はてなキーワード: エッセイとは
期待してた本がクソだと本当にガッカリする
特に実用書的なやつとか専門性が高い本がクソだと何も得られない体験を得るだけなのでマジクソ
ツイッターで持て囃されてた本だから期待しちゃったよ…作者のこと調べたらすぐわかってたはずだから踊らされた自分が悪いけど
元の値段が5~600円くらいだし、何より漫画コーナーで固まって置いてあるから本屋で探すのが楽
漫画でも小説でも新書でもエッセイでも文庫でもないよくわからんくくりの本!!探すのがマジめんどくさいから検索機がある本屋でしか探せないのででかい本屋行かないと買えない上に、だいたい1500円以上するしクソ引いたときのガッカリがすごいんだ
あと専門書みたいな感じだと自分の知らない世界が書かれてるというワクワクが心から飛び出していって穴があくかんじする
そしてまた自分は別のクソ本買うことになるだろうな
仕事が普通にできて(多分そこそこの企業)彼氏がいて近々結婚する
はー羨ましい
これで欠点ないのか?ってなるけど本人が欠点だと思っている部分は別に欠点でもないんだよな
そこに関するトラウマもあるけどそれ以外は全てに置いて恵まれてると思うからもうトラウマなんてあっても変わらないんじゃないかと思う
ちょっと前までは苦手なことを頑張ろうとするヒロインが可愛いなあと思って読んでたけど
軌道に乗り始めて?からの生活がすごい自分との落差を感じて読んでてしんどい
たかが漫画のキャラクターなのになんでこんな思うんだろうと考えたけど
一つは自分が成人して性格以外のスペックが比較対象に入ってきたから
彼氏や親、友人などの関係性や勤めている企業や仕事内容やポジション、同僚など
あと成人して漫画読むと学生や子供が主人公の漫画ってもう微笑ましいんだよね
あー頑張ってるな、とかちょっと意地悪するタイプでもそういう時期だよね…とか自分が通り過ぎた年代だから同じ土俵に立ってない
でも成人してるキャラクターだと同じ土俵に立ってるから、スペックの違いや差を感じてしまう
性格的な悪さを感じられないし、欠点も欠点として機能してなくてただただ良い性格のキャラクターが良い生活を送ってるだけって言う
嫉妬するんだから自分の生活に満足できてない部分があるんだよな
鬱々してないで満足できてない部分を変えていけばいいんだよ
でもセックスに関しては一人ではできないからそこはもうどうしようもないじゃんね???
だらだら書いたけど多分一番良いなーと思ってるのはそこだ
胸大きくて彼氏から誘われていて、していても多分大きな問題がなさそうな部分が羨ましいんだよ
関わり合いや歩みがちょっとリアル寄り?かなと思うけどセックス関連は別に問題ないよね
フェチ部分が先に押し出されてるからなのか知らんけど実はそこまで気持ちよくないとかそう言うネガティブなリアルな部分はないんだよね、ファンタジーだな
作者をずっと男性だと思ってたけど女性なんじゃないかと言う意見を見て目から鱗だった
ヒロインに対するフェイチズムから男性かなと思ってたけど彼氏の聖人具合から、そっちに理想を落とし込んでるならあり得るか
ヒロインも嫌味がないけど彼氏も一部モブからの評価はあれだけど仕事できるイケメンだから
変な部分で落としつつ、ヒロインの最大の理解者で経済力もあり仕事もできるイケメンなんだよな
最近漫画の中では連載の中で最大かもしれない修羅場があったけどそこも読んでて別に最後はハッピーエンドなんだよなって思って白けてしまった
現実だと相手の考えなんか分からなくて、喧嘩していた時にそこから別れに繋がるかもしれないって言う不安があるけど
あの漫画だとヒロインが自責の念から閉じこもってしまって、そこを彼氏が納めつつ解決に向かうだから
ヒロインなりに頑張っているんだろうけど、なんかすごい周りの人が良い人だなあと思ってしまって、創作だなあと…
一般的に女性を嫌悪しているとか、女性を蔑視していると主張する人は「じゃあお前は誰の腹から生まれたか言ってみろ」と怒られる。
確かに全ての生き物は母親から生まれる。出産というのは本来命懸けの大行事なので、全ての母親は母であると言うだけで尊敬されて然るべきだと思う。
母親というだけで何もかも許される、とまでは言わないけど、全ての人は自分を生んでくれた人にありがたいという気持ちはあるんじゃないだろうか。そこで母が親としてちゃんと自分を育ててくれたかどうか、はまた別の問題だけれど。
それはともかく、自分は女性に対して色眼鏡をかけて見ている、という自覚がある。自分はジェンダーフリー教育を受けた覚えが無いので、男らしい・女らしいという概念が自分の中にはある。男と女は違う生物だ、と思っている。
男性と女性では体の造りも何もかも違うし、男性の中で育ってきた男性と、女性の中で育ってきた女性では価値観も何も違うだろうと思う。衣服に関しても性別で分けられている事が多いし、少なくとも同性と同じようには見れない。
「おけけパワー中島」とか、「普通の人でいいのに!」のとか、女性向けのあるある話というか、エッセイ漫画を読んでも理解出来ないな…と思う事が多かった。理解出来るから嫌いとかではなく、何もかも理解出来ずよく分からなかった。
多くの女性がジャニーズなどのアイドルや顔の良い俳優に夢中になる理由もあまり分からない。こういう話は、性別を逆にすれば女性も「何故男はAKBなど若い女に夢中になるのだろう?」と思うのでは無いだろうか。
自分には、女性が男性を好きになる感覚が、どうしても理解出来ない。逆に、男性が女性を好きになる感覚は分かる。男性の事はある程度理解や共感が出来る気がするけど、女性の事となると理解や共感が出来ない事が多い。
女性が手がけた創作物も楽しめない事が時々ある。楽しめる事も結構ある。「この人は良く男性を客観的に見ているなあ」と感心する事もあるし、「女の考えている事はよく分からないなあ…」と困惑する事もある。
そう思う中で、自分には生理的にどうしても許容出来ない事が一つある。女性が自分の事を男性だと偽ったり、逆に女性である事を隠しもせず所謂「男性が好むジャンル」に足を踏み入れてくる事が、どうしても自分には耐えがたい。
例えば更衣室やお手洗いは基本的に性別で分けられている事が多い。それは、性別で住み分けを行わないと何らかの不都合が発生するからだと思う。もしかしたら将来的に統一されるかもしれないけど、当分はこのままだろう。
