はてなキーワード: エナメルとは
同姓同名の人物がいるかもしれないけど これから語る桜井一志はゴーアンゴーの桜井のことだよ
外見:スラムダンクのミッチーのモミアゲをゴリラ風にしたらだいたい桜井だよ
これ以外は作中でとくに言及がないよ
(こいつのライバル(主人公)がどことなく清原を彷彿とさせる性格なのもその一要因だよ
というかこの漫画は打者と投手を逆転させたKKコンビの話なのかもしれないよ)
隠キャだよ
具体的に言うと
桜井が五歳くらいのころ 彼は近所の子供達がボール遊びをしているところを通りがかったんだよね
そしたら子供達が桜井(五歳)に向かって「入れて欲しいなら「入れて」って言えよ」と語りかけるんだ
そしたら桜井どうしたと思う?
当然ケンカになるんだけど 桜井は近所の兄貴分を連れてきて子供達をボコボコにしてもらったよ
元はというと桜井が100パーセント悪いけどまるで反省してなさそうなツラをしていたよ
こんな調子で協調性のないまま15歳になった隠キャ それが桜井だよ
腫れ物を触るように扱われ
遠巻きに陰口を叩かれていたよ
新入部員なわけだよ
入ってそうそうキャプテンに「オレがついて行くにふさわしい人かどうか試させて下さいよw」「今どきの中学レベルを見せてあげますよw」と草生やしながら煽って勝負するよ
その次のページでホームラン打たれたよ
「勝てんぜお前は」とか言って4ページくらいで吸収されたアルティメット悟飯よりもはかなく散ったよ
(ギャラリーに「今どきの高校レベルを思い知ったか」と煽り返されていたよ)
これで鼻を折られておとなしく ならなかったよ
監督に「お前レフトな」ってコンバート打診されて「ふざけないでいただきたい!」とか噛みついた上に「次の練習試合完封したら考え直して下さいよ……」とわけわからん要求をするよ
突然ですが クイズだよ
練習試合が始まる前こいつはなんと言ったでしょう
チキチキチキ
正解
「エラーなんかしたらぶっ殺す」(ライバルである主人公に向かって)
当然主人公以外の野手全員もその台詞を聞いているわけで 震え上がったよ 野手全員が!
いや 普通 言う?
殺すて お前……
当然雰囲気は最悪!
桜井に一目置いていたセンターの佐島さん(この漫画で一番かっこいいキャラだよ)はとくに震えたよ!
とかマジメに思ってるよ ありえねえよ……こんなイキリキッズのポジションとかどうでもいいでしょ……
そしたらあまりにもいろいろ気負ったせいで情報量がオーバーフローして
センターの佐島さんは簡単なセンターフライを見落としてしまうんだよ というか意識飛んだ的な
そんで「すまん桜井!」って泣くんだよな いやどうでもいいでしょ……桜井の進退とか……真面目すぎか?
そんで佐島さんの打席回ってきて(佐島さんは一番だよ)二番の桜井に「もうオレの守備なんか信用できないよな」って聞くわけよ
「今はまだわかりません……次の守備のとき佐島さんのとこに打たせたくねえなって思ったらたぶん信用してないってことでしょう」
普通 言うか??!!? 先輩やぞ??????? こんなこと言うか??????? 頭おかしいのでは????
