はてなキーワード: 搾取とは
女性が男性を接待してる水商売では、従業員の女性が「性的搾取されてる」と被害者として同情されて、
逆に男性が女性を接待してる水商売では、客の女性が「金銭を搾取されてる」と被害者として同情されるのね。
とにかく男が悪い、女は可哀想と。
「例えば、二次元少女が過度に露出する広告を批判するなら、同時に二次元少年が過度に露出する広告もおかしいと批判した方がいい。」
なんでフェミニストがそこまでやらなきゃならないの?
このポスターがそんな不快だと思うなら不快に思う人達が「近畿2府4県鉄道警察隊に対して」抗議すればよろしい。
でも実際にはよく引き合いに出されるananの表紙と同様、あくまでもフェミニストに対する当て擦りしかしないんだよね。
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/sodan/sodan/1/13360.html
ていうか見る限り、このコラボポスターで性的に取れなくもない要素があるのは右端の一枚だけだし
それだってフェミニストから性的搾取の要素として常々指摘される、恥じらいや無防備等の要素がゼロなんだよね。
単に肌面積の露出のみで判断してエロいかどうかを機械的に決めてるならそうなるんだろうけれど
でもほんとはそうじゃないってちゃんと分かってるんでしょ?
右端のポスターはTHE 虎牙道っていう元格闘家のグループらしいし、この程度の露出は経歴に合っていて自然ともいえる。
まあ、このポスターが二次元の少年の性的表現だと本気で思っているなら近畿2府4県鉄道警察隊に抗議したらいいよ、別に止めないから。
でもどうせしないんだろうね?アンチフェミの目的はフェミニストに難癖をつける事にあるのであって二次元の少年の表現を本気で問題だと思っている訳でも何でもないし、何よりも警察のような公権力への批判は怖いから。
なんかこういう体験談で「優しくされてこなかったからやさしさと気付かない」とかいうけど
実際にそういう人たち見ると、「優しさを感じる満腹中枢がイカれてる」だけなんじゃないかと思うことあるな
そういう層の人たちって周りから見るとめちゃめちゃ愛されてるのよ。
そういう人たち、幼児の時から何かされたりしても自分は優しさを与えようとせずに、
自分が不快だったり他人が優しくされてると逆にそれを奪おうとするんよな。一種のサイコパス。
だから親とか周囲も無力感感じで、それに感化されたり、もともとそういう人が親だったりして
そこのコミュニティだけ荒んでいく。
すごく学生時代からひいきされて、周囲からも蝶よ花よとちやほやされてきた人が、後から記憶を振り返ると自分がされたこととか嫌だったことしか記憶してない、よくあることだったりする。
まぁ何が言いたいかって言うと、今現代優しくされなかったかわいそうな荒んでる子なんてほぼいないよ、ということ。
虐待され続けてる人でも他人からの優しさを気付ける人は腐るほどいるし。
逆に虐待経験者でも、いくら搾取されてもニコニコ顔で周りに優しさを与えてボロボロになっていくやつもおるし、。
結局は才能だと思うわ。
臓器移植のために育てられた人間の子どもから大人になるまでの記憶を綴る。
確かに美しい小説だ。子供から大人になるにつれて、見える世界は広がっていく。たとえそれがどれほど酷なものであろうとも、子供たちはそれを受け入れねばならない。語り手は振り返り、ひとつの出来事を大切に手の中で壊れやすい卵を計るように並べている。
読者も少しずつ、まるで語り手と一緒に育っていったかのように、事の真相を知らされていく。細やかな、性格を端的に示すエピソードをミルフィーユのように繊細に重ね、誰もが持つ幼いころの記憶を登場人物とシンクロさせる手際は見事と言っていい。主役三人の性格の違いとそれによっておこる対立の見事さは、この小説をSFというよりも性格劇に分類したくなるほどだ。夢中になってはまる本とは違うけれど、読む価値はとてもある。
しかしながら、感情の描写や文章のリズムがうますぎるあまり、根幹のSF的設定が、ふと荒っぽい夾雑物にまで見えてきてしまう瞬間がないでもない。細密な建造物を支える、太すぎる柱にたとえればいいのだろうか。
