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赤ちゃんのコリック(黄昏泣き)を解消するガス抜きチューブが日本では売られていなかった「原因初めて知った、これは産婦人科で教えるべき」 - Togetterまとめ
その後、各方面からカウンターが来てそれがさらに注目を受けているわけだけれども
安全性や問題点については既に様々な意見が出ているわけで、ここではそれ以上つっこまないけれども、それはそれとして当地で(おそらく)長い間実施されている行為であれば、なんらかの知見があったり有用性を証明する研究や論文があるのかな?と調べてみたのだけれども……
正直なところ、イタリア語はさっぱり分からないので、Google翻訳を駆使しつつなんだが
探してみたものの、さっぱり。
元の発言者からすると https://twitter.com/antiquelabarum/status/926433651566489600
イタリアで小児科や薬局行かなくても誰かに「夜泣きが」言うと「ああそれコリックね、薬局に行くと売ってるから」って誰もが知ってます。
ガス抜きカテーテルと、酷い場合用に飲み薬があります(強力なのでなるべく使いませんでしたが)
使ってガスが音を立てて抜けた後の赤子のスッキリ顔半端ない— Labarumラバルム (@antiquelabarum) 2017年11月3日
『誰もが知ってます。』とされているのだが、色々と検索してみてもそれらしい情報や解説ページなどは見られない。
またイタリアで子育てをした日本人はこれまでにも大勢いただろうから……、と日本語のブログでも同様に探してもいるのだが、やはりヒットせず。
あとTwitterにも他のイタリア在住の人もいるだろうから、私も使っていた!などの情報が無いか検索してみたのだがそれも探せず……。
一応 YouTubeでも検索してみたところ、イタリア語でも乳幼児のげっぷを出すための解説動画(赤ちゃん人形を使った)なんかはあったりするのだが、カテーテルを使ったこの手法については探し出せなかった。
たぶん、自分の検索能力が低いので見つけられないだけだと思うのだけれども、もしもイタリアで実際にこの施術を解説しているページがあれば教えてほしい。
私「教え子に赤子生まれたからコリック用ガス抜きチューブ送る」
夫「?日本で買えばいいんじゃ?」
私「それが日本じゃ売ってないんだ、存在すらしねえ」
夫「?!?!」
コリックに黄昏泣きなどと意味不明なネーミングをしママにのみ無駄な苦労を強いる謎の根性論大国日本
今何世紀だったっけ? pic.twitter.com/hms48zfKrj— Labarumラバルム (@antiquelabarum) 2017年11月3日
最近、結婚できなくてほんとに焦ってる知り合いの女性たちを見て、共通項を発見したので共有させて下さい。
女A40歳…元々ぽっちゃり目ではあったが、それでも背が低くて可愛くて巨乳。
数年前当時は、話の半分は海外ドラマ、もう半分は職場の同僚の悪口かうわさ話。せっかく可愛くて巨乳なのに、話を聞きたくないので、エッチはしても付き合う気はなくす。
ひどい職場だったのかも知れないが、人の悪口ばっかりだと、こちらはコミュニケーションしたくなくなる。相づちしか打てない。結果、好きになれない。
何年か会わない間に、デブと言っても差し支えないほどに太っていた。彼氏にふられて仕事に打ち込んだせいらしい。ただ、元彼とエッチはしてる。性欲は強い。
結婚をしたくてしたくて、近年ついにお見合い会社に登録した。会社から紹介された男性と会った話も、9割は愚痴と悪口。自分のことは棚に上げている。どんな人と結婚したいかたずねると「ハワイで結婚式をしたい」と答える。
…結論として、Aは自分でも男性になにを求めているのか分からないうえに、内面からモテようという努力をしていない。オススメするのは、食事でも飲み会でも、自分の喋ったことを録音ないしは録画すること。そしてできれば字起こしすること。自分が何を喋って、それが人にどんな感情を抱かせるかを実感して欲しい。
女B37才…ぽっちゃり目で巨乳。性欲強い。高学歴なのに職を転々。長く続かない。酒癖が悪く、飲むと人の話を聞かず延々としゃべる。周りがドン引きなのに気づかない。美容などに関心は高い。ジムに通った経験はあるが、「トレーナーと合わない」などの理由で通うのをやめる。今は痩せる気は無い。
