はてなキーワード: YOUTUBERとは
トレンドの腹見せとかなくてもいい。胸のラインとか足のラインが出ていることが大事。
ぴたぴたニットとか、腰回りはピッタリしたストレートジーンズとか、その両方とか。
多少以上は胸が大きくてダイエット中って言えるならまだセーフ。
ただ、男性が恋愛経験豊富だとイケメンでも非イケメンでも性格の重要度が上がる。
”男性向け”にやってるデート会話術指南みたいなのを見て、実践するといいと思う。
大概は相手に楽しく喋ってもらうという技術。相手の自己肯定感を高めるコミュニケーション。
見た目が抜群に良くなくてもモテる女性は、ここがうまいと思う。
そもそも見た目はいまいちってことなら、鏡を見る時間を一日合計1時間以上にしよう。他人と積極的に喋ろう。
顔の筋肉が鍛えられて魅力的になる。ひらがなけやきのデビュー当時と今の違い見てみろ。かなり違う。
メイクは頑張ると老けるの早いから、アイプチやらスキンケアやら美容マッサージを頑張ろう。
このあたりすらめんどくさいなら諦めてくれ。男性はもっと頑張ってるから。
白とネイビーがあると大体さわやか。パーソナルカラーによってトーンは違うから注意。
パーソナルカラーはプロに診断してもらったほうがいい。色によってはっきり顔色が変わるのがわかる。
根本的にダサイという話なら、genjiというYouTuberを見ろ。他にも何人か見ているけど、女性受けでいうと一番いい。
会話術は下記の動画がおすすめ。なお、ファッション紹介の動画はくそダサイので参考にしてはいけない。
https://www.youtube.com/watch?v=gz4rJecyKCM
基本的に全部準備。
タイトルがすべてなんだけど、頭の整理のために文章にしてみる。
仕事1
趣味2
家庭7
34歳男
165cm 63kg
東京・大阪の中心地から60~90分以内のあたりに住んでいる。田舎と言うには都会に近いけど、都会ではない、地方都市と呼べるほどの発展はない微妙な地域。
よくネットに溢れている公務員あるあるみたいな「仕事のできない高齢職員」とか「最低限のことしかしないやる気なし職員」とか「手は動かさないけど口だけはよく動く職員」なんかはほとんど遭遇しておらず、同業者に比べたらマシな仕事人生を歩んでいる。
過去には外部組織への出向も経験したし、少なくとも「外に見せることのできないどうしようもない職員」という判断はされていない模様。
外部出向もそうだし、近年ではコロナ対応という世界の最前線の一部に立っていたので、世間一般がイメージする公務員的な仕事は実はそんなにやっておらず、割と楽しく仕事をしている。まあ月100時間超の残業もあったし、独身でアラサーという使いやすい人事だったんだろうな、とは思う。
ただ、サラリーマンの宿命だけど、どこまでいっても組織の名前で仕事をしているなあと感じる。テレビに出るような芸能人じゃなくても、YouTuberやVTuber、ツイッターやpixivには激ウマイラストが溢れていて絵で飯を食べている人も15年前よりはるかに可視化されている。
一国一城の主というものには、人間誰しも1回くらいは憧れるよな。全部の責任が自分自身に乗っかかってくるというのは、それはそれでプレッシャーだろうけど。
そういった特筆した才能を磨いて、そして花開く人生だったら…と思うよ。
今後の仕事人生を考えると、氷河期世代に採用を絞りまくったツケを払う段階に来ているので、今の30代は中間管理職の仕事を間近で見る機会もなく中間管理職という立ち位置に放り込まれるのは確実となっている。
わずかばかりの管理職手当とともに残業代が出なくなるのもそう遠くない未来だと思う。
そんな中間管理職になったときにどうやってモチベーションを保っていこうか。
趣味といってもイラストや漫画を描いたり、小説を書いたり、音楽を作ったり演奏したりと、どちらかといえば消費よりは生産寄りの「物事を作るタイプ」の趣味の話である。
仕事の面でも少し触れたが、ネットの発達とともに、これらのものを生業としている人がどんどん可視化されてきた。
かけている時間がそもそも違うのだから比べることもおこがましいが、自分は可処分時間をふんだんに使って何かを作っても、見てくれるのは一部の人(主に面識のあるリアル知り合い)が中心で、広がりがない。
