はてなキーワード: 語源とは
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
---
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11412485.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11412485/
身内に「かなり重篤なギャンブル依存」がいるという「嘘」(と判断する理由は後述)から話を始めて、カジノに理解があるかのように装っています。
――ほう!
「優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
この人は「優れたビジネスマン」なんでしょ。エリートで「ボーナス」を擦っても大丈夫なくらい資産に余裕があるだけじゃないの? それとも本当に「全財産」かけてるの? 「ヒリヒリする」たまらない快感にお金を払っているだけなんでしょ? それなりに合理的に生きているんじゃないの? 「かなり重篤なギャンブル依存」のエリート???
――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。[中略]だったら限定的に容認した方が『まし』だ。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
このあたりは、まだ事実認定としても、主張としても妥当ではないかと思います。
――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞(ぎまん)だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。
面白い見解だけど、パチプロもいるし、妥当性があるかどうかははっきりしないのではないでしょうか? 実証研究など知っている人がいたら教えてください。
いや、サイコロと違って競馬には不確定な要素が多すぎるからでしょう。確率論の教科書には「パスカルの賭け」の話が載っているのを知らないとは!
なぜ「白昼堂々」「市民が」「生業として」なんて極端な想定を持ち出すのかな。それに「生業」にできるんならいいんじゃないですか。
「賭博が分泌する毒性」だって。こういう馬鹿な比喩を使うことについて「あまりに無自覚だと思います」。依存症のメカニズムくらい勉強してよ。 『快感回路』とか。
[中略]
――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。
「リスク」という言葉をご存知ない? 『リスクにあなたは騙される』なんてことにはなりませんように。あ、それに質問をはぐらかしてますね。・・・・・・というか、仮に内田先生の言うとおり、博打はリスクが高いから儲かるのなら、「デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか」の答えは、たぶんイエスですね。
安倍政権でも麻薬の合法化はやらんでしょう。論点のすり替えっぽくなってますね。
それに戦争って儲からないよ。アメリカが儲かっているように見える? これについては『戦争の経済学』もある。知らないんだろうなぁ。きっともう頭の中に「金儲けは悪い → 戦争は悪い → ゆえに戦争は儲かる」というバカな公式が成り立っちゃっているんだぜ。
ほら! 思ったとおり。
そのとおり。為政者の大事なお仕事の一つは、内田先生の嫌いなお金儲けの算段、つまり「経(世)済(民)政策」です! まさか「経済」の語源を知らないの・・・・・・。
首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実から目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」[中略]
なぜ? 原発事故の処理にも震災復興にも基地問題にもお金がいるんだよ!
――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。
「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金を持っている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
現実を見てもいないくせに「現実と理想を折り合わせる」とか偉そうに! 後半、内田先生はインタビュアーがトンデモ発言をしたかのように言いがかりをつけて、自分が正しいかのように見せかけていますね。藁人形論法という詭弁の一種です。気をつけましょう。
――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
「[中略]有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。
この効率のよさを知らないとは言わせません。チャーチルが独裁的に動かなければ、おそらくイギリスはナチスに占領されたはずです。独裁の問題はその先にある。
それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
そう思っているのは、ニヒリストなのは、世間じゃない、あなたでしょう。誤魔化そうとするんじゃないよ。
――ニヒリズム……。
「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑(つ)いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。
ほらね! あなたは、自分の勝手なニヒリズムを、世間に責任転嫁して、新聞紙上で垂れ流してるのよ。だらしないこと。
グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選(よ)りのけるくらいしかできない」
自分が「決められない」意気地のなさを「システム」のせいにしてさ、恥ずかしくないの? 「もうわからない」「できない」と言う前に、勉強しましょうよ。
[中略]
「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。
安倍政権批判を貫徹する勇気もないらしい。というか、民主制を維持しようとする気概もない。つまり、ただただ虚無感に打ちひしがれて、僕、内田樹と一緒に諦めましょう、と。最後まで何のまともな提案もないんですね。新聞に載せることですか?
