はてなキーワード: ウインドウとは
これは女性向けジャンルで二次創作の小説を書いているオタクによる、ただのお気持ち長文だ。
よく「消さないで」とか「消されてしまって残念だ」とかいったつぶやきは見かけるので、消す側の理由について残しておこうと思う。
もちろん、これはあくまで私自身の理由で、他の消した誰かと同じだとは思っていない。
結論から言えば、ピクシブがノットフォーミーのサービスになったから、という一言に尽きる。
原因はサイトそのものについてと、利用者(と取り巻く環境)について。
大きくこの二つに分けられる。
まずはサイトについて。
度重なるUIの改修により、ピクシブはとても「美しい」サイトになったと思う。
アクセスしたい情報はトップページからは隠され、管理画面に羅列されるのは個人的には不要な情報ばかり。
懐古厨と言えばそれまでだが、使いづらいというのが率直な感想だ。
もちろん、評価できる部分もある。投稿ファイルの種類をプルダウンから選べるようになった点、表紙の種類を追加し、タイトルを自動入力できるようにした点。
小説も主要サービスと認識されているのだとわかるのは嬉しい限りだった。(そもそも、イラスト投稿サイトで小説が投稿できるだけでも十分ありがたい話だとは思っているのだが…)
これらの改修を受けて、ピクシブがどの方向へ行こうとしているのか個人的にも察する部分があった。
サイト全体としては、プロのイラストレーターやその卵とその顧客をつなぐ役割に思える。だからおしゃれなサイトに、素晴らしい画力の作品を掲載し、ショウウインドウのように見せている。
では小説についてはどうだろうか。
オリジナル作品はコンテストを開催したり良作のピックアップをしたり、力を入れている。
小説版のトップページを見れば、かなり良い位置にそれらの企画が配置されていることからもわかる。自分で項目の表示順を変えられる機能は失われたので、見たい項目がそれらより下にある場合は必ず目を通すことになるからだ。
基本的な方針はイラストと変わらないのだろう。筆力のある創作者の囲い込み(とまでは現状では難しいだろうが)をしたいのだと感じる。
良い面もある。好きに書いていい。
だが率直な印象として、総閲覧数や総作品数を増やすための「だし」に使われている気がしてならない。
特に旬や覇権と言われるジャンル以外でほそぼそと書いている、つまり、私のような人間は。
ピクシブ側に求められている創作者ではないのだと、そう思うようになった。
わざわざ機能改善について問い合わせるまでもない、なんとなく「あ、もうここのお客さんじゃなくなったんだな、じゃあしかたないね」という感覚の話だ。
なので、どちらかというとより深刻に思ったのは、利用者側の問題だった。
ジャンルを問わず二次創作に触れるオタクなら、毎日のように何かしらの問題が発生しているのはご存知なのではないだろうか。
トレパクに焼きマシュマロ、欲しい物リストや投げ銭機能の是非。
舞台はおおよそピクシブではなくツイッターだが、おそらく、いわゆる学級会が開催されていない日はない。
絵師の問題だと高をくくっていたトレパクが小説でも設定文章丸パクリ、という形で発見されたツイートを見た時などめまいがした。
どんなに良いサービスでも、利用者がおらず収入が入らなければ長続きはしない。
だが、利用者が増えたことで、同人や二次創作の知識が浅い人、マナーを理解できない人、モラルがない人が増えたのも事実だと思う。
自分が書いた小説には愛着がある。世界で誰より自分が一番自分の小説のファンだと思っている。
プロはまた少し話が違うのだろうが、趣味で書いているだけのオタクなのだから、読者を選ぶ権利はあるはずだ。
問題を起こす人、そしてその人を支持する人。
そういう火種にくべられ、何かあった時に「この問題児が好きな人はこっちの小説も好きだから、こっちも警戒した方がいいかも」となるのが怖い。
しかし心が折れた。
小説をいくつか投稿し、幸いなことにコメントをいただいたこともある。
ピクシブの作品ページもそうだが、ツイッターでエゴサして見つけた時は本当に嬉しく、次も頑張って書こうという気になった。
なった、のだが、心を折ったのもまたコメントだった。
その理由となった例を二つ紹介して、終わりとしようと思う。
これから書く内容は、自分でも僻みが混ざっていると感じるという点は先に伝えておきたい。
一つ目は「『ジャンル名/CP名』は○○さんの小説が一番おもしろい、他の人のを読んでも物足りなく思うようになった」というコメント。
○○さんではないので、それならもう投稿しなくてもいいし投稿していたものも消して問題ないか、と思った。
オタクに限らず、何かを褒める時にどうしても無意識に他を下げる人はいる。
「○○しか勝たん」とかの言い回しも、同じように感じる人もいるかもしれない。
せめてジャンルやCP名は伏せて発言した方が、結果として好きなジャンルやCPの作品数は増える、ないしは維持されると思う。
書いた時点で満足できるので、このコメントでわざわざ他の人に見せる必要性を今一度考える原因になった。
二つ目は、問題を起こした人の作品をべた褒めしているコメント。
それだけであれば関わりたくないとミュートするだけなのだが、自分の作品に熱心なコメントを残してくれる人だと気づいて反射的にブロックした。
関わりたくない以上に、そういった作品を読んで褒めるような人に読んでもらいたくないと思ってしまった。
その人が起こした問題を何も知らず、作品を純粋に楽しんでいるだけなのだとしても許容できない。ましてや、全て知った上で「作品と作者は別だから」という人なら余計に近づきたくない。
繰り返すが、これは二次創作の話だ。書き手はほとんどがプロではなく、仮にプロやそれに近い技術を持つ人であったとしても、完全に自己と作品を切り離して制作する人はまずいないと思っている。
なぜなら、趣味で、好きなように書くものだから。二次創作とは、そういうものだから。
読んでもらいたくない人がいるのに、ネットに大々的に公開する意味なんてあるのか。
ある、と答えるだけの論拠は、持っていなかった。
そういうわけで、小説は全て消した。復活させる予定もない。
マナーを守って楽しんでくれた人には悪いのだが、それよりも恐怖や嫌悪感が勝った。
また、これらはあくまで投稿者目線の話で、閲覧者としては今後も利用する心づもりでいる。
今後は小説を書いたとしても、一人でひっそり楽しむつもりだ。もう二度と、どこにも出したくない。
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分の身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。
目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれたものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。
望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターのソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。
さっきまではTwitterのホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女(アニメの美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女の右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ。少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。
灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動が必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。
僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。
それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。
というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義づけがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ。自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。
「こうしていても埒があかない」
そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間が必要だから。
家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空は全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂の匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草とお菓子を買ってくるだけだ。
思った通り、雨ざらしの階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルトが崩壊してしまった。階段を構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌の世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指と中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。
ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまったからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当に事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。
そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体が破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまうときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。
公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレはほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジムと砂場は公衆トイレに隠れてしまう。
今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。
よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物が不審だから影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、
「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。
その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターのソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。
セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。
煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。
これはどういうことだったんだろう。
こと?
あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり、幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分は精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事を判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事を判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事を判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。
コンビニでは煙草とお菓子を買った。煙草はいつものセブンスター。お菓子は適当にチョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビールは自分には必要のないものだ。煙草とチョコとイカのゲソは、自分に必要なものだ。
帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめる必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。
立方体の公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。
とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認は必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったものは左手で持っている。右手は煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」そのものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。
そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのものが矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものだからだ。僕はそう思う。「声」が独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下り階段に足を付けると、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」
明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。
「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」
橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。
「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」
橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。
僕は思ったことを言った。
「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」
なぜか敬語が出た。
「そうなの?」
「たぶん」
影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。
「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくらい大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」
「わたしにもくれ」
それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女に煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?