そしたら佐島さんがここからかっこいいんだけど 桜井と関係ないので飛ばすよ
(本来は二人部屋だけど同部屋の一年生は桜井と一緒に寝たくないから廊下で寝ているよ)
そんで壁に貼ったでかい(A1サイズぐらいの)ランディジョンソンのポスターをビリビリに破きながら「さよならランディ……」て泣くんだよな
ここまでやっておきながら桜井が野球を始めたきっかけはランディじゃないよ!!!!!! どういうことなんだ……
練習試合で「舐めたマネしてんじゃねーぞ」と切れたり打撃練習で先輩に順番譲らなかったりするけどわりとおとなしいよ
主人公の部屋のドアに敵校のピッチャーが活躍した新聞記事貼って「よし!」とにこやかに宣言する陰湿さを発揮するけど おとなしいよ
(単行本9巻の表紙を見ても分かるとおり 桜井は「人の嫌がることをすすんでやる」という言葉を誤った意味で実践しがちな性格だよ)
そこまでの話の流れ的に泣かないヤツは人の心がないレベルで必然的に泣かねばまずいシチュエーションだったよ
でもそれだけじゃないんだよ
子供の頃 桜井には一人だけ友人がいたよ 近所に住んでいた兄貴分の子だよ
その子に誘われて野球を始めたんだよ(ランディのポスターのくだりはなんだったんだよ…………)
桜井はめきめき上手くなったよ アニキが居るときは桜井も比較的社交性を持っていたよ
でも兄貴は高校行って野球これ以上上手くなんねえわって挫折してトラックに突っ込んで死んだんだよ
「オレも野球で上手くいかなかったらこうなるんだろうな」と思うようになったよ
それ以降の桜井は人に避けられるのも構わずひたすら自分が上手くなるためだけに野球をやっていたんだよ……
話がちょっと変わるけど芳陽の話をするよ
主人公がカンニングに失敗した話を聞いて「バレないようにやれやw」と笑ったり主人公が芳陽よりランク上の高校に誘われてた話聞いて「オレだったらそっち行ってたわw」とぶっちゃけたり
さらに言うと格下の高校は必ず侮るよ そんでいいようにやられてピンチに陥るよ
もっと言うと格上の高校には卑屈になるよ 「あいつらは飽きる程甲子園行ってるしな……」とか「死刑執行前の死刑囚の気分」とか言うよ
主人公が勝手に敵校のピッチャーのクセを敵校に開示して 先輩たちはかっとなって主人公をタコ殴りにするんだけど 次のページでは「逆にふっきれたわwwwwwwwww」とか言い出すよ
ようするに卑屈な小物であり尊大な強者であり その場によってコロコロ変わるんだよ
(敵校の監督が「イキってなかったら芳陽でレギュラーになれるわけない」とか言ってるからお墨付きなんだよ)
そんな適当極まりない連中なので 桜井のことも適当に受け入れたよ
面倒な性格なのはわかってて普通に話してくれるし普通に練習混ぜてくれるし普通に試合中相談できるよ
その「普通」は桜井が手に入れることの出来そうになかったものなんだよ
それを偶然 芳陽に入って 得てしまったんだよ
単行本でいうと29巻まで気づいてないよ
クソにぶやんけ!!!!!
桜井は今の境遇がたぐいまれなる幸運によるものだと29巻もかけてようやく気づいたよ
そのことに気づいてどうしたか……それは……
なんとマンガBANGならゴーアンゴーがタダで読めちまうんだよ
https://manga-bang.com/free/complete/goandgo201906
(厳密に言うと一日に無料で読める量は決まってるけど……まあたぶん今からならタダで読めるんだよ)
18巻において主人公の覚醒を示唆するようなセリフがあるよ 以下がそのセリフのあらましだよ
「主人公はマウンドの上で一人で戦っている気でいる あいつが周りに支えられていることに気づき
周りのために投げる気になったのなら 今までとは違うピッチングが出来るようになる」
しかし
この
「主人公はマウンドの上で一人で戦っている気でいる あいつが周りに支えられていることに気づき
周りのために投げる気になったのなら 今までとは違うピッチングが出来るようになる」
という示唆セリフの「主人公」部分を桜井に差し替えると………………
だとするならば
それは
首のすげ替え………………
実際どうなのかは だれにもわからないよ
佐島さんが26巻でメッチャ活躍するんだけど
この活躍の根拠である「佐島はスイッチヒッターである」という設定は完全な後付けだよ
この佐島スイッチ判明のとき敵校の監督は「そういえば佐島はスイッチだった」とか言うんだけど
佐島さんは9巻の試合で「オレ左打者だからあいつの球打ちにくいわ」とか言ってるよ
というかその「打ちにくいわ」言ってた試合のスコアブックだと左打者だったよ
それなのに途中でいきなりスイッチに差し替わってたよ 物証のある後付けだよ
一部ではあるんだよ……
というかランディのポスターの意味合いが「兄貴が野球に誘った それで桜井は野球始めた そのときのポジションはショートだった」でボヤボヤになってる時点で察するべきなのかもしれないよ……
ここまで言っておいてなんだけど
ゴーアンゴー実際に読んだら「柳さんかっこいい」以外印象に残らないと予言するよ
このパピコを賭けてもいいよ
エナメル質が削れそうなほど歯軋りしつつ眉間にこれでもかと皺を寄せながら書いていたよ
たまにKindleでも10巻ぐらいまで無料になることがあるからそういう機会を狙ってもいいよ
読んでみるといいよ
先月、
理由はただ一つです。
宮近くんのお仕事が忙しくて、
会える時間がめっきり減ってしまったから申し訳ない、と振られました。
別れ際、彼はまだ私のことをすきと言ってくれたけれど、やさしい宮近くんの事だからきっと、私を傷付けないためについてくれた嘘なんだろうね。
ごめんね。
別れてからもう1ヵ月近く経つけれど、
私は宮近くんの事を全くと言っていいほど忘れられません。
特に街を歩いていると、ふいに宮近くんのことを思い出す事が多くて苦しいです。
エナメルバッグを持ってまっくろに焼けている高校生を見ると、二人で抜け出したあの日の合宿を思い出します。
美容院に行って心機一転髪を切ろうとしても、宮近くんがタイプだと言ってくれたこの長さを切ることなんて出来なくて毛先を揃えるだけで終わったり。
宮近くんの好きなカフェチェーンの前を見ると、つい宮近くんを探してしまうし。
街には宮近くんとの思い出しかなくて、本当に苦しいです。
その中でも一番辛いのは、宮近くんと同じ匂いの人とすれ違うと、つい振り向いてしまう事。
昨日なんか特に酷くて、ついに宮近くん本人とすれ違ったのかと思わず声をかけそうになりました。
でも、やめました。
背丈も、私が宮近くんにあげたスニーカーも、その男性もこちらを振り返った事も、全部全部宮近くんにしか見えなかったけれど。
その人が手を繋いでいたショートカットの女性は、何から何まで私とは正反対だったから。
宮近くん、元気にしていますか?
お仕事忙しいと思うけど、体調に気をつけながら頑張ってね。
.
顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。
特に長距離ではすごくて、小学校のマラソン大会では毎年一桁台だった。