そもそも臓器移植のためだったら、人間を育てるんじゃなくて臓器だけ培養すればいい。
どうも舞台となっている世界の技術水準や、テクノロジーが社会に与えるインパクトの細部の詰め方が幾分甘い。
かつて仕えた主人が第二次世界大戦中に対独協力者で、それを理由に戦後に没落したため、その屋敷を買った米国人に仕えることになった執事の話だ。カズオ・イシグロの本領である、決定的な本音や事実を意図的にあるいは無意識に隠したまま語り続ける居心地の悪さ、気持ちの悪さがいかんなく発揮されている。
熟読すると面白いが、何があったかは作中では基本的には明確に語られているのもいい。
かつてはほのかな思いを寄せていた同僚であった女中頭からも、今となっては過去の人とみなされており、最後に自分の人生って何だったんだという悔恨にさいなまれるシーンは最高だ。
かつての美しいイギリスの風土と、失われた執事の美徳/悪徳について。感情に蓋をしがちで、行動原理が自分の「したいこと」ではなく「なさなければならないこと」になっているひとにおすすめしたい。面白かったので英国のメイドや執事の本を何冊か読んだ。
長崎出身で現在はイギリスの片田舎に住む悦子(語り手)の所へ娘のニキがロンドンから訪ねてくるところから始まる。ニキが言及する悦子の生涯を、ニキからのまた聞きや、写真の印象だけから詩にしようとする詩人が出てくるのだけれども、なんだか作者自身が創作する自分のことを批判的に見ている姿が透けてみえる。全体として、シングルマザーとしての苦しみが複数語られている。
これは褒め言葉としていうのだけれど、読んでいてずっと不穏な感覚をぬぐうことができず、いいようのない気持ちの悪さがある。たぶんその正体は登場人物の会話が互いの自己主張に終わっていて、基本的に相手の話を全然聞いていないところにあるのだろう。会話の形をしているのに、対話になっていない。むしろ並行する独白だ。映画の脚本のお手本的でもある。
最初のうちは、この違和感は終戦直後の日本人ならこんなあからさまな会話なんてしないだろうからにも思われた。しかし、明治の文豪の名作だって、会話が人工的であることも少なくはない。ただ、この作品ほどのひどい噛み合わなさはまれな気がする。少なくともあちらでは噛み合わせようという努力はしている。
台詞で説明したり議論したりする手法は、大抵は粗削りというか不器用な印象を与えるので好まないのだが、この場合コミュニケーション不全というか、相互理解の失敗の雰囲気をよく伝えていて、効果的だった。
情けないかつての画家の話。老いて第一線を退いた後も、自分はまだ影響力があると思いこんではいたが、世間は自分の存在などすっかり忘れている。自分のしてきたことなど、大したことではなかったのではないか、それどころか完全な誤りだったのでは。歴史によってそう裁かれることに怯えている。老人にとって、今までのお前の人生は何だったのか、と問うことほど残酷なことはあるまい。
そのくせ、隠しようのない自己満足と防衛がどこまでも続いており、かつては地位のあった老人はどこまでのその虚飾から自由になれない。計算したうえでのことかどうかわからないが、この翻訳は日本経済新聞の「私の履歴書」の文体にそっくりだと思ってしまうのは、私のやっかみであろうか。
よく、入り組んだ官僚機構をカフカ的というけれども、どっちかといえばこの作品みたいなのがカフカ的な気がする。過去というか記憶が曖昧で、自分がそもそも何をしたいのかわからず、その場の判断だけで物語全体が動いており、映画なんかでは必須の究極の目的・ゴールも曖昧だ。「夜想曲集」所収の旅する芸術家のあるある話がベースになった作品と同じにおいがする(この短篇集は切り口の優れた良き英国の短編集といった趣だ)。
すべての事件が宙ぶらりんのままにされて進み、星新一のショートショートでその場限りの対応しかしない軽薄な男を主役としたこんな作品があった覚えがあったことを思い出したが、読んだときにはどうしてもタイトルが思い出せなかった。それは結局「未来いそっぷ」に収録された「熱中」であるとわかるんだが、一番満たされていないのはきっと読者だ。
