はてなキーワード: 卒業ソングとは
ゼロ年代はまだオタク趣味はキモかったし、ハルヒアニメのできは良いが1990年代のキモオタっぽさがまだ抜けてない。女キャラの乳が無駄にデカく、スカートが無駄に短い。
まどマギは深夜アニメを一般人が見ても普通にかわいい(=キモくない)と思えるデザインに落とし込むことに成功したし、ミーム化されてインターネットに拡散され一般層にリーチした。
ボカロを一般化させた曲は千本桜だと思う(卒業ソングとして定番になる=クラスの一軍にも受け入れられたということ) これも2011年発表
オタクにSNSが普及して、それまで孤立してたオタクがオタク同士群れて秋葉原とかに集まりだしたのがゼロ年代 。
youtube内でヲチしてたコメント荒らしがちょっと前まで全くコメントをしなくなって心穏やかに居られたがここ数日でまた関係性も中身も無いクソみたいなコメントを残すようになった、腹立つ!
それでも全盛期の連投よりはマシなのだがやっぱりあらゆる動画でその痕跡を残されると不愉快に感じる、「キャラABCの卒業ソングだよ~ん(原文ママ)」ってそんな事しか書けないなら書くな
また何の因果か解らんがこのコメント荒らしが出て来てから昔変なコメント残しまくってたヤツが久しぶりに出てよく解らない時間指定コメントを残したり、見るからに話の通じなさそうなクソボケ陰謀論者が勝手に俺の曲扱いしたり「この星は俺の墓」だとかほざいたり等別の荒らしが散見される様になった
これはアルミホイル案件だがこいつのせいでこの動画は荒らしても良いと認識されたんじゃないかと考えたら冗談抜きで腹立たしい
ふざけんじゃねぇぞクソコメで汚しやがってせめてこういう匿名だったりログが流せる場所でやりやがれなんでよりによってyoutubeなんだよ
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
正月・ハッピーニューイヤーソングはそれなりにあるが、ポップスのテーマとしてはダサいのであまり出てこない印象
いちばん冬っぽいので冬ソングの舞台にはなってそうなのだが、わざわざ二月であることに言及しないので結果的には雑魚ということになってしまう
年度末ということで卒業とかそういう転機が多いのでかなり良く歌われる 3月9日もそうだし、卒業ソング系は全部三月の傘下 屈指の強さと言ってよかろう
新生活の始まる月だし春の代表なのでかなり強い 大量の桜ソングは全部四月所属と思うと最強候補の一角か
いい季節だが、特徴に乏しいので微妙
イベントも鯉のぼりとかでダサいので振るわない 五月雨は字面的には五月だが実際指してるのは六月なので難しいところ
嫌な季節だが梅雨ソングは意外なことにかなりある かなり詩情のある花であるあじさいを味方につけているのも大きく、結構な実力者といえよう
とはいえ夏休みという分かりやすさがない分八月には一歩及ばずか
夏休みソングがかなりあるし、純粋な夏ソングもこの辺を意識して書かれてることが多い印象 八月というだけでエモくなるので歌詞の中で言及されることも多く、もしかすると最強の月かもしれない
いい季節だし夏の終わりという一大テーマを持っているものの、なみいる列強にはさすがに及ばない印象 しかしいぶし銀!
それなりのテーマの広さを持つ月だが、わざわざ言及されることは少ないこともあって印象は薄い
最弱候補 秋でも冬でもない半端さとイベントのなさが相まって歌にされる要素がゼロ はっぴいえんどに救われている
年末とクリスマスを併せ持つ最強月候補 12月24日はおそらく最もポップスで名指しされることが多い一日であり、それを持っている時点でその実力は計り知れない
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
推しの卒業を、受けて卒業までに何が出来るのか1人考えていました。
アイドルという存在でいて、笑顔を見せてくれた、例えば公演に行けなくても、握手に行けない時期があっても、そこで彼女が笑顔でいてくれた事はとても大切で尊いことだと思っています。
私は山口百恵さんの事が好きだけど、産まれた時に彼女はもうアイドルをやっていなくて、芸能界を引退していました。
同じ時代に生きれない。というのは後で延々とCDを回すしかない、ということです。
自分にとって大切な推しが卒業する姿を見れるのと、同じ時代を生きている事、見送れることがどれほど貴重で尊い事でしょうか。
元祖神7と呼ばれるような子達から、研究生の子まで卒業ソングもひと通り聴いていると思います。
たくさんのアイドルを見送った事で、私はアイドルが卒業する時にとても大切な事がたくさんある事を知りました。
アイドルは、私たちが学校に通って友人と遊んだり、はたまた色めいた年頃になってもその時間の全てをアイドル活動に捧げて居ます。
その煌めきと同じだけの物を貴女は残したのだと、きちんと推しに伝える事、それが卒業までに推しにすべき事だと思っています。
