例えば、心理学という言葉はあまりにも乱用され過ぎているけれども、科学としての心理学は非常に客観的だよ。(まあ、あまりにも客観的なので「ただの統計」と揶揄されたりもするけど。)
「目の前の現象を観察して、法則を見出し、言語化する」という営みの対象がホモ・サピエンスであろうが、「こころ」であろうが、科学は科学だし、非科学は非科学。ただまあ、自然科学よりも遥かに難しい対象だから、自然科学よりも遥かに「わかること」は限定されるけれども。
自然科学だって、例えば地震の予知は非常に難しくて、未だにほとんど何も分かっていないという状況だけれども、「だから研究するだけ無駄」とは誰も言わないでしょ?
「非常に難しい」ことと、「不可能」であることは全く違う。「不可能」だと主張するなら、それこそ科学的に証明される必要がある。
なんでも言葉をつくって区別したがるのがそもそもの過ちだと思うな
「世界五分前仮説」とか、「亀がアキレスに言ったこと」とか、「この世に真実など一つもない」ことは大昔の人が既に指摘していることだけれども、「わからないからわからない」で...
程度の問題だと思うんだよなー。 科学に関することなら些細なこともラベリングしつくして解き明かしていったらいいと思うが こころ、人間の内面の在り方みたいなレベルのことは細か...
しかし「アイデンティティの確立」というのも、それ自体にそれなりに意味のあることだと思うんだよな。 また、「フィクトセクシャル」という言葉が存在しなければ、社会システムに...
ほらーやっぱり囚われてるじゃん 他人の内面を決めつけて言葉で俎上にあげてやろうってクセが染み付いてる人たちの言葉で消耗してもどうしようもなくない? 科学は客観的に検証可能...
例えば、心理学という言葉はあまりにも乱用され過ぎているけれども、科学としての心理学は非常に客観的だよ。(まあ、あまりにも客観的なので「ただの統計」と揶揄されたりもするけ...
もしかしたら、こう言った方がいいのかな。 LGBTという言葉がいくら広まろうが、「私はLGBTである」という自認を強制されてはいけない。 「私はゲイではなく、ホモだ」とか「私はトラ...