はてなキーワード: 絵空事とは
繰り返されるスクラップアンドビルド。くだらない政治がここ20年近く続く。
中の人が限りなくバカだったと言えばそれだけの事だが、きっとたぶん小選挙区制が災いしたのだろう。
二大政党制を目指したとか言うが、そんなものは絵空事だ。出来上がったのは一強多弱。そして瞬間風速に翻弄される人々。
今回の事に限らず、ずっとこれ。思えば30年前は政権交代こそない物の、野党がそれなりに強かった。過半数取らないまでもコンスタントに議席を確保していた。
小選挙区という大いなる実験は失敗に終わった。もはや撤退すべき時だ。
大選挙区中選挙区が、広すぎるという意見もあろうが、今やネット社会。情報は溢れている。
握手をしたから、人柄を知っているからとか、正しい政策をする政治家を選ぶにはむしろ雑音だ。
ロジカルでもイデオロギーでもマネーでも何一つ与党に勝ってないじゃん
勝ってる!勝ってる!
与党になったら?勝ってるんでしょ?
国民のせい?
アホか、
与党になろうとしてんのか
実際に力があるところ、本気で自民党を殺しにいけるだけの大ナタを用意しろよ
アンチ安倍とか豚のチンコみたいなナイフでイキってるから勝てないの
もう示してる?
あ、そう
じゃあなんで選挙に勝てないの?
お前らは国民の味方のフリして、
それ自民のやってることと、何が違うの?
お前らも十分悪者な上に、仕事できない悪者という最悪なんだけど
全部お前らの自己責任だろうが
国に忠誠を誓うメンバーで固めろよ
何一つしねーじゃねえか
やってること自民党と同じだろ
絵空事じゃ飯は食えないの以上
いつもだと自分のパソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。
コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画をポーズで止めたかった。
キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標のひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から。
絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的にパーソナリティを描けるのではないか。
世界の構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションはファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーにリアリティが与えられる。
名犬ラッシーから。ラッシーはイギリスが舞台。エリザベステイラーの時代。アメリカのホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱を想像と調べたことの組み合わせで作っていった。
町に住んでいる人達を準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。
町を本物らしく見せる鍵は町自体に歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。
アリーテ姫。リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下の職人の暮らしを描くことで、アリーテの気持ちや世界を描いた。
大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジはクララとピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアルな世界。
当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界がみえてなかった。
人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。
魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造、精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか。
1人の人の中には複数の個性のバランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。
アリーテ姫は原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス。原作は主人公はクレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。
自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。
ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。
この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分で自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンのOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング。悪漢たちの別の顔。
自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。
原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台。タイは基本的に外国の支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランスに占領されたりしていた。
最初は丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。
ブラックラグーンはこれまでの片渕監督の作品のイメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。
うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーン。マイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。
でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの。
1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙の調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。
1000年前の世界の1000年前の話し。1000年前が真ん中。
ブラックラグーンはタイに取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナムや香港などは行った。
マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊は10回。そちらの方が多い。
発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウの工場社宅。そのカネボウの最後の工場長から写真などをもらえた。
事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。
事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。
ハイジのクララの矛盾。マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。
マイマイ新子は金魚が戻ってきたのが最後。原作者の体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供の世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。
原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。
普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。
この世界の片隅にのすずさんは大人。少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分の意思とは関係無く嫁にいかされる。
すずさんは自分が空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。
マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公。
すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。
日本のアニメはドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。
年齢層が上がってきた。巨人の星。読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。
長くつしたのピッピやルパンの企画書を見つけた。タバコや銃のブランドの定義。ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38。ルパン三世カリオストロでは赤いきつねやコカコーラを描いてる。
日本のアニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間のリアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品。
