はてなキーワード: 生産者とは
例年、鏡開きが済み、お飾りから降ろした干し柿は普通に食べてた。
乾燥しカチカチに硬くなったものは酢の物に入れて柔らかくして食べてた。
昨年末、正月飾り用に購入した干し柿、帰宅してから包装の裏側を良く見ると、
「お飾り用 食べられません」
との旨の表記が。
干し柿を長年買ってきたがこんなの初めて見た。
新型コロナウイルス(COVID-19)感染対策の絡み?が、そういった表記はなく。
ググってみると食べられない干し柿、随分前から存在するらしい。少なくとも15年前から。
Q&Aサイトやら個人のブログやらは引っかかるが、生産者のサイトで公式にその理由を記したものが見付からない。
「発色良くする為に過剰に硫黄を用いている」
とあったが、購入したお飾り用干し柿、そんなに鮮やかなオレンジ色でもない。
そもそも干し柿とはそのままでは食べられない渋柿を食べられるようにし、また長期保存を可能にする手段。
木に成った柿の実を収穫し串に刺し乾燥する行程と手間、非食用とすることで削れる部位が想像付かない。
お飾りから降ろした後、どうしよう?
「食べられません」
と明記され、その理由が不明なものをさすがに口にする気にはなれない。
そのまま燃えるゴミの日に出すのも食べ物を粗末にしてるように見えて後ろめたい。
食べられないよう処理され何が添加されてるか分からないので、庭に埋めて肥やしにするのも気が引ける。
紙などに包んで見えないようにして燃えるゴミの日にコッソリ出すしかないのか。
むしろ食べないことが前提であれば、鏡餅セットに同梱されたプラスチック製のフェイク橙、
多分1回は見たことであろう画像。下手に画像リンクとか張るのはやめておく
自民党支持者はブサイク不潔陰キャ根暗のネトウヨで、民主党支持者はイケメン清潔陽キャ明朗快活のリベラルっていうやつ。
学生のころにあの画像を見たせいか、右翼はタカ(黒い街宣車乗って一方的な演説をぶちかましてる感じ)で左翼はハト(会議とか集会で議論している感じ)なんだとずっと思ってた。
でもそうじゃなかった。
K-POPや韓国映画が賞を取っていることや韓国映画のポスターが日本向けになるとださくなることや邦題がださくなることを引き合いに、「韓国人は生産者も消費者も日本人より優れている」って言ってる人がいた。返信には「日本ってダサくなっちゃったんだねぇ。ま、宇崎ちゃんポスター掲載しちゃうようならしかたねぇわ」みたいなことを言ってる人もいた。その人達は明らかに左翼だった。
昔リベラルだったけどやめた、というアメリカ人の声明動画の翻訳ツイートも見た(残念ながら元動画は翻訳機能がなく、そこまで訳せる英語力もないので見れていない)。
そのなかに、独裁的だとかそういうことが書いてあり、まさに街宣車で演説しているような右翼っぽさがあった。
やっと気づいた。というか、正確に理解できた。
芸能人がむっちゃ使ってる「○○させていただいて。」
あれ、なに?
「ドラマに出させていただいて」
「賞を受賞させていただいて」
まあまあ。
「みなさんのおかげで!」って事でへりくだってるのかな。
「昨年、結婚させていただいきまして」
は?結婚ってさせていただくもんなの?は?