親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。
親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。
俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。
周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。
まあそれは、そんなもんだ。
周りが全然俺よりはやい。
俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。
不甲斐ない成績だった。
でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。
この挫折をきっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。
でも俺はたぶん違う。
14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。
俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。
特に県大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかにダサい存在かはよくわかった。
その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。
ホンモノは違うんだよ。
なんていうか、オーラでわかる。
正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。
ニセモノだったのは俺だけじゃない。
ほとんどはニセモノ。
俺はそっち側だった。
でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。
努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?
仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、
何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。
ああいう奴はなんなの?
意味がわかんなかった。
いや、今もわかんないけど。
実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。
まあその話はいいや。
普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校。
そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然大したことなくて、すぐエースになった。
俺みたいに陸上のスポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。
てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。
エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。
俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分の限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。
なにこれ?
は?
お前らはバカ?
偏差値xxあって何を見てるの?
とか思ってた。
当時俺みたいな中途半端な奴って学校に結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。
特待生で学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、
すげーサッカー上手かったのに部活の顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。
高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。
「マラソンってくだらなくね?」
とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。
はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。
だって、家族や友達で、陸上を否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。
いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。
「ごめん。陸上部辞めさせて」
家に帰って、俺は親に言った。
親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズをエナメルバッグに入れたまま。
けど俺の決意は固かった。
たくさん説教された。
俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。
それが一番心が痛かった。
でも俺はもう決めていた。
本当の自分で生きたい、って思っていた。
陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生。
そんなことを何回も言った。
陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。
心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。
だから、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。
俺はそこから、本当にやりたかったことにうちこむようになった。
それは音楽だった。
あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。
最初は冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。
俺はボーカル。
休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。
スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。
これが本気で楽しかった。
あ、これだ、って思えた。
陸上がつまんない、っていうことはない。
でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。
親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?
