はてなキーワード: ハッピーとは
くらい不毛だから、おけけパワー中島に心を乱されるほどのめりこむな、とっととやめろ、やめた方がいい、これは心からの助言である。
(以下そういった内容がくどくど書いてあるだけだから長いの嫌な奴はスルー推奨)
おけけパワー中島通称おけパ中島の件で発狂している腐女子を昨今増田などで多く見かける。
https://anond.hatelabo.jp/20200704105426
これとか
私も少し前まで中堅の字書き()としてジャンルに居場所を求め、字神を崇め、神と仲のいい軽薄なノリの人に嫉妬をして負けじとより萌える小説を研究してガリガリ書きまくってたから、友川や上記増田らの気持ちは痛いほど分かる。分かるのだが、そもそも既存のコンテンツの登場人物を勝手にゲイや変態にしてセックスさせるような世界で大真面目に嫉妬したり病んだりするのは本当に時間の無駄だから一刻も早くやめた方がいい。
なんて言ってもどうせやめないんでしょ?知ってるよ。「推しカプが本誌でセックスしてた」「あいつが正気にかえりそうだぞ!まずい!ホモを吸わせろ」みたいな頭おかしいアピールすることによって、「私たちちゃんとこれが妄想だってわきまえてますよ」アピールしつつ、頭おかしくてハッピーなオタクの自分に酔ってるんだもんね?
しかし、「ジャンルでの二次創作活動(SNSなどでの交流も含む)」を、「あなたと結婚する気なんかサラサラない既婚男性との不倫」という概念と重ねて考えてみると、結構ヤバさが見えて来ると思う。
まず、この二つに共通するのは主に下記の3点。
②勝手にあなたが他人のものを拝借し、しかもそれがあたかも自分のもののような振る舞いをしていることは客観的に見て決して愉快なことではない。というか気持ち悪い。
③あなたがどれだけその関係(ジャンル)で苦しみ、病み、時間やお金をじゃぶじゃぶ使い、他の不倫相手(おけパ中島みたいな妬ましいジャンル者や神)を追い越したとしても、あなたは永遠に「他人のものを勝手に拝借して自分のものみたいに使ってる奴」にしかなれない。
こじつけかもしれないけど、「不毛なことに酔って病んで時間やお金を浪費して、それで100%ハッピーならともかく苦しいのに何かの意地で踏みとどまってる」ズブズブ感は不倫もアンチおけパ中島の同人女も変わらないと思う。
私はこの泥沼で貴重な学生生活と社会人2年間を棒に振り、職業選択・交友関係構築・スキルアップ等をおろそかにしたことを死ぬほど後悔したので、二次創作界隈で愚痴スレとか開いて悶々としたりブクマ数やフォローフォロワー比やフォロバの有無で真剣に病んでたりするたぐいの同人女は自分が掴もうとしているものの虚しさに気づいて一刻も早く二次創作活動をやめた方がいい。
※④は書いてないよ!