手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。
この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実のカケラを組み合わせた。
出来るだけ背景を捉える。人物のサイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるものの存在感。
効果音やBGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメの表現より実写の表現。BGM無しでも良いかとも思ったが、BGMで心理描写ができた。
いつもだと自分のパソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。
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絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的にパーソナリティを描けるのではないか。
世界の構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションはファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーにリアリティが与えられる。
名犬ラッシーから。ラッシーはイギリスが舞台。エリザベステイラーの時代。アメリカのホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱を想像と調べたことの組み合わせで作っていった。
町に住んでいる人達を準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。
町を本物らしく見せる鍵は町自体に歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。
アリーテ姫。リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下の職人の暮らしを描くことで、アリーテの気持ちや世界を描いた。
大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジはクララとピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアルな世界。
当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界がみえてなかった。
人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。
魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造、精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか。
1人の人の中には複数の個性のバランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。
アリーテ姫は原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス。原作は主人公はクレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。
自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。
ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。
この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分で自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンのOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング。悪漢たちの別の顔。
自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。
原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台。タイは基本的に外国の支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランスに占領されたりしていた。
最初は丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。
ブラックラグーンはこれまでの片渕監督の作品のイメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。
うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーン。マイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。
でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの。
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日本のアニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間のリアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品。
手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。
この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実のカケラを組み合わせた。
出来るだけ背景を捉える。人物のサイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるものの存在感。
効果音やBGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメの表現より実写の表現。BGM無しでも良いかとも思ったが、BGMで心理描写ができた。
ブラック化が指摘されている業界が、遊園地やブランド品の店舗のようなどうでもいいものではなく、国民の日常や社会を成り立たせるるうえで必要不可欠なものばかりなのが気になる。だって鉄道なければ人が都市に住めなくなるし、銀行がだめじゃ大金の管理が大変になる。
地元の駅前にいくらでもあるスーパーマーケットのうち1店舗がレジ打ちを用意できなくなって休業しても誰も困らないが、警察署が警察官を失えば、学生の自転車の修理をする人間がいなくなれば、社会人のオートバイや自動車を整備する人がいなくなれば、それだけで現代人の生活にかなり支障が出ると思う。
ブラック化が炎上しまくっている最大の原因は、昔のように閉鎖的だからではなく、むしろ逆。社会があまりに厳格過ぎて、その割に理想が現実と乖離しているため、誰もが不満を許せなくなっているということである。つまり適切な解決方法は、「社会にゆとり」を構築するしかない。
かつては退屈そうに本当に客を運ぶだけだった鉄道が、今はぜいたく品販売でもなんでもやってくれるし、私鉄の駅では旅行代理店業務もある。便利にはなったが、客層の質は昔と変わらず、不満要素もそのままならそりゃあ誰も使わなくなる。
そんな社会の現実を魅力に思う人はどこにもいないわけで、たまに運よく鉄道が好きな人がいても、年齢や身分に見合わないくらい張りきれる者(前者)ではなく、耐えがたきを耐えて村八分になるまで地元にしがみつく後者でもないなら、末期のソビエトや東ドイツみたいな勢いの環境についてこれなくなる。
彼らがそのペースについてこれなければ、ただでさえ仕事を背負いながら子育てだってやらなければいけない大人たちもストレスをぶつけ、暴力まみれになるだろう。そうするとどちらも疲弊することになる。それで、消える。誰かが消えると増えたストレスの量を残ったメンツが背負う。これが繰り返されると、最終的には鉄道の商売そのものが疲弊するんじゃないか。膨大な収入をいっぺんに稼げる会社もけっきょくは公共交通なのでどこかで不満が爆発して潰されてしまう。自分よりもずっと貧しい客層に「邪魔だ!」と言われながらも観光列車にのるお得意様やオタクももちろん潰れる。そういう風な突然死が今後各地で起きる気がする。
景気が特別よくなってないのに公務員希望者が企業に流れているのは、試験ではねられるわけではなく、職場の現状に耐えられないからだろう。エリート大学からのエリート公務員を目指す人に貧乏人出身者が多いのも同じことだろうし、若者が娯楽を離れていること、大都会の社会人が二輪車や自転車を日用品として持っている理由も同じかと。
ブラック問題のキモは、つまりそういう社会空間の機能不全にあって、仕組みが成り立たなければやがては産業そのものが突然死する(どこかの先進国の専門学校がある日突然、若者の専門学校離れなどをきっかけに、ある学校は潰れ、ある学校は大学になったように)。運よくどんな理想的な現状であっても、この論理のままでは行き着く先は死だ。
専門学校はまだいい。なくても世の中成り立つから。大学や短大で代用できるし、学費は大学のほうが安いから。でも、この構造問題がもし出版業界で起きたら誰が作家の面倒を見るの?もしある日突然どこかの街の公共交通が破綻したら、市民の生活はどうなるのか。
ブラック社会の最大のリスクは疲弊による「文明社会そのものの突然死」。改めて多くの人が認識してほしい。公共に大きな影響を与えている仕事であれば、官業でもサービス業でも関係なく、一律に現状改善のための策を講ずるのが政治の役割だと思うのだが、何もしてなくね?
