はてなキーワード: 中国文学とは
前半では美術を知的にとらえようとした。後半は生物学がテーマ。
平安文学のマイブームが続き、続いて神林長平とヴォネガットを読み始める。
英国の貴族や執事、メイドがテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。
シオドア・スタージョン「一角獣・多角獣」
奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。
ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。
冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。
ひたすら中国の古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。
アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。
やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。
コロナで回数は少なめ。
「パディントン」
「イェスタディ」
「JUNK HEAD」★★
生物学、脳科学、歴史、SF、海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。
さて、昨日のブログが、思った以上に反響があり驚いてますが、ご覧いただけましたか?
このブログですね
今朝こんなメッセージが届いてました。
この記事すばらしいです!全員一読して、どちらのタイプか考えるとよいかと思います。
読みました!!なるほど!!僕と阿部さんがマッチしていたというのは、こういうことなんですね!!本当、阿部さんの言う通り!
ということで、チャットワークの交流ルームで、話題になっていたのですが、思った以上にしっくり来たみたいでありがたいです。
さて、ブログの記事は後で読んでもらうとして、端的に言うと、経営者として成功するのは『君主タイプ』これは、歴史をさかのぼってみても間違いありません。
下手に軍師タイプが君主を狙うと、最悪な末路が待っていたりします。
2、難しいのは法律家などの先生業は軍師の仕事をする君主であること
ところが、我々のような法律家や、先生業は、どうしても『軍師の仕事』をしなければいけない『君主』という経営者であります。
そうなるとそこの整合性が難しいんです。器用な人だと、この割合を7対3などで、やっていけるんですが、その7も『君主タイプの能力』が求められます。
私自身が、『軍師タイプ』であるので、『君主タイプの背中を追って君主タイプになろうとする辛さ』これはよくわかっています。
私が、伸び悩んで苦戦したのは、ここが原因だったんだなときちんとわかっていても、軍師タイプには、それを実行に移す能力がないんです。
あくまでも、他の人に動いてもらって輝けるのが軍師タイプなので、自分で動くと、あれれれれ???となってしまうんですね。
これ、君主タイプの人からすると、『なんであの人、あんなに賢いのに、できないんだろう??』という風になってしまうわけです。
3、歴史に学んでみよう。あの天才軍師も君主の役割をこなせていない
さて、あまり今まで出してきませんでしたが、私は、中国文学科に行くくらい中国の歴史が好きで、小学生からいろいろと読み込んでます。
これからは、そういう歴史から学んだ知識も少しずつ出していきますね
さて先ほどのブログでも書きましたが、私の好きな三国志。そこに出てくる天才軍師こと諸葛亮(孔明)がいます。
彼は、天才といわれていますが、それが発揮できたのは、君主である『劉備』が生きていたときまで。
その後、経験値の薄い彼の子供に変わって、全部の仕事を一手に引き受けてしまった彼は、
『部下をきちんと使いこなせず』
これは、あまり三国志演義では書かれていない部分ですが、三国志を追ってみると、そういう彼の『君主タイプになれなかった苦悩』それがにじみ出ている気がして胸が締め付けられます。
私は、子供のころから、何となく孔明が嫌いだったのですが、恐らく同族嫌悪というやつなんでしょう。私も会社員時代に同じことやって失敗してます。
一方君主タイプで有名なのが、時代はさかのぼって、漢王朝を作った劉邦という人物。
彼は、『刑罰?そんな面倒なのいらないよ条文は3つでいい』と言っちゃうようなおおざっぱな人。逃げるときは、自分の馬車が軽くなるように自分の子供を投げ捨てて、それを部下に怒られるようなとてもじゃないですがまじめなタイプではありません。
でも、全部を人に任せていることができる器だったので、優秀な人材がどんどん集まって、その人たちが勝手に天下を統一してくれる(笑)
そこから、500年続く漢王朝の皇帝になるんですから。すごいもんですよ。
つまり、軍師タイプは、『君主タイプには勝てない』これをまずは、受け入れるしかありません。ただこれは、器の話でしかありません。
失礼かもしれませんが、軍師タイプは器が大きいので、誰かに助けてもらうことができてきました。
ですので、一人で乗り越えてこなければならなかった軍師タイプが勝っている部分はたくさんあります。
戦略とか、知識とかは、明らかに軍師タイプが上です。つまり、軍師タイプの経営者は、自分が君主になろうと目指すのではなく、『誰かを引き立てて、その人に天下を取らせようとする』つまり、『裏のドン!』を目指すことになります。
そして、そのためには、たくさんの経営者と仲良くなるのではなく、少数の有力な経営者と濃くつながっていく戦略が大事です。
そう考えると、必然的に
『サービス単価は高い』
『だらかをサポートする内容』
『顧客は少なくてもかまわない』
そんなサービスを作っていかないといけないのであって、君主タイプのように、『たくさん仕事しますよ。ばりばり!!』は、残念ながら、過労死が待っています。
君主タイプの人は、『バリバリOKです』というのも、限界が来たら、人に任せられるので。軍師タイプは、人に任せられないんですよ。
6、あなたがもし、コンサルで苦労しているならその講師は、君主タイプかもしれません
ということで、あなたは、軍師タイプですか?それとも君主タイプですか?
