はてなキーワード: 絵空事とは
id を列挙したら一回で投稿できなかったので、三部作にさせていただきます。
一番県民として腹たったのこれですかね。人種の枠に押し込めてレッテルをはる。誰がやられても同じように起こるかと。こいつのせいでこのエントリは生まれた。
こういう冷笑系。無関心を装う体で県民の意見を無視しつつ、それをわざわざ口にする。
こういうのもなかなかに酷くないですかね。
https://globe.asahi.com/article/11530020
思うに、民主主義を素晴らしいと思えるかどうかという問題は、他人(もしくは大衆)の理性や道徳を信用できるか、という点につきるのではないか。
もし、他人の理性や道徳が信用に足るならば、投票によって選出された政党や政治家を受け入れることができる。
そして、選出された政治家の理性が十分なら、独善的な政策ではなく、野党とも議論を交えながら政治を行うことができるだろう。
当然、野党となった政治家の理性が十分ならば、建設的な反対意見と与党側との議論により、いわゆる少数意見をある程度なりとも反映する政策を与党側に提案し、説得することもできるだろう。
これは理想。
だが、現実的にはそんなことは成り立たない。
政治の場面では、例えば与党が他者の意見に耳を傾けず独善的な動きをすれば、野党側もヒステリックに反応することで、その対立は時間を経るごとにエスカレートする。
他国のことはわからないけど、少なくとも日本では上述のような理想は絵空事だ。付和雷同の傾向が強く、議論が成立しない日本人にそのような理想ができようはずがない。
そんな歴史的なことを言わなくても、Web上でも片方が極論ともいえるような内容を声高に主張し、他者はヒステリックに反応するか、無視をするという光景はよく見る。とくに現在は、Webなどの発達により意見を主張するハードルが下がっているから、そういう光景が多くなり、両者の間の溝は大きくなるばかりである。
Webの発達した現在では、そのような他人との精神的な溝を自覚しやすくなっている。つまり、他人の理性や道徳を信用しにくくなりやくすくなっているのが、現在なのではないか。
現在のような状況では、民主主義に対する疑問が出てきてもおかしくはないと思う。とはいえ、他者の意見を軍事的に潰すような政治形態は論外だ。
トップと営業の方はエンジニアのことを考えていないような環境です。
昨日の求人に書いてあることと違うことをさせる株式会社アイビスを観て私も同じようなことがありました。
私は、女性エンジニアとして入社しましたが、即現場に入りました。しかも、OSはWindowしか知らないのに、Unixディストリビューションで分散型バージョン管理を使った現場です。もちろん1ヶ月で離任しました。
営業の方は、売ることは長けていますが、その後のことは何も考えていないです。
また、株式会社アイビスのトップは自分がやりたい開発だけをしていて、社員に還元できるような仕組みも考えず管理職に丸投げです。
Twitterで自社アプリの使い方をユーザーにリプライなどをしているが、それをするのは広報がするべきです。
連日、Twitterでエゴサーチをしていて、会社として仕組みを変える時間がないみたいです。夜遅くまでエゴサーチで忙しいみたいです。これなら、会社や社員のことなんか考えてられないことに納得。
機種の性能ではないですかね。いつ発売の機種か、また、価格はいくらかによります— かみやん (@kamiyan) December 11, 2018
あ。動いているならDropboxかSDカードでバックアップになります。操作が分かりやすいのでDropboxをお勧めします https://t.co/kB4Ve6q6yv— かみやん (@kamiyan) December 11, 2018
修理に出す端末は電源がらはいらないとか、操作パネルが効かない、ディスプレイが映らない等でアイビス ペイントが起動しない状態ですか?— かみやん (@kamiyan) December 11, 2018
100人も超える組織で、自分がやりたい開発だけしていて組織をまとめるような仕組みを考えない人がトップにいます。
売上/利益/社員数の大半を派遣メンバーは自社開発にまわす予算を稼いでくるものとしてしか捉えてない様子。ただの駒としてしかみていない。社員の人もその背中をみているせいかコミュニケーションをほぼとらず ただただコードをかくだけの人。 また、営業の人はエンジニアのことを考えずお客様に提案しています。つまり、稼げる案件にアサインして、無理だったら次へという感じです。合っていなく業務がままならないことを相談しても待ってくれというだけで何も改善されません。待ってくれというだけで、次はどうにかするからと言うが変わらないです。期待はすべきではないないでしょう。 給与も手取り14万円、中途でも18万ぐらいで本当にエンジニアはいいように使われます。それでもいいというエンジニアは働くべき環境です。
ちなみにですが、資本金は9592万5000円で、4つも事業所や開発センターがあり、別にもう一個会社がありますが、社員に対して特に還元をしないです。上の方々が、お金を搾取しているみたいです。
二次創作活動をしている。気がつけばツイッターのフォロワーもそこそこいて、ピクシブのフォロワーもそこそこいる。ブクマやいいね、リツイートも結構貰う。
販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。
きっと、そこそこなんだと思う。
ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置にはいると、自分でも思う。
ただ、怖い。
たくさんの目が怖い。
もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。
それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。
ある時、爆発的に評価された。
その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。
嬉しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事の妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねとブクマは投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。
そこからだった。
作品を上げれば、一定数は必ずブクマといいねを貰えるようになった。
嬉しい、と。そう思っていた。
認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。
ただ、一度疑ってしまった。
なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みのブクマじゃないだろうか。
このブクマ数は、いいねは、自分の作品の正当な評価なのだろうか?