家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情で公式からの供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。
その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。
その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ちで投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。
半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。
私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初の漫画は本当にひどい出来だった。
それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。
軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。
私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈や不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画はほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。
それが伝わったんだと思った。
2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初にRTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。
7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学がオンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。
ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。
私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。
最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。
私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現したかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいね、フォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。
私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSのアカウントは放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。
午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。
で、それが最初にRTしてくれた方と最初にフォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。
あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲や自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。
私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。
なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。
ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。
私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウントを放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。
まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロンを半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげです。ありがとうございました。
おけパや読書感想文必要不要論争で、様々な増田やツイートが上がった。
おけパの夢女子になる人、誰かのおけパだったと言う人、七瀬/友川の気持ちが分かると言う人、長文感想の書き方をまとめてくれる人。
でも、根本的に感想が書けないというツイートはほとんど見かけなかった(あくまで私の目の届く範囲だが)。
「長文の」感想が書けない、(解釈違いが怖い、長文が気持ち悪いと思われたら…と不安になる、などの理由により)送るのが憚られるから書けない、は見かけたが、そうじゃないのだ…。そうじゃ、ないんだ…。
共感してくれる人がいるといいな、と思ってこれを書いている。
学生時代、大好きな小説を読んだにも関わらず、読書感想文をあらすじと概要で埋めてきた。
自分の好きなシーンを細かく説明して、「良いと思った」「素敵だと思った」と付け足すだけ。
これを5セット~7セットくらい繰り返すと1600字が埋まった。
長文感想の書き方の「感想とは」の項目で、次のような書き方が載っていた。
①「どの部分に」
②ーa「どう感じたか」
③「そのように思った理由」
① 「どの部分に」
これは分かる。
②ーa 「どう感じたか」
これは分かる時と分からない時がある。感情が動いたことは分かるが、何を感じたかは分からないことが多い。
「エモくなった」「嬉しかった」「悲しかった」くらいしか自己の感情を認識できない。
感情の分類が5歳児である。(昔よりは分かる様になったけどね)
ここは完全お手上げである。何も解釈していないし、理由なんてない。本当に勘弁して欲しい。
そんな私が感想を書こうとするとこうなる。
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○○さんの新刊、読みました!
イチャラブっていいですね…。
次作があれば楽しみにしています。
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…こんなん、本読んでなくても書けるやん?!?!
私は本当に読んだことを伝えたいし、どれだけ悶え狂ったのかを伝えたいのに、1ミリも伝わらない。なんだこの文章は。
この話は、一部界隈で有名なコレの話です。
感想屋さんはむちむちメイド♂とイセザキカーセッ●●の夢を見る―「【ソシャゲの正式名称】」感想|感想屋さん @kansouya_san #note https://note.com/kansouya_san/n/n657eb81abf88… 1章の感想を書きました。2章以降は個人的にと言われているので公開での感想はここまで。続きはアプリでどうぞ!http://【ソシャゲ公式のURL】
(引用元:https://twitter.com/kansouya_san/status/1279759335300554753?s=20)
見出しごとにスクロールしまくったら、この感想文で言いたいことはわかってもらえるかと。
私自身、感想屋さんの感想の話をしたいと思っていましたが、適切な土壌が見つからなかった。それだけです。
あと、ここから先に使われる「感想」という言葉の意味を整理しておきます。
かん そう -さう [0] 【感想】
( 名 ) スル
あることについて、感じたり思ったりしたこと。所感。感懐。 「読後の-を語る」 「 -文」 「高遠幽深なる関係を-する/欺かざるの記 独歩」
(引用元:「感想(かんそうぶん)」の意味や使い方 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%84%9F%E6%83%B3 )
商業作品や同人作品に感想を書きます。これは「お金をもらったから褒めます!」というのではなくて、ご依頼いただいた作品を自分なりに楽しんだりおもしろがったりした上で、ポジティブな言葉を出力しますということです。
(引用元:感想屋さんのご利用について【2020/7/3版】 https://note.com/kansouya_san/n/n3e3b1ade8c7b )
> ご依頼いただいた作品を自分なりに楽しんだりおもしろがったりした上で、ポジティブな言葉を出力します <
です。
私は、この文脈での「自分なり」は「自分のできる範囲で最善を尽くす」と読みました。
そして「ポジティブ」もお金をいただいている以上、前向きな意味で使われていると思いました。
実際のところは、文章が過去形になっているところからお察しください。
まずはざっくりと私が思った良いところと悪いところを挙げたいと思います。
・ゲームに対する熱量が文章量と比例しているので一見すると、読み応えがあるように見える
・文章が評論という形式ではなく、一個人のポジティブな感想になるため、どこかで見たことあるような仕上がりになっており、読みやすい
・公式動画が絶妙に本文の中に組み込まれているので、気になった時に視聴しやすい
・タイトルの「感想屋さんはむちむちメイド♂とイセザキカーセッ●●の夢を見る―「【ソシャゲの正式名称】」感想」ってCEROのないゲームでやっていいんですかね?