「ありがとう。今日は煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」
「そうだったかもしれませんね」
「だが、お前には足りないものがある」
「なんでしょうか?」
そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。
「お前は実は求められて、存在している」
「え?」
「お前はそれを拒絶している」
「そうかもしれませんが……」
「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」
「わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」
そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。
「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」
そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードでこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。
「お前に足りないものは」
影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女は少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い。少女は煙草を咥えたままだった。
夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。
「圧倒的な喪失だ」
制服の少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女は飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがわからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたから存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女の自殺を願ったのだろうか。彼女の Permalink | 記事への反応(0) | 11:49
ゆくゆくは Adobe Creative Cloud を契約する
定価で買うのはバカらしいので Amazon で 20% OFF などのセールの時に買う
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新型コロナから回復した43人のうち、4分の1にあたる11人が、精液中に精子がない無精子症や精子が少ない乏精子症だった――。
イタリアの研究チームは3月、新型コロナに感染した男性の精子の状態を調べ、論文で発表した(https://academic.oup.com/humrep/advance-article/doi/10.1093/humrep/deab026/6125160別ウインドウで開きます)。
ホントよく「デザイン」されてるよねぇ。軽症だけど、治療が必要な程度にはなって、そのために余分に医療リソースを割くことになって、長期的にその国の少子高齢化、戦力低下をもたらして。
McAfeeのせいでwin10のシステム系が一切触れなくなり初期化寸前まで行った話。
寸前まで行っただけで
初期化直前にマカフィー削除に成功して全て戻ったので、すでに解決済みです。
win10のデスクトップPC、購入して1年半未満、マカフィーは購入時から入っていて2021年になるまで一度も誤作動はなかった。
クリックしても「アクセス許可がない可能性があります」の警告表示が出て何もできない。
最終的に起動できなかったアプリは以下。確認していたものだけ。
・マカフィーリブセーブ(マカフィー管理アプリ。有効無効切り替えや履歴等が見れる)
・GoogleChome(普段から使用中。ネットはつながっているがChomeが立ち上がらないのでネットができない)
・MicrosoftEdge(Chome同様)
・タスクマネージャー(ctrl+Alt+Deleteからタスクマネージャーをクリックしても起動しない)
・コマンドプロンプト(当然立ち上がらない)
・メモ帳(立ち上がらない)
・windowsの設定画面(青の真ん中に歯車のウインドウが出てすぐに消える)
いろいろ触ってみたけど警告表示のようなウインドウが一瞬出て消える、それの繰り返し。
コントロールパネルはタスクバーにピン留めしているのでそこから入ることはできるが、そこから管理者権限関係のメニューをクリックしても一切反応しない。
これは後で書くけどPCのカスタマサポートのお姉さんの指示に従うとスタートボタンは反応するようになったのでよかった。
それから、電源を落としても電源が落ち切らず、ハードのモーター音が永遠に聞こえていた。
朝8時ごろに電源を落として放置、仕事が終わってから様子を見ようと19時帰宅。モーターは動き続けていた。
無理やり強制終了しか手段がなかったので、セーフモードに行くことができなかった。
逆に操作可能だったのは「エクスプローラー」とお絵かきソフトの「CLIP STUDIO」。
CLIP STUDIO(以下クリスタ)はソフト内でネットに接続して素材をDLできるのだが
「ネット生きてんじゃん」「どうしてクリスタだけ生きている?」
上記の状態。PC電源を入れれば立ち上がるけどクリスタ以外何もできない状態。
システム系全てに触ることができない。
原因は何かと思い返して、心当たりがあったのがマカフィー。
ともかく、きっと原因であろうマカフィーを削除しようとマカフィーの削除用ツールMCPRを
管理者でログインし(といってもこのPCを使っているのは自分1人だけだが)管理者として実行しようとしても
勘弁してくれ…となった。
この現象、実は2回目。
画面右下に突然マカフィー通知が反応しだして、そこから気づけば上記の状態になった。
この時は再起動はちゃんとできた覚えがあるから、電源はちゃんと落ち切っていたような気がする。
そのまますぐにマカフィーのサポートに連絡してMCRPで削除が可能だったので削除に成功し、元に戻った。
そこからサポートの方に遠隔操作でマカフィーを新たにDLしてもらって解決したはずだった。
2回目はその削除ができなくなった。
これは困ると再びサポートに連絡して、管理者権限がないと言われるので
管理者権限がなくてもマカフィーを削除できるツールがあればください、と言った。
すると、向こうも原因が全くわからないようで、最終的には
「そのようなツールはない。マカフィーに管理者権限を操作する機能はないのであなたのPCがおかしいんじゃないですか」と言われた。
まあ言いたいことはわかる。管理者権限がなくても削除できるツールもないかもしれないとは思っていた。
ただのセキュリティーソフトがそんな管理者権限を操作できるわけがないのもわかる。
マカフィーさえ消えれば元に戻ると思うので削除ツールをくださいって言っても同じことしか言わないし
お前のPCが悪いのでPCの製造元に連絡しろと言われて本当にもうやり場のない怒りしかなかった。
前回マカフィー消したら戻ったからそう思うだけだけど、おんなじ状況なんだから…いや言っても無駄だな。
マカフィーのカスタマセンターへの電話は有料で電話代が無駄なのでさっさと切った。
そもそもマカフィーが原因だと思ったのは、毎秒なにかに反応している通知を確認したからだった。
アプリ等が完全に開けなくなる前にリブセーブで履歴を確認したが
「Microsoft Windows Search Protocol Host」に反応しているようだった。
履歴や通知のポップアップのスクショ本当にとっておけばよかった…
履歴欄を見ると本当に毎秒毎秒反応していてびっくりした。
この「Microsoft Windows Search Protocol Host」、windows内の検索してインデックスを作成する実行ファイルなんだね。
それが実行されてそれに過剰反応したマカフィーに弾かれたのか…?