人間だから、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品を創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。
フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。
最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。
その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。
いい子ちゃんで優等生の自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなものを創作しよう」と模範回答をする。
最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品だから、という評価かもしれない。
自分を見ないで欲しい。
フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ。評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。
たしかにそう願う時もあったはずなのに。
いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。
そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。
幼稚園の頃に仲が良かった同級生(A)が市民団体のトップを張ってた。いわゆる発起人だ。
Aと遊ぶときは決まってぼくの家だった。Aはかんしゃく持ちで、少しでも気に食わないことがあると暴れた。幼稚園児にしてまさかの出禁を喰らうが、そのたびに「ごめんなさい」と詫びを入れてきた。
小中も一緒だったけど、クラスが違うので疎遠になった。傍から見てるとAはいじめられっ子というより珍獣的なポジション。やんちゃな同級生がAをわざと怒らせて楽しんでいた。指相撲に負けて学校の壁に穴を開けたこともある。
その後は交流が完全に途絶えた。ある日ふとAのことが気になってフルネームでググってみると、タイトルの通り。9条を守る!脱原発!差別反対!自民政権は許さない!といった具合。ことさら差別に関してAの個人的言及は凄まじい。
Aは、生きがいを見つけたのだと思った。Aが認めてもらえる場所は、そこにしかなかったとも思えた。また、自分の痛みを政治批判にすげ替えている。彼はよりよい日本を目指しているのではなく、自分の痛みを知ってほしいだけなのだ。
市民団体はよく絵空事を抜かす節がある。政治批判をしても代替案が欠如している。あからさまな無茶ぶりだ。だけど、彼らにとってそれはどうでもいいことなのである。無意識下で、政治に自分の痛みをのせている。抑圧された幼少期だったり、Aのようであったり。何も聞き入れてくれなかった親や世間の代わり。単純な憎悪。ぼくらは、彼らの痛みを、政治というフィルターを通して聞いているだけ。
今の私は強い人間と言われることが多い。
何かを言えば強者の論理だって言われるくらいには強そうに見えるらしい。
そんな強そうに見える私がかつて誰にも救ってもらえないと感じていたときによく考えていたことを書いてみます。
誰かのお役に立てればいいのですが。
はっきり言ってテレビやネットやらで誰かが助かったという報道ありますよね。
それ届きません。
信じません。
他の誰かは助かったかもしれないけれど、自分が助かることはないのだろうと強く信じてます。
だって自分の身近にいる人は誰も自分のことを助けてくれなかったんだから絵空事にしか聞こえません。
いっそそんなことを話す人がいたら嘘つきだと思ってしまいます。
いくら頭の中で誰かに助けてもらいたい、積極的に自分を認めて肯定的な態度を身に着けたいと思ったって、自分の目の前にモデルになる人がいなかったら誰を真似てよいやらもわからない。
そんな状態でした。
多分、彼らもそこまでは納得してもらえるのではないかと。
で、ここからは本当に役に立つかどうかわかんないよ?
役に立たなくてもっと絶望して人を殺したくなっちゃっても実行しちゃだめだよ?
いいね?
私は自分自身が認められることを捨てました。
というか、自分みたいな弱い人間が認められるために大きな声を上げていいとも思えなかったので、助けてくださいとも言わなかった。
そのくらい自分のことを諦めていた。
誰にも助けてもらえなかった経験は忘れなかった。
それを利用しました。
殴られ蹴られ刃物を突きつけられ、ベルトの鞭で打たれ、それでも通りすがりの大人に助けてもらえなかった子供の頃の自分、今の自分ではなく過去の自分を助けることにしました。
そのとき、自分がどれだけマイナーなのかだけはよくわかっていたので、過去の自分より先に認めやすい他のマイナーな人たちを助けることにしました。
それなら強くなれたから。
自分のことは大嫌いだったけど、そこだけは曲げなかった。
それで主張する相手も選びました。
どんだけ逃げたかわかんない。
やっと見つけた信頼できる大人に全部ぶつけて。
周りの人にもぶつけて。
ただわがままではないように見えるから受け入れてもらいやすかった。
実際は自分のためなのだけどそんなの関係ないように見えるでしょ?
