はてなキーワード: ストリートファイターIIとは
[1994年]
・NHK
・日本テレビ系
『レッドバロン』『D・N・A2 何処かで失くしたあいつのアイツ』
・TBS系
・フジテレビ系
・テレビ朝日系
『魔法陣グルグル』
・テレビ東京系
『メタルファイター・MIKU』『BLUE SEED』『真拳伝説タイトロード』
[1995年]
・NHK
・日本テレビ系
『ストリートファイターII V』
・TBS系
・フジテレビ系
・テレビ朝日系
『黄金勇者ゴルドラン』『美少女戦士セーラームーンSuperS』
『新機動戦記ガンダムW』『H2』
『ご近所物語』『怪盗セイント・テール』
・テレビ東京系
『新世紀エヴァンゲリオン』『ドッカン!ロボ天どん』
[1996年]
・NHK
・日本テレビ系
・TBS系
・フジテレビ系
・テレビ朝日系
『勇者指令ダグオン』『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』
『機動新世紀ガンダムX』『地獄先生ぬーべー』『花より男子』
・テレビ東京系
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』『天空のエスカフローネ』
『VS騎士ラムネ&40炎』『水色時代』『こどものおもちゃ』
『スレイヤーズNEXT』『赤ちゃんと僕』『セイバーマリオネット』
『超者ライディーン』『エルフを狩るモノたち』『魔法少女プリティサミー』
(引用 https://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/90sreunion/popup/08.html )
後年エヴァンゲリオンが突出して取り沙汰されるけど、こうしてみるとそれ以外にもとんでもない作品がごっそり放送されてるもんだなあ
この時期のアニオタは今ほど情報技術が発達してないはずなのに、よくついていってたもんだ
そうか、当時はアニメ雑誌でだいたい追えてたのか。毎月買うの楽しみだったろうなあ……
ここ40年位の日本のゲームの歴史をハードの性能などを交えて取り敢えずプレステ辺りまでを解説して下さい
ここ40年間の日本のゲームの歴史は、多くの革新と発展がありました。以下は、主要なゲームハードウェアとその性能に関する概要です。
ファミリーコンピュータ (Famicom) / Nintendo Entertainment System (NES) - 1983年発売
任天堂が開発したファミコンは、8ビットのプロセッサ(1.79MHz)を搭載し、最大52色のグラフィック表示が可能でした。これにより、スーパーマリオブラザーズやゼルダの伝説などの名作ゲームが生まれました。
セガ・マークIII / Sega Master System - 1985年発売
セガが開発した8ビットの家庭用ゲーム機で、プロセッサは3.58MHzでした。最大64色のグラフィック表示が可能で、アレックスキッドやファンタジーゾーンなどのゲームが人気を博しました。
PCエンジン / TurboGrafx-16 - 1987年発売
NECとハドソンが共同開発したPCエンジンは、8ビットのCPU(7.16MHz)と16ビットのGPUを搭載し、最大482色の表示が可能でした。このハードは、R-TYPEや悪魔城ドラキュラなどのゲームで知られています。
スーパーファミコン (Super Famicom) / Super Nintendo Entertainment System (SNES) - 1990年発売
任天堂が開発した16ビットのゲーム機で、3.58MHzのCPUと最大32768色のグラフィック表示が可能でした。スーパーマリオワールドやゼルダの伝説 神々のトライフォースなどの名作が多数リリースされました。
セガ・メガドライブ / Sega Genesis - 1988年発売
セガが開発した16ビットのゲーム機で、7.67MHzのCPUと最大512色のグラフィック表示が可能でした。ソニック・ザ・ヘッジホッグやストリートファイターIIなどのゲームが人気を博しました。
セガが開発した32ビットのゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターやパンツァ
セガが開発した32ビットのゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターやパンツァードラグーンなどのゲームが特徴的でした。また、CD-ROMを採用し、高品質なサウンドやムービーの再生が可能でした。
ソニーが開発した32ビットのゲーム機で、33.87MHzのCPUを搭載し、最大対応色数は1677万色でした。CD-ROMを使用し、ファイナルファンタジーシリーズやメタルギアソリッドなどのヒット作が登場しました。3Dポリゴン技術の進化により、リアルなグラフィック表現が可能となりました。