民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」(聞き手・秋山惣一郎)
たしかに『金より大切なものがある。それは民の安寧である』なんてお題目が、たいそう立派な「理屈」だと思って、それで何かを提案した気でいるんだから、「そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労です」よね。よく分かりました。
(もう正直ね、あまりに腹がたったので、言葉が荒くなってしまったようです。とはいえ、内田樹先生への批判として理屈は書いてあると思いますし、その理屈が本旨です。「あまりの酷さに腹が立った!」ということを伝えるためにも、文章は(概ね)そのままにしておきます。各自で不適切な表現を割り引いてくださいませ。)
「匂い」を硫黄と呼ぶようになったって、どこにソースがあるんだ。
『和名抄』には「硫黄」に「ユノアワ」の訓があることから、「ユアワ(湯泡)」が転じて「ユワウ」となり、「イオウ」になったといわれる。「硫」は「石」と「流」の略体からなる字で、火山の噴火物が流れて生じる鉱物を表し、漢音では「リュウ」、呉音では「ル」と発音する。これを日本化して「ユ」と発音し、「黄」の呉音「オウ」から「ユワウ」となり、「イオウ」になったとする説もある。(語源由来辞典)
どこに「におい」なんて書いてあるんだ。ちょっと考えれば分かりそうなものだ。
「これは硫化水素の匂いですね」とメディアが繰り返し正しく伝えた方が国民の科学リテラシーが上がる。それだけの話。当たり前の話。
テレビ局が御嶽山リポートで「硫黄のような臭いがします」と伝えたら、Twitterで理系の東大教授が「硫黄は無臭だ」とツイートし、それが絶賛されているとのこと。
御嶽山リポート「硫黄のような臭いが・・・」 東大教授がツッコミ「硫黄は無臭だ」 : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2014/09/30217143.html
絶賛の例はこんな意見
「化学で習ったでしょといつも思う」
「そろそろ硫黄は無臭で硫化水素だということをメディアは広めるべき」
しかし、そもそもは…
363 風吹けば名無し@転載禁止 2014/09/30(火) 18:23:33.09 ID:35V+eBbX
そもそも硫黄の命名が
温泉地特有の匂いを硫黄、ユノアワと読んでた→温泉地のにおいの元は硫化水素
→Sを硫黄と呼ぼう
という話であり、「硫黄の臭い」というのは日本語として使用してもおかしくない表現。
硫黄という言葉に元素としての言葉の役割が当てはまってたのが後なのです。
※追記
「語源がこうだから」という話ではなく正確に「硫化水素の臭い」と言ったほうがいい、という意見について。
日本では、元素Sの意味の硫黄という言葉と、ユノアワの意味の硫黄という言葉が、現在でも並行して使用されています。ユノアワの意味が硫黄から消えてしまったわけではありません。
その上で、日本の報道番組で一般の日本人により広くわかりやすく伝えるには、化学に正確な「硫化水素の臭い」と言うか、日本人に馴染みのある「いおうの臭い」と言うかの話です。(もちろん別の選択肢もある)
テレビ局のリポーターが「いおうの臭い」を選んだことは、今回つっこまれているようなおかしなことではありません。
がしかし、これからは科学立国日本としてメディアは正確な科学用語を話すべきだ、という趣旨の元、硫黄のユノアワの意味を封印するという選択肢は否定しません。
もともとのアイヌ語の意味は、この道の碩学、山田秀三『北海道の地名』も確言を避けている。
曰く「多すぎる、余るの意らしい。」と書き、他にも説を出して語源を明確にしていない。
今回は特にそれはいいとして、もう一つ、ハゲに優しい地名を紹介したいのだ。
世界はこんなにハゲに優しいのだと、普段ハゲハゲ言われるハゲに紹介したいのだ。
その地名は毛根。十勝総合振興局は芽室町に所在する。これで「ケネ」と読む。
榛の木がたくさん生えていた土地だったのだろうか? 今となってはわからない。
根釧台地のど真ん中、中標津町計根別(けねべつ)も同じような語源と言われる。
ハゲに効きそうな名前だろハゲどもが!!!!!!!!!!!!!!!!!