カズオ・イシグロのテーマのひとつ、コミュニケーション不全が前面に出ているだけでなく、筒井康隆「虚人たち」を思わせるような、自分が何者であるかわかっていないのにさほど気にしていない空疎さがあり、何かを風刺しただけではないのだろうが、それはまだ読み取れず。
奇妙だ。自分と他人の記憶の壁が溶けて無くなってしまったみたいな語りであり、語り手は身内だと感じるとちょっとしたことですぐに激昂したりすすり泣いたりして、いったいどういう人物なのかとらえどころがない。すべてが宙づりで半端なまま物語が終わる。語り手はどの街を訪れても、延々と同じことを繰り返すのだろうか。
両親に置いていかれたのはなぜか、そして母はどこに行ったのか。著者の中では一番残酷な話かもしれない。物理的な暴力よりもその結末が。地獄の寝取らせ小説であり、真理に近づこうとして全員が不幸になる。それでも、なお、愛そうと試みたし、愛されてはいたのだ。
息子が親父と同じ道ならぬ愛という過ちを犯しかけるのは残酷なユーモアがあふれているようでいて、ある種の試練であったのだろう。試練に打ち勝ったからと言って直接幸福になるわけではないのが皮肉でいい。
【追記】目の前に日本軍軍艦が停泊してるのにのんきにパーティーしている租界の人々って嫌なリアリティがあった。
忘却がテーマだが、P・K・ディックのようにアイデンティティが曖昧になっていく離人感よりも倫理的な面を問うているようだ。つまり戦争責任とか政治的で意図的な隠蔽とか。
国家が組織的に目を背ける行為と、個人がつらい過去を忘れることによって救われることの両方が描かれている。ファンタジーもある程度は書けるのがすごい一方で、見たくないものを見ようとしない描写や、自分のことばかりで会話が成り立たない場面は健在。
ファンタジーにしては「危険度」とか「スタミナ」の訳文がちょっと軽いかなとも思ったけれども(別に嫌だと感じるレベルではない)、これは現代の日本語としては普通に受け入れられてるのかな。
あと、サクソン人の穴を掘った(ホビットみたいな)家の描写があるんだけれど、これって実際にそうだったのかな? サクソン人の家とググっても出てこなかった。
ちなみにル・グインはこの作品を好まないらしく、ウィキペディアには両者の対話が引用されている。
彼のしようとしたことには敬意を払いますが、私には効き目がありませんでした。うまくいくはずがありません。どの作家も文学のジャンルの表層だけをうまく使えません。その深みはなおさらです。そのジャンルと同一化することを恐れるほど軽蔑している限りは。読んでいて痛ましく感じられました。まるで、高いロープから落下しながら聴衆にこんな風に叫んでいるみたいでした。「私は綱渡り芸人と呼んでもらえるのかな?」と。
ル・グインには私の本が好きか嫌いかを決める資格がありますが、私に関する限りは誤ったほうの肩を持っているようです。私は(註:作中では不可解で不気味な存在として現れた)妖精や竜の側に立っています。
イシグロ氏のご意見をうかがえてうれしく思います。同氏の「私の作品はファンタジーだと人々は思うでしょうか?」という質問に対する、私の明らかな早急な返答に傷つけるような内容があったことをお詫びします。
人工知能が太陽光に病気を回復させる効果があると思い込むことで起きる珍妙な話だ。
どう考えても不合理で奇妙な信念に従い、偶然によって祈りが叶えられる話で、しかも最後はただゴミ捨て場で朽ちていく。これは無神論者による宗教のパロディではないか? と勘ぐってしまう。無神論者からすれば、いかなるかたちであれ神を信じる人々は、誤った信念にすがり、存在しない相手に効果のない祈りをささげる哀れな人々だ。
カズオ・イシグロのSFは、SFが主食の人間からすると、不合理か古い知識に基づくように感じられる設定が多く感動すべきシーンもそこが気になってしまう。
たとえば、明らかに危険な能力向上処置を子どもにするような社会は、現代から相当な価値観の変遷があったはずだし、かなりの時間を経ていないと起こりえないだろうが、長い時間経過に伴うテクノロジーの発達については述べられていない。スマホさえ出てこない。
