はてなキーワード: 撤去とは
喫煙禁止店が増えている中で、市役所が撤去した灰皿を再配置するというのはどうなのって。
最初は辛かったが、その代わり普段コーヒーを飲んで休憩をしている同僚と話す機会が多くなってヤニを吸う前の自分に戻れた。
止めてスッキリして思うことは、タバコをストレス発散だ、気分転換だと言う人は、そもそも忍耐力がない人だ。
ちょっとしたことも我慢できずにすぐ放り投げる。そういうレベルの人。
だから仕事中でも仕事を放り投げてヤニを吸いに行く。自分から身体を不調に誘導してさらにストレスを増やしているというのは間抜けだ。
そう、俺もまたその間抜けの仲間だったからわかる。だけど、ヤニ代は高いし吸ってても意味ないし、周りからの視線が痛いわで良いことがない。
きっかけを自分で作って止めたことでそのストレスから発散された。
なんでこれが出来ないんだろうな。
繁華街の広告看板サイズの規制を強めて、巨大看板を撤去したら街から活気がなくなるみたいに言う人がいるけど賛成できない。
個人の意見だけど大事なのは看板とかネオンじゃなくて人間でしょって思う。行きかう人々、客、お店の人の行き来。
看板のサイズを規制したら活気がなくなると感じるならば、看板の前にそこはもうすでに廃れているんだろ。気づかなかっただけで。
インターネットのコミュニティもそう。いくら広告をべたべた貼っても投稿する人が減れば寂れた感じがする。
人が投稿しないサイトに広告をベタベタ貼ったところで活気のあるサイトだななんて思わない。
そういう事じゃないのかな。
ただ行政の資料を見ると、看板の規制自体は必要としつつも、街に活気をもたらす効果は認めているようだ。
下記は神奈川県。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/x2n/cnt/f692/documents/aramashi201907.pdf
屋外広告物は、私たちに目的地までの案内などの様々な情報を提供するなど広く利
用されており、また、街に活気をもたらすものです。しかしながら、自由に広告が出され
ることになると、街並みや自然景観を乱したり、広告物の落下などによる事故の要因と
なる事も考えられます。
どちらにせよ私の考えで行こうが、行政の考えで行こうが、広告看板サイズの規制を強めたら繁華街から活気がなくなるという意見は間違っていると言える。
直近だと献血ポスターの宇崎ちゃんが炎上したように、ネット上ではオタクとフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛な対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクとフェミは不毛な対立をしてしまうのか。
それについて論じる前に、まず自分の立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色な見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクとフェミの不毛な対立の大きな原因であると考えているからだ。
例の宇崎ちゃんポスターの批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所で女性の性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別的である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題、グラデーションが内包されているということだ。まず第一に公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的に重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論は不毛となる。
例のポスターにおいて宇崎ちゃんは巨乳を突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。
そしてこのグラデーションへの意識をポスターを批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛な対立の最大の原因だ。
SNS上ではより強い表現を使った方がウケる。フェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というものが存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくまで不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いものも存在する。宇崎ちゃんポスターはこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーションを意識した議論が成立しづらくなってしまった。
一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまったことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論の典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまったことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんのポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性をアイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミは巨乳を差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタク=フェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性をアイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスターは性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインはフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーションを意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論は不毛となるより他にない。
とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。
ここで注意しておきたいことがある。グラデーションの存在は詭弁によって攻撃しやすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観でしかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなたの主観ですよね?」と煽るひろゆきの画像が出回っているようにこの手の詭弁が論破テクニックとして重宝されがちだ。
しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。
このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲはハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲがハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?
この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準は日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。
では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。
グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。
最後に余談となるがなぜオタクはフェミをオタクの敵とみなすのかについて自分の見解を述べる。
宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士のツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身のツイートやRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクだけが狙い撃ちで批判されているわけではない。
しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビで東大女子を排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークルに批判的なツイートをしたとしても、「【悲報】フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタクに関係あるものに言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミはオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビで凄惨な事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。
かつてはビールのポスターといえばグラビアアイドルの水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。
今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。
そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまうルートがオタクコンテンツとのコラボだ。
例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合、現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。
これは「まどマギの脚本の虚淵玄はエロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波でアニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女とチャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもので寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画がツイッターでバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。
なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体がオタク作品とコラボしたときにオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしまう場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。
また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃんの場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチで可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりんの炎上の件もこのパターンだ。
このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現がフェミに批判される事態はオタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミはオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。
今回宇崎ポスターで騒いだフェミは「世の中の女性にとって重要なのはシングルマザーの生活向上よりも宇崎ポスター撤去です」って主張しちゃったってことなわけね。直接主張しなかったかもしれんけれど、その期間中、話題トレンドとしてシングルマザーの生活問題よりも宇崎ポスターの方で大騒ぎしてたんだから、まぁ、そう思われても仕方ない。
別に俺はオタクの側の人間じゃないよ。それにオタクがシングルマザーを攻撃してるわけでもない(っていうかむしろ普通のオタクはそのへん気弱から生じる寛容じゃね?)
