はてなキーワード: ボルトとは
昨日開封した、Amazonで19980円のクロスバイクが、今朝みるとブラックフライデーとやらで16980円になっていた。
体感24時間もたたないうちに、15%引き、3000円の損である。
悶絶のあまり、風呂に1時間以上つかり、この感情の激しさを抑えるべく増田に吐き出すことを決めた。
近くのイオンでその名のセールを知り、「金曜日に安売りセールするのかな。リキ入っているなあ」などとイオン特売セールだと思っていた。
その後商店街の靴屋でもロゴを見かけ「もうちょっと広範囲なキャンペーンかなと」ぼんやり意識したのが昨日。
ブラックフライデーが、アメリカでの感謝祭にむけた年一の大大的なお祭りセールであることを数分前にwikipediaで知った。
amazonのブラックフライデーが2020年は11月27日、つまり今日始まることは前から決まっていたことも、1分前に知った。
ダイエットのために2か月近く毎日自転車で1、2時間ほど走っている。だが所有しているのは14インチの折り畳み自転車のみ。
軽いのはいいのだが、シフトギアもないので速度は普通に漕いでママチャリに劣る。電動なら前後に子供二人のっけた状態でも抜かれる。
ましてやサイクリングロードではロードバイクやクロスバイク、20インチの折り畳みバイクにも抜かれる。
最弱である。
気にしないつもりでも、鬱積は弱く静かに淀みとなって残る。
検討の末、20インチの9段ギア付きの軽量(8.9kg)折り畳み自転車をネットで7万で注文した。10月頭のことだ。
しかし取り寄せということで11月に入っても入荷せず、ついには12月の中旬以降というお知らせまで来た。
同じ製品がamazonでも販売されていることは知っていたが、ポイント割引など踏まえると1万円ほど高い。
この差は大きい。その時はそう思っていた。
入手まで一か月以上この状態に耐えることはもはや苦痛であった。
今の注文をキャンセルし、割高でもamazonで買う選択肢もあった。
しかし安ければ700Cホイールのクロスバイクを別に買うのもよいなと考え始めていた。
通りすがりのスポーツサイクリング車の店でパンク修理をお願いした際、後輪の外のタイヤが破れていると指摘された。
最安の品で、あまりの固さに交換に手間取ったが、その際の、タイヤを外したり調整した経験が自転車欲を高めた。
もともと学生時代はクロスバイクで休みにはテントを担いで数週間ツーリングをしていたぐらいには自転車が好きだ。
そのころのものは手放して久しい。安いクロスバイクを買っていろいろいじってみるのも楽しそうだ。
1万円高いものを慌ててamazonで購入するぐらいなら、1万円のクロスバイクをメンテ能力をあげる踏み台として使おう。
そもそも5万以下の製品は自転車好き視点では見かけだけがクロスバイクの「ルック車」と呼ばれる。
すぐ壊れて危険、重い、パーツが独自で修理できない、実質ママチャリ、ロードバイク乗りからはすれ違い様侮蔑される、など散々な扱いである。
まあだが、だからこそ安いほどいい。
極端に評価が低くなく、購買者が多いもので、できれば1万円台。
そして注文したのがamazonで19980円の3x7段シフト、13.5kgの格安クロスバイク(ルック車)であった。
5日前のことである。
到着した日は仕事で開封できず、翌日、つまり昨日の午後に開封した。
想像よりでかい、重い、ブレーキハンドル・グリップ・サドルが安っぽい。
タイヤの細さもロードっぽいというより軽さと安さのためではとうがってしまう。
空気バルブはママチャリと同じ英式の虫ゴム形式。試しに抜いてみると臭いガスのにおいが漏れる。
前輪はクイックレバーで自力でつなげる必要がある。後輪にはクイックレバーはなく接続済。
同封のマニュアルは汎用らしく、無いパーツや折り畳み自転車用の詳細なメンテ情報が記載してある。
室内でビニールシートを引き、前輪・サドル・ハンドル・ペダル・ライト・チェーンロックをつける。
泥除けは面倒なので今はつけない。ボルトのカバーキャップは一応つける。
もう日も暮れかけのころ、表で数十メートルだけ回ってみる。
前の3段ギアが2段しか動かない。ブレーキの利きは遊びが弱く固い。ライトは見た目がダサい。
でも走れないことはない。
大き目な公園まで行ってみようと車道で坂を下りギアチェンジしたとたん、後輪のタイヤが止まった。
後輪が左に傾いており車体に完全に押し当てられている。もはや前にも後ろにも動かない。
後輪をあげ、前輪だけで運ぶ。
すれ違う下校中の女子学生の群れを抜け、街灯の下、夜道を10分かけて帰る。
「君」を部屋に再びあげる。
後輪をまず外そう。
ボルトキャップを外し、レンチをあてると明らかに、一脚スタンドがついている側が緩い。
力を入れるまでもなくすぐに回転する。