今となってはもう確かめる術もないけど。
それにMicrosoft Windows Search Protocol Hostを停止すると不便なようなので停止は今もしていない。
そこからPC製造元に連絡をして言われるままに操作や確認をするがなにも変化なし。
上でも書いたが、この時点でスタートボタンも反応できなかったけど、
お姉さんの指示に従うとスタートボタンが反応するようになった。その他は変化なかったけど。
いろいろ確認と対応してもらったけど「第三者のツールがシステムを妨げていると思われます。これ以上操作できないのであれば初期化、それで戻らなければ修理対応となります」と言われた。
そんなこんなで初期化の案内の予約をしてその日は電話を切った。
突然アプリが開けなくなった自分のパソコンは初期化することが決まってしまった。
たぶん、なにも、悪いところはないと思うのに。
Microsoft Windows Search Protocol Hostが異常に動くと、マカフィーにシステムを制御されてしまうのか?
そもそもMicrosoft Windows Search Protocol Hostが悪い?
もう何もわからなくて泣きながら取れるだけバックアップを進めて初期化の準備を始めた。
バックアップの作成と復元ポイントの作成は設定画面が開かないので当然できなかった。
バックアップを取りながら、本当に突然思いついただけだけど
右クリックは生きていたので、MCPRをマカフィーでスキャンしてみた。
本当に、なんとなくやってみただけだけど。
すると脅威はありませんでした!詳しくはこちら!の通知が画面の右下に現れて
その指示のままクリックすると…
今までどうやっても開かなかったマカフィーリブセーブのアプリが開いた!
え!?ってびっくりしながらこれはこのままマカフィーを無効にできるのでは…!?と触ってみると
無効に…!できた…!
どういうこと?もう全然意味がわからないけど、正面からじゃ入れなくて裏口からひょっこり入れた?そんなイメージ?わからないけど。
ともかく、ずっとなにかを邪魔をしていただろうマカフィーを停止することができたので
まだ操作ができるうちに、急いでMCPRでマカフィーを削除した。
削除した後、再起動を促されてそのまま再起動へ。電源を落とした。
もう、本当に、めちゃくちゃ嬉しかった。
それから、本当に他も無事かを確認するために片っ端からアプリを開けまくった。
GoogleChome…開く!ちゃんとツイッターも開くことができた!
MicrosoftEdge…開いた!
コマンドプロンプト…開いた!こんなに黒い画面が恋しかったことはない。
メモ帳…開いた!メモ帳が開かなくなってもう本当にどうしようかと思った(メモ帳が開かないなんてどういうこと…という意味で)
windowsの設定画面…開いた!!!!!これが!開きたかったんだ!
