はてなキーワード: 自己主張とは
母が嫌いだ。
嫌い通り越して憎いとすら思うことがある。
昔からヒステリックな人で、事あるごとに「こんな家出て行ってやる!」と言って家を飛び出し車に乗り込み、呆然と見送れば怒りながら戻ってきて「どうして追いかけてこないの!やっぱりお母さんいらないんだ!」と叫んだ。それが嫌で、面倒で、いっそ出て行ってくれと思いながら、幼い私は泣きながら縋りついて謝り倒した。
今ならわかる。どうせ見送ったって戻ってきていた。それなら表面上だけでも謝っておけば平和に終わる。あのときの私の判断は間違っちゃいない。
「お母さん死ぬから!」「死んでやる!」も口癖だった。今言ったら確実に口に出してしまいそうだ。「いっそ死んでくれ」と。
そんな母も、息子、私の年の離れた弟のことはとても可愛がっていた。
弟が悪さをして、普通なら弟が叱られ、謝らねばならないところ、「あんた、弟が可愛くないの?お姉ちゃんなら罪を庇ってやるもんなんだよ」と言って、私を叱り、私に謝罪を求めた。
弟が怒られることをするたび私が謝らされ、そんな私の姿を見て育った弟は、次第に口数が減り、あまり自己主張をしなくなった。
そんな弟の変化を見て、私は可愛い弟だけは守らねばならないと、母の暴力的なまでの感情の波を一身に受けるようになった。中学生のときのことである。
だが、反抗期真っ盛りの私には耐えがたく、口汚く反抗しては母を怒らせた。朝になるとシンクに叩き割られた食器があったり、私の教科書が床に散乱していたり、ゴミ箱に捨てられていたり。まぁ多々あった。
結果、弟を溺愛している母が弟に、「あんた、反抗期なんてきたら家から追い出すから」と言うことになるので、弟には本当に申し訳ないことをしたと思う。
高校生になって、反抗はやめた。倍になって返ってくるし、言い返すのは単純に疲れる。ただただ、延々と繰り返される仕事の愚痴、知人の悪口、全て聞き流して、適当に相槌を打った。聞かなければ機嫌が悪くなるので、その間勉強なんてできない。もちろん成績は落ちた。
しばらくして、担任でも、副担任でもない、週に数回しか会わない程度の教科担任に、生徒指導室に呼び出された。何か悪いことしたっけとビクビクしながら、先生に勧められるがまま椅子に座った。
「大丈夫、じゃないよね、何かあったでしょ。友達と話してたとき、無理して笑ってるように見えたから」
話し出す前に泣き出してしまった。要件も告げずに生徒指導室に呼んだのは、他の人には隠してる様子だったから、だそうだ。いい先生だった。
少し距離を置いた方がいいかもね、とのアドバイスどおり、大学は自宅から通えない範囲で決めた。
心配だった弟の件は、生まれたときからそういう環境だったせいで弟自身にスルースキルが身についていたこと、弟を可愛いがっている母は弟には攻撃的な態度を取らないことから、大丈夫だと考えた。念のため、父に私がいない間は弟のことを頼むと言って家を出た。父は仕事が忙しいことと、私以上に母に攻撃されることもあり、会社に泊まり込むか深夜に帰宅するかであまり家にはいなかったが、できるだけ帰ってきてくれるようにはなった。
一人暮らしは最高だった。
ただ、もう十数年も母の金切り声を聞き続けていたせいか、夜中目を閉じるとこれまで聞かされてきた言葉が頭に響いて眠れないこともよくあった。完全に逃げられはしなかったが、それでも実物がいないだけましだった。
四年間はあっという間に過ぎ去って、現在、就職のために実家に戻っている。
控えめに言って地獄だ。暴力がないだけましだと思うようにしているが、私の自我全否定の上にネガティブな話をキイキイ話されるのは精神的にキツイ。
特に、コロナの流行後からテレビや政治家への強烈すぎる批判が加わり、家にいる間は常に愚痴か悪口か批判しか聞いていない。もっと楽しいこと考えられないのだろうかと思う。
私には学校行くな(必要があれば振り切って行った)就活やめろ(親が責任とってくれるわけではないので続けた)友達と遊ぶな、というくせに、母は友達とランチに行くし遊びに行くし。そして帰ってきたら友達の悪口に行った場所の批判の嵐。だったら行くなよ。
一度離れてわかったことだが、私は母との相性が良くないし、母のことが嫌いだし、憎んでいる。
それを認めてしまったら、余計に一緒にいることが辛くなった。
早く一人暮らしがしたい。
仕事をする意義とは、なんて就活ガイダンスで聞かれてもありきたりなことしか思い浮かばなかったが、入社目前にしてはっきりした。
私にとって仕事をする意義とは、お金を稼いで家を出て、自分らしく自分の人生を歩むことだ。
今現在も母が嫌いでしかたないが、働くモチベーションをくれたことには感謝したいと思う。できるだけ早く死んでくれとは思っているが。
ウマ娘感想増田に対して、ウマ娘が嫌いというコメントを書くのは全然問題ない。
ただ、そのウマ娘が嫌いというコメントにいちいち20以上のはてなスターを連投してるやべー人がいた。
