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はてなキーワード: 児童文学とは

2018-04-13

anond:20180413070326

どこをどう読みゃ嫉妬だの失望だのって文字が出てくるんだ?

 その程度の読解力だからどう思われてるかも理解できないし勘違いするんだよw

クソ左翼と同じでやってる事が逆効果だし、それはこれからも強まっていく、と教えてやってるんだ。

 https://japan.cnet.com/article/35077597/

児童文学は新しいヒットでも出たか

 https://www.nippan.co.jp/ranking/annual/

うんこドリルでも売って喜んでりゃいいんだよ低能

2018-02-13

anond:20180212221935

オタクが求める子供が出る作品オタク子供にしただけで、子供のものではない。

児童文学子供リアル心理をできるだけ再現しようという内容なので若干違う。

2018-02-12

anond:20180212221935

こないだ児童文学の展示みたいなの見てきたが

なんか最近のは反原発とかお前どこ向いてんだよみたいな印象を受けた

結局1970年代くらいの本がオールタイムベストでずっと続いている印象

オタク児童文学読むべきじゃね?

最近オタクが求めてるモノ

登場人物の年齢が低いほうが好み

・難しい話は受け付けない

・刺激の強い話は受け付けない

幼児的万能感を満たせるような内容が好き

・昔読んだ作品をまた読み返したくなる

もうお前ら児童文学を読んでりゃいいんじゃないかと言いたくなる。

今じゃ涼宮ハルヒ君の名はだってレーベル的には児童文学だぞ

2017-11-09

anond:20171108101404

「アルサラス贖罪」、Dエディングス作品はどれも恋愛要素入ってると思うけど、恋愛要素ではこれが一番好き

ドラゴンファームはいつもにぎやか」、児童文学系のミーツガール

ようこそ女たちの王国へ」、SFに入ってくるけど男性出生率が極端に低下した世界での話

導きの星」、はるか未来地球人が未開の惑星文明に適度に介入しながら見守る話。SFだけど対象惑星亜人文明ないところから始まるのでファンタジーっぽい感じが無くもない、最終的には完全にSFになるけど

上の4つは好きだったら作者買いで他の作品も好きになれるはず

https://anond.hatelabo.jp/20171108101404

ダイアナ・ウィンジョーンズはハウルもいいけど「九年目の魔法」が素晴らしいラブストーリーなのでオススメ

本をよく読む人ならグッとくると思う。大人向けのファンタジーです。

まだ上がってないもので重ためだと「ゴーメンガースト」や「新しい太陽の書」あたりは読み応えもあるけど世界観重厚で圧倒される。

あと耽美もいけるならタニス・リー「死の王」というようなほぼBLの(頂点の)ような世界もある。

他に古典名作枠だと宮沢賢治マクドナルド(「かるいお姫様」あたり恋愛ものとしてもキュンキュンくる)などの児童文学にも素晴らしい名作傑作がいくらでもあるし、「千一夜物語」の絢爛な世界はいつでも口を開いてあなたをお待ちしておりますというほどファンタジーの沼は広く深いのです。ようこそ!

2017-10-14

anond:20171014183609

結果的児童文学から探すのが手っ取り早いんじゃね

子供神様ゲーム読ませようとする頭のおかしい連中だって世の中に沢山いるんだぜ?

2017-09-29

今期アニメのよかった所探し

ナイツ&マジック

ガンダムWレイズナーOPいかによく出てきているか再確認できた。

よかった!

サクラクエスト

田舎なんて舞台にしてストーリー物やっても湿っぽいだけだと再確認できた。

よかった!

アホガール

ファフナーが僕達に残した爪痕は深いと再確認できた。

よかった!

神バハ

お金を積んでも面白いストーリーは作れないけどきれいな映像だけならいくらでも作れると再確認できた。

よかった!

レクリ

クール目にこのアニメもう駄目なんじゃないかなと感じたらほぼ確実に当たると再確認できた。

よかった!

サクラダリセット

能力チートすぎると概念系のバトルになって中二病全開になると再確認できた。

よかった!

リフレクション

あの有名人企画しました系はセンスが古くて保守的から微妙再確認できた。

よかった!

ナナマルサンバツ

主要キャラに棒声優ねじ込むと作品空気が淀んでしまうと再確認できた。

よかった!

