパクリの一番の被害者はパクられたデザイナーなのだから、その決着は業界内でどうにかするしかない。いずれにせよ、デザイナーは当分、戦々恐々として怯えながら仕事するしかないのだろう。
佐野パクリ騒動と小保方捏造騒動とで、同業者たちの反応がまるっきり違うわけだけど、
これって結局、やり玉に挙げられてる人を「同じ」と見るか「違う」と見るかなんだろうね。
小保方さんの行為が明らかになったとき、研究者は小保方さんを研究者とは違う何かだと思った。
だからこそ「こいつと一緒にされたらタマラン!」と、小保方さんを叩いて切り離しにかかった。
「彼女は研究者じゃありません」、「あんなの研究といえません」と立場を明確にして発言することが、
研究界隈や自身の仕事の正当性を世間に説明するための手だったわけだ。
でもさ、佐野さんの騒動の場合は、それが逆だったんだろうね。佐野さんのパクリ騒動が持ち上がったとき、
多くのデザイナーは「佐野さんがやってる程度のことはデザイナーなら普通のこと」と思った。
つまり、佐野さんと自分は同類であり、佐野さんが叩かれるなら自分も叩かれるという状況だと理解した。
だから、「デザインが似るなんて当たり前の事なんです」、「彼は何も悪いことをしてません」と佐野さんを擁護した。
それがデザイン業界や自分の仕事の正当性を示す唯一の手だった。
だって、佐野さんも自分もみんなも同じなんだから。佐野さんを叩くことは自殺行為だ。
http://anond.hatelabo.jp/20150831184213
なのに
「アルファベットをモチーフにしたら多かれ少なかれ似てくるのは仕方ない」
とか逃げを打つくらいなら、「もうお前いらねぇから」ってなるのは当たり前だろ。
id:shira0211tama いいぞ デザイナー業界なんて自己満とナルシスの塊早く潰れろ/五輪自体を平和にスルーしたいので早く燃えカスになって欲しいですね
こう言う人って自分の身の回りのほとんどのこと、ものにデザイナーが関わっているって知らないの?
この人はアニメとゲームのタグが合計200くらいあるけど、アニメとゲームの現場でも大勢のデザイナーが仕事をしているって知らないの?