長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。
音楽は違う。
親は音楽なんて聞かなかった。
俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。
それでもめちゃくちゃ楽しい。
何時間でもやっていたい。
どんどん上手くなりたい。
俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。
どうして県大会のとき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。
たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。
親が望む、自慢の子供を演じていた。
けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。
俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。
音楽は、俺に直接喜びをくれた。
けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。
それで曲が完成する。
時間にしてみれば、ほんの数分。
それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。
で、忘れもしない文化祭。
俺の高校の文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。
軽音楽部とかフォークソング部とかのバンドが演奏するステージだったが、
他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。
俺たちもそこに出ることにした。
はじめてのステージだった。
その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。
実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。
結局そいつが一番すごかったのかも。
野外ライブで、俺らの番が来た。
バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだとき、ちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。
ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。
観客は結構集まってた。
ボーカルを俺がやっていたので、陸上のときの同級生・後輩が結構いた。
ギターもサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子が結構な数いるのが見えた。
自信があった。
後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いから尊敬してるだけだろ、
でも、これからは音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。
それまで偽りの自分で評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。
MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。
俺が想像していた観客の表情ではない。
なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。
当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。
俺はHydeに全力で心酔していた。
ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。
けど俺はHydeじゃなかった。
俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。
それから俺は、高校を卒業して、親のコネがあった地銀に就職した。
今年はじめて箱根駅伝を見た。
それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。
俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。
でも、そんなこと子供に言う訳はない。
願わくば俺の子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。
買い物が好きである。
欲しいものを思いつき、吟味し、悩み、金をだし手にいれるという行為に無上の喜びを感じてしまう。
買い物依存のひとが大抵そうであるように、わたしも周期的に欲しいものが変わる。
この世はあまりにも多くのもので満ち満ちていて、どれだけ手に入れても決して飽きることはない。
たたずまいが綺麗で、機能的で、どこまでも歩いていけそうな靴を求めてやまない。
服に合わせて靴を買い、あるいは服に合わせて靴を探す。
手入れをするのも愉しいし、手入れのための道具をあがなうのもまた別のよろこびがあって、良い。
履いた靴の形を整えるためのシューツリーを英国から個人輸入したこともある。
何足あるかなんてとうに数えるのをやめてしまって、いつぞやの増田を見たときは結構心が痛んだ。
一等気に入っているのは、イタリア製の、黒いエナメルで、ストラップつきの太めのヒールながらどこか艶かしさのあるパンプスだ。
見ているだけでも溜息が出て、口許が緩んできてしまう。
美しすぎて、着るものも履いていく場も選んでしまうように思うので普段は仕舞っているが、充分に元はとったと思っている。
そして、昨日また新しい靴か一昨うちに届いた。
シンプルな黒いミドルブーツで、素材は柔らかくて質の良いカーフ、形がとても美しい上に安定感がある。
ここまで書いてきて何が言いたいかっていうと、昨日出たボーナス1日で使い切って次の給料日まで一万円きってるってことなんだ(´・ω・`)
といっても、欲しいものがないとか買わないだなんて私には死んでいるも同然の状態だし、生きてて楽しいよ
とりあえず今欲しいもの書いて
男も女も、あまりにも歳をとることにネガティブなイメージを持ちすぎている気がする。私もそうだ。
原因はなんだろうと考えたけど、いまいちしっくりくるものが出ない。
自分たちもいずれ向かう現実なのに、外見的にも内面的にも、自分はああはならないと確信している印象すら受ける。
外見的なことを言えば、別に太ってもいいじゃないかと私は思う。
シワが増えても、髪が減っても、背が縮んでも、体力が落ちても。
歳を重ねるっていうのは、それだけ長く頑張って生き延びてきたということなのだから、その過程で避けられない老朽化には自信を持って生きていきたいと思う。
しかしそれと同時に、内面的には、ああはなりたくないと憎しみにすら近い感情を抱くのだ。
