はてなキーワード: 天災とは
ってお前誰だよ!!!!!!! 元からそのイベント行く予定ねーだろ
何ヶ月も前から休み申請してイベントチケットのために何万分も円盤積んだり友人頼ったり
時間かけて宿と交通手段調べて予約して数万~数十万支払ってさあ
いやこっちが勝手にやってることよ??天災やらなにやらで最悪中止になる可能性があることくらいこっちだってわかった上でやってるよ??
でも何も知らねー奴が
中止は英断です!!!!!!じゃねーよ 何の用意もする必要ねー責任もとらねー金も出さねーくせにお前に何がわかるんだよ
中止も開催も運営が懸命に考えて出した結果だろ
中止は善!開催は悪!になってる人はなんなの?あたまがわるいの?
だいたいイベントの規模と運営の内情何も知らねーのに口出しすんな 開催を叩くとか言語道断
数十人規模でも対策ができない・万が一の時に潰れるから中止せざるを得ない運営もあれば
一回イベントが中止されたら延期もできず、延期できるような予算もなく
対策して開催しないとコンテンツやアーティスト活動が丸ごと飛ぶようなとこだって一杯あんだよ
今までファンが払ってきたお金が一発で全部消えてコンテンツや活動を継続できなくなる可能性だってあるし
なんで何の関係もない大した犠牲も払ってないような奴が自粛賞賛してんだよ
かかりたくねーならお前が家から出るな
お前の安心のために皆生きてるんじゃねーんだよ
お前が外出しないことを決める自由があるようにこっちにだって開催と参加の自由があんだよ
こっちだって余計な病気は貰いたくないし移したくもないから出来ること全部やってその上で参加決めてんだよ
何度も言うけど不安不安騒ぐ人のために生活してるんじゃねーから
そもそも集まるのだって駅前でマスクも抑えもせずくしゃみ飛ばしてる意識底辺おじさんみたいな集団じゃねーんだよ
こっちはイベントのために何週間も前から体調整えて正しい情報集めて推しにもファンにも移さないように張り詰めて対策してんだよ
だいたいなんで自分はかかってない前提なの?どこから来る自信なの?
イベント全部みんな中止すれば自分はかかる確率減るから安心!私行かないから関係ないもーん!
みたいな奴たまに見るわ
ていうか他人を叩く人ってさ、自分が正義だと思ってやってんだよね
みんなが病気にかからないようにするのは当然!!みんなの命と健康がかかっている時にイベントなんかやるなんて他人の命と健康を軽視してる!!
とか思ってんじゃないの~??
「みんなのけんこうといのち」という大義名分がある私たちが正しいと思い込んでんだよね
だから開催を決める奴・参加する奴を叩いたり止めるのは正しい行い!!ってね
命が大切なこと自体には異論ないけどこっちは生活と日々の楽しみも同じくらい大事っていう価値観なんで
中止は善!開催は悪!はお前個人の価値観であって正解じゃないんで
あとさあ2月末にどこもイベントやる雰囲気だった時は「こんな時期にやるなんて非常識!!」「中止してください!!」
とかさんざん言ってたくせに、いざイベント関係者が困窮を口にするとそいつら皆だんまり
ちょっと考えたら仕事なくなることくらいわかるだろ想像力ねーなら喋るな
いやさあ高齢者や病院関係とかハイリスク群に関連するイベントが延期とか中止になるのはわかるよ?
病院や施設関係者が今回は参加見送るっていう判断をするのもわかるよ?
いつも頑張ってくれてる人たちが、自分の娯楽にそういう判断をせざるを得ないのは心苦しいと思うわ
でも若年層や基礎疾患がなければほぼ無事ってさんざん言ってるのにイベント自粛だの若者のせいだの挙句の果てには休校だの、バカなの?(上の人含め)
バカか
正しい情報を読み取れない情弱だから不安!自粛!って言ってるんだもんな
みんなガマンしてるんだから!!みんな自粛してるんだから!!みんな中止してるんだから!!!だからお前も当然中止しろ!!