あるとすれば決まりを変えるというやり方だ。これからは知的障碍者や精神障碍者でも公務員になれる流れだという。地方公務員はすでに身体障碍者の採用が進んでいる。このままいけばいずれは学歴や中小企業に入れるくらいのスキルがなくても「ブラック企業レベルの雇用環境で」公務員として働けるようになるんじゃないか。人を選ばないなら誰でもできるようにすれば本当にいいのか?
そんなことをすれば、あらゆる人を選ばない職場は機能不全に陥るだけではないかと思う。最近相次いでいるベストセラー書籍の電波化は、売れっ子でありながら出版社にその利益が還元されていないことが指摘されている。ブラック系の出版社から、世間で時をきらめく有名人のドル箱作品が世に出たのだよ。
このままいけば、高卒以上の日本人かつ筆記試験と面接に受かるだけでエスタブリシュメントになれるようになって、街のそこら中で役人がタメ口で市民に応対する事件が頻発するようになるだろうし、現役の役人がサイコ野郎で横領とかやりまくって自治体そのものを潰すことだってありえる。これじゃあ、まずいよ。
そうするとまともな人は支配層になることがバカバカしくなってしまう。バカバカしすぎてエリート層が民間に流れてしまう。あらゆるセクターで同時多発的にそうなって、文明全体の質が一気に低下し、以前は考えられなかったトンデモな事件が頻発し、文明社会が突然死することは絵空事ではないだろうね。
例のアレで吹き上がってるやつが多すぎるんだが、何が問題かあるいは何の法に触れるのか明確に根拠を示してるやつを見たことがない。
ただ自分が嫌。
ただそれだけ。
現実ではないただの絵空事の中で行われていることを、現実の犯罪かのように断罪しようとする。
包丁をつかった犯罪がなされたとき、悪いのは包丁をつくった職人か? 包丁を使った犯罪が起こるたび包丁をこの世からなくせというのか? 違うだろ。
夜道を女が歩いていてレイプされたら悪いのは女か? そのたびに夜道をひとりで歩く女を取り締まれというのか? 違うだろ。
幼女レイプ同人誌が犯罪を引き起こす怖いと言ってしまう馬鹿にはこういった論理が考えられない。
だから感情で「創作物が原因、規制せよ」などと吹き上がってしまう。
ひとはあらゆる創作物から影響を受ける。ありとあらゆる創作物はひとに影響を与える。
そしてその行為を実際にやるまでには無数の壁がある。たいていのやつは行動を起こさない。なのに行動を起こしたひとりのやつがために創作物を規制せよと声高に叫ぶのは包丁が悪い夜道を歩いた女が悪いというようなもの。作者や作品に犯罪者の犯罪行為をなすりつけるな。
もしここまで言っても幼女レイプ同人誌と包丁を夜道を歩く女をいっしょにするなと思ったお前。
私には憧れの女性がいる。彼女は仕事が出来て、学があり、身なりもきちんとしている、ものすごく立派なキャリアウーマンだ。
一方の私は、仕事は普通で、学もなく、身なりは気をつけているけれどもブランド物の服は持っていない。
時々思う。なぜ、私は彼女ではないのだろう?と。
私は貧しい家に生まれた。うちは貧乏なんだから我慢しなさい、と物心ついた頃からいつも口すっぱく言われていた。
ご飯は少なく、着るものも誰かのお古で、本を買ってもらうのは絵空事でしかなかった。
それは、都会の大きなビルでバリバリ働く女性になって、一生仕事を続けるんだ、という夢だ。
田舎に生まれた私にとって、大きなビルは摩天楼、そこで働く人は天上人のようだったのだ。
けれども、そんな夢を叶えるには何が必要なのか、私にはわかっていなかった。
私の学校の成績は悪かった。両親からも勉強しろと言われたことはなかった。そのまま勉強せず、中学の同級生のほとんどが進学する地元の不良高校に進学した。
高校では中学からの持ち上がりの友人たちとバカやって楽しく過ごした。
そして就職用の進路指導が始まり、先生にどんな仕事がしたいのか訊かれた。
そこで私は、子供の頃からの夢を語った。都会に出て、大きなビルでバリバリ働ける仕事がいい、と。
私はその夢を非現実的なものだとは思っていなかった。高校を卒業したら働くというのは私にとっての現実だったし、ならば都会のビルでキャリアウーマンになるのがいいと思っていた。