ひねくれた私にはそれが精一杯で。
でもやってることは人助け系統なので、自分を認めてもらうことを捨てたにもかかわらず自分自身を認めるチャンスをもらえました。
実際目の前で具合の悪い人がいたり何かあったら100%助けてたよ?
で、どんなことをしたら小さな頃の自分が納得してくれるかいつも考えて行動してた。
現在の自分自身のためになることを考えてるのとは違うから人からはちょっとズレたままで衝突することも多かった。
そんなことをしているうちに、それは無茶なことでもあるから心が壊れてしまって精神科にかかるようになった。
でも薬と認知行動療法を受けて少しずつ今の自分自身を受け入れられるように今は努力してる。
あれこれ考えずに今の自分に集中できると行動を決めるのが早いみたいです。
でもいきなりそんなこと私にはできなかった。
自分を認めることができなかった私にできる精一杯のことがそれだった。
もっと前に現在の自分に集中できていたらできていたはずのことがもっといっぱいあったはずで。
今無職五十代です。
それは幸せな子供時代を過ごせなかった私には子育てなんて考えられなかったから。
体を壊したから働くのは無理かもね。
でもそれでもやっと手にした自分を大切にする気持ちを捨てる気はない。
何十年かかったと思ってんだっての。
今さぁ
自分と同じような苦しみを味わっているのかと思うと辛くて。
頼むから生きてほしいし、頼むから人殺しなんてしてほしくない…
これ本当に役に立つかはわからない。
でも自分を認めることのできなかった人間がどうやって生きてきたか書いておくことも大事だと思った。
これ読んでても自分には届かないと思ってると思う。
嫌ってほどわかるから。
児童が全員仲良くなれた事例をテレビで見て信じられなかった私がそう思うんだから。
でもそれでも思う。
届け!
全力で届け!
届けったら届け!
ネットしてると「こいつ特定してえな」と思う事は多々あるだろう
無いとは言わせない 絶対に一度ぐらいは不快な気持ちにされて、その原因への敵意を抱いた事はあるはず
それが相手に非があるとしても、自分に非があるとしても、だ
ってわけでもしスーパーハカーの力に覚醒したり、偶然なんかそういう情報のリストを拾ったなんて仮定しようか
ありえない? 空想ぐらいいいじゃんかよ、GW最終日ぐらい絵空事を話させてくれ
まず金属バットでムカつくヤツの頭グッシャァとか、出刃包丁でザックーするのはなんだかんだで出ると思う
いぬやしきって漫画でサイボーグの少年が家族をバカにしたオタクをネット越しに殺しまくるシーン見てて「俺もやりてえなあ」みたいに思うのもいただろう
まあ人生捨てるほど追い詰められてるか、自分を抑えきれないような存在はすると思うよ 少数派だけど
次に晒し上げとネットストーキング
危害加えるヤツはこっちのほうが多い 気に食わない存在に一生消えないデジタルタトゥーを刻みたがる人間は本当に多い
2ch(5ch)の面々とTwitterの面々がこれをしたがる
もちろん増田もだ
直接手を下さず人を傷つけるの、大好きだろ?
だけど一番多いのはきっと「何もしない」だ
君子危うきにナントヤラ、これは俺が握った秘密の情報・・・ふふふ(暗黒微笑)、そこまでする気ないわー(ポイッ)、実際に力を得たら怖くなる、理由はどうであれ
結局何もせずに見なかったことにするか、手を出せずモヤモヤし続けるだけだろう
私はeスポーツが好きだ。好きだからこそ書き殴りたい想いがある。
e-Sportsはスポーツ?→「問題外だ」 頑な視聴者反応に「日本が後進国な原因」 : J-CASTニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2018/02/22321803.html
とてもみんな素晴らしい意見を表明している。
他のエントリでもプロゲーマーに関するエントリは昨今様々な形で盛り上がりを見せている。
あまり世界のゲーム事情に興味関心が無い人でさえも、ゲームの競技大会には盛り上がってほしいしジャマされずに発展してほしいという感想がある事が多い。
しかしだ
しかし
実際に国内外で開催されているゲーム大会や競技内容そのものに対するコメントは全然白熱していない。
4gamerが告知やレポートを出しているが、それに注目するのは参加者やガチ勢と呼ばれる層だけだ。
参加者だけで盛り上がってもそれは今までとなんら変わらないだろう
では、どうすれば注目されるのか?