「ハラミを味付けして焼かせていただいて。」
そういう日本語は、やめさせていただいたほうがいいと思わせていただいた。
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
腹が減らないのではない。何ならいつも減っている。
偏食なのではない。嫌いな食べ物はない。
小食なのでもない。並の女性より少し多く食べられる方だと思う。量が多くなりがちな旅館の夕食や法事の食事なども残したことがない。
ただただ、「食べたい」という気持ちがとても薄い。
空腹と、何か食べたいという気持ちが連動していない。周りを見ているとおそらく、多くの人が空腹を感じれば自動的に食欲のスイッチが入り、食事をするということになるのだと思う。
自分にとって空腹は空腹であって、それ以上でも以下でもない。ただ、お腹が減ったな、と思う。よっこらせと腰を上げなければ、フルオートで何か食べたいという境地には至れない。
結果的に、軽率に食事を抜いてしまうことになる。もしくは、「これじゃ足りない」という気持ちもないために、少しの量で食事をしたとカウントしてしまう。ルマンドを一つ食べるとか。
「おいしい」は理解できるが、それを追い求める気力がない。加えて「おいしくない」判定のハードルが非常に高いため、たいていのものはおいしい。強い好物もない。最近、私はゆで卵が好きなんじゃないかなという気がしてきた。でも明日からゆで卵を禁じられても、そんなに悲しまないと思う。そのぐらい。
今は一人暮らしなので、生存のために「昼食だけは金をつかってできる限り食う」ことを自分に課している。職が外回りなので、訪問先をうろうろして何か食べることは仕事のうちなのだ。結果的に1日1食のような生活をしている。
料理は苦手ではない(とはいえ食べられれば良いため同じメニューを作り続けがち)。確かに面倒くさくはあるが、食欲のある人間なら買って食べればよい。外で食べても良い。お金に困る経済状況ではない。
義務感と強迫感によって何とか食事を作り、食べる。義務感と強迫感からなので、それらを横に置いておきたくなれば簡単に食べないことを選ぶ。とても調子が良くてやる気に満ち、他にしたいことがあるときは食べない。とても調子が悪く、何もしたくなさが勝れば食べない。
最近に始まったことではない。子どもの頃も食欲の薄い子どもだった。ただ、当時は食事を作ってもらい、それを食べる以外の選択肢がないので顕在化しにくかっただけだ。「お誕生日には何が食べたい?」「今日は外で食べようと思うんだけど、何がいい?」こういう質問が本当に苦手で、いつも曖昧にお茶を濁していた。何も思いつかないのだ。兄弟が自分の誕生日の時に毎回即答するので驚いていた。
困ることはいくつかある。
・健康に悪い。
良いわけないよなとは思っている。当たり前のように、低体重、低血圧、低体温の3拍子揃っている。以前体重を増やしたいと思い、ジムに通ってみたのだが(有酸素運動はするなと言い渡された)確かに筋肉がついて姿勢が良くなった気がするものの、脂肪の減りに追いつけず体重は落ちた。
吐いたりしていないし普通に食べているので拒食症ではないと思う。せめてと思って野菜ジュースをすすってみたりしている。
・ストレス解消、ごほうびを作りにくい
食欲というのは他の様々な欲求に比べるとカジュアルに満たすことができる欲だ。そのため、世の中の人はよく好物などで自分のやる気などをコントロールしているように見える。その手法が使えない。
学生の頃は、終わらせておやつを食べることをモチベーションにして勉強をはかどらせる方法が情報誌によく出ていた。自分も実践しようと試みるのだが、終わらせたところでチョコレートを食べる気は起きず、ただただ机の隅にチョコレートを積み上げていた。
怒りや憤りも薄い人間なのでストレスはそんなにないのだが、重い案件が終わったときや、夜遅くまで仕事をしたときなど、コンビニで何か買うことで自分なりに区切りをつけようと思う日もある。しかし入ったところで何も欲しいものは見つからないので、ゾンビのように店内をぐるぐる回ることになる。何かを買って出なければという強迫感で店内で泣き始めたこともある。傍から見たら狂人以外の何物でもない。最近ではそういうバッドトリップが入ったときは缶詰を買うことにしている。今日食べなくても良いので。