気になってチェックしてみたところ
https://b.hatena.ne.jp/cozyweblife/
ただのヘイト発言にとどまらぬ積極的なヘイト活動を行っていた。
いちいちウマ娘に好意的なコメントをしてる人にメタブクマでヘイト発言を飛ばしまくるさまは、sから始まる名前を言ってはいけないあのお方と同じ。
あのsから始まる名前を言ってはいけないあのお方は凍結されたっぽいのでこれ同一人物かもしれんけど。
仮に別人なら今はてなにはかなりやべー人が同時に二人いることに。
ただ、sと同じ人なら絶対カラースターを配ってるはずなので、このひとは競馬好きで怒りっぽくて
スター20個連打しまくるくらい自己主張は激しいけど貧乏なんやろうな。
こわいなーとづまりすとこ。
ツイフェミって用語が普遍化してもう大分経つが、ウォッチしてるだけでフェミニストがどんなものなのか、わかった気になってたら大間違いだ。
俺は、自らTwitter上ではそこそこ有名だったあるフェミニストと議論した。ガチ議論だ。青とかいうやつのような似非議論ではない。
大抵のツイフェミはガチ議論にならないうちにブロックしてくるのが常。
ツイフェミは攻撃を受けやすいというのを自覚してるし、本人も反論されるのは気分が良くないらしく、大抵はとっととブロックしてくるからガチ議論は困難を極める。
あるいは、ガチ議論に応じる人でも、自己主張を繰り返すだけで、発展的な議論には全くならないが、あるひとりのツイフェミだけは違ったのである。
名前をここでいうと、かなり多くの人が知っているであろうツイフェミさんだ。
そこで、二つのテーマを持ち出した。一つは、女子専用車両問題である。もう一つはトランス女性問題だ。
韓国や台湾で失敗している事例などを取り上げ、またイギリスでは女性専用車両自体が反対されていると言った主張で、論理的に正当化できるの? と迫った。
彼女は、昔、女性団体が頑張って導入の実現に漕ぎ着けた経緯があり、日本独特の問題でもあるのだから、海外の事例を持ち出して反対するのはおかしいとこちらに迫った。
俺は、それでも男女差別であり、法律上は男性乗車は認められているのだから、女性専用車両の存在自体がおかしいと反論。
しかし彼女は、日本社会では女性は性的に見られることが多く、不快に感じたり恐怖に感じたりする女性はたくさんいて、女性専用車両はそれら女性の救いになっている、と訴える。
・・・とまぁ、ガチ議論とはこんな感じだ。内容や結論はともかく、彼女がそれなりに真摯に物事を考えていることがわかるだろう。
トランス女性問題は、いわゆるターフと呼ばれる人たちによるトランス女性差別問題である。
彼女は、そもそも出身大学でトランス女性問題をテーマに学んだこともあり、トランス女性の友達もいて、差別していないという。
しかし、実際にはフェミニスト的な人の多くが、トイレへのトランス女性の入室を拒むという事例があるじゃないか、と問い詰めた。
すると、彼女は、トイレは性犯罪の危険があり、区別がつかないトランス女性の入室はそれらを不安に感じる女性がいる以上、多目的トイレに入ってもらうのがベストだという。
しかし、男女区分は実際には便宜的なものでしかなく、例えば女装して入ってくる人物を想定すれば区別はそもそも最初から無理なのだから、性犯罪を恐れるのは理由になっていない、と反論した。
すると今度は、それは別の問題であり、堂々とトランス女性が入れるということにしてしまうと、「男性が入ってくることになった」と、女性への不安を高めることになるから、建前として禁止する必要がある、という。
全てのフェミニストがこのように、論理的であるとまでは思わないが、俺は、彼女が気に入った。意見が合わなくても、真剣に問題を真面目に考える人はフェミニストにだっている。
ある日のこと、俺はいつものようにポリコレお気持ち長文を増田に書き込んでいた。
トラバもブクマもゼロ、「クンニしろ」とすらコメントの無い中仕方なく俺は自演レスバをはじめた。
自演でレスバをするのは楽しかった。一種自分との対話だった。たまに「横だが」とか入れて人数が増えているように見せた。
男性の自殺率まで話題が差し掛かりパンティーもヒートアップ!という頃、「元増ですけど」とトラバがついた。
俺では無い。昔からよくある元増田乗っ取りだ。誰やねんお前は、と俺は怒りその元増とレスバを始めた。
元増を名乗る増田の理論はめちゃくちゃで、面倒になった俺は元のエントリに追記することにした。
「元増と名乗るトラバがついているがそれは俺ではない。」増田でなんの意味があるのかわからない自己主張だが、そう書いてもう放置しよう。
そう思って元のエントリを見ると、えんぴつマークがなかった。おかしい。確実に俺の書いたエントリだ。
嘘増ではあるが臨場感を持たせるために俺の中学生時の非モテエピソードを盛り込んだ。確実に俺だ。
エラーか?いつのまにかログアウトしたのか?これだからはてなは………なんてエントリでも立てるか?