アポクリ

男の娘可愛いと持て囃されるのは他の女キャラの魅力が足りないからと再確認できた。

よかった!

ノラ

5分アニメは無茶しても許されると再確認できた。

良かった!

タイラー

無茶以前の出来だと5分でも見るのがキツいと再確認できた。

よかった!

てーきゅう

いつも同じことしてる連中が同じことしてると安心すると再確認できた。

よかった!

セントール

日常系にワンアイディアプラスするだけで他と差別化できると再確認できた。

よかった!

プリプリ

無駄時系列シャッフルが結局本当に無駄に終わると反対派やってた連中すらも滑稽に見えると再確認できた。

よかった!

シンフォギア

濃い味付けの物は食べ続けるいい加減飽きてくると再確認できた。

よかった!

終物語

やっぱ日本人ってロリコンなんだなと再確認できた。

よかった!

徒然チルドレン

青春恋愛は異世界ファンタジーからリアルでもなんでもないと再確認できた。

よかった!

賭ケグルイ

チート性能のキャラキチガイロールプレイさせておけば何となく漫画として成立すると再確認できた。

よかった!

NEW GAME

おっさんだらけの日常も周りが可愛い女の子だと思いこめば楽しめる気がしてくると再確認できた。

よかった!

メイドインアビス

ペド体型のケモノでシコシコするような連中は気持ちが悪いけどたしかにシコれるかもと再確認できた。

よかった

天使3P

アニメ演奏シーンなんて楽器の数がなんかおかしい気がしてもスルーされると再確認できた。

よかった!

グルグル

児童文学的な雰囲気にしておけばロリコンショタコンホイホイでもバレにくいと再確認できた。

よかった!

ひなろじ

レズイチャイチャしてさえいれば一部のオッサンは満足するからチョロいと再確認できた。

良かった!

地獄少女

半分ぐらいリバイバル放送でも案外許されると再確認できた。

よかった!

ボールルーム

アルパカみたいな首をしてても元々そういうキャラデザなら慣れれば気にならないと再確認できた。

よかった!

異世界食堂

世界人間が食ってるから美味そうなんじゃなくて元々コックの腕がいいだけでもストーリーは成立すると再確認できた。

よかった!

ゲーマーズ

単なる勘違いだけでドラマ作っても許されるぐらい日本の娯楽業界ユルユルだと再確認できた。

よかった!

実力至上主義

この作者が生き残ってるんだからラノベは実力至上主義世界ではないのだろうと再確認できた。

よかった!

世界スマホ

クソすぎるアニメの方が一周回って面白いから半端なクソさのアニメが一番救えないと再確認できた。

よかった!

いやーよかった!よかった!

今期も色んなアニメにであえてよかった!全部よかった!どうでもよかった!

どうでもいいものを見れるような暇な時間があることを再確認できた。

よかった!よかった!

ここにないアニメ

本当にどうでもいいアニメはいくら暇でも見ることすらないと再確認できた。

よかった!

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810124938

こころ」は高校だよ。

エントリーを書いたのは自分なんだけど、高校小学校国語の教材はよかった。

中学けがまらない。

小学校児童文学っぽいやつで縛ってるからさ、気負わず楽しめる。

高校はちゃんとした文学から、読み物として面白い

問題中学

文学にはまだ早いっていう配慮なのか、文学要素半分、そこにプラスアルファの味付け。

味付けが戦後昭和ノスタルジーとかで、かえってつまらない。

北の国から」のシナリオとか、あんもの集団就職上京した世代しか楽しめないと思うんだけど。

あんもの中学生が読んだら、

まだ東京で消耗してるの?

