はてなキーワード: 統一性とは
これだけの影響が出れば、ただでさえ死に体のライブハウスに致命傷を与えることでしょう。
ちなみに、ここでのライブハウスとはZeppなどの大きな箱ではなく、キャパ300未満の小さな箱のことを指します。
さて、ライブハウスの一番の収入源はもちろんライブです。そしてその次にドリンクの収入があります。
皆さんもやたら高いオレンジジュースを飲みながら、ギリ知人と言えるか言えないかくらいのバンドマンのライブを見たことがあるとおもいます。
多分水曜日の19時開演で、同じ日に4バンド前後、聞いたこともない下手なバンドが演奏していたことでしょう。
あの臭くて汚いライブハウスが、有名な人も出演しないのに、なぜずっと営業できるかの答えがここにあります。
ライブハウスでブッキングをする人は「ブッカー」と呼ばれています。
ライブハウスの店長や、3ヶ月前に入った大学生や、もうすぐ勤続2年になるバンドマン崩れのフリーターが主な割合です。
ブッキングとは、その名の通り予約のこと。
大学2年生でメジャーレーベルとの契約を夢見るバンドや、31歳で定職につかず週3でライブをやっているバンドなど…
ライブハウスが空いている日にイベントを組み、タイムテーブルにそれらを押し込んでいくことが仕事です。
フェスのように統一性があるわけでもなく、弾き語りシンガー(17)の次にハードロックバンド(30代)が出演するなんで惨状も茶飯事です。
さて、そんなライブイベントにあなたはいきたいとおもいますか?
思いませんね。
しかしながら弾き語りシンガー(17)の物販にあるチェキを毎回購入するおじさん、ハードロックバンド(30代)の追っかけをやっているアラサー女性など、お客さんはいるんです。
それでもライブハウス側の利益が出ないので、アーティストからお客さんを呼べなかった罰として、チケットノルマを回収します。
30分出演するだけで1バンドあたり2万から3万円。バカらしいですよね。平日夜、30分のために2500円プラスドリンク代なんて払う人いませんよね。めちゃくちゃ服タバコ臭くなるし。
ブッカーやライブハウスの偉い人は、音楽業界とつながっている風を装い、ライブへの出演を促します。
出演者は、いつかでデビューにつながるコネを与えてくれるのでは、とノルマを払い続けます。
これが8割方の理由です。
ここまではライブハウス関係者であれば誰でも書けるような内容でしょう。
ここからは元バンドマン、1リスナーとして残りの2割、オワコン化した本質的な部分について考察していきたいと思います。
ライブハウスのノルマは、実際お客さんを呼べばそんなに悪いものではありません。
2500円のチケットを10枚売るというノルマで、実際に20人30人集客し、利益を出すバンドもいます。
それがライブハウスにとっての正義です。ではどうすればお客さんが集まるか?
正攻法としては、対バンのお客さんを自分のバンドのファンにさせるという方法。
ファンにさせるには…?集客の多いバンドの曲をパクるのが一番です。
パクリ対象のバンドの曲が、自分たちの技術では成立しない場合があります。
これさえ守れば、正直5回目からの出演でノルマクリアできるでしょう。
あくまで感情系ギターロックは昨今の流行の一つではありますが、色々なジャンルで同じことが繰り返されてきました。
リスナー側の視点に立てば、2回も見れば十分です。大抵そういうバンドはセットリストが5年くらい同じなので。
というか誰も幸せにならないんですよね。
でも大抵ノルマの負担で音楽辞めちゃうんですよね。ライブしたらレコーディング代払えなくなるし、レコーディングしたらレコ発でめっちゃ金飛ぶし。
バンド=ライブハウス=ノルマみたいな方程式が出来上がっちゃってるので。そこだめだよね。
音楽業界もさ、カスみたいな出来レースオーディション辞めたら?
本来マイノリティ的な音楽を選ぶはずが、かたっぱしからもう売れかかってるバンドをブーストしようと大人の力使っとるやん。そんなのAandRって言います?