男性に好まれる物も、女性に好まれる物も、お互いそんな風に不可侵であったのではないだろうか。男性人気のある物をこっそり楽しむ女性も、女性人気のある物をこっそり楽しむ男性も居たと思う。大きな声はあげず、こっそりと。
まあ、そんな不可侵なんて物は初めから存在しなかったのかもしれない。人気漫画家の高橋留美子先生が『週刊少年サンデー』で作品の連載を始めたのは40年以上も前の事だ。大昔から「男性が好むジャンル」に女性は居た。
ただ、自分と違う「女性ならではの感性」「女性文化の中で育ってきた」人間を男性向けのジャンルで見る事は、自分には何だか違和感がある。面白さとはまた別に、この人は男の事をよく分かってないんじゃないだろうか、と感じる。
自分は性差の存在も強く信じている。女に男の事は分からないだろうし、男も女の事は分からないだろうと思っている。自分には女性の生理や出産の辛さが分からないのだから、女性だって男性特有の生理現象については分からないんじゃないか?と決めつけている。異性には本当の意味で「異性の悩み」なんて分かる事は無い、同性だからこそ強く分かる事がある、と考えているし今後も中々変わらないだろうから、自分は男女差別者であると思う。でも女性は好きです。
【追記】
男です。男らしいかはともかく。
山口瞳のエッセイが出典ではね。新渡戸稲造は『武士道』でこう書いている。
I have noticed a rather superficial notion prevailing among half-informed foreigners, that because the common Japanese expression for one's wife is "my rustic wife" and the like, she is despised and held in little esteem. When it is told that such phrases as "my foolish father," "my swinish son," "my awkward self," etc., are in current use, is not the answer clear enough?
To me it seems that our idea of marital union goes in some ways further than the so-called Christian. "Man and woman shall be one flesh." The individualism of the Anglo-Saxon cannot let go of the idea that husband and wife are two persons;—hence when they disagree, their separate rights are recognized, and when they agree, they exhaust their vocabulary in all sorts of silly pet-names and—nonsensical blandishments. It sounds highly irrational to our ears, when a husband or wife speaks to a third party of his other half—better or worse—as being lovely, bright, kind, and what not. Is it good taste to speak of one's self as "my bright self," "my lovely disposition," and so forth? We think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self, and self-praise is regarded, to say the least, as bad taste among us,—and I hope, among Christian nations too! I have diverged at some length because the polite debasement of one's consort was a usage most in vogue among the samurai.
http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm
これは有名な一節である。「武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう」といった意味。
なお『武士道』の初版は1899年。「戦後あたりから間違った意味で使われるようになった」というおまえの説と矛盾する。新渡戸稲造によるとWe think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self(おのれの妻や夫を褒めるのはおのれ自身の一部を褒めることだと、我々は考える)というのだ。だからmy rustic wife(愚妻)のような表現を使うのだ、と新渡戸は言っている。したがって─
高島俊男さんの「お言葉ですが…2」では、「愚」はわたしの意味だと説明した上で、実はこのような一人称二人称という発想は西洋人の発想だとことわり、日本人の発想は、「こちら側」と「あちら側」に分けるのだという。
http://takusen2.seesaa.net/category/1656458-1.html
これも「こちら側」にいる私と妻をまとめて「愚」と呼んでいる、と読むのが正確だろう。
もっとも、高島説でも新渡戸説でも「どうして自分の師匠を『愚師』とは呼ばないのか」という問題は説明がつかない。門弟から見れば師匠は「こちら側」だ。
作者本人が同人作家の影響なのか、主人公だけでなく周囲の登場人物も同人作家という場合が多いが、実際同人って結構ハードルが高くないかと感じる。
