はてなキーワード: ホモ・サピエンスとは
「ゲイでもない異性愛者の男性達が女性を除け者にして仲良くしているのが気に食わん」って事?
「異性愛者の男は全てのゲイと女性を馬鹿にしている差別主義者で謝罪すべきである、反省して自分達がゲイと認めてホモセックスしろ」って言いたいの?
でも貴方達BL好きな腐女子って男所帯の集団に女性が混じったら率先して攻撃して排除しようとしてるじゃないですか
「原作からゲイって設定だと媚びてるようで萎える、ノンケと分かってるキャラをホモにするからこそ萌える」って散々言ってたじゃないですか
一番意味が分からないのがこのホモソーシャルという変なレッテルを腐ェミニストは自分の好きな作品にあえてやってる節がある事
ホモソーシャルは悪だけど腐女子としては美味しい~とか訳分かんないよ、好きだからこそ差別加害者のレッテル貼ってマウント取りたいの?
好きなキャラの性的指向を捻じ曲げられた上にいきなり差別主義者のレッテルを貼られたこっちの身にもなれよ!
↓の増田が俺の言いたい事を俺以上に分かりやすく説明してくれていて感心した
今更だがブコメ読んだ
nanamino 「ホモソーシャル」って別に腐女子用語じゃないんだが。
tGsQqV 根本的に意味を取り違えているのは釣りなのか本当にものをしらないのか… ホモ=ホモセクシャルを略したものという意味しかしらないの?
fukken この場合の「ホモ」は「ホモソーセージ」とか「ノンホモ牛乳」とか言う時の「ホモ」で、つまり単に「同質性の高いコミュニティ」と言う意味。同性愛のニュアンスは1ミリも含まれない。
cinefuk ホモ=ホモセクシャルしか思いつかない愚かな日本人のために、中学校でラテン語を必修にしよう
ponpon_qonqon …え。増田、ホントに「ホモソーシャル」の「ホモ」を「ホモホモ7」の「ホモ」と同じものだと思ってるの? ちょっとかわいくね? この増田総受けの同人誌コピー本24pで緊急創刊しなきゃいけないレベル
grdgs 反フェミはこのレベルのアホが多いんだよな。ミソジニーと言われて三十路の年齢差別をするとは許さないってのもいたし。
kumpote これは恥ずかしい
anguilla なぜ調べないのか
shimajitan 百歩譲って初見で意味わからんかったとしても、これくらいググればすぐわかるじゃん。。。別にネット用語でもなんでもないんだからさあ。。。マジggrks
fnm ホモ・サピエンスって単語知ってるのかな?まぁ「ホモ」っていう単語は、お笑い業界やテレビが雑に侮辱言葉として使いすぎたよね。学のない人が拒否反応示すのも理解する。
esbee 増田の知能が心配なんだが……とりあえずググってみたら?
shiroinu744 「ホモソーシャル」は「ゲイの社会」じゃないよ。カタカナ語は調べてから使うほうが良いよ。 リベラルとリバタリアンの区別付いてない人も多いし。
noukomakuta いやさすがに釣りでしょ
LuckyBagMan わかんない用語あったらググる習慣って大事よね
takashi1982 SNSはじめネット社会の良いところは個人が自由に意見表明できることだけれど、基礎知識さえ無い暴論により「良貨を駆逐する」ことが起こりうる。「それくらい勉強してこい」とゼミで教授から言われることもないし
toro-chan ホモの逆はヘテロ。男性の集団を意味してない。ただ、最近では男性の集団だけを言う場合も多い。弱者男性はホモソーシャルに関わってないので男性「全体」に使うのは間違ってるが、その誤用で、このような誤解される
agricola ホモジニアスなソーシャルといわれて意味がわからないのであればもはやいうべき言葉は一つしかない「十年ROMってろ」
umarukun 意味がわからないなら怖がる前に調べなされというお話だった。
inatax やたら同性愛を話に絡めてくるあたり、本当に「ホモソーシャル」の概念が理解できてないっぽい
お前らフェミニズムに被れた腐女子がホモソーシャルが云々言ってるの見た事無いの?