喋りはうまく社交性はあり、友達も多いので合コン参加も多くて出会いも多い。しかし付き合うより前に性交してしまうことが多いので、付き合うのに至らなかったり浮気されたりするらしい。
…結論として、まず、人が喋るのを最後まで聞くこと。聞いてからリアクションすること。自分の話を3割、相手の話を7割くらいの意識にすること。
2人(本当は他にもいるが、眠たいので2人にする)の共通項としては、ぽっちゃりなことと、コミュニケーションに何があるということ。
ぽっちゃりなのは、もしかしたら、自分に甘い、我慢ができないという性格が生活習慣に具現化したのかも知れない。食べるの、飲むのを我慢できない、喋りたいのを我慢できない、セックスしたいのを我慢できない、などなど。
そしてコミュニケーション。Aについて。人の悪口は言ってもいいと思う。それでガス抜きになるのなら。ただ、程度の問題と、それを聞き続けている人の表情を読み取れないのが問題。読み取れれば、話題を変えるなりなんなりできるはず。読み取れているのに人の悪口を言い続けるのはもう救いようがない。
自分の話しばっかりで人の話を聞かないBも、それで人がどう思うか、というのが分からないのが問題。因みにBは自分が話を遮られると、即キレます。自分と他人を置き換えることができない問題とも言える。
こな2人には忠告はしたかったが、結局はできなかった。だって「あなたはもっと人の話を聞いた方がいいですよ」とか「あなたは人の悪口をあんまり言わないほうがいいですよ」なんて言ったら機嫌を悪くするのは目に見えるから。言ったらセックスできなくなっちゃうし。同僚とか親しい同性の友人とかは注意してあげないんだろうか。
ちなみに今回は2人を紹介したが、皆さんの周りにも同じような人がたくさん居ると思う。
日本の公共交通は都会の持続が不可能になるように作られたようです。都会の人口が増えすぎないようにする為に、異常に私鉄を増やし、挙句の果てに国鉄や東京の地下鉄も私鉄にされました(典型的な例は東京の都市鉄道がほとんど私鉄という世界にもない鉄道交通を作りました)。道路交通もバラバラにされ高校生がバイクを持つことはタブーだと言いますが、2013年に地方や公害を中心に解禁が進んでいるという事実と矛盾があります。また高速道路は126ccでも乗り入れ可能(普通は240ccか350ccぐらいないと乗入れ不可)でたらめの行き当たりばったりの交通のようです。一昔ぐらい前に条件付で二人乗りでバイクが高速道路を乗り入れられるようになりました。
これは市民の不満のガス抜きの為だと少し頭があればわかります。ケーム脳しかない新自由主義という金持ちバカ製造のシステムでは、超時代遅れの私鉄社会が正解と思わせて、多くの若者を支配してました。この私鉄社会こそ日本で鉄道が嫌われる最大の原因と言われ都市を持続不可能にしている最大の要因でした。
以前より鉄道界隈では汚職やら、乗客の性犯罪がかなりの人数いたようです。過労などによる途中退職者等も多いようですが、社会界隈を抑えていたようです。
今回、今までならば闇に消えていた私鉄社会の落とし穴が公になった結果、私鉄一極集中も衰退するようです。
行き過ぎた民営万能主義で日本の大都会は不幸にされてます。旧国電区間も、昔の私鉄線の寄せ集めなので、厄介者扱いされています。今後の日本の政治・行政屋の手腕で、私鉄社会をどの程度時代遅れにできるかにかかっています。世界一せこい私鉄社会と、それを喜ぶ風潮を滅ぼさない限り、本当の都会の未来はありません。
言語や文化、市場など基本的に「閉じた社会」である日本において、お上に承認されることにより連中の視野が広がったように見えているだけです。精神的鎖国はむしろより強固になりますし、実際特に文化的側面において取り残されているのは、諸君もよく指摘されるとおり。
大衆の反発ごときでは微動だにしない強固な権威構造がこの国にはあって、原住民はそれに阿諛追従し、おこぼれを頂戴することによって生かされているということです。
近代的ではない自我(原住民)が結合することによって、全体主義が出来上がるのは歴史が教えるところ。相互監視と同調圧力といった悪しき伝統も剥き出しですから、危機感持たないといかんでしょうね。
この国では公共交通が公共性を捨ててしまい、東洋社会の国民に蔓延する我欲の増幅装置に堕してますからね。あんな低俗なガス抜きに煽られる大衆が相手なら、企業は楽に稼げますし、権力者もやりたい放題でしょう。その行き着く先が何かということなんですが。