カズオ・イシグロのSF設定がときどきザルなのは、リアリティのレベルを小説よりSF風の映画・テレビドラマくらいにまで下げていて(下手をすれば寓話の絵本レベルまで)、それは脚本家でもあったからなんじゃないかって考えたんだけど、そこまでたくさん脚本を書いていたかまではわからなかった。
確かに技術的細部に立ち入らないので古くなりにくい一方で、そこが物足りなく感じられる。新しい技術だけをポンと現代に放り込んだ感じで、今と地続きな感じがして生活感があるのはいいけれど、技術によって完全に変容してしまった人類の心性がもっと欲しいと感じる。未来を描く意味はそこにあるんじゃないだろうか。
だいたい、フレーム問題未解決というか一般常識のインストールされてないスタンドアローンの親友ロボットなんて危険すぎるだろう。誰もアップデートされないスマホなんて使っていない。SFはどこまでリアリティのある技術を出すべきかという問題もないではないが、短編ならともかく長編でこのネタをこれをやるのは、平均的理系の知識を持つ読者にとってはかなりしんどい。
以上。読んだ順。
私が好きなのはカズオ・イシグロではなく「日の名残り」だった。
「わたしを離さないで」だけ既読、似た感想。この小説はSFというより寓話に近いと思う(増田も書いてた)。ドナー人権周りの描写も臓器を貰う側の葛藤も削ぎ落とし、搾取される者の命の輝きのみに焦点を絞ってる感じ
アカデミアでよく批判される「論文書かない大学教授」の一人息子。最後に論文書いたの何年前だ、若手のポストを奪っているとか搾取だとか悪人とか言われて、若手アカデミア界では恨まれている。
ごめんね、それ、全部うちの親のことなんだよね。論文長い間書いてないけど、授業は楽しそうにするんだよね、うちの親。授業カリキュラムみたいなのも楽しそうにやってたし…特に教え方がうまいとも思わないんだけどね。でも、論文書いてないから、うちの親がどれだけ恨まれているかわからん…
実際、うちの親を恨んでいる人たちの分野に進むのはさすがに怖いから、親と全然違う分野を志望して博士号取って大学教員やっているけど、博士課程の間は罪悪感半端なかった。博士課程の学費は親に全部出させた。
今は贖罪だと思ってめっちゃ論文書いてる。正月から論文書いてるよ。親世代が背負った罪を償うのが自分の使命だと思っている。今のポストにたどり着くまでに、結構、自腹を切らないといけないことも多かったな…大学教員っていうのはさ、教授の子が論文書いて贖罪するための職でもあるんだと思うよ。劣悪環境を自分に社会から与えられた罰、親世代が社会から搾取した罰を世代を超えて受けているんだと思うことで、劣悪環境でも人並外れてモチベーションを保つことができ、それで業績上げたり形だけでも授業がやれて大学経営が成り立つのであれば、だれも損していないのではないかと思う。
自分の職業をどう思っても、どういう職業理念で働いても、日本では信教の自由のはず。自分にとって大学教員は親世代が作った罪を償うための職なんだよ。自分みたいな業(カルマ)を背負って生まれてきていない人は、大学教員になんてなる必要ないよ。企業に行けばいいと思う。これからも、罪を償うために自腹を切って研究を進めていきますよ。
こういう親類なので
義理親の介護で妻が精神疾患になったら家族からは捨てられるのは目に見えている
このような場合他人に搾取されそうな時に自分を搾取身内から守れる人の方が優秀なので
正しい
「でも私たちは人助けしてるから」は現場にいる人にとっては無敵の論法なんだけど、長く活動してる人はそういうこと言わなくなる
第一の理由は、貧困ビジネスを擁護するロジックとしてよく使われてるから
自力で生活保護を受給できない人たちを集めて、代理で受給までつなげて、支給額の大半を搾取する、みたいなやつ
「それは搾取だ」に対して「でも助かってる人がいる」という言い訳を許してしまうと話がややこしくなるし、変に是々非々にしてスキを見せると反社っぽい連中に食い込まれることがある
完全に金儲けとして貧困ビジネスをやっているようなブラックな組織でなくても、支援者側にもちょっと変な人はちらほらいる
過去のトラウマなのか特定のカテゴリの人に妙に当たりがきつい人とか、内部でパワハラまがいの指導をしてる人とか