さっきのはそういう話ではなくて、今回宇崎ポスターで騒いだフェミは「世の中の女性にとって重要なのはシングルマザーの生活向上よりも宇崎ポスター撤去です」って主張しちゃったってことなわけね。直接主張しなかったかもしれんけれど、その期間中、話題トレンドとしてシングルマザーの生活問題よりも宇崎ポスターの方で大騒ぎしてたんだから、まぁ、そう思われても仕方ない。
さらにいえば、シングルマザーは恒常的な問題なのでまだしも言い開き出来るかもしれないが、遡れば、東京医大入試私見で女性差別が行われていた時、それを放置してラノベの表紙&キズナアイ批判をし続けてたってのが、フェミ界隈の過去の汚点として存在するわけよ。
オタクvsフェミっていう問題構造にしたいのは一部の人だけで、今回のケースは全くそんな話じゃねえのよ。フェミが社会に挑戦して、勝手に崩壊して墜落中っていうただただそれだけの話しなの。いわばフェミニズムの自殺だ。
俺はこうやってフェミ批判してて、それで「貴様オタクだな」とか言われたりもするし、じゃあマンが読まないかって言えば読むので属性はオタクかもしれないけれど、この書き込み含めてオタクとして発言なんて最初からしてない。
最近のフェミはその無知と傲慢さで過去のフェミが築いた成果さえ台無しにしようとしているよ、しか言ってない。それをオタvsフェミに回収しようとするほうが、フェミの驕慢だと思うよ。
いつもイライラしてる。
わたしが食べてるのを欲しがるくせにあげたら食べないし、凝ってるのを作っても食べないし、食べるものだけ食べさせてたらすっかり偏食になってしまったし、アレルギーだからそれなりに気をつけなきゃいけないし、お茶碗の汁をこぼすし、汚れたスプーンをテーブルにこすりつけて更に汚すし、汚れよけに敷いているビニールシートと机の間にも汚れをなすりつけるし、汚れた手で服に触るし、食べない食べ物で遊び始めるし、汚れた手でわたしに触るので自分の服まで汚れるし、慣れてはいても頭が毎度沸騰してしまう。
しかも下の子がぐずって、そっちの面倒を見なきゃいけない間にもそういうことばかりする。手が足りない。
2歳だからお利口さんにできないのが当たり前なのはわかってる。
おおらかにかまえなきゃっていつも思ってるけど、せっかくセッティングしたものが破壊されていく光景を見ると脳みそがグワーッて沸騰して、泣きたくなってしまう。
昔は椅子の下にビニールシートひいてたけど、汚れを拭くのが面倒になってきたのでもうしなくなった。
子どもにおおらかにかまえてられる人たち、同じ人間かと思えないくらいすごいと思う。
しんどい。
たまにはではなく毎回こども抜きでごはん食べたい。
毎日三食面倒みなきゃいけないのつらい…
↓追記
もうアカンと思い吐き出しただけのただの愚痴にたくさんのコメントやトラバが来てびっくりしてます
いろんなアイデアや共感のお言葉、本当にありがたい…みんなやさしいな
同じだよと言ってくれる人がたくさんいて、それだけでホッとしました
カーペットは椅子や机の跡をつけたくなくて敷いてたけど、思い切って撤去しようかな。
一時保育は上の子だけ先日初めて利用してみた。
先生はやさしいし、子も思いっきり楽しんでて最高だったけど、キャンセル出て奇跡的に入り込めただけで三月まで予約いっぱいなのですぐには頼れないんだよね。
保育園はわたしの就活、二人の保活、行く予定の幼稚園をどうするかなどの問題があるのでハードル高いけど検討するだけしてみようかなと思った。
トラバでも言われてたけど、わたしみたいな性格だと子どもと距離置いた方がやさしく楽しくできるのかもしれないし。
※夫は休日はできる限りのことをしてくれてるし、ひとり時間も全くないわけではないので湧き出るイライラは自分の性格も大きいんだろうなと思ってる
https://omocoro.jp/bros/kiji/184590
一理ある。が、これだと無意識の差別(※)への批判を全部クソリプ扱いできてしまう。
それより「けしからん物は回収・撤去しろ」式の批判を控え「次から気をつけてほしい」式の批判を推奨するほうがよい。
その批判も次善策であり、最善策は自分が創作者となって理想の作品を作る事だけど。