そんなカタストロフィを予期して自分らの取り分を確保し、逃げる準備をしている連中が散見されますね。連中は昭和時代の危機をそうやって乗り切った奴らの後裔ですから、やることは同じです。欧州各国のように軟着陸できればいいんですが、困難としか言いようがない。
大したことは言えませんが、個人が抱く企業や権威に対する生々しい危機感と当事者意識が日本と外国では段違いだなとは思っています。日本の大衆は疲弊しているとかよく言われますが、それは言い訳にはなりません。例えば韓国なんか日本どころではないくらい生活(たとえば通勤)は大変なので。
それはたぶん、自己や現状に対する肯定感の違いでしょう。何だかんだ言って日本人は今の日本の都市が好きで、韓国人やアメリカ人は祖国があまり好きではない。日本人にとっての「日本」は社会臭の希薄な共同体で、日本人はこれにぶら下がりますが、外国の場合はかなり決定的に違います。
公機関や民間共同体が自国民を養育し、中心から片隅まで面倒を見ていた時代、あるいは国民一人一人がそう信じることができる時代がいつまで続くかでしょうね。おそらくそろそろ限界。外国は最初から(良くも悪くも)そういう国ではなかったんです。
私は最近特に顕著な「日本の満員電車離れ」「日本の鉄道離れ」に注目しました。あれは、これまで日本の都市の信頼を約束してきた共同体の裏切りに対する訣別宣言です。そんな彼ら彼女らの受け皿として道路交通が機能するかが日本の復権の勝負の分かれ目でしょう。
とりあえず昔とは違い、日本国や日本の民間共同体がハード・クラッシュしたら困る人達が日本の外にもいるので、決定的な事件や災害、戦争などが起こらない限りは軟着陸するんじゃないかなとは思ってます(それが良いかは判りませんが)。
日本の場合、日本人の「日本的共同体幻想」と言語の壁のせいで精神的鎖国が続いてますから、常に「まずい」状況なんだと思います。日本の私鉄社会は車社会や国鉄を破滅させながら自分らの権益を確保した連中の残りカスですから卑怯なのは当然。そして同じように危険でしょうね。
韓国にしろアメリカにしろ日本ほど懐の深い国ではないですし、引き籠っていたら生きられなかったので外に目が向くんです。国際都市のインフラがガラパゴスではお話になりませんし、国内で市場が完結したら大国になりませんしね。当然、資源も流出しがちになるので、移民や外資や在外国民を受け入れたり、中国や主要先進国に学ぶ方向に舵を切ったということです。
日本人が日本の未来を中国や韓国になぞらえるのはそのへんの文脈。欧米やその既得権益の支配によってもたらされた貧困で食い詰めて切羽詰った原住民が、革命を起こして、エスタブリッシュメントになりましたよね。さすがに日本人はそこまでになれるかわかりませんが。(笑)
東大生の親の年収が高いことは昔から言われている。他の大学でも、医学部は国立でも親が医者が多く年収が高いだろう。
こういう現状から、金持ちは教育にお金をかけることができるので、幼少期から良い学校や塾に通わせることができ、階級が固定化されていると指摘されている。
しかし、個人的な経験から言うと、受験システムは最後の砦だと思う。
自分は偏差値40台の高校出身で、親も両親ともに大学に行っていない。同級生は大学進学者は2割、専門学校が6割、その他よくわからずが2割だった。大学は短大も含まれていて、数年に1人くらいの割合でMARCHレベルの大学に受かる人がいて、高校では天才として崇められていた。私も周りと同様に、専門学校に進み、そのあとその業種で働いていた。
働き出してから数年経ち、東京という社会の圧倒的な給料格差を知り、自分の人生これでよいのだろうかと思うようになった。とあるきっかけがあり、予備校に行って再受験をすることにした。
最初はまったく勉強がわからなかったが(高校の授業は異常に簡単で受験に一切役が立たない)、わかると面白いものもあり、3年間予備校に通って、大学に進学した。ほぼ高校に3年間通ったようなものである。
本当は医学部とか法学部に行きたかったが(バカなので学部をそれくらいしか知らない)、某旧帝大の経済学部に合格した。
同級生よりも圧倒的に年を取っていて気後れしたが、周囲の同級生があまりに良い人たちばかりでびっくりした。しょうもないいじめなど何もなく、これが階級の違いか、と心から驚いた。