初期化を免れた。初期化の案内の予約とったけど、案内のお姉さんごめんなさい、無事に治ったから初期化しなくて大丈夫ですと謝った。
本当に良かった。
結局、何がはっきりとした原因かが全くわからない。
困惑しながらネットでセキュリティーソフトにシステム系がブロックされてしまった場合のことや
アプリが開かなくなった場合の対処方法やいろいろ調べまくったし
自分の周りのPCに詳しい人のアドバイスも聞いて、いろいろやったけど
誰もなにもわからなかった。
ただ、マカフィーを抜いたら直ったので、やはりマカフィーが悪いんじゃないのかなと思った。
じゃあねマカフィー。もう二度と使わない。
あと、バックアップはまめに取ろうと思った
サイトとかGoogle Code (なつかしー) とかことごとく死んでたのでWeb archve 漁ってきた
https://web.archive.org/web/20110525001358/http://zamamin.googlecode.com/files/BLACK-OUT.CSS.zip
Stylus で使ってみたけど、うーん
流石に現代のWebではスタイルが崩れすぎて使いものになりそうにない…
増田みたいにかなりプレーンなHTML寄りのページでも崩れる…
時代的にメディアクエリーとか考慮されてないぽくて、ウインドウサイズを動かしてスタイルが変わるとゴリゴリに表示が崩れるなあ
SVGアイコンもことごとく死んでる…(まあCUI風といえばそうだが、ユーザーとしては表示されて欲しい)
当然だけどYoutubeはスタイルぐちゃぐちゃでまともに見れませんでした
という夢をしばらく見ている。
正直なんで俺が初日にAmazonで予約できたのか、全く理解できないでいる。
界隈の名だたる方々が抽選にはずれ続けている、
という悲鳴と諦観と憤りの感情がミサイルのごとく飛び交うその真下で
マジで本当に予約できたのか、騙されているんじゃなかろうかと疑心不安になり、
子ねずみのように息を殺しながら日々Amazonの購入履歴を開き、
どうやら現物が12日に到着予定である、ということを指差し確認しては
「ブラウザバック」をせずにそのまま「ウインドウを閉じる」ということを繰り返している。
それにしても、特典のAmazon限定のエコバックというものがわからない。
俺はPS5を買ったつもりで5、6万円くらいするPS5型のエコバックを買ってしまったのではなかろうか。
マチもあるっちゃある。ディスクを入れる部分はおそらくポケットで、
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思えば日々負けの人生だった。
道の角をまがり駅が見えたと思えば、同時に減速中の電車を見てしまう。
レジに並べば前のお客さんが、おそらくあるはずのないクーポン券を探し始めて
他の列が快調に進む中、ダメ押しとばかりに丁寧かつテクニカルな小銭の出し方をする。
また仕事では念願の独立をした翌週にダイアモンドがクルーズしてきた。
そんな俺が素直にPS5を手に入れられることができるとは思えないのである。
別にゲームで食っているわけでもなく、配信も何もしていないウルトラ一般人が、
PS5を入手することあらゆるリソースを割いている方々に先んじるという、
そんな道理があるだろうか?
よしんば手に入れたとして、
それと引き換えに知らないうちに何かを差し出しているのかもしれない。
制約と誓約。
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いや、もう考えるのはよそう。
大人になって最も学んだことは「期待をしない」ということだ。
忘れたのか。
12日の夕飯は何にしよう。時節柄鍋だろうな。
笑えるよな。
表題のとおり福岡旅行に行きます。九州上陸は人生2度目なのでとても楽しみ。
いくつか聞きたいことがあるので当地に詳しいかたいたら教えてほしいです。
このご時世に旅行は許せんという方もいらっしゃるとは思いますがごめんなさい。
どのみち行程には入っていたのでラッキーと思っていたんだけど、これ日にちによって内容が異なるんですよね?
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/sanpai/saiten/special/jinkou
当初は20日に行く予定だったんだけど、「神幸式大祭始祭」より「お下りの儀」の方がどうやらメインっぽい?感じがしたので21日に行くように日程変更をしました。
あと太宰府天満宮には西鉄の「太宰府・柳川観光きっぷ」を使うつもりだよ。お得っぽい、よね?
結構詰め込んだ旅程だけど天神付近で昼過ぎから夕方にかけて予定なしの時間帯ができてしまった。
今のところ、疲労次第だけど部屋に帰って一時休憩するか、元気なら都心部で良さげな雑貨屋とか古着屋とかウインドウショッピングでもしようかと思っている。
その時間でここ行ってみるとよいかもよ!という推しスポット・ショップ等あれば教えてください。
同行者が楽しみにしてるお店。自分もだけど。
今のところ博多駅前のひかりって居酒屋とか、中洲の屋台を経てからいく行程なんだけどやっぱり売り切れる?