芽室町毛根には白山神社がある。毛根神社という名前の神社はない。
ああん? 毛根の名前が入ってねーじゃねーか!!!!!!!!!!!これじゃ毛根って地名の意味がねーじゃねーか!!!!!!!!!!!!宇わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これには理由がある。この地域の入植者は富山県、福井県、石川県、岐阜県出身者が多いのだ。
彼らはどうしてやってきたのか。
北陸三県には特に明治28年、29年にひどい洪水があった。小作料に喘いでいたところに災害が重なった。
岐阜も同様だ。明治24年の濃尾地震、同26年の長良川の氾濫があった。
困窮の中、土地を離れなければならなかった人たちも多い。
開拓の中で、離散した人も多い。
http://anond.hatelabo.jp/20140911125306
http://manathi555.hatenablog.com/
↑この人がどうこうって話でなくて、これを見て思い出しただけだけど、同人界っていうのか絵師界っていうのか知らんけど、あの世界って変に「様」をつけるね。
べつに「さん」でもよくねって思うんだけど。
おたがいフランクに会話してるのに敬称だけは「様」だったり、前に同人やってる人どうしで論争してるのみたけど、論争してるのにやっぱお互いを「様」付けだったりね。
オタクの語源が「お宅」って呼び合うことだったり、フィクションのステレオタイプのオタクが「氏」をつけて人を呼んでたりするけど、この「様」もけっこうおかしいと思うわ。
おっと新たな参加者かな。いらっしゃい! 飛び入り歓迎だよ!
じゃあ理路整然と反論してやろうか。
天命と普通に書かれれば、普通は「使命」やら「生まれてきた意味」やら「天職」やらが関連ワードとして浮かんでくる。
“俺と四匹の犬が天命を全うできますように”と書いてあれば、普通は、この一行には何か重大な使命が…!?と解釈する。
もちろんそんなはずはないから、天寿や命数(まあ命数も口語表現としては相当に古いけど)と書きたかったんだろうと全うな解釈を向けられる。
で、それで笑い話で済ませるところを、空気を読まずに辞書野郎が噛み付いてきて
「天命には寿命って意味もある!マチガイじゃない!」みたいに大騒ぎしたってだけの話だろ。
だが、天命を寿命という意味でごく普通に用いてる例なんてそう頻繁には出てこない上に、
普通、天命と言われたら「使命」としてのニュアンスの方が上位候補として浮かんでくる。
それをわかっているくせに、
マチガイじゃない!マチガイじゃない!バカにするな!と大騒ぎしているのが声がでかいだけの増田ども。クズ。
だいたい、命数って言葉を知っている奴が、天命という単語の別の意味を知らないはずがないのに、だ。
さて。
空気読まないのはどっちだよ?
