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はてなキーワード: 障害者職業能力開発校とは

2021-02-26

職歴の無い元炎上ブロガー大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働きだした

俺は昔、はてなブログブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。

1級身体障害者炎上ブロガーって言えば、古参はてなーなら知っている人もいるかもしれない。

フジテレビアナウンサーフリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。

もう過去記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログ運営していた。

そんな俺は今、大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている。

俺は元はてなブログ炎上ブロガー

知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。

だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークから流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。

Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入生活をすることが困難になった。

ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事執筆するライターなんかもやっていた。

ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人ブログ記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。

でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。

もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田記事を書いている。

ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。

20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。

ずっとパチスロやらブログ広告収入生計を立ててきた。

正社員には、生まれて一度もなったことが無い。

そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。

俺のスペック

まず、俺のスペックを書いていこうと思う。

・1級身体障害者(慢性腎不全人工透析

性別:男

・年齢:30代半ば

職歴:ほぼ無し

学歴留年中退付きの高卒

・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等

こんな風に、俺のスペックボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。

しかも、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

などなど、自分障害からのさまざまな合併症も抱えている。

でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。

どうやって大手企業障害者雇用枠でリモートワークの仕事に就いたか

一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?

こんなボロボロスペックでどうやって大手企業障害者雇用枠、しかリモートワークという狭き門での就職成功させることが出来たのか。

その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。

障害者の職業訓練校に通った

まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。

幸い、ブロガーライターをやっていた時の収入殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。

そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。

それが、

障害者専門の職業訓練校に通う」

という方法だ。

正式名称は「障害職業能力開発校」だ。

障害職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。

でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーライター個人事業主だったからな。

じゃあ、障害職業能力開発校に通っている間は無収入なのか。

答えは「NO」。

障害職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。

貰える金額障害等級によって違うが、1級身体障害者場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。

障害年金の受給金額を合わせても、月に20万円ほどの収入だ。

都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。

幸い、俺は九州田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。

そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。

ちなみに、俺が通っていた障害職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。

通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。

俺はそのプログラム設計科だったから、2年コースだ。

2年間は収入を貰える状態を確保していた。

そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。

でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題殆ど説くことが出来なかったんだ。

「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」

そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマーしかも1級身体障害者残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。

でも、そんな事務員としての就活ですら困難を極めた。

「月・水・金曜日人工透析があるから残業が出来ない。」

この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。

それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。

あとはやはり、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

を抱えているという部分だ。

でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。

から隠す訳にはいかない。

書類選考がある企業では、書類の時点で必ず落とされた。

そりゃそうだ。俺の履歴書は空白だらけだからな。

俺が企業採用担当だったら、まず採用しないような経歴だ。

でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。

職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。

でも、問題点が。

俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。

俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者病院をいくつも通っている人間は、遠い地域引っ越しをする場合病院を全て1から探し直さないといけない。

そして、病院変更の手続きを行わなければならない。

特に人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。

病院との相性もある。

週に3日、1日5時間延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレス精神がやられてしまう。

実際、俺が今通っている人工透析病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。

そういった事情もあって、最初就職前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。

その頃、今世界中流行している感染症流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。

俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。

俺の住んでいる地域感染者がその地域に比べれば少なかった。

それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。

恐らく、毎日病院会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。

それだとやはり、俺の精神崩壊してしまうだろう。

そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社就職しなかったというのもある。

こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い

俺は死にたくない。精神ももう二度と崩壊させたくない。

から俺は自分を守る為にその会社へは就職をしなかったんだ。

これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。

職業能力開発校を辞めた

だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症感染者数が増加していっていた。

でも、俺の通っていた学校建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。

それと、どうしても知的な部分に障害がある人達いるから、感染症対策ちゃんとしない生徒もいた。

学校は家からかなり遠い。

俺の障害はその感染症にかかると重症化しやすい。

しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。

家には高齢の親もいる。

から俺は、絶対感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。

そのうちの一つが、障害職業能力開発校だ。

俺はそうやって学校を辞めた。

ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、

「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」

みたいに言ってきた奴がいた。

お前はお前、俺は俺だぜ?