酒はさほど飲めないし、飲まない。飲みたい気持ち(飲欲?)もない。
つまり義務感が発生するまで食べられないので、多くの食べ物を賞味期限が過ぎてから食べることになる。これは本当に申し訳ないことだ。作った人はおいしいうちに、それも食欲のある人間に食べてもらいたいと思っているに違いない。とても心苦しい。
これはもらいものにも発生している。友人や恋人が贈ってくれたお菓子や、職場の人がくれた野菜。罪悪感がすごい。
都合の良いことに私は嫌いな物がなく(忍耐力のレベルが高いとも言う)、ついでに非常に強い胃腸をしているので、たいていのギリギリの食品は食べることができる。後悔しながら食べている。
何かを食べるというのは人間、というより生物最大の共通点だ。その「あるある」にノれないというのは本当につらい。
夜中に何かを食べちゃうというようなあるあるや、甘い物は別腹だったりするあるある。評判の良い店に行ってみたいあるあるや、TLに流れてくる料理の写真に「飯テロ」とか言ったりするあるある。世の中は食欲のある人間を誘うように作られているのだ。そのたびに、お呼びでないんだな、という気持ちになる。
何が食べたい?と聞かれるのが怖い。せめてメニューを用意してくれたら、看板メニューか安いメニューか野菜の多いメニューを選べる。いつも「お昼にスパゲッティ食べたから、それ以外で」などとほざいて、議論に加わっているような顔をしている。何も提案できない人間じゃない、貴方を軽んじている人間じゃないよと伝えたい。上手くいっている気がしない。
幼少期に美味しんぼを読んで育ったので、知識だけは無駄にある。本当に無駄だ。あの世界は食欲だけで回っているけれど、完全にフィクションなので嫌いじゃない。本当に山岡さんみたいな人が現れて、何かこう、ちゃちゃっと作ってくれて、私を食べたいものがある人間にしてくれないだろうか。
うわーーーーーーーー何かもう本当は全部嘘なんじゃないかな。みんな私みたいに食べたいものがあるふりをしているだけで、そうやって生きているんじゃないかな。皆本当は望んでないのに、朝昼晩3食食べるってルールを頑張って守っているんだ。きっと私が怠惰なだけ。夜にTLに料理の写真が流れてきたら、誰が一番早く「飯テロだ!」って言えるかってゲームをしているんだ。そうなんでしょう???誰かそうだと言ってほしい。そうだと思わないとこれから何十年も死ぬまで続く「あるある」と付き合っていられる自信がない。どうしたらいいんでしょうね、これ。
中抜きとは
もともとの「中抜き」
取引の中間に入って、取引自体と直接関係のない事で金銭をうけとる方法
取引に中間業者が入ることを「取引とは直接関係ないのに料金とって生意気」でバッシングしようというのが今の流れ
法人(登記上人間:単位的に個人)-取締役・役員(資金と計画)-社長以下社員(実務)
この形の違いだけでまず役員など資金の部分と労働してる人との間で契約がある
約束を超長期的に結ぶことで正社員とかしたりしてるわけだけど毎月のお給料を支払う必要がある
今月の売り上げの料金でいつのタイミングに仕入れで現金をつかうかお給料を振り込むかで会社の資産量がかわる
マイナスになるわけにはいかないので支払いタイミングをずらすので締め日とか支払い日とかでてくる
仕入れでお金がなくなってしまうタイミングでお給料日がきて支払えないとなるわけにはいかないのでできるだけ安全マージンをとった日付の余裕と計画をすることになる
そうすることで都合のいい日とよくない日ができてくる 生産側と中間業者の間で都合のよいサイクルで取引をするように契約することになる
個人なら全力で貯金を使い切ってしばらく我慢しても自業自得なので我慢しつつ現金化していくということもできるし消費者ローンで即日お金も借りれる
法人を代理店とかみたいな中間業者として個人を転売ヤーとして話をすると
法人にしてそんな大きな量と額で取引する必要があるのかっていうと そのメリットは
・社員一人一人が「品物を見極める選別眼」「利益計算のプロ」「仕入れの交渉上手」「新しい方向性への調査が得意」のすべてを備えていなくても一部が担えればその流通に関与できる
