なんで引用している文献のほぼ100%が英語なのに、論文を英語で書かない人いるんだろう?
普通さ、お世話になったコミュニティ(先行研究を引用させてもらった研究者コミュニティ)に恩返ししたいと思うだろう。そうじゃないとただの一方的な知的搾取でしかないよ。論文って研究者の知的労力の結晶でしょ。
補足すると別に英語じゃなくてもいいんだ。フランス文学やっててフランス語で書かれた文献を引きまくるんなら、論文フランス語で書こうぜ。国文やるなら日本語で論文書けばいいし。自分が引用している論文の著者に自分の論文読んでもらうために言語選択しようぜってこと。言語の壁云々についてはさ、外国語で論文書いたことがない人が外国語で書かれたアカデミックな文献を理解できているとも思えないんだけど(院生とか若手は仕方ないし、むしろこれから頑張れ!と思う)。
まあ、英語(外国語)帝国主義的主張をしたいわけではない。日本語での論文を書くことの意義はあると思う。でも、日本語でしか書かないっていうのはどういう了見なんだ?
てか、日本語論文にきちんとした査読者付くの?研究レベルの話じゃなくて、1億人強ぐらいの話者しかいなかったら、きちんと査読できる人探すのほぼ不可能じゃない?