10年くらい投稿を続けていてもそんなものである。まあそもそも投稿数が少ないのが一番の原因だが。
コミケほどじゃないけど小規模な即売会に出したこともある。だがそこで見るのは、ひっきりなしに人が来るサークルと、知り合い数人しか来ない自分のサークルの歴然たる差だけであった。
たらればの話になるが、創作の方に力を入れていれば自分も"あっち側"に立っていたのだろうか。今となってはわからない。少なくとも今は”こっち側”なのだ。
練習してもしても思うように上達しない毎日に苦しみながら、それでも続けていくと思う。
クォーターライフクライシスの大部分はここが占めていると思う。
世の中的には生涯未婚率が男性で3割近く、女性で2割近くになってきており、30代でも未婚率は男性で40~50%、女性で30~40%くらいだろうか。
半数は切っているけど、マイノリティというほどではない。
結局人は自分が置かれた環境でどの位置にいるのかを気にするのである。
職場における30代の婚姻率はゆうに8割を超えており、自組織にいたときも出向先にいたときもそれはさほど変わらなかった。
そういった面から見れば、所詮自分は下位2割の弱者男性なのである。
20代のときに3人くらいと付き合ったけど、結婚には至らなかった。結局そういうことなんだろうなと思う。
同世代の人はたいてい結婚しているし、中には子どもが2人や3人いる人もいる。
高校の部活仲間とは卒業後も仲良くしているのだが、十数人いた同級生も未婚者はついぞ2人まで減ってしまった。
手っ取り早いのは、婚活して苦労しながら伴侶を探すことなんだろうなとは思っている。
だけどそれはつまり、多くの人に「あなたとは一緒にいる気にはならない」という烙印を押され続けることと同義である。就活のときに散々いろんな企業に落とされお祈りされ、人格まで否定されたような気持ちになったあの日々のことを思い出すと、足を踏み出せない。
昔は「自然発生的に仲良くなった人と一緒になるんだろうな」なんて思っていたけど、それはファンタジーの世界であって、現実ではなかった。
結婚というのは、タイミングはあるにせよ、仕事や利害関係を抜きにして「この人となら一緒にいてもいい」とお互いが思えることだと考えている。
仕事という仮面があれば大抵どんな人ともコミュニケーションを取ることができるけど、一度その仮面を剥がすと、"選ばれてこなかった"これまでの人生がずっと続くんじゃないかと暗澹たる気持ちになってくる。
とまあ、今感じているクォーターライフクライシスの原因をつらつらと書いてきた。
結局はどこで自分が自分の人生に折り合いをつけるかなんだろうな。
まだまだ数年単位でかかりそうだ。それまではあがき続けよう。
ラムニットジャケット、ステンカラーコート、コーデュロイワイドパンツ。どれも使いやすそうで嬉しい。
YouTuberの動画見ても大体同じものを勧めてるんで自分の審美眼は間違っていないなと思ったりもする。
夏場は大体ユニクロかGUのTシャツで出勤してるし、冬場に綺麗めな格好をしたい時はPLSTで1万ちょい出せばジャケットが手に入る。
ユニクロとPLSTはトレンド的には保守的だけど、GUはわりとトレンドライクなものが多いのでバランスが取りやすい。
着てるのは大体7通りくらいの着こなしで、何かが気に入らなくなったり新しいよさげなものが出たら順次入れ替えていっている。
もちろんあらゆるものをユニクロで買えるわけじゃないけど、靴とか鞄とかをのぞけば、服はユニクロ率100%で回せている。
これでも人よりおしゃれ感度は高めだと自負してるけど、他のブランドに浮気をしたことはここ5年くらい無い。
ハイブランドとか凄く高いけどあれはどういう人が着るものなんだろう。
店員さんの目があるブランドは難易度が高過ぎて俺には無理だと思いつつ、そういうアクの強い服も気にはなってる。
けども、ユニクロのサイクルの吸引力が強すぎる。
女性youtuberがムカムカするから医者に行ったらピロリ菌で胃炎だったとか言ってた。
youtuberがピロリ菌は胃癌のリスクが上昇する怖い菌だからしっかり治療するみたいなことを言ってたけど、一旦上昇称した胃癌のリスクは、ピロリ菌を駆除しても元には戻らない。