お前はリスク管理が出来ていない。

俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。

お前は勝手感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。

人の命だってかかっているんだ。

その部分を甘く見ているか、甘くみていないか、だ。

俺は自分感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。

から俺は、学校を辞めた。

収入無職からまた個人事業主になった

俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。

障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないか障害年金の殆どを家に入れていた。

から実質、無収入だ。

さて、これからどうやって生活をしていこう。

正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。

学校を辞めました。何か仕事を下さい。」

そんなことをTwitter上でツイートしたような気がする。

すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。

以前のようにライター仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。

ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害職業能力開発校に入るとき

「今までライターお疲れ様

といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、

カニの人」

として周知されている。

その人がまた、ライター仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。

その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人社長ではない。あくま個人事業主だ。

クライアント個人事業主だと、どうしても将来的な収入不安になる。

でも、俺は感染症リスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入不安だ……。

そんな葛藤をずっと抱いていた。

就職エージェント登録した

ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェント広告が目に入ってきた。

障害者専門の就職エージェント

そういった触れ込みで広告掲載している企業だった。

取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。

そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。

すると、エージェント就職担当から電話連絡があった。

俺は、

「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」

みたいなことを、エージェント就職担当者に話したような気がする。

すると、その登録した会社から別の会社へその話が行って、

障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェント

へ流れで登録することになった。

なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体から分かっていた。

今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。

でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社登録だけ済ませた。

すると、次の日からすぐに企業案内が来た。

俺は来る会社は全てOKを出して、全ての企業へ応募し始めた。

リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。

個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。

安定収入を得るためには、就職するしかない。

そう考えて、俺はだんだん就活へ前向きになっていった。

ちなみに、就職エージェント就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書添削してくれた。

そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。

俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。

ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害病気のことはしっかりと書くように言われた。

書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃん理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。

話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。

でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。

心が折れそうだった。

だけど俺は諦めなかった。

するとある日、1社だけ初めて書類選考を通過したんだ。

就職内定が決まった

その企業東京大手企業だった。

俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。

でも、ワガママを言ってはいられない。

大手企業であることには違いない。

俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接練習をしてそれを録画。

動画にして自分面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。

そうやって面接対策を行っていた。

面接対策、というより面接練習だ。

そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。

パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。

晴れて俺は、大手企業障害者枠でリモートワークで就職が決まった。

大手企業障害者枠で就職するコツ

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

後編へ続く。

後編:https://anond.hatelabo.jp/20210221124058

2021-02-21

anond:20210221113739

前編:https://anond.hatelabo.jp/20210221113739

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

障害者職業能力開発校に通った

ハローワーク求人ではなく、就職エージェント登録して就活した

履歴書添削就職エージェントにしてもらって書き直しをした

面接練習の為に、カメラ自分の喋りを録画して見直し改善した

この4点だ。

あと、俺は元々資格だけは様々なものを持っていたから新たに取得したりはしなかったが、資格を持っていない人は資格取得の勉強もした方が良い。

障害者職業能力開発校では資格勉強もするから、そこでしっかりと取得しよう。

障害者職業訓練校、障害者職業能力開発校へはハローワーク障害者窓口で相談して通うことが出来るぞ。

普通職業訓練校と違って、国立県営だし生徒は障害者だけしかいないから通いやすいし、講師の当たり外れも民間に比べたら少ないぞ。

入学の為には筆記試験なんかがあるが、中学校卒業レベル知識があれば解ける。

俺の時は、国語数学だけだった。

障害者職業能力開発校には様々な科があって、自分の興味のある分野の勉強が出来る。

リモートワークで就職をしたいなら、OAビジネス科に入ってWordExcel簿記を取得するのが一番良いだろうな。

若いなら、プログラム設計科でプログラマーを目指すのもありだろう。

ただ、住んでいる地域学校によって設置している科が違うから、その科があるか分からないけどな。

就職エージェントは、障害者枠で働きたいなら障害者専門のエージェントを使うのが良い。

ネット検索したら色々と出てくるから、片っ端から登録して就職活動を行うのが良いだろう。

障害者リモートワークで働きたいなら、障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェントがあるから、そこに登録したらいい。(俺はそういうエージェント登録した。)