中止しないなんて敵だ!!!!他人がどうなってもいいのか!!!
こういうみんなガマンしてるんだからお前もガマンしろ謎根性論大嫌い
イベンターさん、アーティストさん、運営さんはファンの声と内部事情と金銭面諸々板ばさみで厳しいだろうけど
天災やら流行病やらあるたびに(なくても)、とにかくあらゆる部分で減点法の評価をされちゃう
俺は政策の善し悪しとか分からんから、歴代の政治家で誰が良くて誰が駄目とかも分からないけど
仮に自分が今より100ぐらいIQが高くて、今の100倍働き者だったとしても、
国内各地で、首相による「大規模なイベントの今後2週間の自粛」要請を受けて、集会やコンサートなど各種イベントが次々と中止に追い込まれていますね。
それによって、損害を被った人は決して少なくないはず。筆者自身も、イベント関係の仕事が突然いくつも吹っ飛び、精神的にも経済的にも打撃を受けています。
さて、2/29に、以下の意見を各省庁・各党に送りました。
宛先は首相官邸・内閣府・内閣官房・財務省・文科省・厚労省・経産省の各省庁。および自民・公明・立憲・国民・維新・共産・社民・れいわの各党。
自民党の文字数制限が厳しく(600字以内)、これに合わせて書いたので随分ぶっきらぼうな文面になってしまいましたが。
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本文:COVID-19予防策として、政府の要請を受け、多くのスポーツ・文化に関わる興行が中止・延期されています。
天災と異なり、感染症対策での興行中止では興行保険が適用されず、多くの主催者が施設使用料や出演料、チケット代返金対応などを自己負担し、大幅な赤字が生じています。
また、イベントの中止により、多くの出演者やスタッフが本来の給与・報酬を受け取れない事態となっています。興行に携わる出演者・スタッフにとって、興行は「不要不急」ではなく生業であって、被った大幅な減収は労働者の生活に関わる重大な問題です。
以上を踏まえ、以下4点の対応を政府ならびに各党に要請します。
1.中止・延期の実態調査
現状、今回の要請を受けた興行中止・延期の全貌が見えません。中止・延期となったイベントの数と規模、損害額、保険適用の実態、損害の負担者等、きめ細かな実態調査を求めます。
実際に損害を被った全ての興行主催者・施設設置者に、補償を行うことを求めます。
興行中止・延期によって急遽休業となり、収入がなくなった出演者・スタッフ等の全ての労働者に、休業分の給与・報酬の補償を求めます。
各省庁や外郭団体からの補助金や研究奨励金などの興行中止等への支給や翌年度へと繰り越す特例措置を求めます。
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何ら補償などがセットになっていない今回の「要請」によって損害を被った全ての主催者・労働者に、何らかの対応をして頂けることを願っています。
確かにあちこちの台詞回しにナウシカっぽさが感じられるし、改心後のリルルの言動は明らかにナウシカをモデルにしていると感じられる。修理中のリルルとしずかちゃんのやり取りは、クシャナと風の谷のじいや達のやり取りを彷彿とさせるようでもある。
竜の騎士はキャラデザインや背景、BGMなどにナウシカっぽさが見えたが、鉄人兵団は心理描写にその影響が強く出ているなと思った。
トラバにもあるけど、私も竜の騎士、鉄人兵団、宇宙小戦争の三作がドラえもん劇場版の中で別格に好きです。
ストーリー展開にはアラやご都合主義もそりゃあるけど(ロボット達が鏡面世界に気づくの遅すぎだろ、とか、タイムマシンはさすがに禁じ手だろ、とか)子どもの心をあんなに惹きつける作品はやっぱりなかなかない。