陰謀論はバカバカしいが、その陰謀論の構造をシステムとして考えると意外と練られている。
少なくとも陰謀論の発信者はバカではない。孤立したデジタル音痴すぎる高齢者が何を求めているかをよく知っている。
この構造はどこかで見たことがないだろうか。YouTuberであり、VTuberであり、キャバクラであり、風俗であり、ホストであり、女風であり、P活であり、アイドルであり、宗教であり、ミソジニーであり、ミサンドリーであり、アニオタであり、鉄オタであり、ネットワークビジネスであり、マルチであり、投資詐欺である。
息子より、娘より、独身なら自分たちよりも若い人が、自分たちの身を案じてくれているわけだ。
陰謀論の真偽など、フェイクニュースの真偽など、はっきり言ってどうでもいい。そんなことよりも、我が身を案じてくれている親身な人がいるというのが重要なのだ。
陰謀論を作る側も、楽なのだ。作ったら楽して稼げる。騙す側も騙される側もロジックは同じだ。
楽したい。それだけだ。だってずっと耐えてきたんだし。そういう感じだ。なんで自分ばっかり。自分ばっかり。自分ばっかり。そう思ってる人で溢れてる。
しょーもないよ。ほんとに。
老親は、はっきり言って頼りにならない。今の世の中の仕組みがわかっておらず、ついていけない。何をしてもどこに行っても馬鹿にされる。
肝心の息子や娘は忙しい。かまっていられない。子がいない者は、もともと孤独だ。
趣味がある者はいいが、ない者はインターネットでも始める。インターネット初心者の者も多い。
真偽など重要ではない。それよりも自分たちの精神的快楽を求めてさまよう。タップしてタップしていたら、強いマーケティングによって簡単に誘導される。
歳をとっていなくてもマーケティングに誘導されることもあるのに、デジタル音痴で思考の洞察の癖のない老人などひとたまりもない。
陰謀論の真の問題は、ある陰謀論のシステムの制御者が過剰に攻撃的なことだ。
これは他の精神的支柱をもつシステムにはあまり見られない。無論見られることもあるが。
みな、わけのわからない思想を持った組織がいるところまでは許容できる。しかしその組織が自分たちに攻撃してくるので問題とするのである。
ここの線引きを制御者にわきまえさせるべきである。まあそこまでは許すけど、それ以上やったらわかってんな?と。
ディープステートはCGで「ドラゴンが実際に実在する」などとして、ファニーな動画作りに勤しむのはどうだろう。
カウンターとして我々全員ディープステート構成員だとするのもありかもしれない。明確に「あなたはディープステート構成員じゃないから拒否する。いくらお金を持っていても」とすればいい。
まあジョークだが、精神的支柱を求めて逃げ込んでいる奴らが別に陰謀論者だけじゃなくて多いなと感じている。
希望増やせよお前ら。
筋トレを始めたきっかけは35歳を過ぎたあたりからTシャツがなんとなく似合わなくなってきたこと。
と言っても運動習慣のない中年男性としては標準的な体型だろう。体脂肪率20%、筋肉がないのに脂肪がついてちょっと浮いた胸、布一枚では隠しきれない腰回りの肉、姿勢が悪く丸まった背中。
そういえばいつ頃からか夏にTシャツ1枚で出掛けなくなった気がする。
Tシャツみたいに自由な私と斉藤由貴も歌っていた通り、体型を気にしてTシャツを着れないなんて自由じゃない。
俺は筋トレを始めることにした。
寝室を潰して家トレ部屋に。
ダンベル、可変式ベンチ、懸垂スタンドを買い揃えた。ダンベルははじめ片側20kgだったがしばらくして不足になり32kgの可変式に買い替えた。
ジムは過去に1度挫折している。当時はジム通いの目的が漠然としており、マッチョ達の住むフリーウェイトエリアに足を踏み入れることもなかった。
なので今回は筋トレの敷居を徹底的に下げ、帰宅したら5秒で懸垂ができる環境を整えた。
文献や筋肉系YouTuberを参考にトレーニングメニューを組み立て、一度に多くの筋肉を鍛えられる多関節種目を中心に週4回〜5回の頻度で実施。katochan33は裏切らない。
