はてなキーワード: 隠蔽とは
多分、大物政治家や大政党の後ろ盾や応援なしに、人気の力だけで東京都知事や衆議院議員になれるほどのポテンシャルを持った人物だぞいまや。
この金の卵をよその政党に囲われる前に自民党は一本釣りしたほうがいいのでは?
血盟団事件で團琢磨を暗殺した菱沼五郎は恩赦で出獄したあと改名し、自民党!から茨城県議会選に出馬し当選。
原発誘致にまで深く関わった茨城の超有力者にまで登り詰めたのだ。
はっきり言って、山上徹也は菱沼五郎と比較にならないほどの超大物だ。
その境遇に涙し同情した熱烈でピュアな応援者やファンがめちゃくちゃいるところが考えられないくらい凄いし、とにかく強い。
1980年代中盤、
さる政治評論家が「たけしが政治家を志したらどうなるか」を雑誌の企画で真面目にシミュレートしたことがあったが、
結果は
『都知事選ならぶっちぎりトップ当選。自民党から衆院選に出れば当選どころか党の思惑で総理大臣すら全然ありえる』。
ちなみに、
人殺しといっても、伊藤博文は幕末の乱世での政治的暗殺だからあれだけど……
黒田清隆のほうはというと、
『俺が帰ってきたというのに出迎えて待っていないとは何事だ!!!』
と怒り狂い、
なんなら自民党は各所に手回して刑期を短くさせて(こういう根回しは大得意だろ)、
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
学生のときひどいいじめを受けていて、そのトラウマでいまだに社会生活がまともに送れず貧困生活に甘んじている。
地元に帰ったら、いじめの主犯ではないが加担していた奴が県知事になっていたので、選挙演説中を狙って殺した。
その県知事は、世論を二分するような過激な意見を発信するタイプで、異なる意見の人たちからは嫌われているが、意見が似ている人からは熱狂的に支持されている。
県知事の死をきっかけに、学生時代のいじめを隠蔽した校長と県知事の親戚との癒着や汚職が発覚し、世間の耳目を集める大事件になった。
これテロか?
単体の演算器の性能なんてクロック周波数が速くなっている現代だと数クロックの差なんてわからないだろう。
メモリーは社外の汎用品GDDRを使う以上、帯域やレイテンシは変わらない。
違いが出てくるとすると、どうやってメモリ間を隠蔽しているかというのが想像出来る。
データ待っている期間を出来るだけ少なくする、といった感じだ。
演算器を並列に多数動かすと配線抵抗などで電源がドロップする。
個人的に本当にすごく良かった。多くの人にこの映画を観てほしいと思う。
一部から、意図的にクィア映画であることを隠蔽しているという批判が上がってるみたいだけど、僕は制作サイドの判断を支持したい。
なぜならこの作品は人間が持つ無意識の加害性、また特にマジョリティがマイノリティの人々をいかに無意識に加害しているかということも描いた作品だと思うから。
僕自身は元ヘテロのバイだけど、この映画は事前情報なしで観に行けたので湊の母親や保利先生の視点をヘテロとして追体験できた。
そして、この映画を観た多くのノーマルの人々と同様に第三幕で明かされる真相に大きな衝撃を受けることができた。
もし、事前にこれがクィアな少年同士のラブストーリーだと知っていたらここまでの衝撃を受けることはなかっただろう。
そして、バイセクシャルをカミングアウトしていない僕はきっと映画館でこの映画を観ることはなかった。
また、もし大々的にそれが告知されでいれば、一番この映画を観てほしいマイノリティかもしれない子供の親たちにこの映画は届いただろうか。観れたとしてもそれは事前情報なしの観賞体験とは全く異なるものであったはずだ。
もしこの映画に注文をつけるとしたら、最後のシーンだけだ。湊と依里が生きていると確信できる描き方にしてほしかった。
ただ、あの終わり方だったからこそ彼らは観客の心の中で生き続けるのかもしれない。
まとめると、
- 処理水ではなく汚染水。
- 処理なんて出来ていない。