・よりたくさん仕入れることや長期的に約束をすることで原価を安くすることができる より安く消費者に提供することで同業の市場で差をつけることができる
上記2点で売り上げを伸ばして個人の能力依存にならない人財形成で労働から得られる収入をみんなでわけることができる
好きな業界で自分にできる範囲で生活資金を得られるので職業の選択の幅が広がる
できないことをさせられて怒られる会社の社員っていうのも嫌なものだけど上記のとおり足りない能力を伸ばさなくてもいいのが会社なので怒られる仕事を頼もうっていう時点で会社がおかしいことに気が付いていないところが多いので残念なことは多い
個人でするなら品物の仕入れから売り上げまでに必要な能力や知識は個人次第
馬鹿みたいに売れるのが確実なものは貯金のある限り買って売ったらいい
もしそれが複数人同じ考えで行われて売り切れがでたら値段を吊り上げたらいい
目論見がはずれたら自己責任 だけど失敗しても怒られない
ならば特価していなくても有能でなくてもできる業務に分解して構成しよう
あわせて一つの目的を主たる業務としてそれ以外には私たち集団は威力を発揮しないということを役所に届けて登記して法人になろう
その土地や地域から経済活動ができるものを一人の法人として地域のみんなで運営できるので分配もできる
土地を利用してとのことなので運営と無関係な住民や地域についても還元していこうというCSRなどもある
だれも助けてくれはしないが だれも助けなくていい
個人が個人のことをまかなって一人で生きていくのは勝手だけど地域ってその人の生活圏も含めて地域なので税金は投入されてるしサービスも提供してるし税金も使われてる
一人で生きていくために社会と断絶できるほどに還元しているわけでもない人が個人でそこにいる事自体にもコストはかかり続けている
ので個人だけで個人のことを完結させてる人は地域としてはあまり放置して無視というわけにもいかない
やってる事個人とかわらないし全員個人で税金おさめたら法人も個人も中間取引してるのかわらないんじゃね?って思う人は
一日何件問合せの電話がきたら個人と法人では動作がしなくなるのか考えてみてほしい
動作を止めると商売が止まるとかお金が入らなくなるとか以前に 利用してる客が迷惑することを
激安スーパーとかでもそうだけど 仕入れ業者が会社の運営のながれとは逆に売る側として資金の調整タイミングをはやめたい 現金で取引してほしいというところはある
条件を必要とする程度に資金がほしいか品質に問題があるかなどあって安く仕入れることができたりする
これをみんな定価でうるならば仕入れ業者選びと価格交渉が商売の要となる けれどもこれは独自ルートを使って各社商売をしてる 価格にみあう条件に合わせて法人をおいてる
山の上なら移送する手段とか 学校前なら割引率が多く商品が限定的とか ベッドタウンが近ければコアタイム以外販売をしてないとか
タイミングと場所で消費するタイミングも量もちがうので最適にあわせた時点での原価がきまるし 定価を変えた商品が売れることにもなる
個人の場合入荷が販売の商品を購入してからなので最低価格は定価であるため実質定価の確定になる
販売方法がネットによる「全国にいるどこかの必要なだれか」がいつか買ってくれるかもしれないという「商品の価値に100%依存」することにもなる
売れ筋消費を扱う業界で働きたいとか それがある土地に住みたい 住んでるところで不足した能力を補わずに社会生活したいとなると生産者から買い取って消費者に売るという中間業者に就職することになる
生産者が消費者に直接売るとなると生産者側が生産以外に販売や顧客管理や経理といったところから取引の仕方ややり取りについて担当する仕事を処理できる部署が必要になる
生産のコストとリスクと取引の作業をする事業のコストとリスクをひとつにしたところでまったく別のコストとリスクが2倍になるだけなので一緒にしないようがお得なのはあたりまえ
いろんなベストが点在していて 苦労を少なくつなぎ合わせて生産を消費していくサイクルをつくるのが中間取引のあるしくみ
消費者が消費するためだけに先に自分で消費してその機会価値をほかの中間コストを乗せたそのまま請求して取引するのが個人
これだけではないけど とりあえずこれだけでも転売ヤー個人のやってることと法人のやってることは違うんじゃない?