就職エージェントには面接マニュアルもあるし、お願いしたら面接練習なども付き合ってくれる。活用しよう。

ちなみに、俺が使用した就職エージェント就職後も企業との間に入ってサポートをしてくれている。

そういうサポートの充実した就職エージェントを選んだ方が良いだろう。就職してもすぐに離職したら意味いからな。

最後に 毎日が新鮮

俺は会社会議というものに出たことも無いし、会社メールなども出した経験が無い。

30代半ばにして、初めての経験ばかりだ。

大変ではあるけれど、毎日が新鮮だ。

普通の人にとっては当たり前のこと。サラリーマンOLなら当然のことを俺はやったことが無い。だから、時々失敗をするけれど、それでも毎日が新鮮で楽しい

収入も安定しているし、「社会保険証」というものも初めて手に入れた。

ちなみに、俺は九州田舎に住んでいるが会社東京だ。会社へは一度も行ったことが無いままの入社となった。

九州支店があるが、感染症関係で今は行くことが出来ない。いつか、自分の働いている会社を見てみたいから行くけどな。

俺は今、事務員だがプログラミングを学んでいたことを生かして、会社内のITヘルプデスクのようなことをしている。

毎日やり取りしている、仕事を教えてくれている先輩達は俺より一回りくらい年下だ。

年上の後輩に仕事を教えるのは何かと面倒だとは思うが、それでも懸命に仕事を教えてくれる先輩達には感謝してもしきれない。

本当に毎日が新鮮だ。

この会社で一生働いていくのかは、今の段階ではなんとも言えない。個人事業主が恋しく無いといえば嘘になるからな。

でも、今のところは会社に不満も無いし、社会不適業者がせっかく就職出来たのだから、まずは社会人としてのマナーをこの会社で身に着けようと思う。

ここまで読んでくれてありがとな。

炎上ブロガー」としての俺は、もういない。

俺は今や、立派かどうかは分からないが、サラリーマンとして次の人生を歩んでいる。

毎日が新鮮で、キツいけれど、楽しい

おまけ 障害者職業能力開発校の紹介

もし、障害者職業能力開発校に興味があって、通ってみたいなら下記のリンクを参考に、自分の住んでいる地域から探してみてくれ。

残念ながら自分の住んでいる場所から近いところに学校があるとは限らないが、学校には寮もあるから、そういうのに抵抗が無い場合は寮に入るのもありだろう。

専門の相談員さんなんかもいるし、担任先生いるから、そういう職員さん達と相談しながら学校生活を送ってくれ。

障害者職業能力開発校一覧

北海道障害者職業能力開発校

宮城障害者職業能力開発校

東京障害者職業能力開発校

神奈川障害者職業能力開発校

石川障害者職業能力開発校

愛知障害者職業能力開発校

大阪障害者職業能力開発校

兵庫障害者職業能力開発校

広島障害者職業能力開発校

福岡障害者職業能力開発校

鹿児島障害者職業能力開発校

青森県障害者職業訓練

千葉県障害者高等技術専門校

静岡県立あしたか職業訓練

京都府京都障害者高等技術専門校

兵庫県立障害者高等技術専門学院

職歴の無い元炎上ブロガー大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働きだした

俺は昔、はてなブログブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。

1級身体障害者炎上ブロガーって言えば、古参はてなーなら知っている人もいるかもしれない。

フジテレビアナウンサーフリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。

もう過去記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログ運営していた。

そんな俺は今、大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている。

俺は元はてなブログ炎上ブロガー

知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。

だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークから流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。

Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入生活をすることが困難になった。

ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事執筆するライターなんかもやっていた。

ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人ブログ記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。

でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。

もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田記事を書いている。

ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。

20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。

ずっとパチスロやらブログ広告収入生計を立ててきた。

正社員には、生まれて一度もなったことが無い。

そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。

俺のスペック

まず、俺のスペックを書いていこうと思う。

・1級身体障害者(慢性腎不全人工透析

性別:男

・年齢:30代半ば

職歴:ほぼ無し

学歴留年中退付きの高卒

・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等

こんな風に、俺のスペックボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。

しかも、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

などなど、自分障害からのさまざまな合併症も抱えている。

でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。

どうやって大手企業障害者雇用枠でリモートワークの仕事に就いたか

一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?

