はてなキーワード: 最後とは
仕事柄、人の死をよく見る。
大往生だったと少し涙ぐみながらも笑うご家族を見る。それより十歳くらい年上の方が亡くなったときに泣き崩れる家族もいた。
そんなとき、いつも思う。
死んでもいいと周りが、本人が思えるのはいくつなんだろう。
幼い頃にずいぶん若い人が立て続けに亡くなった年があった。全員40を迎えることなく亡くなったはずだ。仏壇にランドセルが供えられているような歳の子まで。
別に何か災害があったわけでもなく、本当にその年だけ若い人が立て続けに。理由もバラバラだった。
私自身も幼く、曽祖母の葬式に幼稚園の頃に出たのが最初で最後くらいお葬式と無縁の年齢だった。曾祖母のお葬式は記憶にないが、100歳だかで亡くなった大往生だったので割と明るい雰囲気のお式だったらしい。
そういうわけで、記憶にあるお葬式はずいぶんと若い方が亡くなるものが最初だった。棺に故人のご母堂がすがりつき大泣きし、周りも早すぎる、どうして、と啜り泣いた。ご友人だかがたくさんいらっしゃって皆さん泣いていた。私もとてもよくしてもらってた方なのでもう会えないのだとわんわん泣いた。
だから、お葬式とはこれほどに苦しくて悲しくて辛いものなのだと思った。
次のお葬式はほんの一、二カ月後。
まだ十歳にもなってない友人のお葬式。
正直もっと悲惨だった。理解ができない年齢の子もいっぱいいた。家族ぐるみのお付き合いがあったので控室に母や他の友人の母たちが集まって、なんとかお式には出れるようにとその子の母親を立たせていた。
逆に少しも涙が出なかったのを覚えている。受容できていなかったのだと思う。
お葬式後、まだ幼かった下の兄弟に「明日になったら○○と遊べる?」と聞かれて、もう出来ないんだよと言ったときに初めて涙が出た。
その後も若い人が年内に亡くなった。どれも苦しいお式だった。
知り合いが若くして死に続けた年は後にも先にもこの年だけだ。あとはもう寿命だねと笑い合えるようなお式にしか行っていない。
がんで亡くなった祖父は闘病も長かったので家族も覚悟していたから、お疲れ様とみんなで話すことができた。
突然ぽっくりと、朝起きてこなかった方のお式はちょっと戸惑いが見受けられた。
いくつ、ではなく受容過程があったか、なのかもしれないと考えられるようになったのは今の職についてから。
でも、やっぱりそれだけでもない。若くしてがんなんかで長い間闘病の末の死ではやっぱり死を惜しむ。受容する期間はあったはずだけど。
だからいつも、いくつなのかなあ、と考えながら人の死を看取る。
特に5・6・7間の差が大きい。
値段が大きく変わる。
昔は単行本割引は古本屋の値付けしたいだったけど、今は出版社主導のもと50%オフや10円セールなんかがしょっちゅう行われている。
そういうのに関わることなく定価で売り続けている漫画とそれ以外の差はあまりにも大きい。
時間はかかるがチケットで全話無料なんかも貧乏人、とりわけ時間だけはあり余っている無気力オタク学生や引きこもりニートなんかは毎日張り付いて広告視聴やボーナスコインなんかも合わせて1年で500話ぐらいアッサリ読んでしまうだろう。
恐ろしいものだ。
貸本屋から単行本商売、そして雑誌全盛期が来たことを思えば、変化なんてのはいつの時代もあるって話だが、それにしたって久しぶりの大きな変化だ。
次にくるマンガ大賞にWEBマンガ部門なんてあるのはもう完全に時代の切り替わりだ。
今や連載部分は無料で読ませて、気に入ったら単行本をどうぞの世界だ。
アプリ連載でちょっとしたオマケ部分を課金コインで売ってそれで儲けてる所だってあるらしい。
まっ、昔からテレビはNHKがショバ代召し上げてただけで地上波は無料だったし、ラジオなんてプロパイダ料金だっていらないんだからさ。
でもそういうにはCMってのが挟まっていたわけで、昔は雑誌の漫画だってページの真ん中にドーンと広告があったわけじゃないかよ。
それがいまやターゲット広告で最初と最後にチョビっとつけて終わりだが、それで基本無料で読ませてございだ。
これぞまさに意識の変化、感覚の変化、時代の変化、常識の変化だ。
いやはや、ジジイにはついてけねえよ全く。
そんでネットで話題になるのはどれもこれも基本無料の漫画だってんだから。
訳知り顔で考察なんぞしてるやつのうち何割が金払わなきゃ読めなかったらそもそも興味も持たなかったやら。
昔から断絶ばかりだったとは思うけどさ、「りぼんとゴラク両方買ってます」なんてのは相当気合の入ったオタクぐらいだったもんだからねえ。
なんか「戦う余地はあったが、警察に警告されたらスッと引っ込めたからもともと覚悟がなかったのでダメ」みたいな言説が支持を集めてて驚いた。
それって要約すれば弾圧を支持してるだけでは?