任天堂が開発した64ビットのゲーム機で、93.75MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、スーパーマリオ64やゼルダの伝説 時のオカリナなどの革新的なゲームがリリースされました。カートリッジを採用していたため、読み込み速度は速かったものの、データ容量が限られていました。
以上が、おおよそ40年前からプレイステーションまでの日本のゲームの歴史とハードウェア性能の概要です。この期間には、技術革新やゲームデザインの進化が急速に進み、多くの名作ゲームが生み出されました。
本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 - 分析編1
セガサターンミニの予想を立てるために、まずメガドラミニの収録タイトルを振り返り、その傾向を掴んでみる。
以下の表は日本版の収録タイトルである。このほかに幻の移植作『テトリス』、完全新作のメガドライブ版『ダライアス』も収録されている。収録タイトルは北米版、ヨーロッパ版、アジア版は一部が異なる。
「読者レース」とは雑誌『BEEP! メガドライブ』誌の名物コーナーだった「メガドラ読者レース」における順位および採点である。同コーナーでは読者の投稿したタイトルごとの採点によりメガドライブ、メガCD、スーパー32X合わせて全520本のソフトの順位が決まる。この増田では1995年9月1日号掲載の同コーナー最終回を出典としている。
こうして見てみると、極端に評価の低い名物ソフト(例:520位の『ソード・オブ・ソダン』)などはメガドラミニには収録されていない。収録されている中では最も評価が低い381位『スペースハリアーII』はメガドライブのローンチタイトルであることが評価されたのだろう。
8.5以上の採点を与えられたなかでメガドラミニに収録されていなかったメガドライブタイトルは、10位『アドバンスド大戦略 -ドイツ電撃作戦-』、21位『ぷよぷよ』、23位『ソニック&ナックルズ』、24位『バトルマニア大吟醸』、25位『ガントレット』、28位『エイリアンソルジャー』(アジア版に収録)、31位『雀皇登龍門』、34位『ラングリッサー』、36位『バーチャレーシング』(メガドラミニ2に収録発表済)、43位『ペブルビーチの波濤』だけである。ファンの間で評価の高いタイトルが順当に選ばれていることがわかる。
洋ゲー | 和ゲー |
---|---|
2本 | 38本 |
セガ | セガ以外 |
---|---|
21~23本 | 17~19本 |
『大魔界村』はMD版はセガより発売されたが、メガドラミニ版ではカプコンに変更されている。『ロードモナーク とことん戦闘伝説』の発売元セガ・ファルコムはセガとファルコムの出資により生まれた会社。CSK総合研究所はセガの関連会社(のちにセガAM2研と統合)だが、ここではカウントしなかった。
セガ | セガ以外 |
---|---|
14本 | 26本 |
MDオリジナル | 他機種からの移植 |
---|---|
29本 | 11本 |
1988年 | 1989年 | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1本 | 3本 | 4本 | 2本 | 6本 | 9本 | 12本 | 2本 | 1本 |
後継ハード・セガサターンの発売日は1994年11月。散り際の花火が鮮やかに輝くように、晩年が近づくにつれてメガドラミニに収録された傑作タイトルも増える。
「景気が良いときほど暗いアニメが流行り、景気が悪いときには明るいアニメが流行る」
といった話を耳にするが、
そのような疑問を抱いた私は、
1985年からの景気動向指数(CI・一致指数・各年の12月の数値を採用)と、
私が独断と偏見で選んだ「その年に人気だったテレビアニメ」を、
並べて比較してみることにしたのだった。
プロの方からのご意見はうれしく。ただ、誤解されていると思うんですけど、
とりあえず鵜呑みにするかどうかはおいといて、自分より知っている立場の人が言っていた事として謙虚に受け止めるしか無いんじゃないの。
そのとおりで。ただ、質問状への解答見る限り、お気持ち表明以外についてはゲンロン側も真摯に受け止めてるんじゃないかと。
あと、別に業界人に資料出せとは言っとらんのです。無理だし。そういうのの発掘とか纏めやんなきゃいけないのは電ファミらゲームライター側であって。多分そのへん誤解されてるんだと思いますけど。
この件については電ファミ仕事雑すぎ!って意見です。あとゲンロンそんな間違ってるっけ?っていう。現状見れる資料を基に批評するのって、そんなに変?