第一に自分の周りや親世代で、コミケに参加する人はいても本を出してる人は見たことがないし、コンカフェで働いていて来るオタクの客に話を聞いても本を出してる人間にはまだ一人しか出会ったことがない。
そもそも同人を出すにあたって、絵が上手くなければ本にしてはいけないというルールなど存在しないものの、流石にキャラの描き分けや他人に見せて恥ずかしくない程度の画力や漫画の構成力が必要だし、十数ページ〜の漫画を描きあげてそれをイベントごとに繰り返すという漫画やイラストへの執着心(?)や根気、時間や体力も必要になることから、やっぱり元々絵や漫画の才能がない・馴染みがなかった人間には難しいんじゃないかと思う。
実際自分がまだ10代だからそんな風に思えるかもしれないが、中学生の時に二次創作を始めて、夏休みや春休みも宿題が終わったらずっと絵の練習、高校でもバイトは諦めて学校の勉強以外の時間はずっと絵の練習に当てて過ごしてきて、最近やっと漫画らしい漫画が描けるようになってきたしイラストも形になってきた。それでもここまで来る過程がすごく大変だったから、同人女が当たり前のように出てくるエッセイなどを見ると、彼らは同人をやる時間がたくさんあったり、それなりに売れる漫画やイラストを描けたりして羨ましいなと思うというか、ちょっと特殊なんじゃないかと思えてくる。
10日前はタイムラインが荒れていたこともありTwitter疲れが酷く、特に興味もないようなエッセイを読み漁っていた。そもそも一つのものへの興味が長続きするタイプではなく、Twitter疲れと言っても飽きと疲れが半分ずつという感じだった。
Twitterのトレンドを見ていろんな人の意見を見るのに飽き、話題になっているnoteを読むのにも飽き、届いたLINEを返すのに頭を使うのも嫌で、ひたすらボーッとしてた。
そんなとき、あるエッセイをふと読み返したくなった。実際はエッセイでなく話題になった例の増田で、そんな経緯でこのアノニマスダイアリーに辿り着いた。
完全匿名で誰も彼もが言いたいことをズバズバ言い合っていて、フォロワー同士の傷の舐めあいや同調圧力のようなものがないところにすごく心が惹かれた。
知識のある人たちが議論をしているのはすごく見ていて楽しい。しかも大半の人が理にかかったことを言っているのだ。理にかなっている同士の意見がぶつかり合っていて、感情論が殆どない。知識などない自分には格好よく見えた。
トラバもエントリーも書かず、ひたすら人気エントリーだけを読む生活が一週間続いた。ああこれは飽きないやつだ、激しい議論が毎日どこかしらで行われているから飽きが来ないんだ、と思った。
時々オタクのおきもち表明があって、そこは濃いTwitter色を感じて嫌な気分になるから基本タイトルで選んで見ていた。議論以外にも、日常のこととかも読んだ。
どれも面白かった。文章がしっかりしていて語彙力があり、非常に読みやすい。
いつかは自分も何か書くぞ! とやる気に溢れていた。この調子なら飽きは来ない、いつか自分も書きたいと思うものも思い付くだろう、と。
実際は違った。何も思い付かないし、飽きた。飽きました。話題にそもそもあまり興味がないから話してることは難しく感じたし、いちいち調べるのも面倒になった。今度こそ平気だと思ったんだけど、やはり飽きはどこにでも来るものだ。
美人は三日で飽きるというけれど、美人以外の大体のものにも飽きは来る。増田は10日で飽きる。日数はものによりけりだが、飽きばかりは避けられないもんなんだな。
https://note.kishidanami.com/n/n0b2033a6652f
本当に24時間で消えてしまうのは惜しいのでここに。なぜかweb魚拓は撮れなかった。
岸田 奈美
2020/07/27 19:06
Instagramには、24時間で消えるストーリーという機能がある。フォトジェニックじゃない(=映えない)写真を、気軽に投稿できるのが良いそうだ。というわけで、これはフォトジェニックでもエモーショナルでもない、24時間で消えるnoteだ。おもにわたしの醜いモテへの執着や、頭を抱えたくなる恋愛の話に使われる。
彼は、愛すべきバカの友人の紹介で知りあった、愛すべきアホだった。底抜けにアホで、底抜けにお人よしだった。
いつも良いことがあったみたいに微笑んでいて、箸が転がっても楽しそうで、だれかの良いところを褒めることが大好きで、褒められたらわんわん泣いて、飲み会で輪にはいれていない人に一番に声をかけ、信号の点滅する交差点でおばあさんがゆっくり歩いていたら自分の荷物がペシャンコになろうとも放り出して一目散に駆け寄る人だ。たまに大きな犬に見えるときがある。
だけど悲壮感に満ちたおもしろい失敗や事件に巻き込まれてしまう引力はわたし以上で、いつも「なんでこんなことに」と半泣きになりながら、不運に揉まれるアホの彼が書く文章は、ちょっと息を飲んでしまうくらい上手だった。彼はわたしと同じ作家だった。書き残す言葉でだれかの呪いを解ける、尊い人だと思った。
友人として、作家仲間として、アホ同士だいたい4人くらいで仲良くやっていたのだが、思いもよらず彼から「好きだ」と言われた。
あまりにも予想をしていなかった展開なので、わたしは「虫だ」と聞き間違えて、そっか虫がいるんだと黙っていた。わたしがしばらく黙っていたので、考え込んでいるものと思い、彼は律儀にその沈黙を守っていた。実に無駄な3分間を過ごした。
「付き合ってほしいです」
「い、いやです」
「えっ!?」
彼は目を丸くした。目を丸くしたいのは、こちらの方である。だってきみとはずっと良き友人でいたいと思っていたし、こう言っては申し訳ないけど、まったくもってタイプではなかった。
彼は底抜けにアホで、底抜けにお人よしなので、たくさんの人と運命から愛されている。彼が誰かの悪口を言っているのは聞いたことがないし、誰かが彼の悪口を言っているのはもっと聞いたことがなかった。
でも、彼はスマートとはほど遠いのだ。モテないわたしが選り好みして、本当にごめん。醜いことは百も承知で、神戸のド田舎から出てきて、Sho-comi(覇王・愛人)を恋のバイブルにし、最近はツイステッドワンダーランドのリーチ兄弟に夢中なわたしは、スマートな男と付き合ってみたいのだ。