お前の成績で大学に行くのは無理だ、と言われて混乱した。
私は大学に行きたいんじゃなくて働きたいのに、なぜ大学のことを言われるのかわからなかった。
そう言ったら先生は、なんだか可哀想なものを見るような目でこちらを見て来た。
そしてこう言ったのだ。
「都会の大きなビルでキャリアウーマンになりたいんだったら、勉強をしていい大学に行かないと無理なんだよ」
と。
私はその言葉にものすごくショックを受けた。そんなこと、誰も教えてくれなかった。
私の夢は働くことで、そりゃお医者さんや先生になるには勉強をしなくちゃいけないけど、そういう特別な仕事以外は普通にしていれば成れるものだと思っていた。就職をする段階で、普通に都会の大きなビルの会社を選べばいいだけだと思っていたのだ。
家に帰ってから、そのショックを素直に両親に話した。そうしたら両親はこう言った。大学に行かせるようなお金はない、働くなら都会の大きなビルじゃなくてもいいじゃないか、と。
一旦はその言葉に納得して布団に入った。けれども、どんどん納得しきれない思いが生まれて来た。小さな頃からの夢がこんなことで叶わなくなってしまうのは許せない、そう思った。
誰も教えてくれなかった、誰も学歴が必要だなんて教えてくれなかった、学歴なんて意味がないという言葉は嘘だった。
幸い高校に入ってからバイトして貯めたお金がそこそこあったから、入学代にはなりそうだった。後の学費はバイトと奨学金でなんとかすればいい。
そして猛勉強を始めた。進路指導の先生は親切で、今まで勉強をしてこなかったバカな自分に、たくさん勉強を教えてくれた。どのくらいの大学に入れたら大きな会社に入れるかの相談にも乗ってもらった。その大学に入るには、何を勉強するのが効率がいいのかも教えてもらって、私は言われたことをひたすら勉強した。
その猛勉強の甲斐があってか、奇跡的に現役で大学に受かった。うちの高校では、このくらいの大学に入るのは数十年ぶりのことらしかった。
とにかく嬉しかった。あとは無事に大学を卒業すればいいだけのはずだった。
両親が言っていた、大学に行かせるようなお金はない、というのは本当のことだった。だから、奨学金に申し込み、バイトをいくつか掛け持ちして、なんとか大学に通っていた。
でも、大学に入ってとてもびっくりしたのは、周りの人がとてもお金持ちばかりに見えることだった。
身なりがきちんとしていて、親から仕送りをもらって、学費も払ってもらってる。
子供の頃、親に「うちは貧乏だ」と言い含められてもどこか信じていなかったが、大学の同級生達を見ると、その言葉が本当だったのだと思い知らされた。
特に、学祭のミスコンに出ていた同級生はとてもキラキラして見えた。
私はこんなに苦労しているのに、この差は一体なんなんだろう?そう思うと勉強もあまり手につかず、私はどんどんひがんでいった。
そんなある日、事件が起こった。バイトで結構大きな怪我をしてしまったのだ。大学は休学せざるを得なくなった。
それだけで詰んだ。
大学は休学するのであっても学費の納入が必要だ。でも、怪我のせいでバイトにはいけない。奨学金も休学中には出ない。
だから、退学せざるを得なかった。
後には、奨学金という名の借金と、叶わなくなった夢のカケラだけが残った。
怪我が治っても、私は無気力だった。今まで一体なんのために、そんな思いが心を支配していた。
だから、とりあえず誰にでもできそうな仕事に適当に見つけた。そして毎日の仕事と、毎月の返済日には虚しくなるのを繰り返していた。
大きなビルのメール室を回って、荷物の授受をするのが仕事になった。
子供の頃に憧れた都会の大きなビルに足を踏み入れる機会をついに持った、と思いはしたが、それを無邪気には喜べないくらい私は消耗していた。
それに実際仕事を始めて見ると、配送屋というのは大きなビルの裏口から出入りさせられるのだ。
でもある日、私は再会してしまった。
大きな封筒を持って慌ててメール室に飛び込んできた女性は、大学時代にミスコンに出ていた同級生だったのだ。
彼女は、もう帰ろうとしていた私に、これもお願いします、と大きな封筒を差し出してきた。
私の顔は覚えていなかったらしく、それだけで去って行った。