ライブなんてYoutubeで見れるのにフロアがヤニ臭くてハイが刺さりまくってゴミ音響のライブハウスなんて行かないでしょ。
ブッカーとかですごいいい人もたくさん知ってるけど、頑張る方向性間違ってるよね。いい人ほどすぐ蒸発するし。
そういう人は音楽なんて仕事にしようとしないで、趣味程度でやって欲しい。それ以上にクズな人間もいるし。
てか売れたいバンドマンも深夜にTwitterで客がスマホ見てたとかくだらんこと呟いてんじゃねえよ…。年1でアルバム出してくれ
なんの話?
1. はてな https://www.hatena.ne.jp/favicon.ico
2. はてブ https://b.hatena.ne.jp/favicon.ico
3. アンテナ https://a.hatena.ne.jp/favicon.ico
4. 増田 https://anond.hatelabo.jp/images/favicon.ico
5. はてラボ https://hatelabo.jp/images/favicon.ico
6. コーポレートロゴ https://www.hatena.ne.jp/images/portal/logo-portal-top2.png
7. 旧・コーポレートロゴ https://image.itmedia.co.jp/news/articles/0509/28/yu_hatena_01.jpg
「3」のはてなアンテナが古いタイプのfaviconで(フォトライフも同じタイプ)
この頃はどのサービスも「真四角のザブトンにサービスの頭文字が入っている」デザインに統一されていた。
そのロゴマークを斜めに傾けて四角のなかに収めたような「1」のfaviconが出てきた。
ロゴマークが現在の「6」に変わっても、それが引き続き使われている。
「2」のはてブはブクマボタンをモチーフにしたfaviconで完全に独自デザイン。
増田のfaviconは昨日まで「6」のロゴマークをそのまま使った「5」のfaviconだったけど
それが増田のTwitterカードとかに使われてるデザインを縮小したような「4」のfaviconに変わった。
どうしてこんなに統一性がないのか、と思うんですよ。
同じデザインのなかで細かいバリエーションが多いというならわかりますけど、
これは古いデザインと新しいデザインと独自のデザインが混在しているだけですよね。
どこかで古いデザインのままのページが取り残されていくんですよ。
公取委が個人情報保護委員会とは別にオンラインサービス規制を提案して、「サービスの対価として自らに関連するデータを提供する消費者」とか言い出してるけど、EUでも似たようなことが起きてたらしい。
欧州委員会がオンラインサービス規制のための新しい指令を起草して、そこで「消費者がサービスの対価を個人データで支払う……」とか書いてしまった。これに対し、欧州データ保護監督機関が「何すんじゃワレェ!」したのが以下の見解である。
https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/17-03-14_opinion_digital_content_en.pdf
EDPSはデータ駆動経済について、EUの成長のために重要であること、デジタル単一市場戦略として唱道されるデジタル環境において抜きんでていることを認めております。消費者法とデータ保護法とが共同し相補しあう関係にあることは私たちが一貫して論じてきたところであります。ですから、「デジタル商品」の提供を受ける条件としてデータを差し出すことを要求される消費者の保護を強化するために、デジタルコンテンツの供給にかかる契約に関する特有の側面にかかる2015年12月の委員会指令プロポーザルの意図しているところを、私たちは支持しております。
しかしながら、この指令のある側面は問題をはらむものです。というのも、これが適用可能なのは、デジタルコンテンツのために価額が支払われる場合だけではなく、デジタルコンテンツが金銭以外の個人データその他何らかのデータの形での反対給付と引き換えに供給される場合にも適用可能だからです。EDPSは、人々が金銭を支払うのと同じように自分達のデータを支払えるという考え方を導入するような規定を新たに定めることのないよう警告いたします。個人データの保護を受ける権利のような基本権は、単なる消費者利益に縮められるものではありませんし、単なるお値打ち品のように個人データを捉えることはできません。
最近採択されたデータ保護フレームワーク(以下「GDPR」といいます)は、未だ完全には適用可能でなく、新しい e-Privacy 制度は今も審議中でございます。ですから、EUとしては、立法者が協議されている入念なバランスをひっくり返すようなプロポーザルは、何であれ避けるべきものです。イニシアティブの重複は、デジタル単一市場の統一性を意図せずとも損ない、規制の断片化と法的不確実性をもたらすことになりかねません。デジタル経済における個人データの使用を規制する措置として、EUがGDPRを適用することをEDPSは推奨いたします。
「反対給付としてのデータ」という概念……このプロポーザルでは未定義のままです……は、所与のトランザクションにおけるデータの正しい機能について混乱を引き起こす恐れがございます。この点で供給者から明瞭な情報がないため、さらに難しいことになるでしょう。それゆえ私たちは、この問題を解決する一助として、EU競争法におけるサービスの定義を一考することをお勧めしますが、その地域範囲を定義するうえでGDPRの用いている規定が役立つかもしれません。
本見解では、このプロポーザルがGDPRとどのように影響し合うことになりうるかを検証いたします。