昨年、東大でレイプ事件があったが、もちろんそういう人も一部にはいるだろうけど、そういうのはどこの世界にもいるものだ。全体として95%以上の人が常識人で、感動した記憶がある。
その後、年齢のこともあり、通常の企業に雇ってもらうのは難しいだろうと思い、資格を取ることにして税理士の資格を取り、いまは個人の税理士事務所で働いている。税理士事務所もいろいろあり、必ずしもバラ色の生活というわけではないが、ワーキングプアというわけでもなく、社会の平均的な幸せを享受している。
大学時代にある女性に自分の境遇を話したときに「本当にそういう高校ってあるんだね!」と驚かれた。悪げのない発言だったのだろうが、私は結構傷ついた。
というのも、彼女たちのような中高時代からエリート校に進学し、自然に旧帝大に進学するような人たちが社会の状況を認識できていないのが悲しかったのだ。
彼女のようなエリートもいれば、逆側には負のエリートがいる。その人たちに優しくしろだとか、社会をよくしろとか言いたいわけではなく、偉くなる人たちが彼ら/彼女らを認識しながら社会をハンドリングしていかないと、彼ら/彼女らは革命とかテロとかしちゃうよ、と思ったのだ。
なんというかエリート層はもう少し賢く(小賢しく)下層のガス抜きをしているイメージがあったのだ。でもそういう認識は間違っていた。東大だとどうなのだろうか?
話が大きくそれてしまった。このように固定化しつつある社会だけど、私のように食い込むことはできる。これは受験制度のおかげだ。
これが家柄だとか年収だとかで入れる大学が決まっていたらアウトだった。そういう意味で、現状の仕組みはまだましなのだ。
それをお金持ちの家がお得だ、と言って下の層が開き直って勉強しないと本当に固定化してしまう。自分の頭を賢くすることは下層の人間にも許された数少ない投資の一つである。中高生が増田を読むことなんてないと思うけど、いま子育て世代の親は、子供の教育がんばってねと心から思っている。
"○○が大阪に冷たい"
その他の田舎民や出稼ぎ労働者であるという事実をまず念頭に考えよう。
するとその人たちがマウント取れるのは
よく分かってない「北海道」でもなく
残ったのはその他の県であり
自分たちが担ぎ上げている東京に劣る存在としてこき下ろすのに都合のいい存在。
だから地元東北でも存在感のない名古屋でもよくわからん北海道でもなく
TVで露出しやすく馬鹿にしやすい大阪を攻撃対象に捉えている。
もう一つの理由としては、大阪が都会としての機能を持っていながら
大阪以外の県の人間に対しても差別なく接しているのが大層気に入らないのだ。
よそ者の集まりである関東では自分たちの地元の言語でしゃべるなど持っての他で
出稼ぎ労働者たちである彼らは地元というアイデンティティを押し殺しながら日々車両に鮨詰めにされる日々を送っている。
そんな中でTVに写る大阪人は自我を持ち品性の欠片も無い地元言語でベラベラ面白おかしくお話しているわけである。
それを見て快く思う人間の方が多ければ政治は何もしなくても良い方向に転がるだろう。
現実世界ではサイレントマジョリティの彼らもネットでは声高に自我を膨張させ大阪バッシングにいそしむことができる。
彼らにとってはネット世界こそが現実世界の「大阪」の代わりなのだ。
だからこそ現実世界の大阪に住む人間たちに殺意を持ち怒りを持ち憎しみを持ち、そして羨望を持っている。
残念ながらその行為では何も解決することはないが、彼らは目の前のニンジンをかじるのに精いっぱいの生活を送っているため、
決して気づくことはないし改めることはない。報われることもないだろう。
当の大阪人たちはというと話題にされることをむしろ喜んでいるフシがあり、
俺たちはこんなに注目されているんだ!と上機嫌であるか、
それよりも目の前の話に夢中で気にかけていられないといった態度だ。
ネット上でも大阪人たちの反応が冷ややかというかどちらかというと冷静なのも
怒りの感情の正体には出稼ぎ労働者たちの「俺たちも大阪に生まれていれば好き勝手できたのに」という気持ちを無意識に察しているからかもしれない。
哀れみの心を持って自らガス抜きの対象として甘んじている大阪人たちがいる限り、
ネット社会の地元ヘイトは大阪バッシングによってバランスが調停されるだろう。
逆に千代田区・中央区・港区・渋谷区に産まれ住む、原初の都会人たちは
大阪人に対して羨望の欠片もなく面白い動物くらいの認識なので、
そもそも憎しみを抱くことすらない。
くらいの。
えーそうなのー?