結婚相談所とか派遣とかなんの苦労もなしに人紹介するだけで金とってる中間業者って抜いてるだけじゃんってところだろうけど
あれはリストを売ってる商売だからその人の情報をもって連絡とか対応をして仕事先に仕事だけさせにいく業務負荷の低減をしてる分で手数料をとってるんだ
たとえば派遣経由で現場に入ったとして 次の日から派遣通さずに自分と勤め先で直接契約してもいいと思うよ
だけどもいやな事があったとき次の派遣先を自分で探さないといけないとか 必要なときに電話を直接取ることになるので会社の現場以外からも会社の対応として電話にでたり対応したりしないといけない
継続的に人数まとめて作業をするので 一人で個人事業主として会社と仕事でつながる作業を派遣の人にまるなげして まるなげされた派遣のほうは1件あたりの対応量は少なくてもそれだけならまとめてできるって役割分担
一人で受付応接作業会計納品請求ができるならフリーランスでやるのがいちばんだよ それができないからできる人ができる作業をもちよって団体になってる
料金の設定とか手数料とりすぎってところはあるけど それは競争がないところを付けいられてる現状があるので 高い手数料をふんだくってるやつの競合をつくればそこも下がっていくよたぶん
生産者にとっては確実に80買ってくれるならその方が、という場合もあるが
芸能人のコンサートのように人気商売だったりゲーム機のように関連商品を売りたかったりすると転売屋のところで滞ると困るからな
ちゃんとした文章とか書くの下手くそなので、喫煙を例にとって考えてみる。
禁煙なのにタバコを吸ってる人がいる……とざわざわしてる店に突撃して、
喫煙というのは、マナーを守らないと人に迷惑をかける行為だから、「喫煙は害悪!」と主張するのはまぁ間違ってはいない。ただ、ちゃんと喫煙所でマナー守って楽しんでいる人のところに押しかけて難癖付けてまわるのは明らかに間違っている。「嫌なら来るな(見るな)」ということ。
タバコをはたき落とされて踏みにじられてめっちゃくちゃ腹が立つけど、わざわざ煙を浴びに来るなんてこいつ馬鹿か?としか思えない。喫煙者以外も「さすがにそれはおかしいだろwww」と笑い出し、彼女らはすごすご退散していく。失ったタバコは惜しいが、喫煙所がなくなることはなく、次の日からはまた平和な喫煙ライフが楽しめる。
禁煙の店を選んでる人たちは、別に喫煙文化を否定するため集まってるわけじゃなくて、ただたばこの煙は好きじゃないと思ってるだけ。
それなのに、自分勝手に喫煙するやつが紛れ込んでいたので、やめてくれない?って言ってるところだった。そこへ乗り込んできた過激喫煙派連中の言い分は
「禁煙しろとか言ってるやつは過剰反応。ていうか全然煙くなくね?」
「ここの人々は喫煙文化を迫害してる!我々は被害者だ!喫煙の自由!」
ところが、おかしいだろと声を上げるとますます彼らはヒートアップ。ぷかぷかスパーとタバコをふかしながらこう主張する。
「禁煙派はモンスタークレーマーだ!消えろ!」
「謝るなんて意気地なしめ」
なんて言い出す始末。
「ここにいるとこんな嫌な目に遭うんだな」と思った禁煙派の人たちは去っていく。
結果、煙が大丈夫な人と過激喫煙派だけが残る。やがて過激喫煙派も飽きてきて、元いた喫煙所へ戻っていく。こうして、荒廃したお店とわずかばかりの人だけが残る。
タバコ臭くなった店に、苦手な人たちは近づかなくなる。別に困ることはない。禁煙の店はいくらでもある。
つまり、まとめると
前者は、煙が嫌だと言いながら自ら煙をひっかぶりに来てる矛盾したアホ。被害者はタバコを何本かむしり取られる羽目になるが、喫煙所自体はなくならない。アホの言ってることは矛盾してるので、すぐに消火する。
後者は喫煙所から出てこなければいいのにわざわざタバコが苦手な人に煙ふっかけてまわる加虐アホ。最初の一人がさっさと謝れば、匂いもすぐに落ちただろうに、乗り込んできたアホがトンチキながらもでかい声で主張しながらタバコをふかしまくったせいで、被害者はその店を見限って離れていった。
ってのが今回の騒動の印象。
まーだらだら長く書いたけど。