おそらく最後の工程でスタンドをつけるとき、手抜きして締めたのだろう。
両方のボルトを緩め、タイヤを一度外し気味にして差し込みなおす。
車体をさかさまにして、タイヤを回転させながら、フレームの中央で回るようにタイヤを調整する。
ずれがないようにボルトを左右、少しずつ締める。
そもそも後輪については説明書にも記載がない。補助輪のつけかたの説明はあるのに。
2)ワイヤーの張り直し
3)ギア調整ネジでの調整
1では治らず、3で調整。本当は2を先にやるほうがいいようだ。
説明書にも「1速に入れらない症状の5割以上はワイヤーの張りが原因です」と記載がある。
ワイヤーの初期伸びとして最初から調整が必要なことが織り込み済なのだろう。
ネットの評価コメントでも自転車屋での調整必須という声が散見された。
説明書の記載も、別の個所だがボルトの強度(トルク目安)の記載がある。百円均一の工具ではわかりようもない。
ブレーキは効いている分には問題はなさそうなので、再び外に出る。
折り畳み自転車と比べると車体は重く、振動時に足とグリップへの緊張が高くなる。
そのグリップもカバーが薄く、すぐ手が痛くなる。これは要交換だ。
足が伸び切らないからか膝が痛くなる。
サドルの高さも少しずつあげてゆく。
速度は折り畳み自転車の倍、とまではいかないが1.5倍は出る。
その分、脚への負担は大きい。サドルで尻が痛い。そしてやはり車体が重い。
だが、2万円だし、こんなものだろう。
そして朝を迎えて、ブラックフライデーによる値引きを知る。
amazonの返品は条件つきで30日以内にできる。クーリングオフでも7日以内なら可能だ。防犯登録もまだしていない。
返却して買いなおしという選択肢もある。
自由がかえって心を悩ませる。
自由からの逃走、はエーリッヒ・フロムの言葉だったかと、風呂場で苦悩しているときに思い出す。
お年玉をあげる立場として、1000円だと子供も渋い顔をするだろう。5000円なら喜ぶだろう。1万円なら親が恐縮するかもしれない。
だが3000円だった場合。ぽち袋も微妙に膨らみ、もらいがいもあるだろう。小学校中学年までなら喜ぶかもしれない。
Uber Eatsは一件あたり500円、ドライバーは得るという。6件分である。
時給980円で3時間分。
先日、本屋で、間違えてすでにもっている「クトゥルフ神話TRPGサプリメント クトゥルフ2010(3800円)」を再購入したこともあった。
返却してすべてなかったこともできる。合理的とはそういうことだ。いや経験の分だけ得したかもしれない。
梱包して、コンビニで集荷して、amazon返却手続きすればいい。
自らの愚かさはそれで証拠もなく消える。
だがそれを今、自分は信じ切れていない。
このまま事態を受け入れることもできる。
3000円で動揺した自分の小物ぶりはすでに強く味わった。
合理的な行動により何かを得たようで、その合理性に過ちがあり、何かを失った。
とにかく、もう一度だけ、あれに乗って、それから考えようと思う。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
理科の先生が「鉄の特徴は、さびやすいこと」と仰られたときに、私のような前時代の人間は
クズ置き場にある錆びた釘、ポイ捨てされた錆びた缶、錆が見窄らしいお下りの自転車、裏庭の剥げたトタンに覗く赤錆、校庭の鉄棒で茶色く染まる掌、
などをイメージするのだが、果たして其れ等を今現代の子供たちも同様なのか、いましがた気になりし所存。
そのような疑問を思いついた理由としてまず1つ、現代は昔より段違いに「塗装・鍍金」の技術が著しく進化している点がある
あらゆる鉄製品はほとんどが塗装鍍金されてると言っても過言ではない
しかもその技術は昔のそれとは段違い、錆も守るし、剥離もしない
そうなると鉄製品は錆びる前にどっかが壊れてすぐ捨てるということになる
あと、昔は家具とかに釘が使われてたけど、今はクロゾメとかユニクロメッキされたボルトやナットで組み立てる、骨組みも塗装済み、
鉄特有の白銀の光沢がある部分はほぼステンレスなので錆びない、ゆえにインテリアで錆を見たくても見られない、という状況なのだと想像できる
次の理由として、単に「鉄が少ない」
スマホとかアルミ、家電とか外装プラスチック、フライパンとか鍋はテフロン、水回りはステンレス
数少ない「鉄」はみーんな塗装済み
これじゃあ、小学生に「磁石がくっつくものを探そう」ってなったときに
「色がついている金属は磁石がくっつきます」「ピカピカした金属は磁石がくっつきません(ステンレス、アルミ合金等)」
といった、一昔の常識とは真逆の結論が出るということになってしまうかもしれない
でも、学校っていう場所は、物持ちが良いという意味で古くてボロい旧世代の代物がたくさんあるから、この疑問は杞憂なのかもしれない
身から出た錆ってか(?)