って感じの別の解釈ちゃうと思うわけで。

父さん。

2017-07-12

https://anond.hatelabo.jp/20170712225424

宮崎駿って、①戦争が身近にあった世代で、②マルクスサルトル精通したインテリで、③児童文学をはじめとするさまざまな本を読んでて、④技術力も満点、⑤仕事場保育園があっていつでも作品の受けが確認できて、⑥鈴木敏夫っていう商業主義的なパートナーがいる、っていう点でかなり特異。

これを継承できる人が今後出るかっていうとかなり微妙。とりあえずは庵野秀明なんだろうけど、特殊戦後世界一だった日本映画が徐々に衰退していったように、アニメ映画界も衰退していくような気がする。

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621144849

レーベルで分けるよりはイラストの有無で分けるほうが意見割れない」

イラストの有無だけで判断する(と仮定する)ならイラストの付いた児童文学ラノベということになる」

というのがこちらが言っていることだよ。

そして、その仮定が成立するなら、児童文学の部分が一致してる、全部が一致してる、なんて関係がない。

児童文学かどうかなんて無視してイラストが付いているどうかを機械的に判定すればいいだけなんだから

どうもおまえは、「レーベルで決まる」とか言いつつも、実際にはそれで判断しているわけではなく、なにか別の基準を持ち出してるくさいよね。

まず児童文学がなぜラノベではありえないのかを説明してみたほうがいいよ。そこに無意識判断基準が潜んでいるかもしれないし。

ミステリについては、また定義論になるのであまり踏み込まないけど、

ミステリ」というカテゴライズと「ラノベ」というカテゴライズ性質が違うと思うよ。

https://anond.hatelabo.jp/20170621002956

いや、だって児童向けでは普通にラノベ作家が書いてるし、ラノベが再刊されていたりするじゃん。

イラストラノベ絵師が描いていたりしてさ、一般人に見せてもラノベだと言われるよ。

出版社が、たとえばつばさ文庫から電撃文庫に移行してほしいと考えているのは確かでしょ。

そこはコロコロコミック少年ジャンプ程度の差異しかない。

そも、かつては一括りにヤングアダルトだとか言われていたところからソノラマやスニーカー分化してきてるわけだし、

文化的連続しているのは間違いないよ。

対象年齢の問題も、上の年代であるライト文芸ライトノベルと見なすなら、

下の年代児童文学だってライトノベルと見なすの不都合はないよね。

って言われると児童文学ライトノベルだという気がしてこない?

外国作品ライトノベルかどうかというのはラノベ定義論でよく論点となるところだね。

未だに統一見解はないけど。

https://anond.hatelabo.jp/20170621000138

いやその場合児童文学ラノベになるだけじゃん。

なんで別物であることが自明になってんの。

「本人がラノベのつもりで書いた(わけじゃなくてもラノベレーベルから出せばラノベのつもりで書いたことになる)」とかいファクターイラスト説では完全に無視できるよ。

2017-06-20

日清17JK魔女の宅急便かいうやつ

そりゃ確かに原作児童文学だけどさあ。

原作挿絵は長髪だし、キャラクターデザインはまんまジブリ版を想起させるものになってるよなあ。

実写版ときにも思ったけど、知名度は高いけど版権は安い「お得物件」として原作小説が扱われてるようで悲しくなってくるわ。

こういうこと考えるクリエイターは死んで欲しい。

2017-05-22

映画ドラマを用いた英語リスニング学習

私は英語趣味にして久しく、英語学習法などいろいろ探したり手を付けたりしてみたが、リスニングに関しては出来るようになりそうなのを見たことすらない。なので自力手法を開発していくしかなかったのだが、その手法はなかなかの成果を上げ、最近では自分の納得いくリスニング力にかなり近づくことが出来た。嬉しいので今回その手法シェアしてみようと思う

私は大人向けのドラマ映画を見ながらリスニング力を鍛えたが、子供向けのものも実はリスニングレベル的には大差がないので、より面白く感じてモチベーションを保てるものをやっただけだ。自分の好きなものを見て、楽しく続けるのが結局は一番効率的になる。英語教材は高いが映画DVDなら100円で借りてこれるのでお金もかからない。

スポーツ勉強など通常のトレーニングでは、考えて仮説を立て実際にやってみて実証するといったプロセスをとる必要があるが、リスニングは考えても出来るようにはならない。英語音声を何回も聞いてみて、必死意味を考えてみたところで何を言ってるかわかるようにはならない。

まず第一に音を覚える必要がある。だから英語字幕が出ない映画ドラマなどは見ても意味がない。英語字幕ありとパッケージに書いてあるものを借りてきて見なければならない。

英語字幕を出さずに視聴をする意味があるかというのは実は大きな問題である最初は何を言ってるのか全く分からないはずなので字幕なしで見る意味はない。

字幕を出しながらの視聴でもネイティブペラペラしゃべっていると字幕を読むのすらついていけないという人も多いだろう。一時停止をしながら意味確認しようとしても、映画ドラマに出てくる口語表現イディオムは難しいため一時停止しても意味がわからないということもある。その場合はまずリーディングの訓練をすることをおすすめする。簡単英語小説なら普通に読破出来るくらいのリーディング力がないと、ドラマ映画を視聴するのは難しい。