個人的には、上記のタバコ騒動のような印象を受けたので、例の企業を擁護してるオタクはフェミよりも迷惑度たけ〜なって思ったってこと。
いつも「俺たちの領域に入ってきて価値観を押し付けるな!」って主張してるくせに、今度は自分たちが乗り込んでいって「俺たちの価値観を受け入れろ!」ってやってるのが正直よ〜わからん。
あんたらの毛嫌いしているフェミがやってることと逆のように見えて、押しかけて暴れまわる迷惑行為である点は全く同じじゃないかと思うんだけど。今回は宇●ちゃんやラ●ライブの件とかとは根本から違う。もう女性が声を上げたらなんでもフェミ扱いにして叩いてよし!って思ってるようにしか見えない。
自分はオタク側の人間だし、フェミに漫画とかイラストとか叩かれると嫌な気もちにもなるよ。でも最近はそんなことより、「フェミを叩かないやつはオタクじゃない」「エロ系イラストをどんどんオープンにしていこう」みたいな主張を頻繁に見かけることのほうにうんざりしてるクチ。
嫌がる人がいるからひっそり楽しもうね、ただそれだけでいいんじゃないかなと思うんだけど。もちろん表現の自由があるんだから、内容は放埒でいい。ただ、おおっぴらに楽しませろ!っていう態度、そこは放埒じゃあだめだ。そんなんだからフェミに隙を与えて、規制しろだなんだって言われるんだろーに。
はー。めんどくせぇ世の中。
最後に
フェミ、オタクという表現を用いたけど、今回のことに怒ってるのはフェミだけじゃないし(というか大部分は普通の女性なのでは?)、擁護してる連中が全員男オタクとも思わない。あくまでわかりやすい例としてあげただけなのであしからず。そもそも、オタクとフェミを対比させること自体おかしいのかもしらん。あんまり真に受けないでくれ。
消費税は消費そのものに課税されるから買い物したとき消費者に平等に掛かってくるのはご存じのとおり
そうすると県外とか違う所からとか旅行で購入したひとも「その地方税も含めて納める」ことができるよ
100円で販売するものに10円の納税をしてもらって集金の代行を販売者がするんだ
集めるだけにおいては消費する場所に対してというか経済活動自体に税金をかけているというふうにみえるけど
企業とかに掛ける税を消費者がもつことで軽減されてるので助かる その地域の企業に勤めてる社員さんの手取りが助かるね
その地域に住んでる住民が市民サービスの向上をしてもらうのに使われるのは税金
その税金をあつめる方法がその地元民の働きに課税したものだけだとつらいよね
貧しい町村とかだと生産とか消費がそんなに多くないのに人口がすくないと広い地域に掛けるお金がいっぱい必要
返礼品とかみたいな形で地方の生産をほかの地域が買ってくれていってみれば地産品のポータルサイトを自治体がやってるみたいなもの
ほかにもその地域が観光とか通販とかできたらほかの地域の人が消費してくれるその行動に課税がされるよね
全国均一な経済状況や生産状況ではないので偏差を利用して消費地になれたら税収をそこからつくれるしかも生産者側ではなく消費者側からというのが長所かな
生産も消費もない地域にはどっちにしても縁がないけどそういう地域にはサービスもない可能性があるかどれもすごく低いんじゃないかな
そんな過疎な地域は消費税をいれてもふるさと納税をいれても効果はないので無意味な場合はどんな理由が考え付くかいろんな噂をつけてもいいとおもうけど
消費税はいま使い方がいまいちなのに気が付く人もいないどころからその存在意義とかメリットとかしらずわからないからとりあえず何か因縁つけたい人もおおいのかもしれない
外国人が買い物して消費税いっぱい払うと還付をうけるのはその地域の人なのでお得!なのだけどこれがまた免税店で免税されるうえにオリンピックを目指して免税店の申請を出しやすくみたいなのもあってほんと嫌儲に驚き
税収みたいな施しをうけて自分たちの町を良くしてほしくなんかないって立派で剛毅な方がどうにか地域貢献してくれるつもりなのだろうけどやっぱり税金で自治体が地域の維持管理をしたほうがいいような気がするよ
転売屋のみんなも外国人観光客に免税店でいっぱい買ってきてもらってそれ転売したほうが全方位に喧嘩うっててかっこいいんじゃないかな