若者はこれからの社会を支える重要な存在だ。狭い部屋に住んで、安い飯を食べて、たくさん働いて、税金を納める。それが私たち若者。
しかし街中に出れば至る所で年上を敬えと強要される場面に出くわす。
私だって蔑ろにしたくてしているわけじゃない、尊敬に値しない年上が多すぎるのだ。
高校の頃、部活で疲れて電車の普通席に座って寝ていたことがある。
膝の上にはスクールバッグと部活用のエナメルバッグ、足の間には当番制で洗濯しているゼッケン袋があった。ヘトヘトになってうたた寝していた私を、誰かが突然叩き起こした。
朦朧としながら顔を上げると、目の前には手ぶらで佇む60代くらいのおばさんがいた。
おばさんは目を釣り上げながら私に「退いてくれないかしら、あなたが一番若いし。」と言うと、私を立ち上がらせた。
周りを見渡してもみんな見て見ぬフリだった。確かに、私はその車両では一番若かった。
結局私は彼女が電車を降りるまで、立ったまま体の前にバッグを積み重ねてつり革につかまりながら寝続けた。
誰しもにある経験だと思う。
私たちはこれを、この先ずっと繰り返していくことになる。しかも優先するべき老人の数はどんどん増える。若者がこの椅子取りゲームに勝つ術はない。
この出来事だけでなく、言うことを聞かない年上の部下、根拠もなく私が若いというだけで提案を無視する上司、投票所に並ぶ私を見えてないかのように割り込みするおじさん。尊敬できない年上に蔑ろにされた経験は数え切れないほど存在する。
些細なことだけど、それがいくつも積み重なれば憎しみにも似た感情が生まれても仕方ないと思う。
私は彼らのようにはなりたくない。
自分の指標となるような、尊敬できる大人を見つける必要がある。
若い私たちを疎ましく思わずに、導いてくれる人を。諭してくれる人を。
歳をとることへの恐怖に打ち勝つ一番の近道はそれじゃないだろうか。
先に言っておくとこの治療法が効く人は一部で、そうではない人にとってはやばい治療かもしれないということだ。
ホワイトスポットの治療でエナメルマイクロアブレージョンをやってきた。2本で一万だったが私のホワイトスポットは深かったらしくあまり効果はでなかった。ただ一応「磨く」治療ということになっているが薄く表面を削ることにはなるわけで、当然処置の時間が長ければその分削る量も大きくなるわけで。3,40分ひたすら「磨かれた」のち歯を舌で触ってみると明らかに前より薄くなっていた。なんていうか切れ味が増している。おまけに冷たいものとかがしみるようにもなってしまった。
どうせ見た目変わらないならそうとわかった時点で削るのやめてほしかった。
ホワイトスポットがほんとに見るからに薄い人にはいい治療だと思う。そうではない人がいくと深く削られる上に見た目もそんなに変わらない。引き換えに私のエナメル質はおそらく結構失われてしまったと思う。
ホワイトスポット治療の中ではリスクのない治療かなあと思って選んだ治療法だったがそんなことなかった。
担当の先生は優しかったけどなんだか後ろめたさみたいのものをずっと抱えてる人なんじゃないかと思った。審美歯科はやはり歯の健康考えるとやばいのかもしれない。なんたって一度削った歯は二度と帰ってこないのだ。
今週もスレッドがおちたようなので
8/29pts Rx ◆IRC1/LAAAk
5pts ID:agcja+sk0
4pts ID:m6y9SUbG0
2pts*3 ID:----- ID:JMmYF4ng0 ID:cHg1aNqX0
1pt*6 (♂・∀・)♂ ◆VVVF/4gFB.
ID:Bg+pp0sm0 ID:FMaOJJTU0 ID:hqe/cTV10 ID:tR49kcvv0 ID:w89aAZRga
・01 たけのこ (24): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:27:20.43
・02 二人三脚 (47): ID:cHg1aNqX0 13:28:49.56
・04 つつじ (80): (♂・∀・)♂ ◆VVVF/4gFB. 13:30:27.11
・05 舵(を取る (93): ID:m6y9SUbG0 13:31:15.04
・06 17(歳 (121): ID:cHg1aNqX0 13:32:02.69
・07 メンデルスゾーン (147): ID:m6y9SUbG0 13:32:55.03
・08 キュア)ホイップ (180): ID:w89aAZRga 13:33:46.14
・09 西南 戦争 (201): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:34:10.64
・10 ビンゴ5《ファイブ》[→] (213): ID:hqe/cTV10 13:34:35.02
・11 エナメル(質 (224): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:34:52.69
・12 諏訪))さくら (245): ID:agcja+sk0 13:35:24.91
・13 3(番 (269): ID:tR49kcvv0 13:35:54.11
・14 ゴルゴ13《サーティーン》 (286): ID:agcja+sk0 13:36:26.89
・15 シソ(科目 (304): ID:Bg+pp0sm0 13:36:48.04
・16 アユ (333): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:37:16.55
・17 地方(税 (352): ID:agcja+sk0 13:37:39.56
・18 富山(県 (393): ID:m6y9SUbG0 13:38:30.47
・19 3(番=あぶさん (411): ID:agcja+sk0 13:38:53.96
・20 ディンプル (434): ID:FMaOJJTU0 13:39:24.54
・22 満)25(歳以上 (481): ID:m6y9SUbG0 13:40:11.99
・23 土佐(酢 (498): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:40:40.25
・24 [AC]閑話休題 かんわきゅうだい (575): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:44:32.59
・25 横浜(市 (595): ID:agcja+sk0 13:45:13.52
・26 ラスカル (639): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:46:02.85
・27 隗《かい》(より始めよ[ok] (710): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:48:12.28
・28 松田聖子 まつだせいこ ID:----- (750): ID:JMmYF4ng0 13:49:23.67
・29e カーリング (750): ID:JMmYF4ng0 13:49:23.67
結婚式のゲストに呼んでもらえるのはとっても嬉しいのだが、コストかかりすぎじゃないですか!?