1980年代の小学校では、ある玩具が爆発的に流行しては、教師により特定の玩具の持ち込みが禁止されるという状況にありました。
コマなど駄菓子店で売られる玩具については、ほとんどが早期に禁止を言い渡されています。
その後、玩具は子供側に「これは勉強に使うものだから」という言い訳がある、文具店で販売されるものへと移っていきました。
キャラクターがキャップ部分についたシャーペン、色鮮やかな練り消しゴムなどです。
それらも、爆発的に流行して教師が持ち込みを禁止するのは、他の玩具と同じでした。
消しゴムは玩具性が低いとみなされ、子供たちが「自分の考えで」何かを選んだと主張するのに便利な品でした。
例えば、消しカスがひとつにまとまる消しゴムは、練り消しゴムの禁止が教師から告げられたあと、自家製の練消しを密造するのに使われていました。
練り消しゴム以外の、教師にとがめられない消しゴムは、おもに以下の3タイプでした。
・上記の箱が失われ、カドも無くなって、ほぼ円盤上になったもの
・片方が白く、もう片方が灰色の砂消し(すなけし、砂消しゴム)
小学校では休み時間になると、ボールを持って校庭へ飛び出す子供たちとは別に、教室にとどまり、学習机上で上記の消しゴムを使った「ピンピン」で遊ぶ子供たちがいました。
ピンピン基本ルール
1. 複数人が1つの学習机の端に、自分の消しゴムを置きます。
3. 自分の消しゴムを弾き、他の人の消しゴムにぶつけて机から落とします。
1. 自分で弾いた消しゴムを机から落としてしまった場合、勝敗はカウントされません。落とされた消しゴムとともに、落ちた地点に再配置します。
2. 攻撃する消しゴムの持ち主は、親指で溜めて人差し指や中指で弾くほか、逆に親指で弾く、プラスチック定規をばねとして使う、ノック式ボールペン(側面のスイッチで収納するタイプのもの)の戻る勢いを利用する、などの弾きかたがあります。
3. 狙われている消しゴムの持ち主はタイムを取り、机に密着させる、角度を変える、立てて相手ごと落ちやすくするなど消しゴムを置きなおすことで防御ができます。
4. 攻撃側も消しゴムの置きなおしができます。攻撃者と隣接してピンチの守備側が消しゴムを立てる→攻撃側も消しゴムを立てて底を弾こうとする、などの攻防があります。
5. 他のプレーヤーは、攻守の2人が時間を掛けすぎていると、早くやれと急かしていました。
文字を消す能力はないが小学校に持ち込むための言い訳に消しゴムの名がついた樹脂製玩具として、「キン消し」(キン肉マン消しゴム)の発売以前、「スーパーカー消しゴム」がありました。
スーパーカー消しゴムは他の消しゴムとピンピンで争うには軽量すぎ、おもにノック式ボールペンが戻る力で弾く方法で、スーパーカー消しゴムのみで対戦されていました。
必要な道具がひとつ多い、スーパーカー消しゴムどうしでは戦いに変化がない、などの理由で、流行はしたものの早期に廃れていきました。
私のいた小学校でキン消しが流行したのは、ピンピンにおいて、キン消しが適していたためです。
机の端で守備側がキン消しを立たせると、机から相手ごと落ちないようにするために、攻撃側には繊細な力加減が求められます。
重量がある「サンシャイン」、回転させてぶつけることができる「アシュラマン」は特に子供たちから愛用されていました。
プロレス技のポーズをとった姿のキン消しは安定性に欠け、ピンピンでは負けてしまうので嫌われました。自立できるポーズのキン消しがピンピンでは好まれました。
キン消しで漫画内のシーンを再現するような遊びは、ほとんどされていないか、ごく早期に飽きられていました。
私の周囲では、キン消しはピンピンのための器具として扱われていました。
たとえば「障害者」の害は差別的だから「障がい者」にする、とか。
全く意味ない。差別心を持つ人は「しょうがいしゃ」という言葉、というよりその存在に対して差別心を持ってる。
「障害者」が差別的に見えるのは「しょうがいしゃ」そのものを差別的に見る人がいるからその字面も差別的に見えるだけ。
妻にあたる人を「家内」と呼ぶのが見下してるとかどうとか、そんなのは字面には関係ない。
「家内」というのはすでに、単に妻を指す言葉であってそれ以上でも以下でもない。
そこに差別心を感じる人は妻という存在自体に差別を感じてるだけで「家内」と呼ぼうが「相方」と呼ぼうが関係ない。
えーと、よく知らんのだが、
アスペな増田を無理やりにでもその後の発言から解釈してあげようとすると、
どこか英語のフォーラムで、明らかに擬似コードの話をしている所で、
"sudo code"と表していた、ということでよろしいか?