・文章内で使われいる言葉のチョイスの節々に個人の主張が激しすぎるせいで「これは本当にお金をもらって書いているものなのだろうか」とせっかく丁寧に構成されているページから離脱して、他の感想屋さんの感想を何度も見に行ってしまい、結局、構成が生かされていない
こから下は見出しごとに区切って、私の感想を述べていきます。上でも断ってますが、私が思ったことを率直に書くので、ぐだぐだ長くなっています。めんどくさい人は、上のざっくりした感想を見て下さい。
タイトルをキャッチーにすることはwebライティングでよく使われる手法です。
読んでもらうためには大事な手法ですが同時に【タイトルは本文を煮詰めて煮詰めてさらに凝縮したもの】になるので、非常に重要。
これらを踏まえた上でも、ゲームの正式名称と併せて提示していいわけないキーワードが混じっていることが理解できない。
これ、検索して出てきた時にどうするんですか?
感想屋さん自身、同人活動をされているとのことですが、このタイトルが検索に出てくることを、全く考慮されているようには見えないです。
活動をいつからされているのかわかりませんが、(実際の有無はともかく)年齢制限のあることを示唆するキーワードを交えているにもかかわらず、検索避けをされていないことに危機感を感じました。問題のキーワードを伏せ字にしても、タイトル名を検索されたら終わりじゃないですか。
ポジティブな感想を謳って、お金をいただいて記事を書かれている、つまりwebライティングをお仕事とした以上、このタイトルではゲーム自体の印象をネガティブにさせてしまうかもしれない懸念を抱くべきだったのでは?
それとも、私がこのアカウントの内臓が誰かを知らないだけで本当は「お金を払ってでも、この人の感想を読みたい!」に値した有名な作家さんなのかな?
謎が深まっていくーーー。
初手から、かばう気のないゲームのネガティブ感想を食らって、そんなことを考えました。
とりあえず、あなたのポジティブは、私のポジティブではないことはわかった。
※この感想屋さんが言われている「感想」との解釈違いは、今後もあるのですが、以降は「感想の解釈違いです」と省略して書きます。
オフライン版について触れてくださったのは普通に嬉しかったです。
サービスの終了するゲームですが、引き続きゲームのプレイができることは大きいですからね。(まだ詳細は不明な段階ですが)
ところで、PVをには触れていますが、公式HPに掲載されているキャッチコピーは触れてなかったですね。あれが良いのに。
というかゲームの紹介って最初は、公式のイントロダクションを引用したりして、世界観の話をきっちりしたりすると思うんですが。
そういった意味では、自分の推しの話とゲームの話が入り乱れていて、読みにくいと感じるほどの構成はダメだと思います。
あなたの推しの話よりも、ゲームの話をきちんとしてくれ。依頼者の方があなたの推しを聞くためにお金を払っているのであれば、構わないです。しかし公開されている以上、読み手の視点が加わります。
一読み手から言わせてもらうと、あなたの興奮の時系列はどうでもいい。
できた推しについて書くなとは言わないです。でも、最初はゲームの説明をきちんと行った上で、惹かれていった経緯を書いた方がずっと読みやすいと感じました。
という風に書けばいいんでしょうけど、ゲームに対して謙虚さと敬意がない構成に、普通にイラッとしました。
キャラクターに関する描写は内容ががひどすぎて、リアルで吐き気を催したため私からの感想は、身体表現からお察し下さい。
いやいやいやいや×1000
他のゲームの話を動画付きでするのは普通に失礼じゃないですか?1
利用しているサービスの仕様上、動画を貼るとサムネイルがバーンと出てくるわけですが、全然違う・そして見覚えのないキャラクターが出てきてびっくりしました。
突然あなたのジャンル経歴って今、関係ありますか?ないですよね?