明石焼きなんてのもあるぞ!酒に合うぞ!
わーおいしそー!
これは,当事者の言っていることを(訴訟に不利にならない範囲で)自由に書いて良い。
裁判所に対して主張をアピールするのは「準備書面」で,これには法的に理屈の通る主張や反論を書くことになる。
依頼者が主張したいことでも,なんでもかんでも書くと,法的に理屈が通ってないことにより却って不利になることもあるから,
そういう場合には依頼者に対して「気持ちは分かりますが裁判に勝ちたかったらそれは言わない方が」とか「少し主張の仕方を変えて」とかサジェストすることになる。
当然,依頼者は不満をためるし,下手をすると「オマエは俺の弁護士だろ,俺の言うとおりやれ!」なんて依頼者もいる。
陳述書は違う。
明らかな嘘や,逆に正直すぎて決定的に不利な供述は書けないけど,そうでなければ依頼者の言うとおり書くことが出来る。
これが最高に楽しい。
陳述書は,依頼者に話を聞いて,まとめたのを弁護士が作って,依頼者に見せて問題なければ署名押印をもらうという手順で作っているのだけれど,
依頼者に見せた段階で「先生,こういうことが言いたかったんだよ。上手くまとめてくれたね」なんて言われることがあって,密かに歓びを感じたりする。
まあ,陳述書で依頼者の好き勝手を書いているときってのは,もう訴訟では負け筋だからガス抜きしてるって場合も多いんだけどさ。
家族や友人にはふつうに話せるのに接客になると急にイライラし始める
仕事だから我慢しろといわれればそれまでだが、それでも対応した客が礼を言わない、後になってあれこれ注文を増やす
指差しだけで何も言わない、質問に答えない、あれこれそれしか話さないなどなど…何かと気に入らないことに遭遇する
始めのうちは我慢できるだがそれが積み重なるとふとしたときに軽い爆発を起こす
自分が変わるしかないと言われてもそう簡単に変われたら苦労はしない
今の職場が合っていないんだろうか
家族経営行ってのはある意味楽だが、その反面面倒なことも「家族だから」の一言で抑え込まれてしまう
周りが同じことをやっているのに自分だけ注意を受ける
少しの失敗に「できそこないの社会人」なんてボロカスに罵られて、その罵った相手が同じ失敗をしたときに「あっ、すまん」の一言で流された時は殴ろうかと思ったよ
どれだけ頑張ろうにも誰もほめてくれない、何かあればすぐに自分が疑われる
こっちがどれだけ言おうが聞く耳さえ持ってくれない、むしろ何でもかんでも後回しの事後承諾
周りをよく見ろなんて言っているがお前は俺の何を見て何を理解しているんだ
俺だから少々のことは我慢してくれるから大丈夫だろうと思われているのだろうか…俺だって人間だ
うまくガス抜きできればまた切り替えて頑張れるんだろうけど、このもやもやは当分抜けそうにもない
将来独立を考えての勉強も含めて、とある場所でバイトを始めたがそれも気に入らんらしい
こっちでの仕事も接客はあるがこちらはしんどいながらも今は楽しくてしょうがない
今はバイトなんで優しくしてもらっているのだろうけどイライラすることは全くない
客層、雰囲気、周りとの関係…少し違うだけでこうも大きく差が出るのかとつくづく思わされる
今の仕事を今すぐにないがしろにするつもりはないが…向こうはそう思ってないらしい
事あるごとにチクチク話題に持ち上げてくるのが腹立つ…
まあ、その通りでマジョリティもマイノリティも自分に都合が良いことを考えてるだけなんだけどさ
共通の理解とか妥協ラインを見つけ出していかないと、民主主義なんて存在しないと思うのよ
今のヨーロッパで極右が台頭してるのって、理性=エリートの独善で急激に動いてきた反動だと思うんだよね
エリートが暴走するから、かえってマジョリティとマイノリティの間に軋轢が生まれてしまう
エリートが「我々はコーラとメントスの融和を唱える! それが理想だ」とか言って
コーラの中にメントスをぶちこんだら爆発しちゃったみたいな・・・
あと、付随する問題で言えば、理性的結論を理性で指示するんじゃなくて、感情で支持してる層がいるのが問題をさらに厄介にしてると思う