もともとおかしい人もいるし、過酷な環境下でちょっとずつ狂っていく人もいる
外部からの「それって、おかしくないですか?」を完全にシャットアウトすると、最後はお互いにとって不幸な結果になる
未だにマスコミの認識は宮崎勤の時代から大して変わって無いし、何かあればすぐ犯罪者扱いされる。
それでも社会に対し一定の働きかけが出来る様になったのは、LGBTと同様、マイノリティにも市民権が与えられる様になった時代の賜物だろう。
一方で女性はその数で言えば圧倒的なマジョリティである。フェミニストもまたマジョリティを自認している。
https://anond.hatelabo.jp/20230102211702
nanamino そもそもそれって言うほど常套句か?擁護側がいちいち大騒ぎするから目立っているだけで、フェミはそんなにその言葉を使ってないと思う。
この人典型的な「フェミニズムにとっての無能な味方」ムーブを懲りずに数年間繰り返してるけど
いいかげん自分が無能な味方だっていう認識を持ってほしいんですよ・・・
この人を見るたびに「もうお前黙ってろよ」って思っちゃう。
https://anond.hatelabo.jp/20230103171422
私のことをアンチフェミニストだと思って攻撃してくる人がいて笑う。
私は♀でフェミニストです、、、
あなたのようなアタマノワルイヒトが、自分がフェミニストを守ってるみたいに勘違いして今日も足を引っ張ってるんだろうな、、、
共産主義自体が資本家の勃興の中で埋没する下級貴族が巻き返すための新たな搾取システムとして考案されたモノだし
結局この記事って、実際の被害女性のことを良く知っていながら、あいつらは屑だからこれくらいしても許されるだろって思わせるための、業界人による成りすましだよな。
実際に被害女性が屑というより、自分たちがそれを食い物にした屑行為の限りを尽くしてるから、あいつらは屑だからいいんだと自己正当化するために、実情より、より酷く見ようとしてるだけだよね。
んで、男オタ叩きしてくれるコラボを擁護できるからって、それが明らかでも乗っかって中傷に参加する、マジモンのクズのフェミ腐女子。
まあ、ひょっとすると、本当に自分も被害女性だったけど、今は、業界側に入ったから、比重が、そっちに、思いっきり寄ってる。
加えて、自分も過去、被害女性だったという言い訳があるから、同じ被害女性に対して、何をしても、何を言っても、罪悪感を感じにくいのかもね。
エプスタインも、若い女を騙して搾取するために、女のスカウト工作員を使ってたように、女なら、他の女を騙すのに、罪悪感が薄くて、より簡単に悪事に走る。
背後にいる悪いジジイも、部下にやらせることによって、命令したのが自分でも、罪悪感が薄れるんだよね。
爆弾魔とかもそうだけど、あらゆる間接的犯罪は、罪悪感が少なくなるから。
首を絞めるより、刺し殺す方が、敷居が低く、刺殺より、銃殺は、簡単にでき、銃殺より、爆殺はより楽で、爆弾より、毒で殺す方が、手軽に行え、依頼殺人は、殺した実感さえ持たないことが多い。
なんで引用している文献のほぼ100%が英語なのに、論文を英語で書かない人いるんだろう?
普通さ、お世話になったコミュニティ(先行研究を引用させてもらった研究者コミュニティ)に恩返ししたいと思うだろう。そうじゃないとただの一方的な知的搾取でしかないよ。論文って研究者の知的労力の結晶でしょ。
補足すると別に英語じゃなくてもいいんだ。フランス文学やっててフランス語で書かれた文献を引きまくるんなら、論文フランス語で書こうぜ。国文やるなら日本語で論文書けばいいし。自分が引用している論文の著者に自分の論文読んでもらうために言語選択しようぜってこと。言語の壁云々についてはさ、外国語で論文書いたことがない人が外国語で書かれたアカデミックな文献を理解できているとも思えないんだけど(院生とか若手は仕方ないし、むしろこれから頑張れ!と思う)。
まあ、英語(外国語)帝国主義的主張をしたいわけではない。日本語での論文を書くことの意義はあると思う。でも、日本語でしか書かないっていうのはどういう了見なんだ?