- 海洋放出されるのはどこの国も流しているトリチウム水だから問題ないというのもウソ
「日本の原発の父」こと正力松太郎先生のお作りになった読売新聞社説ですら「ウソは書けない」という建前は崩せず、セシウム、ストロンチウムなどがALPSでは除去しきれず、残存することを認めているので、下記の表現になっています。
完全に除去できるなら「完全に」と書きます。
「大半の」ということは「残存する」ということです。
yomiuri.co.jp/editorial/2023…
https://twitter.com/hirougaya/status/1675871629342285824
東電の資料を読めば、ALSPで処理したあともセシウムやストロンチウムは取り切れずに残存することに、ようやく「日本の原発の父・正力松太郎先生新聞」である読売新聞の記者も気がついたのでしょう。
経産省の作った資料を元にした(元ネタ持ってます)読売新聞と同省のプロパガンダは「ALPS処理水にはトリチウム以外の放射性物質は含まれない」かのようなフィクションを繰り返しばら撒くという点では一貫しています。「日本以外の国の原発もトリチウム水を海洋投棄している」という記事もその一つに過ぎません。東京電力の作った資料はもう少し正直で、ALPS処理後の処理水にもセシウムやストロンチウムなどの核種が残存することをグラフや数字で書いています。ただ「残存します」とは明記しません。資料をよく読むと数字で出ているのです。経産省や讀賣新聞がそれを意図的に隠蔽または無視しているのか、本当に気が付かないのかは分かりません。
それから、言うまでもないことですが、ALPS処理水をいくら海洋投棄しても、メルトダウンした三つの原子炉の廃炉のスピードはまったく早まりません。タンクの空き地ができるだけです。つまりALPS処理水の投棄は「廃炉」や「復興」とはまったく無関係なのです。これも意図的か勘違いなのか、よくプロパガンダに登場する誤謬です。
これは誰も指摘しませんが極めて重要なことなので繰り返します。ALPS処理水の投棄は、メルトダウンした三つの原子炉の廃炉にも、原発事故被害地の復興にも一切関係がありません。福島第1原発の敷地内にタンクの空き地ができるだけです。廃炉のスピードは上がりません。被害地の復興にも一切寄与しません。
ですので「原発事故被災地の復興のためにALPS処理水の早期解決を!」というよくある文言は真っ赤なウソです。意図的に嘘をついているのか、バカすぎて本気ででそう信じているのかはわかりません。
同じように「廃炉促進のために処理水の解決を」という文言も、真っ赤なウソです。ALPS処理水を全部海洋に捨てても、廃炉のスピードには一切影響しません。もともと両者は無関係なのです。騙されてはいけません。
私が「ALPSで処理してもセシウムやストロンチウムなど放射性物質は残存する」事実を教えてもらったのは、他ならぬ東京電力の廃炉資料館(福島県富岡町)です。そのデータが展示してあったのです。驚愕して現場にいた説明係員に「トリチウム以外にも核種は残存するという理解でよろしいですか」と確認したら「そのとおりです」とおっしゃっていました。
>>ALPS処理水と原発事故被災地の復興は全く関係ない事実はこれまで繰り返したとおりです。
この復興庁のウェブサイトはそれが関係あるかのように誤導する典型的なプロパガンダです。
https://twitter.com/hirougaya/status/1676083810709172224
ね?見事に政府と東電のプロパガンダに乗ってるでしょ?もしかしたら、あちら側のSNS対策業者かもしれませんね。
藤崎剛人
このへんがユニークだよね。
ジャニさんってご奉仕するか、入れてもらいたい、ってタイプの人だったんだね。
オラオラ入れさせろよ!って人ではなかったんだ。(よね?)
このへんがちょっと事件が隠蔽化したほんの小さな一因でもあったのかなあ?とかふと思ったりしている。
なんかね、入れることってすごい暴力的じゃない?