トランプトランプ言ってる人が多すぎるみたいだけどはっきり言って過大評価しすぎ。
トランプは本気で移民排斥とか完全保護主義とかしようと思って大統領になったわけじゃなくて、そういう主張すれば低学歴で低収入の人間に受けるってわかってたからそうしただけ。
株価とか円が一日で戻ったのも結局たいしたことはしないって判断した利口な人が多かった証拠。
日本でもトランプに続け!鎖国的保護主義とか家長制度復活のきざし!とか鼻息荒くしてる連中がいるけど、それは次の選挙でいいように利用されて票集めのお題目にされるだけ。
トランプに投票した低所得層はそれで勝った気分を味わえたけど、それ自体がただのガス抜きだったことに気づいてない。
そもそもで自民党の家族の復活とか言ってるのは、ただ介護とか看護とかを家族におしつけて社会保障費を減らしてたいって浅ましいところが出発点だからものすごく論拠の根が浅い。
まずは朋花、誕生日おめでとう。これからも一緒にがんばっていこうな。
という訳で、天空橋朋花さんの誕生日を記念して、僕の中の「天空橋朋花観」について、長々と意味もなく綴っていこうと思います。
はてなで、というかツイッター以外でネットに文章を書くのが初めてなので、読みづらいとかそういうのは勘弁してください。
まず軽く自分語りをします(興味の無い方や急いでる方は飛ばしてもらって大丈夫だと思います)。
この文章を書くに至った経緯です。僕はリアル、ネットどちらにおいてもあまり知り合いが多いほうではないです。その中でアイドルマスターに関心があり、更に「〇〇観」みたいなこじらせた、深い話をできる相手って本当にわずかなんです。ていうか多分1人か2人しかいない。
なので、公式に与えられたテキストと自分の解釈だけでアイドルの像を創ってきたんですが、最近それが怖くなってきたんです。
佐久間まゆさん担当のプロデュンヌさんの話とかあったじゃないですか。あれ、このまま突き進んでいったら僕にも起きうるな、と思って、ならいっそ匿名で思いの限りを書き殴って、ガッツリ批判でもしてもらって、ガス抜きでもしようと思った訳です。
なのでこの文章を読んだ方、是非URLつきツイートをしてほしいです。読みづらいとか長いとか気持ち悪いとか全然天空橋朋花をわかってないとか、批判的な内容で全然構わないので。とにかくこの文章の存在意義は、多くの人の目に止まってもらい、感想をもらって、ある種の答え合わせをすることなのです。
初めにちょっと天海春香の話をします。かなり前の話になりますが、「天海春香は神格化された」って話を聞きました。多分ムビマスの「私は、天海春香だから。」ってセリフで、天海春香はアイドルマスターの象徴として一つ上に登って、そこに初期の等身大の女の子はもういない、みたいな話だったと思います。僕はアニマスからのPなのであんまりそこらへん詳しくないんですが。これ、ちょっと朋花の聖母としての在り方に似てるなと思いました。天海春香はどちらかと言えば作品世界外の話、朋花は作品世界内の話なのでそこはちょっと違いますけど。
ミリオンライブの世界において、彼女は自らを「聖母」と称しています。迷える子豚ちゃんを導くのが彼女の使命なんだそうです。
初めて彼女に出会ったとき、ちょっとした恐怖を感じました。だってこの子15歳ですよ?そんな1人の女の子が、自己を完全に殺して、大衆のための存在となる。そんなことができるのか、あっていいのかと思いました。ここらへんはMaria trapをそこそこ聴いてくれれば言ってることがわかると思います。
それでしばらくこの子のことを知っていくうちに、今度は疑いのような物が浮かんできました。