とりあえず、そう書いてあるページのリンクの1つでも貼って確かにお前の言うとおりなら皆納得すると思うよ。
そうでない限りお前は恥ずかしいだけだよ。
きちんとリンク貼れば皆が恥ずかしい思いするからお前は上から笑えるわけだし、見たページを出せば良いだけだから簡単でしょ?
ちなみにお前の最初の論理が意味分からんってのがなんでかと説明すると、
あくまで"sudo"というコマンドがあって、それを"pesudo"と読む人がいる、っていうだけで、
決して"pseudo"を"sudo" (soo-doo)の様に読む、という話だからだぞ?
"sudo"コマンドってのが他のユーザーに成り代わってコマンドを実行するので、pseudoユーザーとしてのコマンド、的な意味にも取れるから
語源をそれだ!と思ってたりする人もいるってこと。で、語源のまま発音してる人も居るってこと。
sudoがsuper user doとする人もいるけど、一番強そうなのはsuコマンドも含めて"switch user" doみたいだけど(super user以外にもなれるので)。
「塩村文夏さんの『恋のから騒ぎ』での活躍」http://anond.hatelabo.jp/20140625000320の元増田です。
続きを書く予定だったんですが、とりあえず思いっきり話はそれます。
『恋のから騒ぎ』のミーアキャットさんの名前を書いたのですが、はてなブックマークでid:meerkat00さんから「そのミーアキャットは私ではないです。念のため。」というコメントをいただきました。
で、アイコンを見るとなんか猫っぽいじゃないですか。…猫?
ミーアキャットはキャットとはいっても猫ではありません。では何なのかというのは知らなかったので調べてみると、マングースの仲間なんですね。
じゃあなぜキャットなのか。
犬じゃないのにプレーリードッグ、みたいな感じなのかと思ったら、調べてみると意外なことがわかりました。
語源は、アフリカーンス語←オランダ語←サンスクリット語とたどれるみたいなんですが、誤解があったようで、借りた言葉はミーアキャットを指す言葉ではなかったのです。
語源は何かというとサンスクリット語の「摩斯咤(マシタ)(markata)」で、意味は猿。これが一方ではミーアキャットになり、日本では猿の別称である「マシラ」に変化したようです。
語源は一緒、と言うかそもそもbar自体それ程古い言葉でないんですが。。。
しかも、「意味」を言うならスペインの場での「バル」は居酒屋見たいなものだけを指すものではない。
ただの居酒屋じゃん。
場合によってはスペイン語の名前があるだけとか、もしくはスペインとか全く関係なく
あと、笑えたのが、スペイン風の居酒屋のことをばるっていうんだーってのだけを知ってるバカが作ったのか、
小さな料理をちょこちょこ出してコレが本場スペインのバルだ!とか。
ホントアホかと。
そんなことも知らずにバルバル言ってるお前みたいな奴がキモイ、って言ってるの。
恐ろしいキモさだな、お前。
自分はお金をもらうというのがなんとなく苦手で、ほとんどアルバイトはしなかったのだけれど、頼まれてやった。
英語の場合は、ラテン系の言葉はみな似ているので語源からなにから教えるといろいろな言葉が結びつくから当然生徒は喜ぶわなあ。
こんなに勉強は楽しいのか、学校ではそうやって教えてくれないって。
できない子供だから家庭教師を頼むわけだけれど、マネジメント能力がない。親も含めて。
だからやり方としては簡単で、
1)知識の圧縮:上記のような方法だと知識が紐付けされるから圧縮出来る。
2)ひたすら問題解かせる。
家庭教師を頼むような子供は単に勉強時間が足りない子が多いので、となりに座っているだけでいい。
こういうタイプの家庭教師をするのは一番楽といえば楽。そういう家庭教師をやっていた友人たちは今も倫理観に欠けた仕事が平気でできている。
3)ここでは秘密
すごい方法で子供の成績をあげている友人がいるけれど、それ子供が幸せなのかな……ってちょっと思う。(マインドコントロールっぽい)