彼を恋愛の目線で言い表すとしたら、なんだろう。童貞が最後に見る夢。失った青春の延長線。交響詩篇エウレカセブンのレントン・サーストン。ボーイ・ミーツ・ガールドリブン。奥田民生になりたいボーイ。近所のタバコ屋に住み着いた大きな野良犬。振り向けばだいたい自動ドアに挟まってる。本当にごめん、ひどすぎる言葉しか出てこない。
これでわたしを嫌ってくれたらいいなと思いつつぜんぶ言ったら、ものすごく神妙な面持ちで「まあ童貞みたいなもんだからね、よくわかったね」と感心していた。感心をするな。
「というかね、信用できないんやわ」
「なにを!?俺の恋心を?」
「君の恋心をだよ。だってわたしたち、二回しか会ってねえのよ」
そう。時期が時期だったので、知りあってからはほとんど、友人たちを交えたリモート飲み会で話していた。直接彼と会ったのは、たった二回。一回目は奇しくも害獣に襲われて怪我をし、二回目は引っ越した家を悲運にも七日間足らずで失っていた。事件が過ぎる。
ともかく二回しか会ってないのだ。マチネの終りの福山雅治でも、もうちょっと会ってた。
つまりこれはひと夏の思い出にすべてを賭けてきた、まごうことなき童貞ドリブンだと思った。詳しくは書かないが、告白の場所もひどかった。いまどきの小学生ですらもうちょっと良い場所を選ぶ。
どこをどう見てもタイプではない童貞に、心を乱されているわけには、いかないのだ。どこかで優しくて素朴でかわいい女の子と一緒になってほしい。
「わかった。俺はいつまでも待つよ。誓うよ」
「なにを?」
「人生を」
「なんて?」
人生を誓われてしまった。誰から頼まれたわけでもないのに、やたらと重いものを後さき考えずに背負い込む、己に十字架を課す、これぞ童貞ドリブンじゃないか。もうやめてくれ。誓わんといてくれ。
それから、何度か彼とご飯を食べたり、お茶をしたりした。書いていて死にたくなるのだけど、目が合うたびに、かわいい、本当にかわいい、すごい、きれい、と初めて動物を見た子どものような表情で褒めてくれた。
わたしは、自分の外見に強烈なコンプレックスがある。もったりとした奥二重、並びの悪い前歯、突き出た上唇、団子を貼りつけたみたいに低い鼻。どこをどうとっても、褒められなかった。取材などで撮ってもらう写真を見るたびに、現実を突きつけられて、悲しくなる。だから、彼のかわいいを信じることができなかった。
あと、人から好きだと言われて付き合ったことがない。いつもわたしは異性を追いかける方だったから、尽くして愛することこそが、自分の価値だと思っていた。
あまりにもわたしが、かわいくないからやめてほしい、と頼むので、彼ははじめてむっとした顔を見せた。
「なみちゃんのかわいさが、なみちゃんに伝わってないのはいやだ」
そして思いついたように、わたしが買ったばかりのライカQというカメラを手にとり、夕暮れの街を歩きはじめた。ぶらぶらと歩いていて、彼はなにも言わずにシャッターを切った。
写真を撮るならもうちょっと、ポーズの指定とか、背景のこととか、考えるもんじゃないのと思ったのだが、そういうのはなかった。
樹木希林と内田裕也の関係性から学ぶこととか、かわいい犬が歩いているのを見るだけで脳汁が出そうになることとか、ブタクサの油炒めはどんな味がするのかとか、そういうアホな話をしていた。いつのまにか彼は、何度もシャッターを切っていた。
カメラを見ながら「うわっ、かわいい」「びっくりするくらいかわいい」「こっちかな」「いや、こっちだな」「まぶたに焼きつけたい」とアホなことをつぶやくので、したたかにどついた後、見せてもらったのがこれだった。
L1030088のコピー
生まれてはじめて、自分のことを、ちょっとかわいいと思った。なんだろう。汗でメイクも落ちてるし、服だって適当なワンピースだし、手はむくむくしている。でもなんか、良かった。
「俺には、なみちゃんがこう見えてる。なみちゃんは心の美しい人だから、誰よりも美しく見えるよ」
発言は相変わらずアホだったし、何度見ても顔はタイプではなかったし、彼はこのあとすぐ自転車にひかれかけていたのだが、ひとつだけわかったことがあった。
写真というのは、レンズが人を映すのではなく、人が人を映すのだ。
ファインダー越しの表情、身体の動き、まわりの風景には、関係性が透けて見える。いい顔をさせられるというのは、いい関係性であるということで、もっと言えば、撮る人の恋や愛みたいな言葉にできない感情も確かに伝わってくる。文章も同じだ。だからわたしたちは作家なのだ。
わたしの凝り固まったコンプレックスが、他人の視点を通して、少しずつ溶かされていくような感覚になった。わたしのことをこんな風に見てくれる人たちがいると思えば、この世界はそれほど悪くない。
告白の返事はしていない。付き合うかどうかもわからない。ただ、写真を撮ってもらうことが増えた。そのかわりエッセイにしていいかとたずねると、決まっていたみたいに快諾してくれた。
今日は「俺と付きあった方が良い48016個の理由」というメッセージが届いて、1から順番に送られてきたけど、ひとつ一分で語ったとしても八百時間かかるのがバカだと思った。
いつかこのバカのことを、好きになる日はくるのだろうか。勝手に誓われた人生を、わたしはどう持て余せばいいんだろうか。とりあえずわたしは、恋よりも、いまはなにかを書きたい。今日もわたしは、恋人がいない。
生殖器に関する生々しい話を書いています。苦手な方はご遠慮ください。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象を、自分の気持ちは置いてきぼりにされたまま、赤飯を炊かれ、異性の家族や親戚、友人の親、果ては近所の人にも知らされ、祝われたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が予期せぬときに訪れ、お気に入りの洋服や下着を汚し、泣く泣く捨てたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が予期せぬときに訪れ、真っ赤になった下半身を指さされクラスメイトに笑われ、恥ずかしい思いをしたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象を、「将来子どもを生むための大切な過程ですよ」と、母親になること、産むことを前提とされた教育に用いられ、違和感を抱いたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象のせいで、プールや体育を見学したのにも関わらず、異性のクラスメイトに性的な言葉でからかわれたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象であるのにも関わらず、「下ネタ」と笑われたことがあるか。