ちなみに、世の中の有名なコンサルさんですが、現在活躍している人は、ほぼ君主タイプです。
セミナーに出るとわかりますが、超アバウトです。戦略的に語っているように見えて、大事なところはすっかり抜け落ちていることが多分にあり、だから実践してもあれれれれ?となってしまうんですね。
これ、同じ君主タイプの人なら、何とかなるんですが、頭で全部考える軍師タイプには非常に苦しい状況に追い込まれます。
そもそも、軍師タイプは、必死に君主タイプのマネをしても、苦しくなるだけで成果があまり出ません。
しかも、その方法が有益だとあたまでわかっているだけに、できない自分にがっかりしてしまうんですね。
私もそういう苦労をしました。真似ても真似ても、劣化版の成果しか出ないんです。嫌になってしまう。
他の人にやってもらうと、ものすごく成果が出るんですけどね(笑)これ典型的な軍師タイプの経営者です。
だから軍師の生き残り方も、そして君主を成長させる方法も知ってます。
コンサルタントに選ぶのであれば、私は、君主タイプよりも軍師タイプを選ぶといいんじゃないかなと思ってますよ。
ということで、最後に宣伝も加えておきましたが(笑)軍師タイプのコンサルは、目立った活動をしていないことが多いです。
先ほども話したように、軍師タイプは、少人数をしっかり守ることが得意ですので、表に出しゃばって出ることが少ないんです。
だって、君主タイプの経営者のマネをしたくても、素晴らしいとわかっていても、実践ができないんですから。
もちろん器用な人は、上手く使い分けられていますが、そうじゃない人も多い。
そういう人は、私のような軍師タイプの経営者のコンサルを受講してください。そちらの方が、無理なく成長できます。
「孫子」
大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病、リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である。
なお、「馬鹿が孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学や歴史等の研究で孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。
まず、孫子は短い。他のまとまった漢文の文章、たとえば荀子や韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり、漢文の基礎力が足りない馬鹿がちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。
そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由に解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言・警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである。
要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ。
馬鹿は短い文章が好きである。理由は単純で、長い文章が読めないからである。
文学が好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。
しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつうの文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要だからである。
孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分の世界にこじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子とクラウゼヴィッツの比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのものを理解しようしない。
というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなのである。馬鹿の文章の読み方はこうだ。
孫子は、前後の文脈を無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである。
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
古文や漢文が読めなければ日本の歴史や文化を自分で把握することが出来ず、これは大きな問題となる。しかし今の日本の古文教育では「日本の古い文学」「漢代のころの中国文学」「唐のころの歌の歌詞」しか教えていない。これでは日本の文化を理解する多少の助けぐらいにはなるかもしれないが、日本の歴史を理解することは全く無理な話だろう。
せっかく古文や漢文の教育をしているのだから、室町時代の行政文書だとか、江戸時代の一揆の訴状であるとか、そういうものの読解というのを高校教育ぐらいで導入する必要があるんじゃないの。こういうことまでちゃんとやらないならやるだけ無駄でしょあんなもん。これは真面目にそう思っています。