一時期マイクロソフトのセキュリティ関連のサイトで"悪意のあるハッカー(クラッカー)"を"ニット帽にサングラス"という絵で表していて、
ニット帽やサングラスを愛用する者として、それを見るたびにちょっと不快だった。
香川県の件。ガチャというとキャラクターや装備などを引き当てる為の課金が注目されやすいしれないが、ゲームのプレイ時間を短縮するためのアイテム購入、道具やキャラクター枠の拡張などにも使われるので、プレイ時間を制限すればガチャの問題が解決に向かうわけではない。
私は詳しいんだ。— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属東京都大田区 (@ogino_otaku) 2020年1月27日
重課金の問題はどちらかといえば大人の問題だ。
カードの購入や、クレジットカードで大量に子供がお金を使ってしまうというなら、まず家庭でちゃんと止めるべきであり、公の問題ではない。
時間制限の効果が不明瞭なのに加え問題への理解も浅い。ゲーム依存症自体、まだ詳細が不明である。— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属東京都大田区 (@ogino_otaku) 2020年1月27日
草。
大体あってる。
元々この手のガチャこと課金システム自体、MMOのRMTが根底にあって、その業者を取りしまっていた公式がなら自分達でアイテム課金とかすればいいんじゃね?と言う所からの源流としてあるもんね。
そしてその金銭徴収システムが洗練されていき、今ではスマホ課金と言う効率的なシステムが構築されていったのはある。
どちらにしろ元々から時間の無い人が楽して、強くなるためのシステムなんだよ。
この辺から見てもゲームの嗜好性の問題と言うよりもまず金銭的な側面の方が強いから、消費者庁に関した問題だと言う事が出来るのよね。
個人としてはこの手の課金システム自体嫌いだけど、流石にあの香川の的外れな規制の説明に唐突として、使われているのはいかがなものだと思うし、あの規制自体第11条に性的云々の一文や健全とか言うあの界隈の人達が好んで使うパワーワードが含まれている時点で論外なので、全く持ってあんな規制には賛同するわけがないと言う所。
それこそあの手の規制を推進するしか能がないこの手の短絡的な連中が何でも安易に規制をしていった結果、社会がここまでギスギスしだし、経済は悪化し、他の文化が衰退した結果、娯楽が漫画やアニメ等が広まっていった一因として大きいしね。
今やその規制のせいで逆に子供に関わるリスクを上げ過ぎた結果、誰も子供に関わらなくなったせいで余計に子供がリスクに晒される皮肉な結果すら招いたともいえるしな。
こうしてみるとアニメ漫画ゲーム等の娯楽よりも公園の遊具とかすら撤去させたあの手の規制を推進する連中の方が余程社会に対して有害だと思うのだけどね。
https://togetter.com/li/1459470
ついに来るべき所まできたなと思う。
コレもただのクレーマーであったフェミの気持ちに幾ら弱者の権利を悪用していたとは言え、安易に乗っていた世間も悪いのだろう。
当時の児童ポルノ禁止法や都条例で調子づいて、以降LGBTやらポリコレやらで増長された結果がここまで先鋭化させたと言う事もあると思う。
ある意味ではナチスの宥和政策と同じ轍を踏んでいるのだろうね。
https://togetter.com/li/1459689
自分のお気持ちの為ならば、女性所か子供の権利と言った弱者の権利やLGBTと言ったものまで利用するのに都合の悪い事態が起これば、それこそ見ない振りをするか、他者に責任を押し付ける。
何時もの事だよ。
そしてそれぞれの諸問題を寄り悪化させるのがこの人達のやる事。
当時の児童ポルノ禁止法の時でも子供の権利を盾に規制ばかり主張して、反対派が指摘した予算や厚労省管轄や性的虐待物に改める事等と言った指摘は一切合切ガン無視したからね。
あの時から全く変わっていない。
Is It Time Gauguin Got Canceled?