第一に、データ保護制度に基づく「個人データ」の定義が広範であるため、その効果により、この提案指令の対象となるデータが全て GDPRに基づく「個人データ」とみなされることは十分にありえます。
第二に、(個人データの)取扱いが発生する厳密な条件はGDPRで指定済みであり、この提案指令に基づく修正や追加を必要としておりません。このプロポーザルは反対給付としてデータを用いることを正当とみなしているようですが、GDPRでは、例えば、(本人の)同意の有効性を検査し、デジタル取引の文脈において(同意が)自由意思に基づくとみなしうるか決定するための、新たな条件を一式用意してございます。
最後に、消費者に与えるものとして提案されている契約終了時に供給者からデータを取得する権利と供給者がデータ使用を控える義務は、GDPRに基づくアクセス及びポータビリティ権やデータコントローラのデータ使用を控える義務とオーバーラップしている可能性があります。このことで、適用する制度について意図しない混乱をもたらすことになりえます。
https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/18-10-05_opinion_consumer_law_en.pdf
本見解は、EU消費者保護規則のより良い執行と近代化に関する指令のプロポーザルと、消費者の集団的利益の保護のための代表訴訟に関する指令のプロポーザルからなる「消費者のための新しい取引」と題する立法パッケージに関するEDPSの立ち位置を概説しています。
EDPSは、目標において最近近代化されたデータ保護フレームワークと密接した領域で、既存の規則を近代化しようという同委員会の意図を歓迎します。EDPSは、個人データの大規模な収集と収益化、およびターゲットコンテンツを介した人々の注意の操作に依存するデジタルサービスの主要なビジネスモデルが提す課題に対応するために、現在の消費者法におけるギャップを埋める必要性を認識しています。 これは、消費者法を改善して、個人とデジタル市場の強力な企業との間で拡大している不均衡と不公平を是正する、またとない機会です。
特にEDPSは、指令2011/83 / EUの範囲を拡大して、金銭的な価格にて提供されないサービスを受ける消費者が、同指令が提供する保護フレームワークの恩恵を受けることができるようにする意図を支持いたしますが、それはこのようなサービスが今日の経済的な現実とニーズを反映しているからです。
このプロポーザルでは、EDPS Opinion 4/2017の推奨事項を考慮して、「反対給付」という用語の使用や、消費者によるデジタルコンテンツのサプライヤーへのデータ提供が「積極的」か「受動的」か区別することを控えています。ただしEDPSは、プロポーザルで想定されている新しい定義により、消費者がお金で支払うのではなく、個人データで「支払う」ことができるデジタルコンテンツまたはデジタルサービスの提供に関する契約の概念が導入されることに懸念を示しています。この新しいアプローチは、「反対給付」という用語を使用したり、個人データの提供と価格の支払いを類推したりすることで生ずる問題を解決していません。特に、このアプローチは、個人データを単なる経済的資産とみなしているために、データ保護の基本権としての性格を十分に考慮していないものとなっています。
GDPRでは既に、デジタル環境にて個人データの処理が行われ得る状況に関するバランスを既に定めています。 このプロポーザルで、GDPRで定める個人データを完全に保護するとのEUのコミットメントと矛盾するやり方で解釈される可能性のあるアプローチを促すようなことは避けるべきです。データ保護法の原則を損なう危険を冒すことなく幅広い消費者保護を提供するために、電子商取引指令における「サービス」の広範な定義や、GDPRの地域範囲を定義する規定、もしくデジタルコンテンツ・プロポーザルに関する理事会一般アプローチの第3条(1)などに基づくアプローチで代替することが考えられます。
したがいまして、EDPSは、「有形媒体では提供されないデジタルコンテンツの供給に関する契約」や「デジタルサービス契約」の定義にて個人データを参照することを何であれ控えていただくことを推奨し、その代わりとして、次のような契約の考え方に依拠することを提案します。 それは、「消費者への支払いが必要かどうかに関係なく」特定のデジタルコンテンツまたはデジタルサービスを売り手が消費者に提供または提供することを約束するというものです。
きちんと追えていないが、「EU消費者保護規則のより良い執行と近代化に関する指令」は、昨月末に採択されたようで、前文に「digital services provided in exchange for personal data」という表現が残ったものの、個人データについては「GDPRに従う」とのことで落ち着いた様である。
いや、代表なんてしてなくて一サンプルとして個人の意見を述べたまでですよ。あと最初のレスは半分冗談みたいなものであり、当たり前ですがぼくも何も考えず片っ端から性器を擦っているわけではないです。
ちょっと読解に自信がないですが、宇崎さんの巨乳は今回の企画に関わった方々のセクシュアリティの表現なんですかね…?
なかなか一般の人々からそう見なされることは難しい気もしますが、100歩譲ってそうだとして、なんで献血のポスターでセクシュアリティを開陳した?という疑問は残るのではないでしょうか。
微妙な問題ですが、今回の件で言えば、苦情を述べている女性側からすれば「献血の女性がレースクイーンみたいな格好してる」的な事態に近いんではないでしょうか。例えばそのレースクイーンは好きでそういう格好していたとしても、そういう制服を公式に採用しプロモーションの一環にするというプロセスにはやはり別の意味が発生すると思います。