私は思わず、私はその会社のメール室の人に、今の〇〇さんですよね?と訊いていた。
メール室の人は、よく知ってるね、優秀なので有名な人だよ、と答えてくれた。
どこで知ったの?と訊き返されたけれど、昔遊びに行った学祭でミスコンに出てて綺麗だったから覚えてた、とだけ答えた。
同じ大学にいたんだ、とは、なぜか言えなかった。
ビルから出るとき、普段はしないけれども正面口にちょっと回って、ガラス張りの高いビルを見上げた。
これは子供の頃に夢見ていていた大きなビルそのものだ。そこで彼女はどんなふうに働いているのだろう?私が夢見た通りに働いているのだろうか?
そして考える。なぜ私は彼女ではないのだろう?と。
最初から何もかも違っていたとは思う。それでもいっとき肩を並べたはずなのに、またこうして何もかも違ってしまった。
でも、最初から何もかも違っていたのはただの運の問題ではないのか?
けれどもそうはならなかった。そうはならなかったんだよ。
世の中には、就職をしたい障害者を支援する制度がいくつもある。その中の一つが、就労移行支援事業所だ。
これは国から委託を受けた私企業によって運営されている、通所型の施設である。
この施設を利用するには、地方自治体に利用申請をしなければならない。
が、この辺りの細かい制度の説明はあまりしないでおこう。こうした手続きは役所や施設に聞けば済む話だ。
この就労移行支援事業所が何をしてくれるかというと、就職までの手伝いと、就職後の定着支援をしてくれる。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/shingikai01/pdf/5-2i.pdf の2ページ目に詳しい図がある。ちなみにこの資料、就労移行支援事業所についての話は1〜2ページ目だけで、3ページ目と4ページ目はまた違う施設の話なので注意すること。
まぁ、こういう何をしてくれる施設かについての話も置いておこう。それも役所や施設がしてくれるだろう。
今回は、役所や施設に聞いてもわからんであろう部分を、実際にこの就労移行支援事業所に約2年通いようやく就職が決まった私が見てきたものを話したいと思う。
まず、この施設に向いている人と向いていない人の話からしよう。向いている人は、少なくとも1年近くは就職しなくても暮らしていけるあてがある人。向いていない人は、今すぐ就職できないと食い詰めてしまう人だ。
たぶん、多くの人がんなアホなというツッコミを入れたことだろう。だが、これは事実だ。
就労移行支援事業所が支援してくれる就職までの道のりは、決められた出席日に休まず出席する体力を作るところから始まる。最初は週3日くらいから始めて、数ヶ月かけて週5日出席できるようになるところがスタートである。これには最短で3ヶ月くらいかかる。
なんでこんなに低レベルなところから始めるのかというと、結局これが現実だからだ。特に病に倒れて療養していた人が、さあ元気になったから明日から週5日8時間のフルタイムで働くぞ!と意気込んでも、絵に描いた餅よりも食えない絵空事にしかならない。そんな便利なスイッチはない。
そして働く諸氏はご存知の通り、決められた日に出勤ができない人の居場所はどこにもない。
だからまずは決められた日に出席ができるというところが一番重要視される。加えて出席実績というのは1ヶ月の短期で見てもあまり意味がない。少なくとも3ヶ月は様子を見なければ安定して出席できるかどうかの判断もできないのだ。
なので、数ヶ月のうちに転職を決めなければならない人には、就労移行支援事業所は全く向かない。
それでも1年はふかしすぎだろ、と思うかもしれないが、3ヶ月という最短スピードで出席が安定したとして、次は企業実習が待っている。これは2週間から1ヶ月くらいの期間をかけて普通に経営されている企業で実習をさせてもらうというものだ。この実習をすることで、実際に働くのにかなり近い感覚を会得する。場合によっては、そのまま雇用に結びつくこともある。
これは1社だけではなく、2〜3社ぐらい体験実習に行くのが普通だ。だから、この段階でも3ヶ月は使うことになる。
