2017-01-05

学校名前がかぶった話

小学校の時、同姓同名の子がいた。

うちの田舎はよくあることだけど、特定名字が多い。

私は増田隆だったが、同級生増田隆だった。

その他に、増田孝雄がいて、増田貴子もいる。

そんな小学校だった。

そんな田舎なので、クラスが30名1クラスしかない。

そのクラスの生徒のうち、増田姓が半分ぐらいいた。

増田隆が同じ学校に2名存在した場合

普通なクラスをわければ混乱は少なくなるだろう。

でも1クラスしかないここではそうはいかなかった。

先生は困り果て、生年月日のはやい順に増田隆A、増田隆Bと呼ぶことにした。

ところが、これが親からの猛反対にあった。

子どもものみたいに記号をつけるなと。

じゃあ、どうして欲しいのかという意見は親からでなかった。

先生さらに困り果て(代わりの教師はいないのも理由だ)、

教室には「増田隆くん」は1人しかいませんとみんなの前で発表した。

突然はじまったその説明によると、

朝登校して、机の上に三角錐でできた「当番」とかかれた木材を置かれたほうが「今日増田隆」ということだった。

ボク達は、ちょっとわくわくしてそれを受け入れた。

もちろん「親には内緒だよ」という先生の教えも忠実に守っていた。

から、当番札が置かれなかった増田隆は、

教室存在してはいけない増田隆になった。

ボクが「非番」の日は、図書室で本を読むことにした。

江戸川乱歩シリーズや、岩波児童文学を片っ端から読み漁っていた。

勉強が好きではなかったので「非番」が少し寂しい気もしたが、嬉しくもあった。

もうひとりの隆くんは、授業も先生も好きで、当番になると素直に喜んでいた。

二人はそれぞれの好みにあわせて、しばらくはうまくやっていたようにも思えた。

そんなある日の放課後、背後からやってきた隆に、

傘の柄を首にひっかけられ、殺されかけたことがあった。

その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、

隆には低酸素脳症障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。

隆は「ずっと当番でいたいから隆が邪魔になったんだ」と泣きながら弁解していたが、

まわりには聞き入れてもらえず、この事件きっかけに名前を孝に変え、親戚の家へしばらく引き取られた。

先生のこの企みが白日の下にさらされて、先生も他校へ異動となった。

そしてこの週末、成人式で隆に久しぶりに会うことになっている。

どんな顔をするんだろなぁ。

  • その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、 隆には低酸素脳症の障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。 三人称だけど障害を負...

    • 知的障害があったから 「こいつがいなくなれば隆を独り占めできる」 という浅はかな気持ちで犯行に至った ということがいいたかったんじゃね?

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