今回の件でも、作品そのものに罪はなかったとしても、それを一般性のある場に採用しプロモーションの一環とすることは「これを一般的に受け入れよ」というメッセージを伴うと解釈されてもおかしくないのではないでしょうか。
これが秋葉原など特定のオタク向けターゲッティング広告であれば文句はないですがそうではないようなので、オタク的嗜好やリテラシーを共有しない方々から違和感の声が上がっても不思議はないと思いますよ。
もし「オタクのやっていることは全部好きでやってることだしセクシュアリティの一部だから詮索するのすら失礼ですべて容認すべき」というご意見でしたら、ぼくは意見が違うとしかいいようがないです。
あと、そもそも「オタクという集団の統一性や特殊性などもはや瓦解し誰もがうっすらオタクなのである」というお話でしたら、まだ世界はそこまで行っていないというか、行くこともないと思います。現実にはちょっとかわいい系のSFの表紙ぐらいでも手に取りづらいという人々がまだ大勢いるぐらいですので。
ぼくは”古のかっこつけたオタク”ですので、これはあくまで特定の人々の趣味的な表現体系だし、全人類に認めてもらう必要などないと思ってます。なのでこうしたタイアップなどでいちいち炎上させてじわじわ圏域を広げたりしなくていい、ぶっちゃけ静かにやりたいと思ってます。同意していただく必要はないです。
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。
ステマっていうかさ。
これが何の資格かっていうと、脱臼をはめたりとか骨折を骨接ぎしたりとか。
それぞれの整骨院の人が独自に勉強または創始した謎の民間医療なのね。
あなたが近所の整骨院で受けたサービスで体調改善したならそれは良かったけれども、
それ読んだ別の人が行く整骨院はその人の近所の別の整骨院だから、
ていうか厳密に言えばあなたが受けたサービスすら良いものだったのかわからない。
科学的に何も検証されてない民間医療だから。資格とかもなんにもない。
たまたまあなたの身体に合っただけで、他の人には効果なかったり悪影響だったりする危険性すらある。
あなたの体すら、プラシーボで治っちゃったという可能性すらある。(意地悪に言えばね)
通ってる人ですらよくわかってないことが多いので書いた。
客は損しないから深く考えないんだけどね。
まあだから、
あなたが通ったその整骨院を友達や家族に薦めるのはアリだと思うけど
「整骨院っていいよ」という薦めかたは成り立たないわけ。
読みづらかったから流し読みだけど、基本あってると思う
私自身は要らないデータは物理削除したい派なんだけど、仕事の案件をやってみると物理削除なんてめったにない
念の為残しておきたいという要望がほぼデフォだから消す=論理削除だ
ユーザは完全に消したいんだろうから消したほうがいいのでは、と思うこともあるが仕様を決めるのは実装するエンジニアではない
一応伝えては見ても検討した結果、残してください
と言われるだけだ
それにコストの面もある
元記事でも触れていたと思うが完全に削除となると関連付けられてる部分の扱いが難しい
仕様としてどうするかを検討しないといけないし、実装も楽ではないことが多い
楽というのがエンジニアの都合と考える人がいるが、難しい・面倒というのは時間がかかること、つまりお金がかかるわけだ
発注してくるクライアントはできる限り費用を抑えたいんだから、画面から消えてればそれでいい
どちらかといえばトラブル時のためにデータは残したいという方針なのに、お金をかけてまで完全に削除してと言ってくるところなんてめったにない
クライアントによっては定期的に、要らないデータを完全削除するメンテを依頼してきて行うこともあるらしいが、ストレージの余裕がなくなりでもしない限り、システム稼働から全データが残ってるなんてのも普通にある
中には、サーバ内のあちこちにときどき行ってるバックアップファイルがあり、名前や場所に統一性がなくどれがいつどういう目的で取られたのかもわからない
ちゃんと引き継ぎが行われず担当が変わっていくシステムでは特に多いと思う
本当に消したいなら、ダミーデータに置き換えて保存するのがたぶん一番良い
昔のバックアップファイルが残ってたり、中には変更時の前後のデータをログとして全部残すシステムもありはする
ただ、一般に公開するようなものだとアクセス数が多く全部のデータを保存しきれないので古いバックアップファイルやログデータは残さないことが多いと思う
まあ外見はよくても中が酷いというのがIT系の実情だと思う
知ってしまうとあまり使いたくないと思う知らなければ良いことでもあると思う
本当に信頼できるところしか使わないか、そういうもんだと割り切ってしまうか
お付き合いをしている人がいる。
私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物、創造物の類が好きだ。
ゲーム、アニメ、映画、演劇、絵画、模型、音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさらに本が好きだと思う。
飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌に写真集、攻略本に設定集、映画や舞台のパンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。
最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。
さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画やアニメのオタクではない。ハリウッド版攻殻機動隊を視聴するにあたって概要を説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。
興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。
「ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」
ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。
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『3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本の漫画作品。将棋を題材としており、棋士の先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)
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知っている。
漫画は単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。
好きな物語だ。
正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである。
とはいえ相手は小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラットに対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。
漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代も紙袋に詰めた。
3ヶ月ほど経った頃だったか、デートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋でメニューを見ていたときだった。
もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。
彼は笑ってそう言った。
びっくりした。ショックだった。
面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画も漫画も見てみたいという。
けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。
そこで初めて思い知った。
世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。
私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクションの物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。
こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。
そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。
本を読んでいるとき、現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ。
みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
私は何にショックを受けたのだろう
彼に自分が好きな世界を否定されたように感じたからか。自分の好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。
おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。
いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。
きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。
立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。
考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。
けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。
これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。
これを理由に離れてしまうペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。
自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。
ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。
ガンダムと攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。
以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。
一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。
理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。
追記