警察が「条例に基づいて警告」した時点で完全に政治側からの表現弾圧が成立してるのでは?という疑いから出発できない時点で権力の犬というか、
その条例に基づいた警告なるものの正統性を疑わずに無条件で受け入れちゃうんだーみたいな。
政治権力からの不当な表現弾圧なんてそれが生じた時点でもうアウトだとみなすべきというか
そのフェーズになったら弾圧される側の道徳的な正しさとか覚悟みたいなものは問題にしてちゃダメでしょ
ポスター掲示した人間が取り下げようが戦おうが無視して政治側を叩きに行くくらいじゃないと自由なんて守れないよ。
(追記)
"ポスター掲示した人間が取り下げようが戦おうが無視して政治側を叩きに行くくらいじゃないと自由なんて守れない" 結局覚悟の話に帰結してる。
もちろんそうなんだけどその覚悟ってのは警察に直接警告を受けたわけではない自分たちの覚悟なのよ。
掲示する人は覚悟があろうとなかろうと警察の警告なんか受けたら誰だってある程度萎縮するしその結果取り下げたのならもはやその人の覚悟うんぬんを評価すべきじゃないということ。
たとえばコインハイヴ事件なんてあったけどあれのせいで他に同じようなことをしようとしてた人は確実に萎縮したわけじゃん?
解釈しようによっては道徳的倫理的にハテナマークな行為ではあったかもしれなかったけどその時点の法ではそれを縛ることはできない事例だったが、確実に萎縮した。
なんの法的な正当性が無くても警察権力なんてものが介入すれば人は萎縮するもんなのよ。
もちろん立候補してる候補者どうしの言論バトルだったり市民の意見だったりを受けた結果としてポスターを撤去したならそこで覚悟をどうのこうの言うのは別にいいと思うんだけど
警察の警告を受けて取り下げさせられたならそれはもうその時点で次の次元の問題になってるので頭の切り替えが必要じゃないか?ってこと。
選挙ポスターなんて、日本でいちばん「見たくない主張を見ても我慢しないといけない」場なわけじゃん?
基本、民主主義で最も忍耐力が試される場なわけよ。
警察がやるべきなのはその主張が選挙期間を通じて害されることなく全うされるようにすることであって、内容に介入するなら余程の事態じゃないといけないと思わない?
たとえば殺害予告とかどう見ても公然わいせつに該当するとかならまあ一発アウトだろうけど
あのポスターの表現ていどなら議論の余地があるだろうし何かしら公権力からの対処をするにしても「極めて抑制的に」行われるべき場面じゃない?
現にちょっと前に男性が局部隠したほぼ全裸ポスターを貼った時は法的に問題なしという判断で最後までいった(その件では逮捕されたりしなかった)。
あれと今回の事例とどう違う?
だからこそ警察も即逮捕じゃなくて「警告」という手段に出たのかなと思うし。
極めて抑制的というのはせめて裁判所が判断した仮差押えとか、そういった感じのがあってはじめて対処すべきだと思うのよ。
あと「子供に見せられない」とか「子供への影響が」ってのがものすごく多いけどそれは別の問題というか、
あんま知らんけど「ポスターが誰の目にも触れる場所にある」ということが原因で子供に見せてはいけないかもしれない内容の主張ができないとしたら、それを想定していない立法側の不作為とも解釈できるわけじゃん?