あなたは、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象を、自分の年齢を告げただけで他人から「もうアレは来てるの?」と不愉快な笑顔で尋ねられたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により、股から大量の血液を垂れ流しながら一週間を過ごしたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により、股の部分の不快感に顔を歪ませることがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が来るより一週間も前から来る、言いようのないだるさや眠気、死にたくなるようなどん底の精神状態に苦しんだことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象がもたらす、身体の内部をえぐり捻られているような痛み、目を覆いたくなるようなむくみや肌荒れ、重たい頭痛や腰痛、吐き気、不快なだるさ、無くならない眠気などに一週間悩まされることがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により、股から流れる血で汚さないよう気を遣いながら、それに伴う痛みに耐えながら、舌打ちをし「クソ」と呟きながら全く休まらない風呂の時間を数日過ごしたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により、予定や服装を左右されたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により、ぐっすりと眠ることもできない夜を一週間過ごしたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が来たと恋人に告げたとき、あからさまに嫌な顔をされたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が来たと恋人に告げたとき、性行為が出来ない代わりに口淫を求められたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象により起こる、身体的な辛さや精神的なつ辛さを家族や会社、学校などで、「甘え」「怠慢」「たるんでいる」「大げさだ」などの言葉で片付けられ、全く理解してもらえなかったことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象のために、自らが思う性との不一致に苦しむことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象の様々な苦しみを、同性にでさえ理解してもらえなかったことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象の辛さを抱えたまま、仕事や家事や育児や勉強をしなければいけなかったことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象が一週間続くなか、いつもと同じ生活、仕事量、勉強量が当たり前に求められたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象のために買わなければいけない、ドラッグストアに陳列された派手なパッケージやその値段に、黒いビニール袋に嫌気がさしたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ない現象を、イライラしている人をからかう言葉として揶揄されたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ないこれらの現象が一週間続く人に、いつもと同じ生活、仕事量、勉強量を当たり前に求めたことがあるか。
あなたは毎月、自らがその性に生まれ、ただ成長をしただけで自らの生殖器で起こらざるを得ないこれらの現象に悩む人を、軽く見たことがあるか。笑ったことがあるか。
ここに書いたことは、私だけが抱えているものではなく、SNSやエッセイ、小説や映画やドラマ、新聞のコラムから、女の子同士の他愛のない会話に至るまでのあらゆる場面で、それこそSNSがない時代からごまんと語られてきた悩みや苦しみたちだ。私は単にここにそれを少しそれっぽくまとめただけに過ぎないし、上に書いたことだけでは「生理」の悩みは尽きない。百人の女性がいれば、百通りの「生理」がある。「人には人の乳酸菌」というキャッチフレーズは、ある程度浸透しているのに、この事実は浸透しないという謎。
そもそも上に羅列したことは、匿名のこんなド下手文なんかにではなく、皆(クソデカ主語)の大好きなTwitterでいろんな女性や時には男性までが、アカウント名とアイコンをきちんと伴った上で、文字や漫画や動画といったかたちでツイートしてくれていたたはずだ。
でも、未だにわかってもらえない場所や人が、この世にはたくさんあって、たくさんいるようだ。ちなみに、「この世」はクソデカ主語ではない。
ここに書いたことを「生理」や「生理の日」を疎ましく思わない女性や、男性は完璧に理解して、アタクシを労わってよね!!!!!!!などと言いたいのではなく、ただ、「知ること」や「相手の立場に立ってみること」は大事だから、「自分セーリのことはちょっとよくわかんねッス」とか「私は生理で悩んだことないし」とかいう方、後生だからちょっと時間割いてこの文章読んでくれ…………………………という思いだけなのだ(読んでくれた人がもしいるのならば、ありがとうございます)。