ある程度のリーディング力がつけば、一時停止して字幕を見ながらネット検索などで一つ一つ意味確認していく、という作業を全体通して2,3周繰り返すことで、字幕英文意味を全て把握することが出来るようになる。そうしたら字幕を消して視聴し、役者がしゃべっているセリフと頭のなかにある英文を比べていく。一致してるように思えない場合は、字幕を出したり消したりしながら同じシーンを繰り返し視聴し、字幕英文を繰り返し音読し、テレビの中の役者セリフに近づけていく。これは出来るまで100回でもやる価値がある。

1箇所を100回やっても分かるようにはならないが、長期間やり続けることで音の解像感が上がっていき、役者の話している音ひとつひとつが捉えられるようになり話している言葉も徐々に分かるようになってくる。

音を聞いて頭の中の英文と比べる作業は初めはものすごく疲れるし、うまく出来ないので辛くなるだろう。わからない箇所を100回音読する作業を全体通して3,4周するのが理想だが、別に10回でもいいし、1周でもいい。やり続けることが一番大切なので出来るペースでやっていくことだ。初めは一時間ドラマ一話に一ヶ月かかるかもしれないが、そのうち音読必要な箇所が減り必要音読の回数も減り、聞き取れるまで何周もする必要もなくなるので、一日かからず出来るようになる。

からないシーンを何回も聴き直すためには、巻き戻しを効率的に行えるようにすると良い。このためにはDVDを取り込んで再エンコードし、キーフレームの間隔を狭めるという作業必要になる。これは多大なPC知識必要で、法的にもグレーなので自己責任で行って欲しい。

それと、動画再生パソコンで行うこと。Media Player Classic Home Cinemaのようなソフトが良い。「前のキーフレームに戻る」「次のキーフレームに行く」「字幕オンオフ」「再生/一時停止」のキーボードショートカットを覚えて自由に使いこなせるようにしておく。私は全て矢印キーに配置することで快適に操作できている。

役者の音声と英文対応をとっていくうちに、様々な役者の様々な発音、訛り、音響による音の違いなどが頭に入ってきて、やがて初見の音でも何を言ってるのか分かることが増えてくる。そうなればいよいよ映画を予習なく最初から字幕なしで見るというトレーニングが出来る体制が整う。

音は覚えられたが、話のスピードが速くてついていけない、途中で疲れて集中が途切れてしまって意味が取れない、といった場合がある。そういった問題対処するためには、脳の動作スピードを上げる筋トレのような作業必要で、このために字幕を出さずにそのまま聞くトレーニング有効である

この脳の動作速度の問題は、実は大半がリーディングでも鍛えることが出来る。返り読みなしのリーディングをスラスラこなすことが出来るなら、リスニングでも音さえ取れれば意味を捕まえることは難しくない。リスニング能力の向上に行き詰まったら、リーディングトレーニングも併用することをおすすめする。

私のおすすめトレーニング法は、ただ辞書を引きながら英語小説を読んでいく、というものだ。児童文学にも大人の鑑賞に耐える楽しいものが多いので、そういったところから徐々にレベルを上げていけば良い。小説児童文学でもいろんな語彙が出て来るので、辞書を引いていけば自然に語彙力もついていく。

日本人一般的英語力では児童文学でも読破はかなり難しいが、そこは学習参考書とかネット検索質問サイトなどを駆使しつつ根性で何とかする。最初さえ越えてしまえば後は「小説を読む」「映画ドラマを見る」といったことだけで英語力は際限なく上げることが出来る。楽しくて実用にもなる最高の趣味になることは保証できる。