そんなことを考えながら画面を更新すると、俺のお気持ち長文は「おつかれさま」という6文字のひらがなに書きかわっていた。
驚いてもう一度F5を押すとそのエントリは削除されていた。
お気持ち長文どころか自演レスバも、嘘増非モテエピソードも無くなっていた。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1334898531757264896
今のオタクは「好き」で繋がる人種になったけど、昔のオタクは「嫌い」で自己主張するタイプの生き物だったと思うんですよね。
「NO」と言うことに命を賭けて、そのためだけに教養を漁り理論武装してた。NOを言うことに命を賭けるタイプの人種、いまはどこに行ったんでしょうね…。
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1334900300679794690
キャンセルカルチャーとはちょっと違うんですよ。オールドオタクの「嫌い」って要はエゴで「世間が認めても俺は絶対に認めない」という個人主義的な反抗ですから、
何度も検証した結果で、おそらく正解だろうという回答が得られたものを
SNSで検証もしない個人の経験のみの浅い経験で否定し「正しい回答はこれ」と言い切ってしまう人がいるのか。
しかもそれに、個人の浅い経験で偶然同じだっただけなのに、正しいと思い違いをし同調してしまう人がいるのか。
研究者だけの意見は偏るから駄目かもしれないけど、その辺の素人が一度か二度程度の経験でわかりきった気になっていて
たまたま良い方向の結果が出ただけなのに専門家を否定するやり方。
否定しないで「うちでこうしたらこういうのが出来た」くらいで良いのに専門家を否定しないと気がすまないという自己主張の強さが間違いを生むから怖い。
専門家ってのは、ホント専門なんだよ。それこそそれしか考えてないくらいの専門。あっちこっちに気が散るような素人と違うんだよって所を理解しないと。
じゃあ素人の考えは間違いなのかよ?って考える人もいるけど、そうじゃないんだよなぁ。
素人の経験も専門家ってのは意見として取り入れているわけで。専門家が言っていることを否定している素人と比べれば、よっぽど柔軟に物事を考えている。
もちろん素人にも柔軟に物事を考える人はいて、そういう人は否定ではなく「こういう考え方をしてみた」っていうような参考になるようなコメントをする。
柔軟性のない人に限って、否定ばっかするんだよなあ。
増田もそうだよね。誰かの日記に否定しないと気がすまない人がいる。
そういう人が典型的な物事を柔軟に考えられない人。とりあえず相手を叩く事が一番と思っているようなゲスな感じ。
否定じゃなく、丁寧に「こういうのはどうなのかな?」みたいなコメでいいのにね。
まあ話はそれたけど、専門家を否定するような素人はどうかなって話。
終わり。
それが言論の自由。言われたら言い返すことで民主主義は育まれる。
沈黙してはならない。自己主張しろ。反論しろ。自分の権利は自分で守れ。
なにもいわないというのは相手の言い分を認めたのと同じだ。
前回のご報告(https://anond.hatelabo.jp/20200620124348)
に引き続き多くの方々から増田のねこに対してあたたかいお言葉をいただき、とてもうれしく思います。ありがとうございます。また、増田と同じようにブクマカのみなさまと共に暮らしている高齢のねこさまいぬさまが、これからも穏やかに過ごされることをご祈念いたします。
猫ちぐらねこじゃすりについてのコメントがいくつかありましたので、若干の補足情報を追記したく思います。
猫ちぐら(http://www.nekochigura.com/)
なかなかよいお値段ですが、増田が7年前に購入したものはまだまだ美しい佇まいを保っていますし、かぐわしい藁の香りもねこ臭に負けず残っています。一時期は5年待ちといった記載もされていましたが、今はわりとすぐ届けてくれるようですね。作ってくださった方のお名前がタグに記されていて、すごくいいもの感がありますよ。
ねこじゃすり(https://nekojasuri.com/)
公式動画が素晴らしく、増田は見た途端衝動買いしたのですが、いまYoutube動画は削除されちゃったようですね。そんなことよりチャリティーねこじゃすりイエローなんて売ってる!買おうかな。