てか、日本語論文にきちんとした査読者付くの?研究レベルの話じゃなくて、1億人強ぐらいの話者しかいなかったら、きちんと査読できる人探すのほぼ不可能じゃない?
フェミの常套句である、「性的搾取」「公共型セクハラ」は、全て、統一教会が、BL図書館騒動の時に、表面上の抗議のために使ってた言葉。
しかも、やってたのは統一教会だけだったのに、ネットでは、その騒動事体、「男オタクによる腐女子差別」に、問題がすり替えられ、腐女子どもは、統一教会を全スルーし、男オタ叩きだけに邁進した。
つまり、糞フェミや腐女子は、統一教会に煽られ、統一教会と同じ言葉で、男オタ差別をしてる。
なにが、Colaboと統一教会は違う、だよ。
裏で繋がってたとしても、何一つ不思議じゃねーぞ。
ブコメでは、「統一教会のプロパガンダ」と喚き散らしてる奴がいるけど、逆だろ。
統一教会は、「ホモを広め、ホモへの嫌悪を煽って、その反対者たちの支持を取り付ける。」というマッチポンプを、ずっと行ってきたんだよ。
統一教会が、本当に、ホモに反対してるかのように言ってるこいつらこそ、統一教会の工作員だ。
騙された信者たちは、搾取され、ホモへの嫌悪を掻き立てるためという名目で、ホモをまき散らす工作員になる。
犯罪者がいないと、警察の仕事がなくなるように、彼らにとってホモは、自らの布教に必須の存在だから、ホモは撲滅されるどころか、益々増えるだけ。
連中が、ホモ豚腐女子やフェミを広めるのと、全く同じ熱意で、それを叩いていたら、世論の大半が、同性婚に賛成したり、こんな法案が通るどころか、あっという間に、ホモは撲滅されていただろうに。
実際、2008年のBL図書館の時も、たった三人の自称少数派フェミニストが参戦しただけ、協会を挙げての攻撃が、あっという間に雲散霧消した。
後に残ったのは、フェミは強い、ホモ腐女子には逆らえないという雰囲気だけ。
その後、7年も時を空けて、海女さん萌え絵騒動の時、フェミニストが、それ以来全く使われていなかった、「ゾーニング」「環境型セクハラ」という、統一教会と同じ言葉で、男オタを攻撃し始める。
もちろん統一教会は、過去の雪辱を晴らすどころか、フェミにも腐女子にも一切ノータッチ。
おそらく、裏では、こっそり援助し、煽り、増長させるようなことを、沢山行っていただろう。
連中が、ホモ豚腐女子やフェミを広めるのと、全く同じ熱意で、それを叩いていたら、世論の大半が、同性婚に賛成したり、こんな法案が通るどころか、あっという間に、ホモは撲滅されていただろうに。
ホモを嫌悪する人は、こうやってホモをまき散らす工作員に仕立て上げられ、嫌悪してない人は、どんなに広めたって、普通に受け入れ、それどころか、「ホモは社会的に受けがいい」と思って、益々ホモになるだろうから、そりゃホモは増え続ける。
アンフェが、ただのアンチフェミの略称なら、誰だって、好きでフェミ嫌いになったわけじゃねーだろ。
ただ好きな表現を楽しみたいだけなのに、一方的に攻撃し、国の権力まで使って、弾圧してこようとしてるからでしょ。
ちなみに、フェミの常套句である、「性的搾取」「公共型セクハラ」は、全て、統一教会が、BL図書館騒動の時に、表面上の抗議のために使ってた言葉。
しかも、やってたのは統一教会だけだったのに、ネットでは、その騒動事体、「男オタクによる腐女子差別」に、問題がすり替えられた。
つまり、糞フェミや腐女子は、統一教会に煽られ、統一教会と同じ言葉で、男オタ差別をしてる。
なにが、Colaboと統一教会は違う、だよ。
裏で繋がってたとしても、何一つ不思議じゃねーぞ。
一口に「AIが仕事を奪う」って言ってもイメージに違いがある気がする。