でも、ご奉仕とかだとされてるほうは目をつぶれば気持ちいいし、
中学生くらいだと旺盛だろうからさ、我慢できてしまう部分があったのかな、とか。
もうジャニさんに入れてしまう人とかちょっとすでに感覚がおかしくなっちゃってるから、周りに訴え出るとかって感じにもなりにくかったのかなあ、とか。
これに便乗しているわけではないが、北海道で注文住宅の新築一戸建てを購入したら井戸から女が出てきて揉めている。誰か助けてくれ。
【経緯】
2022年12月に某Mの仲介に土地を購入する。条件は更地渡しだった。また、保証は3か月と言われた。
このとき、何も思っていなかったが北海道の12月である。3月まで積雪で土地なんて確認できなかった。
2月に着工開始、雪で足もとが悪い中、地鎮祭を執り行う。このときなんか変な女の叫びが今思うと聞こえていた。
4月に現場を確認する。すると家の北側と西側に土が残っており、綺麗に更地にしてくれと工務店に伝えるも、仲介業者が難しいという旨を残す。以後、ことあるごとに何度も言ったが応じてくれなかった。
6月に新築を引き渡される。庭に残った残土を処分しようと一生懸命掘っていたら、庭から何かが出てくる。
工務店に連絡し、この何かを持って行って欲しいとお願いしたところ、撤去業者が来て井戸であることが確認される。
さらに翌日、井戸から白い着物を着た女が這い出てくる←イマココ
【個人の感想】
・井戸があるなんて聞いてなかった。当然、事前に告知もされていない。
・残土を持って行ってくれなかったのは、あわよくば井戸を隠蔽しようとしていたのではないかと勘繰っている。
・前の住人が知らなかったと言っても、知ってて言わなかったのではないかと勘繰ってしまう。
・井戸があるとわかっていたら、土地を購入していなかった。正直、不気味。
・土地調査をしっかりとしていなかったということではないのかと不安。
・この井戸のせいで物置が置けず、家の中も片付かない。困っている。
・女は意外と好み
【聞きたいこと】
・正直、仲介会社Mの対応は良くなかったので、徹底的にやりたいが、できることなら穏便に済ませたい。
・女と仲良くなるにはどうしたらいいか。まだ口をきいてくれない。
創価学会のすごかったところって、世代交代を成功させてきたところだったんだよ。
二代目(実質初代)の戸田から、三代目の池田大作にちゃんと体制を引き継ぐことができた。
信者たちも、2世、3世というやつらが普通にいて、創価高校や創価大学を普通に成立させている。
ジジババの集団ではない。
新興宗教ブームが終わった後、一強になっているのは、それが原因だ。
世代を超えて人数が維持できている。
政権与党とかはその結果にすぎない。
なんだけど、それももう終わる。
池田大作の次に、リーダーを引き渡すことは、ついにできなかった。
次のリーダーが居な過ぎて、池田大作が死んだことを組織が隠蔽するしかない状況だ。
さすがに生きてるわけねーだろ! もう姿も全然見せないしさ!
だから終わりです。
これに便乗しているわけではないが、北海道で注文住宅の新築一戸建てを購入したら庭から井戸が出てきて揉めている。誰か助けてくれ。
【経緯】
2022年12月に某Mの仲介に土地を購入する。条件は更地渡しだった。また、保証は3か月と言われた。
このとき、何も思っていなかったが北海道の12月である。3月まで積雪で土地なんて確認できなかった。
4月に現場を確認する。すると家の北側と西側に土が残っており、綺麗に更地にしてくれと工務店に伝えるも、仲介業者が難しいという旨を残す。以後、ことあるごとに何度も言ったが応じてくれなかった。
6月に新築を引き渡される。庭に残った残土を処分しようと一生懸命掘っていたら、庭から何かが出てくる。
工務店に連絡し、この何かを持って行って欲しいとお願いしたところ、撤去業者が来て井戸であることが確認される。←イマココ
【個人の感想】
・井戸があるなんて聞いてなかった。当然、事前に告知もされていない。
・残土を持って行ってくれなかったのは、あわよくば井戸を隠蔽しようとしていたのではないかと勘繰っている。
・前の住人が知らなかったと言っても、知ってて言わなかったのではないかと勘繰ってしまう。
・井戸があるとわかっていたら、土地を購入していなかった。正直、不気味。
・土地調査をしっかりとしていなかったということではないのかと不安。
・この井戸のせいで物置が置けず、家の中も片付かない。困っている。
【聞きたいこと】