この段階の目的は、自分の体調にとって無理のない勤務条件を探っていくことだ。就労移行支援事業所に休まず出席できていたとしても、実際の企業でそれをそのまま維持できるとは限らない。加えて、自らの障害特性と仕事内容のマッチングを見ることも大切なことだ。
そしてここまで最短でも6ヶ月。あとはひたすら履歴書を作り送り面接されたりお祈りされたりを繰り返すことになる。この段階にどのくらい時間がかかるかは運の要素も強いが、実はここで足踏みしてしまう人は案外いたりする。この段階に1年くらいいるのに就職が決まらず、2年(条件が許せば3年)の利用期限が来て去って行ってしまう人をちらほら見た。
なので、これらの段階に耐えられる最低条件というと、少なくとも1年近くは就職しなくても暮らしていけるあてがある人、になってしまうのだ。
私の通っていた事業所の範囲で就職した人できなかった人を見て来たが、まず就職しやすいのはコミュニケーションに難のない身体。この人たちは1年経つか経たないくらいで就職して行く。次にコミュニケーション能力に難のない軽度の精神、発達。この人たちは1年半から2年くらいで就職。そのほかの人が就職して行った姿はあまり見ていない。
なので個人的な感想として、企業は障害者の上澄みを求めているのだなぁ、と思う。出席率が低くなりがちな障害だったり、コミュニケーション能力に難を抱えている障害だったりすると、途端に就職がきつくなる印象を持った。
総括として、就労移行支援事業所は利用するべきなのか?という問いがあるが、個人的には「利用できればしたほうがいい」と思う。
その理由としては、自分の「無理のない日数で決められた日に確実に出席できる能力」は就労前に把握できていたほうが絶対にいいと思うからだ。
こんな当たり前のことを、と思う方は多いだろうが、これができない障害者の方は案外多い。特に精神。
企業側も、週3日だけど決められた日に確実に来れる人、は使い手があるが、週5日のうち不定期に2日休む人、はなかなか使いづらい。
病気等により図らずとも後者になってしまい仕事を辞めざるを得なくなってしまった、という経験を持つ方は納得していただけるものと思う。
そしてここからが重要だが、この就労移行支援事業所はピンキリである。
実際に自分が通う就労移行支援事業所を決めるまでの間いくつもの事業所を見学に行ったが、とりあえず人を集めているだけで利用者の就職支援指導をあまりしていなさそうなところもちらほらあった。そういうところは、うちはゆるくて自由なところだと言っていたが。
就労移行支援事業所は大抵体験期間を用意してくれているので、それを利用してスタッフの質を見極めよう。支援期間の2年まるまる使って結局就職できない、というリスクはあるのだから。
個人的には、スタッフがビジネスライクかどうかで事業所を選んだが、正解だったと思っている。
だが、それは結局就職が決まったからの意見で、同じ事業所に通っていて結局就職できなかった人には別の意見があるだろうが。
しかし、この就労移行支援事業所で障害者の就職が全て解決するのかというと、そんなことはない。
そもそもこの施設に長期間通うための生活基盤がない人はこの施設ではどうにもできない。それに、前述の通り支援期間は基本2年までと定められている。その間に就職ができないとなると、どうなるのか?残念ながら私はこの答えを知らない。
また、体調には自信があるんだという人はここで体力をはじめとした基盤作りから始めるよりは、障害者職業能力開発校の方がより実践的な職業訓練が受けられるだろう。
http://synodos.jp/politics/19136
これ読んでおかしいなと思った点
労働力の確保はもはや手遅れ気味ではあるが――現状、米仏独と異なり、日本に来る金銭的・社会的メリットがもはやなさすぎるので、そこのあたりのちゃんとした待遇・権利保障・教育システム、多様な職種・生き方が併存可能な形を整え――移民や外国人労働者に三顧の礼できていただくしかない。
何しろ「安い賃金で働く移民」が大勢いるのだから、企業は賃金を低く抑えることが出来てしまう。
日本人が働き口を見つけるには、更に低い賃金で働くときだけで、可処分所得が一向に増えない状況が生まれてしまうが、そんな社会は望ましいだろうか?
