男も女も、あまりにも歳をとることにネガティブなイメージを持ちすぎている気がする。私もそうだ。
原因はなんだろうと考えたけど、いまいちしっくりくるものが出ない。
自分たちもいずれ向かう現実なのに、外見的にも内面的にも、自分はああはならないと確信している印象すら受ける。
外見的なことを言えば、別に太ってもいいじゃないかと私は思う。
シワが増えても、髪が減っても、背が縮んでも、体力が落ちても。
歳を重ねるっていうのは、それだけ長く頑張って生き延びてきたということなのだから、その過程で避けられない老朽化には自信を持って生きていきたいと思う。
しかしそれと同時に、内面的には、ああはなりたくないと憎しみにすら近い感情を抱くのだ。
若者はこれからの社会を支える重要な存在だ。狭い部屋に住んで、安い飯を食べて、たくさん働いて、税金を納める。それが私たち若者。
しかし街中に出れば至る所で年上を敬えと強要される場面に出くわす。
私だって蔑ろにしたくてしているわけじゃない、尊敬に値しない年上が多すぎるのだ。
高校の頃、部活で疲れて電車の普通席に座って寝ていたことがある。
膝の上にはスクールバッグと部活用のエナメルバッグ、足の間には当番制で洗濯しているゼッケン袋があった。ヘトヘトになってうたた寝していた私を、誰かが突然叩き起こした。
朦朧としながら顔を上げると、目の前には手ぶらで佇む60代くらいのおばさんがいた。
おばさんは目を釣り上げながら私に「退いてくれないかしら、あなたが一番若いし。」と言うと、私を立ち上がらせた。
周りを見渡してもみんな見て見ぬフリだった。確かに、私はその車両では一番若かった。
結局私は彼女が電車を降りるまで、立ったまま体の前にバッグを積み重ねてつり革につかまりながら寝続けた。
誰しもにある経験だと思う。
私たちはこれを、この先ずっと繰り返していくことになる。しかも優先するべき老人の数はどんどん増える。若者がこの椅子取りゲームに勝つ術はない。
この出来事だけでなく、言うことを聞かない年上の部下、根拠もなく私が若いというだけで提案を無視する上司、投票所に並ぶ私を見えてないかのように割り込みするおじさん。尊敬できない年上に蔑ろにされた経験は数え切れないほど存在する。
些細なことだけど、それがいくつも積み重なれば憎しみにも似た感情が生まれても仕方ないと思う。
私は彼らのようにはなりたくない。
自分の指標となるような、尊敬できる大人を見つける必要がある。
若い私たちを疎ましく思わずに、導いてくれる人を。諭してくれる人を。
歳をとることへの恐怖に打ち勝つ一番の近道はそれじゃないだろうか。
”尊敬できる大人を見つける必要がある” は甘えだろう よっぽどじゃないと出会えないから 心持しだいだろう
元増田です。確かにそうですね、他力本願でした。