その方法として、推しが卒業までに出来るだけ多くの機会をあげる事、チャンスを増やすこと。
推しの卒業までに、出来るだけたくさんの事をした方がいい、と考えています。
残した軌跡は多い方が、アイドルの自分の意味がわかると思います。
卒業ソングを貰い、卒業コンサートをしてファンにコールされて、惜しまれて卒業をする事が私はアイドルにとって最高の卒業だと思っています。
アイドルは多忙だし、なにが、どのくらい自分のうちで残せたのかは、本人からは見えない。
だから、オタが言ってあげなきゃ。
今まで笑ってくれていてありがとう。歌もダンスも最高だった、来れない時も画面の中で笑っていてくれたこと、悲しいこともあった、その9年は真那ちゃんのこれからの人生をもっともっと輝かせる鍵になる。
どのくらいあなたが愛されて必要とされていたか、惜しまれて卒業していくのか。そしてみんなみんながあなたの幸せを祈ってる。
3万票は伊達じゃない。あなたの残りの人生の中にも、そのひとつひとつが残っていることを、落ち込んだ時に、あなたを忘れたファンなど1人もいない事を、思い出して、また笑顔で。
冷静に考えなくてもこれは快挙です。
過去に総選挙で大矢真那さんより上にランクインしたメンバーの卒業の時、卒業ソングソロではありませんでした。
もちろん、ソロじゃなきゃいけない、という訳ではないし、例えば共に歴史を刻んだメンバーや同期と歌う事もとても尊いものだと思います。
大矢真那さんと同じ、一期生は松井珠理奈さんだけ。2人の歌だったとしても、とても盛り上がったと思います。
口下手な彼女だから、ソロの曲は身に染みて、歌詞も彼女にぴったりの優しくて暖かいのにすこし切ない歌詞でした。
後輩にも慕われ、多くの仲間がいる今、卒業する彼女が、1人だけで歌うと言うことはとっておきの事です。
おめでとう、と心から。
表題の、意外にマンゴーのMVでは松井珠理奈から後輩へ順番に強き者よ、を踊るシーンが有りました。
これは、カップリングの真那のソロ曲へのメッセージだと思います。
真那が残して行くのは、歳下の同期と後輩だけ。そんな真那に笑顔で、大丈夫と言いたいから強き者よ、を今回のメンバーに踊って貰ったのだと思っています。
真那さんのアイドル生活を追ったドキュメンタリー映像で、真那さんが
いつまでもここに甘えていられない、と言っていたのが印象的でした。
それは私がいつまでも真那さんはSKEにいてくれるような錯覚をするくらい、そこにいてくれた真那さんに甘えていたからです。
「いつまでも、ここに甘えていられない」
私はたくさん彼女に甘えていました。
いつまでもいてくれる事、いつまでもブログを読めること。いつもファンの前では笑っていてくれるから、いつもファンを不安にさせたりしないから。
私の、いえ、彼女を推していた人間のみんなみんなが声を揃えて言うでしょう。
自慢の推しです。
誠実でいてくれてありがとう。
最初聞いた時は不思議な心持ちで、悲しいけれど、彼女の残したものの大きさを感じていました。
この空白。
真那さんは私の考え方の一部でした。
正直、理由は本人である私にも分からないのですが、真那以外の子を推そうとはとても思えません。
真那を応援することは、まさにブッタとそのお供が旅をしていることに似ていました。
真那の考えを受けて、共感し、同じ時間に学べる全てを教えてもらう、そして、応援する。干されている時には共に耐え、喜びを日々いったりきたりしていました。
大矢真那が卒業したからといって、他の子を推すことがどうしてできるでしょうか。
これから先に大矢真那を知る人は、SKEの大矢真那を知らない。
私たちはこの時間の中で、大矢真那を直接学べた、応援できた、推していた、とても大切な時間をもらいました。それは真那推しの誇りです。
永遠に受け継がれる真那の考え方、言うなればこれがみんなみんな教の経典となるのではないでしょうか。
大矢真那さんが芸能界に残るのか、そこすらもやめてしまうのか、なにも分からない今ではありますが、真那さんの卒業に心からお祝いを。
そして、感謝を。
まずは聞いてみてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=IiV-aaLo9SM
SMAPの「JOY!!」を作曲した「赤い公園」津野米咲さん作曲の90年代風ダンスナンバー。
「LOVEマシーン」を連想させるディスコな振付けとMV内でところどころに出てくるゴシック体の黄色いテロップが印象的である。
次から次へと可愛いくて表情豊かな女の子たちが出てくるだけで幸せなのに、そんな彼女たちが「日々のあれこれ 思い切り後回して」と歌う…。
もう、GW明けの仕事のことなんて忘れてしまう、ゴキゲンな歌詞に私は夢中になっている。
ちなみに、この曲はモー娘。のデブことズッキ(鈴木香音)の卒業ソング。(DJ役としてノリノリで台詞を言っているのがズッキ)