自分が中学・高校で受けていた授業(テレビなどで最高の授業と紹介されたりする)には、
自分はその中で何を学んだんだろう。
知識は当然身についたけれど、もともと生徒たちが優秀でないと、ああいう授業はただのエンターテイメントになるのは明らかで、
勉強の仕方に興味がない子供に質の高い授業を見せるのは意味があるのだろうか?と思う。
その授業の準備のために、先生がどれだけ調べ物をしているかを優秀な生徒は知っている。
家庭教師をやっていて、子供に"Eureka!"させるのはそんなに難しいことじゃない。
しかしそれは単に楽しませているだけで、頭を良くしているのか疑問。
子供が、
と言っているのを聞くたびに
「うーん。あなたは今勉強を楽しんでるんじゃなくて、面白い映画を見ている観客だろう。ならばそこまでだ」
という気持ちがしていた。
しかし、十六代目まで世代を重ねても何ひとつ成果を出せなかった。
当時の当主、折原直継はヒヒイロカネの実在を疑い、探求を諦めるようかと迷っていた。
ところがある日、直継の夢の中に稲荷大明神が現れてひとつの預言を伝えた。
直継はそれを信じた。
直継は稲荷大明神に敬意を払って狐の鳴き声から、その女児に「紺 (こん)」と名付けた。
当時の鍛冶師は神職の一種で女性が携わることは出来ないのが建前であったので、表向きは男児として扱った。
紺は確かに優秀であった。
そして紺が二十歳のときにはヒヒイロカネの性質に近い金属の精製に成功さえした。
その金属はヒヒオルカネと名付けられ、大戦中は重用されたという。
大戦後は物資が不足したということと、直継が戦火に巻き込まれて死亡したからである。
婿は海産物の研究家であったのだが、海水の成分についての成果が合金の精製に応用できると気付いたからである。
そして更に十年、ついにヒヒイロカネが完成した。
気合で覚えろとか、Word Power Made Easy(語源小辞典的な奴)全部やればOKとか言う前に、ある単語帳を仕上げる際に(多少)効率的な単語の覚え方を書き残そうと思う。
きっかけは、友人が語呂合わせで覚える難解単語(http://www.d7.dion.ne.jp/~aoki2/goro.htm)というサイトで単語覚えようとしていて衝撃を受けたため。
友人よ、これを読んでくれ。
1. Google.co.jpで「(単語) 語源」で検索する。
例えば、「abate 語源」で検索する。ごろ合わせでは、「阿部、糸」使用を「減らす」。が覚え方らしいが、さすがにこれを覚える方が難しいはず。
この方法で検索すると、二番目のサイト(http://homepage3.nifty.com/miyak/sat.html)が、
「語源abateの語根のbateはbeatと同根で「打つ」という意味。太鼓など の音がだんだん小さく消えていく様子を表わしている。接頭辞のa- はtoという意味。」
と紹介している。打ち減らしていく感じをイメージすることが出来れば、abate=減らすは忘れることがないと思う。また、a=toを覚えておけば、abase=下げるもすぐに想像つく。
2. Google.co.jpで「(単語) 覚え方」で検索する。
例えば、「sinister 覚え方」で検索する。これで検索すると、一番目のサイト(http://www.eiken-thhouse.com/?p=1774)が、
「sinister アングロ-フレンチ語(中世にイギリスで使われたフランス語)では「左」という意味で使われる。ラテン語では「左」「左側」。左は不運、不吉であると考えられた。」
と紹介している。これだけじゃまだ覚えにくいかもしれないけど、
「医学用語でOculus Sinister (左眼)という言葉があることからもわかります。
右眼はOculus Dexter と言います。コンタクトレンズを購入する際、処方箋にOD:-3.50,OS:-3.25などとあれば、ODが右眼、OSが左眼を意味しています」