女性についてしか知らないので、女性のマナーについてのみ列記する。
■ドレス編
・花嫁と同じ白ないし白に近い色は駄目(これは当然)
・新婦のカラードレスとも被らない方が良い(嫌がる新婦は少数派の様だが、一定はいる模様)
・あまりに暗いとお祝いとして相応しくない
■小物、靴編
・皮素材のものは駄目
・ファー素材のものは駄目
→布等でできたパーティバッグが必要となる。財布と携帯電話が入ると一杯になってしまうので、サテン生地等で出来たサブバッグが必要となる場合もある。
・オープントウの靴は駄目
・ヒールがなければならない
→普段使いに多い革の靴がやはりNGなので(エナメルは何故か許容?)、布製のヒール有りのパンプスが必要となる。ドレスの着回しを考えると、シャンパンゴールドやパールホワイトになりがちで普段使いはし辛い。
■身だしなみ編
・ダウンスタイルは相応しくない
→ロングヘアだと、美容院に行ってセットする。
・化粧するべき
→華やかな色を買い足す場合あり
…結果として、身につける服の殆どは「結婚式のゲスト用」専用のものを新調する事になる。
出席メンバーが同じ場合に一つのドレスを着続けると目立つので、着回し分も含め…
こんなの全部守らなくてもいいじゃん、と思う。
ちょっといいレストランに行く時に着る様なよそゆきの落ち着いた色のワンピースに、
ノーメイクで、
ダウンスタイルの髪で、
ヒールが無い革の靴で、
オフィス用とかよそ行き用の革の鞄で、
女友達が自分の結婚式に祝いに来てくれたとして、失礼だなんて全く思わない。
しかし、新郎新婦の姑ほか親族の方がそう思ってくれるとは限らない以上、
「あら〜随分マナーのなっていないお友達がいるのねぇ〜さすが(嫁)さんのお友達だわぁ〜」とか思われて、祝いに来たのに新生活の邪魔する訳にはいかないので、これらのマナーを無視する訳にもいかないのである。
三十路になったら、今の若いデザインも似合わなくなるので買い換えるだろう。
虫歯を削る→一生お金のかかるメンテナンスが必要な歯となります。
大人の虫歯の8割は、子供の頃に詰めた詰め物の下から発生してます。
検診気分で歯科クリニックに行ったら虫歯といわれ、痛くない歯を削られて銀歯に
され、それ以来、知覚過敏や歯痛が始まったという経験はありませんか?
削るとエナメル質の下の層の象牙質が出ます。これが知覚過敏や歯痛の原因です。
詰め物をするのですが密閉性が悪くて食べ物が詰まったり、詰め物が圧力を与えて歯痛を
生んだりします。
「歯磨きをちゃんとしてる人は、痛くない虫歯の治療の必要はありません」
削られる量>その虫歯で10~20年放置して侵食される歯質 だからです。
ちなみに大学病院歯学部でも一般の診療は行っていますが1年待ちです。
金儲け・削ることしか頭にない一般歯科医にめちゃくちゃにされた患者さんの
虫歯はあるが歯医者嫌いで1度もいってないお子様=全部白い歯で抜髄歯はなし
虫歯が気になって歯医者に通っていたお子様=7本銀歯。抜髄歯は3本
もちろん抜髄歯は折損の可能性大、80歳どころか60歳まで残るかも怪しいです。
・ざっくり言うと
・1社目の起業
2011年の大学院1年生の時にアプリ開発とビッグデータ(既に死語か?)のベンチャー企業を起業した。
幸運な事に億単位の資金調達が出来、エンジニアとデザイナーを含め事業をスタートすることが出来た。
とある企業から技術譲渡を受け、そのコア技術を元にアプリを開発しリリース。
関連アプリを含め100万ダウンロードに至るものの収益的には乏しいものだった。
ビッグデータ関連のビジネスはなかなか立ち上がらず、経営方針をゲームアプリ開発に変更することに。
もともと社長はゲーム開発を志向していたので、自分はデータビジネスを収益元としつつその利益をゲーム開発に回すことを提案していた。
そのためデータビジネスにこだわった自分は、経営方針の違いから役員から退き、別のビッグデータ関連の会社に転職することになった。