こんなボロボロスペックでどうやって大手企業障害者雇用枠、しかリモートワークという狭き門での就職成功させることが出来たのか。

その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。

障害者の職業訓練校に通った

まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。

幸い、ブロガーライターをやっていた時の収入殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。

そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。

それが、

障害者専門の職業訓練校に通う」

という方法だ。

正式名称は「障害職業能力開発校」だ。

障害職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。

でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーライター個人事業主だったからな。

じゃあ、障害職業能力開発校に通っている間は無収入なのか。

答えは「NO」。

障害職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。

貰える金額障害等級によって違うが、1級身体障害者場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。

障害年金の受給金額を合わせても、月に20万円ほどの収入だ。

都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。

幸い、俺は九州田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。

そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。

ちなみに、俺が通っていた障害職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。

通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。

俺はそのプログラム設計科だったから、2年コースだ。

2年間は収入を貰える状態を確保していた。

そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。

でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題殆ど説くことが出来なかったんだ。

「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」

そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマーしかも1級身体障害者残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。

でも、そんな事務員としての就活ですら困難を極めた。

「月・水・金曜日人工透析があるから残業が出来ない。」

この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。

それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。

あとはやはり、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

を抱えているという部分だ。

でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。

から隠す訳にはいかない。

書類選考がある企業では、書類の時点で必ず落とされた。

そりゃそうだ。俺の履歴書は空白だらけだからな。

俺が企業採用担当だったら、まず採用しないような経歴だ。

でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。

職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。

でも、問題点が。

俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。

俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者病院をいくつも通っている人間は、遠い地域引っ越しをする場合病院を全て1から探し直さないといけない。

そして、病院変更の手続きを行わなければならない。

特に人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。

病院との相性もある。

週に3日、1日5時間延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレス精神がやられてしまう。

実際、俺が今通っている人工透析病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。

そういった事情もあって、最初就職前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。

その頃、今世界中流行している感染症流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。

俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。

俺の住んでいる地域感染者がその地域に比べれば少なかった。

それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。

恐らく、毎日病院会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。

それだとやはり、俺の精神崩壊してしまうだろう。

そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社就職しなかったというのもある。

こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い

俺は死にたくない。精神ももう二度と崩壊させたくない。

から俺は自分を守る為にその会社へは就職をしなかったんだ。

これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。

職業能力開発校を辞めた

だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症感染者数が増加していっていた。

でも、俺の通っていた学校建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。

それと、どうしても知的な部分に障害がある人達いるから、感染症対策ちゃんとしない生徒もいた。

学校は家からかなり遠い。

俺の障害はその感染症にかかると重症化しやすい。

しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。

家には高齢の親もいる。

から俺は、絶対感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。

そのうちの一つが、障害職業能力開発校だ。

俺はそうやって学校を辞めた。

ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、

「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」

みたいに言ってきた奴がいた。

お前はお前、俺は俺だぜ?