結局声を大にして伝えたいことは(まだあるんか)、別に、「生理の日でも明るく」なくていいし、「生理の日でも笑顔」にならなくていいし、「生理の日でもいつも通りのワタシ」じゃなくていいし、「生理の日」は、普段通りじゃなくていい、ということだ。
もしも「生理の日」に「普段通り」を求める人がいるのならば、そんな声は無視していい。そして、「生理」のことを知ろうともせず、「普段通り」を求める人たちから自分の心と身体を守れたことを褒めていい。
どうか、どうかこの世に生きているすべての女性が、すべての女の子が、「生理の日」に「無理をしない」が当たり前に選択出来る日が、必ず訪れますように。
年間定額を国に納めてでも子供を生みたくありません。
家族が、というより周りの人間ほとんどが子供を持つことで人生が豊かになると考えていますが、私は全くそう思いません。子供が無条件に好きだったり老後の面倒を見てもらいたかったりと、様々な理由があることは分かっていますので、この考え方自体を根こそぎ否定する気はありませんが、私は無理です。心から子供が苦手なのです。
突然意味の分からない行動をする、言葉が通じない、四六時中意識を子供に向けていないと危ないことをしてしまったり、人に迷惑を掛けてしまったりします。
悪阻は苦痛ですし出産自体は痛いに決まっていますし、お金が掛かります。大学時代に奨学金を借りているので、それの返済もあります。休職・離職していつ戻れるか分からない状況が続くなんて、考えるだけで不安が凄いです。
育児体験の漫画やエッセイを読んでも、夜中は寝られず、お風呂にもゆっくり入れず、買い物に一人で行くのも困難、落ち着ける時間がないと苦しかった話しか見たことがありません。
苦しくなかった話として挙げられるのは決まって「子供が自分の指を握ってくれたときは幸せだった」とか「初めて言葉を話したときは感動で涙が出た」とかだけじゃないですか。その幸せに対して苦痛の割合が大きすぎませんか、と毎回思います。
あと何より子供が苦手だからと断っているのに「自分の子供だったら可愛いと思えるに決まっている」と押し付けてくる恋人と家族に嫌気がさしています。
生むのも育てるのも私なのに、何故私の意見は有耶無耶にしてしまえるのか。もしも本当に生んで、可愛いと思えなかったら?むしろ逃げ出したいとすら思ってしまったら?怖くて仕方がないんです。子とはいえ人は人。人の人生を支えることに自信がありません。
少なくとも私は嫌な育て方をされた覚えしかありません。いつも姉と比べられては努力が足りないからと言われて、やりたくもないことを姉がやりたいと言っているからやらされて、早く両親から解放されたいと思うばかりの人生でした。
それなのに子供にとって良い育て方が出来る自信などあるはずがありません。子供に、子供時代の私と同じ思いをさせてしまったらどうしようと考えてしまいます。
子供を生まず老後の面倒は誰に看てもらうんだ、と言われるとゾッとします。皆自分の老後のために子供を生むんですか、と。私は貴方の老後の世話をするために生まれてきたんですか、と。
子供がいないと老後は生きていけないなんてことはありません。そもそも介護が必要になる歳まで生きる気もありませんし、万一生き延びてしまったとしても、介護施設を利用します。そこで働いている人も誰かの子供なんだぞと言われたら、ぐうの音も出ません。ですがそれは仕事ですので、「生んでやったんだから介護をしろ」というのとは違いますから…。
ここまでお読みくださった方には分かる通り、私は子育てに向いていません。生むべきではない人間です。
それを妊娠・出産の良さを語ってくる人に分かってもらうにはどうしたらいいんでしょう……。
皆様のご意見をひとつひとつ拝見しました。個別にお返事ができず申し訳ありませんが、こちらの追記を持ってお返事とさせていただきます。
まず、優しい反応がたくさんあり、とてもほっとしました。嬉しかった、とはまた違いますが、否定しないでくださったことがすごくありがたかったです。
また、何度もコメント等で申し上げている通り、子供自体が嫌いなわけではありません。「心から子供が苦手」とだけ書いてしまったからか誤解されているようなのですが、正しくは「心から子供と接するのが苦手」です。分かりにくい書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
例えば、ファミレスやスーパーで子供が泣いていたり叫んでいたりするところを見ても、大変そうだなとは思いますが迷惑だとは思いません。(親が怒鳴り付けて怒っている場合などは少し迷惑と思ってしまいますが、そうしなければならないんだろうな、という理解もあります)
ただ、その短い間に見ただけでも「大変そうだな」と思ってしまうようなことが、毎日朝から晩まで続くと考えると、どうしても私には耐えきれないと思います。「母親になれば耐えられるよ!」と言われても、自分のことだから分かるんです。
それから、分かってもらいたいと思うのは傲慢だという指摘をいただきました。それについては仰る通りだと思いますし、恋人とは次に会ったときに話し合い、お別れをしてきます。(大切なことは面と向かって話したいので。いつになるか分かりませんが…)
両親からは、そこそこの愛は貰っていると思います。ただ愛情の向け方が私には合わなかっただけです。勉強も運動も出来ず取り柄がなかった私に、諦めるのでなく厳しく接することが正解だと思っていたと言われたことがあります。確かに、両親が諦めないでくれたおかげで、当時行ける高校がないと担任に言われたことのある私なのに、そこそこ名の知れている大学まで通えて、就職も出来ました。それは感謝しています。
けれど、いつも両親を怒らせないようにと張り詰めながら過ごしていた子供時代は、愛など微塵も感じたことがありません。両親は私のことが嫌いなんだと思っていた時期もあります。
正しい子育てなんてないのでしょう。大体の流れは同じでも、性質や物の見方・考え方は子供であっても「人それぞれ」です。
私の育て方ひとつで、子供は幸せにも不幸せにもなります。そんな風に他人の人生を背負うなんて、到底私には不可能です。度胸も覚悟もありません。