ちょっと考えてみた
それが悪いと言うつもりは無い。だから、みんなが当たり前のように視聴する情報番組を作るべきだ。
テレビで放送した内容を、ゲーム機でもディレクターズ・カット版で視聴できるようにして
ゲームが好きならプレイしてなくても観て当然って空気を作ってほしい。
今、eスポーツは主催やコミュニティにやる気があるタイトルに偏りすぎている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19040179
こちらは2012年の【第7回裏塔劇】宇宙大作戦チョコベーダー 決勝戦 の動画だ。
蠱毒のように様々な参加者をごった煮してトーナメントを行った結果、大会を開催しているのにもかかわらず奇跡の結果が出てしまった
最高のゲーム大会の1つだ。時間が許すならパート1から観てほしい。感動して涙が出るレベルの大会だった。
(3位はEVOjapanで最も話題になったらんま格ゲーの人です)
この動画を観ればわかるとおり、ゲーム大会は格ゲーだけのものではない。
だから、多種多様な大会を年間スケジュールを組んで毎週のように実施してほしい。
例えば、カルドセプトシリーズやカードヒーローシリーズの大会が2018年に開かれたとしたら、どんなカードが採用されるのか興味がわかないだろうか?
今もなおサトロークを楽しんでいるカルネージハートEXAの住人にスポットを当てる事はできないだろうか?
競技として成立しないようなガチャフォースのような破天荒なゲームにレギュレーションを設けて大会を開催したらどうなるだろうか?
30分以内で終わるアクションゲームのRTA大会なんかも観てみたい。
私の個人的要望はここまでにして、みんな、様々な推しタイトルがあるハズだ。
その大会をスポンサーをつけて主催できるマルチな運営を行ってくれたら、興味関心を持つ層は広がるのではないだろうか?
このタイトルなら俺だって優勝を狙える!という人が増えて、eスポーツ業界を活気づけてくれるハズだ。
年間の日曜日は52日あるなら年52タイトルの大会を行っていただきたい!
東京フレンドパークを思い出してほしい。
金のコインを持ち帰ろうとした人にはブーイングが出たハズだ。パジェロを狙う姿勢と、出場者ごとに異なる賞品があの番組の魅力であった。
スポンサーが提供できる賞品から1種を持ち帰る権利にしてはどうだろうか?
そして、東京は遠い。
なんとかして、ゲーマーの往復費用をeスポーツの運営から出す事ができないだろうか?
1回の大会に500万円の賞金が出せるとして、5万円を100人に分配したら100人の遠征勢を迎え入れる事ができるだろう。
何故なら、各種ゲーム大会の地方予選はラスベガスや東京で行われる本戦出場の為の旅費を運営が出す権利等が普通に与えられている。
コストをかけるなら、参加者を増やす事にこそかけていただきたい。
私の考える事は結局絵空事だ。
だが、今のままeスポーツやプロゲーマーについての議論が進んでも
それがいい事だと私には思えない。
牽引する組織は絶対に必要で、今それを行ってくれているメディアには申し訳ないが、一般層を取り込めるだけの魅力が足りていないのだ。
BEATLESSは凄いよ。
何が凄いって、完全にレイシアに惚れさせにきてる。
挙動、服装、言葉遣い、カメラアングル、脚本、作画、表情、声色など、綿密なマーケティングの上で視聴者を虜にしにきている。
驚くべきことに、レイシアは要するにロボットだ。生身の人間のキャラなら惚れてまうのも百歩譲ってわかる。
レイシアが単なるロボットであるのは誰もが知っている。人がロボットに惚れるなんてことはありえない。少なくとも今までは。
で、さらに驚くべきことに、私は今まで全くAIやロボットになんて関心がなかったにも関わらず、レイシアに惚れている。
今まで見てきたどのキャラクターよりもレイシアが魅力的に見える。完璧に落ちている。レイシアがうちに来たらいいなーと思っている。
第3話は何度も見た。完璧だ。前半パートでレイシアの魅力を存分に描写し、中盤パートでその魅力に取り憑かれた狂った第三者を登場させる。あの第三者はたぶん俺だ。
人間とAIは共存できるのかなんて議論は絵空事だと思っていた。しかし、それはもう既にここにあった。一歩何かを踏み越えたような気分だ。
「みんなで休めるようになろうよ!」これも追加で。絵空事。