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アマプラを物色していてふと目に入った「ドラえもん のび太と竜の騎士」、そういやこれ子どもの頃大好きで何度もビデオ見てたなーと思い出して30年ぶりぐらいに見てみたら、ものすごく「風の谷のナウシカ」でびっくりした。
検索してみたら、監督の芝山努氏と宮崎駿氏は東映の同期入社組なんですね。
さらに芝山氏は高畑勲氏と一緒に仕事をしたこともあるようで、それでなんとなく腑に落ちるところはあるのだけども。
にしても似方がすごい。
鎧と兜は土鬼(アニメではトルメキアの下級兵)、胸の紋章はペジテ。
乗用の小型竜はトリウマ。
地下世界の郊外には、ちょうど風の谷の郊外にもあるカッパドキアのような砂漠の光景が繰り返し描かれる。
ドラえもんの地下世界は高度に科学文明が発達した社会で、街並みは近世ヨーロッパに20世紀当時のSFっぽさを付け加えたような雰囲気だ。そこにトルコ的な何かは見えない。
未開の部族が住む秘境も点在しているが、それもアフリカや中南米の原住民文化がベースになって描かれているものだ。
すなわち、わざわざカッパドキア的モチーフをあんなに時間をかけて画面に出す必然性は何もない。にもかかわらず何度も出てくる。
ドラえもん一行が、地上人に脅威を知らせるべく竜の騎士の家からひそかにタケコプターで逃亡するときの情景は、BGMも含めてまるきりオマージュ。ナウシカが風の谷の住民達に脅威を知らせるためペジテのブリックからメーヴェで飛び立ったシーンのオマージュだ。これをオマージュと言わずして何を言うかというぐらい、立派なオマージュだ。
地上人を守りたいドラえもん一行と、地上の覇権を取り戻したい竜人達は最終的に全面戦争を始めることになる。
ここにも一瞬オマージュがある。
風雲ドラえもん城に竜人達が攻城櫓を運ぶシーンが、酸の海でクシャナがあの娘の帰りを待たないで進軍を始めたときと同じだ。これも状況がそっくり。BGMも。
そしてそこにクライマックスとなる天災(風の谷のナウシカのほうは人間が引き起こした天災なので本当は人災なのだけど)が訪れ、両軍ともに戦争どころではなくなる。
キャラデザインや風景、BGMのみならずストーン展開のこの重なりよう。
意図しないとここまでの重なり方はしないと思う。
ただ最後、ドラえもんは人類の科学技術の粋であるところのひみつ道具をバンバン使って本来なら絶滅していたはずの恐竜を安住の地へと導き、竜人達の始祖の神となってしまう。自然を破壊してるわけではないにしても自然の摂理に強く介入する行為であることに間違いはなく、人類が自然の営みを支配しコントロールすることの是非という点ではナウシカではなくクシャナ寄りの価値観と行動だ。ここがナウシカとは決定的に違うとこで、まあそこはドラえもんが『ドラえもん』というアニメ作品の主人公としての役割をきちんと果たしているということで、どちらが正解でどちらが間違いという話ではない。
この相似、たぶんいろんな人が言ってることだと思ったんだけど、ちょっとググった程度では見つけられなかった。
芝山氏は何を思ってこんな作風にしたのだろう。この作品だけでなく当時のアニメはみんなナウシカの二番煎じみたいな作風だったのだろうか(そんなこともなかったと思うのだけど)。
それが知りたいな、と思った。
そういや鳥山明氏も宮崎駿氏に影響を受けたって聞くよね。ドラクエ2の三人にはナウシカのデザインが色濃く反映されているという話は有名だと思う。
天災でなにもかも壊れたとかメインの農産物や観光資源が無くなったとかじゃ無いしな
【例1:】
あるところに、私設警備員や自家発電機やアンテナを置けるくらいの金持ちが別荘をぽんぽん構えている地域があった
そこいらは何も無い。何故なら金持ちは『何も無い』を買っているからだ。土地を膨大に買って庭にし何も作らない
しかしスーパーすら無くそこに昔から住んでいる住人は疲弊して若者から出て行ってしまう