事務所は最後の最後に彼女の活かし方を見出したという感じだ…。それにしてもこのズッキの貫禄。10代には思えない。
私がこの良曲について騒ぎ出す前に、Twitterなどでは「現代のLOVEマシーン」「モー娘。再ブレイクのきっかけになる」と騒がれているようだ。
正直、もう何年モー娘。再ブレイクなるか!?と言っているんだという感じだがこの曲は素直に良い楽曲なので世に広めたいと思う。
「卒業式で桜ノ雨」「お昼の放送でボカロ禁止」といった話題がネットに上がってから3年~5年、
ニコニコ動画におけるVOCALOID初期作品の『みくみくにしてあげる』や『メルト』からおよそ6年半。
青春の音楽=ボカロって層はまだ学生だろうけど、大学くらいでボカロに触れて楽しんだ人が教職に進んでクラス担任を受け持っていることはありえると思う。
すると生徒とくだけた話もするタイプの教師なら、ボカロ好きな生徒との会話を試みて
「先生が学生のころは〇〇Pを聴いてたんだよー」「そんなP知らなーい」「えっ」
といったシチュエーションがあるかもしれない。
でも私が中学校の頃はどんなに若い教師でも、私たち(のものと思っている)の娯楽にすり寄られるとウザいと感じた。
むしろ私たちだけがその娯楽の面白さを知ってればいいとさえ思っていたから、
冒頭で挙げたネタで出てきた「自分の好きなものを否定されて辛い」って感情は
否定してくる相手が同級生なら共感できるけど、教師だとできない。
モーニング娘。・嵐・浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・aiko・椎名林檎・19・ポルノグラフィティ・Dragon Ash・BUMP OF CHICKENは私たちのもので、教師が入ってくるのを拒んでた。
「二宮くん可愛いよねー」より「私の1番は今でもかーくんなの!」という女性教師の方が誠実そうに見えた。
吹奏楽部が定期演奏会で『ザ☆ピ〜ス!』を下級生のダンス付きで披露したとき、飛び入りでダンスに参加した副顧問の男性教師にはかなり白けた。
一方で自身の思い入れのある曲・歌手・娯楽を紹介できる教師は、ちゃんと青春を謳歌して大人になったんだなと好印象だった。
『TSUNAMI』、『波乗りジョニー』の大ヒットで当時40代の教師たちがサザンオールスターズや桑田佳祐を熱く語った。おかげで男子に『マンピーのG★SPOT』が大流行した。
ドラマ『人にやさしく』でTHE BLUE HEARTSを知った子も多かった。体育教師は持久走の授業で『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』をBGMに流して生徒が関心を示すと、どこか満足気だった。
一番印象に残ってるのは卒業式とは別にあった、教師のくだけた訓話と生徒の出し物がメインのお別れ会。
男子生徒のバンド演奏で2人の男性クラス担任がボーカルの子と並んで歌った、スピッツ『チェリー』。
『桜坂』は大ヒットしてたけど、後発の桜ソングはまだなくて桜ソング=卒業ソングというイメージもまだなかった時代。
それでも春と旅立ちのイメージで選ばれたんだと思う。
『チェリー』のCDリリースは96年。私たちは小4で、大流行してたJ-POPを主にテレビからどんどん吸収していた。
歌った先生たちは教員になったかならないか、でも『青い車』『ロビンソン』なら学生だった世代。
男子生徒たちは普段Dragon Ashを体をくねらせながらコピーしていたせいか『チェリー』だとかっこつけきれず、はにかむような顔を見せた。
先生たちは学生のころの気持ちに戻ったと言いながら、ノリノリで歌い終わったあと赤面してた。
お互いの照れがとても印象的だった。
これがスピッツではなく19だったら、あるいは尾崎豊だったら、生徒と教師が一緒につくった思い出としては今の私に強く残らなかったと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=zyOLb8D8ezI
Utauyo!!MIRACLEがけいおん!分を存分に盛り込んだ卒業ソングなんだろうな、というのは「だいすきーだいすきー」らへんから伝わってくる。
これをまず念頭に置いておく。
ライブシーンにおけるギー太の不在。そして歌っている最中に手に持っているのはマイクじゃなくて「ふでばこ」。
(部室シーンでは持ってます。あくまでライブシーンの話。)
唯の必殺技は1話の冒頭で2期のはじまりを告げる、強いインパクトを視聴者に与えるものであったはずだ。
その必殺技を1話と同じ場所、同じ制服でギー太なしでやっている。
なぜ唯はライブでギー太を手にしないのか。
なぜライブという軽音部の活動のなかで一番の見せ場となる場所で、楽器と唯が同時に登場しないのか。
ギー太は唯の高校生活を象徴するもので、その唯とギー太が分離している状態というのは、
つまり卒業。
卒業しても唯はギー太を手放すことはないだろうし、ギターも続けていくんだろうけど、