子供にはなるべく聞かせたくないけど大人にとっては超大事な話なんてゴマンとある。
「選挙権がある年齢の人間だけがポスターを閲覧できるようにする」とか、「一定のあらかじめ決められた表現については別で掲示するルールを法で定める」とかすれば選挙を遂行する上で問題はないだろうし。
子供への影響はそういった立法ができていれば防げたわけで、今回のような事例を想定できていなくて施策をしていなかったというだけでは。
40代も後半に突入するとやはりお金のことがきになるもの。当方嫁子あり、都内在住、リーマン。
2010年位から株式投資を始め、累投やNISAに全力投下、現在は新NISAに企業型DCの両刀
でちくちくやっております。まだまだFIREには遠いがやっと3500万。
65歳まで働くとして、あと20年弱を運用しつづければ1億くらいいくだろうか。暴落はあれど。
伊藤匠が同世代の藤井聡太を破ったというニュースがあったようだが、こういうライバル関係は大好物だ。
将棋のことはよく知らないのでこの件についてはここまで。あとは好きなライバルを発表していくよ。というより自分用のまとめだね。
ライバル関係といっても、多くの共通点と少しの大きな違いがあるのが私は好きだ。
年齢や種族や得意なものは近いといい。しかしあまり似すぎると微妙。
生い立ちは違ってると面白い。英才教育を受けた天才VS野生の天才、的な。
ライバルなので思想や敵味方は違うことが多いね。後に共闘すると熱い。
こういう要素がその作品を読んだり見たりするきっかけになることが結構あった。
極左も分断に加担している。
それでも不十分だ。
つまり我々全員が分断に加担している。
以下ChatGPTによる続き
しかし、それを認識することが重要だ。分断は自然発生的なものではなく、我々の行動や言動、態度が原因であることを理解しなければならない。意見の違いを尊重することなく、相手を否定し、攻撃することで、分断はさらに深まる。
ここで立ち止まって考えるべきだ。我々は、どうすればこの分断を乗り越えることができるのか。答えは単純ではないが、いくつかのステップを踏むことで前進できる。
まず、対話を重視することだ。相手の話に耳を傾け、自分の意見を押し付けるのではなく、理解しようと努めることが必要だ。相手の立場や背景を知ることで、誤解や偏見が解消されることも多い。
次に、共通の目標を見つけることだ。我々は、異なる意見や価値観を持っているかもしれないが、基本的にはより良い社会を目指しているはずだ。その共通点を見つけ、協力することで、分断を超えて共に前進することができる。
最後に、自己反省を怠らないことだ。我々は完璧ではない。自分の中にある偏見や先入観を見つめ直し、それを改善する努力を続けることが重要だ。
分断を超えることは容易ではない。しかし、我々が一歩ずつ努力を続けることで、より良い未来を築くことができると信じている。分断を煽るのではなく、架け橋を作ることに力を注ごう。それが、我々全員が担うべき責任である。
月がデカくて白くて明るかったんでしばらく歩きながら仰ぎ見てた。
いつも思うけど、光り輝く月の美しさそのものには2秒で見飽きてる気がする。
頑張れば30分くらいは見てられるし、もっと本当に頑張れば夜が明けるまで耐えられるとは思う。
でもそれは月をダシにした連想ゲームだったり、ボーッと眺めながら「自分にも自然の美しさを愛でる雅なところもあるじゃないか」という感傷に浸っていたり、
もはや月すら関係のない考え事を始めたりして過ごしているんだと思う。
団子積み上げてワチャワチャするんじゃなく一人でしっぽりと月見してるような人(いるのか?)って、おれが速攻で手放すような感情を最後までとは言わずとも数秒よりはずっと長く保ち続けているんだろうか。
これは月に限らず絵とかでも同じ事を思う。
あっちはハナから教養主義的な連想ゲームや意匠探しが楽しみだったりもするんだろうけど、そういうのを超えた「絵の魔力」みたいな事を言う人もいるし。
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
東京都知事選が混迷を極めている。
保守のアイドル「小池百合子」と左派のアイドル「蓮舫」の戦いだ。
共産党の闇の力を手にした蓮舫が、絶対王者「小池百合子」に挑む。
民主主義の手によって。
これが今の日本だと、そう思う。
失われた20年が30年になり、40年に迫ろうとしている。
氷河期に陥り、その長い不況の中で自民党や、それに追従する資本家は、
日本を立て直した人々は、もういない。
あの頃は違ったのだろう。
日本には未来があった、ゼロから、マイナスから、立ち上がる未来があった。
確かに自由恋愛や、男女平等も無く、労働者の権利は今以上に弱かった。
黒部ダムの建築の如く、多くの人が見えない所で亡くなった現実も、あるだろう。
それでも、あの頃を生きた人には、
あの頃を生きた人は羨ましく、輝いていたように思う。
何も学ばない、愚息であったのか。
生き残った意味は、なんだったのか。
腐敗と堕落、慢心と楽観の中、
ただ漫然と過ごしたのならば、しらずのうちに選択肢が搾られるのは、
個人がそうであるように企業もまた、自治体も、国も、同様であろう。