お前はリスク管理が出来ていない。

俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。

お前は勝手感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。

人の命だってかかっているんだ。

その部分を甘く見ているか、甘くみていないか、だ。

俺は自分感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。

から俺は、学校を辞めた。

収入無職からまた個人事業主になった

俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。

障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないか障害年金の殆どを家に入れていた。

から実質、無収入だ。

さて、これからどうやって生活をしていこう。

正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。

学校を辞めました。何か仕事を下さい。」

そんなことをTwitter上でツイートしたような気がする。

すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。

以前のようにライター仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。

ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害職業能力開発校に入るとき

「今までライターお疲れ様

といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、

カニの人」

として周知されている。

その人がまた、ライター仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。

その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人社長ではない。あくま個人事業主だ。

クライアント個人事業主だと、どうしても将来的な収入不安になる。

でも、俺は感染症リスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入不安だ……。

そんな葛藤をずっと抱いていた。

就職エージェント登録した

ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェント広告が目に入ってきた。

障害者専門の就職エージェント

そういった触れ込みで広告掲載している企業だった。

取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。

そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。

すると、エージェント就職担当から電話連絡があった。

俺は、

「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」

みたいなことを、エージェント就職担当者に話したような気がする。

すると、その登録した会社から別の会社へその話が行って、

障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェント

へ流れで登録することになった。

なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体から分かっていた。

今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。

でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社登録だけ済ませた。

すると、次の日からすぐに企業案内が来た。

俺は来る会社は全てOKを出して、全ての企業へ応募し始めた。

リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。

個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。

安定収入を得るためには、就職するしかない。

そう考えて、俺はだんだん就活へ前向きになっていった。

ちなみに、就職エージェント就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書添削してくれた。

そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。

俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。

ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害病気のことはしっかりと書くように言われた。

書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃん理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。

話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。

でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。

心が折れそうだった。

だけど俺は諦めなかった。

するとある日、1社だけ初めて書類選考を通過したんだ。

就職内定が決まった

その企業東京大手企業だった。

俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。

でも、ワガママを言ってはいられない。

大手企業であることには違いない。

俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接練習をしてそれを録画。

動画にして自分面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。

そうやって面接対策を行っていた。

面接対策、というより面接練習だ。

そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。

パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。

晴れて俺は、大手企業障害者枠でリモートワークで就職が決まった。

大手企業障害者枠で就職するコツ

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

後編へ続く。

後編:https://anond.hatelabo.jp/20210221124058

2017-06-10

障害者就労移行支援事業所に2年通って感じたこと

世の中には、就職をしたい障害者支援する制度がいくつもある。その中の一つが、就労移行支援事業所だ。

これは国から委託を受けた私企業によって運営されている、通所型の施設である

この施設を利用するには、地方自治体に利用申請をしなければならない。

が、この辺りの細かい制度説明はあまりしないでおこう。こうした手続き役所施設に聞けば済む話だ。

この就労移行支援事業所が何をしてくれるかというと、就職までの手伝いと、就職後の定着支援をしてくれる。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/shingikai01/pdf/5-2i.pdf の2ページ目に詳しい図がある。ちなみにこの資料就労移行支援事業所についての話は1〜2ページ目だけで、3ページ目と4ページ目はまた違う施設の話なので注意すること。

まぁ、こういう何をしてくれる施設かについての話も置いておこう。それも役所施設がしてくれるだろう。

今回は、役所施設に聞いてもわからんであろう部分を、実際にこの就労移行支援事業所に約2年通いようやく就職が決まった私が見てきたものを話したいと思う。

まず、この施設に向いている人と向いていない人の話からしよう。向いている人は、少なくとも1年近くは就職しなくても暮らしていけるあてがある人。向いていない人は、今すぐ就職できないと食い詰めてしまう人だ。

たぶん、多くの人がんなアホなというツッコミを入れたことだろう。だが、これは事実だ。

就労移行支援事業所支援してくれる就職までの道のりは、決められた出席日に休まず出席する体力を作るところから始まる。最初は週3日くらいから始めて、数ヶ月かけて週5日出席できるようになるところがスタートである。これには最短で3ヶ月くらいかかる。

なんでこんなに低レベルなところから始めるのかというと、結局これが現実からだ。特に病に倒れて療養していた人が、さあ元気になったか明日から週5日8時間フルタイムで働くぞ!と意気込んでも、絵に描いた餅よりも食えない絵空事しかならない。そんな便利なスイッチはない。

そして働く諸氏はご存知の通り、決められた日に出勤ができない人の居場所はどこにもない。

からまずは決められた日に出席ができるというところが一番重要視される。加えて出席実績というのは1ヶ月の短期で見てもあまり意味がない。少なくとも3ヶ月は様子を見なければ安定して出席できるかどうかの判断もできないのだ。