愛せるかは人それぞれだからわからん。育てられるかも収入や職業それぞれ。ただし産まれて不幸はあるかもしれないけど幸せや喜びもあるからな。
不透明な時代だけど不透明な時代だってわかりきってるんだならロスジェネの親みたいに学歴信仰一本槍で大外しってことにはならんだろう。
子供といて思うのは俺が主役の時代は生まれた瞬間に終わったんだなってことかな。その考えに至ったときは悲しくなったけど人類累々みんな同じだったんだよな。死ぬまで主役だと思ってけどシーズン2は主役交代なのよ。ナルトとボルト。だから産んだら産まないっ手選択肢はなかったって思うけどね。ま、産まれればだから。個人的には最高。
いわゆる丸形のバレルジャックDCプラグは外径5.5mm内径2.1mmセンタープラスが標準で、それのサイズ違いが数種類あるが、プラグ側が細い分には上下ワンサイズくらいなら接触する。安っぽくない国産製品の場合は国産規格EIAJの場合があり、こちらは間違って刺しても故障で済むように大まかな電圧区分で区切られていて、違うサイズは入らない。
汎用ACアダプターはだいたい5.5mm/2.1mm(IEC 60130-10:1971 Type Aというそうだ)またはEIAJ 2番で、ここから変換する。
元増田も調べているように電圧(ボルト)は正しい数字が必要で、電流(アンペア)は機器の必要量より多ければ問題ない。出力が電力(ワット)で表記されている場合はワット数を電圧で割れば電流になる(5V 10W = 5V/2A)。本当はその辺の無線ルータのようなコモンなデジタル半導体製品で使う電圧は12V、5V、3.3Vくらいしかないのだが、基板上で安定した電気に変換するための三端子レギュレータという部品が数ボルトのドロップ量を要求するので、ACアダプタは19Vや7Vなど少し高めになっていることが多い。このことから分かるように電圧が多少低くても動くことがあるが、その分だけ入力側に流れる電流が増し、発熱から故障に繋がるので止めた方がいい。
プラグにこだわらず標準の内径2.1mmプラグを使う汎用ACアダプターを買い、2.1mmから目的機器のプラグに変換するのが手っ取り早いが、アマゾンで粗悪品を買うとケーブルが極細で抵抗になって稀に発熱の原因になるので注意。俺はどうも調子が悪くなったと思ったら分岐延長ケーブルが人肌の温かみを持っていたことがあった。
3Dプリンターというと、すぐ銃が作れるという話をするバカがいる。なぜなら米国で銃を作ってる連中がいるからだ。が、現実的ではない。というのもこれはかなり政治的な側面があり、理解するには何でもかんでもとりあえず銃か爆発物を作って遊ぶ習性を持つ米国人についての知識も必要だ。
米国は旧英国植民地で、独立戦争によってフランスの支援で英国軍を撃退して建国し、更に南北戦争というガチの内戦を経て革命的に成立した国家だ。誰でも知っているナポレオンの生涯と重なる時期である。『ナポレオン -獅子の時代-』などの高名な歴史書で知っている人も多いと思うがこの時代には既にバリバリに銃器が存在する。つまりアメリカは、建国の神話に銃器を含むのだ。
よって、銃(特に軍用銃)というのは米国人にとって国民国家アメリカ合衆国の建国の神器に近い存在であり、主権者たる国民が銃器を所持する権利を持つのは当然のことである。天皇が三種の神器を持つ権利があって当然ないわけがないのと同じである(主上に御謀反のない限り)。当然憲法でも権利として認められているし法律でも個人の許可不要での銃器製造・所有・使用が色々と条件付きで許可されている。そして、「憲法で定められた権利を行使しよう!」という「市民なら図書館に行こうキャンペーン」くらいの気軽さで権利向上運動として銃を作る・持つ運動がある。年中やってる「1・23絶対ゆるさない緊急行動」の同類項である。その中で使われる銃は日本に訳せば「建国の神話の追体験」の要素があり必ずしも実用的な銃とは関係がない。神社に置いてある御神体の鏡の平滑度がそんなに高くないようなものである。