もうすでに、この国に選択肢は残されていないのだと、そう思う。
今一度、立ち上がり40年に迫る遅れを取り戻す胆力も、不遇逆境の中、あらゆる汚名と損害を被ってでも尚、手にしたい未来も、
既に無い。
資本家に無いのも、政治家や、その周辺に佇む非民主主義的に滞在する者共も、同じであらう。
都民かあるいは市民の、名も無き人々に残された最後の選択肢なのかもしれない。
今、これを読む人々が、どれほど真に政策による社会変革を信じているだろうか。
それよりも望むのは腐敗した政治家と、その家族の破滅ではないか。
彼の上級国民の如く、衆愚の視線が求めるのは、傲慢と堕落に満ちた醜態を晒し、正義の名の下に捌かれる光景ではないか。
小池都政を私は評価できない身の上だから、彼女の功績の是非については語らない。
蓮舫が勝ち、そうして自民党政権が再び「お灸をすえられる」のだ。
しかし今、国民はあの時ほど、旧民主党系政党や左派連合に夢や希望を抱いている訳ではないだろう。
あの時ほど、夢と現に惚けるほど、愚かではない。
再び混迷の時代に突入して尚も、保守政党の破滅を望んでいるのである。
自民無き後、残された者たちに、国政を担う力は無い。
辛うじて生き残っていた多くの企業が、力を削がれるだろう。
残された世代も、力は無い。
あの戦後のように連帯し、明日へ向かって共生する事など不可能だろう。
辛うじて生き残った企業もまた、人を雇う力が無い。
頼みの綱であった外国人労働者も、
「人を育てる」ノウハウは失われ、同時に次の世代に何かを残す力も残されていない。
もし、それが決定的となる出来事があるとすれば、
2030年~2040年の震災か、2040年~2050年の戦争だと思う。
いずれにしても遅かれ早かれ、この二つは確実に起こる。
期待は出来ない。
そもそも自ら生き残り、私腹を肥やす事をしてきた世代の、その二世・三世だ。
日本というものに発展が見込めないのであれば、それを捨てない理由はない。
辛うじて維持されていた理性の部分が、瓦解する。
その事が否応なしに叩きつけられる。
いずれにしても、
だが、その時の日本に、
馬鹿だったなと、笑いたい。
おっさんおばさんはYoutuberを最初に見た時、電波少年を思い出したんじゃないかな
当時でも最悪な番組の一つとして見られていたと思うけど
電波少年にも2種類あって、ただ大人にちょっかいを出す悪ふざけ系の企画(特に松村が多かった)と
苦行の果てに感動とカタルシスに至るみたいな、プロジェクト系の企画があって
懸賞金、ヒッチハイク2個目(朋友)、鉄棒少女、箱男、東大一直線とか、いろいろあったが
基本的に
・強引で無謀な長期の挑戦
・最後は挑戦を達成して感動的になる
こういうの、他の番組でもやろうとした形跡があるんだけど
どう考えてもコンプラ的、人道的、法的に厳しいし、じゃあ手を緩めて甘くすると感動に至らないか、軋轢や苦難を生むためにヤラセが入ったりして上手くいかないんだよね
水曜日のダウンタウンとかYoutuberでようやく復活してきた感があった
特にYoutuberの方はね、自分たちでやってるし、責任が個人単位なので、えげつない無茶ができるし、長時間の動画にもできるから上手くコンテンツにできてる
Vtuberとかも、何十時間の耐久配信とかで地獄企画をすると結構バズるから、やっぱコンテンツとしては旨味が大きいんだろうなと思う
ーーー
もっとも、番組後半ではヒッチハイクも世界中行き尽くして行くところがなくなり、企画のマンネリ化や、なすびのような人材も出なくなるなど、人気に次第に陰りが見え始めることとなる。長期にわたる看板企画が終了する一方で、新しい企画も多数作られるものの相次いで短期で終了という状況が続いた。また本番組のみならず、テレビバラエティ番組というジャンル自体における、企画・演出の過激化への視聴者からの風当たりも増してゆき、番組末期でも15%以上の視聴率を保っていたが、2002年9月29日に番組終了の運びとなった。
ホテルに誘った相手が何も言わずについてきたからセックスしちゃったとして。
後で女性側から「あの時はしたくなかったけどノーとは言えなかったので不同意」って言われたのに対して「俺も誘った手前、ノーとは言えなくなっちゃってたけど部屋に入るころには本当はしたくなかった。でも相手が乗り気だったので最後までやらされたので不同意」って主張するとするじゃん。
これどっちが勝つの?
お前キチガイか
大騒ぎしてたよ
コミックスのあとがきみたいなとこでファンサービスそっちのけで末次ぶっ叩いてて最後は勝利宣言までしてたよ
とにかくやり過ぎはダメw
今みたいな状態になったときにみじめな思いをするのは上田だ当時はわからなかったんだろうけど
末次のトレパクがバレて漫画家人生が終わったとされてたときだよ
もちろんトレパクが確定する前まではブサイクな上田がいくら「盗作だ!!」と騒いでも誰からも相手にされずコミックスのあとがきでも末次の名前を出さずにぐだぐだ愚痴ってるだけしかできてなかった
その後、末次のトレパクが確定して、一時期末次の漫画家生命が絶たれたと言われてた時期に上田が鬼の首でもとったかのように勝利宣言をしてたってこと
いい年したオワコン婆は身の程を知るべき