「天性のシスター」や「楽しいイルカショー」、「幸せな空の夢」辺りのカードを見ていて、この子は本当はまだ自分を殺せてはいないのではないか、必死で「聖母」を演じているが、まだ心の内に15歳のただの女の子「天空橋朋花」をもっているんじゃないか、そしてそんな不安定、不確定な状態の彼女を、僕が「聖母」として売り出していくのかは本当に正しいことなのか、なんて考えに変わってきたのです。まぁもちろん本人が聖母であることに苦痛を感じているわけではないと思うんですが、それによって失うものを、彼女は諦めきれているのか?って話ですね。
そして今日の誕生日のセリフが来るわけですよ。彼女は彼女の誕生日を祝福する子豚ちゃんを前に、「これからも聖母として、永遠に君臨し続ける」と宣言したのです。鳥肌が立ちました。
冒頭で触れた「天海春香の神格化」は、恐らくはアイドルマスターというコンテンツの肥大化によって、天海春香の考えとは無関係に起きてしまった、あるいは起きるべくして起きた現象なんですが、天空橋朋花は、自らの意思で、自らの選択で他人のための自分、「天空橋朋花の聖母化」を決めたわけです。これがどれほどの覚悟なのか、僕には正直想像もつかないです。(表現が結構アレですがさすがにここまで読んだくれた方の中で「二次元のキャラクターの意思ってなんだよ」みたいな考えの方はいないと想定してそのままにします。)多分、とっくの昔に覚悟は決まってたんだと思います。
朋花がどのような経緯で「聖母」になったのかは分かりません。その起因は、彼女をプロデュースする上でそれほど重要なものとは思ってないのであんまり考えてないんですが、きっとその時に彼女は死ぬほど悩んで、泣いて、怒って、その上で「聖母」となる覚悟を決めたんだと思います。
そんな彼女の覚悟を、アイドルとなった彼女しか知らない僕が揺らすのは無粋だと思いました。なので僕はこれからも「聖母・天空橋朋花」を僕の全力を持ってプロデュースし、聖母としての彼女の願いを叶えるお手伝いをしようと思います。例え朋花が僕に対して特別な何かを伝えようとしても、僕はそれをはぐらかすか、はっきりと「今は答えることは出来ない。」と拒絶するかのどちらかしかできません。それが今回の誕生日セリフを見て僕が決めた覚悟であり、僕の考える最善のプロデュースなのです。
それでもいつか聖母でいる必要がなくなった時(それがアイドルを引退した時か、はたまた世界中の子豚ちゃんが救われ、聖母の存在が必要なくなった時かわかりませんが)が来たなら、15歳だった天空橋朋花が何を考えていたか、聖母になることを決めたときの天空橋朋花がどんな葛藤をしたのか、話を聞いてみたいものですね。その時なら、僕もきっと「天空橋朋花」の言葉に対して、正面に立って答えられると思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。プロットなしで迸る衝動だけで書いたので、誤脱とか、叙述ミスとか、読みづらいとか色々あると思います。それでも、今日という祝うべき日に、これまでの自分の天空橋朋花観を記録して、他人に見てもらいたいという思いが強くありました。
TA01がゴミとか、まえのりで言ってた子豚ちゃん以下なんて表現は有り得ないとか言いたいことはまぁまぁあるんですが、とりあえずここらで一旦筆を置こうと思います。
最後にもう一度だけ、ここまで読んだくれた方、是非URLつきツイートしてください。よければ感想もください。自分は無名Pで、拡散力は毛ほどもないんですが、それでもこの文章はできるだけ多くの人に読んでもらい、できれば考えや感想をなんらかの形で頂き、そして願わくばより多くの人に天空橋朋花の魅力を知って頂くために書いたものなので、まずは人の目に触れなければ意味がなくなってしまうのです。
追記
追追記
やっと読んで欲しかった方々に読んでいただくことができ、同意だったり批判だったり様々な意見を聞くことが出来ました。ツイッターで拡散してくれた方、本当にありがとうございました。この文章がその意義を果たせたのはあなたのおかげです。
そうです、僕は僕が今日まで築いてきた天空橋朋花観しか持ち合わせがありません、よければ皆さんの中の天空橋朋花のお話も是非聞きたいなぁと思っております、まずはお友達からよろしくお願いします(匿名ブログを使いながら