言いたい事を分かってる上で意図的に曲解してるなら悪質だけど、何が言いたいのかも分からないなら馬鹿じゃないのか
ホモソーシャルって「異性愛者の集団が同性愛者と女性を疎外して同じ属性だけで絆を深める」事だろ
それくらいは知ってるわ調べたらすぐ出てくるんだから
https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21
「男だけの異性愛者の集団は女性と同性愛者への差別と蔑視を伴う」からフェミニスト的には悪なんだろう
でも腐女子的には「必死に女好きアピールして言い訳してるけどどう見てもゲイじゃん美味しいです」って妄想の燃料になるんだろう
「お前ら本当はホモなのにノンケの振りしてるだけだろ?認めろよ!」ってノリでホモソーシャルの問題性がどうの言ってるから嫌なんだよ腐ェミニストは
「男性の問題を指摘するために女性の学者が提唱した概念だから指さない事が多い」んだとさ
それにしても何か叩けそうな日記だと思った途端ウジャウジャ湧いてきやがって気持ち悪いなお前ら
まず自分の事を恥ずかしいと思わないのか?
differential ???/誤用してる人がいるからといって、増田もその御用に習う必要は1ミリもないと思うし誤用してる人達と同類のアホとみなされるけど大丈夫ですか?
…本当に分からないのか?もうここまで来るとわざと曲解してるようにしか思えないけどもう疲れたぞ俺
いきなり好きなキャラにホモソーシャルって同性愛者・女性差別主義者のレッテルを貼られて
なぜそんな誤解を・・・
人間がマンモスに勝てたのは密なコミュニケーションを取れる知能の他に、飛び道具に最適化された身体構造にあるんだぞ
ホモ・サピエンスはこれまで地球上に登場した生物の中で圧倒的な射程距離を得た動物だ
密なコミュニケーションで原始的な軍事行動を取り、アウトレンジから一方的に攻撃できたからこそ地上の覇者になった
そして飛脚へ代表されるようにホモ・サピエンスはスタミナ型の生物でもある
長時間パフォーマンスを維持して活動することが可能で、エネルギー摂取として効率の良い高タンパクな動物は得てしてスピード型の動物であったため人間は追い詰めるという戦術によってスピード型の動物を狩ることが可能だった
この特性はホモ・サピエンスの中で雄の方がより特化しており、移動距離とスピードはホモ・サピエンスの雌のそれを上回っている
輸送力は雄の方がより上であることは明らかで、より広い範囲の採取をさせることが可能だった
誤っているのは狩りは難しいという認識と、採取が雌が採取の重要な労働力であることが多かったという認識であって、狩りは現代人が思っているよりも容易で、かつ、採取の主力もまた雄であるということだ
この無用者は健常者・一流企業のホワイトカラー含めて全ての人が対象だ
「無用者階級」が生まれるかもしれない
――AIのような先端テクノロジーがもたらす人類の未来像とは、どのようなものでしょうか?
ホモ・サピエンス(人類)はかつて、動物の一種に過ぎなかった。人類が大人数で協力できるようになったのは、私たちに架空の物語を創り出す能力が備わっていたからだ。人類は大人数が協力することで、この世界の支配者となった。
そして今、人類はみずからを神のような存在に作り替えようとしている。(遺伝子工学やAIといったテクノロジーによって)創造主のような神聖なる力を、今まさに獲得しつつあるということだ。
人類はラテン語で「賢いヒト」を意味する「ホモ・サピエンス」から、「神のヒト」としての「ホモ・デウス」にみずからをアップグレードしつつある。
最悪のシナリオとしては、人類が生物学的に2つのカーストに分断されてしまう展開が考えられる。AIが人間の能力を上回る分野が増えるにつれ、何十億人もの人々が失業者となる恐れがある。こうした人々が経済的に無価値で政治的にも無力な「無用者階級」となる。
一方で、ごく一部のエリートがロボットやコンピュータを支配し、遺伝子工学を使って自らを「超人類」へとアップグレードさせていく可能性すら出てきている。
もちろん、これは絶対的な予言ではなく、あくまで可能性にすぎない。が、私たちはこのような危険性に気づき、これを阻止していく必要がある。
圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
個人的にはここまで悲観的ではないのだけど(人間の善意や利他の心を信じているというかそういう"生物デザイン"だと思ってるので)
論文やフレームワーク自体は見る・利用が無料だったり個人が使える範囲の価格でも
トラッキング拒否してみんなが無料で使えるデータならOKにしようぜくらいしか出来る事ない
