東大生の親の年収が高いことは昔から言われている。他の大学でも、医学部は国立でも親が医者が多く年収が高いだろう。
こういう現状から、金持ちは教育にお金をかけることができるので、幼少期から良い学校や塾に通わせることができ、階級が固定化されていると指摘されている。
しかし、個人的な経験から言うと、受験システムは最後の砦だと思う。
自分は偏差値40台の高校出身で、親も両親ともに大学に行っていない。同級生は大学進学者は2割、専門学校が6割、その他よくわからずが2割だった。大学は短大も含まれていて、数年に1人くらいの割合でMARCHレベルの大学に受かる人がいて、高校では天才として崇められていた。私も周りと同様に、専門学校に進み、そのあとその業種で働いていた。
働き出してから数年経ち、東京という社会の圧倒的な給料格差を知り、自分の人生これでよいのだろうかと思うようになった。とあるきっかけがあり、予備校に行って再受験をすることにした。
最初はまったく勉強がわからなかったが(高校の授業は異常に簡単で受験に一切役が立たない)、わかると面白いものもあり、3年間予備校に通って、大学に進学した。ほぼ高校に3年間通ったようなものである。
本当は医学部とか法学部に行きたかったが(バカなので学部をそれくらいしか知らない)、某旧帝大の経済学部に合格した。
同級生よりも圧倒的に年を取っていて気後れしたが、周囲の同級生があまりに良い人たちばかりでびっくりした。しょうもないいじめなど何もなく、これが階級の違いか、と心から驚いた。
昨年、東大でレイプ事件があったが、もちろんそういう人も一部にはいるだろうけど、そういうのはどこの世界にもいるものだ。全体として95%以上の人が常識人で、感動した記憶がある。
その後、年齢のこともあり、通常の企業に雇ってもらうのは難しいだろうと思い、資格を取ることにして税理士の資格を取り、いまは個人の税理士事務所で働いている。税理士事務所もいろいろあり、必ずしもバラ色の生活というわけではないが、ワーキングプアというわけでもなく、社会の平均的な幸せを享受している。
大学時代にある女性に自分の境遇を話したときに「本当にそういう高校ってあるんだね!」と驚かれた。悪げのない発言だったのだろうが、私は結構傷ついた。
というのも、彼女たちのような中高時代からエリート校に進学し、自然に旧帝大に進学するような人たちが社会の状況を認識できていないのが悲しかったのだ。
彼女のようなエリートもいれば、逆側には負のエリートがいる。その人たちに優しくしろだとか、社会をよくしろとか言いたいわけではなく、偉くなる人たちが彼ら/彼女らを認識しながら社会をハンドリングしていかないと、彼ら/彼女らは革命とかテロとかしちゃうよ、と思ったのだ。
なんというかエリート層はもう少し賢く(小賢しく)下層のガス抜きをしているイメージがあったのだ。でもそういう認識は間違っていた。東大だとどうなのだろうか?
話が大きくそれてしまった。このように固定化しつつある社会だけど、私のように食い込むことはできる。これは受験制度のおかげだ。
これが家柄だとか年収だとかで入れる大学が決まっていたらアウトだった。そういう意味で、現状の仕組みはまだましなのだ。
それをお金持ちの家がお得だ、と言って下の層が開き直って勉強しないと本当に固定化してしまう。自分の頭を賢くすることは下層の人間にも許された数少ない投資の一つである。中高生が増田を読むことなんてないと思うけど、いま子育て世代の親は、子供の教育がんばってねと心から思っている。
・下層の実態の把握によるエリートのハンドリング →下層社会の実態みたいな本はたくさん出てるし専門がそうだったりすれば勉強する学生はいるだろう。それは学生の学問・職業傾向...