人とともに暮らしてくれるねこさまいぬさま始め小さな生き物たち、野で自分だけの力で生きているすべての生き物たちが幸せに生きていくことができるよう願いつつ、増田もほんの少しでも貢献していきたいと強く思います。それでは拙文を読んでいただいたみなさま、良いお年をお迎えください。
(追記おわり)
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、20年前にボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしていたのだけど、先日急にご飯を召し上がらなくなり、なんだか口腔内が痛いような振る舞いをなされていたので、12月だけど病院に行ってきました。
右の奥歯の周りが腫れてぐにぐにになってたので、歯石の除去と抗生物質の注射をしていただきました。消炎剤のお薬3日分もらって様子見ましょう。明日から粉薬ご飯に混ぜて朝と夜にあげてください。となったのだけど、でもそもそもご飯をお召し上がりにならないんだからどうしようと思ってたのだけど、次の日からがつがつお食べになられたのでなんの問題もありませんでした。その日の午後に、あわてて発注した強制給餌用シリンジが届いて全く無駄になったのだけど、いつか使うこともあるでしょう。とりあえずありがとうアマゾンプライム。
以前ホッテントリに上がってた、余命宣告されてたけどガツガツ食べて余命ぶっちぎったねこの話を知ってから、もうなんでもいいから食べていただこうということで、「猫 高齢 ウェットフード」でヒットした商品を上から順番に一種類づつ購入して召し上がってもらっています。いまのところはごろもフーズの無一物がお気に召したようです。いやこれ確かに私もご飯にかけて食べてみたい感じするわ。
いつもの冬は、一年待って新潟の関川村から取り寄せた本場猫ちぐらの中にヒーターを仕込み、そちらで一日中お過ごし頂いているのですが、今年はどうも身をかがんで入るのがもうお辛いようなので、アマゾンのひらべったいダンボールにペットシート引いてそちらにヒーターを仕込ませていただきました。見た目まるっきり死体安置ですが、ゆったりとお過ごし頂いているご様子です。また、広島から取り寄せたねこじゃすりが大好き過ぎて、じゃすってもじゃすってもきりがないので封印していたのですが、今回は特別ということで解禁し、こたつの膝の上でじゃすりの方も対応させて頂いています。
20年続いたねこ一匹ひと一人の生活ですが、春から始まった在宅勤務で一日中ともに過ごすように変わりはや10ヶ月。リモート会議で私がなにか話す度に様子をみにくるようなことはなくなりましたが、あまりに低レベルな議論に業を煮やしてか一言お言葉を賜ることもあり、チャットで「増田さんのねこさんお怒りですか?」と心配されるなどします。老いてますます騒がしく自己主張激しく血気盛んなあなたと過ごせることはとても良いことだと思っていますので、食欲が無事戻られたことを寿ぎここに駄文を記させていただきました。
はじめに言っておくと、にじホロのような爆速でコメントが流れていく大手はあまり見ていない。
今年後半、日本語圏以外のリスナーが様々なプラットフォームで増えていて、彼らはとにかく自己主張が激しい。
日本的な、オタク的な機微やvtuberの文脈を知りようがないまま参入しているのだから仕方がないのかもしれないが、
彼らのコメントでは脈絡のない自分語りや配信内容と関係ないワードが頻出する。
「私は○○です」「私は○○が好きです」etc…………日本語リスナーがそういう発言をしないという訳ではないが、
やはり比べて目立つように感じるし、異邦人という物珍しさからか配信者自身もそのコメントを拾ってしまうことも多い。
で、雑談配信でその「異文化コミュニケーション」が始まってしまうと、とにかくつまらなくなる。
雑談配信ではコメントとの交流の比重が当然上がるが、それでも私が見たいのは「vtuber自身」だ。
彼/彼女自身が持ち寄ってきた話題に耳を傾け、リスナーはレスポンスを返す。
イニシアチブを握っているのは配信者自身。リスナーは言葉を発する壁。私はそうあってほしい。
しかし外国人リスナー相手のやりとりは、向こうにイニシアチブを渡してしまっているのだ。
配信の主から主体性が奪われてしまっているのだ。私は何を見ているんだ?という気分になる。
あと単純に話の内容がつまらん。日本人と外国人の出会いたての定型文みたいな似たり寄ったりの話しかしねえ。
とはいえ、コメントの取捨選択も当然vtuberが自らの意思ですること。
「文句があるなら文句を言わずに見るのをやめろ」という界隈の暗黙の了解に則り、自分から彼/彼女と距離を置くしかない。