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-03-02

木下藤吉郎みたいな名前主人公タイトルが思い出せない

http://anond.hatelabo.jp/20170301204257

で「ミスター味っ子」が元祖みたいな話が出て来て、そういえば似たようなやつでミスター味っ子より前だと思うんだけど、アルデンテの話を扱ったエピソードがあったなあと。

マンガだったのか、児童文学みたいなのかおぼろげなんだが、何年か前にはググって見つけたことはあるんだけど、今もう一度探したところ見つからなくてスッキリしない。

屋台引いてる子どもが主役で、味勝負的なやつで一度にどれだけのラーメンを出せるかって話で「秀吉一夜城」の逸話が紹介されてて、

しか一度に三杯ラーメン作れるようなザルを作った。これが一話かなんかで、その時ラストクラスメイトから主人公名前木下藤吉郎みたいだ的言及があったとおぼろげな記憶

で、別な話で「箸が使えない外国人にどうやってラーメンを食べさせるか」ってお題で、結局スープ入れた丼にザルのせて、そこに麺をのっけて出すのが解決法ってなる前後で、

「本場のスパゲッティは中に芯があるアルデンテ」って説明があったと思う。お客さんがゆっくり食べるから麺がのびちゃうところ、アルデンテに茹でてるから大丈夫って話。

一度見つかった物がまた見つからないってのはスッキリしない。

なんとも言えない喪失感だよ。

2017-01-05

学校名前がかぶった話

小学校の時、同姓同名の子がいた。

うちの田舎はよくあることだけど、特定名字が多い。

私は増田隆だったが、同級生増田隆だった。

その他に、増田孝雄がいて、増田貴子もいる。

そんな小学校だった。

そんな田舎なので、クラスが30名1クラスしかない。

そのクラスの生徒のうち、増田姓が半分ぐらいいた。

増田隆が同じ学校に2名存在した場合

普通なクラスをわければ混乱は少なくなるだろう。

でも1クラスしかないここではそうはいかなかった。

先生は困り果て、生年月日のはやい順に増田隆A、増田隆Bと呼ぶことにした。

ところが、これが親からの猛反対にあった。

子どもものみたいに記号をつけるなと。

じゃあ、どうして欲しいのかという意見は親からでなかった。

先生さらに困り果て(代わりの教師はいないのも理由だ)、

教室には「増田隆くん」は1人しかいませんとみんなの前で発表した。

突然はじまったその説明によると、

朝登校して、机の上に三角錐でできた「当番」とかかれた木材を置かれたほうが「今日増田隆」ということだった。

ボク達は、ちょっとわくわくしてそれを受け入れた。

もちろん「親には内緒だよ」という先生の教えも忠実に守っていた。

から、当番札が置かれなかった増田隆は、

教室存在してはいけない増田隆になった。

ボクが「非番」の日は、図書室で本を読むことにした。

江戸川乱歩シリーズや、岩波児童文学を片っ端から読み漁っていた。

勉強が好きではなかったので「非番」が少し寂しい気もしたが、嬉しくもあった。

もうひとりの隆くんは、授業も先生も好きで、当番になると素直に喜んでいた。

二人はそれぞれの好みにあわせて、しばらくはうまくやっていたようにも思えた。

そんなある日の放課後、背後からやってきた隆に、

傘の柄を首にひっかけられ、殺されかけたことがあった。

その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、

隆には低酸素脳症障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。

隆は「ずっと当番でいたいから隆が邪魔になったんだ」と泣きながら弁解していたが、

まわりには聞き入れてもらえず、この事件きっかけに名前を孝に変え、親戚の家へしばらく引き取られた。

先生のこの企みが白日の下にさらされて、先生も他校へ異動となった。

そしてこの週末、成人式で隆に久しぶりに会うことになっている。

どんな顔をするんだろなぁ。

2016-12-16

文章が好きだった。

物心がついた頃には、すでに文字が読めていたらしい。というのはさすがに大げさだろうけど、それでもひとよりは、読み書きの習得が早かったのだろう。

とにかく絵本を読むのが好きな子供だったようだ。家にある絵本を片っ端から読んで、新しい絵本を沢山強請ったらしい。おかげで実家には、本棚いっぱいに絵本が置いてある。

小学校入学する頃には、簡単漢字の読み書きも出来ていた。それ故に、ひらがなのなぞり書きを何十回もさせられる国語の授業と宿題が、ものすごく苦痛だったことをなんとなく覚えている。

小学校には当然、図書室があった。片っ端から、というわけでは無いが、よく本を借りて読んでいた。児童文学を中心に読んでいたと思う。それ以外の本はあまり好きではなかった。