https://anond.hatelabo.jp/20210618164832 anond:20210620162547 anond:20210620163022
ここでいう弱者男性とは、恋愛における弱者である。経済的・肉体的弱者を指さない。
人間の不可解・非合理的な行動を理解するには、進化の過程から紐解く必要がある。
全体としての傾向の話をしている時に「私は違う」という例外を持ち出されると議論が進まない。
サルとは、ヒトを除いたサル目のことであり、生物学的にいえば、ヒトはサルの一種である。
諸兄は既に、サピエンス全史(上・下)をお読み頂いているはずなので、詳述は省くが、我々の本能は400万年前から10万年前までの間に形成されている。
法という考え方が生まれたのが4000年ほど前だが、呪術で物事を決める習わしは、2000年ほど前まで続いている。
産業革命が200年前。ホワイトカラーが単なるオフィスワーカーとなって50年ほどだ。
しかしホモ・サピエンスの本能は、10万年前から基本的に変わっていない。
男は、セックスがしたいので女に給餌した。
女は、よく給餌してくれるオスに、見返りとしてセックスを提供した。
自分で餌を確保するメスより、オスに貢がせるメスの方が生き残り、子孫を増やした。
これは、あなた方が選択したのではなく、その選択をした個体の子孫が生き残ったという話だ。
400万年の淘汰の結果、我々の本能は、そのような男女関係に最適化されている。
男は本能としてセックスがしたい。なぜなら、セックスに興味のない個体の子孫は残らないからだ。
ホモ属のメスが、より安定的に繁殖を行うのに最適と判断するオスは、基本的に屈強なオスだ。
餌の確保とは、狩猟に依らない。
自分よりも劣ったオスが集めた餌を強奪する方が、より労力がかからないからだ。
法や治安が誕生する前に、暴力的に強いオスに、性的な魅力を感じるメスの子孫が残った。
不良やヤンキーやオラオラ系ホストがモテるのは、これが遠因である。
だから女は本能的に、格下の男に性欲を感じない。生殖をしたいとは思わない。それは本能だから。
弱者男性が、性的に女性から相手にされないのは、生物学的に当たり前なのである。
選択肢は二つに一つしかない。1. 強くなるか、2. 諦める。
この第三の選択により、本来は生き残らなかったはずの、恋愛弱者男性の遺伝子も残ってしまった。(恋愛弱者女性も含む)
それが皆さんである。
現代に住む我々は、個々人の選択によって男女関係を作ったのではなく、400万年かけて現在の男女関係(本能)を作った種の末裔なのである。
ホモ・サピエンスの多くの社会で一夫一婦制に移行したのは、複数婚制では性病が蔓延して人口が維持できなくなるからという説がある。一定の説得力があるように思う。
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/10628
だが、仮にそれが理由だとするならば現在の社会で一夫一婦制(というかモノガミー中心制)を維持する動機は乏しい。性病にかからない・治療する方法は劇的に進歩したのだ。
にも関わらず、現代の社会でも依然、複数の交際相手を持つことに対する世間の目は厳しい。同性愛、離婚など『以前は厳しかったが今はそうでもない』事と比較すれば明らかだ。
では、なぜ今でも一夫一婦制を維持しようとする動きが根強いのだろうか。それは結局の所、「美男美女や金持ちだけにパートナーを独占させることは認めない。
美男美女や金持ちも、そうでない人も、平等に『パートナーは1人まで』と制限を課すことでパートナーを得られる人を増やすべきだ」という考えが根底にあるのではないかと推測される。
だがそれは結局の所、「複数パートナーを選ぶ自由」を制限して平等を実現しようという発想であり、弱者男性論が言う「女をあてがえ」論と変わりはないではないか。
夜はつい過去の失敗や絶望など、負の記憶を芋づる式に次々と思い出してしまう。
今夜思い出してしまったのは「随分前に作った、パスワードが紛失して削除出来なくなったYouTubeチャンネル・投稿動画」だった。
そのチャンネルや動画には検索であっさり辿り着けるため、また黒歴史と言えど自分の作った物である以上度々懐かしみに行くため、定期的に覗いていた。
で、今夜もああ、あれまだあるんだな……とYouTubeを開き、検索欄にチャンネル名をぽつぽつと打ち込んで検索すると、ギョッとした。
チャンネルがあるのだ。
2個も。
我が愛すべき負の遺産チャンネルはただの一つ、小坊の私がワクワクしながら作ったものだけだと思っていたのに。1個だと思ってたから恥ずかしいと思いつつも時々眺めてたのに!2個じゃん!!おばか!!!