そんなわけで神器としての銃を作るための3Dプリンターデータというのが存在する。これらは当然、儀式的な意味の強度しかない。俺は作ったことも見たこともないし作ろうとも思わないが、破損事例については知っている。確か1発~数発で寿命を迎えるという話だ。銃器は信頼性が第一だから、スケール的には構造模型の域だ。で、「数発で寿命を迎える」という話をすると、密造したがりは「では強度を上げるのだな。実際に樹脂活用銃器がある」と謎の反論をしてくる。これには銃器の樹脂化の歴史に関する知識が必要になる。
銃器における樹脂活用の歴史は第二次世界大戦の終了直後くらいから始まる。その頃、夢の軽量新素材「プラスチック」が工業の各分野に登場し、「航空機用アルミニウム」と並んで普及し始めたのだ。それまでは機械装置の構造部品は金属、ハンドルや外装は真鍮(きわめて密度が高く重い金属である)金属が嫌なら木か革しか選択肢がなかった。当時の銃は構造部品を鋼鉄で作り重い木の覆いを付けていた。1960年代に入るとアーマライトAR-10・AR-15、のちのコルト・モデル601、米軍呼称M16ライフルが登場し、「鉄砲は鋼鉄と木で作るものだ。アルミとプラスチックなんて信用ならねえ」と散々な評価を受けた。しかしその後AR-15/M16ライフルと権利訴訟回避バージョンのAR-18は、改良を経て、現在では米四軍のM4カービン、英軍のL85(SA80)小銃、ドイツのG36小銃、日本の89式や20式小銃を含むほぼ全ての西側歩兵銃の基礎となっている。
銃身や主要部品に鋼鉄、外装にアルミニウム、銃床に樹脂を使った小銃が一般化する一方で、次なる手として主要部品のアルミ化や樹脂化が模索された。1960年代末期になると世界初のポリマーフレーム拳銃としてHK VP70が登場してまず爆死、1970年代にはシュタイヤー社(余談だが自動車メーカーのマグナ・シュタイアの類縁である)のAUG突撃銃が登場してこちらは採用、1980年代に入ると樹脂製スコップ設計者が一念発起して設計し「プラ製拳銃」として一世を風靡したグロック17が登場して一大ブームとなる。1990年代にもなればHK G36が登場し、冷間鍛造銃身基部を鋳込んだ樹脂製フレームを採用、その後端にモールドされた樹脂製マウントに樹脂製ハンドルを横から軽くネジ止めするという気の狂った設計のせいでハンドルを掴んで振り回すとそこに統合された大して見やすくもないヘンゾルト製高性能照準器の狙点がハンドルごと滑ってどんどんズレる、という問題を起こし、誰も気づかないままドイツ連邦軍に採用され大量購入され2000年代のアフガン戦争で精鋭連邦軍人に戦死者を出してアフガンの気候のせいでプラスチックの銃が根元から腐って兵が死んだとドイツ国会で炎上もするようになる。
一見すると、この半世紀で銃器は完全に樹脂化されてしまったように見える。なぜなら実際に外装はどんどん樹脂化され時代が下れば金属部分がほとんど露出することもなくなっているからだ。ここまで読んだ読者が、樹脂というのは3Dプリンターで出力できるのではなかったか? 3Dプリンターで作れるのではないか……と思っても不思議はない。
しかし、実際にはこれらの銃器では主要部品はすべて鋼鉄で作られている。新合金アルミニウムも新素材プラスチックも、鋼鉄を置き換えることはなかったのである。外装は木材からプラスチックに変わった。筐体は鋼鉄からアルミニウムやプラスチックに変わった。しかし銃身、ボルト、各部のピン、それどころかそれらを操作する把手は良くてアルミニウム、いまだに鋼鉄も珍しくない。VP70やグロック17では、銃身とスライド(上半分だ)は鋼鉄で作られ、下半分には鋼鉄パーツを金型にセットしその上から樹脂をかける方法でインナーフレームが鋳込まれている。シュタイヤーAUGでは画期的な新機軸として内部機構の一部にプラ製カバーをかけることで潤滑の必要を減らしている。共通しているのは、圧力を支える主要部品と摺動部はまず鋼鉄で作られるということだ。アルミニウムやプラスチックは確かに使われているが、その役割は形を保つ以上の機能がない比較的柔らかい部品、人間向けの外装または潤滑剤なのだ。実際にはプラスチック製の実用銃というのは未だに作られていない。