一応、売り切れてたらまた別の日にチャレンジしてみようか(宿近いので)というつもりなんだけど、開幕ダッシュが安定ですか?
博多駅前のひかりを諦めればその日にとりかわ粋恭並べるんだよね。オススメしてもらったお店で確かに良さそうなんだけど他に行きたいところもあるし入れ替えるべきか。。。
色々調べたし、聞ける人には聞いてみたけど生の声がもし聞けるならもっと教えてほしい!
なんでも教えてほしいけど、特にラーメン屋と屋台は知りたいかな。
今のところラーメン屋は博多一双ってところ(豚骨くさいのが食べたいといったらおすすめされた)と元祖長浜屋(ここは旨くないかもしれないが食べておけと念を押された)に行くよ。
屋台は全然ノープラン。あと同行者がイカの活き造りを食べたがっているけどそんなに余裕あるかな。
以上です。
質問ばかりですがもしよければご教示ください!
二人の子どもを車の中に放置して、熱中症で死なせた母親が、「知人男性と飲食店を3軒ハシゴし、その後その男性の家を訪問した」などとニュースで報じられているが、私はその母親をけしからんと思う以前になぜ子どもなんか産んだんだろうと思った。
子どもを産んだら自分の自由とお金がなくなるということに前もって気付いていれば、こんな悲劇を起こさずとも、自由に彼氏とか男友だちと飲み歩けたのに。
自分は子どもを産むのがイヤで離婚したので(原因は他にもいろいろあるけど)、子どもの世話より自分の時間を大切にしたい人は始めから子どもなんか産むなと思う。しかも上の子を産んだ時点で育児にかかる手間はだいたい分かるだろうに二人目まで産むなんて、現実認識能力が低すぎる。
私が結婚していた頃…というか結婚する前から子どもを持つかどうかというのは元夫とのケンカの種だった。ヤツは子どもに対して愛情が深いとかまめに面倒を見たりするタイプではまったくないのに、男は30歳を越えたら家庭を持ち、妻と子どもがいる生活を送らねばならないという形式に囚われていた。
私は実家育ちで家事はずっと母任せだったので、結婚して仕事に疲れた身体で家に帰り、晩ごはんを作る生活を送ることを考えるだけでうんざりした。仕事を辞めることはまったく考えていなかった。結婚前に二人の名義で家を買ってしまい、ローンを組んでいたので返済せねばならなかったのと、夫と対等に生活費を家に入れないとヤツは「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と威張りそうだったからだ。
案の定、新婚生活は面倒が増えるばかりで楽しいことなど一つもなかった。私は家に帰る前にちょっとウインドウショッピングをしたりして息抜きをしたかったのに、なるべく早く食材を買って家に帰り、食事の支度をしなければならないのが苦痛だった。だいたい前日の夕食の準備で使った鍋が汚れたまま台所を占領しており、それを洗ってからようやく当日の食事の準備にかかるもんだから余計時間がかかって疲労した。
たまに夫が早く帰ってきて、私が台所で闘っている間テレビを見て笑っているのを見ると殺してやりたくなった。これに育児が加わったらどんな地獄が待ち受けているのかと思うと、絶対に子どもなんか欲しくないという気持ちは強くなった。
子どもたちを熱中症で死なせた女が、専業主婦だったのか働いていたのか知らないけど、家族のことばかり考えて、自分の楽しみを犠牲にする生活は長続きしないと思う。男友だち(?)と飲みに行きたかったら子どもたちは家に置いて行った方が良かったんじゃないかと思うけど、他に面倒を見てくれる人がいなかったんだろうか。とにかく母とか妻とかいう立場が窮屈で、何か発散したかったんだろうなと想像する。結婚とか育児とか、楽しいことより面倒の方が多いと思う。家庭に縛られることに向いていない女は一定の確率でいると思うので、自分の適性を見極めてから子どもを産むか産まないかを決めてほしい。