https://www.nytimes.com/2019/11/18/arts/design/gauguin-national-gallery-london.html
https://www.bbc.com/japanese/42944154
海外のフォロワーさんから報告があったので、絵描きさん各位へ。
画像で申し訳ないですが、ロリ系絵描きさんを通報しまくってるようなので注意してください。念の為ブロック推奨で😫 pic.twitter.com/M3VLMGEsvX— 猫乃またたび@新刊委託中❤ (@mttb2ccp) 2020年1月24日
ある意味日本と似たようなものかそれ以上に危険な集団と化している。
良くあの人達が出す単語であるインセルが生まれたのも元々はフェミへの反発だからな。
この様な過激な反発集団が出始めた時点で、フェミが世間的にも嫌われ出していて、自身の立場が危うくなり出しているのだけど、あの人達は一切気づいていないからね。
今や漫画所か絵画まで狩りだす等ある意味では退廃芸術と同じ轍を踏みだした。
今も創作物規制が児童保護に意味がないまたは逆効果であった事が証明され始めているのにも関わらず、児童ポルノにこじつけてセックスドール規制までしようとしているからね、あの人達。
公園でボール遊びが出来なくなったり
河原で花火が出来なくなったり
子どもの声がうるさいと苦情がきたり
神輿渡御やどんど焼きが通報されたり
ゲームやスマホに条例で利用制限しようとしたり、なんだか寂しい時代ですね。— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属東京都大田区 (@ogino_otaku) 2020年1月18日
これに関しては今で言う所のフェミ団体が右左問わず、色々な形で規制してきた結果だからな。
時ににはお母さん保守、時には婦人団体、時には児童保護団体、そして女性団体とあらゆる形に擬態をして行ってきた経緯もあるし、実際一部に繋がりもある事は割と知られている話だしね。
当時から懸念されていた通り、雁字搦めになりすぎて、今では何もする事が出来なくなってしまった結果を招いたと言う所だからね。
アレは危ないからと言って公園から遊具が撤去され、ボール遊びが禁止され、アレは有害だと言って、漫画の焚書を行ったり、時には関係ない児童ポルノとも絡めて、インターネットや漫画アニメゲームの規制を行おうとしたりしてきたり、条例によってゲームセンターから子供を追い出したり、事実上子供に対しての戒厳令を敷いたり、何故かネットカフェまで規制されたと言う経緯もあるしね。
実際、日本の街から活気がなくなったのもこれ等の規制をやりすぎたのもあると考えるし、今でもゲーム障害と称して、スマホやネット叩きをしている連中もこの手のも絡んでいると個人的には疑ってはいるよ。
現に大阪の話なんて学校の校長から出てきたと言う時点で怪しさ満載だしな。
何にしろ奴等のお気持ちには際限がないので、お気持ちに沿ってきたらそれこそ何でも規制されてしまうし、規制されてしまった結果、ここまで娯楽や行動自体制限されてしまったと言う話な訳だしね。
当の子供からしたら、余程これ等の団体の活動の方が有害だと思うよ。
かつてベルギーのユニセフ支部が、欧州の児童ポルノ規制法を推進しておきながら、その建物の地下が児童ポルノ制作スタジオになり組織ぐるみの児童ポルノ製造組織だった事件も、禁酒法でマフィアが儲かるというのと同構造の図式があるといえるだろう。— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2020年1月18日
そう言えば当時児童ポルノ禁止法の時でも地下組織の商売を助長させるマイナス効果が出てきてしまうから、やめた方が良いと言う指摘をしていた人もいたから、このニュースを見た時は起こるべくして起きたなと個人的にも思ったし、知っていた人は私と同様の感想を持った人も多かっただろうと思う。
実際、規制が厳しすぎる国ほど、逆に実在児童犯罪が悪化しているのも事実だし、そういう意味では地下でのそれの商売の価値が上がってしまったと言う弊害そのものを招いたとしか言いようがないのだろうねと思う。
何にしろこれ以降、国連やらユニセフやらキリスト教やらで性的虐待やら売春組織経営やらこの手の児童犯罪の報道が多発し、これ等の規制を押し進める組織が規制を言っていた事自体、国連やユニセフ、キリスト教等の自身の犯罪行為の矛先逸らしの為ではと言う言質を補強する結果になったのだけどね。
幾谷正氏「【問題】『生理ちゃん』の作者の過去のセクハラ発言やセクハラ漫画が女性に非難されてちこちでコラボや広告をおろされて撤去されてるのに、オタクたちが宇崎ちゃんのときみたいに騒がない理由をお答えください。」
https://togetter.com/li/1455065
すげーな。
ある意味ではこの方は「ヨ」のアレを普通に超えたんじゃないか。
間抜けすぎると言うかなんともはや。
もはやわざとやっているとしか思えない位にこいつら勝手に自滅をしていて、そろそろ観察している人も楽しくなってきた頃じゃないかな?