生んでみればわかるなど言われても。もし子供を生んで「子育てが辛い、やめたい」などと言えば、「母親失格」や「じゃあ何で生んだんだ」と責められるのでしょう。やるせない思いでいっぱいになります。
案ずるより産むが易しと言われても、私は身長が低く、母曰く出産にリスクがある体型ですし、慢性疾患もあり毎日薬を呑まなければなりません。出産は皆同じ条件ではないのに、易しと言われても、不安なものは不安です。
「子供がいれば一人前になれる、生まなければ一人前になれない」とのコメントもいただきました。本当にそうでしょうか。生んだだけで一人前ならば、虐待で子供を殺した親ですら一人前になってしまいます。けれど、世の中的には、そうではないですよね。
正しくは「子供を生み、きちんと育てて、ちゃんとした大人にすることで一人前になれる」じゃないでしょうか。(私はそうは思いませんが、一人前になれると主張したい人は、です)
「子供がいれば幸せになれる」なんて考えも、きっとこれから先持たないと思います。子供は親を幸せにするための道具ではありませんし、子供がいなくても幸せな過ごし方だっていくらでもあります。
妊娠・出産・子育てで何年も辛い思いをするのが嫌なだけでなく、子供に辛い思いをさせかねないことも嫌なのです。無条件に幸せになる親も子もいません。親だけが幸せでも、意味はありませんし。
女性として生まれてきたからといって、子供を生まなければならないという考えは人間が有性生殖をする生物である限りなくならないと思います。
ですが、自分の人生を決められるのは結局自分自身だけです。他人に従わなければならない義務などありません。「女として失格」でも「人間として失格」でもいいです。私のせいで不幸になる可能性のある人はいない方がいいんです。
子供が好きで、生みたいと思う人は生めばいい。生みたくない人は生まなければいい。どちらも個人の選択で、誰かに強制される必要はないです。
自分でも何を書いているか分からなくなってきました…。長文・駄文で申し訳ございません、お読みいただいた方には心より感謝申し上げます。
(お金貰ってでも、では? という指摘をいくつか受け取りました。書いた当初は「子供を持っていない女性からお金を取るという制度ができても」という意味でした。勢いで書いてしまったことと、二度書き直したことにより、本来の意味を失っておりました。申し訳ございません。)
最近読んだ「スーパーマーケットは人生を考えさせられる」っていうエッセイの文庫本がまさにそれだった。
スーパーに行って、そこで起きた出来事を淡々と書いてるんだけど、これといった事件がおきるわけでもなく。オチも盛り上がりもない。
同じ人物が何回も出てきたり、ちょっとずつお店が変わったりする微妙な変化や時間の流れが日記感抜群。
読んでよかったよ。
東京に住んでるなら「手帳類図書館」って場所もおすすめ。色んな人の日記が所蔵されてて、1時間1000円で読み放題。本物の他人の日記。
何冊かに分かれてる場合もあり、読んでるうちに中学生がいつの間にか大学受験してた…とか、そんなドラマがある。あるのだが、こちらも同じく衝撃的な出来事は起こらない。淡々とした日常。本当に日記。本物の日記だから。文字や手帳の個性も見どころ。
全ッ然ブログじゃないから(でもって長い)クソコメで申し訳ないが、この2つでずっとどうしようもなかった日記読みたい欲がまあまあ解消されたのでお役に立てればと思いコメントした。
日記、読みたいわー。
少し前に某芸能人が原因で「性風俗オチしなきゃいけないなんてかわいそう!」とネットで話題になった。
自分も性風俗にあまりよくない印象があった(性病とか)ので頷いていたのだが、性風俗で勤務されている複数の方々が「勝手に憐むな、わたしはプライドを持って仕事をしている。お金に困っているから仕方なく就いたわけじゃない」と毅然とした態度で「かわいそう」を否定されていた。
えっ、そうなんだ!と驚いたと同時に、なぜ自分が「性風俗を仕事としている人はかわいそう」という感想を持ったのか思い返してみることにした。
自分は性風俗でお世話になったことはないし、友人親族に性風俗店に勤めている方はいないので性風俗界隈が身近じゃない。漫画やドラマで触れた性風俗店はいわゆる遊郭なので現代の性風俗店とはだいぶ異なるだろう。
じゃあなんでかわいそう?
思い当たるのが性風俗に勤めている方々の実録エッセイやツイートだった。そこに書かれているのは、お金にとても困っていて、親と確執があるためまともな教育を受けられず、惨めな思いをして、ときに性病や性暴力(コースにないプレイを強要など)に苦しみ、底辺だけど地べたに這いつくばってでも頑張っている、性風俗で働いている方々(性別に関係なく)の姿だった。
あ〜…自分がビジネスを真に受け過ぎただけか。実際に苦しむ方々がいないわけじゃないけど、他の職業だって苦しむ方々がいるし(友人が土木関係なのだが脚の骨を仕事で粉砕していてそのレントゲンを見せてもらった。印刷会社に勤める友人はその友人が、ではないけど印刷機に髪が巻き込まれた方のエピソードとか)、どうも自分は「性」というだけで過敏に反応していたのかも。
辛くない仕事はないんだろうけど偏見でさらに他人が「酷い仕事」のレッテルを貼ることはできてしまうから、気を付けないとな…
きっかけはTwitterのタイムラインに流れてきたエッセイ漫画。拒否反応が出てちゃんと読めていないけど「〇〇で××だったけどこの一言で完璧主義者をやめられました!」「ゆっくり休んだら精神が回復しました!」というものだったと思います。
しかし本当に「がんばらなくても死なない」という考え方で全員が救われるのでしょうか?
私は「自殺しないこと」を頑張っています。通学途中車の前に飛び出したい、踏切を越えて電車に轢かれたい、包丁で動脈を切りたい、校舎の4階から飛び降りたい……そういった衝動を必死で抑えながら、ただ「好きなもののファンコミュニティから自殺者を出していろんな人に迷惑をかけたくない」という一心で日々を過ごしています。
精神科には何年も通っています。副作用に苦しみながら薬も飲んでいます。カウンセリングも受けています。けれどこの希死念慮はどうしようもありません。
そんなギリギリの、文字通り「がんばらないと死ぬ」生きている人たちに、「がんばらなくても死なないよ!」という言葉は果たして本当に救いになるでしょうか?