あとは恒例のついでのぶら下げ。
上にも書いたんですけど、みなさん基本ゲンロンの人が間違ってるのが前提みたいに言ってて。
そんなに事実誤認ってありましたっけ?と思って、最初の10個の質問だけでも書き出してみました。
(1)
・全体的にマスであるコンシューマ史中心で語られているという宣言がないため、あるいは以後もアーケード、PC、コンシューマという出自の異なる歴史が混じりながら、主語としては「ゲーム」と区別なく語られているため、誤解や批判を招きがちです。
・まぁ、口頭でも話したけど、編集で損してるところは大きいですね。
お気持ちの表明なので、「今後の編集の参考とさせていただきます。」としか言えないやつ。まあここ電ファミも質問としては書いてないのではと思ってるんですけど。
ただ「あまりに雑過ぎる発言が≒事実誤認」ってのは、史観や編集方針の違いと事実誤認を混同してますよね。というかこれからそういうのいっぱいな感じで。
(2)
全体的にマスであるコンシューマ史中心で語られているという宣言がないため、あるいは以後もアーケード、PC、コンシューマという出自の異なる歴史が混じりながら、主語としては「ゲーム」と区別なく語られているため、誤解や批判を招きがちです。
まあ、ここは不用意だし、ちゃんと書いとけよとは思う。コンシューマしか念頭になかったんだろうね。「日本のゲーム消費環境を作りあげた条件をあきらかにする目的で議論をしたい」ということを書くなら数字があってもいいかなと思うんだけど、論旨を明確にするなら許される省略でもあると思う。
(3)
今更なのでしょうが、やはり議論は91年ではなく85年あたりから始めてファミコンやマリオドラクエ、そしてゲームボーイについてもう少し言及しておくべきだったのではないでしょうか。
お気持ち表明 No.2。つーか最初に「事前の相談で九一年をスタートにしようということになったのですが、まずは井上さん、なぜこの年なのか語ってもらえますか。」からつらつらと理由が書いてるじゃん!
マリオとか書いとけってのもわかるけど、それはオタク特有の「アレが書いてない!」って奴じゃん!俺もよくやるけどやめとけ!
あと、ホームコンピュータと家庭用ゲームを混同しとはいえ、ちゃんとプレファミコン世代にも冒頭で触れているし、マリオとかドラクエからの語りよりきちんとしてるとは思うんですけど。
(4)
・具体的な数字が欲しいです。
「家庭用ゲームなるものを」と書いたのは「日本のゲーム消費環境を作りあげた条件をあきらかにする目的」で議論してるからで、家庭でのゲームの需要のされ方に観点を置いた上での発言なんだろうけど、不用意ではあるよね。これは必要な訂正もされている。
ただ、欧州(北欧?)でコモドール爆売れしてたのは近年になって割と有名になったと思うし、数字に突っ込む必要あったかなと。結果、海外研究者に照会した結果に基づいた発言だったわけだし、電ファミの人も勉強になりましたぐらい言ってほしい項目。
あと、これはファミコンが普通に売られてた国の人の感覚での質問だと思うけど、ファミコンのない国でホームコンピュータがどのような受容のされかただったか、という点については、すこし電ファミ側配慮が足りんのでは?と思う。ゲーム機扱いだったかもしれんじゃないですか。わからんけど。
(5)
固有名が欲しいです。
これはまあいいツッコミで、実際蓋開けてみたら、それキャプテン的な奴じゃん!ってなった。訂正はしているけど、まあ事実誤認に等しいのではとは思う。ただここ論旨と関係ないので、そこまで大きな間違えでもないかな。
どうでもいいけど、これ書いてて Robotron 2084 遊びたくなったので、多分帰ったら酒飲みながらやる。ウィキペには書いてないんだけど、SNESにほかのウィリアム作品と一緒に移植されてるので、おすすめー。今なら結構安い。
(6)
アメリカとの対比ならば、アメリカでマーケティング調査のうえで受け入れられるものとして制作されたこと、日本よりも先行してアメリカで販売されたことへの言及がないため、グローバルを語ることの説得力に違和感を感じます
お気持ち表明 No.3。ソニック出すならって意味でこれを指摘したんだろうけど、まあ答えたくないよね。
「ご指摘のポイントが今ひとつ把握できませんでした。」と流したくなるキモチ、すっごい分かる。
これが良くないのは、まあ一般人ならわかると思うんだけど、そこじゃねえよ!ってとこで。
文脈としてゲームマーケットのグローバル化の過程での日本市場との「例外」の話としてちょろっとソニック出しただけで論旨と関係ないし、
そこのディティールをそういう風に詳細にする必要ないだろーと。まあ読めてないってバカにされるよそりゃ。
(7)
直前にアーケードに触れていますが、初期のゲームファンはアーケードファンでもあって、どっちも遊んでいるのが当たり前だったことが理解されていない。
実際、自分の周りはアーケード大好きのPC好きがほとんどで、それが高じてプロになる。(当時のコンピュータ友達のほとんどがソフト屋になって半分以上がゲーム屋になっている)
「アレが書いてない!」No.2!やめとけ!