しかしひげを剃る。そして女子高生を拾う。のフェミ及び例の弁護士及びあの外人の件と言い、ここ最近急速に奴等は勝手に自滅していっている印象。
何らかの自治体がどこからともなく駆けつけてきて、あれよあれよという間に撤去される。
或いは、日の出を見たい他の人間たちによって侵略されるだろう。
勝者の特権として略奪行為、「俺たちの席なんて元からなかった」という歴史修正が施される。
大袈裟な話じゃあない。
俺は以前に市街パレードがあった際、バイトで場所取り代行をしたことがあるが、あの時は戦慄した。
確保する簡易席は3つ。
自分が座っておけば残り2席を見張っておけばいいだけの、チョロい仕事だ。
最初はそう思っていたが、その“最初”は十数分で終わりを告げた。
通りがかった同級生が話しかけてきて、そっちに目を向けて返事をしたときだ。
その後、すぐに視線を戻したけれど手遅れだった。
「ちょっと目を離した隙に」とはよく言うが、この時の“ちょっと”は数秒の出来事。
にも拘らず、俺の両隣には見知らぬ人間が二人座っていたんだ。
何食わぬ顔で携帯端末をイジり、位置情報ゲームを嗜んでいた様子は強烈だった。
まあ、結局は簡易席の前に人だかりができて、座った状態ではロクに見れないという状態になってしまったけれど。
“より良いものを見たい”という目的のために、人は容易く理性を放棄できる生き物だと俺は痛感したのさ。
というわけで、買出しに行く人数は絞らなければならない。
「こんな暗がりに一人で待機とか嫌っすよ」
「じゃあ、待機組は二人、残りが買出しって感じかな」
「それじゃあ、ここで待機したいのは?」
「……」
そもそも、ここにいるのが退屈だからこういう話が出ているわけだから愚問である。
「じゃあ、ジャンケンで」
弟は、おもむろに俺のバッグから麻雀セットを取り出し、周りの賛成意見を募るまでもなく牌を並べ始めた。
「まあ、暇つぶしにもなるし、これでいっか」
弟は心の中で「しめしめ」と思っていることだろう。
それは俺も同じだった。
Is It Time Gauguin Got Canceled?
https://www.nytimes.com/2019/11/18/arts/design/gauguin-national-gallery-london.html
関連:#MeToo 運動で古典絵画を撤去、ポリコレ学者は好評価『骨董品は売っ払え』
https://togetter.com/li/1195816
ゴーギャンが当時淫行していたから撤去しろとか言い出したとか何とか言っているらしいよ。
頭おかしいよね。
児童ポルノ禁止法や都条例とかの当時にネット規制や漫画アニメゲームだけではなく、こいつらフェミのお気持ちに配慮し続けていれば、そのうち他のものにまで飛び火して、最終的に何もかも規制を要求しだすぞと当時はまだ一部の方に指摘されていただけだったけど、まさに今それがあちらで起こっている最中と言った所。
今で言う奴等のゾーニングに配慮し続けたら、こうなるぞって言う例だね。
そもそもあちらさんはソニーの件やアメコミの件と言い、こいつらのせいで娯楽文化も徹底的に荒らされていたわけで、その挙句、ついにここまで来たかと言うのが正直な感想だよ。
幾らフェミが子供の権利や女性の権利を盾にしているとは言え、おかしな事にはおかしいと反撃していかないとこうなってしまう実例そのものだよ。
しかしこいつら子供の権利とか女性の権利とか弱者を良くシールドにしているのを見ていると本気でゴブリンを彷彿とさせるのが余計に気持ち悪いよね。
おかげでコレを思い出した(苦笑)
仁藤夢乃「若い女性が来ると、機動隊も乱暴にしたり、気安く触ることが難しくなるため、工事を遅らせることができると地元の方から聞いて」 pic.twitter.com/l6AKJKAgpy— こな蜜柑ちゃんpot (@reirei_pot) 2019年8月30日
フェミの行動自体、当時退廃芸術と称してやっていたそれと変わらないだろうよ。
しかしリベラルに属すると言う様な連中がこう言う事をするのが最大の皮肉だよね。
ある意味ではナチスに行った宥和政策と同じ間違いをフェミに対しても世間が行い続けた点も重なっているとも言えるだろうね(苦笑)
そのうちルイスキャロルはロリコンペドとかdisりだして、不思議の国のアリスは卑猥だから焚書しろとか大真面目にこいつらなら言いかねないのが恐ろしい所。
フェミなら本気でやると思うわ、この位。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dg_law/archives/52442270.html
このブコメで「表現の不自由展」の文脈の話持ち出す人絶対居ると思ってた。
不自由展は本来展示企画の趣旨(一度他の美術館で撤去された作品達の展示)を理解した上で、入場しなくては見られない場所に「ゾーニング」されていたのであって
それをネトウヨがデマとともに文脈を排除してネットで拡散したから(文脈の理解できない)一般の人達にも批判されることになったんだよなぁ