自分物語が好きなんだ、小説が好きなんだ。と、漠然と思っていた。

中学生ぐらいになると、読む楽しさに加えて、書く楽しさを覚えた。読書感想文を書くのが好きだった。こっそり小説なんかも書いたりしていた。

二十歳を過ぎた今でも、小説を中心に、本をよく読んでいる。自分でも書いてみたりしている。

小説を読んでいると、なんとなく楽しい

小説を書いていると、なんとなく楽しい

なんとなく素敵な気持ちになる。

なんとなく安心する。

だけど、今になってやっと、自分別に小説が好きだったわけじゃないんだと、気づき始めた。

インターネットを眺めていると、莫大な量の文章に触れられる。

どこかの誰か、知らない人が書いたブログ記事だったり、小説投稿サイト投稿された作品だったり。増田だったり。大きな本屋さんや、図書館よりも、何倍も多くの文章を読むことができる。

そうやって沢山の文章に触れていると、時折、ものすごく好みの文章出会うことがある。一文読んだだけで、心が奪われる文章。次々と読み進めてしまい、止まらなくなる文章。読んでいるだけで酷く安心感が得られる文章

理由はわからないけど、「なんとなく大好きな文章」と出会うことがあるのだ。そういう文章の中には、意味すら理解できないものもある。何が言いたいのかわからない、内容が伝わってこない、それなのに、なぜか溜まらなく好き。そういう文章出会う。

絵画とか、現代アートとかに近いのかもしれない。理屈じゃなく、素晴らしいと感じるのだ。

きっと自分は、工夫された文章が好きなのだろう。その工夫が、自分の好みと合致したとき幸せに感じるのだ。

小説が好きなわけじゃなかった。物語を伝えるために、表現豊かに工夫された文章が好きだったのだ。

反対に、誰にでも誤解なく正確に伝わるよう書かれたような文章は、あまり好きにはなれなかったのだ。


文章を読むとき芸術先品を鑑賞するようなつもりで文章を読んでいるのかもしれない。さながら、絵画を見るような、音楽聴くようなつもりで。自分にとって文章というのは、ずっとそういうものだったのだろう。

それに気が付いてから、より文章を「書く」ことに注力した。とにかくいい文章を書きたい、自分が好きな文章を書きたい、と思うようになった。誰のためでもなく、自分のために。

消費者として好きだったものを、今度は自分生産者となって作ろうと考えるのは、ごく自然なことだろう。しかし、それは当然簡単ではない。

絵を見るのが好きだからと言って、絵を描くが上手いわけでは無いように。音楽を聞くのが好きだからと言って、作曲が出来るわけでは無いように。

自分文章を読むのが好きだが、ご覧の通り、「書く」方はこんな状態である。基本がなってない上に、センスもなく、なまじ変なこだわりが強いばっかりに、ぎこちなさが目立つ読みにくい文章。はっきり言って下手くそ文章

文章が好きで好きでたまらなくて、ネット上に転がっているどこかの誰かの殴り書きすらも、芸術作品としてとらえている人間の書く文章が「それ」である

結局消費者はどこまで行っても消費者しか無くて、生産者とは相いれないのだろうな、と。まあ、自分で書いていて悲しくなるけど、そういう現実も、あるにはあるのだろう。

それでも文章を書くのは好きだし、これからも書き続けていく。

いつか、自分が納得できるほどの文章が書ければいいと信じて。

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020145817

そんなの勿論人による

…と思うが、個人的にこっちは全然OK。何故ならエロくない。

作者の人のサイトを見つけた

http://www.akatsukikatoh.com/single-post/2016/10/11/%E9%A7%85%E5%89%8D%E6%94%BE%E7%BD%AE%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3

加藤アカツキっていうのか。

心霊探偵八雲の表紙や児童文学の表紙、英語教科書イラストなどで活躍している人みたいだね。

http://www.akatsukikatoh.com/work

同人の方はちょっとどうかと思う絵もないではないがそこまで酷くはない。

http://www.akatsukikatoh.com/doujin

まり駅乃みちかが駄目でこれがいいっていう意見が多いというなら

萌え絵が叩かれてる訳では全然なくて、駅乃みちかのあの絵にある固有のセクシズムが叩かれてるんだって事が分かるんじゃない?