・ドラえもんみたいな人間に近い自律的思考を持ったロボット達が人間に代わり奴隷になって、人々はその生産物を搾取して優雅に暮らす。(テクノロジーの進歩への信頼が無邪気すぎないか)大抵そのロボットやプログラムは誰が所有し、誰が管理しているのかという視点がすっぽり抜け落ちている。
・自律的なプログラム、あるいはそれを搭載したロボットが特定の作業を人間に近い、あるいは人間を超えたクオリティで自律的にこなす。同じ作業を人間がした場合の人件費と作業のクオリティを天秤にかけて、釣り合わければクビになる。高度な価値判断を要する、機械では人間の作業のクオリティを超えられないといった作業は人間が引き続き担い、それにありつけない人々は機械を使うより安く済む(得てして単純、または過酷な)作業に追いやられる。(これは雇われの場合であって、自営の場合はクビになる訳でもないからまた少し話が変わる気がする)
なんにせよ、AIAI騒いでるけど、それ自体がもたらす恩恵と驚異よりも、AIが公共の財産などではなく結局資本家が所有する生産手段である点について、もっと考えて良いんじゃないかと思う。
そもそも「AI」って言葉が一人歩きしてますけど、定義がガバガバすぎないかと思う。「じゃあ今まで使ってきたコンピュータープログラムと何が違うの?」と聞かれて答えられる人は少ない気がする。
発達特性を持つ女性には独特のモテ要素がある一方でDVやハラスメントの被害的立場に陥りやすいというのは、当事者女性をパートナーに持ち、かつ過去に加害経験のある評者(僕)自身も著書に書いてきたが、姫野のヒアリングによって改めてその背景と分類が見えてきた。
まず、特性持ちの女性が男性に魅力的に映るのは、定型のスケールに収まらない価値観や生き方が時に自由で縛られない爽快感や新奇性を感じさせるものだから。さらに定型基準の社会の中で生きづらさを抱えていることが庇護欲をかきたてるという要素もある。けれど、そうしてパートナーになった後に定型男子側が加害者化するのは、定型サイドが「許せる自由」の中に収まってくれなかったり、定型の押し付ける「当たり前」を理解できなかったり、生きづらさから「定型サイドが思うような回復像」のレールに乗ってくれないから。あらゆる定型基準に生きていない彼女らが、恋愛やパートナーシップの形成についても、モラル、ルール、当たり前に収まらないのは当然のことかもしれないのに……。
定型社会からすると規格外だからモテるのに、規格に収まらないから被害を受けるというのも理不尽だが、問題は多くの場合、定型発達者が自分たちの常識を押し付けるハラスメントが、定型基準の世間的には肯定され、一方的に発達障害女子が悪いとされてしまうことだろう。自戒を込めて、これは多様性を受け容れられない定型パートナー側に大きな問題がある。
正しい恋愛がわからない」ことが、いかに支配欲で女性をコントロールしようという男に利用されやすいか、さらに明らかな被害を被害として認識できないことが、いかにその支配を助長するかもまた、リアルに描き出された。本当にそう感じていいのか、そう思っていいのか、常に手探りで進む彼女らは、悪意で搾取しようとする男にとって、かくもチョロい。
「だめんず好き」で切り捨てられてきた発達障害女性たちの心の声を聞け! 鈴木大介さんが読む『ダメ恋やめられる!? 発達障害女子の愛と性』
筆者は芸能界とIT界隈につながりがある一般人。やや芸能界よりでありそちらの情報に偏っていることを留意してほしい。
これまでの流れ
篠田麻里子は若い頃から芸能界におりビジネスなどについては世間知らず
今の旦那と結婚をすると決めた時も交際0日だがIT起業家というものについてよくわかっていなかった。
ベンチャー業界でもほとんど名前を聞くことはなく投資している投資家も有名ではない。
サービスもうまくいっていない。入る社員も1年とたたずにいなくなるという噂。
決算を見ても追加の資金調達ができないと継続は難しいと判断される状態。