同時に、市販の家庭用3Dプリンターが金属を出力するように進化するというのもあまり現実的ではない。樹脂は150~300度で溶けるが鉄を溶かすには1500度~が求められ、今の3Dプリンターとは原理的に異なる装置が必要となるからだ。更に、銃の銃身は鍛造、切削と熱処理を経て作られるので、その設備が必要になる。出力物を鍛造切削熱処理すればよいではないか……要求される設備は3Dプリンターそのものよりも大規模であり前提が荒唐無稽になる。工業地帯に数億円を投資して製造工場を建てれば機械装置が作れる。そんな主張は議論として価値がない。そんな資源があるなら電気自動車メーカーでも立ち上げる方がまだ理にかなう。
3Dプリンターの特色は、複雑な形状を一点だけ製作できることだ。強度や製作速度ではない。容積10cm^3程度のプラスチック製品の射出成型にかかる時間は、概ね1個あたり0.3~1秒程度であろう。3Dプリンターの場合は、累積移動距離によって変わるが45分から15時間程度である。仏師の方が速い程度だ。
では、なぜプラスチック銃、そして3Dプリンターが度々取り上げられるのだろうか? 一つには、プラスチックやアルミニウムは軽量なことが理由だ。鉄の銃は重いのである! もう一つは、最初にも述べたように、「銃を製造し、所持し、使うこと」は米国民の間では建国の神話の確認と再現という神聖な意味を持つ行為とされ、そして、その神聖さを信奉している者だけがネットに英語で記事を書き、日本のコピペブログが機械翻訳で垂れ流すからだ。別に3Dプリンターだから作れるというわけではないし、適しているわけでもない。全てはここ日本において全く関係ない話なのである。
もしこれを読んだ誰かが3Dプリンターで銃を作る話やドラマ脚本をどうしても書きたいなら「3Dプリンターなら見た目は好きにできる。だが銃身が作れないはずだ。銃身をどこで入手したんだ?」という方向にでも捻ってみてはいかがだろうか、と付け加えて筆を置きたい。
IT業界って昔はスキルさえあれば極限まで人格破綻でもオッケーみたいな風潮があったけど、最近は人格破綻が許される基準がドンドン厳しくなってるように思う。
それは他の分野、それこそスポーツ選手とかでも一緒で、ウサイン・ボルトや藤井聡太クラスであっても、愛されるような人間性があることで始めてそこに存在意義が生まれているような節がある。
もしもボルトがネオナチ思想や差別主義を極めていたら、世界一足が早くてもどこかの代表としては走れなかっただろう。
藤井聡太だって、もしアレが世の中超舐め腐り系で好きあらば「老人は死んだほうがいいよね」「今の人類のレベルでIQ110ない人……人権剥奪したほうがいいと思いますよ」とか毎日のように口にしてたら、もしかしたら将棋連盟が彼を追放するとかもあったかも知れない。
とにかく、現代社会で求められる最低限度の人格のハードルはかなり上がっている。
昔と今のハラスメント基準の変化なんてまさにそれで、それによって業界の表側から消えていった人はどこにでもウジャウジャいるだろう。
最初、この増田は厳しい時代になったってオチでまとめようとは思った。
でも実際書いてみて、まともな人が運悪くキチガイに潰されるリスクが減ってるんだから総合的に今の方が人生の難易度は全体で見れば下がってるんだろうなと考えを改めた。
オチが消えた?
いやいやこれがオチでいいでしょ。