なので、数ヶ月のうちに転職を決めなければならない人には、就労移行支援事業所は全く向かない。

それでも1年はふかしすぎだろ、と思うかもしれないが、3ヶ月という最短スピードで出席が安定したとして、次は企業実習が待っている。これは2週間から1ヶ月くらいの期間をかけて普通に経営されている企業で実習をさせてもらうというものだ。この実習をすることで、実際に働くのにかなり近い感覚を会得する。場合によっては、そのまま雇用に結びつくこともある。

これは1社だけではなく、2〜3社ぐらい体験実習に行くのが普通だ。だから、この段階でも3ヶ月は使うことになる。

この段階の目的は、自分の体調にとって無理のない勤務条件を探っていくことだ。就労移行支援事業所に休まず出席できていたとしても、実際の企業でそれをそのまま維持できるとは限らない。加えて、自らの障害特性仕事内容のマッチングを見ることも大切なことだ。

そしてここまで最短でも6ヶ月。あとはひたすら履歴書を作り送り面接されたりお祈りされたりを繰り返すことになる。この段階にどのくらい時間がかかるかは運の要素も強いが、実はここで足踏みしてしまう人は案外いたりする。この段階に1年くらいいるのに就職が決まらず、2年(条件が許せば3年)の利用期限が来て去って行ってしまう人をちらほら見た。

なので、これらの段階に耐えられる最低条件というと、少なくとも1年近くは就職しなくても暮らしていけるあてがある人、になってしまうのだ。

私の通っていた事業所範囲就職した人できなかった人を見て来たが、まず就職やすいのはコミュニケーションに難のない身体。この人たちは1年経つか経たないくらいで就職して行く。次にコミュニケーション能力に難のない軽度の精神、発達。この人たちは1年半から2年くらいで就職。そのほかの人が就職して行った姿はあまり見ていない。

なので個人的感想として、企業障害者の上澄みを求めているのだなぁ、と思う。出席率が低くなりがちな障害だったり、コミュニケーション能力に難を抱えている障害だったりすると、途端に就職がきつくなる印象を持った。

総括として、就労移行支援事業所は利用するべきなのか?という問いがあるが、個人的には「利用できればしたほうがいい」と思う。

その理由としては、自分の「無理のない日数で決められた日に確実に出席できる能力」は就労前に把握できていたほうが絶対にいいと思うからだ。

こんな当たり前のことを、と思う方は多いだろうが、これができない障害者の方は案外多い。特に精神

企業側も、週3日だけど決められた日に確実に来れる人、は使い手があるが、週5日のうち不定期に2日休む人、はなかなか使いづらい。

病気等により図らずとも後者になってしま仕事を辞めざるを得なくなってしまった、という経験を持つ方は納得していただけるものと思う。

そしてここから重要だが、この就労移行支援事業所ピンキリである

実際に自分が通う就労移行支援事業所を決めるまでの間いくつもの事業所見学に行ったが、とりあえず人を集めているだけで利用者就職支援指導をあまりしていなさそうなところもちらほらあった。そういうところは、うちはゆるくて自由なところだと言っていたが。

就労移行支援事業所は大抵体験期間を用意してくれているので、それを利用してスタッフの質を見極めよう。支援期間の2年まるまる使って結局就職できない、というリスクはあるのだから

個人的には、スタッフビジネスライクかどうかで事業所を選んだが、正解だったと思っている。

だが、それは結局就職が決まったからの意見で、同じ事業所に通っていて結局就職できなかった人には別の意見があるだろうが。

しかし、この就労移行支援事業所障害者就職が全て解決するのかというと、そんなことはない。

そもそもこの施設長期間通うための生活基盤がない人はこの施設ではどうにもできない。それに、前述の通り支援期間は基本2年までと定められている。その間に就職ができないとなると、どうなるのか?残念ながら私はこの答えを知らない。

また、体調には自信があるんだという人はここで体力をはじめとした基盤作りから始めるよりは、障害者職業能力開発校の方がより実践的な職業訓練が受けられるだろう。

障害者就職支援する制度は様々にある。この記事が、就労移行支援事業所の利用を考えている人の一助になれば幸いである。

 
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