どうやら謎の2個目のチャンネルは、パスワード紛失のために負の遺産チャンネルに入れなくなった過去の私が、仕方なく作り直したチャンネルらしい。
おわかりかもしれないが、チャンネルの存在自体覚えていなかったという事は、この2個目のアカウントのパスワードも当然今は紛失している。
二度も同じ過ちを繰り返した事に気付かされて普通にショックを受けた。こんな学習能力の低さでホモ・サピエンスを名乗る方が、こんなチャンネルの存在よりよっぽど恥ずかしいと思う。私は恥ずかしい。
ちなみに2個目のチャンネルが設立された日時は、1個目を設立してからおよそ2年後である事もわかった。つまり2年もあったというのに、私は「パスワードのメモをとる」という何とも初歩的なミスを修正出来なかったわけだ。
昨今のスマホやGoogleアカウントがパスワードを記憶してくれる機能には頭が上がらないが、どうにも不安が募る私は、これを書くためだけに作った出来たてのはてなIDとパスワードを、ノートに手書きでメモするのだった。
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
スリーS @Super_S_Shoborn
報復や排除による危険性を無制限に正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気を保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人の正当化に悪用されてしまいますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。
その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的な経験が必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死です
箱のなかの海 @kawa_machi
さて、また最初の問に戻ってきました。 ”ヒト”とは何でしょう?
遺伝情報? 認知判断能力? 苦痛を感じる能力? YHWHがそう定めた?
報復の危険性を無制限に正当化できないなら、それを制限して正当化する基準が必要になります。
空気はおそらく”人”や”動物”ではないと私も思います。では何を基準に、そう判断するのでしょうか。
少なくとも
でないことは合意できたと考えて良いですか?
スリーS @Super_S_Shoborn
個人的な意見ですが、関係性によってヒトはヒト足りうると思っています。従って遺伝情報認知判断能力苦痛を感じる能力という一個体を観察するだけではヒトをヒトだと理解出来ないのでしょうね
合意してませんね。鯨のために報復する人間がいるから鯨を殺すのは危険だと認めますが、鯨を殺す手段を失うのはそれ以上に餓死のリスクを伴うから、鯨のために報復する人間を排除してまで鯨を殺す手段を維持しなければならないとは言っていますが
箱のなかの海 @kawa_machi
さて、関係性という言葉の定義はまだわかりませんが、例えば犬や馬に対して関係性を感じる人はいるでしょう。一方で、犬や馬は食用に殺されてもいます。関係性を結び得る相手を”ヒト”とするなら、馬や犬は”ヒト”ですか? 殺すべきではありませんか?
単純に考えるなら、危険だと認められる行為はやってはいけないでしょう? 危険でもやるべきとするなら、別の価値判断が必要になります。
スリーS @Super_S_Shoborn
関係性を結び得るからヒトとは言ってません。『親子』も『繁殖可能』も『可食かどうか』も『毒が効く効かない』も『危険かどうか』も関係性ですね。どれか一項目該当するものがあればヒトとも言ってませんし 確かに危険だと認められる行為はやってはいけませんね。動物愛護団体だろうが人間の生存手段となる動物で報復するのは自殺行為だからしてはいけませんよね。
医療食料問わず動物資源は人間の生命線であるので、その使用禁止は生存手段の放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段の剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味で危険な行為なので動物に権利を与えてはいけません。
そうですよね
箱のなかの海 @kawa_machi
スリーS @Super_S_Shoborn
自分にとって他者や環境はどのような性質を持つか、他者にとって自分はどのような性質を持つか、という意味で言っています。
個々人の存続に対する妨害ですので、全く拡大しておりませんね
箱のなかの海 @kawa_machi
その意味で、馬や犬はヒトと関係性を持ち得ますか?食用の馬や犬は存在しても良いのですか?