「もともとゲームは日本よりも海外のほうがマーケットも大きく、また初期のゲームファンはApple II用などの海外製PCゲームを楽しんでいた。」という文に対して
「いや、アーケードも楽しんでたよ」ってまあ、そりゃそうですよね、ってなるけど。なるけど。
直前のアーケードの話は別の発言者の歴史の俯瞰の話であって、それを引いてくる必要もないだろ。
答えようがないし、発言者が何も書かなかったのは、まあ、相手にされなかったんだろう。
これを真摯な態度じゃないってのはさすがにヤクザだと思いますよ。
(8)
編集のしかたの問題だと思いますが、直前の『ソニック』の例、続いて語られているアーケードの『ストII』、そしておそらく91年のSNES発売などを「さらに舵を切った」の論拠として挙げていると思いますが、それには、『ストII』のくだり(後述)やSNESへの言及の薄さによって違和感を覚えます。また全体にかかる話ですが、海外≒グローバル≒北米という言葉の使われかたによって、欧州は? アジアは? という疑問が残ります。
お気持ち表明&「『ストII』のくだり(後述)」がそもそも間違ってるんで、質問者の誤認と思われる。
あと、よく知らんのですが、メガドラ/GenesisとSFC/SNESってアジア用のリージョンコードありましたっけ。帰ったら資料あさってみるけど。
(9)(10)
初耳です
各所で指摘されてるけど、誤認と思われる。http://news.denfaminicogamer.jp/interview/171212 読んだんだけど、これ製作が決まってからのバランス調整の話ではと思うんですけど。
──なるほど。『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)の凄さは、あのタイミングでいまの格闘ゲームのフォーマットになるものが、完成形として登場した部分にありますね。それまでのアクションゲームの常識から、どうやって西谷さんは、『ストII』のような2D格闘ゲームの概念を生んだのでしょうか。
『ストII』には「初代の『ストリートファイター』【※】をどのように今風にするか」ということがテーマにありました。だからゲームの作りは『ファイナルファイト』で得た経験を含め、そこから構築していった感じはありますね。
ちょっと言いかたは悪いんですが、あのころのゲームって“ちゃんとしてない”ものも多かったじゃないですか(笑)。「まずはそこを精査しようよ」というところからスタートして、そのうえで「手触りのよさ」や「面白さとはなんなのか?」を突き詰めていったんです。
この騒動でゲンロンDISってるゲームヲタクちゃん、えらいヲタクの尻馬に乗ってマウンティングしたいだけで、元の文章とか質問状とか読めてないじゃねーのー?とか思いますよ。ホント。
そんな感じで。
ウィキで格ゲーの歴史見てみたけど、こんな乱作状態で短期間で廃れないほうがおかしいわ
今も変わらんけど日本の大手ゲーム会社って、こんな経営能力でよく潰れねーよな
1991年 - 『ストリートファイターII』。当初プレイヤー同士の対人戦はそれほど考慮されていなかったが、対戦専用の「対戦台」が登場するほどの大ブームを巻き起こし、家庭用ゲーム機でも大ヒットとなる。
1991年 - 『餓狼伝説』。SNK(旧社)による本格的な対戦型格闘ゲームの元となった作品。
1992年 - 『ストリートファイターII'』。対戦型格闘ゲームで初めて同キャラ対戦が可能になる。
1992年 - 『龍虎の拳』。大容量ハードを生かしたドラマティックな演出。超必殺技をはじめとした新システムの数々を生み出す。
1992年 - 『ストリートファイターII' TURBO』。高速度の対戦が特徴。
1992年 - 『モータルコンバット』。実写取り込みキャラクターの採用や残酷描写等を取り込んだ対戦型格闘ゲーム。日本では元より海外では『ストII』と同様、大ヒットとなる。
1993年 - 『アウトバースト』。ゲームボーイ初の対戦型格闘ゲーム。