この世にはどうしようもない事情で「頑張るか、死ぬ」の二択を突きつけられている人間がいます。その事実を頭の片隅に置いてくださったら嬉しいです。というか置け。
夫や彼氏がエッセイの人物として登場することを了承しているのでなければ、誹謗中傷の流布やハラスメントにあたるので大変な問題だ。
作者が個人情報を明らかにしていない場合、夫や彼氏もどこの誰か分からないんだから
商業で「エッセイ漫画」と称されるものでも創作のものもあるよ。
(別に作者も隠している訳ではなく、創作だと普通に明かしてる)
twitter漫画にしても、作者が実体験だと書いてない限り創作だとしても別に騙してる訳ではないし
読んでる方も創作と思って読んでる人も多いだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20200720004508
unakowa 倍返しドラマで理不尽な上司に逆らえない人がスッとするように、夫に言っても糠に釘でイライラしてる人向けなんだよ。あと自分の観測範囲では家庭内で女の言うことはキレるまで取り合わない男性多いので需要高い
koasdgegokoasdgego スカッとジャパンみたいな一種のポルノでしょ。女のエロ本
hate_flag よくわかんないけど、増田は夫や彼氏が叩かれてるのを見て自分が叩かれてるように感じてつらいのかな?でもそれは君じゃないんだから分けて考えたほうがいいぞ
フィクションとして作られているのなら何も文句はないです。見たい人が見ればいいし、そうでない人は見なければいい。
今流行りの「ポリコレ」のように、創作物は正しくあるべきだなどと主張するつもりも全くない。
でも、エッセイ漫画は違うでしょ?そこで描かれているのは創作物ではなく実在人物だし、役者のように仕事として役割を演じているわけでもない。
夫や彼氏がエッセイの人物として登場することを了承しているのでなければ、誹謗中傷の流布やハラスメントにあたるので大変な問題だ。自分とは関係ない他人だからと切り捨ててよい問題でもない。
パートナーの悪口を言う市場が形成されている現状は、需要があるからといって許されることではない。そう思ったので増田を描いた次第だ。
私(30代半ば、会社員)、妻(2歳年上、元会社員だが寿退社→専業主婦)、長女(6歳)、次女(3歳)
自宅は一戸建てでローンが20年くらい残っている。家計はかなり苦しいらしいけど、妻が財布を握っているからよくわかっていない。
元々私の稼ぎでは子供は持てても一人が限界で、一戸建てを持つつもりもなかった。夫婦でゆったりと互いの趣味を楽しみながら過ごして、もし余裕ができたら子供を一人作ろうと考えていた。
結婚した時は妻もその旨了承してくれたが、一人目をうっかり妊娠してしまうと豹変してしまった。
子供は二人いなければならないと強弁し、こんな賃貸マンションでは子供の教育に悪いとローンで家を建てることにした。
二人目は妻の希望で男の子を作る予定だったが産み分けは上手くいかなかった。私は男女どちらでもいいと考えていたが妻はそうでもなく、産み分けが上手くいかなかったのは夫である私が原因だと怒りをあらわにするようになった。
二人目が生まれてからは私は完全に妻の尻に敷かれるようになってしまった。子供の将来のために貯金しなければと、私の月のこづかいは1万円まで減らされた。私がそのことに文句を言うと、妻は「子供が高校・大学に通えるように今貯金しないでどうするの。私はこづかい0円だ。そんな安月給で文句を言うな」などと怒鳴るので、家計に関しても口出ししづらくなっていった。
こづかいが少ないので職場の飲み会はほとんど断っている(このご時世は飲み会がなくて助かっている)。職場では飲み会代をケチって趣味に金を使う恐妻家の振りした亭主関白だと思われている。単にこづかいが少なくて飲み会に行けないだけだが、あまり自分の家庭事情を詳しく言うと余計みじめになるので、職場では自分のイメージを崩さないようにしている。
妻は絵や文章を書く趣味はないのでエッセイ漫画を描くことはまずないが、もし描いたら私のことを子育てに非協力的なダメ夫として扱うだろうことは間違いない。
職場の上司に対してキレたエッセイ漫画みたいなのを描く会社員たちが沢山いる。フィクション・ノンフィクション問わず。
基本、部下の方がきちんとしてる方が多いので、部下の方々が怒るのは仕方がないと思う。
日常の中の細かい心の機微を漫画化して伝える能力も、上司より部下の方が比較的強いと思う。
でもきっと上司には上司なりの言い分とか、こんなことを部下に言われて辛かった、
みたいなのもあるのでは無いかと思う。ネットには上がってきづらいだけで。
大体、人は正しさvs別の正しさでぶつかる。
会社の部署内で喧嘩してた時に両方の話を聞くと、言ってる事が全然違う、お互いにお互いが見えてない、なんて事は良くある訳で。
口で言うほど解決するのは簡単じゃないけど、お互いに歩み寄る努力をする、少しでも良くしようと諦めない、という意味だ。
どっちが世間的に正しいか悪いか、なんて決める事に何の意味も無い。働き続け収入を得たいなら職場の中で納得できる関係を築き上げるしかない。人格と行動も分けて考えた方がいい。
それがあなた達が本当に望んだ事ですか?