トレーニング時間は平均すると1時間程度。時間がとれない日はメイン種目だけ数セット行うなどして、なるべくトレーニングの間隔を空けずに継続することを心がけた。
初心者の発達は目覚ましく、動作の習得と神経系の発達によって挙上重量はどんどん伸びていった。
身体の変化については3ヶ月でちょっと変わったような気がする、半年で明らかな改善が感じられ、1年経った頃には周囲に変わったねと言及されるようになった。
久しぶりにジャケットを着たら肩周りが窮屈で着れなくなっていて悲しくも嬉しい気持ちになったりした。BEAM Fで15万かけて作ったスーツが駄目になった。
仕事が忙しくて1週間空いたり、無理をして肩を痛めたり、新型コロナ罹患後に調子が戻らなくて2ヶ月ほど空いてしまったような事もあったが、幸いにもその都度仕切り直すことが出来て現在に至る。
家トレが1年半続いた頃、32kgのダンベルでは重量に不足を感じる部位がちらほら出てきた。
特に脚トレは自宅の設備だけでは運動強度を漸進的に上げていくことが難しく行き詰まりを感じ始めた。
他の部位においても高重量を扱う局面の必要性を感じる事が多くなり、またモビリティ向上のためのエクササイズや期分けした体重の増減量も取り入れ始めた。
そう、自分は(一般的に見れば)ガチ勢に片脚を突っ込み始めていた。俺はジムに入会した。
家トレ時代と変わらず週に4〜5日のペースでジムに通っている。
Tシャツの似合う身体になるという当座の目標はとうに達成したので、とりあえずの目標として具体的な数字を定めた。スクワットで言うと体重の2倍、現在の体重が75kgなので150kgの重りを担いでしゃがんで立ち上がること。
たまに「そんなに頑張ってボディビルダーにでもなるの?」というような向きのことを聞かれるが、その質問には「山登りが好きな人に登山家になるのかと聞かないでしょ」と返している。
実際のところ自分でもよく分からないのだ。趣味かと聞かれると違うような気がする。確かに熱意を持って取り組んではいるのだが。
筋トレは終わりがないが故に山頂を自分で定めなければいけないのだけど、幸いジムには自分よりはるかに高い場所でトレーニングしているマッチョがゴロゴロいる。あいつらはみな謙虚で優しく、でも着実に自分の山を登っている。
(トレーニー目線で見れば)初心者を脱した程度のレベルに過ぎない自分でもここまで来れたのだから、もうちょっと先の景色を見てみたい。いまのモチベーションはこの程度。
とりとめのない文章を打ち込んでいるうちに深夜1時を過ぎてしまった。明日は胸の日だ。
明日クリアしたい種目・重量・回数は頭の中にあるのだが、まあキツいだろうな。疲労も溜まってる。でもそれの繰り返しでここまで来たのだから明日も挑んでみるか。
俺の現状はこんな感じだ。ここまで読んでくれた皆さんありがとう。もし興味があればまずは腕立て伏せから始めてみるといいよ。皆その繰り返しでマッチョになるのだからね!
Roninとっくにクリアしてるのに感想文まだだったなぁ(´・ω・`) なんやかんや100時間以上やりましたわ
Rise of the Ronin 感想(1日目)
https://anond.hatelabo.jp/20240324192714#
Rise of the Ronin 感想(2〜3日目)
そしてキッズの頃に100時間たぶんやったロマサガ2のフルリメイク、リベンジオブザセブン(体験版)の感想ですのよ
(なお、サガフロがいちばん好きです。アセルスで冒険に出ないでいきなりBOSSに挑んだぜ)
他の箱とかでは見たことないんだけど
元々アドリブ力はあった
根底にあるのがアイドルじゃなくてYoutuberとか生主の文脈なんだよね
そういうのはマイクラ、ARK、Among Usなんかでも発揮されていた
適当にカップリングしてみたり、かと思えば罵ってみたり、嘘をついてみたり、演技してみたり
真面目さと悪ふざけを上手く発揮できる人が多かった
あるいは、そうしていい雰囲気があった
真面目でも許されるし悪ふざけしても許されるみたいな空気感
花火を打ち上げてエモくしてもいいし、それをぶち壊しても良いみたいな
真面目に犯罪者を取り締まってもいいし、半裸で街を練り歩いてもいいみたいな
特にGTAはアウトローが前提であるので、先輩にも殴りかかれる雰囲気があった