1993年 - 『サムライスピリッツ』。本格武器格闘の元祖。一撃の重さを重視した独自のスタイルで人気を得る。
1993年 - 『餓狼伝説SPECIAL』。SNKは本作のヒットでカプコンと双璧をなす格闘ゲームメーカーの地位を不動のものに。
1993年 - 『バーチャファイター』。世界初の3D格闘ゲーム。実在の格闘技に即したリアルな動きを意識。空中コンボなどの新たな概念を生み出す。
1994年 - 『BATTLE FANTASY』。メガCD初の対戦型格闘ゲーム。キャラクターを成長させるロールプレイングゲームの要素を盛り込んだ。
1994年 - 『スーパーストリートファイターII X』。スーパーコンボの導入など、細部に渡り改良が行われた『ストII』の最終進化形。
1994年 - 『ザ・キング・オブ・ファイターズ '94』。複数のシリーズのキャラが共演するドリームマッチ。1プレイヤーが複数人を扱うチームバトルの原型。
1994年 - 『エックス・メン チルドレン オブ ジ アトム』。より個性的なキャラ性能、画面全体を使ったダイナミックな攻防。また空中に浮かせた相手を追撃可能となるなど、連続技の応酬が特徴。
1994年 - 『バーチャファイター2』。格闘ゲームとしては当時『ストII』に次ぐヒットとなり、家庭用はミリオンヒットとなる。
1994年 - 『鉄拳』。『バーチャファイター』に次いで登場した3D格闘ゲーム。家庭用移植版は60fpsによる画面描画・3DCGムービーが注目され、ハードの人気を牽引する。
1995年 - アメリカ合衆国で大会 Evolution Championship Series 開催。後に世界規模の大会となる。
【追加】
・ホシノ・ルリ(機動戦艦ナデシコ The prince of darkness)
・クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ(エロイカより愛をこめて)
・ガイル(ストリートファイターII MOVIE)
・花村父(はいからさんが通る)
・マクギリス・ファリド(機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ)
・ガエリオ・ボードウィン(機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ)
【お礼】
100ブクマいったので一旦終わりにします!皆さんありがとうございました!
エーベルバッハ少佐人気ですね!
しばらくして増えてたらまた追記しますね~
元の記事( http://anond.hatelabo.jp/20141231004329 )は比較的多くの方に読んでいただけたようで非常によかったです。特に、寄せられたコメント等に目を通してみますと、「Guilty Gear Xrd は初心者向けではない」という記事の主旨を真っ向から否定するご意見はほぼ見受けられず、むしろGGシリーズが玄人向けであることを当然視する内容のものが多かったため、自分の感覚は他の方々から大きく乖離していなかったのだと安心するとともに、そのような感覚を既に共有されていた皆様の見識の深さに感心した次第です。
今回の記事では、元の記事に寄せられたご意見からいくつかピックアップし、返信したいと思います。
このゲームを購入するよりも前に、全く格闘ゲームに触れていなかったわけではありません。スーパーファミコン時代に、友人の家でストリートファイターIIシリーズで遊んだりはしています。最近のゲームに関しては、動画サイトで上級者のプレイを観戦するなど、いわゆる動画勢と呼ばれるような立場でもあります。しかし格闘ゲームをやり込んだ経験はありませんし、用語等も動画などを通じて覚えたものであって実感を伴わない知識に過ぎません。したがってスキル的には初心者を自称しても問題ないかと思っていますが、それが不適当なら初級者とでも言い直したほうがよいでしょうか?