・正直、仲介会社Mの対応は良くなかったので、徹底的にやりたいが、できることなら穏便に済ませたい。
「女性ならではの視点」って本来、トイレは男女で別であるべきだとか女性にはかなりの期間生理があるとか、年齢や容姿に関わらず性犯罪の危険はあるとか、そういう事をちゃんと意識している事だよね。
果たしてそれが本当に、「女性ならではの視点」として求められることなんだろうか?とも個人的には思うんだよね。
その程度のことは、女性が積極的に情報発信・啓蒙してゆけば、男性だって、そう思えるようになるはずだし、
そうなってないのは、単に、女性がそういった情報を徹底的に隠蔽することで、「女性ならではの視点」特権を守ろうとしているようにしか思えない。
そもそも、女性個人が持てる視点は、本人自身の経験から持てる視点に過ぎず、それが女性全体の視点として代表できるのか?という疑問もある。
結婚したら妊娠子育て家事育児大変なので退職するという「女性ならではの視点」で行動していた女性が多かったから、
寿退社は当たり前、どうせ結婚したら辞めるからと出世させずに低賃金でお茶くみさせておく時代が長く続いていたのではと思うし。
なんか酷いことになっているので、学校の調査発表と元顧問の公開したYouTube動画を見て、簡単にまとめてみました。
本件の本質的な問題として、「技術工作部」の顧問(退職済)が所属する学生に借金を背負わせて卒業させていたという点があります。
返済は「部への寄付」という形を取るため、元顧問に言わせれば借金ではないそうですが、将来の寄付を約束させている時点で借金と変わらんのです。
ではなぜそんな事になったのか。
学校から支給される予算だけでは足りず、それ以外の活動資金は、元々は高校2年生の部員が負担する制度だったそうです。
中高一貫校なので中高生が入り混じって活動しているわけですが、最大6年間の活動の中で、高2の時だけ負担するということです。
赤字になれば高2の部員で頭割りして追加徴収し、余った場合は残金を頭割りで返却したそうです。
この時点でまあまあ意味不明な制度ですが、これに保護者から負担が大きいとクレームが入りました。
そこで、元顧問がポケットマネーから100万円を部に貸し付ける形に変更したそうです(学校には報告していません)。
そして学校から下りる予算やイベントの物販の売上等でそれを相殺し、年度末に元顧問に返済するというお金の動きになりました。
足りなかった分は後述するようにその代の2年生が借金として背負うので、現役生の時に払う形から、卒業後に払う形にスライドさせたということです。
学校側のチェックがガバガバだったのもあるのですが、せっかく複式簿記にしたのに、結果として会計がブラックボックスのやりたい放題になりました。
それが退職、引き継ぎの準備の最中に発覚し、部の活動停止処分にまで至ったわけです。
詳しい事情は分からないのであれなんですが、高校の部活なんてサッカー部や野球部でも諸々あって年間十万~数十万はかかるものじゃないですか。
芝中・高校は中高一貫、かつ高校からの募集がない特殊な私学です。
そこに通わせる程度には余裕のある家庭の子息しかいないはずですが、保護者からのクレームで部員から活動費の徴収ができなくなるってのは、年間どのくらいかかってたんですかね…。
高校3年の1年間を大学受験対策に使うという事情から、おそらく部内の最高学年が高2なのだと思いますが、2年生に全部負担させるというのはよく分からないですね。
素直に全部員から徴収すれば1回あたり、一人あたりの負担が減ってクレームも出なかったのでは、と思います。
貸借対照表にある「貸付金」。
これは、その年度の会計が赤字だった場合に、部員に課される「寄付の予定額」の合計だそうです。
何を言ってるのか分からないと思うのですが、つまりこういうことです。
その年度の会計が赤字になった場合、足りなかったお金の出処も当然元顧問です。
元顧問は、この赤字分をその年度の2年生の責任とし、負担するよう要請していました。
しかしそこは教育者としての良心なのか分かりませんが、出世払いとしました。
それが「部への寄付の約束」で、予定された金額が「貸付金」に加算されることになります。
この「貸付金」の金額はそのまま「短期借入金」の100万円に加算されます。
報道で公開された貸借対照表では「短期借入金」が175万円あったので、その内訳は元顧問の「元入金」が100万円、寄付の予定が75万円分あったということです。
