まず言いたいのは、今必要なのはデザイン業界と一般の人々との対立などではないということ。
狭い私見ではあるかもしれないが、
デザイナーやそれに近い人々は「一般の人はわかっていない」とか「エンブレムと他の転用の問題をごっちゃにするな」といった意見をよく発信している印象がある。
またネット掲示板などでは「デザイン業界の闇」みたいなニュアンスのものを度々目にして、どうしても自分の中で「デザイン業界VS一般の人々(特にネット民)」という構図が生まれてしまう。
私もデザインに近い環境にいる人間の一人であり、エンブレムに関しては模倣ではないと思っているし、エンブレムの問題と転用の問題を一括りにして考えるのはよくないと考えている。
しかし、今回のエンブレムは「オリンピック」のものだということを忘れてはならない。オリンピックとは開催国を世界にアピールし、更なる発展を後押しするようなイベントである。エンブレムは世界に向けたものであると同時に「日本のエンブレム」でなくてはならない。国民(その多くは先述したところの「一般の人」)に受け入れられて然るべきものだ。
今考えるべきなのは、デザイナーという職業の威厳を守ることだとか、デザイナーの失態を見つけ出して公にすることだとかではなく、オリンピック成功に向けて最善策を捻り出すことではないだろうか。
様々言われているが、デザイナーというのは基本的に多くの時間をデザインに費やし能力を磨いてきたプロフェッショナルだ。デザインのことに関しては経験も知見も一般の人々よりも深いということは言えるだろう。非デザイナーが作ったデザインがプロのデザイナーが作ったものよりも優れているということはかなり少ないはずだ。
しかしながら、そのデザインを享受し利用していくのは一般の人々である。デザイナーでない大勢の人々がいるからこそデザイナーという職業は成り立っている。そのことを忘れてはならない。
保身的あるいは攻撃的な関係は何も生産的なものを産まないだろう。
新国立競技場の問題に続き、東京オリンピックのデザイン周りはとかく後ろ向きだ。他人への糾弾や責任逃れも多々見られる。世界の中の日本という単位で開催されるイベントなのに日本国内でいざこざが耐えない。
もっと国全体で一つの方向に向かう大きく前向きなエネルギーがほしい。
その為にはもっと具体的な方針が必要ではないか。各々が同一でないゴールを見て進めていっても全体としての成功は難しいだろう。
運営する側としても、国全体としても矢印を同じ向きに向けなくてはならない。
今回の件も、似ているデザインが世にあったのが問題なのではなく、そもそもは運営もデザイン発信側も受信側も視野が狭くその上向いている方向がバラバラだったのが問題だったのではないだろうか。