そうであるにせよ、初級者にとって難しいものは初心者にとっても難しいはずで、元の記事の主旨を大きく損ねる要素ではないでしょう。どちらかと言うと、動画勢としての予備知識があるぶん、まったくの素人では言語化できなかった部分も記事に記述できたのではないか、という自負もあり、自分のような立場の者が書かなければ(初心者はうまく言葉にできないし、熟練者は当然視している内容ゆえに書かないから)可視化されない情報だったのではないか、という気がしています。
オン対戦ならプレイヤーレベル設定すれば同レベルで戦えるから解決する話。友人との対戦ならその友人が悪いとしか。 /上級者の対戦をオンで見れるからそこから学べばええやん。 /北斗よりはましじゃん!!!!!w
まず「プレイヤーレベル設定すれば同レベルで戦える」という点については、事実と異なります。このことは追記エントリの中でも詳述しましたが、ランキングマッチのマッチング設定を「自分と同じ強さ」にしていても、勝率のかけ離れた相手との対戦が避けられません。私の勝率はランキングマッチ200戦程度を通じて15%を超えたことがありませんが、勝率80%以上の相手と当たるのはザラでした(全勝の相手と当たったこともあります)。その理由は、マッチングが段位を基準にしており、(追記エントリにも書いたとおり)その段位は下位層ほど強さを反映していない、という問題に由来しています。
「上級者の対戦をオンで見れるからそこから学べ」については、様々な困難が伴います。
観戦機能が実装されているのはこのゲームのよいところだと思いますが、実際に観戦するにはその対戦が行われているルームに入室する必要があります。そしてルームは1地域あたり64個用意されているロビーの中に立てられます。したがって、自分の持ちキャラを使っている上級者の対戦を観戦しようと思ったら、64(×地域数・・・日本国内だけでも4地域)のロビーを出入りして、そのロビー内の各ルームの参加メンバーを確認し、目的のプレイヤーが見つかったら、そのルームの空き(1ルームに入れるのは8人が上限)が出るのを待って入室する、という労力がかかります。しかもこの方法でも野良対戦しか観戦できず、ランキングマッチを直接観戦することはできないので、ランキングマッチ中心でプレイしている上級者の戦いぶりを見ることはできません。ロビー・ルームの実装がこのようなままだと、気軽に観戦するというのも難しいでしょう。特に使用率の低いキャラの場合、リアルタイムでその使い手が野良対戦していないということもままあります。なので、リアルタイムで観戦させようとする設計はあまりよくなくて、今あるREPLAY機能を活用しリプレイ動画を後からプレイヤー間で共有させる方向性を促進させるべきではないかと思います。
ゲームに実装されている観戦機能を用いなくとも、動画サイト等で検索して対戦動画を見るという方法もあるのです(こちらのほうがゲーム内で観戦しようとするよりはるかに簡単)が、まったくの初心者が対戦動画を見て得られる情報量は非常に少ないです。というのも、対戦しているそれぞれのキャラの行動の理由が、行動を見ただけでは(初心者には知識がないので)推測できないからです。もともと強い行動が多く備わったキャラならばとにかくそれを振るだけのプレイ(いわゆるチンパン)を形だけ真似るということがありえますが、通常、差し合いや切り返しでとるべき行動はキャラ相性なので、相手キャラが変われば類似の場面でも異なる動きになることを説明なしに動画のみから学び取るのは難しいでしょう。やはり観戦だけでは不足で、wikiのような媒体によって各行動の裏付けとなる説明が示されるべきだと思います。
「北斗よりはまし」について、私は寡聞にして知らないのですが、北斗の拳も初心者向けを謳っていたのでしょうか?私としては、ゲームの難易度が高く初心者向けでないことそれ自体は別に問題ないと思っていて、しかしそのようなゲームが初心者向けを謳っていることに問題がある、と感じています。
追記エントリへのトラックバックもいただきました。要約すると「初心者狩り対策として、善良な強プレイヤーが初心者狩り狩りとして機能するよう低ランクをカオス化させる仕様は妥当」という話だと思いますが、私はこれに同意できません。
初心者狩りにせよ、初心者狩り狩りにせよ、初心者にとってはどちらも自分より圧倒的に強い相手であることに変わりないわけで、そういう相手との対戦を理不尽に感じる点では何も違いがありません。運営は「善良な強プレイヤーの同居によって悪意あるプレイヤーの抑止ができるから、悪意あるプレイヤーを野放しにするよりマシ」と思うのかもしれませんが、初心者からすると「いずれにせよ強プレイヤーと当たる環境だったら嫌だよ」という話です。
初心者狩り狩り同居によって初心者狩り野放しの場合よりも初心者が強プレイヤーに当たる率は減ってるはずだ、という論もありえますが、その実効性はプレイヤー視点では実感できない(というか大規模なA/Bテストでもしないかぎりその実効性は誰にも測定できない)し、何より、他のトラックバックにもあったブラックリスト方式を活用するほうが迷惑プレイヤー排除の目的では確実かつ効果が大きいのは明らかなので、下位ランクをカオスなままにしておくことの理由付けとして初心者狩りを持ち出すのはあまり説得力がないと思います。
高学歴が増えたこととゲームがつまらなくなったことに、ある程度の相関はあると思う。
僕がゲーム業界に就職したのは二十年以上前だが、そのころはゲーム業界に就職するなんて、親にも親戚にも反対される場合が少なくなかった。そのまた十年前には、芸能界に入りたいと願う子供たちも、「そんなヤクザな世界はダメだ」と言われていたと聞いた。
だから、それにもかかわらず願いをかなえたいという情熱を持つ新人の比率が高かったわけだ。
それが、元増田の言うように
> その原因としてゲーム業界がある程度ステータスをもつようになり、(後略)
親や親戚が喜ぶ人気業界になったために、就職をゴールとする新人が増えてしまった。
ウォークマンやトリニトロンの頃は、面白そうな仕事ができそうな会社だけど松下や東芝や日立に入った方が親が喜ぶし友達の敬意も得られる、という状況だったのではないか。それが今ではソニーこそがステータスとなった。
僕が就職した時にゲーム業界に苦言を言った親戚も、後年僕が Sony Computer Entertainment の仕事に携わると喜んだ。