「貸付金」とは「誰かにお金を貸しました」という項目であって、要するに債権です。
そもそも貸していないのであればそのお金はどこから来たんだという話になりますし、元顧問のポケットマネーなのであればこれも「短期借入金」の方に入れ、「元入金」の金額を変更すべきでしょう。
借金だと認めるのであれば「貸付金」でOKかもしれないですが、すると今度は部活の顧問が部員に借金を背負わせて卒業させていたという倫理上の問題があります。
いずれの場合でも問題なのですが、帳簿に「貸付金」と記載したことからも分かるように、実態として借金であることは疑いようがないと思います。
また、現役部員に特定の代のOBを狙い撃ちして寄付を求めるという借金取り紛いなことまでさせていた点は悪質と言って良いと思います。
さて、元顧問はしきりに複式簿記であることを強調し、「簿記が分からない人には理解しにくいかもしれないが」と話していましたが、失礼ですが馬鹿なのかなと思いました。
記載内容が独自ルールの塊なので、簿記が分かっても理解できるはずがないんです。
ご自身でも話していましたが、不適切会計の解消にむけて、公認会計士が見ても分からないから会計担当をしていた元部員と協力して確認作業をしているそうです。
公認会計士が読んで理解できないような帳簿は、帳簿とは呼べません。
ところが帳簿上の実態は元顧問が補填した赤字額のことであり、元顧問本人は「金を貸したわけではない」と説明しています。
元顧問の動画では「基本金(資本金)」についても説明していました。
企業ではないのに「資本金」とは?という疑問への答えらしいのですが、これは「寄付金収入」のことなのだそうです。
「寄付金収入」はその年度の収入として計上するのが普通の会計処理なのですが、「OBが部へ寄付しているのだから、収入として扱うのはそぐわない」という意味不明な理屈で「基本金」に繰り入れていたそうです。
要するに、「基本金」という名前を付けた「謎のプール金」だったということですね。
そもそも会計上の「基本金」とは学校法人が学校の運営のために確保してあるお金の事なので、部活の会計勘定に「基本金」なんてものは存在しないのです。
存在してはいけないものがある以上、見た瞬間におかしいと気付きそうなものですが、学校側は本当に何も確認していなかったのでしょうね。
動画では「お祭りの寄付金みたいなもの」なんて言い方もしていましたが、それこそ「寄付金収入」として扱うに決まってんだろバーカと思いました。
(きちんとした話をするなら「基本金」と「資本金」は別物ですが、それは別のお話。)
複式の帳簿は単式帳簿よりお金の出納を詳しく追えるのがメリットなのですが、
「これはな、学生に借金背負わせてるなんて言えないから貸してないことになってるけど、実質的に貸してるから貸付金なんやで」
とかやってたら台無しなんですよ。
「この貸付金は誰に貸したんですか?」
「いえ、誰にも貸してないですよ」
「えっ?」
「えっ?」
みたいな会話があったんでしょうか。
・借用書を交わした一般的な形式ではなく、返済期限も特に定められていたわけではないものの、将来の寄付を約束させている時点で実質的な借金である
・帳簿には「誰(何回生)にいくら貸し付けたか」が記録されており、卒業生の借金は部によって管理されていた
・卒業生への寄付の要求は現役部員が行っていた(高校生に借金の取り立てをやらせていた)
・借金の返済を「寄付」という形にしたことは、借金であることを隠蔽する目的があったとしか考えられない
・そもそも、元顧問が自身のお金で部の活動資金をまるごと建て替えた事自体が、活動費の管理・運用の観点から間違っている
簿記やってる人からすると吐き気がするレベルの内容だと思うんですが、企業がこんなことしたら、ほぼほぼ間違いなく粉飾決算です。
会計担当をしていた部員は会計系の企業に就職した人もいるそうなんですが、恩師のクソ会計を今どんな気持ちで見ているんでしょう。
気の毒です。
元顧問については、技術系に関しては能力があり、熱意もある優れた指導者だったのかもしれませんが、その代わりお金の管理に関する倫理観がバグっていたのでしょう。
あるいは、お金が原因で学生の活動の幅が狭められてしまう事に歯がゆさを感じていたのかもしれません。
お金の管理方法を使いやすい形に捻じ曲げてでも、その思いを果たしたかったのかもしれません。
指導者が自ら率先してルールを逸脱し、その姿を教え子に見せることに何の葛藤も抱かなかったのでしょうか。