奴隷解放論者に対して、「私の存続には黒人奴隷を搾取することが必要です、妨害しないでください」という白人農場主はいたでしょう。しかし、黒人奴隷は解放されました。
動物解放論者に対して、「私(たち)の存続には動物の搾取が必要です。妨害しないでください」という人はいるでしょう。なぜ、動物は解放されなくても良いのですか?
スリーS @Super_S_Shoborn
関係性を持ち得る。
箱のなかの海 @kawa_machi
聞いた上で、「当時の黒人奴隷は人間(その定義に黒人奴隷は含まれていませんでした)の生存手段であった」 と言っています。
あなたの基準を適用すると、医療・食料用のホモ・サピエンスも存在しても良いとなりませんか?銃火器を苦にしない国は、人体実験をやり放題になるように思いますが。
人体実験が解禁になったら、これまでとは段違いのスピードで医療は進歩するでしょうね。 歓迎する人(その多くは力を有する人でしょう)も多そうです。
スリーS @Super_S_Shoborn
既に実際に『人間を安全に取り扱う範疇』で人間は医療資源として活用されています。同意を元にした骨髄バンク、生体臓器移植、死後・脳死後の臓器移植、献血があるのをご存じないのですか?
箱のなかの海 @kawa_machi
もちろん、限定的にはすでに医療資源として活用されています。 私が想定するのはそれ以上のものです。
スリーS @Super_S_Shoborn
人間に限らず動物だろうが植物だろうが機械だろうが安全な手法で取り扱っているんですけど……危険性が異なるからその取り扱い方が異なるだけで。
国家が人間にとって危険なシステムであるというなら、それは人間が国家を人間にとって危険なシステムのまま対処しなかったツケを支払っているだけです。国家だろうが機械だろうが、安全に取り扱わなかったら痛い目を見るのは当然では?
箱のなかの海 @kawa_machi
ええ、なので国家は危険に感じない範囲で人間を不安全に取り扱って良いということですよね?と聞いています。
ホロコーストで殺されたユダヤ人たちは対処しなかったツケを支払っただけで痛い目を見るのは当然であり、ナチスに倫理的な問題はない(もしあるとすれば戦争に負けたことだけ)と。
”不安全に扱う”というのは誤解を招くかも知れない(不安全に扱った時点で問題が有る)ので、”いわゆる人権を無視して”くらいに置き換えてください。
スリーS @Super_S_Shoborn
ツケを支払う方になってしまった側にとっては問題ですし、国民の国家の扱い方が未熟だった時代でもありますからそのような結果になってしまったのは当たり前です。当時放射線の危険性を知らなかったキュリー夫人が放射線被爆により健康を損なったのと同じように。国家が国民の脅威にならないよう次に活かすしかないです。それと倫理の話はしていません。人間にとって危険だから人間には問題だったとは言っていますが
箱のなかの海 @kawa_machi
ちょっとお返事がよくわからないのでもう一度聞きますが、 国家は危険性を感じない範囲で、人間をいわゆる人権(個人の生死など基礎的な権利も含めて)を無視して取り扱っても良いのですか?
危険性というのも曖昧ですが、あなたの基準からすると、「反政府組織が政府転覆が可能なほどの力を持つようにならない程度で」 とでも言えるでしょうか。
もちろん知ってますよ。だから、 「国家は危険性を感じなければ何をやってもいい」 「中国共産党は人権を守る必要がない」 などという言説を否定しようと努力しています。
否定するというのは言葉が過ぎましたね。 個人がどのような思想を持ってもそれは自由なので。 言説が”広がらないように”に訂正します。
スリーS @Super_S_Shoborn
暴力という手段であっても国民が国家を制御する方法を持たない国家ならしても良い。国民にとってはとても不幸なことですけど。
勿論国民や他の国家には、なされるがまま黙ってろとは言ってません。機会があったらぶっ壊して作り直せと言っておきましょう。天安門事件や香港など負け続きなだけです
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。
スリーS @Super_S_Shoborn
箱のなかの海 @kawa_machi
ということで、肉食を正当化する論理の一つは、生命などの基礎的な権利をも含めた個人の諸権利を、(条件付きなものの)国家が好きに取り扱うことを良しとするところまで行き着きました。
難しいんですよ。ほんとに。
スリーS @Super_S_Shoborn
国家も人権も人間の作った道具なので、人間にとって危険ならその都度安全になるようパッチを充てる不断の努力をしなければならないって話でもありますね