能力がどれだけあろうと、情熱がなければそれは十分に発揮されないだろう。
これは高学歴だけの話ではない。
じゃあ高卒や専門学校卒やFラン卒ならどうなのかというと、その人たちにとっても業界がステータスなのは変わらない。「低学歴からの志望者は情熱のある人ばかり」ということもないし、「情熱の無い低学歴は業界を志望しない」ということもない。
また別の問題として、ユーザーの経歴の話がある。
僕は JRPG とか SRPG を好まない。ゲームバランスはだいたい俺TUEEできるようになっているし、ストーリーは小説を読んだ方がマシだと考えているからだ。それでSRPGが好きだという後輩に「どれやっても一緒じゃん」と言ったら「全然違いますよ!」と怒られた。
ゲーム黎明期を生きてきたオッサンにとっては、それぞれのSRPG毎の違いなんて、スライムとスライムベス、ストリートファイターIIと飢狼伝説、戦場の狼と忍者プリンセス、くらいの違いにしか感じられない。
次々と新しいジャンルが創造されていた黎明期を生きてきた我々は、マーブルマッドネスとかドルアーガの塔とかアウトランとかグラディウスとか現代大戦略とかウルティマIVとかスーパーマリオブラザーズとかの登場を見てきた我々には、ここ十年くらいのゲームが刺激に乏しいと感じてしまうのは仕方がない。
また、クソゲー比率でいえば、ファミコンブームの頃に比べれば、おそらく格段に下がっているだろうと思う。それがまた刺激が足りないということに通じているのではないだろうか。
さらに言うと、「ゲームがつまらなくなった」なんてわざわざ主張するのはオッサンだろ? オッサンが若いころよりもゲームに情熱を注げなくなったという個人的なところも大きいんじゃないの。
他にも、ゲームがつまらなくなった理由や、つまらないと感じるようになった理由はいくつもある。
しかし僕は悲観していない。これはただゲーム業界が成熟したというだけのことだ。
小説や音楽や映画や漫画など、さまざまなエンターテインメント業界が似たような道を歩んできた。
新しいジャンルがどんどん出てくる黎明期、人気が出て粗製濫造になる発展期、大金をかけた駄作とインディーズが共存する成熟期、とゲーム業界も同じだ。インディーズの参入しやすさはエンターテインメント業界にとってとても大切なことだと思うが、ゲームも含めた成熟期にある業界は、程度の差こそあれ、素人がすぐに手を出すことができる。
というわけで、個別の開発者や会社の話は別として、業界の先行きについては悲観していない。波があるのが当たり前で、どの業界もそうだし、浮き沈みがあることは健全な現象だ。
というわけで、相関はあったとしても、高学歴は原因ではないのだ。
その中に、拳(何も武器や盾を装備していない状態)でオールクリアする、という制限を自らに課してゲームを進める、というものがあった。いわゆる「制限プレイ」とか「縛りプレイ」といったものだ。これによって主人公が敵を攻撃する手段は「殴る」のみである。そのゲームでは、「殴る」攻撃は出だしが速いが威力が非常に低いという設定なので、プレイ経験のある者ならばクリアの難しさは容易に想像出来た。
しかし自らそんな制限を課すほどの自信は伊達ではなく、視聴者達をハラハラさせながらも順調にゲームは進行していくのだが、とあるステージで難問にぶち当たった。
そのステージのボスは、いわゆる空飛ぶ怪物なのだ。各種存在する遠距離攻撃を駆使すればさほど攻略に手間取らない相手なのだが、武器を持てない状況では手も足も出ない。どうやら実況者は素でこのボスの存在を忘れていたらしく、このボスのみ例外という事で妥協するか、もしくは制限プレイをここで終了させるか、どちらかを選ばなければならない状況に陥ってしまった。
そしていよいよボスの登場である。すると実況者が操る主人公はおもむろに手に魔法を使うためのアイテムを装備した(このゲームでは専用のアイテムを装備しないと魔法を使えない)。
そして、青白い光を敵に飛ばす初歩的な魔法攻撃を空中のボスに向かって繰り出し始めたのだが、その瞬間我々視聴者は思わず笑ってしまった。魔法が飛ぶ瞬間、どこかで聞き覚えのある「ハドーケン!」という音声が聞こえてきたのだ。
そう、実況者は動画を編集する際、魔法を使う瞬間にストリートファイターIIの「波動拳」のSEを重ねていたのだ。なるほどそれも「拳」には違いない。見た目も何となく似ている(気がする)。制限は破られていない。流れていくコメントも沸いた。それからしばらくして、実況者はめでたくラスボスを倒し制限プレイを達成してみせたのだった。
今までは「趣味:ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど
そろそろそれも終わりなのかもしれない。
ゲームがつまんないw
楽しめてないというのが正しいかもしれない。
理由は三つ。
ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。
自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか
グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、
特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校を卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら
高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンターに
「勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも
それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。
でも少しも上手くならなかった。
下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。
「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、
読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし
シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。
腕前としては
キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。
ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームでネット対戦をやったりしたけど、
ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。
シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。
(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX、虫姫さまふたり、スマブラXのタイマン。)
何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。
基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど
負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要。
自分は基本操作はそれなりにはできたけど
「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く
応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。
「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので
どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。
何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。
最近は何でもインターネットで情報交換される時代だけど、時間が無かったし
学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから
上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。
勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。
ふたつは、
以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも
RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど
そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、
確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間の無駄と思うようになってしまったこと。
いわゆる江川達也的発想。
三つめは
ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや
コミュニティのオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。
オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。
元々会話下手で友達いない人だった。
ゲームセンターに関しても
シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし
いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。
格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし
こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。
ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは
自分をすごく疎ましく思うようになってきた。
(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。
「対戦後の感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、
逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、
その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)
特に「趣味:ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。
別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど
自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。
ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。
他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。
だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。
別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みのゲームを出してほしいわけでもなく。
ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。
(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。
他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)
自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。