でもそういう行為を一歩引いてみると普段とのギャップで面白くなる
裏なのか表なのか、演技なのか素なのか、本気なのか何なのか分からないメンバーがいて面白くした
演技しながら急に素に戻ってツッコミするみたいな
ごっこ遊びのくすぐったさというか、TRPGの馴れ合い感というか、そういうのがあった
片方は演技してるのにもう片方がひたすら爆笑してるみたいな
元々のカップリングがあって、それを発展させて昼ドラ展開ができるようになった
女子だけのグループだから冗談で済む空気があって非常によかった
全員が詳しいと視聴者がついていけないし、全員が初心者だと話が進まない
経験者、調べた人、練習した人、慣れてきた人、完全な初心者の割合がちょうどよかった
各陣営をクロスさせるきっかけになったし、記者を警察が問い詰めるような流れもできた
証拠もツイックスに上げられたし
エロ、ギャンブル、キャバクラ、ぼったくり、ホロが面白くなる武器が詰まってた
ゲーム内で
人数が足りない問題があったが、正直ちょうどいいと思った
「ゲームが上手く進行する人数」と「エンタメが上手く転がる人数」は違う
漫画や映画だと考えるともっと少なくてもいいくらい、ゲームの進行は難しくなるけど
期間もちょうどよかったと思う、7日を超えると絶対疲れる
面白いポイントがGTAと関係ない当たりでも発生しているからね、有吉の壁みたいなもんだよ
今後期待すること
・第二弾
・GTA6
正直言うことない
Virtualの誤訳である「仮想」はもうそろそろ言い換えるべきである。
声を大にして言いたい。
俺はもう事実上と言っていく。仮想記憶のことも「事実上記憶」もしくは「バーチャルメモリー」と言っていく。仮想記憶とは死んでも言わん。
仮想は「事実でないことを仮にそう考えること。仮定しての想像」という意味である。
反実仮想とは「事実に反することを想定し、仮に想像すること」という意味だ。
「仮想」という言葉はVirtualの意味の真逆であるということ。
Virtualの意味の本質は「実際そう考えること」「事実上そうだと考えること」であり「ほとんど事実(厳密には違うけどね)」である。
たとえば「いつも私ばかり家事しててこれじゃ私家政婦みたいじゃん」というとき、これは「Virtual 家政婦」と表現できる。
「鼻毛出てますよ」「え?! いやこれは鼻毛ではないんですよ。なんか黒い染みが鼻についてて…でも鼻毛出てるみたいに見えますね」というとき、これは「Virtual 鼻毛」である。仮想鼻毛ではない。
「Xって最近もうほとんど2chと変わらないですよね」というとき、Xは「Virtual 2ch」である。
Virtualを仮想と翻訳しはじめた当人ですら、誤訳であると間違いを認めている。
時代ゆえ仕方なかったと思うが、それでも擁護できないほど酷い。真逆だからだ。
yellowgreenを「赤紫」と訳したぐらい酷い。それが今も続いているんだ。
俺たちは黄色と緑色の中間色のことを「赤紫」と呼ばされているようなものだ。
これについて「それで慣れてるからしょうがない」と言う人間もいるようだが、耐えられている人間は感性がおかしい。
こどものころ「バーチャルな世界で遊んでけしからん」と親に言われたことがある。
自分はそのとき「親は、バーチャルな世界のことを空想だと思っている?」と強く感じた。
親は、ICTに詳しいわけではなかった。だが、バーチャルという言葉は知っていたし、仮想という言葉も知っていた。
バーチャルがよくわからん者にとっては、バーチャルはけしからんものなのだ。
「なんでもかんでもバーチャルって。遊びじゃねえんだぞ!現実見ろよ!」という話である。
Virtualは仮想じゃない。だが「架空」の意味で使われていることがあまりにも多い。
そして今後もどんどんVirtualが増えていくはずだ。英語圏で新しいVirtualのものが出るたびに、日本では架空になっていく。
VRだって空想じゃないのに「架空現実」の意味で考えられている。
違う。「事実上の現実」「実質現実」「本質現実」「ほぼ現実」のことである。
でもVRに来るやつは幻想を求めていそうだ。Vtuberもそうだな。幻想を求めている。