会社はデータビジネスの比重を下げつつも、開発と営業を続けその1年後に収益化を果たすことになった。
・2社目
起業では無いものの、創業1年目のベンチャー企業への参画であった。
転職した会社も同じくベンチャー企業であったが、社長とは大学時代からの仲で相談相手でもあり前社と同様の待遇で迎えてくれた。
職務内容は、データ分析と顧客への提案、資金調達、事業計画の策定とよりハードなものであった。
更に、結婚・元嫁側の壮絶な嫌がらせ・スピード離婚という私的な問題を抱えつつ病んでいった。
まずは不眠、寝れない日々が続く。会社に行くのが本当に重い。ひどい時には着替えて、準備を整えているのに外に出られない。
そんな日々が続いた。
そのような状態では、当然会社の中でも重要な仕事ができなくなってしまい、次第に浮いた存在になってしまっていた。
初めてかかった精神科での診断は「双極性障害」というものだった。
いわゆる躁うつ病で、ハイテンションな時とローテンションな時が繰り返される感じ。
どちらかと言うとローテンションの時が多めだけど、ハイテンションの時は寝ずにガンガン仕事をしてしまう感じ。
精神安定薬はとにかく眠くなる。
睡眠薬は夜に寝るために飲む。
抗うつ薬は気分をハイにするための薬。こいつの威力は半端無かった。
これを2ヶ月間くらい飲みつつ、休養+睡眠を心がけた。
しかし、「みんなを不安にさせたくない・早く社会復帰したい」という焦りが募り突拍子もない行動を実行に移すことに。
・3社目の起業
そして、サービス産業に関連するビジネスをしたいと言う思いを長年持ち続けていたし、IT関連のビジネスに嫌気がさしていたこともあったので
起業するなら違う分野にしようと思っていた。
そもそも、大学卒業して一度も就職したことがない自分が食べていく術は「起業」することしか頭になかったのである。
抗うつ薬のハイテンションのおかげで、恐ろしいスピードで事業計画を書き上げ、大企業から共同創業者を引き抜き、会社を登記し、
オフィスを借り、1000万円の資金調達、取引先との契約、海外出張・・を2ヶ月でやってしまった。
ほとんど寝てなかったし、ストレスのせいか歯ぎしりがすごく、エナメル質がだいぶ削れていた。
同時に自分の蓄え、クレジットカードやキャッシング、知人からの借入などお金の面でも非常に苦労した。
事業もスタートを切ったものの、トラブルが続きその対処に追われる日々。
その頃から、病院を変えたこともあって相性が悪かったのか、医者に対して不信感を抱いてしまった。
自分の中ではこれだけ仕事ができているんだから大丈夫だろうと勘違いしてしまったんだと思う。
そしてまたもや、会社に行くことが出来なくなるまでに至った。
取引先や支援してくれている人、共同創業者に本当に申し訳ない気持ちで震える日々が続いた。
何度もベランダから飛び降りようとしたり、川に入りかけたこともあったけど、情けないことに怖くて出来なかった。
その結果、会社から離れることになり、両親が迎えに来て実家に戻る事になった。
今は共同創業者が会社を続けてくれていること、両親と友人が支えてくれていることが唯一の救い。
今後は、起業という世界からは離れたところで世の中のために働いていきたい。
気持ちも落ち着いてきているので、ご迷惑をかけた方々に謝罪にいきたい。
・まとめ的なもの
起業をするということは悪いことではないし、嬉しいこともいっぱいあった。
多分、企業に就職し従業員になると経験できないことをたくさんしたと思う。
知人で成功した人も失敗した人もたくさん見てきた。
おそらく経営者の人たちはストレスフルな日々は続くし、多かれ少なかれリスクを背負うことになる。
しかも、事業がうまくいかなかった時のリスクは自分に降り掛かってくる。
自分はもう二度とベンチャー界に戻ってくることは無いと思う。もう懲り懲りだなって。
成功した経営者の話は良くされるけど、その影で何倍もの挫折や失敗を重ねている経営者もいるってことは知られてるのかなって思う。