西麻布を中心に飲み会に顔を出していると旦那とはまったく違うステージの起業家がいるということに気づいてしまう。
単純に持っている金の量や経験が違う。彼らは数十億と資産があり上場や売却を経験している。旦那は無名の起業家で金もない。
さらに旦那はモラハラ気味の言動を繰り返すタイプ。篠田は多くの人に相談を持ちかける。情報の漏洩はそこから。
会社はうまくいかず妻には相手にされず子供はとられ不倫相手が自分とレベルが違う実業家、というところに精神が来て今回の所業に至っていると噂されている。
不倫をリークされたくなかったら謝罪しろという連絡をし謝罪されたらそれを不倫の証拠として使うという手法。よくある形。それだけ不倫の徹底的証拠がない。このままではほぼ確実に不倫裁判で旦那が負ける。
謝罪が取れないとわかった時点で旦那は篠田の面子を潰すことに切り替えた。
旦那は音声の録音をしながら散々罵倒し篠田が音を上げたあたりから、自分は冷静になったところのみを切り取り週刊誌や匿名のツイッターアカウントにリーク。
篠田が結局不倫をしてたかどうかは不明。少なくても証拠はない。最後まではいっていないが男女の仲として親密度が高く恋人ごっこか性交手前あたりだったのではというのが業界人の予測
ただ篠田は男を無自覚に惑わすタイプなので今後も追加情報が出てくる可能性は高い。
仕事に影響がでる篠田の事務所は激怒。名前をあげられた実業家たちは手慣れているのでたいしたダメージがなく淡々と法的な対処で終わらせるつもり。
これからの流れ。
旦那はおそらくあまり行儀がよくない人物にツイッターでの拡散やリークを任せていると業界では予測されている。初期にリークされているアカウントは脅迫系のもの。
週刊誌にもリークしたがここはさほど問題にならない。曰くのある人物たちを使っているのがまずい。
そのようなつながりがあるとビジネスはほとんどできなくなる。投資は受けられずまともな就職はできず上場は100%できない。
今回でベンチャー業界では旦那に対してそのように見られているので今後の資金調達などはほぼ不可能に。提携や買収も不可な人物になった。
依頼を受ける側の動きとしてはいつもと同じ通り。脅す時には仲間になり徹底的に協力するが一度つながりができるとそのつながりをつかって脅してくる。
俺らとつながっていることがばれたら不味いよな?ということで死ぬまで搾取される。いつものパターン。
彼らにとって誰かを脅して金を取ること自体は反社にとってはビジネスではない。自分たちに金を払ったり仕事を依頼するやつを脅すのが一番確実。旦那は完全にその状態になっている。このつながりは一生消えることはない。
もはやそういう人物から不貞行為をばらされたくなければ金を払えという脅しは誰も受けなくなっている。金を払ったほうが不味いからだ。だから依頼する側を脅すビジネスに切り替えている。
篠田の事務所もやっかい。ここが激怒しているのが恐ろしい。裁判明けあたりから報復がありえる。芸能界は怖い。
スネ夫を使ってジャイアンを脅しているようなものだが、スネ夫とジャイアンはいつでも結託できるのでうまく立ちまわっているつもりののび太がどうなるか。
篠田の不倫ネタについてはしばらくガレソなどを使って情報は小出しにするがさほど大きなネタがなく静かに収束していく。その後は裁判での戦い。
旦那は篠田へダメージを与えることには成功したが今後の人生を考えると相当にハード。どこまで自覚してわかってやっているかだが彼らや事務所についてどこか楽観視しているのではと思われる挙動。
芸能人の旦那がここまで主体的にリークをすることが今までなかったので業界での注目度は高い。ただリーク元やリーク方法が行儀よろしくないため、テレビでの報道はさほどされない予定。週刊誌もかなりリスクを避けている。追い打ちはおそらくない