ここまでくれば、sinister=不吉な、に親しみがわくのではないだろうか。
3. Google.comあるいはGoogle.co.ukで「(単語)」で検索する。
例えば、「lambaste」で検索する。Google.comでそこそこ以上難しい単語を検索すると、素晴らしいことに、検索結果のすぐ下に、
音声、英英の意味、語源、時代ごとの使用頻度が全てのった単語紹介リストが表示される。lambasteはcriticize harshlyで、語源はlamもbasteもbeatのイメージ。
lambasteは新聞、雑誌でよく目にする単語だが、時代ごとの使用頻度をみると、ここ20年くらいで爆発的に流行った単語だということも分かる。
4. Google.comあるいはGoogle.co.ukで「(単語) etymology」で検索する。
1,3の方法だと語源が分かりにくい時がある。例えば、上のlambasteは1でも3でも、basteの方もbeatのイメージがあると明言していない(見たまんまだからと思うけど)
なので、もうちょっと深く検索してやる必要がある。wiktionaryとか、Online Etymology Dictionaryをみれば、これで語源は抑えられる。
ん、4の方法だけで十分だって?じゃ、Word Power Made Easyまずやれや。個人的には、多少母語絡むやり方で覚えた方が覚えやすいと思うのですが、英英のみ主義でしたら3,4の方法で。
もしかしたら、はまる単語もあるかも。tout, rout, boutの区別について、ごろ合わせやっているサイトがあって、http://ameblo.jp/mihuwa/entry-11459396205.html
確かにこのやり方も悪くはない。
ま、覚え方は人それぞれなのですが、気合で1週間で1000語覚えることはできても、すぐ忘れちゃうものなのです。
出来るだけ長期的に覚えてられるよう引っ掛かりを多くしておいた方が後々効率的なので、単語覚える際は出来るだけググりましょう。
紹介したのは英検1級レベルですが、これより楽だと映画のタイトルとかになっていてもっと覚えやすかったり、
難しいともうあきらめてWord Power Made Easyに行きます笑。あるいはSmartの変な例文で把握するとか。
トラックバックつけてくださった方へ
別人です。後、結果的に別の方のサイトへの誘導(自意識過剰ですが笑)になっているのでエントリ削除していただいた方が目的にかなうのでは?と提案します。
逮捕歴のある俺が真面目に言うけど
「身体的精神的に色々まずいことになって周囲に迷惑かける奴が多いから」
ってのが理由として一番大きい。まず、経済面からだけど、シャブを日常的に打ってるような奴は
それなりの金持ちじゃない限り金に詰まる。生活がシャブ中心になっていく。
ここで売る方にシフトするバカも多い。そうでないとしても、いわゆる「グリ」って状態が起きる。
これは語源としては「勘ぐり」なんだけど、わけのわからない妄想がまるで真実みたいに思えて
自分自身のコントロールが効かなくなる。統合失調強化バージョンみたいなもんかな。
そして、離脱(禁断症状)が結構しんどい。とにかくクッソだるい。仕事なんて出来るわけない。
俺は中毒者の中では逮捕の件もあって割りとスムーズに抜けた方だと思うけど
逮捕を繰り返しながらそれでも使用を止めない奴がゴマンといる。俺自身も「二度とやらん」とは
個人的に、覚せい剤って便利すぎると思うのよ。寝なくてもバリバリ動けるし頭も冴え渡る。仕事も捗る。
だから、逆にあの状態からかったるい通常状態に戻るのが凄くイヤになるのね。
そして、ガンガン耐性がついて使用量が増えていく。ここまでいくと「人間止めますか?」レベルに近づいてくる。
もちろん、メディアで流されてる覚せい剤の情報はかなりオーバーで、あそこまでいく人間は稀っちゃ稀だけど
それでもリスクは相当高いほうだと思う。