【例2:】
ある地域は畑と放置された畑しかなかった。そこにギラギラした不動産屋がいた
どんなものを呼び込んだのかは差し控えるが人口は増えたし非常に生活が便利になった
ショッピングモール風の大型スーパーと飲食店くらいはなきゃダメだよなぁ
【例3:】
魚業と農業で成り立っている地域だが18時過ぎたら懐中電灯を持たねば外が歩けない。何故ならほぼ街灯が無いからだ。加えて学校も無い
一日中遊びまくって帰路に就く頃にはクタクタだったので、帰りの電車ですっかり眠り込んでた。
しばらくして近くのおばさんの喋り声があまりにうるさくて目が覚めたんだけど、寝ぼけたままおばさんの話の内容を聞いてるとどうやら自分の悪口を言われているようだぞ?と気づき一気に覚醒。
びっくりして顔を上げるとすぐ前の座席に座っている水商売風の50代くらいのおばさんとおっさんとばっちり目が合った。
おばさんとおっさんは目が合ったままなおも電車の中に響き渡るくらいの声量で悪口を言い続けている。
周りにはちらほら他の大人もいたし状況にも気付いてたと思うんだけど止めてくれる人は一人もいなかった。
延々と自分の悪口を聞かされながら10分くらい固まってたんだけど、内容はヒートアップしていくしニヤニヤ笑うおばさんとおっさんの顔が気持ち悪くて、耐えられなくなって別の車両に移動した。
具体的に悪口ってどんな事言われたのよ?と聞かれると、正直あんまり思い出せない。
時間経過で忘れたわけじゃなくて、ショックすぎて自分の防衛本能が記憶を抹消したんだと思う。
その日の服装とかおばさんおっさんの嫌な笑顔とかは鮮明に思い出せるから。
思い出せる範囲だと「芋くさい」「気持ち悪い」「親の程度が知れる」とかそんな内容だった気がする。
それからしばらくは何か自分が悪口を言われるような事をしたのかとずっと思い返しては悩んでた。
優先席に座ってたとか座席を荷物で占領してたとか股開いて座ってたとか、考えられる限りの理由を考えてみたけどどれにも当てはまらなかった。
大人になった今ならわかるけどこういうのに理由なんてないんだよね。
でも当時まだ幼くて周りの大人や友人に恵まれぬくぬく育ってきてた自分からすると、『まったく面識のない他人』で『親よりも年上であろう大人』に『面と向かって謂れのない罵倒を受ける』という3連コンボはあまりにもショッキングだった。
当時は大人を信じられなくなったし大阪嫌いになったし、今でも水商売風のおばさんと客っぽいおっさんの2人組とか見かけるとちょっと怖い。トラウマです。
もし今当時の自分の立場になっても上手く受け流せる気がしないし、逆に当時居合わせた大人たちの立場になってしまった時、上手く対応できるのかと言われると自信がない。
でも当時の自分と同じような目に合っている子供がどこかにいるかもと思うととてもやるせない。
こういうのってどうするのが正解なんだろうね。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
タイトルの通りなんですけど、世の中あらゆる訃報が溢れてますよね。
なんでもいいんですけど、最近死んだ人を羨ましく感じるんです。
これ、なんなんでしょう。鬱でしょうか。
ものすごくやめたくて、どうしようか考えてるけど、とりあえずはやってる。
取り組まなきゃいけない仕事、なかなか動けなくてしんどいけど、とりあえずはやってる。
生活もさほど荒れていない。お風呂も毎日入ってるし、うさぎの世話もしてる。
すこし感情が乏しくなった気はするけど、本を読んだりテレビを見たりもしてる。
数年前に雪山で凍死した友だちの友だちを思い出して、私だったらよかったのにと思ったりする。
能動的に自殺に向けて行動してはいない。危ない気はするけど、今のところは。
夏の終わりに虚血性大腸炎になって通勤中に救急車で運ばれたあたりからかな。
これって鬱なの、病院行ったほうがいい?