どう考えたって「事実上YouTuber」「本質YouTuber」じゃない。あれは麻薬方面に近い思考を感じる。
「幻想YouTuber」「架空YouTuber」だ。架空のキャラのようなものだ。あんな人間は現実には存在しない。
Virtualが「虚」のものだと思われている。
すべてが虚の上に乗っていると。
虚ではない。事実上である。「物理世界はそっちなんだが、事実上こっちが本質だよ」である。
真に仮想なのは自分の目で見えるものだけがすべてだと思っている人間の頭だよ。
名前変えたぐらいで変わるわけないと思っている人間も多いと思う。
だが変わる。
「幻想バーチャル」「荒唐無稽バーチャル」「非現実的バーチャル」
「あてずっぽうバーチャル」「推測バーチャル」「憶測バーチャル」「幽霊バーチャル」
「夢幻バーチャル」「錯覚バーチャル」「事実と違うバーチャル」「空虚バーチャル」なのだ。
だが言い換えたあとは違う。
「実際バーチャル」「事実上バーチャル」「実質バーチャル」「真バーチャル」
「理論バーチャル」「実態バーチャル」「現実バーチャル」になる。
今後はVirtualなものが増えていくんだ。
今後はNon-Virtualなものについて仮想って言いまくってミーム汚染してやる。
仮想社会のバーチャルバカ(仮想一般人)たちを混乱させていくぜ。
考え方としては、今まで無標だったものにはすべて仮想とつけていい。仮想ってついていたものはVirtual(=事実上)な。
今後Virtualを仮想って言ったやつのことも、バーチャル仮想人って呼ぶ。
そもそも仮想じゃないんだよ。仮想という語をどれだけVirtualに合わせても「仮」という漢字と「想」という漢字が強すぎる。
「yellowgreenはもう赤紫って呼んでるんだから現実見ろよ。yellowgreenは赤紫ね」って言われて「えーーー???いや黄緑やん???!」って思わない?
あなたはyellowgreenを黄緑だと理解しているからいいかもしれないですけどね、赤紫だと思ってしまっている人たちが大勢いるんですよ!!意図的に色弱の人を作り出してる状態ですね。事実上ね。
Virtualは仮じゃないし想像でもない。
それならば「事考」の方が正確。「事考記憶」「事考通貨」「事考水」「事考機械」「事考サーバー」のなんと正確なことか。
言葉は、最初にパッと見たときの印象が重要だと思う。とくに辞書を引かない人や言葉の意味を深堀りしない人にとってはますますそうだ。
たとえば「類似」「レプリカ」「再現」にはネガティブなイメージは少ない。だが「似非」「擬い物」「贋作」「模造品」は「偽物」の意味が強くなる。
仮想をVirtualの意味で使っていこうというのは、「贋作」を「レプリカ」のように使っていこうという主張だ。
だが漢字は強すぎる。どれだけ自分の中でわかっていたとしても、その漢字の主張から逃れることは難しい。
「じゃあ新しい博物館には贋作を作りましょう」と言われたときにすごく嫌な感じを受けないだろうか。そのぐらい漢字は強い。
ブコメ見たけど、仮想の意味を正しく使っている人でも「事実はそうじゃないけど、実際そう考えることができること」という理解の人が多いと思う。
これは日本語・英語の問題もあると思うけど、厳密にはこれは違う。バーチャルには正しいが。
「仮想」をそう捉えている人は、バーチャルをバーチャルに理解していると言ってもいいだろう。だが厳密には理解していないはずだ。
「実際そう考えることができること(まあ細かくいうと現実や事実はちょっと違うんだけど)」というのがより正しい。
単なる語順の問題のように見えるが、いうならば存在の順番が違うということ。存在感が全然違う。
「任意の整数xが存在してそのxは範囲が2から10」であって、「範囲が2から10であるような任意の整数xが存在する」わけではないのと似ている。「範囲」や「2から10」や「整数」はxより先に存在できない。
「事実はそうじゃないけど」が先に来るともうあとは何言っても夢になる。「ふーん。事実はそうじゃないんだ。この話終わりね」のような感触だ。
「違うけど、そういうふうに考えることもできる」じゃないんだよ。「違わない」んだよ!!!違うけど。
関西弁の「知らんけど」に近い考えでいてほしい。