2016-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20160723135132

カネこそすべて以外の思想に触れるきっかけとか、聖書以外でもいくらでもあるだろ

児童文学マンガアニメ、なんでも

わざわざ聖書を読んだほうがいいっていう根拠にはまったくなりえない

2016-07-20

周りで誰も知らないマイナー本を紹介するシリーズ:「光車よ、まわれ」

いわゆる児童文学ジャンルに属する本

ただそうはいっても全体的に雰囲気が暗い本で、いわゆる子供が好きそうな明るい話ではない

しかしひたすら暗いわけではなくて、ところどころに神秘的な雰囲気がある、不思議な本

ストーリー小学生女の子主人公で、現代日本舞台

ある雨が降る日に同じクラス男の子学校おかしくなる場面から始まる

話が進んでいくと男の子おかしくなったのは理由があって、町の地下に住んでいる悪い王様のせいというのがわかってくる

その悪い王様は水を操る術が使えて、陰謀に気づいた主人公に対し水を使った攻撃を開始する

それに対し、主人公のおじいちゃんは事の全貌を把握しており、あるアイテムをそろえると悪い王様を退治できることを主人公に伝える

そのアイテムタイトルにある「光車」だ

こう書いてしまうと凡庸ストーリーに見えるかもしれないが、自分が引かれたのはその雰囲気だった

ファンタジーでありながらハリーポッターゲド戦記といった西洋ファンタジーとはまったく違う雰囲気表現

といっても執拗なまでに日本的要素を出しているわけでもない

この作者にしか出せないような味があると思う

「水」をベースにした退廃的で暗い雰囲気を出しながら、キーアイテムである「光車」は文字通り光り輝く神秘存在として描かれており、その対比がとてもよい

また主人公やその友達で悪を倒すという一種冒険譚にもなっており、冒険の楽しさ、怖さ、苦しみ、救いがきちんと描かれている

恐怖感の描写も巧みだ

敵は水に潜んでおり、水の中から攻撃を仕掛けてくる

その攻撃の仕方も独特で、例えば釣り針が飛んでくるなど読者(小学生高学年ぐらいの少年を想定)の恐怖をあおるような書き方がうまい

一応児童文学のくくりに入るが、大人が読んでもある種の感受性が強い人(例えば子供のころにエンデモモが好きだった人)はきっと楽しめると思う

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詩人宮澤賢治研究家天沢退二郎作品

まり作品は多く書いてなくて、なかでもこの本が一番有名

他の作品も一時期復刊.COMで復刊していたけど、今はどうなっているか不明

ちなみに猫が出てくるアニメ版銀河鉄道の夜」にも監修かなにかでかかわっていたはず

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周りで本を読んでる知り合いがいなくて本の話ができなくてさびしくて

その孤独を埋めるためにこういうコーナーを設けてみました

2016-07-18

ハリポタに思うこと

一言で言えば、「いや児童文学だろ?」とツッコミたくなる。

ずいぶん昔から、本のブームやら映画化やらのニュースを見聞きしてきたが、

どうも日本では大人商売事情ばかり見え隠れしていて、肝心の子供が置き去りにされている印象すらある。

そもそも、大の大人必死になるようなもんなのだろうか。

例を挙げよう。私の地元は『ズッコケ三人組シリーズ舞台稲穂ミドリ市の元ネタとして有名だが、

そこに熱狂的な外人がやってきて、「ここがアカツキ書店の元になった本屋か!」とか言ってたらどうだろう。

一応その場は適当ごまかすかもしれないが、内心ものすごくドン引きである

児童文学なんてそんなもんではないか

これが子供向けアニメ特撮だったらどうか。確かに、いい歳こいてはまる大人というのは山ほどいる。

しかし、それがどちらかといえば恥ずかしい趣味だという自覚は彼らにもあるだろうし、

何より、あくまでメインのお客は子供たちである、という原則は守られていると思う。

ところが、日本におけるハリポタにはそれがない。

リア充サイドの人らが、堂々と吹聴して回る趣味になりかねない勢いだ。

おそらくJKかそこらの女の子が、USJCMで恥ずかしげもなくメテオロジックスとかやっているのを見ると、

やっぱりどこか違和感がある。

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