ちょっと長いどころか、めちゃくちゃ長い。
依頼を受けた背景を書くのは自由だと思うけれど、徐々に混じってくる感想屋さん個人の意見についてはすっ飛ばしました。
すっ飛ばせたので、この本文の中で一番良い構成だっと思います。
ここまで来ると、もはや何を言われても心が動かない。
「また自分の萌え語りかぁ…」と思って、ページを消そうとしたところで「今ならガチャがたくせん回せるよ!」というダイヤの話が出てきました。
それ、最後に書くべきことなのかな…。わからない…。わからないよ…。
冒頭で、感想屋さんが定義している「感想」について2つの言葉が重要だという話をしました。
これ、私が読解して「こうかな」と思った意味とは、実際のところかなり違いました。
「自分なり」は「自分本位」つまり自己中心的な感想で、サービスの提供よりも自分を優先するという宣言。
「ポジティブ」も客観的に見た場合ではなく、あくまでも己の目線からみたものになります。
バッカじゃねぇの?拙者某兎田ぺこーら氏のドラクエV実況をたまたまみて25年ぶりにオタ活復帰した、いにしえのテキストサイト四天王最弱勢ですけれども、バッカじゃねぇの?
なんなんだ、このせまっ苦しい言説はよ?好きで語れよお前の偏愛をよ?まじでさ、オタクムーブメントってその程度のもんだったかよ。
拙者古いオタクだけれども、オタ活つーのはマジョリティな嗜好に対する「好き」の多様化とそれを表明するムーブメントであってさ、二次創作ふくめてお互いのキモイ嗜好を表明しあい、唾飛ばしながらキモくキモイ偏愛を青筋たてながら語るアレであってさ、本質的に他人の偏愛なんてキモいんだよ。キモいの上等で語らずにいられない迷惑上等な愛じゃんか。盲目な偏愛なんか、だれにとってもティンとくればできればてぇてぇだし、こなきゃキモイんだよ。
それでお財布も口角もゆるゆるでキモい上等、夜路死苦ハッピー切腹ペコだろが。
ほんとさ、そんな気がなかったんだけれど、自分が若いころ夢中になったゲームを本当に楽しそうにプレイするペコラの、笑いの神に愛されているライブで見てさ、熱くなっちまったわけだけれど同時に久々の多幸感に襲われて、ちょっと泣いて自分キモいなと思ったわけだけれど、俺はそんな自分を否定しないぜ?それが企業収益の餌でも知るもんかよ。
好きを語るってのは、実は自分の柔いところ晒す話でさ、詰められたら痛いのよ。詰められるまでわからんのだけど、それでも好きで語れよオタク自認するならさ。
その昔、マジョリティな嗜好以外に市民権がなかった時代から、コミケなど少しずつ好きの多様化を広げてきた先達を信じろってさ。お前の好きがどんだけキモくても、俺はキモいっていうけど、それがダメとは言わないぜ。キモいとは言うけど、逆にお前がが俺をキモいっていうのは止めないし甘受するペコだぜ。
それを勝ち取ってきたんだ。
ただただ、誰にも文句言われず、後ろめたく思うこともなく、ダラダラしたい。
ゲームやったり、好きな配信者さんの動画みたり、ひとりでだれにも邪魔されずゴロゴロしたい。
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朝、子どもたちを送り出すのに起きるのがつらい。
(もともと朝は苦手。夫は寝ている)
時間を管理しながら子どもに朝ごはん食べさせて水筒持たせて、コロナのせいで検温とマスク忘れてないかのチェックも増え…つらい。
(朝ごはん、シリアルとか簡単なのにしていて、時々子どもにも作らすけど)
洗濯機かけるのがつらい。
洗濯物をたたまないといけないのがつらい。
(自分の分は自分でやれといってもやらない、放置していると山になる)
洗い物がつらい。
(数か月前までは食洗器にお世話になってたのに。今の部屋にもほしいが高額なので躊躇している)
掃除はもうしない。
(ほこりくらいで死なんじゃろ。私ハウスダストとダニのアレルギーだけど。数か月前まではルンバとブラーバにry)
(おはようございます、おやすみなさい、の一言ではすまない。10分~40分くらいとられる。できるだけ逃げる)
仕事がつらい。
(接客まじで向いてない。電話きらい。メールもきらい。制作だけしていたいのに、なんなら経理や労務もしている。そして固定給になったタイミングでなぜか週7勤務みたいになってしまった。なんでだよ。転職という選択肢は離婚以外ない…が、離婚したとしてもキャリア的に現実的ではない。パートがせいぜいか。)
(お小遣いほしいなら副業したら?とか言われた。いつやれと?とにかくここはなにか考えないといけない。美容院くらい気兼ねなく行きたい。)
子どものお世話がつらい。
(なんで音読の宿題を毎日私が聞くのだ、ほかの家族でもいいじゃないか。)
(歯磨きやお風呂の管理なんてできない、そろそろ個々で風呂ってくれないものか。何年生からならいけるのだ)
(動画をひとりでゆっくりみたいのに、一緒に見たがるのがほんと困る。夫が嫌がるから大きな画面にも映せない)
(すごくインドア派なので外に遊びに連れていくこともない。ふつうはもっとレクリエーション的ななにかをしているのだろう)
料理つくるのがつらい。
(もともと好きじゃない。そのうえ、私が好きなメニューは、肉とか揚げ物とかなので健康的でもない。野菜は美味しくないので一部を除き滅びよ。いやどちらかというと私が滅びたいな。とにかく最近は包丁を使わないメニューばかり。)
とにかく日々疲れているので子どもと同じような時間に寝てしまう。が、疲れは取れた気がしない。
ここ2週間くらい、毎朝じんましんが出るようになった。かゆい。
今日は昼間にもじんましんが出た。仕事で長時間電話による接客をしたあとだった。かゆっ。
最初は寒冷じんましんかと思ったけど、もしかしてストレスとか関係しているだろうか。かゆー!
ちなみに義家族は子どもたちを預かってくれるような感じの人たちではない。
こうして書き出して、私のこの重たい気持ちがちょっとでも供養(?)されますように。
はー、美容院いきたい。好きな服を買って、お気に入りの服ですごしたい。脱毛とかエステとかもいきたいな。おいしいもの食べたいな。
ハッピーになりたい。
心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか。
心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)
いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬(躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。
薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。
そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。
「涙が出るが訳が分からない」
「なにもないのになんでこんなにつらいのか」
いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめの動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。
でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからずパッシブで涙が出る。
いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしまう場合は頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。
最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。
傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」
改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちはわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」
そりゃそうだ、としか言いようがない。
だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生のときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。
手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーなライフを送るのに。
薬を飲んでいても泣けてしまう自分が本当にわけがわからない、そして薬を飲まない素の自分は社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。
さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。
追記:
最近急にタイムラインで読書感想文に対するツイートをよく見るようになって
なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題の大元になったツイートを見つけた。
https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121
たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし
定期的に小学校の国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。
私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。
他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。
これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。
国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど
何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)
じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、
単純に私を受け持った先生や小学校の教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。
ただ、空想や自分の気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。
読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、
「自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。
私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。
添削やアドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章をもっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。
先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎めや修正もなかった。
どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章をちゃんと読んでから褒めてくれた。
元ツイを見るとどうもそうでない?学校や先生が多いのかもしれない印象を受ける。
実際のところそういうものなんでしょか。
読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガや図鑑、絵本や辞典の方が圧倒的に多かったので
「物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様の自分の意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。
その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクールの文章読むのも好きだったな。
映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。
その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。
(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当の先生たちの研究会の出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育や国語教育に有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)
ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文に嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。
私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。
この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。
「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかもテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という
文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針でツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、
そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。
だから教育方法をいくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供は一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。
こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。
作文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。
私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので
「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。
元のツイートにあった、
「原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導が子供を読書感想文嫌いにさせてる?
っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。
本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。
けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、
教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要なことなんじゃないか。
これは教育としては非常に重要なことなのではと思ってしまうので、現役国語の先生からこの言葉が出ることに
私はちょっと驚いている。
原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも
「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という
学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。
これは私の小学校時代の先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。
でもこのツイ主の先生の辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。
「自由な自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。
私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校の方針や先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。
あと私が小学校を卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。
ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこどももいるにはいるのだ。
「みんな嫌いになる」ものとして普遍的に槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。
休日やることない人は学生の時は何してたの?学生の時のほうが圧倒的に暇なのにどうしてたんだろう。
60過ぎのリタイア世代ならともかく、社会人の間は休日がめちゃめちゃ少ないじゃん。
夏休みも放課後の時間もない。(最短でも9時17時勤務って長すぎだろ。さらに俺はもうちょい長い。)
学生の頃の趣味をこなすだけでも圧倒的に時間が足りない。仕方ないので「今一番やりたいこと」だけどうにか回している状態で、「ホントはこれもやりたい」って部分が全く手つかず。毎年やりたいことは増えていく一方で、もはや1年夏休みをもらってもとうてい追いつけない。
映画(アニメ)鑑賞を諦め、野球観戦を諦め、旅行も諦めたのにまだ時間が足りない。
休日にやることない人から、時間を貰えればいいのにな。そしたらもっとたくさん動けて、そんなハッピーな気持ちを趣味無い人に分けて与えるのに。
この間の自粛期間は大変良かったなーサボりにサボって趣味に時間を当てまくった。
私の中で感想とは、言葉にすることでより萌えを味わう行為なんだと思う。
創作物によって存在を肯定されていると感じるタイプの人が一定数いて、そういう人はちょっと面倒くさい。
感想をもらえないと攻撃的になるし、たくさん感想もらってても全然足りない!って怒る人も見た。
たぶん数じゃないんだろうな…。
いろいろと嫌なこともあったけど、嬉しかったり楽しかったりすることのほうが圧倒的に多い。
でも返事をくれる人もいて、萌えを共有できたり、屈託なく喜んでもらえたり、原稿時のエピソードを聞けたりするとすごく楽しい。
たまにお返事の内容を見て、もしかして私はこの人にとって特別…?!などと馬鹿なことを考えたりする。
そういう時は舞い上がりに舞い上がって二ヶ月ぐらい浮かれてる。
(一読者がそんなこと思ってるのはこわすぎなので、距離を保つ努力をしているけど)
あのハッピー感は何だろう。
友達になりたくて感想を送ったことはないけど、その後やり取りが続いて今も良い関係を続けてくれている方もいる。
感想の目的は最初に書いた通り萌えを言葉にすることなので、書いた時点でほぼ達成しているし返事がなくても気にならない。
(あと感想ほしいですって言っている人にしか送らないけど、返信不要なら私の感想が嫌な場合も返事せずにいてくれるし)
取り留めのない話になった。
もし、(Twitterでたまに話題になる)「反応がなくて心が折れて創作やめた」系の話で危機感を持ち
好きな人に書き続けてもらいたくて多少無理して送ってるのなら、そんな必要はないですよ。
私は感想を言葉にすることで自分の気持ちがより明確になるのが楽しいし素敵な体験だと思っているので、
先に言っておくが、私は自担を溺愛している。
Q.スキルが低いとは?
自担、Jr.時代からダンスが下手でいじられているが正直10年以上下手なままだぞ。
成長はしているし当時より確実に上手くなっている。
そして、本人もそれを認識している。
いや、直らないんか?これは。
でも残念ながら私はダンス経験など無いので何が下手、とかは言えないのだ。しかし、これはわかる。君は周りに比べたらたぶんあんまり上手ではない。
自担、グループ内ではとりあえずバラエティ班ということになってはいるが…。
ただ、本人がダンス下手キャラで笑ってる時点できっと直す気は無いんだろうなと思う。つらいな。これもエゴです。
ちなみに、顔もグループ内では割とイケメンキャラではない。私は自担なのでもちろん1番好きなんですけど。