それでもまだ来たいと言ってくれているひとたちがいる。来てくれているひとたちがいる。そして、なにより実際に来ているひとたちがいる。
そして実際に移民が大量流入したら、失業率が悪化したり、親の貧困を引き継いだ格差が広がる一方だろう。それこそ、新自由主義の負の側面以外何者でもない。
北田暁大さんは、そう言うが、それ逆じゃないの?
治安に関しても疑問が。
「外国生まれの人口比」に関しては、日本はOECD先進国のなかでは実質的に最低の数値、1%ほどにとどまる。独米英仏のように10%を超える状況にはなっておらず、治安の悪化を心配するような段階にすら到達していない。
敗戦直後、日本の治安が良かったなんてどのデータをみたらいえるのか、「昭和30年代」がどれだけ貧しく犯罪の多い社会であったのか、お忘れになったのか。
移民を入れたら、その「昭和30年代」がやってくるかもしれないじゃん。移民に職を奪われ、働いても給料が増えない日本人が、清く正しく生きようとするかね?
上野さんとも北田さんとも違う意見かもしれないが、移民大量流入後の日本でもし治安が悪化したら、その主役は移民じゃなく無職の日本人だと思うよ。
世代間再配分を果たそうにも多くの団塊世代にはそれが難しい。貯蓄額・資産の大きい人びとの資産が、社会的な再配分に向かっていない状況は、上野氏自身が属する「団塊」世代内での断絶を示している。「逃げ切れる団塊」などほんの一握りの人たちであり、そうしたなかで「おひとりさま」などと提唱するのは、社会政策としては絵空事に近く、再配分をなにも考えていないことの証左である。
でもさ、
どれだけ上野氏をはじめとした左派が「アベノミクス」を否定しようと、ここ数年の新卒就職率は高卒・大卒ともだいぶ改善されており、ご存知の通り大学院志願者は低減傾向にある。
上野さんがお花畑なのはそうだとして、北田さんだってお花畑でしょ。
それを踏まえて言えば、移民を制限して、何とか国内で再分配を苦しんででもやるしかないよ。
それをやらないで移民を入れても、分配の議論が混乱するだけだよ。
そんなことを思いました丸
例のガッキーのPVみたいなドラマのおかげで、なんかこの話題が盛り上がっているようだが、
正直やめといた方がいいんじゃないのかなと思う。
あのドラマ式に雇用主と従業員という図式で考えた場合、際限なきゴネゴネの果てに待っているのはリストラだ。
そもそも、家事にまつわる女性の要求には2通りのパターンがある。
「男も家事に協力しろ」というものと、「家事労働をもっと高く評価しろ」というものだ。
前述したように、最近盛り上がっているのは後者だが、前者の要求もずっとあって、
その流れで家庭科が男女必修になったりした。
どちらの要求もいたって正当なものだ。しかし、両者を両立させようとすると、途端に無理が生じてくる。
家事に協力するとなると、自分でできることにわざわざ高い金は払いたくなくなるし、
逆に、家事労働がそんなに高くつくなら、自分でやれば丸々浮くからである。
最近はそこを両立する、つまり人並み以上金をくわえてきた上で家事にも協力的、というまことに都合のいい男を
「イクメン」と持ち上げようとする動きもあるが、大半の人にとっては絵空事でしかない。
しかし、今の結婚制度が、相手の所得の少なくとも半分を合法的に持っていける仕組みになっているのは、
それ以外の何かがあるからだと信じたい。